2006年06月30日

ダ・ヴィンチ・コードを見て来ました!!

今日は朝から忙しかったのに、仕事を終えてスグに「ダ・ヴィンチ・コード」を見に行って来ました。土曜・日曜は混みそうだから‥‥

長野に初めて出来たシネコンで。施設は立派になって良かったですが、何だか気取っている感じで、コンビニにでも行ったみたいでしたね。受付が。マニュアル通りなんでしょうが‥‥映画が好きだから、切符もぎっているみたいな感じはゼロで、何だか寂しい感じがします。入れ物が良くなったんだから、文句は言うなと言われそうですが、ハードは充実したかもしれないけど、ハートはあんまり感じられませんでしたね。

ともあれ、シートは広くなっていて、前の席とも高さがあるので、見やすかったけど、座席が好みのトコに座れないのはツライ。あまりスクリーンの近くで見るのは好きではないので‥‥次回は、後ろの席にしてもらう様に交渉したいと思いました。

と、アラばっかり書いてますが、映画自体はヨカッタです。ただ、ある程度はキリスト教のコトを知らないと判りにくい物語かもしれませんが、サスペンスとしても面白かったし、平安京の立役者である秦氏のマークとキリスト教の関係をフト思ってしまったりして‥‥

日本の宗教には、キリスト教らしき仏教などもあったりしますからね。ま、その話をココですると、マスマス話がゴチャゴチャしてしまうから止めておきますが、宗教の名の下で殺人は無数に行われ、現在も変わらず行われ続けています。

原始宗教のような感じで、多神教だとそんなに争わずにいられるのですが、一神教は難しいですからね‥‥

神の名のタメに、殺戮が行われるのなら、よっぽど無宗教の方がましだと思っちゃいますが‥‥外国の人は、生まれてスグに洗礼を受けている人も多いし、生まれながら宗教を親から決められている人も多いので。一般の日本人の様に、クリスチャンでナクてもクリスマスケーキを食べたり、楽しんだりしつつ、その一週間後には、神社に初詣、お葬式はお坊さんでお寺の墓地になんて感じのも、そんなにワタシはキライじゃないです。

やっぱり八百万の神の国だからかも。だから、そんなに日本人は、戦争が好きじゃなかったし(この狭くて山の多い国土で戦争してたら、生きられなかったからかもしれないけど‥‥)、そんな宗教にアバウトな国をもっと極めたらいいんじゃないかと思ったりもします。  

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国との関係も哲学できる

おはようございます。さて、この本の著者の全てが、ワタシに受け入れられるワケではありません。

LD(学習障害)に対する記述です。出来ない特定のコトでも、普通の人の何倍もの時間と反復によれば、ある程度はそれなりになります。アインシュタインも、エジソンもLDだったと言われているのですから‥‥ともあれ、ある特定の部分を理解してないからといって、その人の思考の全てが否定されるワケではありません。

第9章 国家とは何か というトコで、愛国心を解体して、再構築しているのは実に明解です。

ちなみにワタシは日本を愛していると思っています。国旗や国家はそんなに愛してないけど‥‥本当なら、もっと国旗や国家も愛せるのですが、強制的に愛せと騒ぐ人々がいるから、愛する気持ちが半減してしまうだけで‥‥

法律で強制すればそれで「愛する」という気持ちが生まれるというわけではないだろう。

と書かれていますが、ワタシの様な≪へそまがり≫は、それに止まらず、強制は反発を生むだけです。

本日付けの信濃毎日新聞で読んだのですが、NHKが総合テレビで昨春放送した「クローズアップ現代」で「国旗・国家に偏見を持たせるような番組づくりをしている」と15日の総務委員会で自民党の柏村議員が、公共放送には「国旗・国家(の浸透)を助長するような責務があるんじゃないか」などとNHK会長らに質問したそうです。

政府の回し者なのですか? 公共放送は? そして、その運営資金も、義務的に徴収して、政府の言葉をただ放映しなければならないのだとしたら、戦前と何ら変わらないのではありませんか?

「国旗・国家法」の制定時には、強制はしないと言ってたのは誰でしょう?

でも、東京都では、反対する教師はドンドン処分されてます。これから、愛国心が「教育基本法」に盛られ、「共謀罪」などが出来たら、戦前のようにならないと誰が言えますか?

「国家を愛するな。愛するなら国を愛せよ」「国を愛すより人を愛せよ」犢颪鴆戞覆た)る権力者瓩砲世泙気譴覆ぅ織瓩良幻譴蓮覚えておいた方がこの国を誤った方向へ導かないタメに、とっても有益だと思います。  
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2006年06月29日

脳死を哲学すると‥‥

胎児は人間なのかというと、民法には「相続については、既に生まれたものと見なす」と定められているのだが、刑法では、人工妊娠中絶は殺人ではナク、堕胎罪であり、死刑を科しうるホドの罪にはならない。

「脳死は人の死」か否かという問題も、人工呼吸器を外せば亡くなるとしても、機械的補助手段としてとらえるならば、人工心臓もそうだ。だが、人工心臓で生きている人もいる。

結局、脳死状態の人は、自然科学的事実としては死んではいないが、規範的に死んでいると扱うことは可能だ。

可能だということと、そうすべきだということとは全く別問題であり、臓器移植という問題があればこそ、脳死がクローズアップされるのだ。

〆覆鮓鯆婿故で亡くした夫の証言
妻が脳死になった時、医師はドナーカードの存在から、臓器移植を求めて来た。しかし、突然の死を受け入れられないので、断ってしまった。無邪気にドナーカードを二人で書いたコトを後悔した。
わたしは臓器移植をあってはならないものだと思う。他人の死を前提としてしかなりたたないもの。そんなものは医療ではありえない。生死は天が決めるものだ。

⊃澗ー栖気量爾いる親の証言
三歳になる娘の希望は、心臓移植しかない。治療には、金がかかり、一秒でも長く娘のそばにいたくとも、勤めざるをえない。夜遅く病院にたどり着いた時は、既に眠っている時が多い。その手を取って、温もりを感じると、涙が止まらない。私には、してやれるコトがホトンドないのだ。あと五年生きれたらイイ方だと医師は言う。臓器移植に反対の人は多い、でも進んで臓器を提供してくれる人がいたら、その愛を感謝して受け入れてどうしてイケナイのだろう。娘は、たった三年この世に生きているだけだ。しかも、病院の外など、全く知らず‥‥

これは、試験問題として出たものの、抜粋です。

何が正しいのか‥‥

明確な答えは出せない問題が山積みです。結局、人間は相反するコトに対して、いかにして、一方を切り捨てるかではなく、両者を調和させるかが、一番の問題だと著者は述べています。

脳死ならば必ず人の死だとする規範的決定は、脳死判定された者と奇跡を信じる家族の切実な思いを否定する。脳死であっても、本人の意思にかかわらず絶対に人の死ではないとする規範的決定は、博愛の志と移植を待つ患者の切実な願いを否定する。

脳死という問題も、哲学的に考えると、別の側面が見えてきます。  
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「自由」という不自由

おはようございます。日本人の半数以上が、生活は苦しいと考えているそうです。かっての中流意識は、ドコへ消えたのでしょうか?

それでも、平均額は増えているというコトは、≪富める者はより富み、貧しい者はより貧しく≫なるというコトです。「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉もあり、世の中は繋がりあっているのです。お金は流れてこそ、イイのであって、富裕層と貧困層の二極化は、世の中の通貨の流通にとって、必ずや悪影響をもたらします。

さて、哲学の本なので、やや硬めではありますが、こんな本を今、読んでおります。
「おろかもの」の正義論
ここに、自由についての考察があります。

「正しさ」を決める絶対的な基準は「実際問題として」存在しない。それならば、いっそそんなものはなしで済ませればいいのではないだろうか。
----あらゆる束縛を打ち破って、思いのままに生きてみたい。
そんな風に思ったことはないだろうか。

あなたは何をするのも自由だ、自然法則以外にあなたを縛るものは何もない。殺したければ殺せばいい。欲しければ取ればいい。
こういう状態は、一見自由に見えるかもしれないが、じつはとても不自由な状態であることはすぐわかるだろう。あなたが殺すのが自由ということは、あなたを殺すのも自由ということだ。あなたが取るのが自由ということは、あなたのものを取るのも自由ということだ。生命も、財産も、いつ奪われるかわからない。そういう状態では、思いのままに振る舞うことなど全くできないだろう。
あなたは、自分がしたいようにしたい。もっともだ。だが、他人も自分のしたいようにしたい。万人が思いのままに振る舞おうとすることは、万人がその思いを遂げられないということでもある。万人が思いのままに自動車を走らせて、目的地まで無事にたどり着けるだろうか。

「靖国神社を参拝する自由」は確かにあります。でも、それは、それに対して何が起きようとも構わないというコトと、引き換えなのです。個人であれば、何をするのも自由です。日銀の総裁でなければ、利殖に励んでも構わないでしょう。憲法には、政教分離も明確に書かれています。宗教に関わりたければ、政治と縁を切ればいいのです。公人になれば、多少の自由が制限されても仕方のナイことです。人間には、≪職業に対する責任≫というものも、あるのです。
  
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2006年06月28日

隠蔽してしまう日本の闇

今日は、衝撃的な話をお聞きしましたので、本日はその話をしようと思っておりましたが、ブログ仲間のくになかさんから、切込隊長BLOG(ブログ)という面白いのがあるよと教えて頂きました。今朝のブログで取り上げた、福井総裁について、6月27日付けの記事で詳しく書いてありますので、よろしければ、お読みください。

では、本日のメーンの話です。

長野のある中学でイジメによる自殺があったそうです。新聞に、そんなに大きく書かれなかったからなのか、ワタシはそのコト自体をヨク知らなかったのですが‥‥

いじめられて不登校になっていた少女が、学校側の努力で登校しだしたのはヨカッタのですが、修学旅行に行くコトになって、クラスメートに「アンタと同じ部屋で寝る子なんているかしら」みたいなコトを言われて、カッとしてしまった少女は、学校を飛び出したそうです。先生方が後を追ったらしいのですが、マスマスそれで切羽詰った少女は、ドンドン逃げて、近くにあった線路に近付いた時、折悪しく電車がやって来たそうです。そして、そのまま電車に飛び込み‥‥

でも、その後の学校側の発表は「イジメはなかった」‥‥両親は激怒して、葬儀への一切の学校側の参列を認めなかったそうです。

当然です。少女が残した日記には、イジメられたコトが、事細かに書かれていたそうで、それはとても壮絶なイジメだったようです。

学校側が隠蔽したコトは、教育的にみてヨカッタとはどうしても思えません。目の先のコトを考えれば、学校の体面もあり、在校生への動揺は防げるでしょう。でも、そうやって「在ったコトを無かったコトにして」それでどうなるんでしょうか?

在ったコトは、決して無かったコトにはナラナイのです。人間の記憶は消せません。ウソは一度ついてしまうと、ウソにウソを重ねる以外ないのです。なのに、教育者が、そういうコトを生徒に言わせてどうするんでしょう。やってしまった罪を罪として償わずに、嘘で塗り込めたら、将来、どんな人生観を生徒は持つのでしょう?

教育県と呼ばれていても、残念ながら、これが長野県教育の現状なのです。  
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ギルド社会を粉砕しよう!!

おはようございます。日銀総裁の資産は莫大で、あれなら、1000万円くらい「大した儲けではナイ」とノタマえるワケだと、納得させて頂きました(当然、皮肉ですけど‥‥)。

そして、憂慮していた通り、全国の郵便局の約22%は業務を縮小して、日本はマスマス格差社会になって行くのでしょう。

それをストップすべき民主党も、秘書給与の肩代わりをしてもらっている議員を、甘い処分で見逃そうとしています。

だから、反自民であっても、ドコかの党を真剣に押そうとは、絶対思わないのだけれど‥‥結局、「政治家になって日本を良くする!!」という強い意志よりも、「ドコの政党でもいいから、政治に携わって、身過ぎ世過ぎをしたいな」みたいな人が、イッパイいるというコト。

集団になって、和だとか、結束力だとかを言い始めると、悪いコトでも悪いとハッキリ言えなくなるコトが多いのが、日本という国です。

織田信長は、「天才と狂気は紙一重」みたいな人ではあったけど、ギルド社会を壊して、≪楽市楽座≫を創設するなど、それなりに立派な人でした。彼の宗教弾圧は、宗教による特権化に歯止めを掛けようとしたという側面もあり、華々しく大言壮語したワリには、竜頭蛇尾で終わろうとしている人とは、全然違います。(ただ、身近に居て欲しい人とは思えませんけど‥‥)

ともあれ、非合理的なコトでも、合理的であると、変な温情を掛けるコトは、将来の日本の崩壊を意味します。

社会の上層部の人間は罪を犯しても許されるなんてコトは、完璧なモラルの破壊です。青少年に対する影響を考えてみてください。「女を巡って、生き埋めにするなんてバカバカしいコトだ」と非難するのは簡単です。でも、人間若いコロは、馬鹿げたコトをするものです。極端に走っているコトは、社会の病巣ではありますが。しかし、若かりし頃を過ぎて、それなりの地位も名声も得て、なおかつ、それを利用して社会規範を崩壊させる様なコトは、殺人以上に社会を荒廃させます。

ニューヨークの株式市場は大きく値崩れしたと、ニュースが報じました。地合いが悪い日本への影響は必須でしょう。これから、日銀総裁が何かを述べても、誰も信用しなくなるだろうというコトの意味が、判らないのだとしたら、日本は末期的だと思います。  
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2006年06月27日

小さいことにくよくよするな!

アメリカでベストセラーになったハウツー本です。
小さいことにくよくよするな!〈2〉まず、家族からはじめよう
今回読んだのは、シリーズのパート2です。パート1も読んだので、『ブログに書いたかな〜』と思って確認しましたが、書いてはないみたいです。

今回は、家族に焦点を当てて書いてますが、実にその通りだと思うコトがイロイロ書かれてます。

ともあれ、「リラックスするコトを説いているけれども、自分も上手くやっているワケではナイんだよ」と率直に書いているので、おそらく読んだ人は、この著者でもそんなコトがあるんだから、自分がダメでも仕方ナイと、よりリラックスすると思います。

中でも、一番そうだなと思ったのは、というか欧米の人なのに、達観すると同じ様なコトを考えるものだと思ったのは、最後の一つ前、「すべては通りすぎていく」の章です。

何もかもが、過ぎ去っていくのだというコト。楽しいコトも、苦しいコトも、どんな問題も、永遠ではないというコトです。

≪全ては無常≫とまでは、書かれてませんが、結局そういうコトなんだろうと思います。だから、メチャクチャをしてもイイと言ってるのではナク、そう思うコトで、人生のどんな場面においても、正しくものを見る目と、開かれた心、ユーモアのセンスを保てるようになり、感謝の心を持って、くじけずに生きていく糧にして欲しいと、説いています。

100章から成ってますが、どれもが短い文章なので、手元に置いて、何度でも読み返そうとするならば、イライラが解消するコトは間違いありません。なので、あえてホトンド書き込みません。クヨクヨしがちだと思っている人には、ゼヒ、一読して欲しい本です。  
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デザートはどうして別腹なのか?

おはようございます。(午前の日記だと自分で読み返す時の目安にしてるだけなので、あまり意識せずにお願いします。最近、人気ブログランキングのpingが夜遅くなると不調ですが、日々、二回の更新を心掛けています)

さて、この本の中で一番『へぇ〜』と思ったのは、≪デザートは別腹≫なんてコトも、ちゃんと研究されている人がいらっしゃるというコト。経験則よりも、どうしてそうなのかを理論的に示して貰った方が、より納得出来るものですが、実に色々なコトを研究しようと思うものだと、それはそれで感心してしまう。

大阪大学の教授の説として、

甘味は、快感物質のβ−エンドルフィンなる物質の放出を促す。それで、人は至福感や陶酔感を覚えることになる。それに引き続き、ドーパミンという食欲を引き出す物質も出てくる。私たちは、経験的に「甘いものはおいしい」ということを知っているので、甘いものを口にする前から、このような反応を起こしてしまう。その結果、さらに進んでオレキシンという胃の受け入れ弛緩(しかん)と律動的収縮を引き起こす物質が放出される。つまり、胃がゆるむと同時にすでに食べたものを腸へ送り込む作用が生じる。そのため、私たちは腹いっぱい食べた後も、甘いものを口にすることができるのである。

そして、その後には、何故、「脂肪」を好むのかということが書かれている。要約すると、口の中で、脂肪酸に中性脂肪が分解され、腸などの消化管でも受容され、舌と腸の両方で味わえる贅沢な物質であり、β−エンドルフィンとドーパミンが放出されるからだそうです。だから、脂肪はやみつきになりやすく、「マヨラー」などが登場する理由なのだとか‥‥

この他にも、おいしいものをよりおいしく感じさせるベンソジアゼピンとかがあり、極論すると
β−エンドルフィンは麻薬様物質の一つであり、ドーパミンはおいしいものをより多く摂取したい、何らかの報酬を積極的に得ようとする物質なので、ダイエットしたい人には、大敵かと思いますけど‥‥シアワセになりたければ、ダイエットは敵なのかもしれませんね。

アルコールは弱い麻酔作用があり、快感を伴うほろ酔い気分を求めて、人は酒を飲むのだという。(なるほど、なるほど‥‥大変参考になります‥‥)  
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2006年06月26日

「感性」を大事にする時代に

本当は、この本の方を早くから読み出してたのですが、とても理科系な本なので、文系のワタシには、難し過ぎて、少々てこずりました。
感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか
この本です。

科学技術は人を幸せにするために、決して人を幸せにしていない。なぜなら人の「感性」を無視しているからである。「感性」とは、人のもつ感情や抱くイメージ、感受性のことである。こうあってほしいという気持ちを無視しているのである。
また、科学技術が発展し続けるという事実は、逆に言うと、私たちは常に中途半端な、未完成の製品に接しているということである。自動車は決して「自分」では走らない。人が運転するから走るのだ。そういったなかで、それがせめて人の感性を考慮した機械であるならば、私たちの負担もずいぶんと軽減されるはずである。それが、商品作りに感性を積極的に取り入れるべき理由であり、科学技術と感性の融合に他ならない。科学技術の人への接近、人間化である。感性を考えることで、売れる商品を作ることができるし、気持ちのよい社会を作ることができるのだ。

生物は自分で自分を形成し、再生する。治癒能力もある。私たちの体は意識する、しないにかかわらず、自分で勝手に作り上がってしまう。つまり、生物は自己組織化能力を有するのである。

なるほど‥‥という感じですね。でも、読んでいると、つい眠くなって、ナカナカ読み進めなかったのです。でも、ウーンと思うコトもあり、その話は寝て起きてから、マタ‥‥  
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健康は自分で作るもの

おはようございます。数日前の「日本農業新聞」の記事に関連して少し‥‥

「朝食に果物を」は、人体生理上、実に合理的なのである。筋肉のエネルギー源になるブドウ糖は、寝ている間に多くが失われる。できるだけ早い段階で、効率よく摂取することが望ましい。

体調を整えるビタミンや吸収しやすくエネルギー源になる果糖、ブドウ糖が多く含まれている果物が効果的なのだ。

唾液の分泌を進めて食欲増進にも役立つし、含まれるカテキンで口臭予防効果もあるそうだ。

ビタミンCの欠乏が、マウスを使った研究で、老化を促進することが科学的に証明された。ビタミンCには、抗老化作用があるのだ。(以上、24日付けの「四季」より)

最近、あまり話題にならないが、鳥インフルエンザウィルスの人間への感染は世界最悪のペースで拡大している。

インドネシアで起きた家族8人の集団感染の調査報告書には、「ヒトからヒトへ」の感染が確認され、そのうち1例では「ヒトからヒトへ、さらにヒトへ」と、感染が2回連鎖したとされている。

「ヒトからヒトへ」の感染は、過去ベトナムやタイでも起きている。だが、今回、連鎖して感染している可能性が指摘されたことで、将来への不安が高まった。

現在は、人間で大流行するウィルスの変異は検出されていないのだが、予断を許さない情況だ。

結局、自分の免疫力が強くなければ、生き残れなくなる可能性が出てきている。

病院内で、抗生物質が全く効かずに、何人もが死亡したコトから判るように、最後に頼れるのは、薬ではナクて、自分の≪生きる力≫なのである。人生、一度は死ぬにしても、なるべくなら最期まで、元気でその瞬間を迎えたい。それには、自分の努力が欠かせないというコトである。  
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2006年06月25日

多様な死生観を認めよう

脳低温療法を行なうとなると、脳死・臓器移植も、より慎重さが必要になります。

臓器移植のために救急救命医療への取り組みがおろそかになってしまっては、本末転倒だからです。

脳低温療法は神経細胞に対する治療法になっており、その治療成績や進歩の結果から見るなら、脳死も細胞レベルの問題まで含めて考える時代になっている。脳死状態と判定されても、細胞が死んでいるのか機能を停止しているのかを区別する方法はない以上、科学的な観点からは、脳死は「人の死」と言い切ることはできない。脳死状態で「人の死」とするには、科学を超えた新しい死の概念を持ちこまなければならないが、将来医学が進歩したとき、それか正しいかどうかはわからない。
人間の尊厳を損うことなく患者を助けようとする救急救命医療と臓器移植医療を同時に展開する道は非常に限られている。救急救命医療を充実させることがまず重要であり、臓器提供の数を増やすことを優先するようなことはしてはならない。あらゆる手をつくしても助けることができずに脳死状態になってから、本人・家族の申し出があった時はじめて、法律による特別の工夫によって、臓器移植を展開できるというのが、無理のない方法だと考える。臓器提供は(法で強制して増やすのでなく)ドナーになった人をすばらしい人だと称賛する社会通念を築いていくことによって増やしていくべきだ。

ギリギリまで、救急救命医療に賭けている教授の言葉は、とってもウンチクがあります。

昨日のブログで書き込んだ、奇跡的生還をした二十歳の青年は、理学部を中退し、看護学院に入学して、その一年後、やっぱり医者になろうと看護学校も辞め、アルバイトをしつつ医学部への入学に向けて受験勉強をするコトにしたそうです。

人間の可能性は、もしかしたら無限なのかもしれません。有限だとアキラメなければ‥‥

現実の重さは、そんな希望を与えてくれます。人生は、悪いコトの方が目立ちますが、でも、そんなに捨てたものでもないようです。  
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ワサビは体内を強い力で解毒する

おはようございます。さて、日曜の朝の定番、食物で元気になってくださいね。

本日も昨日の「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」からです。

ワサビにも水の流れるトコ(沢)で作られるワサビと、畑で作られるワサビがあり、本ワサビとは、「水ワサビ」で、西洋ワサビとは別の種類。チューブ入りは、本ワサビ50%以上が「本わさび使用」、50%未満が「本わさび入り」と表記するのだとか。(イヤー、勉強になります)

辛さの強い西洋ワサビと香りの良い本ワサビのそれぞれの長所を組み合わせて、メーカーが独自に配合するらしい。

最近、注目の成分は「わさびスルフィニル」で、老舗わさびメーカーの研究所が大学との共同研究し、名付けたもので、根茎に多く含まれ、すりおろして細胞を壊すと生まれ、西洋ワサビには含まれないのだとか。

人間の肝臓には、体内に入った有害物質を解毒して体外に出す酵素があり、その解毒酵素の活性化に「わさびスルフィニル」は役立つ。

肝臓は「モノ言わぬ臓器」として有名な場所で、ココがやられると致命的。

ワサビの解毒パワーは、ほかの野菜と比べ圧倒的に強い。老化や生活習慣病の一因といわれる活性酸素の発生を抑え、「若返りの妙薬」とも。

わさびスルフィニルは、「アリル辛子油(からしゆ)」の一種で血流を良くし、血栓が出来るのを防ぎ、体温を上げる働きもあって、冷えを予防する。免疫力アップに、有効なスグレモノである。

生のワサビをすりおろして食べ切れない時は、ラップして冷凍するとOK。  
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2006年06月24日

情熱こそが全てを変える

本日も、引き続き同じ本を読んでおりますが、本当にその通りだと思う部分をまず、

臨床医学のリーダーというものは、理論やテクニックを教えるだけでなく、患者を救おうとするパッション(情熱)を全身で教えることができるだけの資質が求められるはずだ。だが、日本の大学医学部にそういう資質を有するリーダーがどれだけそろっているだろうか。

これは、医学だけに当てはまる問題ではナイと思います。何かをしようとする時に、全身全霊を掛けるつもりでコトにあたるか否か、それは政治だろうとサッカーだろうと、教師とか様々な職業全てに通じるものです。

もう一つ、

奇蹟といっても、何もしなければ起きないんです。起きるだけのことをしたから奇蹟がおきるんです

ですよね。最後までアキラメずに、ギリギリまで努力すれば、奇蹟も起きると思いますが、ただ奇蹟を願ってばかりでは、奇蹟は起きないというコトです。

死の淵から生還した二十歳の男性の言葉も印象的です。

自分一人の命ではない。自分一人で生きているわけじゃない。みんなが心配してくれたから、みんなで生きてるんだなって気がします。

起こってしまったことは仕方がない。前向きで生きていかないと。

普通の人が普通にやっていることを普通にできれば、それがいちばん嬉しかった。

食事ができるようになるってことだけでも嬉しいことです。

元気でいると、元気なコトが当たり前になっていて、その大切さなんて、ちっとも感じません。
でも、普通に生きているだけで、とってもスゴイことだと、思わなければいけないのかもしれません。  
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天気と体調には密接な関係がある

おはようございます。元大関の北天祐さんも、若くしてお亡くなりになられた様です。梅雨のように天気が変わりやすい時は、体調を崩しやすかったりするものです。

神経系にダメージを受けている方々は、天気が悪くなるのを敏感に感じて、痛みとして訴えるコトがあります。ワタシも、≪むち打ち症≫になって、しばらくは天気が崩れる二日前になると、頭がズキズキしてとてもツラかったのを覚えています。「天気予報よりアタルね!」と子供達に言われてましたけど‥‥

最近は、ヨクなってきたので、時々大きく天気が崩れる前に多少調子が悪い時もありますが、かなりヨクなって来ましたので、前のように頭を金属の輪で締め付けられる様な感じは減りましたけど‥‥

ともあれ、そんな天気の時でなければツラくないので、下手をすると、≪むち打ち症≫は詐病と思われがちですが、とってもツラい時と、そうでない時の落差が激しいのです。それも気圧が変化するからだろうと何となく思ってましたが、昨夜の本にこういう一節があって、『あぁ、そうなんだ』と納得しました。

台風がすぐ近くを通ると、気圧がぐんと下がりますから、脳を抑えている大気圧の力が小さくなって、脳がふくらむんです。通常は頭蓋骨で密閉されているので、ほとんど大気圧の影響を受けないんですが‥‥

通常は‥‥ほとんど、というトコが問題なんですね。部分否定になるワケですから、「天気の変化に伴い、大気圧が小さくなる時は、脳がふくらむので、影響を受ける可能性がある」と読み取れます。

やっぱり、感覚的にタダ『気圧が変わるからだろうな』と思っているのと、実際に脳を観察してらっしゃる方の御話は、実体験に基づいているので、『そうなのだ』と確信させて頂けます。

ノンフィクションの話は、作者の主観が書き込まれている可能性はあるものの、真実にかなり近いものですから、(疑り深い性格だと思われるでしょうが、大学に入ってスグくらいの『文学概論』という講義で、ドイツ語の教授が、「皆さんは文学をやりたいと思ってらっしゃる方々だから、本はかなり読んでいると思いますが、活字を全て信じてはイケマセン。活字になっているからといって、真実とは限らないのです。著者の主観のフィルターが掛かっているコトを忘れてはいけませんよ」という趣旨のコトを言われて、かなりショックだったし、確かにその通りだと強く思いました。ともあれ、研究は全てを否定してから、否定しきれないものを真実として認めていく作業ですから)本当にタメになります。だから、時々、ジャンルを変えながら読書すると、本当に気分転換になります。考えてみると、最近、全然、小説を読んでの書き込みがありませんが、とりあえず、硬い話に頭が付いていってるからだろうと思います。これも、体調が戻ってきた証拠かも、事故直後は得意だった暗算も、ヨク出来ませんでした。脳も再生しますから。経験から考えるに、もっとヒドイ事故で脳にかなりのダメージを受けた人のフォローも、社会全体で考える必要性があると思います。  
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2006年06月23日

明るい性格は神経細胞を活性化する

本日、早朝、娘を駅まで送った帰りに、地区の公民館の前に、キープアウトと書かれた黄色いテープが張り巡らされ、警官が二人も物々しい感じで立っていたので、『何かあったかなぁ』と思ったら、昨日、小学校高学年の子供が道を聞かれた人に、車に引きずり込まれそうになったそうです。近くで、やっぱり同じくらいの自転車に乗った男の子が、車に連れ込まれそうになった場所があるので怖いです。

おまけに、朝刊で44歳の人が亡くなられたと≪おくやみ欄≫に書かれていたので、「まだ、若いのにお気の毒ですね」と主人の母に話したら、娘が帰って来て、クラスメートのお父さんが亡くなられたとのこと。「そういえば、44歳の人が‥‥」と、新聞で娘が確認したら、やっぱりそうでした。人生には、災難が突然降りかかってくるものだと、改めて実感しました。

たまたま、今日から読み始めたのは、
脳治療革命の朝(あした)
柳田邦男さんのノンフィクションです。

そこに、大学医学部の助教授が、

「多くの患者さんと家族を見てきて感じているのですが、性格の明るい人、そして家族の支えの強い人は、助かる率が高いんです。‥‥性格が明るい人というのは、神経細胞を活性化する物質をたくさん出しているんですよ」
その因果関係は科学的に実証されたわけではないのだが、実際、脳低温療法によって劇的に生還した人々の大部分は、物事を悲観的でなく肯定的に考え、積極的に生きようとする性格の持ち主なのだった。

という部分がある。『これって真実だよな〜』と整体の御客様達を思い浮かべると、そう思う。
性格の明るい方々は、絶対自然治癒力が高いと経験的に思うからです。だからこそ、元気で長生きしたいと思ったら、やっぱり物事は肯定的に考えて、積極的に生きる努力をするべきだと思います。  
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人生は何度でもやり直せる

おはようございます。ブラジル戦、予想していた結果とはいえ、残念でした。盛り上げようと、日本が勝てるようなシュミレーションを公共の電波で流すような変なコトは止めて、開幕する前から、冷静な戦況分析をマスコミには望みます。

日本人の特性の一つとして、ワーッと盛り上がって、パッと冷めるというコトがあり、ヨク考えれば、何時までも根に持たない性格とも言えますが‥‥ともあれ、この狭い国土で憎みあっていても、互いにイヤな思いをするだろうと思えば、こうした性格になるのも仕方ナクはありますが、強い気持ちを持つコトも大切です。

ただ仲良く仲良く暮らしていくだけでは、グローバル化した社会で勝ち抜くコトはとても難しいし、それでイイという価値観であれば、それも仕方ナイことですが、勝負の世界は厳しいのです。

≪井の中の蛙大海を知らず≫とは、正に日本人のコトだと思います。尊大にならず、謙虚になって世の中を見回して、何度でもチャレンジするコトを許す社会になって欲しいと思います。

それは、サッカーだけではナク。全てのコトで。

実を言うと、≪奈良≫という地名は本当にツライ場所なのです。大学時代の友人の弟は、京大の医学部の受験に失敗し、二浪して精神に異常をきたし、最後に友人を殺してしまい、そして、子供の育て方を親類に非難された友人の母親は首を吊って、自殺しました。東大寺のソバに、友人は眠っています。二十年ちょっとで、友人の人生は終わってしまいました。

彼女が生きていたら‥‥たらなんてコトは、もうあり得ないコトは判っていますが、どうしても時々そう思います。高校時代に文化祭の前夜に同級生が、飲酒運転の車にハネラれて、何日かの昏睡状態の後に、死亡しました。人生には、理不尽なコトがイッパイあります。それでも、生きてさえいれば、何度でも何度でもやり直せるのです。

生きているコトは、イイことばかりではありません。それでも、与えられた人生がある限り、生きていくしかありません。世の中には、望まずして、将来を失ってしまった人だっているのですから‥‥  
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2006年06月22日

奈良の高校生はツラ過ぎる

いよいよ明日の早朝は、ブラジル戦ですが、何はともあれ、精一杯やって欲しいです。オーストラリアに勝ち、クロアチアに分けて勝ち点4というのが、予選通過の一番堅いパターンでしたが、他のグループを見ても判る様に、アジア地区は相対的に世界のトップレベルとは差があります。それをしっかりと分析して今後に繋げて欲しいと思います。奇跡の勝利を期待はしてますが、以前に油断して日本に負けたコトがブラジルにはあるので、今回は柳の下にドジョウが二匹とは、おそらくいかないでしょう。でも、どうあろうと、この経験を次に活かすつもりで、選手には全力でチャレンジして欲しいと思います。そうすれば、万が一の可能性が生まれて来ると思います。

話は違い、奈良の少年がサッカーを見たくて民家の庭に忍び込み、寝てしまって気付かれて逮捕されたというニュースはとても気の毒です。

前に、「家業を継ぐのも医師は大変」というトコにも、チラっと書きましたが、親が医師以外で医師を目指す人々は、やっぱり自分で他の職業もあるのに、選んだというトコがあるから、そんなでもなかったですが、親の跡を継ぐという感じの人々には、とっても屈折している人の割合が多く、心理学でいわれる限定的承認、「親の跡を継げるくらいの子供であれば愛してあげる」式の育てられ方をされたからではないかと、今では思います。

朝のブログでは、何でオススメなんだよと思われそうなので、今度は本当にイイ本だというトコを今回の事件と絡めて書き込みます。

エディプス・コンプレックスについて、丁寧に説明してくれてます。詳しくは読んでいただくとして、「息子は父親殺しをしなければいけないのです。もちろん、実際に父親を殺すわけではなく、自分の中にある父親への依存心を追い出すことです。父親の力や価値観に頼りきりでは、自立は難しいのはだれでもわかるだろうが、実際に乗り越えるとなると意外と難しい。フロイトがエディプスの物語を引いて父殺しを暗示するくらい、それは困難な作業なのだ」と。

父親が偉大だと感じていればいるほど、壁は高く、父殺しは大変になります。だから、弱い母親や年下の兄弟が犠牲になったのだろうけど‥‥

職業も無数にあるのです。確かに、医師になるコトは、世間的に見て素晴らしいコトなのかもしれないけど、それ以外の職業だってイイではないですか。親の職業を無理やり継ごうとして、ツブれてしまう人も、ツブしてしまう人々も他の職業でも、イッパイいます。

実際に親に手を掛けたい子供はイナイと思います。追い込まれない限りは。子供達をあんまり追い詰めないであげてください。自分でやりたいと思えば、どんな苦労でも我慢出来ます。医師にしたいと思っても、本人が本気になるまで待ってあげないと、医師になれても不幸な人が増えてしまうと思います。無論、他の職業も同じですが‥‥  
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ナゼ友人の恋人と付き合う人がいるのか?

おはようございます。米国産牛肉輸入再開問題については、最早、論ずるに与わず。バカバカしいの一言です。牛肉を食べない様にするしかナイと思うばかりです。偽装されないコトを祈るばかりですし、つい最近、中外製薬の貧血薬に米国の牛の血液で誤って(?)作られたモノがあるというニュースに、少し怯えております。(貧血の治療をしていたもので‥‥薬の名前は覚えてないし)

ともあれ、昨夜の本で、何だかな〜と思った部分を交えて少し。

時々、恋人若しくは配偶者と友人が、恋愛関係になるという話があります。この辺から、恋愛にアプローチしてみましょう。

実際、そういうコトはあると思います。恋愛にまで発展しなくても、『イイな』と思った経験はケッコウあるハズ。

でも、考えてみれば、当然かもしれないのです。

友人というモノは、冷静に選びますよね。その基準というのは、自分の気持ちを判ってくれる人だったり、自分と感覚が似ていたり、自分を包み込んでくれたりと、イロイロあると思いますが、イヤなのに付き合うというコトは、脅迫でもされない限りあり得ないし、少なくともそんな人を友人とは認識しないと思います。

一方、恋するというのは、昨夜の本にも引用されているスタンダールの「恋愛論」によれば、枯れ枝が塩の結晶によって、キラキラと輝いて見えるわけです。

それは、自分の投影であったりしますから、自分と似ている部分に惹かれたり、自分にナイものを求めたりするワケです。友人との関係とそっくり‥‥

だから、実は、恋人の友人こそが、真の自分の求めていた人物像だったりしてしまうし(情熱恋愛)、してはイケナイ恋をしている気分にさせてくれるし(趣味恋愛)、同性で交われないとアキラメテいる友人の変わりになるし(肉体恋愛)、自分の方がモテているという虚栄心を満足させてくれるし(虚栄恋愛)と、スタンダールの述べる四つの恋愛形式のどれをも満たすものだったりするからでしょう。

思想家キョルケゴールの恋愛は、クソ真面目で、おかしな選択だと述べられていますが、人間が100%理想通りでナイのですから、結局、恋を最終的に昇華させようとしたら、≪好きだけど、会わない≫という選択しかナイと思います。

この意味で、結婚と盲目的な恋愛の両立は難しいし、「純度」が低くなければ「恋愛結婚」は長続きしないし、著者が述べているように、様々な女性との付き合いをして、婚約を破棄されそうになって、でも許してくれたような母親の愛に包まれている感じを「恋愛結婚」と名付けられて推奨されるのは、『???』なのです。

≪恋愛はしてみて頂きたい≫、でも、結婚は好きだから乗り越えられるというよりも、一緒に暮らしたら楽しいだろうと思う人と、冷静な目を持って付き合い、踏み切って頂きたいものです。
『アタシとしたコトが(吉行淳之介)』と思うのが本当の恋愛ならば、結婚して破局したとしても、それは当然だとワタシは思うので‥‥  
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2006年06月21日

「恋する力」を哲学する

タイトルがとても面白いので、思わず借りて、すぐ読んでしまいました。
「恋する力」を哲学する PHP新書
恋愛感については、ちょっと違うかな? なんて思うのですが、恋に臆病な人には、ゼヒ読んで恋したいと思って欲しいものです。

ともあれ、この本の中にソ連について書かれている部分があり、

人間は畢竟(ひっきょう)、自己中心的に考えたり感じたりする生き物である。一生懸命に働いて、それに見合う報酬を得られるからこそ働こうという意欲も湧く。必死に働いても、人間はみな平等なのだからといわれて、ろくに働いてもいない人間と同じ給料しかもらえなければ、労働意欲は減退する。
逆に働かなくてもそこそこの給料がもらえる、あるいは要領よく立ち回れば濡れ手に粟になると人々が思えば、国家経済を食い物にしかねない。実際、一部の人間が利益を独占し、大多数の人間が犠牲になる悲惨な国家が出現してしまった。

あれ‥‥今の日本みたい‥‥

そうなると人々は、自分たちが働かないことは棚上げして、不平不満を口にしはじめる。
「こんなになってしまったのは、いったいだれのせいなのだ!?」
決まって自分たちの不幸を、だれかのせいにしたくなる。ニーチェはこういう状態に陥った人々を、ルサマンチン人間と呼んだ。実際は自分たちが誤った価値観を採用し、生き方を間違えたために不幸を招いたのに、他人のせいにしてひたすら不平不満を抱く人々である。

でも、続けてニーチェは言う。

過酷な運命が目の前に立ち塞がることがあるかもしれない。しかし、どんなことがあっても、自分の人生から降りることはできない。そして、どんな人生だって隈なく見渡せば必ずいいことはある。だから頑張って生きていこうと。

そう思って生きるしかナイのだと思います。それにしても、一部の人間が利益を独占し、大多数の人間が犠牲になる悲惨な国家は、ソ連だけでは無くなってしまった様ですね。  
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肩書きで判断するのは止めよう

おはようございます。それにしてもスゴすぎましたね。何がって? モチロン、日銀総裁のコトです。厚顔無恥というか、ナント言うべきか。世界に対する日本の顔であるという、自覚も無ければ、モラルもナイ。これでマスマス、心ある人々の日本に対する信頼は地に落ちるのは確実だと思います。

前に信頼のおける方から聞いた話ですが、日銀の短観とかリポートなどは、地方銀行が下書きしたものを適当にアレンジしているだけだそうで、実際、転勤ばっかりの日銀マンに、その地方の現状などよく判るはずもナク、転勤に際してはかなりの転勤手当ても出るらしいので、仕事もハードではナイ上に、かなりオイシイ御仕事をなさってらっしゃる方々のトップなのですから、あの程度の倫理観でも、当然なのかもしれませんが‥‥

長野県知事選も、ハチャメチャになっています。全国の方々は報道されないので、御存知ないだろうと思いますので、書き込みます。

「和して同せず」というのはワタシの大好きな言葉の一つですが、その言葉は、「小人は同じて和せず」と続くのです。≪仲良くしても、相違はあるものだから、それを大事にするべき≫というのに対して、≪つまらない人間は、同じようなフリをしているが、バラバラで協調出来ない≫というコトなのですが、現知事に対する候補を擁立する方々は、正にバラバラ。自ら墓穴を掘っている様なものです。

だから、ワタシの周囲の人々も、「今の知事が、もう少し大人になって、しっかりやってくれるのが一番イイ」という意見に集約されてきています。ま、そうだろうなと思います。知事に対して何が不満で、どうしたいというコトが全然県民に見えず、ただ、誰を立てたら勝てるかばっかりで右往左往しているのを見ていたら、普通の人なら、そう思うと思いますよ。

最初に知事を推薦した、県内銀行の元頭取が、「県民のみなさんへ 鳴りやまぬ『目覚まし時計』をもう止めましょう」という異例の意見広告を地方紙に出し、それは当選させないための事前運動で公職選挙法違反ではないかと、弁護士が地検に告発したそうです。それに対して、「私の立場を明確にしただけで、現知事の立候補を妨害し、選挙民に投票しないよう呼び掛ける意図など全くなかった」とのコト。なりやまぬ『目覚まし時計』は知事を指しているのですけど、全文を読まなくても、この題名でこのコメントはナイでしょう。

「最初に推薦したのだから、我が身はどうなろうとも‥‥」という様なコメントだったら、大した人物だと思いましたが。

自分の意見や行動には責任があるコトくらい、高い地位に就いた方々にはお判りにならないのかと、とっても不思議です。一個人がネットで何か書くのと、全然意味が違うのです。日本は≪ギルド社会≫ですから、高い地位に就かれた方々は、ホトンド責任を追及されずに終わるかもしれません。でも、そういう行為こそが、今の青少年に悪影響を及ぼしているコトを認識して頂きたいのです。「恥の美学」は古来から日本の最たるものでした。それを壊しているのは、子供達ではナク、傲慢な大人だと自省して頂ければと思いますけど‥‥  
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2006年06月20日

ネット中毒にならないタメに

メール、ゲーム、インター・ネットというメディアにハマって、子供が変質しているのではないかという警告本があります。
いまどき中学生白書
片時も携帯を放せないとか、ゲームばっかりしている男の子や、一日300通もメールのやりとりしている女の子、ネットにハマっている子供達。

でも、これは中学生だけではナイと思います。中毒症状が書かれてますので、ゼヒ読んで、今の自分の状態を振り返ってみてください。

〇間を決めているのに守れない‥‥約束した時間を守れず、ずるずるひきずられてしまう。

¬訝戮まで起きていたり朝起きられなくなったりする‥‥メディアに熱中するあまり、生活のリズムが乱れ、翌日の集中力や意欲に影響する。

3惺擦里海箸おろそかになる‥‥学校をするべき仕事に置き換えて考えてください。

い靴覆い肇ぅ薀ぅ蕕靴突遒礎紊ない‥‥接してないと、禁断症状が出る。怒りっぽくなったり、気持ちが落ち着かないなど。

ゲ搬欧簍Э佑茲衢ダ茲垢襦邸展充造凌祐峇愀犬茲蠅癲▲瓮妊アに触れたがる。

Σ浸にも気力がなく、興味ややる気がわかない‥‥依存しているメディア以外への意欲や根気、関心が低下していく。

Г瓦泙したり、ウソをついたりする‥‥していることをごまかしたり、してないとウソをつく。

┐笋瓩気擦茲Δ箸垢襪繁集澄∨塾呂鬚佞襪Α邸殿膺佑靴ったのに、やめさせようとした時に逆に怒りだして、暴言、暴力をふるう。

ぼんやりして集中力がない。成績が下がる‥‥顔つきがぼんやりして、集中力や覇気がなくなる。

現実よりもメディアの方が大事‥‥そう答えるようになったら、現実と仮想の逆転している可能性があります。

身体への悪影響‥‥体調不良になる。視力低下、肥満、腰痛、頭痛、運動不足、腱鞘炎など

子供でなくても、やたらメールを必死に打っている人をタマに見かけます。大人は、誰も止めてくれる人が居ないのですから、中毒症状が出ていると思ったら、自制されるコトをオススメします。(「お母さんもね」と娘に言われておりますが‥‥)  
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自分の中に毒を持て

おはようございます。それにしても、キレイな女の子の足を傷付けたい‥‥何のこっちゃ? 世の中には、メチャメチャ変わった人間が増殖しているんだなと驚きます。

人間の心には、天使の心も悪魔の心も住んではいます。でも、それをある程度、コントロールして初めて人間なのに、人間の皮を被っているだけの動物では困りますね。そうなるには、そうなるだけの理由はあるんだと思いますけど、それにしても‥‥
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか
タイトルに魅かれて借りてきて、読もうとして表紙を見て気付きました。著者が、岡本太郎画伯だったコトに‥‥図書館で、ロッカーにカバンを入れてからしか室内に行けないので、貴重品を移そうとして、財布がナイことにパニクってたので、アワテテ借りて来たからだと思いますが(粗忽モノなので‥‥)、借りて来てヨカッタ!! ついでに財布もあってヨカッタ!!

「芸術は爆発だ!!」という有名な言葉や、大阪万博(ダイザラザウルス? というジェットコースターで遊んでばっかりだったのですが)で太陽の塔を見せては頂きましたが、国文科卒の人間としては、岡本かの子さんの息子さんというイメージが強く、岡本太郎さん自身にそんなに関心が正直なトコロなかったのですが、スゴイ本です。

独身を貫こうとするスタイルや子供はイラナイという考え方は、ちょっとかなり変わった子供時代を生きられた方だからなぁとは思いますけど、それ以外はホボ共鳴します。

政治はまことに政治屋さんの政治。経済人は利潤だけを道徳の基準にしている。そのモノポリー、両者のなれあいがすべてを堕落させ、不毛にさせる。これを根本的にひっくりかえし、「芸術」、つまり純粋な人間的存在と対決させることによって生命力・精神を生きかえらせなければならない。

若い頃、ヘンリー・ミラーの本を読んで衝撃を受けましたが、それと同じくらいの感動を受けました。絵のトコロに、短く書かれた文章は、ズバッと心をえぐられる感じがします。スゴイ人だったんだなぁと、没後十年以上も経って気付きましたが、この本が15年前に既に書かれていたコトにも驚きました。感性が鋭い人は、将来を読む力があるので、現在読んでも少しも遜色はありません。それにしても、現在のマスマス堕落した世の中に画伯が生きてらっしゃったら、何をおっしゃったか、ゼヒお聞きしたいような感じです。  
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2006年06月19日

自分の頭で考えよう

本日は、とても忙しかった上に、昨夜、クロアチア戦を見てから寝たので、とっても疲れました。仕事が終わって、一寝入りしてから、晩御飯の用意をして、食べてからなので、更新が遅くなりました。
養老孟司の“逆さメガネ”
ベストセラーになった「バカの壁」の著者の本です。ベストセラーには、少々アレルギーがあるので、スグ読みたいとあまり思わない悪い癖がありますが、そのうちに誰も飽きて読まなくなったコロにでも、落ち着いて読むかもしれません。なので、読まれた方に、そんなコトは知ってると思われるかもしれません。同じ様なコトが書かれていたとすると‥‥でも、知らないので、許してくださいね。

教育畑を歩いて来た方なので、現代の子供や青年が変わっているのを肌で感じてらしただろうから、判るコトがイッパイあるみたいです。

教授室を訪ねたオウムの学生を評して、「まとも、かつおかしい」、「入院するような病気とは違います。それでいて、考えていることが正常とはいえない」と。

「変わらない私」というコトはナク、人間は日々、脱皮して行くのです。新しい自分が、日々生まれるのだとしたら、「なりたい自分」になるべきなのだと、著者は述べています。多様性の高い社会、さまざまな能力が生かされる可能性が高い社会。本当にそんな社会が来ればいいし、そういう社会を作ろうと努力しなくてはいけないのだと改めて思いました。  
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人生はやり直せる

おはようございます。クロアチア戦、よく引き分けましたね。ホトンド押されてましたが、よく粘ったと思います。

ああいう押された試合で、一点拾えるとラッキーな勝利が転がりこむので、期待してましたが、残念でした。オーストラリア戦で、あの守りが出来ていたら‥‥と思わないでもナイですが、過ぎたコトは悔やんでも仕方ないので、ブラジル戦に期待しましょう。ブラジルは、心は決勝リーグでしょうから。でも、おそらく二線級でも、日本より強い可能性もありますが、イイ経験になると思います。日本の戦力を分析出来ずに、戦った太平洋戦争を少し思い出しますが、勝てそうでは、決して勝てないのだから、よりしっかりした作戦が必要だし、勝ちたかったら、その時だけでなく、スポーツ界への建設的な投資も当然大事だと思いますけど‥‥

ただ、今だから書き込めますが、スピードスケートの選手をヨク知る人が、選手を評して「苦労が足りない」と言ってました。「練習はキツイかもしれないけど、高給を貰って練習させて貰っているコトに甘えている」とも。日本が豊かになって、ハングリー精神は欠乏し、なんとなく生きていける世の中になった。それは、それでイイことなのかもしれないけど、おそらくそれでは、石にしがみついても勝ちたいとは思わないでしょう。選手は、日本人の縮図なのかもしれません。意識改革から始めないと、マスマス大変なコトになるんじゃないかと思います。

話は違い、
不良少年の夢 ―全国から集まってきた高校中退者や不登校生徒と共に戦う“元不良”だった教師の熱き挑戦!
という本があります。

長野市出身なので、現在は横浜市の教育委員になった著者は、長野のローカル紙である「信濃毎日新聞」で月曜日に若者の相談にアドバイスするコーナーもあるのですが、この本を読むと、壮絶な青春を乗り越えて来たからこそと思ったりもします。

前の「ひきこもりなんて したくなかった」といい、「だから、あなたも生きぬいて」といい、真面目で不器用だからこそ、道を踏み外してしまう人がいます。でも、その人達の再生には、必ず誰かが彼等の全てを受け入れ、諭し、そしてやっぱり家族がそれなりのフォローをしています。

家族によって、ボロボロになったとしても、ほんの少しでいいから、ぬくもりを感じ、そして、家族外の人々によって、自立して行く。

だとするならば、我々は自分の子供を、他人の子供を少しでもいいから愛情を注いで、世の中を悪くするのではナク、世の中を良くしようとする人間に再生してもらう方が、とてもイイに決まってます。

私たちの出来るコトはケッコウいろいろありそうな気がします。そのタメにも、「再生の物語」を読んで、人生の可能性を味わってみてください。≪あきらめない限り、人生は何度でもやり直しが出来る≫のです。  
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2006年06月18日

ガンに梅が効く!!

梅を食用にするのは、日本、中国、台湾・韓国など東アジアの諸国だけだそうです。やっぱり、昔から交流した地域だからだと思います。やっぱり、近隣諸国とは仲良くする方法を探らないといけないんじゃないでしょうか?

朝のお約束通り、「日本農業新聞」の「アンドユー」からくだもの図鑑「梅」の特集です。

梅加工品のスッパさは、クエン酸によるもので、筋肉の疲労回復を早めます。

日本でもポリフェノール類の研究が進んでいるのですが、今年、韓国の研究機関が梅に新たな抗がん物質を見つけました。「プルネート」と呼ばれるポリフェノールの一種で、梅干しや梅酒、梅肉エキスなどの加工品にも、この成分が残っているとみられてます。

梅肉エキスのみに含まれる、ムメフラールは血液の流れを良くする作用があるらしく、生の梅には含まれずに、加熱してエキスを取り出す時に糖と結合してできる。

漢方薬の世界では、梅の効能は、胃腸を丈夫にする、下痢止め、解熱、吐き気止めなど。

民間の伝承では、抗菌や食欲増進効果があるとされている。

ただ、未熟な青梅にはアミグダリンという青酸化合物が多く含まれている。胃の中の酵素によって青酸という毒物に変化するので、生食は避けた方が賢明です。

梅干しの種の中の仁には、アミグダリンが減ってはいるものの、残っている可能性がある。健康への影響は、よく分かってないので注意が必要です。

梅は、バラ科サクラ亜科サクラ属スモモ亜種に分類されるので、アンズやスモモの仲間。梅は、アンズと交雑しやすく、「白加賀」「養老」「紅加賀」はアンズの血が入ってる。

というコトは、アンズもモチロン身体にイイというコトですね。ともあれ、昔から食べられているものは、美味しいだけでなく、身体にイイというコトがあるので、何でも満遍なく食べて元気になってくださいね。  
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≪ひきこもり≫の真実

おはようございます。図書館に本を返す都合で、「アンドユー」の健康になる食べ物の情報は夜に回させてください。今回は「梅」です。

さて、色々と≪ひきこもり≫の人についての提言はありますが、実際に体験して克服した人の本は、そんなにナク、著者と全く同じ経験をした人ばかりではナイと思いますが、こういうコトで引きこもってしまった人もいるのだと、「目からウロコ」の気持ちです。
ひきこもりなんて、したくなかった
中学二年生で不登校になり、六年間、ひきこもりを余儀なくされた後で、信頼出来る精神科医とめぐりあって、現在は自立しているのですが、学歴主義に支配された学校の教師、昔の時代の栄華にしがみつき、子供の学力を判断する、かなり問題のある親、そして、医療機関による人格崩壊、当初から一貫して「医者は選ばないと、とんでもナイことになる」という話を薬疹を通して話しましたが、本当にそうです。

「フリースクール」にも、優劣があり、「不登校は治療の対象とすべきではない」などというカルト宗教のような団体。

ふつうの学校で、ふつうのカリキュラムで、ふつうの学生生活をするのが夢だったのに、彼女の気持ちを全然理解しようとせずに、泥沼にハマって行かされる女の子の激白は、想像ではナイだけに、真実の重みがあります。

彼女の記憶に空白があるのは、おそらく思い出したくナイ凄い体験があったからなのでしょう。

前に「悲しみに言葉を」という本の話をしましたが、おそらく空白に言葉を書き込めた時に、彼女は真の意味で再生出来るのだろうと思いました。彼女にとって、あまりに大きい傷だったので、切り離すコトでしか、生き残れなかったのだろうから‥‥

それでも、これだけのコトを話してくれたから、我々は≪ひきこもった≫人の真実の声を聞き、対策や予防などを考えるコトが出来ます。

ゼヒ、一度、少しでも関心があるならば、この本を読んでみて、思い込みから脱却してみてください。繊細だったがゆえに、分解してしまった彼女の再生の物語は、きっとアナタの心をゆさぶる何かがあるハズです。  
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2006年06月17日

独りでいるコトは、そんなに悪くない

さて、この本の最後です。

「もしかすると、私は、とてつもなく孤独なのではないか」
そんなさみしさや空虚感を感じることが少なくない。と著者は言う。

でも、ワタシは今は、ホトンドそんなコトを感じない。

独りでいる時、本を読んでいるコトがとても多いのだが、そういう時は、本を書いた人と対話している様なものだから、少しも淋しくない。そうでない時は、疲れているので、何も考えず頭を空っぽにして、寝ていたい気分なので、淋しがっているヒマが無い。

加えて、職業柄、他人と違うからイイというコトを実感している。それは、相手の痛みを想像するだけなので、多少我慢してもらってでも、凝っているトコを刺激するから、コリがほぐれるのであると思っているので、自分自身だったら、痛過ぎて出来ないコトが出来るのだ。当然のコトながら、自分のコリは自分ではホトンドほぐせない。主人に頼んで、少々(我慢出来ないホドではツラ過ぎるけど)の痛みは我慢しても、ほぐしてもらうと、それなりに身体が軽くなる。

違う肉体だから出来るコトだと思うが、意識もそうだ。他人と必ずしも意見が一致するとは限らない。皆、ワタシと同じ考え方をするならば、話をする楽しみも、本を読む楽しみも無くなってしまうだろう。

違うから、こうじゃないかと自分の意見を話し、他人の意見も聞くのがイイのであって、タマの意見の一致が嬉しかったりするのだが、それが全て一致していたとしたら‥‥考えるだけでもオソロシイ。皆、一人一人別々の考え方を持っていて、それなりに生きているからイイのだと思う。

目指す人生の方向もバラバラだろうし、興味も関心も全然違うから、思いもよらないコトを聞くコトが出来る。違う肉体だから、抱き合えば、他人のぬくもりを感じるコトが出来る。それでイイのだと思う。

独りで生まれて来て、独りで死ぬ。だからこそ、「縁」があって一緒になれた人に優しく出来るのではないだろうか。誰しも、その人のオリジナルの人生を生きるコトが宿命なのだ。

それを受け入れて、死ぬ瞬間まで、たった一つの自分の人生をひたすら生きる以外に方法はナイ。そんなに人生は長いものでもナイようだ。歳をすればするホド、時間は加速度的に速く過ぎ去って行く。今年、一年始まったと思ったら、もう半年が過ぎようとしている。おそらく、もう既に人生の半分を終えてしまったのではないかと思っている。(長生き出来れば別だが)過ぎてしまえば、人生の半分と思われる時間も、アッという間だったような気がする。

人生は、突然、死神に呼ばれるコトすらある。ワタシの母がそうであったように。有限の時間を悲しんでいる余裕は、もうワタシには残されてナイ様だ。この世は仮の世だという思想もある。虚しいというならば、全てが虚しいのかもしれない。だとしても、この瞬間、瞬間を生きる以外に方法はナイのだから、生かされているコトを感謝しつつ、来るべき死の瞬間まで、自分自身の人生を生きるしかないのだと思っている。  
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フォーカシングのやり方

おはようございます。時間がナイので、方法を短めに書き込みます。詳しく知りたい方は、
やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方
という本があるそうですので、それを読んでみてください。その本の抜粋を再び抜粋してますので‥‥

,らだの感じに注意を向けていきましょう‥‥身体全体のすべてのパーツの部分、部分の一つ一つ(足とか腕とか腰など内臓も含め、あらゆる部分)に注意を向けて、「何か気になる感じはないかな」と問いかけてみましょう。

⊆,法⊆分の内側に注意を向けながら、こう問いかけてみましょう‥‥「注意を引きたがっているもの、関心を向けて欲しいものはないかな」「何か知ってもらいたがっているものはないかな」「最近、私の生活はどんな感じかな」「今『何もかも大丈夫』と言いきれないなら、邪魔しているものは何かな」と。既に、気になっている問題や人、夢などがあるならば、その問いに答えようとはしないで、身体からの反応を静かに根気良く待ちましょう。

2燭が出て来たと思ったら、それに挨拶して、認めてあげましょう‥‥どんなものが出て来ても否定せず、そのまま認めてあげましょう。幾つも出て来たら、その一つ一つに挨拶して、深入りせずに、そのままでいると、一番強い何かが、おのずと浮上してきます。

そ个突茲拭岾某粥廚亡鵑蠹困辰董関心を注ぎ、じっくり眺めてください。

ァ岼貊錣傍錣討いい」と尋ねて、「いい」という答えが返って来たら、そこから何かが出て来るのを静かに待ちましょう。ムリしてこじあけようとはしないでください。

Δ修隆兇犬砲圓辰燭蠅る言葉やイメージ、音、動作を探し、反応が返って来た時は、「そう。わかったよ」と受け止めましょう。

Ы个突茲燭發里、本当にフィットするのか、身体に戻して、確かめてみましょう‥‥「もっとぴったりくる言葉やイメージはないかな」などと、「もう充分」と思えるまで、出て来たものを受け止め、味わいましょう。

┰个突茲燭發里、抽象的過ぎたら、具体的な現実の中に答えがナイか自分に問いかけましょう‥‥「似たものはありませんか?」と。

「もっとそこに何かないかな」と「核心」が伝えたがっているコトをそれ自体に尋ねてみましょう‥‥「もっとある」と答えたら、そのまま継続し、特にナイのなら、終わっていいか尋ねます。

終わってもいいと答えが返って来たら、プロセスの中でイチバンぴったりしたもの(今のアナタの位置)に目印をつけ、全てのプロセスに感謝して、ゆっくりと終わりにしましょう‥‥「今日は本当にありがとう」と自分の身体、出て来てくれた全てに感謝の言葉をかけ、「また戻って来るからね」とやさしく伝えましょう。

可能ならば、信頼出来る人、心を許せる人に側にいて聴いてもらえば、集中力が増します。側の人は、出て来た相手の言葉をタダ繰り返してあげるのが一番です。それ以外の何かをするくらいなら、何もせずにタダ聴いてあげてください。  
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2006年06月16日

自分の心の声を聴く方法

フォーカシングという、忙しい現代人にピッタリのセルフヘルプの方法があります。

自分で自分をカウンセリングするのです。

自分の心の中のさまざまな部分から、発せられる声なき声を自分で聴き取るよう努力してみるのです。

それによって、その時々に必要としている心のメッセージ、生きるヒントを受け取れます。

感情に自分の全てを占領されているつもりの時、人間は他者の言葉を受け入れるコトすら出来ません。

私は悲しい。つまり、私の全てが悲しみで同一化していると身動きが取れなくなります。

でも、少し距離を取って、自分を冷静に見つめれば、「私の中に悲しんでいる部分がある」コトに気付くはずです。

悲しいだけではナイ感情だって、アナタの中には必ずあるはずです。

ともあれ、心の中には、ネガティブな感情、悲しみや怒り、苦痛、疲れなどの感情もあり、そうした感情を否定したとしても、存在しているコトに変わりはありません。

ネガティブな感情を認め、そして、それがアナタの全てではナイことに気付いたら、そのネガティブな部分を切り離せばいいのです。

分離が出来さえすれば、ネガタイブな感情に左右されにくくなります。

マタ、分離さえ出来れば、ネガティブな感情を冷静に分析するコトも出来ます。

何故、自分はネガティブな感情に支配されてしまったのか、というコトを‥‥

本日は、忙しかったので、フォーカシングのエクササイズを書き込みたいのですが、疲れてしまったので、明日に回させてください。  
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自分の心の声に素直になるために

おはようございます。再び、福井総裁への批判から書き込みます。確定申告をしているというのに、答えられない理由を推理すると(あくまで推理なんですが)、ファンドがケイマンという外国に置かれてたのですから、「サムライ債」の可能性を考えてしまいます。「サムライ債」だとすると、売った時に損をしても税金は所得から控除されませんが、利益が出た時には、一銭も税金を払わなくてイイ仕組みになっているそうです。最近まで、そんなコトは知りませんでしたが、今の金融商品で税金が≪ゼロ≫のものがあり、そういう知識の沢山ある人々だったら‥‥なんて想像し過ぎですか? 

≪通貨の番人≫でありながら、平気で民間の株式を所有する人なのですから。少なくともアメリカでは考えられないですし、金融常識のナイ国だと、世界各国の良識のある人々達に、日本はインサイダーまみれの国だと、再認識させただろうと思いますけどね。本当は、そういう国の品位を汚す人間をコソ≪売国奴≫と呼ぶべきなのですが‥‥高い地位に就く者は、高い倫理観を持ち合わせてなければイケナイのは、先進国の常識です。勝手に、先進国だと思い上がっている日本の汚点ですね。

日本人は≪禊(みそぎ)≫をしさえすれば、それで許されると思っている八百万の神の国で、それはそれでそんなに悪いコトとは思いません(誰しもアヤマチはあるので)が、グローバル・スタンダードを標榜したいならば、それはダメです。一神教においては、罪は罪として一生消せないのです。神の裁きがあるまでは‥‥

では、本題です。

ロジャーズによる≪より深く、自分自身に根ざした自分≫に変わる方法。

 峙兇蠅硫礁漫廚鮹Δい如◆屬△襪ままの自分」になっていく。
◆屬海Δ△襪戮」とか「こうするべき」から自由になっていく。
ひたすら、他の人の期待を満たし続けていくことをやめる。
ぢ召凌佑魎遒个垢燭瓩法⊆分を型にはめるのをやめる。

それから、

ー分で自分の進む方向を決めるようになっていく。
結果ではなく、プロセスそのものを生きるようになる。
J儔修鉾爾κ雑さを生きるようになっていく。
ぜ分自身の経験に開かれ、自分が今、何を感じているかに気づくようになっていく。
ゼ分のことをもっと信頼するようになっていく。
β召凌佑鬚發辰伴け入れるようになっていく。

他者からの期待や「こうあるべき」という思い込み、仮面をつけていた「偽りの自分」からの解放が必要だということなのです。  
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2006年06月15日

『一人でいられる能力』を大切にする

一人になって、自分を見つめ直して得られるモノは、自分自身の心の自由です。

ニーチェの言葉に、

あらゆる人間はあらゆる時代と同様に、今でもまだ奴隷と自由人に分かれている。なぜなら、自分の一日の三分の二を自分のためにもっていない者は奴隷であるから。そのほかの点では、たとえ彼が政治家・役人・学者など何者であろうとしても同じことである。

この本の著者は、『睡眠時間を除いた三分の二の時間を、純粋に「自分のため」に使えるような自由時間として確保できてはじめて、私たちは人間らしい生活を送ることができる。』と解釈してますが、ワタシには、ニーチェが述べているのは、人生の三分の二の時間、つまり起きて意識のある時間において、自己の信念を曲げずに生きれるならば≪自由人≫であり、どんなに高い地位についていようとも、自己の信念を他人の意見に左右される様ならば≪奴隷≫だと言いたいのだと思いますけど‥‥

職場、家庭、学校、地域などなど、我々には様々なしがらみがありますが、その鎖を断ち切り、自ら信じる道を行けるがどうかが、鍵になります。あまりに強く社会のシステムに巻き込まれ、過剰に適応しようとし、自分自身を見失ってしまいそうになるとき、自分自身の心の声を取り戻すことの意義を大切にしなくてはイケマセン。

『一人でいられる能力』とは、乳幼児期に母親といっしょにいながらして、ひとりであった、という体験であると、精神分析学者のD・W・ウィニコットは述べている。

母親がソバに居てくれて、呼べばスグに何かをしてくれるとしても、結局、人間は他人とは違う人格なのです。自分を見守ってくれる誰かの存在を認識し、心の中でその人を頼りにしながら、自分ひとりでいられるようになるのですが、だとしても、人間は「独り」で自分の人生を生きるしかナイのです。

自分をしっかり持ち、自分で自分の人生を生きている、という実感の持てる生き方。いわゆる自己実現をした生き方。それが大切だというコトなのです。  
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自分の最大の味方は自分

おはようございます。

福井総裁のニュースを聞いていて思うのは、「違法なコトをしたファンドに出資‥‥」という趣旨のコトが述べられますが、合法であろうとなかろうと、「公定歩合の番人」が、金利の上げ下げによって価値が変動しかねないモノに出資するのは、モラルがナイというコトです。そのタメに高い給料を貰っているのですから、そんなコトは当然のコトです。

戦時中に闇の物資を食べるのは法に反すると、配給のみで暮らして栄養失調で亡くなられた検事さんだったか、裁判官だったかが過去にいらしたという話を聞いた様な気がします。凡人は「何もそこまで」というか、そういう方こそ、生き抜いて世の中を正して頂きたいと思うのですが、ソクラテスにも勝るとも劣らない立派な方だと思います。そういう方の爪の垢を飲んで頂きたいような人々が、あまりに多過ぎるので‥‥

さて、続きです。

我々は人生という終身刑を与えられたようなものなのです。必ずドコかに、人生の終わりがあり、時として死刑確定者のように、突然、死が襲い掛かって来るコトすらあります。だからと自暴自棄になってもツマリマセン。日々、生きているコトを大事ににして、よりよい一日になるように努力するしかナイのです。

人生で一番大事なコトは、自分の応援団になるコトです。イヤなトコも、ステキなトコも全部ひっくるめて一番知っている自分の。聖人君子にも(程度ものですけどね)、極悪人にもなりきれないのが、普通の人間です。デコボコがあっても、それでイイではありませんか。

そして、その自分を認めてくれる人が、一人でも二人でもいてくれたら、感謝すべきです。数の多さよりも、質が問題です。

たとえ、良き理解者に恵まれなくても、自分が人生をひたむきに掘り下げて生きようとさえすれば、独りでもちっともツラクはナイし、逆にそんなアナタを応援する人が生まれるかもしれません。

それでも、最小限のソーシャルスキルは大事です。自分らしい生き方を模索しているアナタを嫉妬の渦で邪魔されないように。他人の話を聞き、他人を認めましょう。アナタがこの世で尊いように、他人も全て尊いのです。それを自覚さえすれば、世の中はさほど険悪なモノにはならないハズです。  
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2006年06月14日

ゲシュタルトの祈り

というコトで、イイと思う部分に、違うと思うトコは少し変更して書いていきます。

ゲシュタルト療法の創始者、フレデリック・パールズの詩を読んでみてください。

 わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。

 わたしはあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

 あなたはわたしの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

 あなたはあなた、わたしはわたし。

 もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。

 もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。

そう思って生きていくべきなのだと思います。全ての人を理解するコトは出来ないし、おそらく自分のコトすら、果たして理解出来ているのかどうか。他人も同じです。あなたを理解したがる人ばかりがいてくれるとは思えません。それでも、あなたを理解しようとしてくれる人がいるとしたら、それはとても喜ばしいことです。

仲良くしたいと互いに思える人とは仲良く出来ても、それ以外の人とは仲良く出来ないことは、ままあるコトだと割り切るコトが大事です。

「全ての人に見捨てられたら、大変だ」などと思っていたら、とても無理です。イヤな人に仲間ハズレにされても、一人ぼっちであっても、人間は生きていけます。

ただ、それには強い意志が必要になります。

孤独になった自分を否定したり、自分を責めていたりしては、孤独にツブされてしまいます。

独りでいるから、見えて来る真実もあるものです。皆と一緒だったら、見過ごしてしまいそうなコトも、見えたとしたら、それはあなたにイイことなのかもしれません。

非合理的な信念は捨てて、合理的な信念を身に付けなくてはいけないのです。  
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独りでいるコトの楽しさと、皆でいるコトの楽しさは別物

おはようございます。本日、御紹介したい本はそれなりにとてもイイ本なのです。でも、それなりに、とただし書きを付けたのは、「ヘッ!!」と思うコトがあり、それを今回は最初に書いてから、説明させて頂きます。ちなみに、本の紹介で何も潤うコトもナク、お金を貰って新聞等に寄稿しているワケではないのですから、著者にこびへつらう必要性はありません。それでも、これはイイと思う部分もあるので、最初に注意を喚起した上で書き込みたいと思います。

おそらく、この本を読む人が念頭にあるからだと思いますが(本当にそう思っているのかもしれませんが)、題名もスゴイ。
孤独であるためのレッスン
大体の趣旨は間違ってナイと思うのですが、無理やり孤独であろうとする必要はナイような‥‥好きな時に、独りの時間を持って、他人の目に臆するコトのナイ人生を送ろうというだけで充分かと思いますが‥‥

ともあれ、結婚に対して、金銭的判断がスゴイ。生活レベルの水準を述べる感覚が、今風ではあるものの、少しも本人が思っているホド、革新的ではないと思います。収入のいい男性と結婚するコトがスバラシイ式の発想があり、惚れていたならばともかく式の考え方は、何時の時代のモノなのか。現代は、主夫する男性も存在する時代だというのに‥‥

「損」だとか、「得」だとかばかり考えてたら、子供なんて産めません。親がとっても経済的なお宅(かなりオブラートに包んだ言い方しているのですけど)のお子さんには、独身の方が正直なトコロ、ケッコウ見受けられます。働かずに消費する人間がいるのですから、子供がいればお金がかかるのは当然です。でも、子供を愛している人は必ずこうおっしゃいます。「仕事なんかで、イヤなコトがあっても、子供の顔を見れば癒される。子供の笑顔は何物にも変えがたい」と。

太宰治の『斜陽』を読んで、シングル・マザーは「かっこいい。潔い」と手放しで絶賛してますが、ナルシスティクな太宰は心中して、人生終わりですが、当時の法律では、本当に大変な目に遭っただろうと思いながら、決死の思いで子供を育てたであろう未婚の母親やその子供に対する想像力の欠如には驚きます。

夫婦は他人ですから、幾らでもやり直せると思いますが、子供にとってはたった一人の父親であり、母親なのです。それを忘れての離婚を容認する態度も変。

結婚の前段階で、父親たるに相応しい(金銭面よりも子供を愛する能力があるかとか精神面を特に)男性なのか、母親になってもやっていける女性なのかを見極めて、互いに何か欠如しているものがあったとしても、それを埋めていけるかどうかが問題なのです。≪ベターハーフ≫という言葉があります。人間は不完全です。だから、二人で満月になる努力が大事なのです。結婚とはそういうものではナイでしょうか? 無論、子供などイラナイという選択肢も、双方が望めばアリでしょうが。

と、かなり批判しても、この本はイイところが沢山あるのです。違う意見のトコがあっても、相手の優れた部分は大事にしてあげる。そういう気持ちが、人間関係には大事だと思います。

今晩からは、この本のイイ部分を、紹介させて頂きます。  
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2006年06月13日

こんな馬鹿げた国はナイ!!

あまりにアホらしいニュースに怒っております。

何かって? 判る人は判りますよね。今日のニュースで、ワタシが一番頭に来そうなニュースはモチロン、「日銀総裁が村上ファンドに出資していた」コトです。

世界のドコの国で中央銀行の総裁が、そんなバカバカしい真似をするのでしょう?

そんな調子だから、国債の格付けが、後進国並みなのです。

オマケにそれを大したコトだと思わない人々が、国のトップに居るなんて、これこそ≪日本の恥≫なのですが、全く恥ずかしいとの認識はナイようで、前にも書きましたが、インサイダー取引が横行している国ですからね。これじゃ、アホらしくて、外国人投資家も日本なんて、大事な自分のお金の運用先にしたくないでしょうね。

昔から、知ってはいても、まさか中央銀行のトップがそこまでやるとは思いませんでしたけど‥‥

前から、何度もクドクドと言ってますが、我が国の青少年がオカシイならば、その責任はその親だけでナク、国の上層部の人々にあるのです。

真面目に、正しいコトをしている人が国のトップならば、それを見ている青少年もそのようになりたいと思うでしょう。二世、三世ばかりが政治家やってて、苦労知らずのボンボンが、ママゴトみたいなコトばっかり言っていて、楽しているのを見ていたら、真面目に努力なんてしようと思うハズないではありませんか!!

にも係わらずに、国を愛せだなんて、チャンチャラおかしくて、笑っちゃいます。

「俺を愛せ!」と強制されて、「はい、そうですか」なんて本気で愛すハズはナイでしょ。愛すべきモノは、黙ってたって、愛すのです。

そんなコトすら判らない人々には、インサイダーだって、三ツ矢サイダーの仲間くらいにしか思えないのかもしれませんが、三ツ矢サイダーはのどをスッキリさせてくれますが、インサンダーは国民のはらわたを煮え繰り返すだけなのですが‥‥あまりのバカバカしさに、言葉も無くしてしまいそうなのが、逆に怖いけど、こんなコトに慣れてしまってはイケナイのです。

政治が貧困なのは、国民が貧困だからなのです。将来の日本に希望が持ちたいならば、しっかり注目していきましょうね!!  
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一番恐れていた結果が‥‥

おはようございます。やっぱりと言えるのかもしれませんが、一番恐れていた精神力のもろさが出た試合になりました。

ドイツに引き分けて、喜んでいた人が多かったですが、危惧していた通りになりました。昨夜、ナミナミさんからのコメントにお答えした様に、守備力の欠如が致命的に出てしまいましたね。

せめて、1-2で負けて欲しかったのに、それもカナわず‥‥何度も戦えるリーグ戦とは違い、こういう試合は、とにかく「負けない」コトが一番大事なのです。『兵法』の教えではないですが。

ともあれ、ヨーロッパでの試合なのですから、日本組が多い日本と、イングランド組が多いオーストラリアでは、技術以上に最大の敵があります。それは≪時差≫。オリンピックの時にも書きましたが、長野オリンピックで、ものスゴイ結果が出たのも、他国が時差にやられたからであり、この前の日韓ワールドカップで、それなりに日韓が活躍できたのも、ソレだと思うのです。
だから、クロアチア戦もかなり危ないとは思っています。それでも、イヨイヨ≪背水の陣≫ですから、全力を尽くして欲しいものです。

≪カッコよく≫生きたい、勝ちたいという考え方が、日本には蔓延してますが、「武士道」や「美学」といっても、ヨク考えてください。宮本武蔵が佐々木小次郎に勝ったのは、ワザと遅れて到着して、相手のアセリを誘ったからです。五分五分だったとしたら、多少ズルくても、少しでも自分に利があるようにするのが戦術です。

日本は、ポピュラーな野球で言えば、広岡監督とか、森監督とか、野村監督はそんなにメジャーになりません。でも、スター軍団でもナイ選手を率いて、団結力で勝ってこそ、監督の腕の見せ所なのではないでしょうか?

≪名選手は名監督にあらず≫監督して精進した人こそが、名監督になれるのであって、名選手であったか否かなんて、ホトンド関係ありません。人間的にイロイロあったとかで辞めさせられたけれど、トルシェ監督はさほどの選手ではなかったですが、それなりにイイ監督だったと思います。彼が中国の監督になったのですから、四年後に日本は、ワールドカップに出るコトすらも大変になると思います。

そういう厳しい現実認識が日本には欠如している様な気も‥‥ニートになる人の中には、シャレた仕事ならいいけど、下積みなんてみたいなコトを言う人やその親もいたりしますが、泥だらけになって働く方が、親のスネをかじって生きるより、何十倍もステキなコトなのに‥‥

ともあれ、精神力の充実に、復古主義の国粋主義の復活だけはゴメンです。泥沼の中に咲く、ハスの花の様に、泥の中にこそ養分は含まれていますし、その養分を蓄えて咲くからハスはあんなに可憐で綺麗なのです。

もし、三戦全敗になったとしても、それはそれで経験として活かせばイイのです。それでも、ファンとしては、奇跡の二連勝を心の底から願ってはいますけど。我々は、何があろうと、ソコから学ばなくてはイケマセン。その気持ちを無くして不遜になってしまうと、思わぬ敗北が待っているのです。  
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2006年06月12日

≪教養≫とは何なのか?

いよいよワールドカップの日本戦だというのに、本日疲れ果てていて最後まで見れるかどうか判りません‥‥それでも、四年越しでやっとワールドカップのピッチに立てる高原の勇姿だけは、ほんの少しでもナマで見たいと思ってますが‥‥それでも、これだけは書き込んでおきます。何故なら、今朝の記事は、今晩の記事を書く前に書きたいと思って書いたからです。
「教養」は死んだか―日本人の古典・道徳・宗教
全体としては、とてもイイ本なのです。でも、『老子』『荘子』は、厳密な意味では〈古典〉ではなかった‥‥と書くほどの方なので、儒教古典学こそが大事だと考えてらっしゃるのは、ちょっと頂けないかと‥‥

≪教養≫は無用の用であるならば、かつては〈実学〉であった昔に逆行させても仕方ナイと思うのです。

無用だからこそ、イヤ無用であっても知りたいと思う気持ちがあって、読むコトから、≪教養≫は身に付くのです。

ゲームソフトで道徳を学ばせたいなどという斬新なアイディアはスゴイと思いますが、教育勅語や天皇制に対する考え方には‥‥

教え込むコトなどよりも、自らが率先して行うコトが先だと思うのです。

儒教よりも、老荘思想の方が、混沌とした現代を切り開く可能性があると思います。儒教思想は、トップの人々には喜ばれるかもしれませんが、万人を幸せに出来るとは思えません。規律正しい生活を強制するよりも、規律正しい生活をしている人を見て、ああなりたいと思うコトこそが大事なのではないでしょうか?

学ぶというコトは、〈真似る〉コトから始まるのです。教員の質も、知識の豊富さもさるコトながら、生徒を愛し、育てるコトが好きで、その模範になろうと思うような人になりたいという強い意思があるコトの方がより大事だと思います。

それを選別してから、知識の有無によって採用を決めて頂きたい。そうしたら、不祥事も減るだろうし、子供も伸び伸び育つと思うのです。やっぱり理想論なのかもしれませんけど‥‥  
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攻撃は最大の防御なのか?

おはようございます。今夜は日本のワールドカップ初戦。精一杯、全力を出して欲しいですが、勝負は≪時の運≫、出来るだけのコトはやって来たのですから、アトは精神力だけの戦いです。

スポーツはどんなに激しく戦ったとしても、それが宿命ですからイイのですが、実戦となるとそうもいかず‥‥

徐々に世界が凶悪化しているような‥‥≪目には目を≫というのはイスラムの教えですが、キリスト教の人々もそうなってしまっては、世界がギスギスしていくだけです。イスラム教徒だって好んで争おうとしているワケではなく、足を踏まれ続けていてはダメという意味なんだろうと思います。

かくいう日本も、アメリカの戦力に巻き込まれようとしています。「日本国憲法」の改正、「教育基本法」、「共謀罪」‥‥どれか一つだけでも心配なのに、矢継ぎばやに続々と手を打たれては‥‥

自衛権くらいは、憲法でも認められるのだというくらいの憲法解釈は誰もが異論はナイでしょう。でも、ドンドンそれは拡大解釈されています。

だとしても、第9条があればこそ、それでも一定の歯止めにはなったと思います。だとするならば、憲法で軍隊を持つコトの正当性が明記されたら、自衛のタメの戦争に巻き込まれかねなくなりはしませんか?

今回のイラク戦争だって、イラクには大量殺戮兵器があって、それから世界を守るという大義名分はあったのです。

世界戦争への足音が近付いて来ているだけでなく、世界の環境破壊による地球の汚染や資源の枯渇などなど、我々は快適さを手にした引き換えに、世界の自然のバランスを破壊しているのかもしれません。

戦争は特に自然を破壊します。世界には、様々な人種もいるし、様々な宗教を信じる人もいる。一神教ならばこそ、許せないコトもあるのだと思うのですが、≪小異を捨てて、大同につく≫という言葉もあります。

『この地球を守りたい』という崇高な理念のモトに、世界中は仲良く出来ないのでしょうか?

ツマラナイ理想と笑われても、そうしない限り、人類の未来もナイのだと思いますけど‥‥  
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2006年06月11日

「明日の記憶」で泣かされました‥‥

やっと見たいと思っていた映画を見に行けました。
明日の記憶
日本の名作として語り継がれるだろうと思うくらい、とってもイイ映画でした。

主人と十数年振りに映画を見たかも‥‥子供をどちらかが連れて映画とかばっかりで、大人の映画はビデオレンタルばっかりだったから。中学生になると、親が外出しても平気になってくるので、子供が生まれてから初めての夫婦水入らずの映画でした。テーマは重過ぎだったけど‥‥

ともあれ、渡辺謙さんは、よくぞココまで映画で主役を張らずに来たというか、この映画のタメに初主演を残していただけのコトはあると言うべきか、ココで初主演させたかったから、神様は彼に病魔と闘わせ、主演すべき映画を降板させたのだとすら言うべき熱演でした。

それにしても、滝沢秀治さんの怪演というか、熱唱もスゴ過ぎましたけど‥‥

「阿弥陀堂だより」でもヨカッタけど、樋口可南子さんが淡々としようとしている押さえた演技で、逆に涙がボロボロこぼれて仕方ありませんでした。

長野の東映は近々閉鎖するらしいので、ゼヒ、その前にどうしてもと思って行ったのですが、我が青春の「祇園会館」を思い出させる桟敷のある映画館が無くなるのはかなりツライ。昔から、桟敷席の一番前がお気に入りの映画を見る場所なので。ともあれ大きな会場であの位の入りだと閉鎖もやむ得ないかもと思いつつ、見て来ました。座席も古いので、腰が痛くなったけど、それでも見たい映画でしたが‥‥

時の流れと共に、迫り来る「老年」への恐怖も感じました。渡辺謙さんとは、ホボ一緒の年齢なので‥‥古びた映画館のように、人間も老いて、死んでいくのだなと妙に物悲しくなりました。
≪天命≫とはいうものの、脳の病気は本人も周囲もとってもツライです。優しかった叔父がボケてしまって、ツライ思いをしているだけに、とっても身に沁みた映画でした。

やっぱり、頭をゴシゴシと強くマッサージでもして、少しでも血行を良くして、ワタシもボケないように努力しようと思いました。アルツハイマー病に効くかは判りませんが、血行を良くすればホトンドの病気が防げるので、今の段階ではそれしかないから‥‥帰りに、思わず冷凍国産カボチャを買って煮物にして食べました。そんな気分になってしまう映画です。

あらすじは書き込んではマズイので、気になる方はもう少し上映しているようですから、直接映画館で!!  
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夏はキュウリ!!

おはようございます。日曜日の朝の定番、「日本農業新聞」の「アンドユー」から「やさい図鑑」、本日は「キュウリ」です。

キュウリは95%が水分、というコトはその他の成分は少ないというコトですが、でも、通年、皆に食べられています。

栄養素の中で、比較的多く含まれるのはカリウム。

塩分の取り過ぎから高血圧になるナトリウムを、体外に出す働きがあり、そのカリウムを増加させるには、ぬか漬けがオススメ。ぬかのカリウムもキュウリに入るので、生と比べるとぬか漬けのカリウム含有量は3倍に増える。

特有の青臭さの香りはキュウリアルコール、さわやかな後味はリンゴ酸が、噛むと組織細胞がつぶれて出て来る。

品種改良で少なくなった苦味は、クルルビタシン。微量でも感じ、香りとの相乗効果で食欲増進に。

キュウリには噛む楽しみがあり、さくっとした噛み応えに、後味の残らない爽やかさ。そういう食感が人気なのだとか。

ホトンドが水分なので、暑い時にのどの渇きを癒し、身体の熱を取る。塩や味噌と一緒に、外で丸かじりも出来る。

東京に少し行っていた時に、仲良くなった同年代の不動産屋さんに(既婚者だったので、互いに下心なく友達になった最初の男性かも。そのコロ、こっちは独身だったけど、パートナーが居ると判ってた方が男女間の友情関係は存続しやすいとか思います)長野に帰って来てから、残務整理に少し立ち寄った時に、タマタマ親戚から東京にこれから行くと言っても、無理やり持たされたキュウリを、持ち帰るのも何だからとお土産代わりにした時に、「露地モノだから、オイシイと思うよ」と渡したら、「えっ!! キュウリに旬なんてあるの?」と言われてしまったけど、その後電話した時に、「あんなに美味しいキュウリを今まで食べたコトはなかった!!」と感激されてしまいました。

都会の皆さん、キュウリはこれから夏までが、旬なのです。温室栽培ではナク、太陽を一杯に浴びたキュウリを食べて、来たるべき夏バテを克服してくださいね。今は、梅雨ですが‥‥  
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2006年06月10日

トリック劇場版2を見てきました!!

トリック トロワジェムパルティー DVD-BOX
モチロン、上のDVDではナク、新作を子供と一緒に、見て大笑いしてきました。新作の写真を取り込むのは、ワタシにはムリなので‥‥

久々にバカバカしくて面白かったです。「海猿」とは違った意味で、実に見ごたえのある映画です。

かなりパクっているというか、パロディにしているので、そっちも面白かったかも‥‥

ストレス発散には最適でしたね。

やっぱり仲間さんは、着物よりも洋服の方が似合うかも‥‥着物は着つけないと、身体にフィットしないからかもしれませんが。

ウソでもイイからダマされたいという気持ちになるのも判りますが、やっぱり綺麗じゃなくても真実の方がワタシは好きです。汚れている現実の中で、ちゃんと生きていきたいと思いました。

映画は、この位しか書き込めないのがツライ‥‥  
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pingが送信出来ないみたいです

昨夜から、pingが不調‥‥

これも、載らないかもしれませんが‥‥  
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一言で人の気持ちは全然違う

おはようございます。今、県内の住宅着工数が8%くらい増加しているのは、団塊ジュニアの人々が30代くらいになっているからだと、ニュースで読まれてましたが、それにしても、最近は前から住んでいる人と、新しく越して来た人とのトラブルも絶えないようです。

区費や公民館費を払いたくないとゴネたり、そしてそういう人はゴミは出さないからと入ってきながら平気でコッソリゴミを出したり、公民館なんて使わないからとイイながら子供はクリスマス会にお菓子を貰いに来させたり‥‥

どこでも、そんなコトはあるとは聞いてましたが、我が家の周りも≪親方日の丸≫なので、土地の税金を納める必要はナイからと放置されていた郵政省の用地が売却され、工事が続々と行われています。

前にも、挨拶もせずに工事をして、何の挨拶もせずに住んでいる人がいるとは書きましたが、正直変わった人達とは付き合いたくない方なので、それはそれでイイと思ってますが、昨日は激怒しました。工事の人達に。確かに、そちらは「工事中ご迷惑お掛けします」とは挨拶には来てますが、それ以降、周辺住民に平気で迷惑を掛けまくり、皆さん、我が家にあんなコトがあった、こんなコトがあったとストレス発散にいらっしゃいます。

とにかく、変な人とは関係を持たないを主義としているワタシですが、サスガに昨日はキレましたね。

片側交互通行の看板のママで、黙って全面通行止めを決行したのです。しかも、朝から顔を合わせているのに、何の前触れもナク、昼頃から、「イキナリ!!」

我が家は完全予約制なのですが、午前に「今日来たいんですが‥‥」という御予約があり、「午後三時からなら、お受け出来ます」と初めての方に予約して頂きました。電話番号をお聞きしなかったので、突然の通行止めも連絡出来ず、三時には御客様はお見えになりませんでした。

なので、元受けの会社に顔の効く方に連絡したり、市役所の専門の方に連絡したら、とりあえず謝っておこうという気持ちがアリアリの方が、二人お見えになりました。「もう済んでしまったコトですから」と暖簾に腕押しの人には言っておきましたが、平気なんですよね。ズウズウしいコトをしても。

お隣の焼き鳥屋さんも、「我が家の敷地を踏まなくては、トラックだって、出入り出来ないのに、何時も御迷惑掛けてすまないとの言葉も無ければ、朝、顔を合わせても、朝の挨拶すらナイのよ」と常日頃、おっしゃってますから‥‥

何事も、適切に一言の言葉を掛けるだけで、全然人の気持ちは違うのですけどね。それが、判らない人々が、日本には増殖している様です‥‥  
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2006年06月09日

いよいよワールドカップ!!

もうスグ、ワールドカップが始まると思うと、ワクワクしますね。今頃、主人の友人は、ドイツにいるのでしょうか?(過去ログの「ワールドカップにオファーが!!」を御覧下さい)

行きたかったなドイツとか思いつつ、明日も仕事です。子供達は、中学の大会の応援に行かなくてはイケマセン。やっぱ、ムリ‥‥

でも、そうやってしたいコトだって諦めるべきだと思ったら、アキラメないとダメなんだと思います。今の犯罪の多くは、本当に自分でしたいコトをしっかり見つけようとせず、その時、その時のしたいコトを追いかけていて、ただその場の空気に流された結果というものも見受けられます。といって、我慢ばっかりしていた人は、突然もう我慢しきれなくなったみたいで、警察、僧侶、教師ナドナドの方々に、突発的な犯罪も多く‥‥何しろ、幼児にまで、「将来の夢は?」と聞いたら、「公務員」と答えるように教育する方々もいらっしゃる様で‥‥将来の夢くらいは、何でもイイじゃないかと思うのですが‥‥どうせ、人間なれるものにしか、なれないのだし、子供のコロの夢くらい、もっと大きなモノがいいんじゃないかと思うのですが‥‥

そう考えると、ワールドカップに出て来る人は、おそらく子供のコロからの夢を果たしているのだろうと思います。

夢を掴むタメには、ものスゴイ練習があったと思うし、怪我もあったと思います。それでも、晴れて夢の大舞台に立つ、一人一人に声援を送りたいと思います。(日本の選手だけでナク)

今は、現実に汚れてしまった人になったけど、釜本選手だってスゴイ人だったのです。(若い人は知らないでしょうけど、そのコロからのサッカーファンだったので)でも、引退して、現実の汚れに染まってしまったのを見ると、本当に悲しくなります。日本のスポーツ界では、アマチュアを引退すると、ボロボロになった身体以外、何も残らないようなお気の毒な方々もいて、それが日本のスポーツの裾野が広がらない原因だと思いますが、それでも好きで好きでやっている人々に、こういう時だけ盛り上がるのではナク、サポートすべきだと思うのですが‥‥

サッカーくじだって、運営している人のフトコロを肥やすだけでなく、より多くのサッカー選手の引退時の一時金とかになるのなら、≪寄付プラスくじ≫というコトで、好きな人は買いたくなるだろうに、直接サッカーをしている人よりも部外者が潤うようなシステムじゃ、流行らないと思いますね。

サッカーが好きな人が考えるコトと、サッカーブームを利用しようと思う人の気持ちは全然違うから‥‥

オリンピックと同じで、その時だけ盛り上がるのではナク、長期的なビジョンを持って、日本が栄光の頂点に立てる様に考えなくては、同じ予選の中で最低の優勝の可能性のオッズが付いている現状を打破出来ないと思います。

何で、こんな硬い話してるんだと思うかもしれませんが、前に書きましたが、「勝つには勝つだけのコトをしておかなければ、勝てないのです」負ける時は、運に見放されてしまって負けるコトもありますが‥‥どんな結果になろうとも、それを忘れていては、予選を勝ち抜くコトは出来ても、栄光のゴールを手にするコトは難しいでしょう。とりあえず、予選だけでも、突破して欲しいものです。初戦のオーストラリアはヒディンク監督がいるので、簡単には勝てないかもしれませんが、何とかして身長差を打破して欲しいと心から願っています。   
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実在する「平気でうそをつく人たち」

おはようございます。前に、「平気でうそをつく人たち」という本を精神医学の本の中で、五月末に何回かに分けて書きましたが、そういう人々が続々とニュースをにぎわせています。

盗作したに決まっていると誰が見ても思う作品をまだウソで塗り込めようとする画家であるとか、証拠を突きつけられてもウソが付ける余地があればと何の罪もナイ子供を殺してシラをきりたがる母親でもあった女とか‥‥

見方によっては、そんな人々ばっかりなのかもしれません。ホリエモンに応援されて、当選した方々は皆さん、そんなコトはシランプリですし‥‥

あの時点では、書き込みしなかった部分の中にこんな感じの箇所があります。

「平気でうそをつく人たち」の中には、精神科医の間でしばしば「一時性精神分裂」と呼ばれているものがあり、通常は世の中で上手くやっていて、本格的な精神分裂病になることもなく、入院も必要としないが、一時的に、特にストレスを受けた時に思考の混乱を見せ、それが明らかに「典型的」な精神分裂症のように見える人たちの症状を、われわれ精神科医はそう呼んでいる。これは、公式の診断カテゴリーではなく、明確に規定すべき条件が十分にわかってないし、これが真の精神分裂病と実際に関係があるのかどうかさえ、わかってない。

しかしながら、こうした明瞭性の欠如にもかかわらず、この問題は提起すべきものである。

精神医学は、私が邪悪性と呼ぶものを包括する。これまでとは違ったタイプの人格障害を認識すべき時が来ていると私は考えている。自己の責任の放棄はあらゆる人格障害の特徴となっている‥‥という記述を読むと、裁判における精神鑑定について、ものスゴク疑問が湧く。

完全に正常で、残虐なコトが出来る人間はいるのだろうか? EQのトコでも書き込みましたが、情動を一時的に抑えられない人間もいる。だとしたら、そういう人はどのような範疇に含まれるのだろうか? 

我々は、冷静に「死刑制度」の是非や、「精神障害者」の認定の仕方、量刑を減刑すべきなのか否か、検討すべき時が来ているのではないでしょうか? オウム真理教の教祖が、精神的に病んでいたのかどうかも考えるべきなのかもしれませんが、失われた命、傷付けられた犠牲者、そして遺族の方々のコトを思う時、もっと一部の人の意見だけでナク、より多くの人の意見を聞いて、人が人を裁くというコトの意味や難しさナドナドをじっくり判断しながらも、こうあるべきという大体のコンセンサスを見つけておかなければ、イケナイのではないでしょうか? 自分の身内が犠牲になった時、自分の家族が精神を病んだ時、その両方の立場になったつもりで、真摯になって考えておかないと、裁判員制度も見切り発車的にスタートしますが、裁判員に選ばれたとしても苦悩するに違いありません。

全てのコトは、決して他人事だと無視してられるワケではないのだと思います。  
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2006年06月08日

人はどうして占いにすがるのか?

この前、「トリック」の映画が公開されるからと、前の映画をTVでやってるのを聞きながら(子供がしっかり見ていて、今度の週末には新作を見て連れていって欲しいと頼まれてます。しっかり、宣言にハマっています)ブログの書き込みをしていた時に、≪良心的な占い≫というのがあって、男の子が欲しい人には「男」と書いた札を、女の子が欲しい人には「女」と書いた札を一万円で渡して、当たらなかった人には、一万五千円を返金するという仕組みだと、男女の生まれる確立はホボ半分だから、二人いれば二万円入金して、一万五千円返金という可能性が高く、当たった人はスゴイと宣伝してくれるだろうし、ハズれた人も一万円が五千円も増えて返って来たのだから、文句はナイのでトラブルにもならなければ、悪口も言わないだろうから、十人なら二万五千円、百人来れば二十五万円の利益が出る可能性が高いという箇所がありました。

ま、確かにそうだなと納得しましたが、そんなコトについて分析している本に出会いました。「占いの謎(板橋作美・文春新書)」という本です。

それによれば、占いというのは、しばしば逆のことを同時に言うのがミソなのだとか。例えば、人物を描写する場合に「外向的で、愛想が良く、社交的ですが、内にこもってしまい、慎重で遠慮がちになるときもあります」というように、相反する性格を同時に言えば、人は、当たっていることだけを見るのだから、どちらかの自分に当てはまる部分だけを信じてしまうのだという。

法医学の権威ある人物が、被験者にうその血液型、例えば「A型」だと告げて、A型の気質一覧を示して、確かに当たっていると答えた人に、「本当はB型」と教えても、こんどはB型の気質から、自分に合った気質を引き出して、やっぱり当たっていると言う。

人間は、占いの中から、自分に当たっていると思われるものを見つけ出し、いかもイイ気分にさせてくれるものは、当たっていると思いたがるのだ。

占いは、当たらない場合の説明も簡単である。悪い占いが当たらなかったら、頑張ったから結果を変えられたと言い、良い占いが当たらなかったら、占いに安心して怠けていたからと言うのである。

ラッキーカラーとか、ラッキーアイテムとかで、悪運を変えると紹介すれば、吉凶のどちらになろうと、小物によってラッキーになったのであり、やっぱり不運だったら仕方ないのどちらかになるのだ。

何だか、宗教にハマってしまった人が、悪いコトがあると自分の精進がマダ足りないと言い、良いコトがあると教祖様の御蔭と言うのと似ているような‥‥

結局、人間は人生を無意味でデタラメなものとしては受け入れがたいので、そういう人間のあり方にかかわり、世界が偶然ではなく、必然と捕らえたいがタメに発生してきたものなので、どんなに科学が進歩しようと、占いに頼る人はいなくならないだろうと書かれてました。

そうかもしれませんね。ナルホドと思いました。  
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人としてどうすべきなのか?

おはようございます。

『総研』は詐欺の立件がムリみたいです。結局、≪トカゲの尻尾切り≫なのでしょうか? ともあれ、我々は見掛けにダマされないようにしなくてはイケマセン。横文字に目くらましになりやすいコトを自覚しなければ。

「仕手」と聞けばそれなりの注意も払えるのに、「ファンド」と聞けば何だか素敵な響きに心動かされてしまったり、「コンサルタント」と聞けば必ず素晴らしい指導が受けられると思ったり、皆、人間なのですから、スーパーマンも居なければ、神や仏の様な善人ばかりではナイのです。

中には、神仏を語って、金品を巻き上げようとする≪バチあたり≫が、平気で宗教家として世の中を渡り歩いているではありませんか。見た目がヨクても、じっくり見れば(特に目)やましい人はケッコウいます。最近は、確信犯が多くて、堂々としているワルがはびこってますが、娘がTV画面を見て言いました。「盗作画家とヒューザーの社長の顔が似ている」と。確かに、言われてみれば、それぞれのパーツこそ違え、雰囲気は似ています。そういう直観を大事にしていって欲しいものです。

ともあれ、悲哀の解決に必要なのは、感情の表出だけなのです。

苦しんでいる人を見たら、すぐさま治療が必要という訳ではないが、「そのうち良くなるよ」などと言って、彼らの苦痛を見過ごすべきではなく、彼らの感情や、彼らの喪失感、傷ついた感情をいかに重要なものと思っているかを軽視しないことです。

他者の語る物語に耳を傾けること。喪失を経験した人は、自分の気持ちをうち明けることの出来る人、是非を判断せずに受け入れてくれる人、自分の言葉に耳を傾け自分が適切と思うように援助してくれる人を求めているのです。

十代の少年少女などは、自分の感情を動かすような仲間や恋人の影響を特に受けやすく、特に少年の方が自殺を考えやすく、相手の女性を説得して道連れにしようとする場合もあります。

親しい人を失いたく無ければ、常日頃から、他者の悩みを聞き、信頼される関係を構築しておくべきなのです。マタ、そうであればこそ、貴方が傷付いた時には、必ず貴方を支えたいと思う人がいてくれるのです。世の中は、ギブ・アンド・テイクなのです。まず、貴方から、より多くの人々に精神面で与えるコトを始めてみませんか? 少しでも住み良い世の中になるかもしれません。  
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2006年06月07日

立ち直る秘訣

祝祭日だけでナクとも、役立ちそうなコトが書かれています。

仝充妥になる。祝祭日には魅惑的な気分になるとか、自分の問題が解決されるというような期待を持たない。

悲嘆という現実を受け入れる。自分の感情に素直になり、それを押さえ込もうとしない。泣きたければ、泣きたいだけ泣く。祝祭日が喪失感を強めることがあることを理解する。

人生のなかで良いことを探す。健康、家族、友人、仕事、なんでもよい。自分が大切に思っていることに対して感謝の念をもつ。それらを書き留めておき、自分の人生には何も良いことがない、という気持ちになったときにはいつでも見られるようにしておく。

ぜ分の体調に細心の注意を払う。バランスの良い食事をする。砂糖やアルコール、たばこ、カフェインは最小限にする。休養を十分に取る。身体のためによいと思うことをする時間を十分にとる。何か自分だけの特別なことを定期的に行なう。

ゼ分がやるべきだと思っていること、やってはいけないと思っていることについて、過度の期待を持たないこと。たとえば、すべての誘いを受け入れる必要があるのかどうか考える。物事を無理に引き起こしたり完璧を期したりしない。それは逆効果になるだけである。

自分を最もよく支えてくれる人と一緒にいるようにする。特別の日のためには特別な計画を前もって立てる。家族に前もって自分の計画を知らせる。自分に何が必要か、家族に何を期待しているか伝えておく必要がある。

Ъ分の経験していることを本当に理解してくれる人を見つけて、その人に自分の気持ちを打ち明ける。悲嘆のサポート・グループにいる友人は、祝祭日の時期には支持や助言や親しい交わりの源泉として実に貴重な存在である。

┿犲圓坊桧佞鯢修稿段未米のために、簡単な記念の儀式を作っておく。簡単なものであっても、人生の変化に意味を与えてくれるし、苦痛を乗り越える助けにもなる。

ユーモアのセンスを失わず、できればさらに養う。祝祭日を過度に生真面目なものにしないようにする。もし深刻ぶったり張りつめ過ぎていると感じたら、良い意味での笑いを盛り込むようにする。馬鹿げたこと、滑稽なことを自分でやってみる。笑いは緊張とストレスを和らげる良い方法である。

自分自身の持つ精神力を信頼する。

ぜひ、お試し頂きたいと思います。  
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悲しみに対する実践的方法

おはようございます。悲観にくれる人には、≪明日は我が身≫と思って親身になるコトが大切なのですが、では、悲しみからの脱却にはどうすればイイのか。実際に有効とされる方法を次に書いておきます。(「生と死のセンター」が奨める心得より)

〜喙困鮓充造里發里版Г瓩襦

△△擦蕕困忙間をかける。癒しの過程は、たどたどしくも着実に歩みを進める性質のものである。

十分な休養を取り、日常の決まった用事もきちんと時間をかけて行なう。

ずは強力で圧倒されるような感情も、時間とともに弱まることを知っておく。

ゼ分の弱さを隠さずに示し、痛みを分かち合ってもらい、周囲の支えを受け入れるだけの謙虚さを持つ。

生あるものに囲まれた環境で過ごす。たとえば植物や動物、友人など。

反動で深い関係を新たに持つことや、重要な決断、習慣性になるものすべてを避ける。

日記をつけ、上手くいったこと、思い出、大変だったことを記録する。

変化に対して心の準備をする。新しい関心、新しい友人、孤独、創造性、成長が待っている。

(自分自身および他者を)許すことが癒しの過程の重要な一部分であることを認識する。

死にかかわる新たな危機が、過去の喪失への感情をもたげさせることを理解する。

祝祭日や記念日になると、すでに折り合いを付けたと思っていた苦しい感情が再び沸き上がる可能性があることを知る。

最後の項目について、アイオワ大学の児童専門病院が詳しく方法を挙げてますが、それは晩に書かせてください‥‥  
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2006年06月06日

公認されない悲観に光を

さて、今朝の続きです。言われてみればそうなんだと思う様なことがあります。確認するタメに皆さんも考えてみてください。

.┘ぅ献鵐亜焚知陝法邸添廼瓠▲▲鵐船┘ぅ献鵐阿箸いΩ斥佞ある様に、若くあるべきだという概念が大きくなればなるほど、年齢ゆえに、または年齢にともなう欠陥があるはずだという理由で選択肢が即座に制限されてしまうとき、その人は差別の対象になる。美容外科手術は、老化による身体面の喪失に対する前向きな対処の一つと言えるかもしれない。しかし、気品を持って人生の辛苦を受け入れ、死そのものを自然の経験と考えるというのも一つの立場である。ほかの多くの経験と同じように、死は(回避ではなく)尊敬に値するものであると同時に、人間として誰もが与えられる運命の内で最も過酷なものなのである。

⊆殺‥‥現代社会では死を美化したり、騒いだりし過ぎであり、同時に死の現実を否定しているので、身近な人が自殺すると、心に負担がかかるのである。自殺されると、残された人は解決出来ない大きな喪失感を持って生きていくようになる。遺族が示すさまざまな反応の中には、ショックと事実の否定、怒り、恥と罪悪感、引きこもり、抑うつ、自己破壊、そして意味の探求などといったPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状も含まれる。自殺の際に何か出来ることがあったのではないかという罪悪感に駆られるように仕向けてしまう。しかし、建設的に向きあえば、恐怖も肯定的で力を与えてくれる情動になりうるというのだ。本人の気の持ち方、周りの人が心の平静と希望をどれだけ強化してくれるか、家族の援助、これらが残された人に力を与えるための鍵となる。残された人が自殺した人を許してあげられるようにならなければならない。許すことによって、恥と罪悪感が和らぐのだという。

K塾枠蛤瓠邸堵鏗下圓呂燭世任気┷甍感を感じたり、他者を信頼できなくなったりしているのに、友人までもが傷つけるような態度を取るようになるためだと考える。これは犯罪のことや自分が犯罪に巻き込まれることを考えるのが嫌で、犯罪の被害者を避けるようになるためだと考えられる。犯人がまだ逮捕されてなかったり、判決で有罪が確定していなかったりというように、事件が未解決のままだと、家族の心の傷もふさがらないのだが、そのような喪失を体験した友人や知人の話を聞いてあげられるのはせいぜい二週間程度だという。心臓発作を起こして一命をとりとめた人が医者に健康状態をチェックしてもらうのと同じように、被害者や遺族もカウンセリングなどプロの人に心の健康状態を定期的にチェックしてもらうべきだという。

その他にも、女性がガンで乳房や子宮を摘出したり、近親姦の被害者になったり、人種による偏見とか、ペットが死んだり、拒食症や摂食障害になったり、戦争や大量虐殺、ホロコーストからの生還者(電車事故とかの生存者なども)目撃してしまった体験が否応なしに意識のなかに侵入してくるのである。

そういう人達にどう手を差し出すのかが、考えるべき問題なのだというのです。  
Posted by seitaisikoyuri at 22:15Comments(0)TrackBack(0)