2006年05月31日

無用の用

明日は、いよいよ県立図書館が開館します。で、返す前に書くべき最後の本がこれ。
飲食男女―老荘思想入門
他にも、借りた本はありますが、読んだ本の全てを書くよりも、ゼヒ、というモノに絞込みたいので。

老子と荘子について、トルストイや仏教、親鸞やキリスト教、源氏物語や夏目漱石、松尾芭蕉から聖徳太子、福沢諭吉の考え方と、リンクして説明してくださってます。正に、老荘思想の入門書と呼ぶにフサワシイ本です。

ちなみに、≪無用の用≫とは、荘子が唱えた思想で、「曲がりくねっていて使い物にナラナイ木がある」と尋ねられた時に、「世間から無用というレッテルを貼られたからこそ、マサカリや斧によって切り倒されるコトもナク、天然の齢(よわい)を全うしている。そこには、つきることのナイ彷徨の歓喜がある。世間的に無価値とされたとて、何も気に病む必要はナイ」と答えました。世俗の実利的・功利的な考え方だけに捕らわれると、見えなくなるものがあります。でも、本当に大切なモノは、目に見えない(「星の王子さま」の有名な言葉ですけど)し、お金があれば、99パーセントの欲しいモノは買えると思いますが、残りの1パーセントのお金ではどうしても買えないモノの中に、本当に欲しいモノがあったりするのです。

無論、お金がナイゆえに、大変な暮らしを強いられる人々もいるのですから、金銭を軽んじているワケではありませんが、お金だけあれば、何もかもウマクいくワケではないのです。

あればあったなりに、近付いてきた人々の求めるものが、自分なのか、それとも自分のお金なのかの心配をしなければならなくなるコトもあり、猜疑心に捕らわれ、他人に心を開かないので、人との間に壁を作ってしまう場合もあります。

生きるタメに必要なお金は、働きさえすれば、それなりに手に入ります。それを人生に活かして使うか否かで、人生の深みが違ってくるコトだけは、間違いないでしょう。  

Posted by seitaisikoyuri at 20:57Comments(0)TrackBack(0)

ナショナリズムとは何か

おはようございます。高原のゴール、メチャメチャ良かったですね。エコノミー症候群で、前回のワールドカップに出れなかった悔しさを全部ブツけて欲しいです。(四年前に応援出来ずに残念だった気分をコチラも存分にブツけて応援しますから!! 優男系が主流の今の日本のサッカー界にあって、ワイルドな貴重な選手です。でも、何だか前よりグッと美形になっていて、それはそれはでウレシイような‥‥)

そういうスポーツに於ける健全なナショナリズムはとってもイイと思うのですが、昨日の著者は「今日の戦争は、人種的プライドと同程度に国家的プライドにかかわるものである。われわれがナショナリズムと呼んでいるものは、自分の属する文化の達成した偉業にたいする健全な満足感というより、悪性の国家ナルシシズムとなっていることが多い」と述べている。

自分で気づいているかどうかは別として、学校の教室に飾られている世界地図は自国が世界の中心に書かれている(日本もアメリカもロシアも‥‥)し、他者を殺すコトはホボ全ての宗教で禁止している(自爆テロが盛んなイスラム教の教祖、モーゼの十戒の第七の言葉は「なんじ殺すなかれ」ですし)

今日では、戦争の両当事者が、自分たちは犠牲者だと主張するのが習わしとなっている。かつて、人間があまり節度を持っていなかった時代には、公然たる征服欲を動機として、ある種族が他の種族をためらいもなく殺していた。しかし、今日では、戦争の当事者はつねに潔白を装うようになっている。‥‥ヒットラーですら、侵略のためにまやかしの口実をでっちあげている。‥‥戦争の当事者それぞれが、相手が攻撃をしかけてきたのであり、自分たちは犠牲者なのだと考えている。こうした双方の言い分にとらわれると、‥‥戦争というのはほんとうはだれが悪いのでもない。どちらの側も攻撃をしかけたのではない。だれも誤った選択を行ったのではない、なぜかは知らないが、自然発火のようにして起こっただけなのだと考えたくなる。

しかし、戦争は自然に起こったものではないと著者は力説する。

太平洋戦争における日本軍の行動だってそうだ。≪張作霖爆破事件≫を口実に他国を支配しようとして、≪南京大虐殺≫をし(当時、そんなに南京の人口は多くなかったから、それはデッチアゲだとする説もあるが、〈〉虐殺はナカッタにしても虐殺はあったに違いない)、でも戦争責任はアヤフヤになっていて、広島・長崎・沖縄の方々、大空襲の犠牲になった多くの地域の人々、そして上官の命令に従って亡くなった多くの人々の命の上に、現在の平和が成り立っているのである。極東軍事裁判が人種により不当な判決が出たとしても、自然発火ではない戦争の責任を誰も取らないで済むホド甘くはナイ。勝てば官軍は、昔からの世の習いではないか。

だからこそ、我々は平時には一人の人を殺しても犯罪になるのに、多くの人を殺せば殺すホド勲章が貰え、昇給する様な戦争をしない様に勤めるべきだと思う。

別に、何かの集団に属していて、こんなコトを書いているワケではナイ。著者の言うように、集団に属すると、リーダーになりたがる人がいて、それに隷属したがる人がいる。そうした行為は、自分を無くしやすいから、イヤなのだ。

我々は、個人個人が、自らの頭で考えて、他人の意見は聞いても、それを無批判に受け入れるのではナク、反芻して自分の中で消化し、自分の意見をしっかり持って、悪いコトは悪いとハッキリ表明しなければ、迫り来るファッショへの道を、再び歩き出しかねないのである。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:59Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月30日

邪悪な人間にならないタメに

今朝の続きです。著者が考える邪悪な人の定義は、

●どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●異常に意思が強い
●罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。
●他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
●体面や世間体のためには人並み以上に努力する。
●他人に善人だと思われることを強く望む。

というコトです。

ベトナム戦争の影の部分を精神科医として認識したからこそ、あらゆる人間の悪の根源は、怠惰とナルシシズムにあり、人間一人一人が聖なる重要性を持った存在であり、集団の中の個人は自分の倫理的判断力を指導者に奪われがちになるが、我々はそうしたコトに抵抗しなければらないと強調する。他人に責任を転嫁すれば、どんな残虐なコトも、罪悪感もナク出来るのが人間という弱い者なのだ。

だからこそ、個人の浄化は、個々の人間の魂の救済のために必要なだけでなく、世界の救済に必要なのだと。

怠惰は、人間のものの考え方が一種の慣性を伴い、一度ある考えに支配されてしまうと、それに対立するいかなる証拠でも、その行動を止めるのは難しい。ものの考え方を変えるには、相当の努力と苦しみが必要で、自己不信と自己批判の姿勢がいる。今まで正しいと信じていたコトが、誤りだったと認めるタメの不快な混乱を避けたがるのだが、その時こそ、学習と成長の時だというのに。

ナルシシズムとはここでは、自己のものの考え方であり、誰かが自分の考え方に批判的になると、自分自身が間違っていたというコトになり、自分が抱いている完全性という自己像が砕けるのを防ぎ、自分は常に正しいとのみ考えるコトである。

我々は決して完璧ではナク、間違う弱い存在なのに、自分を省みずに、全て正しいのだと言い張るかぎり、ソコに邪悪が生まれ、ウソが生まれる。間違ったならば、反省してこれから正せばイイのであり、決して他人に自らのアヤマチを責任転嫁したり、言い逃れしてはイケナイのだと著者は言う。そうしなければ、その報いは、自分に、家族に、自分を取り巻く世界に必ずやって来る。そういう人生が望みでナイならば、微力でも、世の中の浄化のタメの努力を惜しんではイケナイと著者は力説しているし、確かにその通りだと思う。

我々は、ベトナムの悲劇を既にイラクで繰り返し、それだけでは済まずに、これからも繰り返す可能性を秘めている。その事実を認めるコトから、始めなければイケナイのかもしれない。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:50Comments(2)TrackBack(0)

平気でうそをつく人たち

おはようございます。

競走馬の飼育で有名な、滋賀県の栗東市の古墳時代前期の木製の琴が見つかったそうです。長く使えるようにと、現代の琴と同じ様な補強のタメの細工がしてあったとのコト。(新聞によりの情報です)こうした話を聞くにつけ、日本の様な山が多い地形では、簡単に全国統一などとても出来なかったハズで、ナドと政権の多元史観(現在は近畿王朝だけの一元史観がハバをきかせてますが)の方が、合理的だと考えるワタシは、又、一歩真実の歴史に近付く傍証になるだろうとワクワクします。

それにつけても、社会保険庁に対する関係者の無責任発言を聞いていると、
平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学
という、ケッコウ難しい本で、しかも、読んでいてあまり気持ちがヨクないので、ついついダラダラと少しづつ読んでいる、でも、それなりにそうだよなと思っている本のコトを考えてしまいます。

この本には、平気で(アメリカですから)長男が自殺した銃を、次男のクリスマスプレゼントにして、その後で次男がオカシイと精神科医の著者に診察してもらおうとする両親とかが出て来ます。銃に対する無関心にも、日本人には驚きますが、子供に対する薄情さにもビックリ!!

そして、社会的地位の高い両親が、子供の要求をことごとく拒否するので、自分が精神分析を受けるべきだと言われると、子供を犯罪者にまで追いやってでも、自分達の正当化をする様子が描かれてたり‥‥

そして、そこには、ベトナム戦争におけるソンミ村大虐殺を引き合いにして、ストレスの怖さ、専門家することによる、責任の分散などの分析がされています。

それによって、人間はとんでもないコトでも、正義感がマヒしてしまうのだという。ただ、それはその集団だけが悪いのではナク、スケープゴートにしている我々にも責任があるのだという。

そこについて、詳しく書きたいのですが、時間がナイので、今晩、もう少し。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:34Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月29日

通説を疑うから研究になる

前にも書きましたが、活字離れが進んでいる昨今、あまり辛口の書評は控えているのですが、こと日本史となると、どうしても黙っていられなくなるので、今回は特別です。(も?)
古代からの伝言―悠久の大和篇
一冊しか読んでないのですが、ノンフィクションと銘打たれてしまうと、「エッ!!」と思います。

伝承であれ歴史であれ、古い時代からつたえられてきた事象は、ときとして人間の暗い意識の深淵をのぞかせることがある。事件の全体像は、ながい年月とともに風化していくが、核心をなす恐ろしくもまがまがしい記憶は消えずにのこる。

という説には、ワタシも同感です。ですが、仲哀帝と神宮皇后の話は、わが国の天皇制がゆるぎがないものを宣伝するためなら、なぜこのような話を捏造しなければならないのか、という論理の飛躍にはとても付いてイケマセン。

日本の西暦300年代を≪空白の四世紀≫と呼ぶコトに対しても、「自国の歴史書への蔑視である」と断定してしまう。ヨクも悪くも、人間は意識するしないに係わらずウソを付く可能性があるものです。だから、日本で書かれた記述と外国の日本に付いて書いた記述が一致したら、それはホボ真実と認定されるだけのコトです。それが出来ないから、未確定なので、空白と言われているだけで‥‥

仁徳帝の后である葛城氏が出自の磐之媛の激しい嫉妬を克明に書くのは、「それが事実であり、日本書紀は国の正史として、できるかぎり真実につたえようとしたから」と言われてしまっては、何をか言わんやである。葛城氏が、この後、没落していったから、没落させた勢力がその一族の磐之媛を悪く書くのは、当然とは全く思えないらしいので‥‥

学問、特に研究しようと思うなら、通説を全てを白紙にして、批判的に眺め、それでも正しいと思えたならば認定出来ますが、無批判に受け入れる人には、決して真実に辿りつくコトは不可能だと思います。小説としてならともかく、ノンフィクションなどと書かれると、ちょっと‥‥

唯一、著者の良心を感じるのは、西紀五三一年(辛亥年)、「天皇と皇太子、皇子がともに亡くなった」という『百済本紀』の記録を書き、古事記、日本書紀への疑問を呈しているコトである。ただ、それはそれで今までの論証と矛盾するのだけれど‥‥

歴史というものは、勝者から書かれたモノに決まっています。それが真実かを確かめるタメに、何人もの歴史学者の方々がいるので、その方々の研究成果を簡単に一蹴するのだけは、失礼だと思いますので、こちらも第三者として失礼なコトを申し上げました。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:13Comments(0)TrackBack(0)

「生きる」ということ

おはようございます。

人間には、その人その人の生き方があり、どれが正しいなんてコトは一概に言えません。本人がそれでイイと思って、他人に物凄い迷惑(全く迷惑を掛けずに生きれるハズもないので)を掛けずに生きれば一番なのだと思います。
元気―人はみな元気に生まれ元気の海へ還る
五木さんの本です。彼の本を人生の半分以上かけて、その時々に読んで来て、正直、「ここまで枯れつつありながら、元気なんだな」と思いました。
ワタシの一番好きな小説は、「ソフィアの秋」だし、映画化されたモノの中では「戒厳令の夜」が一番お気に入りだったりするくらいの古くからのかなり好きな作家の一人です。必ず、一年に何冊かは読むくらいの‥‥

このブログの大ヒットしたページの「しっかり眠りたい方に」というページに出て来た、「白隠禅師」の『夜船閑話(やせんかんな)』についても書かれていて、簡単には手に入らないであろう、荒井荒雄氏の書いた本のコトが、しっかり書かれてます。

野口整体の創始者、野口晴哉(はるちか)さんが「生来、病弱」であったと語った人の話を聞いて、アドラー心理学の、「人間は自分の弱い部分を補完したいがタメに努力する」のだと思ったし、ワタシとの考え方は必ずしも一致はしないのだ。でも、読んでいる‥‥(苦笑)

こんなコトを書いては失礼なのを充分承知の上で書くのですが、戦後のドサクサで亡くしてしまった母親に対する贖罪の念が心にあって、それが生きる原動力なのかもしれませんが、今回借りて、短発では書ききれない(別に一回読みきりがダメというワケではなく、読みやすい本は御自分で読んだ方がイイと思うので書き込みしないのです)難しいけど読み応えのある
悲しみに言葉を―喪失とトラウマの心理学
この本にあるように、喪失を言葉にして、全然違う五木さんの本を読んでみたいような気持ちもあります。

ワタシはスゴク健康に見えるもののそうではない方なので、元気で生きていけたらそれだけで充分だし、『天命』で召されるならば何時でもOKだと思っています。ともあれ、それまでは、御仕事、御仕事‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:31Comments(2)TrackBack(0)

2006年05月28日

純愛がしにくい時代

朝の日記に書いた様に、図書館に本を返すので、久々に小説の紹介です。
歓喜の歌
たしか、この作家の「ニュースキャスター」のコトも、過去ログに書いた様な気がしてますが、うまく検索が出来ないので、ドコかというコトでスミマセン。

クレジット会社の調査部に勤務する男と、ゲーム会社に勤める女の、純愛と呼んでいいのかもしれない話なのですが、こんなに制約がないと、現代は純愛なんて出来なくなってしまったのかとすら思います。

一度の破局で壊れた心、そして訪れる悲劇の数々を思うと、あんまり純粋過ぎると危ないよなと思います。

人生で失敗するコトは、数限りなくあります。些細なコトもあれば、重大なコトもあるでしょう。でも、失敗したらやり直せばいいのです。

最後は再生への予感で終わる小説ですが、ワタシの言う様にしたら、小説にはならないかもしれないけど、人生でつまづいた時には、自分を見失わないコト。それが一番です。

あんまりドラマチックでない人生の方が、絶対シアワセだと思います。それでも、小さな山や谷は、誰もが経験せずにはいられないものです。

小説を読むのは、ストーリー展開の面白さもさるコトながら、波乱万丈な話の中で心は自由に遊ぶにしても、最後には冷静になって、自分の身に引き換えて、どう思うかというコトだけは考えてみると、似た様な場面に出くわした時にきっと的確な判断を下す一因になると思います。

この前も、マイミクさんを整体しながら話したのですが(同じ歳です)、「もう、我を忘れるみたいな感情とは、ホド遠くなってしまったね」と。小説の中で、「遠い日の花火」を読むのは、それなりに楽しいものです。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:40Comments(0)TrackBack(0)

マンゴーで若々しく!!

おはようございます。三十六計のキリが付いたトコロで、しばし「中国の古典を読む」シリーズは中断させてください。前にも書きましたが、図書館の開館が迫ってますので、既に読み終わった本の数々を書き込みして、返却期日までに一旦返さなくてはなりません。もう一度、読み終わった本ばかり、借り直すのは大変なので、長々と書き込みしている分厚い本だけを、もう一度借りて書き込むコトにします。なので、その時まで、お休みさせてください。

で、本日は久々、「食べ物が作る健康」情報です。今回はマンゴー。昨日付け「日本農業新聞」の「アンドユー」の「くだもの図鑑」からです。

どんな風に、身体にイイのかというと、

_牝の黄色を作り出すのが、ニンジンなどでおなじみのβカロテン。体内に取り込まれるとビタミンAに変わり、目の乾燥や視力低下を防ぎ、細胞が活性酸素に傷付けられるのも防ぐ。柿の約13倍、ビワの約2倍含まれる。過剰な摂取は悪影響を及ぼすので、サプリメントなどで摂るよりも安全。動物性のレバーとかよりも、植物性の方が、βカロテンで貯蔵されるのでより良いのだそうです。

⇒媚世眤燭含まれている。妊婦に必須のビタミンで、血液を造って、貧血を防ぐ。妊婦の9割以上が葉酸不足とのデータもあり、意識して摂りたいもの。

心臓病やアルツハイマー病の予防も期待される。

ざい抗酸化作用のあるビタミンEも多い。マンゴーなどの果物はカロリーが低いので、太りにくく、効果的に必要な要素が取れる。

冷蔵庫で冷やして食べるとおいしさが増します。ただし、熱帯果樹は(メロンとかも含めて)冷やし過ぎると低温障害が出ます。冷蔵庫で長期保存するとマンゴーの果肉が黒ずんだりしてしまうので注意が必要です。食べる直前に冷やして早めに食べましょう。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:22Comments(2)TrackBack(0)

2006年05月27日

負けない秘訣は争わないコト

≪臥薪嘗胆≫という言葉を学生時代習った方も多いかと思いますが、タキギの上で寝てまで再起を誓った越王が、呉王に復讐するコトに成功したのは、第三十一計、「美人の計」あればこそです。西施(せいし)という美女を献上し、美女に惑わされた呉王は、骨抜きにされてしまいました。クレオパトラなど、勇者を腰抜けにした美女は数知れず、「綺麗なバラにはトゲがある」というコトです。

第三十二計、「空城の計」は、城をもぬけの殻にして、逆に疑心暗鬼にさせる方法です。諸葛孔明がその策を用いたトコロ、「何かありそう」と思った敵は、アワテテ引き上げました。あまりに無防備過ぎると、かえって二の足を踏みたくなるものです。高校時代、剣道が体育の授業にあり、友人が「やりたくないからドコでもイイから早く打って終わりにして」と剣を下げた時には逆に打つのが怖くてナカナカ打てませんでした。ワタシも剣道は当たると痛いので、やりたくはナカッタのですが、面や小手狙いと見せかけて、胴打ちなら、相手も痛くなかろうと思いっきり打ち込めたので(ホボ勝ちました)、サスガにその時はスキがありすぎて全然打てないのです。もしかして、気楽に打っていって、スキを狙われるのではないかと思えて仕方なかったのです。でも、確かに打たせてくれて八百長試合だったのだと思います(負けたら覚えているだろうから)とにかく、その時の打てなかった気持ちだけは今でも覚えています。

第三十三計、「反間の計」は、敵の間者を利用してウソの情報を流させるコトです。故意に偽りの情報をつかませる方法と、買収する方法があります。

第三十四計は、「苦肉の計」で、部下に自分の身体を思い切り打たせ、仲違いして逃亡して来たと相手方に思わせて、見方のフリをして敵に近付き、火を放った将軍が呉国にいました。

第三十五計の「連環の計」は上の火を点ける前に、相手の艦隊を鎖で縛って、動けなくしておいたのです。鮮やかな一本勝ちを狙うのではナク、二の矢、三の矢と幾つもの策略を張り巡らせてこそ、戦国の世を生き延びられたのです。

そして、その最後が「走為上(そういじょう)」つまり、≪走(に)ぐるを上となす≫、つまり「逃げるが勝ち」というコトです。戦えば死ぬ可能性はゼロにはなりません。でも、戦わなければ死ななくて済みます。無理に戦わないコト。それこそが最上の策であるというコトは、戦って莫大な死傷者や損失を出した経験から生まれたものです。「愛と哀しみのボレロ」という映画を学生時代に見た時に、心に残ったのは、「腰が痛くなるホド長い映画の末の感想が、人間死んだら終わりだな。生きていてこそだなというコトだけだったとは‥‥」というコトだけでした。長過ぎてストーリーはヨク理解しにくかったタメかもしれませんが、本当にそれだけしか思えず、映画館をアトにしたコトだけは、覚えています。

負けそうになった時は、敗戦を恐れず、最小の手傷に抑えて、再起を期して、サッサと逃げるコト、それがやっぱり一番です。玉砕した人々の子孫はこの世に存在してないかもしれませんが、生きて捕虜としての屈辱を受けても生還さえ出来れば、その子孫はこの世に生まれて来ます。遠い昔のコトではアリマセン。今、生きている日本人の半分くらいはそうして生き残った人々の血を受け継いでいるのです。戦争は決して過去のコトとばかり、水に流せるものではありません。虐げられた人々の心の中には、今も脈々と屈辱の歴史が染み付いているのです。それを考え違いするのは、アサハカな人間のするコトです。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:42Comments(0)TrackBack(0)

勝負は時の運と割り切る!!

おそようございます。さて、早くこの本を書き上げないと、休みで困っていた図書館ももうじき開館して、返却期日が迫ってきてしまいます。既に何冊もの本が、書かれるコトなく待っているというのに‥‥と贅沢な悩みが。しかし、早く新しい本も借りたいし、人間というものは、ワガママなものです。

第二十八計、「屋に上げてハシゴを外す」日本の「二階に上げて‥‥」というのと一緒です。甘い罠と深い読み、周到な準備で相手をハメるのです。逆に考えれば、世の中、そんなに甘い話はアリマセン。本当に儲かる非上場株をワザワザ電話代をかけて、赤の他人に売ってくれる奇特な人がいると思いますか? ワタシだったら、本当に儲かるなら全部独り占めにして、そのお金で人生働かずに遊んでいようとか思っちゃいますね(笑)儲かる投資話とかと電話が掛かって来た時は、忙しいのでとスグに電話を切ります。どう考えても、夢ような話を聞いてられるホド暇ではありませんから。「必ず儲かるのなら、もう既にお金持ちになっていて、電話を掛けるなんて仕事しているハズないだろ!!」とツッこむのもバカバカしいので‥‥

第二十九計、「樹上開花」お花をパッと咲かせましょではないですが、劣勢の時にコソ、ハナバナしく見せかける方法です。そう言っては失礼ですが、サホド裕福ではナイ方ほど、自分を金持ちに見せたがるものです。本当のお金持ちは見栄など張らずに堅実です。堅実だから、お金持ちになったのかもしれませんが‥‥

第三十計、「客を反(かえ)して主と為す」招かれた客人の立場から、主人になろうとするコトです。くれぐれも人選は、慎重にというコトでしょうか。

ともあれ、勝負は時の運なのですから、利あらずして敗れるコトは常にあります。その時に、最期まで諦めずに、わずかな勝利の可能性を見つけ、起死回生しようとするかで、人間の価値が決まります。三十六計の締めは敗戦しそうな時にどうするかという計が書かれています。

アト、六計、有名な「逃げるにしかず」までもう少しです。玉砕するよりも、再起するコトの方が絶対大事なんだと、必ずや思うハズです。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:42Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月26日

人間の考えるコトは、昔も今も大差ナイ

ミクシィで、何匹もの子猫がビニール袋に詰められて、捨てられていたのをタマタマ通りがかった高校生が、奇跡的に生きていた一匹の子猫を助けたい一心で、動物病院に助けを求めたので、ソコの獣医師の方も、心優しい高校生の力になって、なんとか子猫は助かり、調子が悪いと再び親に連れられて来たので、その高校生の親と会ったら、やっぱり親も心優しい感じの方だったそうです。やっぱり、優しさも連鎖するのですね。虐待の連鎖よりも、ずっとイイと思います。

で、イイ話で心を潤したトコロで、続きに参ります。

第二十三計、「遠交近攻(えんこうきんこう)」です。現代もこういう政策を取っていますよね。遠くの国と仲良くして、近くの国を攻めるという意味です。

第二十四計、「道を仮りて虤(かく)を伐(う)つ」小さい国の窮状に付け込んで、大義名分を損なわずに、併合するチャンスを狙うのです。イヤな話ですが、こんなコトもやっぱり今もありますよね。

第二十五計、「梁を偸(ぬす)み柱を換(か)える」つまり、屋台骨を盗むのですが、現代の企業の乗っ取りなどにも似た手口が使われています。あくどいと非難することは簡単ですが、そういうコトにならない様に注意するコトも大事でしょう。

第二十六計、「桑を指差して槐(えんじゅ)を罵る」Aを批判したくても、それがイロイロな情況から難しい時には、Bを怒鳴って、間接的にAを批判したと同じ様な結果を得る時に使います。坑校代の川上監督は、チームに活を入れたいと思った時には、ミスタージャイアンツの長嶋茂雄氏をナインの前で叱り、全員の気を引き締めたそうです。陽気なミスターなら、叱られても後を引かない性格だと見込んでいて、このようにしたのだとか。やはり、名監督と呼ばれる人は、それなりの作戦を練っているものです。

第二十七計、「痴を仮(いつわ)るも癲(てん)せず」とは、「利口ぶって軽挙妄動するよりは、わざとバカの振りをして行動を控え、したたかな計算を外に表さない」つまり、赤穂浪士の大石内蔵助の様に≪昼行灯≫のフリをというコトである。

老子の言葉にも、「指導者たるものは、知謀を奥深く秘め、愚人の様に見えるが、それが理想のあり方」という一文がありますが、今の日本では、ナイ才能を在る様に見せかけている人々がイッパイの様に感じますけど‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 22:11Comments(4)TrackBack(0)

上に立つ資格のナイものが‥‥

おはようございます。実にクダラナイ人間が、日本の首長になれるもんだと、ワイセツ苫小牧市長の会見を聞くと思います。

以前から多少なら触らさせてもらっていた関係だったと言い訳するにしても、日本は一夫一婦制なのですよ。TVで放映するにも係わらずワイセツな行為をベラベラしゃべるコトに対する倫理観の欠如には、あきれ果ててしまいます。

とにかく、山拓さんの時も奥さんが構わないと言うと、奥さんが「エライ!!」で話が終わってしまうのですからね。ビル・クリントンさんが「不適切な関係」と呼んだホドの羞恥心すらナクて、信じられませんね。

酔ってたら、何でも許されると思ったら間違いなんだよ!!

酔うかもしれないと自覚して飲むコトを制限出来ないコト自体が、既に公職に就く資格がナイと思うのに、反省せずに堂々と日本中に恥をサラセルこと自体が信じられないのですが、あまりにバカバカしいのでこれ以上、そんなコトに関して書きたくありませんので、ヤメにします。

第二十二計、「門を関(とざ)して賊を捉(とら)える」弱小な敵は、包囲して殲滅(せんめつ)せよというコトです。十六計の「追い詰めすぎるとなりふり構わず反撃してくるから、逃げ道を残して置いてやれ」というのと矛盾しますが、臨機応変、その場その場での使い分けが必要だというコトです。

しかし、マタ、最初に戻る様なコトを書きますが、追い詰められたとはいえ、自ら招いた失敗になりふり構わず反論するのは見苦しい、としかどうしても思えませんね。

日本人には、「恥」を避けようとする美学が存在していました。それが失われたというコトは、本当に悲しいコトです。子供達に精神教育をさせようとする前に、政治家の皆さんにコソ、精神の浄化をお願いしたいと何時も願っております‥‥

怒りで冷静な書き込みが出来ないので、今朝はこれで失礼します。日本人であるコトが、こっちまで恥ずかしくなってしまう‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:46Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月25日

難しいのは攻めるよりも退くコト

次に、素敵な本が控えてますので、テンポを上げないと、その紹介が遅れてしまいますね。でも、切り上げるのも惜しいので続けます。

第十七計、「レンガを投げて玉を引く」です。紛らわしいものを使って、判断を惑わし、思考を混乱させてスバラシイものを得る。逆の立場になると、目先の利益に釣られて、裏に潜む害を思いやるだけの心の余裕が必要になるというコトです。日本では、≪詐欺罪≫の罰則がそんなに重くないのは、詐欺に合う人の心の中には、儲けたいと思う気持ちがあるからと見なされてしまいます。歳をして、判断力が鈍くなっている人を狙う犯罪も多いので、それもどうかと思いますが、上手い話には、眉にツバを付けてよく考えてからにしてくださいね。

第十八計、「賊を擒(とら)えるには王を擒えよ」つまり、急所を攻めて解決すべきというコトなのです。織田信長が今川義元を負かした戦いを想像してください。交渉や説得も、人の泣き所を付けば、スムーズに解決出来る場合もあるでしょう。

第十九計、「釜の底より薪(たきぎ)を沖する抽(ぬ)く」補給路を断って、やる気を減らすというコトです。

第二十計、「水を混(かきま)ぜて魚を模(さぐ)る」混乱させて、勝機を探るという意味です。

そして、第二十一計、「金蝉、殻を脱す」日本人は桜が好きですが、「パッと咲いて、パッと散る」のは花だから美しいのです。負けると判って玉砕するのは、バカげています。キスカの撤退作戦は、アメリカ軍が踏み込んだ時は、子犬三匹だけで、アトはもぬけの殻でした。それなのに、日本の玉砕戦法に怯えていたアメリカ軍兵は影に脅かされて同士討ちをして、多数の死傷者を出したそうです。

ヨク戦うタメには、素早く退く決断も必要です。詐欺にあった時に、ズルズル行く人は、前に出したお金や時間が惜しいからと、ドンドンつぎ込んでしまう場合もケッコウあるものです。失敗したと思った時は、さっさと損切りするクライの心構えが必要です。最初から、高額を出そうとする人はメッタにいません。なのに、徐々に深みにハマってしまうと、考えられないホドの大金を思わず出してしまうモノです。

人生は決断が大事です。グズグズしてチャンスを逃して損をしない様に、時には損も覚悟してコトに当たるべき場合もあります。そういう時は、損をしても構わないだけの額を冷静に判断してから、チャレンジしてください。

前向きの失敗と、後ろ向きの失敗では、今後の人生に対する糧となるのと、重荷になるクライの違いがあります。リスクは前向きに取るべきであって、決してリスクに流されるべきではありません。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:15Comments(2)TrackBack(0)

交渉や説得をスムーズにするには‥‥

おはようございます。人生を楽しく生きるには、無用な争いを避けなければなりません。だからこそ、兵法の書物を読んで、平和に生きる智恵を得るべきなのです。

「彼を知り己を知れば、百戦してアヤウからず」と言いますが、平和を語ってさえいれば、平和を手に入れられるワケではありません。愛せと強制して、心の底から愛して貰えないのと同じです。それが、判らない人々は「国を愛せ!」と叫んでいますが、国民を愛して政治を行えば、国民も心から国を愛するでしょう。方法論が逆ばかりだと思うのは、ワタシだけでしょうか?

戦争の方法は、現代では交渉事や説得の場において活用出来ます。世の中には、≪わからずや≫が大勢います。その人々を真っ向から説得しようとしたならば、一生かけても終わらないでしよう。名を捨てても実を取って生きた方が楽です。人生はそんなに長いものではありません。地球の誕生してからの悠久の時間と比べたら、人の一生なんて塵(ちり)みたいなものです。でも、だからといって人生を投げずに、大事に生きるしかスベはありません。

第十三計、「草を打って蛇を驚かす」というのは、相手の動きを把握して、強引に行かずに、探りを入れてじっくり相手を観察せよというコトです。マタ、主目的である蛇を捕獲したければ、周囲からジワジワ攻めよという意味もあり、用意周到な計画こそが、攻めるに際して重要というコトなのです。

第十四計、「屍(しかばね)を借りて魂を還(かえ)す」コレは、世の中に見捨てられているものの中から価値があるモノを掘り出して、活用すべきというコトです。今をときめく、大したコトのナイ人よりも、野に埋もれた賢人を利用した方がズッとイイのは、昔も今も変わりません。

第十五計、「虎を調(あしら)って山を離れさせる」虎は山の中にあれば無敵でも、平原におびき出せば鉄砲などで仕留めやすくなります。相手の土俵に乗らずに、こちらの土俵に連れて来なくてはイケマセン。

第十六計、「擒(とら)えんと欲すれば姑(しばらく)縦(はな)つ」である。つまり、捕らえたければ、しばらく自由にしろというコト。完全に逃げ道を断てば、相手も必死で反撃する。それでは、こちらも怪我をしかねない。心からの服属を願うならば、許して放す度量の広さコソ大事なのである。恋人だって、浮気をするのではないかと束縛してばかりでは、逆に自由を求めて羽ばたきたくなってしまいます。愛するというコトは束縛ではありません。心というものは、捕らえ所のナイものです。自由に伸びやかにしていればコソ、本当の感情と向き合えるものだと思います‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:31Comments(2)TrackBack(0)

2006年05月24日

果報は寝て待て!!

タイトルの言葉は、ワタシ好みのです。タダ、何もしないで寝て待っていてイイよという意味では、モチロンないですけどね。(このブログを何度も読んで下さっている方なら言わなくても判ってらっしゃると思いますが‥‥)

第八計は、「暗(ひそ)かに陳倉に渡る」で、正面突破と見せかけて迂回した作戦から付けられた。近くは、「史上最大の作戦」と呼ばれたノルマンディー上陸作戦もこれに当たり、第六計に似ているのだが、一歩誤れば形勢が一気に逆転する可能性もあり、史上最大の作戦は、史上最大の賭けになりやすい。

第九計の「岸を隔(へだ)てて火を観る」の様に、静観して、敵の内輪もめを待ち、自滅を待った方が得策というものだ。これぞ、「果報は寝て待て」というコトである。万全の準備、味方の結束、それがナクては、逆にこっちが自滅してしまう。

第十計は「笑いの裏に刀を蔵す」で、フトコロに刀を忍ばせておきながら、上辺はニコヤカに振る舞う策略である。斉藤道三が美濃一国を乗っ取った手口でもあるが、その最期を見ても判る様にあまりアクドイことをして、何かを手中にすると恨みを買うので、あまりオススメ出来ない。

第十一計の様に、「スモモ、桃に代わって倒る」という言葉は、局部的な損失を捨石として、より大きな利益を得るコトをススめているのだが、相手にもそれなりの成果を与えつつ、自分が目当ての利益を得ようとした方がイイ。全てを自分のモノにしようと欲張るよりも、互いに必要なモノを分けて得る方が、将来に禍根を残さない。戦国時代と、現代では違うのだから、お互いが「ギブ アンド テイク」するようにしなくてはイケナイ。無益な戦いを戒めているのは、戦国時代でもモチロンのことなのだから、現代においては当然のコトだ。

第十二計は、「手に順(したが)いて羊をひく」というもので、無理をしないでも手に入る利益なら、遠慮しないで全部貰っておけというコトだが、目先の利益に捕らわれて無理をしない範囲でと書かれているコトに注意しよう。地道に些細な利益を重ねる方が、ズッといいのだ。

欲望をコントロールするコトこそが、何事につけても大事というコトである。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:09Comments(0)TrackBack(0)

人間心理の分析は損失を回避できる

おはようございます。グッスリ寝ました。晴れ晴れとした気持ちです。では、続きを

第四計は、「逸を以って労を待つ」相手に勢いがある時は、味方は余裕を持って守りを固め、敵の疲れを待って戦うというコトである。タダ、運を天に任せて待っているだけではダメで、敵に攻撃の糸口を与えぬ様に、打つべき手はキチンと打ち、味方の鋭気を養っておいて、イザという時には、スグ動ける状態にしておくコトは言うまでもナイ。

第五計は、「火に付け込んで押し込みを働く」浮き足立っている時は、一気に攻めよというコトで、火事場泥棒のようにしろというコトである。相手の隙に付け込んで攻めれば、息の根を止めやすい。負けてもイイと思うなら、カッコをつけてろというコトです。

第六計は、「東に声して西を撃つ」。ココかと思わせといて、アチラを攻める。だが、相手もこっちも少なからず兵力が分断するので、決まれば上手くいくが、裏の裏をかかれると全滅の危険もある。常道とは違う方法である。

ここまでで、「勝戦の計」は終わり、次は「敵戦の計」です。

第七計は、「無の中に有を生ず」つまり、初めにウソで相手をダマし、ウソと真を変えて裏をかく。虚々実々の戦いです。城内で、矢も尽き果ててしまった時に、千体ものワラ人形を作らせて、それを夜中に縄で城壁に下ろし、敵と勘違いさせて、ワラ人形に刺さった矢をせしめ、しかる後に、本物の守備兵を縄で下ろして、ワラ人形で矢をせしめると思わせておいて、無傷で相手方を急襲して打ち破る。有名な「安禄山の反乱」を鎮圧した手法です。

人間の心理をよく読んで策略を巡らせば、最小の犠牲を払うだけで、勝利を手にいれられるというワケです。

現在は、とりあえず日本では今のトコロ戦争がナイから何の役に立つのと思うのもゴモットモなのですが、些細な感情のもつれによる心理戦はそこかしこに存在します。もつれを大きくして、激戦とするのか、もつれをほぐして打ち解けるのか、全然違ってきます。無駄なトコロでエネルギーを浪費してもつまりません。自分を活かす最大のチャンスのタメに、エネルギーは温存すべきなのです。争わなければ、精神的にもくつろいで充実して、イザという時に実力を発揮できます。我々は、全ての事柄から、自分に有益なモノを見つけ出して、人生の糧にするコトは出来ます。

野に咲く一輪の花から優しさを貰うだけでナク、兵法書からも争わぬコトによる精神の鍛錬や集中力そして人に対する思いやりの大切さや真の優しさを学ぶコトすら出来るのです。優しさも、度を過ぎれば、単なる優柔不断になってしまいます。確固とした核があってコソという場合もあるのです。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:03Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月23日

『三十六計』の全てを知ってますか?

≪三十六計逃げるにしかず≫という言葉を知っていても、その全てを読んだコトはありませんでした。

中国流兵法の基本は「戦わずして勝つ」コトなので、人間の心理を巧みに利用して効率ヨク勝つコトがその理想です。武力でナクて、知略で勝つコトが大事なので、現実に即して、極めて柔軟かつ合理的に書かれている。

タダ、人生には思いがけない偶然というモノもあるので、定石ばかり学んでも仕方ナイのですが、さりとて定石を全然知らないのは考えもの。

と、書いたものの、今日の昼休みに出掛けた時には、ドクターの奥さんである友人と、数年振りに横断歩道の真ん中で偶然会ったのには、本当に驚きました。

ナント、彼女とは十年間に三度、偶然のみで出会ったコトになるからです。一度目は動物園で、二度目はスーパーで、そして今度は路上で‥‥偶然も三度も重なると、少し怖い気もする。娘の保育園の友達とその母親に、保育園と小学校の最初の時は、ヨク偶然に会ったけど、最近は全く会わなくなった。出会うというコトは、場所と時間の軸が一致しないとダメなので、会わない人とは会わないモノなのに‥‥

だが、偶然などを計算していたら、「待ちぼうけ」の歌みたいになってしまう。≪勝ちにまさかの勝ちナシ。負けにまさかの負けあり≫というコトで、何の用意もせずに勝ちを拾うコトはナイのだが、万全な準備をしても時あらずして負けるコトはあるものだ。

では、まず第一計から、≪天をあざむいて、海をわたる≫つまり、普段見慣れて安全だと思ってしまうと、疑問や警戒心を抱かなくなる。そうした心理の盲点を付けば、信じられないほどの幼稚なトリックにハマってしまう。オレオレ詐欺とか、振り込め詐欺はその辺に付け込むから、未だに引っ掛かる人がいるのだろう。

第二計は、≪魏を囲みて、趙を助く≫助けを求められた時に、助ける相手を攻めている敵の弱点を攻めて助けたことから、強大な敵は分断せよというコトです。

第三計は、≪刀を借りて、人を殺す≫自分の手を汚さずに、邪魔者を他人に始末させるというコトである。確かに、「戦わずして勝つ」のだが、現代においては薦められない方法ではある。

というコトで、三十六計を全て一度には書き込めないので、本日はココまで。昨日の疲れが、今日になって出て来たようで、眠くなったので寝ます。ワタシの一番の健康法は、≪疲れたら寝る≫という実にシンプルなモノなので‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 20:52Comments(0)TrackBack(0)

平凡に徹すれれば非凡になる

おはようございます。人間関係と健康はそんなに関係ナイんじゃと思うかもしれませんが、人間関係の悪化こそ、ストレスになり、リンパ球が活動しにくくなりますし、時として命を狙われないとも限らないのですから、物事はなるべく多面的に考えてください。

今日のネットのニュースの中に、小学校や中学校も出席停止に出来るとの方針が出されたと載っていました。では、出席停止になった問題行動をする子供はどうするのでしょう? 出席停止にして、学校外で悪さをするかもしれないのですよ。そういう子供にこそ、矯正するためのチームを編成して、社会によりよい人間になるよう努力して、犯罪の芽を摘むべきだと思うのですが、どうもそうは考えられないようで‥‥居場所がナクて、暴れたい子供に、学校以外の別の場所を提供するというような積極的な出席停止ならともかく、ただ学校から締め出したところで問題は何も解決しないと思うのですが‥‥

不正に年金を納めなくてもイイように改竄して、未納付率を上げようとした社会保険庁と似たような発想ですよね。問題を隠蔽しても、問題は消えて無くなるワケではないのに‥‥

『諸葛亮集』は諸葛孔明(孔明は字≪あざな≫)に関連して書かれた清の時代の張澍《ちょうじゅ≫が編集したモノです。

諸葛孔明は『三国志』の立役者で、知謀の軍帥として描かれていますが、実際は小国で凡庸なトップを支えて、手堅く生きた人物だったようです。

政治にあたる者は、まず身近なところに思いを致し、ついで遠い将来のことまで対策を考えておかなければならない。遠いところを見通して対策を考えなければ、近いところで足をすくわれることになる。

感情に左右されてはイケナイ。万全の作戦計画を練り上げた者は敵を恐れず、争いの前に勝利を不動にしようとする。愚かな人間は勝つ見込みがナクても、やみくもに争いたがり、その後で活路を見出そうとする。道なりに進んで勝つべきなのに、近道ばかり選ぼうとして敗れる。やるべきコトが反対だからだ。

上に立つ者が威厳を保ち、下はそれぞれが持ち場で尽力する。それでこそ、無理がナク、立ちふさがる全てのモノをなぎ倒すことができる。

何とウンチクのある言葉でしょう。石橋を叩き過ぎてはいけませんが、石橋を叩いてヨシとなったら果敢に渡るような決断をし、実行するコト。平凡かもしれませんが、それ以外に正道はない様です‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:15Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月22日

柔よく剛を制す

タイトルの言葉は、皆さんヨク知っていると思いますが、なんと出典は『三略』という、太公望と呼ばれた人物の兵法書で、『六韜(りくとう)』と一緒に『六韜・三略』と一まとめに呼ばれるコトが多いのだそうですが、前に『六韜』については書きましたので、今回は『三略』について書きます。

周の文王に語った、太公望の上に立つ者の条件は、

 天下を包容する大きな度量

 国民の信頼を勝ち得る深い信義

 国民に慕われる深い愛情

 国内に行き渡る恩恵

 国を一つにまとめる権力

 果敢に政策を実行する強い信念

一方マイナスの条件として避けたいものは、

 血気にはやり失敗を軽んずる者

 せっかちで早飲み込みな者

 欲が強く、利益ばかりを重視する者

 思いやりがあり過ぎて、決断が鈍る者

 知恵はあるが、怯えを抑えられない者

 人を信じ過ぎる、オメデタイ者 

 清廉潔白を推進し過ぎる者

 判断力はあっても、臨機応変に対応出来ない者

 自信過剰で、自分で全てしたがる者

 自分に自信がナク、他人頼みな者

「柔よく剛を制し、弱よく強を制す」に続いて、「柔のみ、弱のみでは何の意味もナイ。柔と剛、弱と強の四つを兼ね備え、時々の情勢に応じて、柔軟に対応する」コトこそが、大事なのだそうです。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:10Comments(0)TrackBack(0)

トップに立とうと思ったら‥‥

おはようございます。休み明け、今日も忙しい一日が始まります。しっかり休んだら、しっかり働かないと‥‥

『孫呉の兵法』と呼ばれるように、『孫子』と並んで『呉子』も中国の代表的な兵法書です。

「呉」と書いてクレと読んだり、「越」を付けて「越前」「越中」「越後」という国名があったり、「秦野」と呼ぶ地名や人名があったり、「斉藤」さんという名前もあるなど、日本の国と中国の群雄割拠していた時代の名前は関係が深いものがあり、ネィティブ・アメリカンは太陽をあがめて信じているのは、古代日本の天照大神の信仰と相通じるものがあり、偏西風を利用して人類が東へ東へと流れて行った可能性は高く、人類の祖先は一つの可能性だけでナク、日本とアジア諸国との間には、古くからの血縁関係は存在しているのは明白だと、本とは関係ありませんが、そういう言葉を目にする時は必ず思います。無理にどちらが一番などと争わなくてもイイのではないかと‥‥

ともあれ、『呉子』に書かれている、トップに必要な要素は四つ。

 ‥‥小手先の芸に走らず、基本原則を守る

 ‥‥人から非難される様なコトをしない

 ‥‥卑怯で浅ましくならず、けじめを心得る

 ‥‥相手の気持ちや立場を思いやる

というコトである。

≪将≫たるには、理・備・果・戒・約を心し、威・徳・仁・勇が資質として大事だという。

気持ちをマトメずして勝つ道理はナク、物心両面の万全の準備が必要で、果敢に行動して最後まで幾多の困難にもたじろがすに機敏にやり抜き、楽観を戒めて慎重に物事を情況の変化に対応しつつ油断せずに、簡素で判りやすい行動の指針を出し、威厳を持って気を引き締め、謙虚にして信頼を得て、思いやりを持ち、決断はスパッとするコトである。

一度にこうなろうとしてもムリだが、こうあるべきという明確なビジョンを胸にしているのと、イナイのとでは将来大きな差がでると思う。理想を胸に抱いて、地道に一歩一歩前進するコトを考えてこそ、道は開けるものなのではナイだろうか‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:05Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月21日

急がば回れという考え方

兵法の代表的な古典、『孫子』です。これは、ソコソコ読んだコトが過去にあります。

  勝算なきは戦うなかれ

  戦わずして勝つのが上の上

自分の力を無視して、闇雲に戦うのは、相手の思う壺にはまりやすいというコトですね。

玉砕してはダメだというコトです。

頭を使い、犠牲を少なくして勝つコトが大事なのであって、多大な犠牲を出して勝つのは最低の勝ち方なのです。

水の様に、変幻自在に柔軟性を利用して、相手の抵抗の少ないトコロを突き、時として奥底に秘めたエネルギーを使って、ココぞという時には、一気呵成に成就しなくてはいけません。

こじれた人間関係を修復するには、時間が必要になりますし、交渉ごとも、アワテテ攻めるのではナク、周りからやんわりと持ちかけるコトが有効だったりする。

こういうのを≪迂直の計≫と呼び、急がば回れというコトだったりします。

相手に非があったとしても、責め立てて逃げ場を無くしてしまえば、≪窮鼠猫を噛む≫ではナイですが、逆に捨て身になって抵抗される場合もあります。

真の勇気とは、勝てる見込みのナイ時には、即座に撤退する勇気なのです。

情況を読み、決断力を持ち、嘘をつかず、約束を守り、毅然とした態度で、相手の立場になって考える。

  智・勇・信・厳・仁

その全てのバランスが取れてコソ、イイのであって、そのどれかに偏ってしまうと、オカシクなってしまいます。

我々は、そんなにウマク人生を乗り切るコトは出来ないのですが、でも、そういうバランス感覚が大事なんだというコトだけは、頭に入れておきたいモノです。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:51Comments(2)TrackBack(0)

できぬ堪忍、するが堪忍

おそようございます。

タイトルの言葉は、幼い頃サトされ続けた親の言葉です。なので、大抵のコトは許しますが、程度を越すと逆にキレてしまいます。我慢は身体にヨクナイと思います。許し続けると、増長する手合いが多すぎるので‥‥

その言葉の出典が『十八史略』とは、全く知りませんでした。戦前の修身の教科書に載ってたコトは、聞いてたかも‥‥ともあれ、中国の言葉を引き合いにしつつ教えながら日本が一番と洗脳するのは矛盾していたと、戦前を省みて思うのですが、今も似た様な人がいるのですから、仕方ないかもしれませんね。ちなみに、中国の歴史教科書も図書館で借りて読んだコトがありますが、やたら「世界で一番最初に‥‥」といった記述があり、中華思想イッパイでしたから、政府の考えるコトも五十歩百歩ではありますが‥‥

 権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する。

という言葉がありましたけど、何時もその通りだよなと思います。

ともあれ、韓信の「股くぐり」は、馬鹿を相手にするのは馬鹿というコトで、忍従のみを薦めている訳ではナイようです。

ヤクザにカラマれて、股をくぐって命拾いするコトは、企業舎弟に法律を犯して金を払うコトとは違います。その辺を、はき違える人もいるみたいですが‥‥

定石を頭に入れていても、臨機応変であってこそ将軍になれます。

二十万の敵に、一万で勝利した韓信はタダの臆病者ではナカッタというコトです。

ともあれ、へつらい者や無能な者が登用されるようになると、国の政治の根本は揺らぎ、崩壊する歴史書を読んでいるならば、「偉大なるイエスマン!!」などと、自分を誇る様な人がトップに近くなったら危ないと思わないとイケナイんだと、ワタシは思ってるんですけどね。

 和して同せず。小人は同して和せず。

出典は違うと思いますが、そういうコトだと思います。  
Posted by seitaisikoyuri at 10:29Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月20日

勝つコトよりも負けない努力

『史記』に続くは、四番目の正史である『三国志』です。

魏・蜀・呉の三カ国の本の総称なので、魏のことを書いたのが、『魏書』で、その東夷伝に卑弥呼が登場するのです。

今回は卑弥呼は関係ないので割愛しますが、卑弥呼の国は冬でも食べられる草が青々していると書かれています。『大和はどうかな?』と何時も思ってます。

「死せる孔明、生きる仲達を走らす」という言葉がありますが、実際の孔明は、小国の宰相だったゆえに、イヤでも負けない戦いを余儀なくされたのです。

兵力の差が大きい時は、勝つ可能性はナイに等しいのですから、勝たずとも負けなければヨシとしなければイケマセン。

現代においても、大企業と零細企業で力比べなんかしても、結果は見えています。でも、零細企業には、零細企業の生き残る方法はあり、それを実践する零細企業は生き残り、 大企業といっても油断すればツブレル。

企業と国の違いはあっても、歴史を学べば、現代にも通じるのです。

マタ、人間関係だって、勝ってやろうと力みすぎると、負けてしまいますが、負けまいとすれば勝つチャンスを見つける場合もあります。

確か『徒然草』にも、すごろくの名手だったと思うのですが、そんなコトを言っている段があった様な気が‥‥

人生は、負けても次があると思えるコトが一番大事だと思います。勝ち続ける人生なんてそんなにありません。負けても、負けても、次があるとさえ思えれば、何時か勝つ時もあります。その時にこそ、今までの失敗を活かして、負けない戦いに徹してください。失敗は、そのタメにあるのだと思うコトです。  
Posted by seitaisikoyuri at 19:49Comments(4)TrackBack(0)

歴史とは何なのか

おはようございます。『史記』の話です。

中国の『正史』と呼ばれるモノの中で、最も早く書かれ、最も古い時代のコトが書いてあります。司馬遷は、王から庶民、無類の徒に至るまで、あらゆる人間を登場させ、成功と失敗の膨大なエピソードを混じえながら、様々な人間模様を描いています。

范蠡(はんれい)という名前は、御高齢の方々なら知っているのだとは思いますが、建武の中興の時の後醍醐天皇が足利氏によって隠岐に流配された時、桜の木に「天、勾践(こうせん)を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず」(御心配しなくても、范蠡のような忠臣がおります)と書かれていたという忠臣のモデルなのです。

ちなみに、ワタシは後醍醐天皇は才能はあったモノの人心の掌握術には欠けていた人物だったと思います。(日本史となると俄然、力が入った批評になってしまいますが‥‥)

ともあれ、范蠡なる人物が『史記』に登場するとは知りませんでしたし、その人となりも全く知りませんでしたが、ナカナカの人物です。

越王の勾践が呉の国に負け、会稽山にて屈辱的な講和を結び、「会稽の恥」をすすごうと苦節二十年、呉を滅ぼして恨みを晴らした立役者が范蠡である。

しかし、范蠡が並みの人でナイのは、大将軍の任命を『得意の絶頂の勾践に仕えるのは危険だ。苦労は共に出来ても、楽しみを分かち合うタイプではナイ』からと、何も言わずに辞意を表明して、翻意させたがった気持ちも振り切って、全ての地位を投げ打ち、斉(せい)の国に移住してしまう。

斉の国で、息子達と事業を経営し、巨万の富を築いた彼は、斉でも宰相就任を要請される。しかし、そこでも『栄誉が長く続くのは禍のモト』とばかり、申し出を断り、財産を村人に分け与えて、陶(とう)に移り住む。

陶でも、事業で巨万の富を築き、波乱万丈な人生を生きるのだが、≪保身≫というと、悪い意味に捉えられてしまうコトが多いけれども、≪明哲保身≫という言葉があるように、深い洞察力を持って身を守るコトは決して悪いコトではナイ。名は残るとも、楠正成の様に討ち死にしてしまっては、それで終わりだ。生き延びて、何かを為すコトこそが、やっぱり大事なのだと、この歳になって思う。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:44Comments(1)TrackBack(0)

2006年05月19日

『共謀罪』で、世の中は平和になるの?

今朝の予告は『史記』でしたが、少し飛ばして『六韜(りくとう)』にします。何故ならば、国会で『共謀罪』なる法律が成立しそうになってるからです。

『六韜』は、藤原鎌足の愛読書として、昔から名前だけは知っていたが、ココに釣り人の代名詞として使われている「太公望」と呼ばれた名参謀によると、政治の要諦は「民を愛するのみ」と述べられている。

 国民のためにならないことはしない

 刑罰を簡略にする

 税金を軽くする

 浪費を抑制する

人民が腹を空かしていたり苦労していたりするのを見たら、心を痛める。賞罰を加えるにあたっては、我が身に加えるような気持ちで加え、税金を課すにあたっては、自分に課すような気持で課す。これが国民を愛する政治に他ならない。

つまり、国民の気持になって事に当たれというコトである。

『老子』も、「天下を治めるには、無為に徹すべきである。禁令が増えれば増えるほど、人民は貧しくなり、技術が進めば進むほど、社会は乱れているではないか。人間の知恵が増せば増すほど、不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど、犯罪者が増えているではないか」と述べている。

悪いコトをしようとする人は、地下に潜って悪質化するだろうし、本当に怖い暴力団だとしたら、チクって仲間を裏切った時にどんなに恐ろしいかを理解しているだろうから、密告なんてするのだろうか?

机上の空論によって、世の中が悪化する可能性が逆にあります。共謀罪自体に問題もありますが、法律を強化するだけで、世の中が浄化されるというあまりに楽天的な発想にマズ呆れてしまいます。

少年法の罰則を強化したけれども、不条理な世の少年犯罪が無くなったのでしょうか?

犯罪は、罰則だけでナク、償いを伴って断罪すべきではありますが、罰則の強化だけで犯罪が消えて無くなるホド、甘くないのです。

『六韜』の太公望の様な施策をする政府だったら、おそらくその方が世の中は良くなると思うワタシは理想主義者ですか?

どうしても、そうとは思えないのですが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 20:58Comments(0)TrackBack(0)

かけひきも時には必要

おはようございます。本日は『戦国策』からです。世渡り上手になるのと、健康とに何の関係があるのだろうと思われる方々も、いらっしゃる方もおられると思いますが、「私は不器用な生き方しかしたくない人間なのだ!!」と割り切っていて、そのタメに傷付いたとしても、全然平気なタフな思考の持ち主ならともかく、テキト〜に争わずに済むコトは争わないでやり過ごした方が精神的には、ヨロシイとワタシは思います。

「かけひき」は汚いと一刀両断してしまえば、それは簡単なコトだけど、激しい実社会で打たれ強くなるよりも、打たれにくく生きた方が、「楽」というモノです。人生の求道者の方々には、オススメしませんが‥‥

司馬遷が、次に紹介する『史記』にココから多くを採用しているらしいので、「漁夫の利」の話(カラス貝とシギが争ってたので、両方漁師が捕まえた)とか、「まず隗(かい)より始めよ」という話(駿馬を探す時に、死んだ駿馬を高く買い、それを聞いて続々と生きた駿馬を楽々と集めた話をして、その話を王に教えた隗を士官させたら続々と人材が集まった)は有名ですが、コレはオモシロイと思ったのは、次の話。

各地を転々として策を売り物にしている「説客」と呼ばれた中で有名な張儀という人物が若かりしコロ、誰にも意見を聞き入れられず、楚(そ)という国を去ろうとした時のコト、王に別れの挨拶をして、「これから晋(しん)の国に行きますが、何か欲しいモノがありますか?」と聞くと、王は「我が国には全て揃っているので、何もイラナイ」と答えた。
女好きな王の性格をヨク知っていたので、「女性もですか?」と聞くと、王は食指を動かした。さぁ、王のお気に入りの美女二人は気が気ではナイ。スゴイ美人を連れて来られたら、王の寵愛は薄れる心配もある。一方が、大金をハナムケとして持って来れば、もう一方も「ヨロシクね」と大金を張儀に渡す。
フトコロが温かくなった張儀は、王に別れの宴会の席でお気に入りの美女二人に酌をして貰って、王に言う。「これほど美しい方々がいらっしゃるのでしたら、美女を手配する必要はナイと思います」と。
王も、「気にするな、この二人ほどの美女はいないと思っていた」と言うので、美女を紹介する手間も省け、二人の美女からも大金は貰った上に喜ばれて楚の国を後にしたのである。

こういう「かけひき」は、誰も傷付かず、皆喜んでいる。ナカナカ、こうはイカナイものだが、「ダマす」にしても、後味がイイようにしないと後で恨まれてしまう。応対辞令の宝庫である、この様な本を読んで、人間関係をじっくり考えるのもイイかもしれない。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:43Comments(2)TrackBack(0)

2006年05月18日

驕りて亡びざる者は‥‥

まずは、『左伝』です。一瞬、『左伝』?と聞いて考えたのですが、『春秋左氏伝』または『左氏春秋』の略と聞いて、≪あぁ、そんな本の名前を世界史で聞いたコトあるかも‥‥≫と思いました。世界史は、人の名前を覚えにくいので、社会科は日本史、一本に絞って勉強したので‥‥(暗記モノは苦手です。御話として中で覚えれば何とか頭に残りますが)

『春秋』を孔子が書いて、あまりの簡潔さに、左丘明という人がエピソードを加えて読み物にしてくれたのが『左伝』なのだと、おそらく初めて認識したのです。(ワタシも、素養に欠けております)

タイトルの言葉は、「いまだあらざるなり」と続くそうです。『平家物語』の世界だなぁとスグに思ってしまうホド、純日本人なので‥‥おそらく、この言葉が念頭にあってこそ、「祇園精舎の鐘の声‥‥」という冒頭部分が書かれたのでしょうね。

ともあれ、この本は「プレジデント社」が発行してますので、リーダーたるには、というのが先に出て来ます。すると、『原本読みたい〜でも、閉館中だし〜』とマタマタ悩ましくなったりします。ともあれ、コンパクトに教えてくれているのに、文句を言ってはバチが当たるというものです。で、一般的なコトに主眼を置いて、書き込みます。

春秋時代は、孟子が「春秋に義戦なし」と評した様に、正義のタメの戦いなど存在しなかったと書かれているが、戦争というものは、本来、各国のエゴとエゴの戦いなのだから、どちらもこれしか道はナイみたいにして戦うけれども、どちらかが正しいなんてコトはナク、≪勝てば官軍≫なので‥‥何時の世も。

王が大事にしていた駿馬が逃げて、山里で捕らえられ、食べられてしまったのだが、その関係者を処罰するという役人に、「馬、一頭のコトで処罰に与わず。酒無くして、馬肉を食えば病になりかねないから」と、罪を許した上に酒まで振る舞ったら、数年後に敵に攻め込まれ絶体絶命の窮地に一団の兵士が風の様に現れて、王を救出したのは、その山里の人々だった、恩義に報いようと、自ら戦いに参加したのだという。

「仁」つまり、≪思いやり≫の心、相手の気持ち、相手の立場に立って考えれるかどうかで、人としての器を決める。

ただ、「仁」ばかりだと、決断が鈍る。他人に付け込まれない様に、毅然とした態度もマタ必要なのである。足を踏んだ人間は、踏まれて痛い人間の気持ちは判らない、何時まででも踏まれていたいならば別だが、はっきりとモノを言うコト、臨機応変で態度に表すコトも大事なのである。負け犬になりたくなければ‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 21:49Comments(2)TrackBack(0)

生きていくタメには‥‥

おはようございます。

生きていくタメには、理想だけじゃなく、現実とそれなりに折り合うコトも大切です。

中国古典が共通して取り上げているテーマは三つ。

  修己治人

≪しゅうこちじん≫と読むそうで、「己を修め人を治む」というコトで、能力と人格の両面にわたって自分を磨いてこそ、人の上に立つ資格があるというコトです。≪人の上に立ちたいと思うなら、まず、自分を磨いてからしろよ≫というコトなのです。


  経世済民

≪けいさいさいみん≫、「世を経(おさ)め民を済(すく)う」。
国や組織をまとめて人民の生活を守るには、どうすべきかという問題です。


  応対辞令

社会生活のもろもろの場における人間関係に、どう対処すればいいのか。その対処の方法。現代でも、人間関係をいかにすべきかというコトで、古くて新しい問題です。

現代で言う「ハウツー本」と似ていると思いますが、その多くは焼き直しといった性格が強いのですが、例が違うとはいえ、国土も広く、人口も多かった中国で実際にあったコトを下敷きにしているのですから、裏付けが違うと思います。

しかも、それなりにウィットに富んでいて、お色気もあり、ガチガチに硬いばっかりではありません。だからこそ、現代まで残っているんだと思いますけどね。

自分の后を寝取った男を他国に富と共に仕官させたら、その男が他国と争いになった時に、その王を救ったという話なんか、ナカナカ日本ではナイ話です。

というコトで、実際の書物の話に、晩から入っていきます。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:32Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月17日

日本人の教養の根幹

昨日も書きましたが、図書館が休みの時こそ、読みづらい本をと借りて来たのがコレです。
完本 中国古典の人間学―名著二十四篇に学ぶ
中国の古典、二十四篇をさわりだけでも、しっかり読むなんてコトは、こんな時でもないとイヤになります。それに、二十四もの書物の名前は、知らないモノ、名前だけは聞いたコトがあるモノも数多く含まれています。こういう本なら、一日で一気読みしようとは思いませんから‥‥(笑)

はじめに、と書かれているトコで、まず「ウ〜ン!!」と思いましたね。日本の先人たちは、中国の古典を学ぶコトによって、近代を乗り越えてきたと書かれていました。

近年、この社会がとみに液状化現象を呈し、説得力のないリーダーが幅をきかしているのも、そのこととと無縁ではないように思われる。

なんて、書かれているのを読むと、思わず「ウンウン」と頷きたくなってしまう。日本の外交術と中国の外交術を比べたら、月とスッポン、大人と子供の様な差がありますからね。金を出しても出しても有り難がられない国、というのが我が祖国。『頼むから、愛するように強制しようとする前に、愛せずにはいられないくらいイイ国にしてくれよ』とか思う。

中国の本じゃなくてイイから、カーネギーの「人を動かす」くらい読んで、もう少し人情の機微を研究してくれとも言いたくなる。

今の中国政府がどうとかじゃなくて、問題なのは今の日本政府なんです。他国のコトより、自分の国をしっかり見つめて、何をなすべきか、他国の古典を勉強しなけりゃダメだというコトの意味をカミシメてみないとイケナイんじゃないかと思います。詳細は、明日から‥‥抜粋の抜粋を読んで、人生に幅を持たせてくださいね。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:11Comments(0)TrackBack(0)

知らないというコトは恐ろしい!!

おそようございます。本日、フツウに更新しようとしてたら、十時からの御客様から、「用事ができたので、早めてもらえますか?」とお電話がありましたので、本日は早い予約はナイので、スグに来て頂き、御話を聞いてビックリ!! 

どうも、食あたりかなんかで、アナフイラキシー・ショックに近い反応をされたみたいでした。「昨日、恥ずかしくて家で寝てたの‥‥」という話に、「命があって良かったです。でも、この次はもっと危険ですから、スグお医者さんへ‥‥」という話になり、心配なので、山は越えましたが、お医者さんに行かれるコトをオススメして、そうなさるそうで一まず安心しました。

アレルギー体質でナイ人には、何でもナイことなのですが、この日記の最初のコロに、主人の母が薬疹でテンテコマイした話も書きましたし、少し前には、巡回サイトの「たぬき日記」さんもあわや命取りになりかねなかった体験を、マンガで描かれてますが、とっても危険なのです。ワタシも今度、蜂に刺されたら、ショック死もありえるかも‥‥なので、突然、身体が腫れだしたりした時は、スグにお医者さんにかかって下さいね。

本日は、違う話を予定してましたが、やっぱりコレもある種似た様な話かもしれません。昨夜の本の著者のですが、実はこっちを先に読んだのです。(一緒に借りて来て‥‥)
借金狩り
で、思ったのは、やっぱり何でも良く知らないとマズイし、下手なトコに相談するのはもっとマズイというコト。

巡回サイトの「続・サラ金日記」さんのトコで知って、最近読んでる「借金依存を克服するためのブログ」という方の話とかを読んでいると、お金に神経を蝕まれる人がいかに多いか、そして悲惨かと思います。(ワタシには、こういう活動出来ないと感心しますが‥‥)

昔、親の借金を返済しながら、自分も時には「サラ金」から借りている女性を知っていて、彼女はどうしてるだろうかと思いつつ、こういうブログを読んでいるのですが、何というか、≪親の因果が子に報い≫みたいなのを周りで見ているのは、ツライものがあります。まして、本人はそう思ってナイというか、そう思おうとすまいと必死だったりするのが痛々しかったというのが、正確な気持ちかも‥‥

でも、手を貸せるコトと貸せないコトもあるし、求められてナイのに手を差し出すのも出来ないし、となると、今、どうしているか判らないけど、もしワタシのブログとかに気付いてくれて、ソコから有益なサイトに飛んで何とかなればとかと思ってみたり‥‥もう既にシアワセになっててくれればイイのだけれど‥‥知るコトで、シアワセな人生が訪れるコトを遠くから祈るコトしか出来ないけれど、親の犠牲になった子供達が、大勢その呪縛から逃れて、再生してくれるコトを願わずにはいられません。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:52Comments(2)TrackBack(0)

2006年05月16日

思わぬ掘り出し物!!

なんて書いたら、失礼なんだろうけど、県立図書館は今月イッパイ蔵書整理のタメ今週から休館なのです‥‥(泣)

で、最近、精神医学系の本が続いたので、小説を探して読もうと思って、なるべく厚い本が読もうとして見つけたのがこの本です。
妻を殺したのは私かもしれない
実話を下敷きにした話らしいですが、サスペンスもさるコトながら、領事館とか、マスコミの対応とか、実際に悔しい思いをしないと、こうは書けないと思うようなコトが書かれています。政治家の方々のバカバカしい出来事とかも‥‥

この本の厚さが無ければ、この作家の本を手にしたか疑問なのですが、それもマタ縁というものでしょうか。

やっばり実社会で、それなりの経験を積んだ人の話は、違うと思いました。

この本の前にも、何冊か小説をよんだのですが、やっぱり読み応えが違いますね。

サスペンスものは、内容がホトンド書けないのでツライとこですが、図書館が休館になると思わなかったら、読まなかったんだと思うと、それもマタ感謝しないとイケナイのかもしれませんが‥‥あ〜早く図書館が開館して欲しい!!  
Posted by seitaisikoyuri at 21:13Comments(0)TrackBack(0)

人間は目立ちたいモノだけど‥‥

おはようございます。ドイツのワールドカップに向けた代表も決まり(高原が入ってくれてウレシイ。今度は、体調に気を付けて絶対出て欲しい!!)、TVで大騒ぎしたりしてますけど、TVを見ていて違う話題が気になった。

鉄ゴミ屋敷の撤去の問題でゴミを集めた老人を見ていて思ったのだけど、少し前に大田光だったと思うけど(芸能人の名前をというか、人の名前全般を覚えるのがあまり得意ではナイので、コンビの名前も考えたけどちょっと思い出せない‥‥聞けば、ああ、そうそうとは答えられるのだけれど‥‥)夜の番組で少年犯罪の報道規制をすべしという様なコトを言っていた。(最後まで書いて思い出しました。「爆笑問題」の背の高い人の方です)

反対派は、報道がナイと防御が出来ないという様な意見だったけど、全部を見なかったので、その場の結論はどうなったかは判らない。タダ、これだけは言えると思うのは、少年犯罪に対しては、私刑(リンチ)のタメにプライバシーを全て暴けばイイというコトよりも、なるべく匿名化した上で、どういうコトがどういう理由でなされたのかという冷静な分析が必要だと思う。

どういう生活環境だったのかとか、周囲の対応とか、個人の特定化を押さえ込んだ上で、そういうコトの方をしっかりオープンにしなければ、問題は解決されずそのまま似た様なコトが繰り返されるダケで、犯罪の防御になっているのか、はなはだ疑問。

フツウの親は、子供に犯罪者になって欲しいと思って育てているワケではナイし、放任している親はおそらく自分がそういう様に育てられて来たから、そういう様にしか育てられないのだと思う。

子供は、世の宝として育てられるべきなので、親が育てるのが一番という様な、親だけに全部を背負わせる様な考え方では、ムリがある。育児が出来ない親への教育とか、サポートとかが大事なのであって、失敗した親や子供を責めてばかりで、その教訓を今後に生かせナイ様では、逆に被害者の方々は浮かばれまい。

被害者の方への償いは、償いとして必ず加害者が生きている限りすべきだと思いますし、そのタメに加害者の人生がねじ曲げられようとも、自分のしたコトを考えれば出来るだけのコトはするしかナイと思います。(殺してしまったのでは、どうやっても謝罪は出来ないだろうけど、せめて誠意だけでも届けないとね。ある年月だけを拘束されて、それで終わりではナイはず)

歳をして、ゴミを集めるコトでしか、自分の存在をアピール出来なくなる様になる前に、もっと楽しいコトで自己ピーアールをした方が絶対イイだろうし、ともあれ他人に認められても、自分で自分を認めなければ多分、何にもならないでしょう。イイことであれ、悪いコトであれ、TVに出たとしても、一瞬のコトで永遠に続くコトではナイのです。

悠久の時間の中では、個人の一生なんて瞬きの時間くらいなモノ。だからこそ、その一時にスポットライトを浴びたいからと、馬鹿げたコトをするのは、本当にバカバカしいコトなのに‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:53Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月15日

だから、あなたも生きぬいて

ベストセラーと聞くと、読みたくなくなるへそ曲がりのワタシですが、ホトボリが冷めてくると、やっぱり読みたくなります。
で、読みました。
だから、あなたも生きぬいて
小学校の高学年くらいから、中学生くらいになるとイジメが、ドコの学校でも大体あります。時には、高校とか社会に出てからもあると思いますが、大学あたりだと、イヤなら行かないという手があるので、サホドでもナイと思いますが‥‥

ワタシも小学校時代に、かなり浮いてました。と言うか、今、思うとかなりイヤミな存在だったかもしれません。「二十歳を過ぎてタダの人」になったものの、ド田舎の村だと大して勉強しなくても、本好きで本ばかり読んでいるような子供にとっては、小学校のテストなんて、勉強するほどのコトではナク、フツウの子にしたら、憎らしい存在だったろうと思います。本人は、さっぱりそれが理解出来ないというか、問題を理解出来ないコトを理解出来なかったのですから、仕方なかったのですが‥‥

子供というものは、他人を自分と同じ様にしか考えられないものです。最近は、大人になっても、他人の立場になって考えられない人が増えているようにも思いますが‥‥

しかし、人間やる気になれば出来るモノだとは思ってますが、中学も保健室登校でちゃんと勉強して卒業したワケではないのに、一発で「司法試験」に合格するのですから、大したモノです。

キレイだし、頭良さそうだし、というコトでワタシなんかよりズッと凄いイジメにあったんだろうなと思いました。

人間は、やり直そうとすればやり直せると身を持って示したんだなぁと感心しました。ベストセラー本の場合、あらすじらしいコトが大体は判ってしまうので、ソコが読みたくなくなる原因なのですが、やっぱりちゃんと読むと違いますね。

というコトで、珍しくベストセラー本の紹介でした。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:09Comments(0)TrackBack(0)

人生は色々あるけれど‥‥

おはようございます。今日は珍しい本の紹介です。(ここではメッタに紹介しそうもないという意味ですが‥‥)
サイバラ式
図書館の単行本だったので、デザインがもっとシンプルでしたが、レビューを確認したので、文庫本になってるだけで一緒のようです。

NHKの朝ドラの絵を描いてらしたから、「スタジオパークからこんにちは」にも出てらしたので、元気な方だと思って見てました。図書館でパラパラ見ていて、読みたくなったので借りてきましたが、オモシロうてやがて悲しきトコのある作家さんですね。

ともあれ、「とつげきさいばら」と銘打たれたマンガには、「子供にとって どんな親の所に 生まれてくる かは ギャンプルの ような 気が します」と出だしにあって、マンガが続いて行くのですが、妙に心に沁みていきます。

絵というものは、言葉よりも広がりがあるだけ、実に心に響くものですね。

ワタシの人生とは、全然違う人生だけど、ある意味不器用で正直に人生を生きて来た人なんだろうなと、テキトーに抜け目ナクそれなりに生きて来たワタシは思います。

自分とは、かなり違うでも、どっか通じるトコのある人の本を読むのは、人生の幅を広げてくれます。

文章もオモシロイですが、この人は根っからの漫画家なんだろうなと思いました。本屋で見つけたら、マンガだけでも立ち読みすると面白いかもしれません。などと、作家さんの努力に報いない様なコトを言ってはイケマセンね。

ともあれ、我が家は買わないでいようとしても、本が増殖中なので、なるべく図書館で借りないと家が傾いてしまいます‥‥(笑)  
Posted by seitaisikoyuri at 08:13Comments(3)TrackBack(0)

2006年05月14日

アスパラガスで疲れ知らず!!

今日、初めて子供達からカーネーションとカスミ草のブーケをもらいました。例年は、≪ピザハット≫の半額で、子供達がLサイズのピザを二枚買ってくれるのですが、「今年はお金がナイから‥‥」と言いつつ。それでも、充分ウレシイです。元気でニコニコしていてくれるのが、何よりのプレゼントなんですけどね‥‥

さて、マタマタ、しばしお休みしていたコーナーです。前回のもあるけれど、それは年中あるモノなので後でもOKだから、昨日付けの「日本農業新聞」の「やさい図鑑」を優先します。

旬のモノですから。

“莽回復やスタミナ増強に‥‥アミノ酸の一種であるアスパラギン酸が含まれていて、体内にミネラルを取り組むのを助け、有害なアンモニアを体外に出す利尿作用がある。新陳代謝を促し、たんぱく質の合成を高めてくれる。アスパラガスの成長が速いのは、この代謝が盛んなタメである。

¬唳抃豐匹魘くし、血液の流れをスムーズにする‥‥穂先には、ルチンが多く含まれる。ビタミンPとも呼ばれ、血圧の上昇を抑えたり、高血圧や動脈硬化の予防に役立つ。最近では、がん細胞の増殖効果に効果もあるとの報告もあり、注目されている。

3萓酸素を消す作用も‥‥ビタミンの中で、特筆すべきはβカロテンの豊富さ。悪玉コレステロールを減らし、心筋梗塞などの病気に対する抵抗力を高め、体内ではビタミンAに変わって、粘膜を正常に保つ働きをして、免疫力を高めるのにも役立つ。

ど老賤祝匹法邸斗媚世眤燭い里如妊娠中、授乳中の女性の大きな味方。ビタミンB群の仲間で、体内でビタミンB12と協力して赤血球を作る。ビタミンB12やビタミンCと組み合わせたバランスの良い摂取が大事。

というコトで、本日はこれからやむを得ぬお仕事が待ってますので、通常よりもかなり早めの書き込みとなりました。明日もスケジュールぎっしりですが、毎日の仕事を平らにならすコトは不可能です。ゆっくり出来る日もあったり、忙しい日があったり、それもマタ人生かと思います。

今年のワタシの母の日のプレゼントは、少し前に二枚ホド安物の洋服をプレゼントしておきましたが、今日は改めてしっかり整体しました。主人の母以外に、この世で「お母さん」と呼べる人はイナクなってしまったので、せめて一日でも長くそう呼び続けていける様に願いを込めて‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 18:02Comments(2)TrackBack(0)

雑学・母の日には何でカーネーション?

おそようございます。久々、ゆっくりした日曜日、とても静かです。子供達だけで、実家にお泊りに行ってますから。タダ、ずっとこうだと、淋しいかも‥‥

昨日の「日本農業新聞」の「卵太郎のものしり教室」に母の日にカーネーションを贈る由来について書かれていた。

約百年前のアメリカで、アンナ・ジャービスさんという女性が、亡くなったお母さんをしのぶ会を開いた時に、教会に集まった人に白いカーネーションを配った。

コレが評判になって、翌年の1908年の5月10日の日曜日に、母の日の祈りが行われた。

あるデパートは、ジャービスさんの活動を参考に、母親が生きている人は赤、亡くなった人は白のカーネーションを胸に付け、これが習わしになって全米に広がり、1914年には、米議会で5月の第2日曜日を母の日として、国民の祝日に決めたそうだ。

カーネーションは、ジャービスさんの母親が好きだったコトと、キリスト教の伝説では、聖母マリアは、十字架にかけられた息子のキリストを見送って流した涙のアトに生えたのが、カーネーションだと言われているのだとか。

我が家も、ヨク主人の妹が鉢植えのカーネーションを持って来てくれるので、それを土に下ろして生えているケド、花が終わって刈ると、マタ、新しい花を咲かす。丈夫な花なので、母性に例えられたのかもしれないと思う。

丈夫なのが母親の一番のトリエかもしれない。

でも、ムリすると私の母親みたいに突然死してしまうので、やっぱりホドホドでしょう。

下の子が生まれそうな時に、母が亡くなったので、大きくなった息子を見ると、これだけの月日が流れたのだと実感しますが、ディスニーの「ライオン・キング」ではないけど、親は死んでも子供の中にその血は流れ、子供から孫へと永遠に子孫が絶えるコトがナイ限り、脈々と受け継がれていく。

世の中、少子化が問題になっているけど、自分が生きていてヨカッタと思わなければ、子孫を残そうとなんて思わないと思う。

金銭面だけの問題じゃないと。(モチロン、金銭もそれなりに関係あるけど‥‥)

不幸な人生だったと思っても、自分の中でリセットして、この世に生かされているコトを感謝して、次の世代にはシアワセな人生を歩いて欲しいと思わすコトが、少子化の一番の解決法&世界がヨクなる方法だと思いますが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 10:16Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月13日

穏やかに生きる

さて、今回で≪老子≫の本の話は、ひとまず終わりです。折に触れて出てくるかもしれませんけれども、長く書き込むよりも、上下巻五千字あまり、訳されたとしても短いのなので、暇があったら一読されるコトをオススメします。今回、紹介した本、以外にも訳本はあります。

これからの日本のススムべき道として、次の様なコトが述べられています。

  大国とは大河の下流であり

  人が集まり交わる

  母の様なもの

  静かなれど猛るものを抑える

  謙虚なる静かさのゆえに

  大国が謙虚を持って小国に対し

  小国も同じ様に大国と対する時

  大国も援助し、小国も助けられ

  融和することで互いに利する

  まずは大国が謙虚に徹することから

何篇もの詩の最後の言葉は「不争」つまり、「争わず」という言葉で締めくくられているように、他者からの無謀な要求は拒絶しても、こちらから仕掛けなければ、物事はさほど大事にならないものです。

同じ最後の章に、ペラペラしゃべる者は、大した知識がナイと言われ、そうなると書き込みヅライものではありますが、真実をねじ曲げてしゃべる人々が多い現代では、それなりに正しいと思うコトを述べないと、多数の声にかき消されて、利益中心主義の声ばかり聞かされかねません。

金銭は大事です。でも、倫理観に裏打ちされないようなお金は、結局、≪悪銭身に付かず≫でアブク銭で終わります。アブク=バブル、正に言いえて妙ですけど‥‥

人間ですから、少々道草したり、道を踏み外すこともあるかもしれません。でも、大きく道を踏み外さなければいいのです。ムリに真っ直ぐ大道を行こうとしなくても、寄り道しながらでも、それなりに生きていけば、振り返った時に、ホボ歩むべき道を歩いて来たなと思えるハズです。
肩肘はらずに、自然に自然に歩いていきましょう。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:48Comments(0)TrackBack(0)

自分を知ろうとすれば道は開ける

おそようございます。お祝いコメント幾つも頂き、本当にアリガトウございました!!

再び、老子の名言の続きです。

  他者を知るのは難しい

  己を知ることはさらに

  他者に勝つには力が必要だ

  しかし、己に勝つものは強い

  足るを知れば豊かさを感じれる

  志ある者はあらゆる困難を克服し

  心を清く澄ますことが出来れば

  死すらもおそれることは無い

美しいもの、オイシイもの、楽しいものそれはそれで人生を豊かにします。

ただ、それらは全て一時的なもので、それらで人生の全てを満たそうとすれば、その努力で疲れるだけかもしれませんし、仮に手に入れ続けたとしても欲望というものは限りがナイので、おそらく満足は出来ないと思います。

空気や水のように、味が無くても、大事なものはこの世の中に存在しています。

人々が仲良く、国が安定し、家族が和やかならば、それだけでシアワセなのですが、それが案外難しいモノなのかもしれません‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 10:18Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月12日

5万ヒットありがとうございました!!!

老子の様に聖人だと、淡々と受け流せるのでしょうが、凡人ですのでブログを始めてホボ250日、本日5万ヒットを達成させて頂いたコトは、感激の極みです。長くて、硬くてみたいな文章をこんなに多くの方々に読んで頂けるとは‥‥プロデュースしてくださった「はた坊」さん、数々のニュースサイトの皆様、そして何より常連で通って来てくださっている皆々様の御蔭です。本当に有難う御座いました!!

では、朝の続きです。

  兵を用いるならば

  先制攻撃はしないこと

  専守防衛をするのみだ

  他国に侵入し

  天誅をあたえようなどと

  思い上がった行動を

  すれば戦争

  せねば平和

  敵を軽んじて

  大きな禍をもたらし

  国の宝を失うなど馬鹿げている

  国を守る団結力こそが

  真の勝者をもたらす

現在のイラクの情勢を見る限り、既に予見されている通りだとしか思えませんね。なのに、まだ愚かな過ちを犯そうとしたり、それに追随しようとするなんて、到底信じられないのですが‥‥
前にも書きましたが、孫子の「兵法」にあるように、≪戦わずして勝つのが、上の上≫というコトなのでしょう。人間の歴史は、戦争の歴史でもあります。世界中から戦火が消える日が一日でも早く来て欲しいモノです。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:13Comments(6)TrackBack(0)

ムリに争わないという生き方

おはようございます。中国の思想家に≪老子≫という人物がいます。少し前にも、そんな感じの記事を書いたかとおもうのですが、ゴールデンウィークは老子関係の本を感動しながら読んでいました。

中でも、一番のオススメは、
老子(全)―自在に生きる81章
この本です。

老子の原文(昔のモノなので限りなく近いように校勘したもの)となるべくシンプルな訳で、主観を出来るだけ抑えて書かれてあります。

その中から、これはというモノをよりコンパクトにして少し、

  仁義を求めたくなるのは

  既に世の中がオカシクなっているから

  革命や改革が叫ばれるのは 

  巨悪が横行しているから

  孝行や慈愛が必要だといわれるのは

  家族が崩壊しているから

  良い大臣が渇望されるのは

  国が混乱しているから

どうですか? 正に今の世の中を完璧に表していませんか? 老子は紀元前五世紀頃の人物なんですけどね。人間の内面は、本当に進化しているのだろうかと、考えさせてくれます。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:12Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月11日

多様な生き方を認めよう

少し肌寒いような天気の一日でした。では、この本の締めくくりです。

だ深造淵灰潺絅縫院璽轡腑鵑鮨干櫃韻襦邸撤海鬚弔い討呂い韻覆ぐ貳屬陵由は、嘘をつくことが非倫理的だとか非道徳的だからではなく、ホトンドの人たちが上手に嘘をつけないからである。特に、より個人的な関係では、事実と同じくらい重要な役割を果たすお互いの感情というものがあって、どうしてもウマク嘘はつけない。要するに、カンとかで見破られ、相手から信用されなくなるのがオチだというコトである。

ツ戚曚篭發棒り得る‥‥よく吟味され、時と場所を得て使われた言葉は、価値あるものだ。聞けば、相手の知識を吸収でき、語れば蓄えた知識を費消する。聞くに時あり、語るに時あり。口は禍のモト。一言も発せずに、我が意を悟れという態度も困るが、しゃべりまくればイイというものでもナイ。

μ簑蠅僚斗彭戮録佑修譴召譟邸邸屮▲淵燭茲螢張薀た佑呂い襦廚箸いν佑蔑紊泙靴蓮慰めにならない場合が多い。一見、取るに足らないような問題に思えても、他人はそうとは限らない。アナタの価値観を押し付けて、問題が解決するワケではナイ。

良い行いは、いずれ自分に返ってくる‥‥そう思って生きるのが、一番生きやすい。何故なら、他人の分別のナイ行いを許す人ばかりとは限らない。そして、良いコトは伝わりにくいが、悪いコトは伝わりやすいからだ。将来経験するかもしれない不必要な悲しみを避けるタメ、無私の気持ちになれずとも、利己的からでもそれを実践した方が、感情を害された人の恨みをかわないというコトです。

┐互いに理解しあうコトが大切‥‥人々が理念や信条を互いに尊重していれば、満足のいく形で平和共存が可能になる。トラブルは、人の心を疑った時とか、自分の価値観がぐらつき他人の考えによって支配されるのではないかと不安になった時に起きる。狂信的な行為が起こる恐れが出て来るのも、こうした時だ。我々は他人の理解に努めると共に、相手からも理解され、相互に理解しあって生きるコトこそが必要である。

人生をもっと多様に生きよう‥‥この先どんな人生が待ち受けていてもエンジョイしよう。晴れでも、雨でも、その中で何か≪価値≫あるものを見出す努力が必要だ。

心のやすらぎを求めるタメに‥‥こうありたければ、そのように行動し、精神的に生きたいのであれば、精神的に行動する。瞑想にふけるよりも、効果的かもしれないと著者はススめる。

チャーリー・ブラウンの様な常習的ペシミストで、自分から失敗を招くタイプであれ、その裏返しとして自分や他人に尊大に振舞うタイプであれ、トラブルを回避したければ、自分自身へのゆがんだ自己像を修正し、ステキな自分を発見してください。「失敗は成功へのステップ」として受け入れていけば、失敗もそんなにアナタをみじめな気持ちにしないハズです。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:03Comments(2)TrackBack(0)

人と仲良く暮らすタメに

おはようございます。今日は、ちょっと肌寒い感じです。でも、この位が五月の天気として丁度なんだと思いますが、異常気象が続くとそれに慣れてしまって、感覚が狂ってきます。

そうやって、人間は環境に適応しつつ、進化して来たのだろうし、これからもそんな感じで生きていくのでしょう。だから、相対的に生きているつもりでナクても、そう生きざるを得ないコトがママあります。絶対的な何かを求めようとして、神経をすり減らすよりも、ある程度の倫理観に裏打ちされた相対的な関係の中で、自分の能力を思い切り発揮しようとするコトの方が大事だと著者は述べたいのだろうと思います。イヨイヨ、最終章です。これも長いので分割します。ソロソロこの本ともお別れです。でも、時々は読み返したい本です。あくまでも主観に基づいた抜粋なのですから、興味のある方々は、原本にあたられるコトをオススメします。ワタシは≪道しるべ≫の役目をしたいだけですので‥‥

  第13章  人とのつきあい

’埃圓猟砲澆眸修辰討海戎燭両ー圈邸斗諭垢並慮海鬚靴真傭によって組織され、互いに希望や力や勇気を分かち合う自助グループというものがある。その最もヨイ点は、自分がかって苦しんだ経験があるので、現在苦しんでいる他の人の気持ちが非常にヨク判るというコトである。勝利は価値がある。確かに、スバラシイ動機付けになり、努力への原動力となる。しかし、大半の勝利は、他者の負けを伴うコトである。その存在を無視し、自分の勝利の美酒に酔うことしか考えられないならば、良き勝者にはなれない。無論、負ける時も人生にはある。良き敗者になるコトも、次の勝利を獲得するタメのステップだと思えば、耐えられるモノだ。

口はペンよりも強し?‥‥マスメディア批判が起きるのも、無責任なジャーナリズムによる、いわれなき非難で、人生を台無しにされる人々が多々存在するからだ。だが、隣近所の無責任なゴシップも、似たようなモノだ。他人に対する≪中傷≫は、他者をおとしめ相対的に自分をヨク見せたいとの願望が透けて見える。他人を踏み台にして出世したり、名声を得ようとしてはイケナイ。自己中心的で思いやりのナイ人間だと非難されたくなかったら、自分の地位や名誉のタメに、他人を蹴落とす様な真似は止めよう。

I要以上に他人を追い詰めてはイケナイ‥‥人にミスはつきものである。自分本位な行動をし、不注意かつ自己中心的行動で他人を傷付けたなら、非難や罰も仕方ナイが、複雑な現代では、非難すべき人間に対して、同じくらいのヒドイ仕打ちで、その人を追い詰め、報復する例も多い。犯罪者に対して、罰が与えられ、犯罪防止のタメに法律が設定される。しかし、人の苦しみを見て、一種の満足を得る様な行為には、弁解の余地はナイ。病的感情すらうかがえる。罪を罰するには、罪を犯した人が≪後悔≫するコトが必要だが、傷付けた上に辱めようとする行為は、罪人ではナク、我々自身の品位をおとしめる行為だというコトを覚えておこう。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:36Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月10日

理想と現実のバランスをとる

今度は、混雑していますというメッセージで消えてしまいました。コピーしとけばヨカッタ‥‥一日に、二度の書き直しは初めてです‥‥(号泣)

ゼ分の判断を大切にする‥‥他人の意見に左右され、翻弄されるコトは考えものである。検討して出した結論だったら、確固たる信念を持とう。タダ、自分の判断に異議を唱えられても、挑戦的な態度をとったり、別の観点から眺めたくないと拒むのはやり過ぎ。他人の見解や考え方は、あくまでも参考意見として聴こう。その上で、自分の意見をしっかり持てばイイのだ。

自分の思いつきで判断してはイケナイ‥‥やってイイことと、悪いコトの基準は、貧富の差などに関係ナク、一律に適用されるべきである。損得に関係ナク、正しいことは正しいし、自分に不利でも、正しくナイことは正しくナイ。

理想主義が必ずしも純粋かつ単純とは限らない‥‥多大の犠牲を払ってでも信じる確固たる倫理観を持つ人もいれば、何か圧力を感じるとすぐに引っ込める程度の倫理観しか持ち合わせてナイ人もいる。アナタはどちらだろう?

力は正義にあらず‥‥他人を支配しようとか、他人から何かを奪い取るコトは、良心の痛みを感じるハズだ。自分の分別心から。そして、アナタの行動に異議を唱える他人から行動を正される場合もあるだろう。最悪な選択だけど、間違った選択をする時には、それなりの良心の呵責が必要になる。しかし、自分の行動を正しいと自分をダマシ続けると、正しい道から遠ざかる。自分をあざむき続けるコトはツライものである。

ともあれ、人間はそんなに強いモノではアリマセン。現実ばかり優先して自分を誤魔化してばかりいれば、自分をキライになりかねません。といって、現実を無視して理想ばかり追い求めていても、継続が困難になりかねません。数学の答えみたいに、正しい答えが用意されているとは限りません。何が正しいのか、自分で判りかねないコトだってあるでしょう。でも、借り物の他人の意見よりも、自分に合った意見が大事だと思います。それが、自分で見つけた意見であれば、何よりだと思います。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:21Comments(0)TrackBack(0)

理想と現実のバランスをとる

今日も暑かったです。昨夜は蚊にクワれてよく眠れなかったのですが、本日は殺虫剤も寝室に完備しましたから、グッスリ眠れるでしょうか‥‥五月に、蚊にクワれるとは思わなかったんだけど‥‥

さて、朝の続きです。

ゼ分の判断を大切にする‥‥他人の意見に左右されやすく、自分の考えに自信が持てないと、他人の言葉に振り回されかねない。他人の意見に翻弄され続けたいのなら別だが、検討して出した結論だったら、自分の判断に確固たる信念を持とう。タダ、どんな異議に対しても、挑戦的な態度を取ったり、別の観点から眺めたくないと拒むのは考え物である。他人の見解や考え方は、あくまで参考意見である。自分自身でしっかりした意見を持ってみよう。

自分の思いつきで判断してはイケナイ‥‥理想主義は自己利益の追求と無関係でこそ、スバラシイ。損得に関係なく、正しいことは正しい。自分に不利でも、正しくないことは正しくない。

理想主義が必ずしも純粋かつ単純とは限らない‥‥社会主義者と公言しているお抱え運転手と富豪の話。熱心に参加していた集会を休んでいる運転手の欠席の理由は、「革命が成功すれば、みんな平等に4100ドルが分配されるという話があったんです」「それが?」「私は既に4200ドルを持っています」というように、自分の利益になるから信奉している様な人もいる。無論、多大の犠牲を払っても確固たる倫理観を持つ人もいるし、圧力でスグ引っ込める程度の倫理観しか持たない人もいる。自尊心の重要な部分を占めるのが倫理観である。アナタの倫理観はどうだろう?

力は正義にあらず‥‥他人を支配しようとしたり、他人から何かを奪い取ろうとする時、人は良心の問題にぶつかる。自分の分別心から生じる呵責に悩まされたり、行動に異議を唱える他人からの圧力の二つがある。どうしてもそうしたいなら、最悪だが、良心の呵責を感じつつ、間違ったことをするのは、価値がナイと心に刻みながらすべきである。自分の行動は正しいなどと、自分自身をダマし、ヨクナイ行為への欲望を容認するならば、自分の行動は正されずに終わる。

人間は弱いモノです。現実に迎合ばっかりしていると自分をキライになるかもしれませんし、現実を無視して理想に走っても継続が困難になるコトがあると思います。この価値観こそが、なんて簡単に決められないコトもあるでしょう。でも、他人は他人、アナタはアナタなのです。借り物の価値観ではナク、自分に合う価値観を大事にしてください。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:52Comments(0)TrackBack(0)

自分の意見をしっかり持つ

おはようございます。書いていた記事が、変なボタンにうっかり触っただけで、全部消えました‥‥(泣)

仕事もアルので、今回の記事は時間ギリギリまで書きますが、二回に分かれる可能性が大になりました。

  第12章  価値観

\犬ることの意味とは?‥‥哲学者や神学者は、生きる意味について膨大な著作を残しているのだが、一般の人は、自分の必要や欲望が満たされれば求めていた人生だし、そうでなければ生きる意味はナイと思いかねない。人生の意味を決めるのはアナタ自身なのだから、物質的満足だったとしても構わない。タダシ、崇高な理念を抱いているかの様に振舞うべきではナイ。生きる目的が、空腹を満たすだけだったとしても、堂々としていた方がイイ。

何を支持するか見極めよう‥‥何でも反対するコトが好きな人もいる。闘争的な人と、思慮深い人とを混同してはイケナイ。誠実に、理念を持った人は、守るべき自分の立場があり、無闇に騒ぎ立てたりしない。自分の立場の裏づけとなる理由や、信念のナイ人ほど、些細な理由を付けて、何かと議論を吹っかけてくる。身近な問題に、黙々と対処する思慮深い人にこそ、注意を払おう。

真実の価値を大切にする‥‥タテマエと本音の様な≪ダブル・スタンダード≫は太古の昔から存在する。個人的利害は人の価値判断を左右するからと言って、利害を敵視すべきではナイ。ただ、自分の利益をひたすら守ろうと、真実や正当性を偽装してはイケナイ。自分の判断基準は、時々、自分の立場と他人の立場を入れ替えて確認する作業が必要だ。さもなければ、自分の利益に目がくらみ、一時的に利益を上げたとしても、長いコト、良心の呵責に悩まされるかもしれないからだ。良心を悪魔に売り渡した様な人物が居なくもナイが‥‥

じに出してハッキリ言う‥‥匿名を隠れミノにして無責任な発言をするべきではナイ。投票は無記名でも構わない。それは報復などを排除して、民主主義を発展させるだろうから。しかし、意見を述べる際には、信念を持ち、それを持ち続ける不屈の精神に支えられていなければならない。

やっぱり、ココで時間切れです。全部書き込めたのにゴメンナサイ。夜、ゆっくり書き込みます。間違いがあったら、アトで編集して訂正します。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:22Comments(5)TrackBack(0)

2006年05月09日

長野は真夏日でした‥‥

暑かったです‥‥こんなに暑かったり、時に寒かったりすると体調がオカシクなる人もいるだろうと思いました。梅雨もソロソロ近付いているのかも。今年の夏はどんな夏になるんでしょうか?

今朝の続きです。

┯果的な解決法を見つけよう‥‥ひょっとしたら、宝くじに当たって人生が変わるかもしれないナドと夢を見るのは勝手だが、当てにならないコトを当てにして人生設計を考えてはいけない。努力しなくて、目標が達成出来なかったとしても、それは当然のコト。原因は怠惰につきる。問題の解決法を聞いても、自分が受け入れにくい場合もある。そこで、深く考えずに拒絶するのかどうかで、人生は決まる。気に入る解決策を探し求めて、コレと思ったけど、前と似たような生活では進歩はナイ。ジタバタ努力すればこそ、良い結果を手にするコトもあるのだ。

ゆるやかな進歩をめざして‥‥変化が大切といっても、程度ものである。真っ暗闇から、突然、非常に明るい光に目をさらされるコトは苦痛で、害すらある。肥満が不健康だとしても、急激な減量もヨクナイ。身体は、適応するタメのそれなりの時間を必要としているのだ。子供は、特に他人の子供はアッという間に、成長するように思える。しかし、それも日々の積み重ねに過ぎない。ハイハイから、ヨチヨチ歩き。上手に歩けるまでに何度も転ぶ。人生経験を積んだ人たちの愛情を受け、世話を受け、導かれ、育っていくものなのだ。変化には、エネルギーが必要だし、その変化も建設的な必要がある。上手な話し方をする人の深い点を学ばず、表面的なコトだけ真似しても、意味のないおしゃべりをする人だと思われるのがオチだ。

熱中するのは出来る範囲で‥‥壮大な目標もケッコウだが、≪オール・オア・ナッシング≫という考え方をしていると、≪ナッシング≫で終わる場合が多い。出来る範囲から行動を始めようと思うコトこそが大事である。

助けを求めることも、時には必要‥‥自立、自己充足も大事だが、度を越すと逆に裏目が出るコトもある。必要としている援助も受け入れず、何でも独力でと主張して、避けられた失敗をするよりも、助言を生かして成功した方がイイに決まっている。フツウの人は、他人の役に立つことをシアワセと感じるものだ。何時も何時も、というのでは「クタビレたので、ゴメン」と言われるかもしれない。何事もホドホドというコトである。

ヤラナイうちからアキラメナイ‥‥人生は、私達に色々な機会を与えてくれる。その気になって頑張れば成功するかもしれないし、時には失敗もある。ともあれ、それなりにキチンと考えて行動すれば成功の可能性は高くなるし、失敗も成功するタメのコストと考えることだって出来る。何もしないで失敗する方が、何かをして失敗するよりイイというコトはアリエナイ。失敗する可能性が100%というコトはナイからだ。とにかく、勇気を出して、一歩を踏み出すコトから始めよう。

成功をエンジョイしよう‥‥成功しそうになった途端に尻込みする人がいる。成功は、大抵の場合、新しい責任を伴う。それを回避したがっていては、成功は出来ない。失敗ばかりの人生と開き直って負け犬の人生を送るのではナク、失敗から得た教訓を活かすタメにも、成功によってもたらされる未知の領域に足を踏み入れる方がずっとイイはず。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:11Comments(2)TrackBack(0)

決断して、行動して、ゆるやかな進歩を

おはようございます。GWが終わったら、長野は一気にイイ天気で初夏のような気候が続いてます。

天気一つとっても、日本は狭いようで広く、雨でイヤだと思っている人もいれば、恵みの雨だと思っている人もいたり、雨の音を聴いたり、見たりするのが大好きという人もいる。そんな多様性がイチバン大事だと思います。

  第11章  積極的行動

.坤襯坤襪伐瓩瓦浩犬方はもうヤメにする‥‥モノゴトを、ついつい先延ばしにするのはよくあるコトで、異常な行動でもなければ、悪いことではない。ただ、ズルズル引き延ばし、期限を守る気が全くナイ人生となると、問題がある。お金や時間、逃した機会でどれほどの損をしたのか、それとも得なコトがあったのか、一度じっくり考えてみるコトをオススメしたい。

△任盒肪爾覆里蝋佑┐發痢邸填肪爾縫坤襯坤覦き延ばしがダメだとしても、極度のセッカチも考えものである。何時も時間に追われ、≪A型行動様式の人≫と呼ばれるタイプの人は高血圧や偏頭痛、心臓発作を起こしやすい。アラブの諺に「明日出来るコトは、今日しない」という言葉があると昔、何かの本で読んだが、その位の気持ちも時には必要だと思う。

7菽任垢襯灰箸鵬寡造砲覆蕕覆い如邸貼殿腓雰菽任蓮気まぐれでするべきではナイし、様々な観点からの比較検討が必要なコトは言うまでもナイのだが、些細なコトまで時間を掛けて、ひどく悩む必要はあるのか? 二つの選択で、優劣が明白なら、そんなに迷わないだろう。というコトは、おそらくどっちでも大した違いがナイのに、迷っているダケなのだ。ワタシの姉はしょっちゅう洋服の色やデザインを迷う人だった。御蔭でワタシは、ホトンド迷わない人間になった。そんなに高いブランド物を着たいとも思わないから、どちらも捨てがたいと思ったら、両方買えばイイのだ。そして、次の買い物を止めればイイ。そんなコトを学ばされた。

ち択しないのも一つの選択だが‥‥自分の判断に自信が持てないと、他人に決めてもらいたがる人がいる。しかし、上手くいかなかった時にもそれで文句ナイと思えるのなら別だが、物事を選択するアナタ自身の権利と責任を、自信を持って行使した方がイイのでは?

ゲ燭問題なのかを見極める‥‥自分の生活改善には、生活環境の変化が大事だと思う場合がある。しかし、本当に変えるべきは自分自身だったりする。他人のせいにして、人間関係を破綻させる人間もいる。これは不幸なコトだ。何時それに気付くかで、人生の色は決まっていく。

Β秬簑佗垈跳腓覆發裏笋僕彙躇奸!‥‥中毒性のある薬物を常用し、依存してしまうと、それらの薬物が≪絶対不可欠なもの≫になるコトがある。ブランド品のコレクターなども、時としてこの範囲に含まれるのかもしれない。

優先順位のつけ方は人さまざま‥‥とはいえ、優先順位が心理的要因によって、ゆがめられるコトもある。自分の人生の様々な局面を、その重要性によってランクづけして、一つ一つにどれだけ時間を費やすべきか、じっくり考えてみるとイイ。自分の子供の結婚相手と結婚式の花の飾りつけと、どっちが大事なのか。フツウでは考えられないコトに気をつかう人も確かに存在するとは思うが、冷静にヨク考えれば、常識的な選択は限られてくる。

この章、長すぎるので、夜に残りを書きます。仕事があるのでスミマセン。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:35Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月08日

鳥は、飛べると思うから飛ぶ

過去のトラウマを引きずって、現在を台無しにすることは、賢いコトなのだろうか?

  第10章  克服

、稱匹硫屏箴態にさようなら‥‥人生には、不愉快になるコトはあるものだ。ただ、そのショックを大きくするか、小さくするかは、本人がそれをどう解釈するかに係わる問題だ。自分がそれなりに魅力的だと思っていても、そうありたいと願っているほど人気がナイと感じたら、何が自分の評判を妨げているかを調べるのは効果的です。でも、自分は魅力のナイ人間で、それは変えられないと信じ込むと、何時まで経っても「壁の花」で居続けるでしょう。気を楽に持って。自分はそれなりに素敵な人だと思ってください。もう少ししたら、ステキな誰かが近付いてくるかもしれませんよ。

⊆宰召鮠綣蠅乗り越える方法‥‥不安な状態が続くと、気の滅入るような緊張状態が来る。その結果望まないコトだったとしても、一息付いて、その現実に適応しよう。失望に打ちのめされた時に、現実として受け入れられない人がいる。現実として認めなければ、その現実が消えてしまうのなら、それでも構わない。だが、そんなコトはありえない。起きてしまったコトを冷静に分析して、どうすべきかを考え、状況改善に役立つ方法を見つけた方がイイ。アナタの考えているコトを友達に投げかけ、さらなる失望へと、のめり込まずにすまないように、進むべき道を探してみよう。

6譴靴澆話にでも降りかかるもの‥‥人類は、思考能力を身につけて以来、世の中にはなぜ苦しみがあるのかという謎を解こうとした。信念の問題で、神は善に報い、悪には罰をもって臨むと信じるコトは出来る。でも、現実にはそうとは限らない。ともあれ、苦しみを味わっている当人に向かって、お前の犯した罪の報いだ、などと傷口に塩をすり込む様なことは残酷だ。助けたり、なぐさめたり出来ないのなら、苦しんでいる人に原因があるなどと責めたりして、心の痛みをさらに悪化させてはイケナイ。

ぅぅ笋覆海箸茲螻擇靴い海箸鮃佑┐董邸泥ぅ笋糞なというものは、それを吹き飛ばそうとすれば、徐々に消えてなくなるものである。でも、イヤな気分にこだわってたり、何か不吉な前兆なのだと考えれば、余計にその気分を長引かせ、より上手くいかなくなる状況を実際に作り出し、本当にイヤな気分に落ち込んでしまう。自分が何かクダラナイことを運命づけられていると信じるコトだけは止めてください。

ダ儷謀な生き方は、ヨク効く鎮痛薬‥‥心で感じることは、身体にも影響を及ぼす。ちょっとした痛みや不調に気を取られて、生活をダメにするコトはない。

上手くいくと考えれば上手くいく‥‥世の中には、どうすることも出来ない状況はタクサンある。同時に、なんとかなるような状況も無数にある。生活に上手く適応していくには、自分で何とか出来るコトと出来ないコトとを見分ける能力が要求されてくる。自分に失敗者というレッテルを貼ると、正真正銘の落ちこぼれになる。ローマの詩人は、「鳥は、飛べると思うから飛ぶのだ」と格言を残した。鳥も飛べないと思い込んでしまえば、飛べなくなる。自分の生き方は、考えている以上に自分でコントロール出来るものである。上手くいくと考えれば、今までよりはずっと上手くいく。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:50Comments(0)TrackBack(0)

責任を持って知事候補を選んで欲しい!!

おはようございます。本日の新聞を読むと、長野県の知事選のタメに知事への対抗馬選びも大詰めになってきていますが、本日の日記の章とかなりカブルので、最初に書き込みしたいと思います。

今の知事がイイかどうかは別にして、イチバン有権者として腹立たしいのは、知事候補になろうとする人々が、勝てそうならなってもイイという態度がミエミエなコト。いやしくも一県のトップになろうとするのならば、「絶対、俺以外に長野県を良くするヤツはイナイぜ!!!」位の迫力のある人間はイナイんかい。(頭に来ると、やっぱ関西弁だと思ってしまいます)

自分の現在の地位に恋々としている人間が、どうやって財政破綻しそうな県を立て直せるんだと思ってしまいます。今の知事のやり方に諸手を上げて賛成しているワケではナイし、「変じゃないですか?」とメールも打ったりしてますが、少なくとも大半の県民と同じで前の知事よりは、マシだったと思ってます。そして、「前の知事に賛成だった県議さん達の責任はナイんでしょうか?」と訊きたい。

今の知事より立派な知事候補が出て来るなら、それは喜ばしいコトだけど、今の知事よりヒドイ候補なら迷惑。無党派だから、平気で何でも言えるけど、おそらく、これが一般の声のホトンドの思いだと思う‥‥

  第9章  責任感

\嫻て┐譴呂發Ε織サン‥‥失敗の責任をとるのは、いつでも難しい。それで、つい、私たちは責任を回避したり、他人のせいにしたりする。誰かに責任をなすりつける必要がある時は、論理的なモノの考え方や筋道は通用しなくなる。失敗になんの係わりもナイ誰かに、責任を転嫁するコトさえある。自分の失敗を誰かのせいに出来たら、その方が楽に決まっている。しかし、そんなコトはやめにして、自分で状況を改善する方法を探し出すべきなのだ。

言い訳はキリがない‥‥自分の失敗の責任を取りたくない時は、どんな言い訳でもする。バカげてたって、必要なら言い訳にする。「私は‥‥という理由で失敗した」という文章の、‥‥という部分に、≪努力が足りなかったために≫と書く人はメッタにいない。

K榲に努力しているか‥‥努力を怠ったタメに失敗するコトはヨクある。無関心、注意力散漫、ちょっとした怠慢も原因となりうる。自分を責めずに、どうするコトも出来なかった状況の犠牲者と思う方が、ずっと楽かもしれない。だけど、客観的に考えて、ミスしたら、どこに失敗の原因があるか把握し、同じミスを繰り返さないように改善すべきだ。人間だから、ミスはする。それを生かすかどうかで、アナタの価値が決まるのである。誰かを、スケープゴートにして、一時の気休めをしても、究極的には何の役にも立たない。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:37Comments(2)TrackBack(0)

2006年05月07日

他人を犠牲にして気分を晴らす人もいる

隣の家の家族を死傷させたニュースが入ったり、物騒な事件がアトを断ちません。

例えば、先生に叱られて面白くナカッタから、その鬱屈した気分を全然無関係の老人に晴らそうとしたり、何でという様なニュースが続いています。

うつ病というと、自殺の引き金になるという可能性が高いコトは皆さんも御存知でしょう。しかし、自殺というのは当然、自分を殺したいというコトであり、それが自分を殺せないとなると他人に向かうコトにもなりかねません。

やはり、現代の様なストレス満載の時代は、「?」と思ったら、精神科や心療内科などの門を叩くコトも、大事だと思われます。そして、自分の病状に適した先生を見つけたいと思ったら、なるべく軽いウチに行くべきです。「うつ病は心の風邪」と言われています。悪化してからでは遅いのです。偏見があるからと、隠そうとすると、病気は悪化します。

事件になってからでは、隠すどころではアリマセン。自分や家族が可愛かったら、時として恥だろうがなんだろうが、開き直るコトも大事です。専門家の意見を聴くコトは、何事においてもイチバン大切に決まっています。心だって、同じです。間に合うウチに、手を打ってください。

  第8章  落ち込み

〕遒噌みは家族の病‥‥うつ病には、身体の化学的不均衡によって症状が出るタイプと、身体的原因によるものではないタイプの二通りがあると著者は言う。前者のタイプは、精神的苦痛はかなり激しいが、他人を意図的に傷付けようとするコトはない。だが、後者のタイプは、他人を犠牲にして自分のうっ屈した気分を晴らそうとする傾向が明確に見られる。ケンカでも売るように怒りっぽく、自分のうつ状態から一種奇妙な快感を得るようなのだ。こちらが相手のそうした心理的メカニズムに乗ってしまうと、最悪の状態におちいる。
もし周囲の人がうつ状態におちいっているなら、彼らが診てもらっている医者の助言に従おう。彼らにはアナタの思いやりと援助が不可欠な時もあるが、彼らの行動に迎合してはいけないコトもある。どちらなのかについては、専門家の適当な助言を受けるコトが重要だという。
つまり、素人判断で、選択を誤ると大変危険になるというコトである。大切な家族に誰かを(時として自分を)殺すコトを止めさせたいと思ったら、ゼヒ、診察をというコトである。

⊃誉犬斑舂匹暮らす方法‥‥うつ状態は不愉快なモノだから、それにしがみつきたい人がいるとは信じがたい話だが、実際にそういう人はいるそうだ。我々の大部分は、失望したり、みじめな気分を味わったりしながらも、何とかそれを克服しつつ毎日を過ごす。なのに、日常生活の当たり前のリスクを負いたくないと恐れる人は、自分のうつ状態を、努力しないコトの言い訳にしたがる。
イヤな経験をしたからと、それを人生を投げ出すタメの口実にしてはイケナイのです。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:38Comments(7)TrackBack(0)