2006年08月31日

羊になると困るワケ

今朝のブログを読んで、「何で、親が作ってくれたラーメンを、親の頭にかけるような息子の方が正しくて、親の意見を素直に聞いている息子の方が問題なの?」と思われた方々もいると思うのですが、そういう方々に読んで頂きたいのが、こちらの本です。
羊ゲーム
楽しくこの本を読み終わることが出来たら、「そうかもしれない」と思って頂けるだろうと、この本を先に読んでいましたが、「坐禅」についての話が長引いてたので、後から読んだ今朝の本を先に書きました。

小説の中の若者の言葉です。

しょせん、人間なんて二種類にしか分けられないものだと思うんです。餌になって食べられる側と、それを食べる側。羊と狼と言ってもいいかもしれない。もちろん、その中間の人間もいるでしょうけど、とにかく、大きく分ければ二つになる。そして、僕らの世代には、餌になることが決まった羊のような連中ばかりが揃っています。

そして、数十年高校教師を続けて辞めた塾講師の言葉。

今の若い連中の行く末、考えると、ほんとうに不安になってくるんだ。たいした理由もないのに、なんとなくダメになっていく人間が多いみたいで。

なんとなくダメになっていく連中ってのは、自分にまるで自信を持っていない人間がほとんどだっていう気がするんだ。どんなに小さくてもいいから、自信の持てる分野を持っていれば、人間、けっこう活き活きと生きてられるもんなんだ。

日本で一番とかになれなくても、とりあえず周囲の中でコレが得意というものさえあれば、それで充分だと思います。

プロになれなくても、それなりに野球が上手かったら、将来子供とキャッチボールも出来るだろうし、水泳が上手だったら、子供を海やプールに胸を張って連れていけると思います。そんな慎ましいコトだって、本人が満足出来ればイイのです。でも、皆、夢が大き過ぎて(それも、押し付けられたような夢が)、自分がチッポケに見えてしまうからイケナイので。

自分を過大評価し過ぎるのも困り者ですが、過小評価するのはもっと困ります。多少だったら、過大評価している方がイイくらいかも‥‥一日、一回、自分を鏡で見て、一つ褒めるべきトコロを探すなんてのも、時としていいかもしれませんね。とにかく、この世に生まれて来れただけで、選ばれた証なのですから‥‥  

Posted by seitaisikoyuri at 21:12Comments(0)TrackBack(0)

見えない虐待に注意しよう

おはようございます。世の中、昔では考えにくい犯罪が次々起きております。

何故なのか、色々な考え方があるかと思いますが、次の意見も参考になるかと思います。
依存と虐待
この1に書かれているのが「あからさまな虐待と見えない虐待」

ある母親が子どもからラーメンを浴びせられたといって、某カウンセラーを訪ねて来たそうだ。深夜まで机にへばりついて勉強している高校生の息子にラーメンを運び、振り向きもしない息子の背中に「がんばってね」と声をかけたら、いきなりドンブリごとのラーメンが飛んできた。同時に「これ以上、どうがんばれっていうんだ!」という罵声も飛んできた。それから母親への暴力が始まって手がつけられないということで、「おかしくなった」息子を治療してほしいというのが親の言い分なのだが、この母親は、自分が息子にやってきた長年の暴力・虐待に気づいていない。「親の期待で、子どもを縛る」という「見えない虐待」である。子どもは親の輝く顔を見たい一心で生きている。そんなふうには見えない子どもでもそうであることは、自分の子ども時代を思い出せばわかるはずなのに、親という役割に囚われた人は、このことを忘れてしまっている。こんな子どもに親の期待を雨あられと浴びせかけ、期待の視線で縛り上げるということが、この少子化時代に普遍的な親の子ども虐待である。

親にラーメンをぶっかける子は、かけない子よりましなのである。頭にかかった熱いラーメンは、親の頭を冷やすだろう。ここから自然の理にかなった親子関係が始まるかもしれない。

残念なのは、この期に及んでなお、親の「虐待」に逆らえない子が圧倒的に多いことである。そして、こんなのが「健全な親子関係」と呼ばれているからお笑いだ。健全な母たちは、子どもに献身することによって子どもたちを追いつめ、夫に献身することによって、男たちを過労死の淵に追いたてている。この種の献身を「共依存」というが、この概念の含意するところはまだ充分に理解されているとは言えないようである。

本当は、ラーメンをかける前に、子どもが「No!!」と言えれば良かったんでしょうけどね‥‥

我慢に我慢を重ね過ぎて、いきなり爆発する子供や大人が増えて来ている様に、ワタシには思えます。虐待している人に、虐待しているという自覚がナイのだから、救いようがナイのだと言えばそれまでなのですが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:28Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月30日

「環境に優しい」は「人間に優しくない」かも‥‥

昨日付けの「日本農業新聞」の「視点」というコラムに、米農務省国際農業開発局長を務めたコトもあるレスター・ブラウン氏が、穀物を原料とするバイオ燃料の生産は、世界の飢餓や農産物価格を押し上げる危険性があると述べている。

米農務省によると、今年の世界の穀物需要の拡大は2000万邸そのうち7割は米国の車の燃料に振り向けられる。世界の食料需要に向けられる分は、残り3割に相当する600万鼎砲垢ないそうだ。

現在、世界でバイオ燃料ブームが進行中だ。穀物やサトウキビ生産地では、バイオ燃料の製造施設の建設計画が目白押しらしい。

トウモロコシを餌にする畜産農家は、エタノール生産施設の急増で、生産に影響が出ないか心配しているらしい。

ブラジルでは、砂糖生産量の半分をエタノールに転換している。世界の砂糖生産量の10%が、エタノール向けになることで、砂糖の価格は2倍になった。

バイオ燃料ブームが止まらない一方、世界の穀物在庫は34年ぶりの低水準にある。食物価格の上昇は避けられないだろう。そして、それは収入の半分以上を食品に充てる20億人にとって、飢餓を招き、貧しい国々の政治不安も招きかねないという。

一方、地方紙の「信濃毎日新聞」の本日付けの第三社会面によると、東大のバイオマス(生物資源)研究者らでつくるグループが、もみ殻や間伐材、トウモロコシの茎や葉などの農林業で出た廃棄物からエタノールを抽出し、自動車の動力源に使う研究を進めているという。

こういう廃棄物を資源にしたり、以前にやはり「日本農業新聞」で、米を使って(価格を抑えるためにコシヒカリとかではナイのですが)のバイオ燃料を作ろうとしているという話題は、休耕田を止めるコトで、優良な農地を残し、地球温暖化の防止(夏にわざわざ水を打たなくても、水田は気化熱で田の水を蒸発させるコトで、その周囲を冷やしていると思う)とか、集中豪雨の時の緑のダムになると思うので、純粋に環境に優しくて良いと思うのだが、口に入るコトが出来るモノを転用するのは、必ずしも地球に住んでいる人間全部に優しいとは言えないのだと初めて知らされた。

我々は、物事を一方から見るだけでナク、両面からの判断を迫られていると思う。それにしても、日本の食糧需給率の低さを考えると、この話はかなり怖い話のようにも思える。それこそ、米を使ってのバイオ燃料を考えて、ある程度のお米は増産して、古くなったお米は燃料にするとかで、もう少し需給率を高めておかないとマズイんじゃないかと、背筋が寒くなる様な話でした。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:34Comments(4)TrackBack(0)

美肌に、免疫力アップに‥‥

おはようございます。「食べ物が作る健康」シリーズをお待ちの皆様、お待たせしました。本日は「ジャガイモ」です。

「日本農業新聞」の「アンドユー」のやさい図鑑からです。

一般的にビタミンCは水に溶けやすく、熱に弱いのですが、ジャガイモは主成分のでんぷんがガードしてくれるので、過熱調理してもビタミンCは壊れにくいのが特徴です。

ビタミンCは、皮膚や骨の一部になるコラーゲン生成に欠かせず、肌をきれいに、強くする。抗酸化作用もあり、免疫力を高める。冬場のビタミンCの供給源としてヨーロッパで普及したのも理由があったのです。

他の芋類と同様に、カリウムを多く含む。カリウムは体内のナトリウムを排出し、高血圧を予防。

腸の働きを正常に保つ食物繊維も多い。

ジャガイモはエネルギー源でありながら、穀類やほかの芋類に比べてカロリーが低く、ダイエット食に最適。主食とうまく配分して、食事の満足度を高くしつつ、ダイエットを可能にする。

今年は、結構多かったのが、ソラニンによる中毒のニュース。

緑化してしまったジャガイモには、芽などや緑化部分に有害物質のアルカロイドの一種でえぐみの原因になるソラニンが含まれる。皮を厚くむいたり、芽の周囲をえぐり取れば問題はナイ。タダ、芽が出ると、成長のために養分を取られて味が落ちるので、なるべく芽が出る前に食べよう。

夏の疲れが出がちなこの時期、ジャガイモでパワーアップしてくださいね。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:08Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月29日

力まない集中

瞑想は決してただ家のなかでじっと座って行なうだけのものではない。歩く時、食べる時、話す時、仕事をしている時、料理を作っている時・・・そこで呼吸に注意を向けて、「意識的に」行動しているかどうかということ。極めて単純なことなのだが、それを常に行なうのはなかなか難しい。

とにかく、呼吸を意識することが、その基本である。それは「現在にいること」、思考の虜になって過去と未来を巡り巡ることから「現在を取り戻す」ことである。

禅の修行僧たちの生活では、坐禅の時間はもちろんのこと、作努(さむ)と呼ばれる掃除や日常の雑事、すべてが一つひとつの修行とされ、非常に大切なものと考えられている。これは、決して坐禅をしている時だけでなく、一日の生活のそれぞれすべてが、この気づきの機会をもてる時間として捉えられているからである。

意識的に生きることは、「いま」という時間を楽しむことである。

呼吸に注意を戻して、「自分にいる」時間をもつ。

それは、いまここを生きることであり、いまここを楽しむことにつながる。目的を追いかけて駆け足で生きるのではなく、その手段や過程を楽しむことを大事にすると言ってもよいだろう。

呼吸一つひとつに集中しているうちに、「考え」はいつしかまた別の考えに移り変わって行く。心配や悩みやストレスが消えてなくなる、というわけではない。生きている限り、それらはいつもある。しばらくするとそれはまた戻り帰ってくる。

しかし、その「考え」の渦に巻き込まれて、それらを増大させず、いまの静かな楽しい時を感じながら、少しでも自分でいる時間をもつことによって、落ち着いてそれらにも対処できるようになる。そして、もっと毎日をより楽しんで生きることができるにちがいない。

坐禅や瞑想は、静かに座った状態を楽しむものとしてあると同時に、毎日を「坦々と」「力まず」生きるためのトレーニング・エクササイズなのである。

というコトだそうです。日常の中に「禅」の心を活かしてみてください。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:20Comments(0)TrackBack(0)

道元が説いた禅の方法

仕事をしてましたので、朝の更新遅くなっております。

さて、「坐禅」なるものは、ルーツはインドにあり、中国を経て日本に伝来したのですから、様々な流れがあり、これが一番と言い切れるものはありません。されど、現代の世界に広まった中で最もポピュラーであると思われるのが、曹洞宗の始祖道元禅師なので、その方の述べた方法を書き込みます。

まず、坐禅は、静かなところで、敷物を厚く敷き、外気を入れないようにして、自分のからだを置くところを大切にして行なう。

飲食は控え目ににし、座るところは、暗くせず、明るくしておく。冬は暖かく、夏は涼しくしておく。

坐禅の時には、坐蒲(ざふ)を敷く。坐蒲は足の下全体にではなく、組んだ足の中央から後ろに敷き、坐骨の下に坐蒲がくるようにする。そして、右の足を左のももの上に置き、左の足を右のももの上に置く結跏趺坐(けっかふざ)、あるいは、左の足を右のももの上に置くだけの半伽趺坐(はんかふざ)と呼ばれる形で足を組んで座る。

衣(袈裟)は、ゆるやかに整え、右手は左足の上、左手は右足の上に置いて、二つの親指が向かいあって支え合うようにし、両手を胴に近づけて、親指の先がへその上にくるようにする。

姿勢は、左右に傾いたり、前にかがんだり、後ろにのめったりしないように心掛け、横から見ると耳から肩への線が垂直になり、前から見ると鼻からへそへの線が垂直になるように。

舌は上あごにつけ、息は鼻から吸い、口と歯を結ぶようにする。目は開いたまま、広げすぎもせず、細めすぎないようにする。

こうして身心を整え、「腹の中の気を吐き出す」ように呼吸を繰り返す。心に浮かんでくるさまざまな思いやはからいを捨てるよう心掛けながら、「山のように動かずに座る」。これが坐禅の方法である。

現代社会の一般の人は、このように厳格に行なわなくてもヨイと著者の方も述べられてますので、椅子禅でも、仰臥禅でも、立禅でもイイですから、自由にお試しください。されど、慣れるまでは、定型から入った方が何事もコツを掴みやすいとワタシは思います。ある程度、慣れてから自分に合った型に移行される方が、ヨイのではないかと‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 10:04Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月28日

「自分を観る」訓練

現代人の忙しい生活は、まるで自分を嫌い、自分から逃げようとでもしているかりようにさえ見える。絶えず情報に取り囲まれ、それらをチェック、自宅に戻ればテレビにパソコン・・・私たちは、子供の頃からそんな生活をし続けてきた。つまり、意識を自分に置いておくこと、言い換えると、「自分にいること」に慣れていないのである。

テレビを見ているとき、自分は「いなくなって」いないだろうか。画面の中を動き回る映像や画像にすっかり気をとられ、自分が五感全体で感じ取っていること、考えていること、つまり「自分を観る」という言葉で述べたような感覚や内容はすっかり忘れ去られている。

私たちは、このようなあり方で、いつも、どこにいても、「外ばかり観て」いる。家ではテレビや情報、外出すれば、商品や景色、そして周りの人の様子。これは、その人が「どこかにもっていかれている」という事態である。テレビに夢中になっている時、あなたはテレビに「もっていかれて」「自分にいなくなって」いる。人と会話していても、「自分にいない」状態では、人に「もっていかれて」、最悪な場合、後で後悔するような事態にさえなりかねない。

なぜ、「自分を観る」訓練が要るかというと、この「自分にいること」の大切な意味を取り戻すためである。

「あなたはいまどこにいますか?」

その内面の感覚にしばし触れてみてほしい。いまあなたは「身体にいる」のではないだろうか。それを感じている確かな感覚が「自分にいる」ということである。

その感覚、全身の感じ、その「中心の感じ」をよく確かめてみてほしい。「中心の感じ」は始めはなかなか掴みづらいかもしれない。しかし、いつも呼吸に集中している感覚を大切にしていると、次第に分かってくるようになる。少し瞑想から離れて、人と話している時やテレビを見ている時などに、瞑想で身についてきた呼吸への集中の感じを思い出してみると、より掴みやすいように思う。

というコトだそうです。明日は正しい坐禅の方法です。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:26Comments(0)TrackBack(0)

「合理的」はオールマイティなのか?

おはようございます。めっきり長野の朝は涼しくなりました。それゆえ、老い先短いと悟ったらしき蚊などの毒虫に刺されて、やたらと腫れ上がるかゆみの箇所にアイシングをして、何とか毎日しのいでおります‥‥

何ゆえ「思いやり」が大事になるのか‥‥現代とは、何ごとも「合理的」に関われるようになった時代。マックス・ウェーバーの見解によれば、伝統的社会から現代社会への移行は、科学、技術、経済、学問の発達を伴った「合理化」による進歩をもたらし、人々を魔術や神秘的なものへの恐怖から自由にする「呪縛からの解放」の過程をもたらした。

現代の素晴らしい科学の発展につながる「進歩」は、確かにこの過程によって私たちにもたらされたものである。しかしそれは、人間の可能性を拡大する方向に導いてくれたのか、と問いかけてみると、手放しの賞賛が得られるものではない。その進歩によって築かれた近代の仕組みは、冷たく、堅く、「たえがたいほどに」人間性を圧迫するものになった、という意見は、現代を生きる誰の心にも響いてくるものではないだろうか。

私たちの社会生活は、この「合理化」に基づいた資本の論理や政治機構が作る巨大な「システム」に取り囲まれている。そしてこの過程は、いまや社会や環境だけでなく、個々人のコミュニケーションの次元にさえひそかに滑りこんで、私たち一人ひとりの「疎外感」をますます増大させるものにさえなってきているようだ。

現代の「スピリチュアリティ」という言葉には、この「大切なもの」を改めて見つめ直す必要性を、切実に自覚しはじめた現代人の意識が映し出されているにちがいない。

個人個人がその重要性を意識的に引き出すことの重要性に気づきはじめているのである。

私たちが心のなかに「気づき」を持てば持つほど、すべてのことが学ぶべきものとして姿を現すようになってゆく。目の前に現れる人やものごとすべてが、教師となり、教えてくれるものになるのである。そして私たちはさらにより深く「学ぶ者」としての自覚を持って、何事に対してもより謙虚な態度を身につけ行動してゆくようになるだろう。経験していること、行なっていることはすべて、どんなことであれ、自分の理解を深めてゆく手段になるのである。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:39Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月27日

思いやりを養い培う方法

アメリカの心理学者が実際に行なっている瞑想の方法です。

自分の死を見つめる瞑想

〆F、今年、数年後など、将来のある時点、自分が死を迎えることを想像してみて下さい。出来る限り具体的にその状況を思い浮かべるようにします。何があなたの命を奪おうとしているのでしょうか。人生で出会った人々と最後の時間を過ごすその時を想像してみて下さい。出会った人やモノ−−家、大切な持ち物、愛した人々、あなたの名前、身体、顔、−−それらにさよならを言うことを想像して下さい。あなたはその最後の瞬間、どのように感じているでしょうか。そして、その状態にある自分の視点から自分自身に問いかけてみて下さい。あなたの人生に本当に重要なものは何かと。

置き時計などを近くのテーブルに置きます。そのチクタクという音の一つひとつごとに、あなたは死に近づいて行きます。残された時間はもう少ししかありません。手のひらにすくい取った水が指からこぼれ落ち、なくなって行くように、そして本当に重要なことは何か、自分に問いかけながら、一秒が過ぎゆくたび、深く深く魂の底に沈み込んで行きます。もし注意がさまよい出して他のことを考えはじめたら、再び注意を時計の音に戻して下さい。あなたの命がいま静かに去ろうとしています。自分で決めたその時間がきたなら、しっかりとその残りの時間に留まって時を過ごして下さい。

しばらくの時間を使って、あなたが出会った人、ケアをした人、愛した人々が死んでゆくことを想像してみて下さい。できる限り素直になって、いまあなたがそれらの人々に感じていることを味わって下さい。何か避けようとしている感情はないでしょうか? あなたの信頼している人にいまの気持ちを話していることを想像してみて下さい。それらの人々があなたの人生にどのような役割をもっていたのか考えてみて下さい。そして最後に、それらの死にゆく人々に、深い思いやりの気持ちと愛をもって接してみて下さい。それらの人々に最大の愛情を向けるよう努めて下さい。

い匹鵑平佑發い鳥爐魴泙┐襪里分からないというシンプルな事実を思い起こして下さい。そして、あなたの身近にいる一人の人のことを考えてみて下さい。その人も、突然命を失うようなことだって起こり得るものです。もしその人が亡くなったら、あなたはどんな気持ちになるかを想像してみて下さい。どんなふうに悲しいでしょう? やり残したことはなかったでしょうか? その人への愛情を、その人の貴重さを、最大限に自分の中で膨らませて下さい。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:13Comments(2)TrackBack(0)

「世紀の病」をどうするか

おはようございます。日曜朝は、「食べ物が作る健康」なのですが、ZEN心理療法の話が終わり次第書き込みますので、しばしお待ちください。

さて、現代は時代状況と関連した不安や内面的な生命の喪失といったものに悩む人々が増えている。

気が沈むとか、不眠、結婚がうまくいかない、仕事がおもしろくないなどといった悩みをかかえ、そうした悩みが取り除かれるならば、よくなると信じている。しかし、自分たちの問題が本当はそのような悩みの問題ではないことをわかっていない。

フロムによれば、こうした種々の悩みというものは、「自分自身からの疎外、自分の仲間からの疎外、自然からの疎外」を意識的な形で表現したものである。ありあまるものの最中で生活しながらも、本当に生きていないこと、本当の喜びがないことを表現しているのである。

ストレスというものは、一見すれば個人の外部からの状況から来るように見えるかもしれないが、まったく同じ状況にあっても、人によって大きなものだったり、全然感じられないこともあるといった、いわばその人の内部の心理的な問題でもある。

私たちは大抵、自分にとって好ましくない状況に直面すると、無意識のうちに敵対的な反応を示し、恐怖、怒り、不安、苦痛など即座に沸き起こるさまざまな感情に左右されがちである。嫌なタイプの人に会うと、話もしていないのに否定的な状況を自分で勝手に作り上げてしまったりする。そして、いったんそうした感情に支配されてしまうと、もはや自分に対しても他人に対しても冷静な正しい判断がもてなくなり、円滑なコミュニケーションも困難になって、どうにもならない悪循環を作り出してしまうことにもなる。

なので、心理療法の意義は昔とかなり違うものに変化せざるをえない。心理療法は、症候を取り除く「治療」とは違い、治癒とは「病気がない」ということではなく、最良の状態を達成するということが目標になるのだという。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:24Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月26日

ZEN心理療法

皆さんは、ZEN心理療法という療法を知っていますか?
ワタシは下の本を読んで初めてそういう療法があるのだと知りました。
ZEN心理療法
タダ、「坐禅」が精神を鎮めるというコトは、もう数十年も前に医学生だった方に教えて貰ったコトがあります。

「イライラしたり、気持ちが落ち着かない時は、坐禅してみるとイイよ。僕も実際にしているんだが、とっても気持ちが落ち着くから」と話して頂きました。その頃、少し実行したのだとは思うのですが、「そうなんだ!」と思ったコトは覚えていても、それでワタシがどうしたのかは残念ながらヨク覚えていません。

でも、そんなコトが過去にあったので、本日図書館で上の本のタイトルを見て、「ヘェー!!」と思って借りてきました。

日本の禅学者・鈴木大拙博士が「禅」の思想を英語圏に紹介し、エーリッヒ・フロムとの共著で1960年に『禅と精神分析』なるものを出版したコトで、ZEN心理療法は特に西洋で広がったそうです。

エーリッヒ・フロムは前述の著書の中で、

西洋の文化の根源はギリシャもヘブライも人生の目的を人間の完成に置いたが、現代人は物の完成と、いかにしてそれを造るかの知識に第一の関心を寄せている。‥‥それで彼は不安であり、憂鬱であり、絶望的である。彼は幸福とか、個人主義とか、主導性とか、立派な口先だけの目標は掲げるけれども、本当は目標がないのである。何のために生きているのか、彼のあらゆる努力の目的が何であるかと尋ねられると−−彼は当惑するに違いない。ある人は家族のために生きているとか、またある者は『楽しむために』とか、またあるものは金を儲けるためとかいうだろうが、実際のところ何人も何のために生きているのか知らないのである。彼は不安と孤独を逃れようとする要求以外には目標をもたない

そこに、現代の大問題があると看破しています。生きるために精一杯だった時代ではナクなり、人生に余裕が出来てきたからこそ、そんな問題が生まれて来ているのかもしれませんが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 20:02Comments(0)TrackBack(0)

多罰的な殺人

遅い更新になりました。朝の仕事を終えて書いてます。

昨日の朝に少し書き込みした自宅放火殺人する少年の気持ちを類推できるようなミステリー小説です。
水辺の通り魔
そこに語られているのは、家庭内暴力に走る子供は、「自分がこうなったのも、全部親の責任だ」といって、親に暴力を振るう例が多いと書かれてます。

子供の将来を思い、小さい頃から受験勉強を強いる親。強いられた子供は、何かでつまづくと行き場を失くして親に当たる。それも、責任のすべてを他の人々に押しかぶせて、相手を罰しようという形で‥‥

勉強を怠けてたり、意志が弱くてやってることが長続きしなかったり、難しいことに立ち向かう勇気がなかったりと、自分の側に責任の多くがあるんだけど、それを認めると、自分が苦しくなり、自分を全否定することになるから、両親がすべて悪いんだと、責任を押しつけて、暴力を振るったりする。他人を罰するのは、自分自身を護るための行動を他罰的というのだとか。

ここには書かれてませんが、自罰的になると、リストカットとか自殺とかに追い込まれてしまうのだろうけど。

「郵便ポストが赤いのも、皆、私が悪いのよ」みたいに、世の中の不幸が全て自分のせいだと思って、自分をひどく責められても困るのですが‥‥

無論、そうなるだけの原因を親が作ってることも事実だったりしますが、嫌なコトにハッキリ「No!!」と言えず、明確な自己主張が出来なくなっているのが原因かと‥‥

色々あったとしても、過去は過去として、もう修正は出来ないのだから割り切って、新しい人生に立ち向かう勇気を身につけるコトをオススメします。

未来は永遠にやって来ない。過去は二度と戻らない。我々が生きれるのは、今という瞬間の連続だけなのですから。  
Posted by seitaisikoyuri at 10:18Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月25日

詐欺への効果的な撃退法

では、引き続き撃退法に移ります。

,修鵑覆海箸できるんなら‥‥
預言者ならば、どうして競馬や株で稼がないのだろうとか、霊視が出来るのならば失踪者の居場所の霊視が出来ないのは何故? とか、そんなにうまい話を独占しないで、なんで私に教える気になったんだろうと考えましょう。

⊆他擇靴討澆討叩
英語をペラペラしゃべれるという英会話教材の販売者には、「ペラペラなトコをみせてください」と頼んだり、スゴク儲かるという人には「所得証明を見せて!」などと言ってみるのも手です。

ともあれ、「丁重さ」や「礼儀」に欠けようと「結論をあいまいにせず、明確に断ること」が一番です。

性格的に無理という人には、今は居ない家族の誰かに許しを得ないと、後で自分が困るという断り方も有効です。

この話を書こうとしているのを知らずに、本日、施術している最中に、電話が掛かってきて出ようとしたら、人影が見えました。受話器を取って話しながら、電話しているので少し待って貰おうと、戸を開けたら、ワタシが受話器を持っているのが見えているだろうに、若い男性は名刺を出して挨拶しだしました。電話で会話中でしたから、手で静止して、電話の話を終え、「今、忙しいのですが、何の御用ですか?」と聞いてもはっきり答えません。「御客様が待っていらっしゃるので」と話を打ち切ろうとしたら、やっと、「商品取引」だとか言い始めたので、即座に断って、施術に戻りましたが、マナーすらナイ方が増えてらっしゃる様で‥‥

ともあれ、自分の人生を生きるのは自分自身にほかならないのだから、誰かに寄りかかって生きるのではなく、自分で歩く道は自分でよく見きわめて歩む主体的な生き方が大事です。

事が起こるには必ず理由がある−−このことを深く肝に銘じ、理由もなく「霊のたたり」のせいにして怪しげなカルトに身を寄せたりせず、なぜそんなことが起こったのか、その原因を探り、それを取り除く誠実な努力を積み重ねよう。

と筆者は述べています。結局、そういうコトなのです。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:58Comments(2)TrackBack(0)

詐欺に遭わナイためには‥‥

おはようございます。又、中学生が自宅に放火し、兄弟が死亡するという痛ましい事件がありました。子供達も子供達なんだろうけど、ソコまで追い込んでいた親達は全てが他人事としか思えなかったのだろうかと、逆に不思議な気持ちになります‥‥子供達がもし、犯罪に走りそうになった時に駆け込める公的な場所があったらと思います。

では、昨夜の続きです。詐欺に引っ掛からない方法は、

,Δ泙は辰砲藁△あることを肝に銘じよう
「そんなにうまい話が自分にだけ来るはずがない」と考えよう。つまり、そんなにうまい話は人に教える前に自分で甘い蜜を吸うはずだと冷静に考えることが大切だろう。


⇒瀑世鮖彪磴垢誅辰呂曚匹曚匹
楽して金をもうける、食ったままやせる、癌を切らずに治す(注・正しい療法でそういうお医者さんもいるので、この本ではというコトです。あやしい健康食品や心霊治療などに対するものだと思ってください)、労せずして美人になる、一ヶ月で英語ぺらぺらになる。−−そんな欲得ずくの生き方は危ない。必要な苦労は避けてはならないのだ。

思い込みやブランド志向に足を取られない
あの人が言うことだから確かだ、私がこの目で見たんだから本当だ−−そんな思い込みに陥ってないか、チェックしよう。有名人の名前やブランド名に惑わされないように気をつけよう。

ぁ峺栄ハル」君にならないよう、心しよう
ヨイショに乗らず、知らないことは知らないと言おう。甘言にも惑わされず「分からんことは分からん」「知らんもんは知らん」「いらんもんはいらん」と、言い切る勇気が必要だ。

ッ膣屬範帯して、集団安全保障体制を思い込みを避け、脅しに対処するためにも、誘いの話は気心の知れた友人と一緒に複数で聞くように心がけよう。

だそうです。夜は効果がある撃退法の話です。よろしかったら、お試しください。  
Posted by seitaisikoyuri at 07:34Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月24日

「欲」と「見栄」が危険のワナ

ダマシたり、ダマされたりするのが人間の常なので、「トリック」のようなTV番組や映画にも人気があるのでしょうが、こんな本がありました。
騙される人 騙されない人
現代の事件などの裏を述べてらっしゃいますが、結局はダマされる方にも問題があるのです。

強い欲望や悩みや恐れや不安を心に持っている−−−そんな時、人は、欲望を満たしてくれそうなものや、悩みを解決してくれそうなものや、恐れを癒してくれそうなものに心を傾ける。現代社会に生活する誰もが、欲望や悩みや恐れや不安に苛まれている。

人が騙しの世界に誘われる二大入り口は「思い込み」と「欲得」だ。欲得や不安に心囚われると、自分の欲望や悩みの角度からしかものが見えなくなっているから、客観的にものを見ることができず、思い込みに陥りやすい。

「これっきゃない」「今っきゃない」と思い込ませてまんまと騙しの世界に誘い込む。感覚器官は容易に錯誤に陥るものなのに、「私がこの目でみたんだから確かだ」と思い込む。外の角度から見ている他人にはどう見えたんだろうなどと、事態を客観的に考える余裕、自己を相対化するゆとりなど微塵もない。

もう一つ恐いものに「見栄」がある。
本当はよく知らないことなのに、「こんなことは常識ですから、当然ご存じだと思いますが」とか「隣の奥様もよくご存じでしたが」などと言われると、つい知らないと言えなくなって相手のペースにはまってしまう。知らないことを知らないと言い、分からないことには率直に疑問をぶつければいいのに、それを封じられてしまう。

では、どう対処したらイイのでしょうか。それは遅くなりましたので、また明日。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:50Comments(0)TrackBack(0)

虐待から子供達を守ろう!!

おはようございます。昼間は暑いですが、夜になると虫の声が聞こえてきて、やっぱり秋になりつつあるなと思う今日この頃、皆様、残暑疲れにならないように御自愛くださいね。

さて、25歳の妻に、8人の子供を産ませ、自分達夫婦では子供の面倒を見れないからと児童養護施設に預けている男が、熱湯に自分の子供の足を入れさせて重度のヤケドをさせ、足の指の大半をダメにした上、その子供の障害者福祉手当等を目当てに、病院にいるその息子を妻や妻の家族と共謀して連れ出し、未成年者誘拐、不法侵入とかで逮捕されていたけれど、やっと殺人未遂で立件されたというニュースを聞きました。

なぜか、そういう時にちょうど読んでいたのが、
新 凍りついた瞳(め)
虐待された子どもをテーマにした「凍りついた瞳」の続編だそうです。子ども虐待の凄まじい実態、その現状を知らない世間、社会に衝撃をあたえたそうですが、正直、知らなかった。ただ、報道などでは虐待されている話を聞いてはいたけれど‥‥

助けて欲しいのに、死んでいかなくてはならない子供達。運良くというべきか、児童養護施設に入っても、優しい人と巡り会えて立ち直れる子供もいれば、再び傷付いてしまう子供もいる。

不幸が世代を超えて連鎖していく‥‥

豊か過ぎるゆえの過剰期待により精神的に傷付く子供も居れば、貧困や無知や親の欲望で肉体的に傷付く子供達もいる。昔から、虐待は存在していて、それが表面に出て来ただけからかもしれないけれど、知らずに手を打てないのは仕方ないトコもあるが、知ってて知らん顔するのは罪です。

やっぱり、どこか変だと思うコトがあったら、スグに警察に通報して(警察には実名で話しても、名前を伏せてくれと頼めばそれなりの対応もしてくれますから)、周囲で不審な子供やその親がいたら助けないと、その子供の命取りになってしまいます。

そして、やっぱりそういう薄幸な子供達に対して、公的援助の手を増やすコト。これに尽きます。ちゃんと育てられれば、立派な社会人になれるのに、ミスミス犯罪者予備軍にしてしまっては、何のタメにこの世に生まれて来たのか判らなくなります。

子供は社会の宝。全ての人が、社会の全ての子供を立派な社会人にする責任があるのだと思います。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:47Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月23日

獲得された無力感

タイトルは心理学の用語です。でも、読んだ本はミステリーです。

新潮ミステリー倶楽部の本岡類さんの「真冬の誘拐者」という小説です。前に書いた同じ作者の「神の柩」に、おんもらきさんという方からコメントを頂いたので、久々に読もうと思って、数冊借りてきました。

モチロン、仕事の合間に一気読みして、一日で読み終わってしまいました。

移植医学については、少し前にこれに似た話を、TVの番組で見た(そちらは全く犯罪絡みではナク)ので、そんなに驚きませんでしたが、知らなかったらきっともっと驚いただろうと思いました。

とにかく、ミステリーはネタバレさせてはイケナイし、ゼヒ読めるだろうから読んで欲しいみたいな本、特に小説はあまり書き込みすると作者に悪いので、関係ナイことに終始してますが、核となる部分だけは一応、書いてるつもりです。

この本だと、タイトルの「獲得された無力感」をドンドン増長させる大人の身勝手さでしょうか‥‥

今の子供達は挫折を繰り返しすぎて、自分に自信を失っているというコトでしょう。

例えば、料理好きな子供がいたとしても、「料理の才能があるからコックさんになったら」なんて、今の親はホトンド言わない。塾通いして、一流大学から一流企業への道を奨める。受験戦争に挫折してから、「コックになれ」と言われても、自信を失ってからでは遅過ぎるというコト。
最初からコックになろうとした子の方が料理の世界で大成しやすいのではと述べています。

でも、それを乗り越えられる強さのある子がより大成するのだろうと思うけど‥‥

信じた大人に裏切られ続けた子供が、再び立ち上がれるのかどうか‥‥ラストがとてもツラ過ぎるエンディングです。微かに残る希望の光が、心の救いだけど‥‥

今の子供は本当に大変だと思います。勉強だけでナク、スポーツとかでも‥‥それなりに上手だったらヨシとしていられた、昔の子供で良かったと思います。

何事も、勝ち上がれるのは一握りだけ。でも、それに敗れたとしても、それは違う道に進むタメの練習くらいに思わないとホトンドの人は苦しまなくてはなりません。

現代を生き抜くタメには、本当に強い気持ちが必要なんだろうと思います。そして、それには親の態度が一番大事なんだろうと‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 21:42Comments(2)TrackBack(0)

教育って何だろう?

おはようございます。高校野球の感動も、マスコミのフィーバーでなんだか、現実まみれになってきつつありますが、これを機に高校について少し‥‥

というのも、少し前に長野にある某私立高校で、喫煙により、一発退学になったという話を聞いたから‥‥私鉄の駅のホームで煙草を吸っていたら、誰かが通報したらしく先生方が駆けつけてきて、即、退学になったそうです。「そうしますよ」とは入学の時に説明していたというのだから、別に問題はナイと言えばそれまでなんだけど‥‥

思い出すのは、ワタシが高校時代の同級生。確か、二年生の時だと思うけど、文化祭の時に校内の部室で煙草を吸ったというコトで、停学になった人がいました。二週間くらいだったかな? あまり関心のナイ人だったので(男子がクラスの四分の三くらいいると、全部の男子に並々ならぬ関心を持つコトもナイので)期間はヨク覚えてないのですが‥‥

ただ、その彼が三年生になる時の学級長に選ばれてからが違ったのですね。(意地悪く言うならば、大学入試を控えて忙しいのでそんなコトやりたくなかったから、誰でもやったらみたいな感じだったし、面倒なコトは押し付けるに限るという様な雰囲気だったので、ワタシすら候補に挙がったのですが、クラブの仕事が忙しいからと固辞しました。大体、真面目に話なんて聞かなくて、大声で「静かにして!!」と叫びつつ意見をまとめるなんて仕事、普通の神経持ってたらやってらんないって感じ。少し前の学級長が弱腰だったから、副として仕方なく大声で叫んで皆をビビらせてしまってましたから、本当にイヤでしたね。停学になったのをするなんて悪趣味だとも思ったけど、ババ抜きの感覚で選んでましたから、皆)

ともあれ、学級長になったコトを彼はとっても感激して、それからメチャクチャ真面目になって、卒業アルバムの制作委員の長にもなって、そんなに勉強が出来る方ではなかったと思うけど、一浪してそれなりの有名国立大学に入りました。今はどうしているのか、全く知らない(最後までそんなに仲良くならなかったので)けど、そんな人もいます。

立ち直るチャンスを与えたり、立ち直らそうとするコトが教育じゃないかと思います。上の話はタマタマそうなっただけのコトかもしれませんが、子供達にもその話は何度もしています。人間はやる気にさえなれば、何でも出来るのだというイイ例だと思ってます。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:35Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月22日

夢みたいな話

原題が「マジカル・ミステリー・ワゴン」だったのだから当然かもしれませんが、こんなことがあったら‥‥と思うような本です。
流星ワゴン
重松清さんの本ですけど、こんなにジーンと来たのは初めてかも‥‥とっても優しい気持ちになれました。

なんていうか、実際にありそうな設定で‥‥ミステリーっぽい部分以外は、最近は案外男の人の方が女の人よりも、ズッと優しかったりしてと思いました。

父と男の子の意地のぶつかりあいは、ワタシにも兄がいるのでヨク判ります。

なんというか、女の子って、あまり深く考えずにテキトーに家族と付き合ってしまえるんだけど、男の子は正直だからな、なんて思います。

我が家の息子も少々難しい時期に差し掛かって来てますし‥‥

兄弟姉妹が沢山いた時代と違って、今は子供の数も少なくなってきているから、男の子と女の子がいる人の数はうんと少なくなってきているけど、考えてみれば昔はとっても大勢の兄弟がいるのが普通だったんだよな‥‥なんて全く違うコトを思ったりして。

昨日から今朝にかけての本にしても、今晩の本にしても、子供がイッパイいて、生活に追われて暮らしていたら、きっと出て来ない問題なんだろうなと、脈絡もナク思ってしまった。

それがイイとか悪いとかの問題ではなくて、そういう時代はおそらく過去には無かったんだから、色んな対応の仕方があるんだろうと、何だか改めて思ったりした。

人生に少し疲れたら読んでみてください。とっても悲しいけど、きっと元気になれますよ。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:45Comments(0)TrackBack(0)

友達親子に未来はあるか?

おはようございます。朝一の仕事と次の仕事の合間に書いてます。

昨夜の本の続きです。

近代以後、子どもは労働力としてではなく、親に保護され経済的義務から解放されてもっぱら学業に専念する立場を許されるようになった。

子どもを育てるにあたって、親は当然、子育てのゴールを念頭に置くはず。ところが、社会が豊かで平和になると、親離れにかかわる規範や仕組みが明確ではなくなり、ずるずると親子関係が続きがちになる。「自分のやりたいことを見つけなさい」という親がもっとも多い。‥‥親子関係は長期化し、いっそう先の見えない状態になっていく。

友達親子とは一見対等だが、じつは一方的な供給と消費でなりたっている依存の関係である。

豊かな時代に手塩にかけて育て上げ、ようやく成人に達した子どもと友達のような関係を続けたいと夢見て、進んで子どもを手元に置きつづけける親が少なくない。

しかし、社会のゆとりが失われたとき、果たして友達親子は生き残ることができるだろうか。親が手厚く保護することができなくなれば、消費者という社会的立場はあとかたもなく失われる。子どもたちは生活面・社会面で自立する能力を欠いたまま、激しい現実に直面せざるを得ない。そんな未来が行く手に待ちかまえている可能性を親と子はどれだけ自覚できているのか。

ちゃんと仕事をしていても、精神的に親子で依存しあっている親子はいます。親は、実の子供に最期まで看取って貰えるのだから、全然OKだろうけど、果たして、年金や介護が今の様でいられるという保障はあるのだろうか? 戦争にでもなれば、無一文になる可能性だってある。今は子供でいられても、老化は全ての人に平等に否応なく降り注ぐ‥‥

親が子供に教えるべき一番のコトは、どんな社会になっても柔軟に対応して生きようとする姿勢なのではないだろうか? 有史以来、そうやって人間は今まで生き延びて来たのだ。現代の繁栄が長く続くというコトは、マズあり得ないと思う。続いてくれればアリガタイが、歴史は繰り返すものだから‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 09:32Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月21日

「やりたいこと」は正しく見つけられるのか?

なかなかショッキングな本を見つけました。この本が四年前に出版されていたコトを知って、マスマスこの本の先見性に驚きました。
若者が『社会的弱者』に転落する
社会学の先生の本です。

若者のモラトリアムがドンドン延長していこうとしているのは何故なのかというコトに焦点を当てて書かれています。

厳しい意見も書かれていて、『ナルホド‥‥』と思ったのは、現実から逃走して社会的責任を放棄しようとしている人が増えているのではという指摘。

最近の傾向として、

(一)「やりたいこと」の重視
(二)「やりたいこと」なら続けられる(はず)
(三)「やりたいこと」は今わからなくてもいい
(四)「やりたいこと」は実在する・きっとみつかる

という特徴があるのだが、やりたいことは結局、自分の内部にしか発見できない。

「何がやりたいことなのか」を自問自答するなかからは、やりたいものをみつけることはむずかしい。自分の内なる世界から出て、実際に体を動かしてこそ、やりたいことはみつかるはずだ。社会から隔絶された家庭と学校に閉じ込められた状態で、やりたいことを見つけようとする矛盾。

「やりたいこと」は実はかならずしも「できること」ではないし、できることに比べ「価値あること」ともかぎらない。だが、親も子もその呪縛にとらわれ、結果として現実逃避が続いていることに、問題の根があるのではなかろうか。

ウーン、そうかもしれませんね。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:11Comments(0)TrackBack(0)

高校野球は少々残酷だけど‥‥

おはようございます。

近鉄に入った太田投手が延長18回を一人で投げきり、翌日も投げて悔し涙を流したコトを微かに覚えているホドの年齢になると、高校野球って残酷なトコあるよなって思う。

たった一度のミスで、試合がひっくり返ったりして‥‥ミスした人は、長くツライ思いもするだろうし、された人も‥‥

さだまさしの歌詞ではないが、「どんなチームだって、たった一度しか負けてない」のに、試合は終わってしまうのだから‥‥

総当りしているヒマなんて、ナイしね。

15回投げて、翌日も投げてなんて、肩を壊す可能性も高いけど、投げなかったら投げなかったたで、負けた時に15回も投げたのにって思うだろうから、投げずにはいられないだろうし‥‥

前にも書いたかもしれないけど、甲子園に出場している高校生は最早、その都道府県の出身者なんてホトンド居なくて、渡り鳥しても何でも『甲子園に出たい!!』という気持ちの人達で支えられている。

それでも、ヤラセや八百長ばやりの昨今、「夢のタメに身体まで張ってる青年の真剣勝負」なんだから、リーグ戦のプロ野球とは全然違う。

「次があるとは限らない」世界だから‥‥日本人の美意識に訴えかけるトコがあるんだよね。

『優勝旗を半分にしてあげたい!!』なんて気持ちもあるだろうけど、勝負しなきゃイケナイってトコに、悲劇的だけどドラマがあるワケで‥‥

でも、どっちが勝ったかとかではナク、感動は続くんだと思う。

だって、太田投手に勝った「松山商業」の名前は覚えていても、その選手とかは関係者だったらともかく、それ以外のコトは、普通の多くの日本人は覚えてナイと思う。

だから、地方大会などでも、残念ながら散ってしまった選手に言いたい。君達の負けたコトは、残念かもしれないけど、皆忘れてしまう。本人達にとっては、どんなに悔しい失敗でも、大半の人にとっては≪よくあるコト≫なんだから‥‥

だから、たった一度の負け試合を変にイヤな思い出にしないで、高校時代のツラかった練習と共にこれからの人生に活かしていって欲しい。誰もが出来る経験をしたワケじゃない。健康だから出来たコト。野球したくたって出来ない人も居る。

そんなコトを思って、これからも胸を張って生きていって欲しい。だって、負けて悔しい思いをする人の方が、断然多いのが当たり前の人生の出来事の中の一つ何だから‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:29Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月20日

人生投げたらアカン

久々に東野圭吾さんの本です。
かなりイイ本でした。超おすすめ本でもヨカッタくらい。ただ、NHKでドラマ化されていて、主演が国分太一さんと判って、少し‥‥TOKIOとかけたのかもしれないけど‥‥国分太一さんは「学校へ行こう」とかは合ってると思うけど、このストーリーには「イイとこの坊ちゃん」すぎてキャラ的には合わなかったのではとか思います。見てないのにこんなコト言ってはいけないのだろうと思うけど‥‥

ともあれ、世の中って不公平に出来ているけど、それでも投げちゃったらそれで終わり。そんなコトが、クドくなく書かれてます。

主な舞台も大阪だしね。

東京はカッコつけてるけど、関西は「中身で勝負や!!」てトコあるから‥‥

踏まれても、踏まれても、立ち上がった方が勝ちって感じで、ワタシは関西キライじゃないです。

ただ、正直な話、女の子の関西弁は全然okなんだけど、男性の関西弁は「そうだ、関西は男の人も関西弁なんだ!!」と何故か思ってしまう‥‥

関西に生まれてたら、きっとバリバリの大阪のオバハンやってたと思うんだけどね‥‥洋服の好みも「アンタ関西系やし」と友人に言われてるんだから‥‥

「ゲド戦記」とかでも、「命を大切にしないヤツなんて大嫌いだ!!」なんて科白がクサイって酷評されてるけど、ジブリだからクサイ話でも映画化出来るんで、そうでなきゃ、クダラナイ話の映画の方が多いんだよね‥‥

こういう話も書けちゃうなんて、東野圭吾さん好きだなって思う。確か、関西出身だったような気が‥‥だからかな‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 20:48Comments(0)TrackBack(0)

ダイエットしたかったら、食前に‥‥

おそようございます。暑くてヨク眠れませんでした‥‥何で、こんなに長野は暑いのだろうか‥‥昔はお盆過ぎれば涼しくなったのに‥‥水田の減少が考えられる一番の原因かとも思いますが‥‥

さて、日曜朝の定番の「日本農業新聞」の「アンドユー」の「くだもの図鑑」から本日は≪梨≫です。

食物繊維が100銑陛たり2.1帖サツマイモより多く、低カロリーでより多くの食物繊維を吸収するので、食前30分前に食べるとダイエットになるのだとか‥‥

100鎮罎0.9調泙泙譴訖物繊維の中でも、リグニンがしゃりっとした食感を作り出している。

便秘解消だけでなく、肥満予防に役立つ。

肥満の大きな原因はカロリーの取り過ぎ。梨の果実の90%を占める水分と食物繊維は満腹感を感じさせてくれるので、食べ過ぎずに満腹感が得られるのだ。

ソルビトールという糖は甘さはあまり感じないが、吸水作用を持ち、便を柔らかくして、お通じを良くしてくれる。

食物繊維の一種のペクチンには、ぜんそくを抑える可能性もあると米国の研究機関がマウス実験により結論づけている。

高血圧の原因となるナトリウムの体外排出に有効なカリウムも豊富。100鎮罎140性帖カリウムを多く含む食品はさまざまだが、梨の特徴はナトリウムを含まないこと。

≪梨≫というくだものは、思ってたよりもズッと優れものの果物だったようだ!!  
Posted by seitaisikoyuri at 10:33Comments(4)TrackBack(0)

2006年08月19日

現実に落ち着いた願望

こんな本が出ていたなんて、図書館で偶然見つけなかったら、おそらく一生気付かなかったかもしれません。前作は、ものスゴいベストセラーになったり、世間に話題を振りまいたのに‥‥
10年後の「結婚しないかもしれない症候群」
でも、おそらくこの本と前作を読んでこそ、人間の本質が判るかもしれないのに‥‥

しかし、一番笑えたのは、前作を読んで有名企業の独身男性寮一同から印鑑付きの抗議文が届いたという話。‥‥おいおい。

笑えなかったのは、前作を読んで、「父親がいなくったって女性一人で子供を産み育てたっていいではないか、と、まるでシングルマザーを鼓舞するように書いていますが、私は実際にそれをして今、生活苦にあり‥‥」という手紙。両親が揃っていたって子供を育てるのは大変なのに、一人で育てるのは大変に決まっている。共働きしていられるのも、祖父母が支えてくれている方が多かったり、保育園などなどの御蔭だったり、理解ある仕事場でなければ無理だろうし‥‥

そして、前作を読んだ時に、国民年金なんて破綻するかもしれないから、民間の年金を奨めてたけど、「ありえない!!」と思ってましたね。とにかく、国民年金も危ないかもしれないけど、年金とか保険という制度の仕組みは≪宝くじ≫と一緒なんだから‥‥

ともあれ、こうした作品に出て来たくナイと拒絶する人の人生の方が、きっともっと人生の色々なコトを教えてくれるのだろうと、辛口のノンフィクションが好きなワタシは思います。

でも、少なくとも前作よりも話題にはならなかったけれど、この本の方がずっと深いと思います‥‥ただ、もう十年後とか、二十年後とかで書いて頂けると、きっとものスゴイ本になるのではないかと思います。

人間は確実に歳を取り、だんだん身体も動きにくくなるという現実に、どう立ち向かうのかというコトは、歳を取るごとに真剣に向き合わざるを得ない問題なワケで‥‥続々編を期待したいと思いました。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:23Comments(0)TrackBack(0)

ステロイド剤の連用は危険!!

おはようございます。昨夜のTBSの「金スマ」でアトピーになった子供との壮絶な話をチラチラと見ました。全部見たワケではないのですが、ステロイド剤を塗れば塗るホド悪化していくのを見て「そうだろうな‥‥気の毒に‥‥」と思って見てました。(ちなみに亀田戦に絡んで「TBSを見るな!!」とか、騒いでいる人もいますが、TVもなるべくなら一局に偏らず全ての局を見た方がイイと思いますし、その全てが『制作料を出している人々の意向にかなり左右されつつの放送なのだ』というコトは必ず念頭に置いて欲しいと思います。公正中立という言葉は言葉自体存在しても、実際にはホトンドありえないコトなのですから‥‥)

安保徹新潟大学医学部大学院教授の話をタビタビしておりますが、その方もやはりステロイド剤は良くないと理論的に述べてらっしゃいます。

整体に、腰痛を主訴としていらしている30代の男性は、アトピーの症状も持っていらっしゃいました。

その方も「薬を付けても良くならない」と断言してらっしゃいます。

そして、一見逆行している感じになるのですが、血行が改善してくると、大きな吹き出物が出来たりしますが、それが一段落するとグッと体調が良くなられるのです。

おそらく、体内の毒素がその吹き出物に凝縮されて、体外に排出されたがっているのではないかと‥‥

アナフィラキシー・ショック(特に虫さされで)になるワタシですから、一時的なステロイド剤の使用をとやかく言うつもりは、全くありませんが、何時でも他人の言葉(名医という評判などで)を信用し過ぎるのは危険です。

他人に良くても、自分に合わないモノには、「No!」と言いましょう。

とにかく、自分しか自分に合うモノは判らず、自分以外に自分を治せる人は居ないのです。

そして、子供を育ててみて思ったコトは、子供は親の特に母親の感情に敏感なのです。最初の子が夜泣きした時、ワタシがオロオロしているとマスマス子供は怯えて泣きました。次の子の時は、泣いた時になるべく心を無にしようとしていると子供はスグに泣き止みました。

やはり、精神的なものも病気などに影響するのだと思います。ストレスで一杯になっている人の自然治癒力はホトンド働かず、ドンドン悪くなるばかりだと思います。

リラックスして毎日を暮らせる様に日々努力したいものです。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:34Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月18日

虐待される子供達

午後の更新としては、とても早い時間なのですが、今晩は仕事が入ってますので‥‥

とにかく、この本の「あとがき」にも書かれてますが、

カルトに見られる歪(いびつ)な親子問題は決して特殊ではなく、一般社会でも見られることである。

とはいっても、カルトの子が受けた「子どもに対する度を超えた支配権の行使」はあまりにも特殊なので、この本が書かれているのです。つまり、この本を読んで親たるものは、反面教師にしないといけないと言うことです。

アビューズが「虐待」と訳されたため、身体的虐待だけが注目されてしまったが、アブノーマルの言葉からもわかる通り、アビューズのアブには分離、離脱という意味があり、チャイルド・アビューズを直訳すれば「不適切な子どもの扱い方」「子どもの乱用」ということになる。アビューズは決して身体的虐待だけを意味しているわけではないのである。


アビューズには、「身体的虐待」「ネグレクト」(放置)「心理的虐待」「性的虐待」の四つがある。

家族の中で孤立させられたり、常に差別されたり、おびえさせられたりすること
これが心理的虐待です。

この「カルトの子」の本の中に書かれている虐待を読むと、集団ヒステリーの怖さというか、アウシュビッツ並みの怖さがあります。

一般家庭でも、

家族は閉じた世界になりがちで誰からもチェックを受けないために、家族そのものが爛ルト化瓩掘⊃討子のではなく子どもが親の欲求を実現するという「逆転した親子関係」に転化しかねない。

のだそうです。皆様も気を付けてくださいね。  
Posted by seitaisikoyuri at 17:55Comments(2)TrackBack(0)

何だかな〜と思うコト

おはようございます。本の題名に心惹かれて借りて来た本です。
カルトの子―心を盗まれた家族
今までワタシが感じていたコトが、ああそうなんだと思えたりします。

宗教を信じるコトはイイことのハズなのに、時々『エッ!』と思う人がいるので、団体と係わらずに、個人で宗教的に正しいと思う生活をするのがイチバンだと思って、あえて無宗教されど、様々な宗教書をランダムに読むのを趣味(信じている人達には悪いとは思いますが‥‥)としているのですが、この本を読んで、「だろうな‥‥」と思いました。

宗教は自由に選択すべきものなのに、強制されている気の毒な子供の存在。しかも、自己矛盾に気付かず、子供にも良かれと思って、児童虐待する人々‥‥

何で、自分の頭で考えようとせず、洗脳されたがる人がこんなに多いのか‥‥相手が洗脳のプロなのだとすれば、近付かないのがイチバンなのだろうけど。

我が家にも、様々な宗教の勧誘は度々あります。それこそ、ありとあらゆる感じの‥‥ちなみに、ワタシは下さるとおっしゃるパンフレットは全て受け取り、一応後で、目はちゃんと通します。

で、『みんなイイことを教祖様達は述べてらっしゃるなぁ』と感心はしますが、それで終わりです。次にいらっしゃっても、それの繰り返し。会合とかに誘われた場合は「忙しいので」と丁重にお断りしていると、自然に皆様の足は遠のきます。別に、何冊パンフレットを頂いても、ワタシは別に構いませんが‥‥タダ、ならば。

といったスタンスで暮らしております。ともあれ、人類の幸福よりも、マズは自分の幸せ。個々人の幸福が積み重なって、皆が幸福になると考えているワタシには、布教をしたりされたりというコトには、懐疑的です。

信者の方々はヨク働くし、正社員にはなりたがらないので、重宝に使えると思ってらっしゃる経営者もいらっしゃる様に聞いておりますし。

タダ、何があろうと、自分で選んだ道ならば、ともかく、子供に暴力までふるって‥‥というのは、信じられない気持ちになります。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:22Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月17日

森林の大切さを見直そう!!

で、この本の一番のポイントは、最終的に日本の山々の荒廃への警鐘につながっていくのです。

現在の里山は、おそらく歴史上、最も緑が濃い状態にある。その理由は、人の手が十分に入らなくなったからだ。よけいな枝をおろして薪にしたり、下草を刈って堆肥にしたりできなくなったために、草木が繁茂しすぎて、緑が必要以上に濃くなっている。緑が濃いことはいいことのようだが、里山に限っては、自然と人間のバランスのとれた関係が崩れてしまっていることを物語っている。

森林には大きく分けて二つの機能がある。

一つは環境を保全する機能だ。炭酸ガスを吸収して酸素をつくる。水をたくわえる。そして、生物が生きてゆくために絶対に欠かせない環境をあたえ、しかも保ってゆく。最近では木材が炭酸ガスを貯めておく機能をもっていて、地球温暖化を防ぐ機能にもなっていることがわかってきた。だから、この機能は、ひろくひとびとのために役立つという意味で、公益的な機能といっていい。

もう一つは木材をはじめとする林産物を提供する機能だ。

大切なのは、「択伐」といって、伐る木と残す木の選定が、森林全体の将来を運命づけることになる。

こうして育成した森林は、驚くような生長を見せた。一八年から二○年に一度くらい実施するだけで、森林はますます活力を増し、しかも良質の材木がえられるようになった。信じられないかもしれないが、伐れば伐るほど豊かな森林になったのだ。

結局、自然と人間が調和するコトで、より自然が輝くのです。ヨーロッパでは、森林は悪魔などが住むと考えられて、壊滅したのですが、森林がないと、ちょっと雨が降れば洪水になり、ちょっと日照りがつづくと水が足らなくなる。そこで、森林には巨大なダムに匹敵する貯水能力があると、失って初めて気付いて、環境問題に現在とても熱心になったのだそうです。

どうやら人間というものはとても愚かで、とことん失敗して、ひどい境遇に落ちないと、ことの真実を理解できないらしい。

確かにそうかもしれませんね。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:52Comments(2)TrackBack(0)

魂は存在するのか?

仕事がありましたので、朝の更新遅れております。

さて、昨夜の本ですが、ワタシは宗教の専門家ではナイので、仏教は魂の存在を認めてないのだと初めてくらいに認識しました。

「色即是空」・「空即是色」というのが、仏教の根本なのですから、言われてみれば確かにそうなのだと思い当たるのですが‥‥

この本によると、

仏教という宗教は、じつはたいへん変わった宗教で、宗教のくせに魂の存在を認めない。世界でほとんど唯一の宗教なのである。

とある。何故かと言えば、

魂だけでなく、永遠に存続するものをいっさい、仏教は認めない。仏教をはじめたゴータマメシッダールタは、この世に存続するすべてのものはつねに変転していて、変わらないものなどなにひとつない、永遠にありつづけるものなどまったくない、と主張した。

とある。なるほど、確かにこれは真理ですよね。人の心も移ろうし、全ての物体も風化されていってしまう。

でも、実際には、それではナカナカその考え方が受け入れられにくいので、日本の人々に根付いていた固有の宗教(アミニズム・全てのモノに精霊が宿るという考え方)や道教などの影響から、極楽浄土なるものが考えられ、そして死んだら魂は浄土や地獄に行くという発想が生まれたのだという。

浄土が何種類もあるコト、来迎の九段階から、地獄の様々まで書かれていて、正に『となりのトトロ』から、こんなに難しい話に展開するのかとビックリです。

とってもタメにはなりますが‥‥で、最後にこの本の主題である里山や森の話になるのですが、その話は晩に回させてください。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:25Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月16日

『となりのトトロ』に学ぼう

絵を見て借りると、「エッ!!」と思います。とても難い本ですから‥‥
お化けと森の宗教学―となりのトトロといっしょに学ぼう
おなじみジブリの『となりのトトロ』がこんなに分析されるとは‥‥といった感じです。

「大トトロ」「中トトロ」「小トトロ」の年齢も初めて知りましたし、何故メイが四歳なのか、サツキが十歳なのかも説明して頂いて、ナルホド‥‥と思いました。

六地蔵が「六道」から来ているコト、「黄昏」の時刻など、実に細々とした計算がされている映画だったのだと、改めて思いました。

のみならず、「トロル」の正体も判りましたし、宮崎ワールドを深く知るには、かなり知識が必要なのだと痛感しました。

しかも、日本の古代からの人類の分析も取り上げられていて、国立総合研究大学院大学の宝来博士のミトコンドリアDNAによる日本人のルーツも紹介されています。

ミトコンドリアDNAは、母親からのみ受け継がれるという性質(拉致事件でもヘギョンさんが本物の孫なのかどうかの判定に用いられたコトを記憶されてらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが)を分析すると、縄文時代の人々は、アイヌと沖縄との祖先の違う集団があった。その二つと別に日本列島中部に住んでいたと思われる集団があり、その三つの集団間で交流があったから、「本州の日本人」「アイヌ人」「沖縄の人」「韓国人」そして「中国人」の五つの遺伝的集団になる。そして、現代の日本人集団、特に本州の日本人集団の比率は、

日本人固有のDNAタイプ‥‥‥4.8%

韓国人と中国人タイプの合計‥‥‥約50%

アイヌ人と沖縄の人のタイプの合計‥‥‥約25%

二人に一人が中国大陸や朝鮮半島の人々と深いつながりを持っているのです。
これは母親のみの問題ですから、父親の存在を考えると、おそらく大半の人の中は、中国大陸や朝鮮半島の人々と深いつながりを持っていると考えるのが妥当でしょう。
さすれば、誤った国粋主義者の方々は、自分の中に流れているだろう血を全く理解せずに、祖先の国々に対してツバを吐いている様なものです。

この本にも書かれていますが、東アフリカ生まれの先祖が人類の元だとするならば、人種対立も領土問題も全てコップの中の嵐に過ぎないのですが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 21:20Comments(2)TrackBack(0)

真の人格者にはナカナカなれないが‥‥

おはようございます。(何度も書いてますが、一日二回更新を心掛けているので、午前の部なのかどうか、後からスグ判る様に書いてますから、時間外の方は読み飛ばしてください)

いよいよ、この本の最終回です。

真の人格者について、様々な言葉が述べられています。現実に暮らしていると、そうもいかない時もあったりしますが、ともあれ、だからと言って理想もナク、自堕落な生活をしても仕方ありません。時々は、そうだなと頷いてみるコトも大事かと思います。

真の人格者は、名誉を重んじる心が強く、卑屈な行動をとらないようにいつも気を配っている。言葉や行動においては何より誠実を心がけ、小細工やいい逃れをせず、不正やインチキには手を染めない。あくまで正直を貫き通そうとする。

勤勉実直な人間は、無節制な連中ほど早く財を成したりはできないかもしれない。だが、インチキや不正な手段を弄せず良心を貫いて得た成功は、ほんものの成功である。しかも人間は、いっとき成功から見離されたとしても誠実さだけは守り通さねばならない。品性を堕落させるくらいなら全財産を失うほうがまだましである。なぜなら、品性はそれ自体がすぐれた財産だから――。

真の人格者は、他人の行動をコテンパンに批判して事態をさらに悪化させるより、自分が多少傷ついても辛抱するほうを選ぶ。また、自分より恵まれない境遇にいる人の弱さや失敗や過ちには寛大な心で接しようとする。富や力や才能に驕らず成功しても有頂天にならず、失敗にもそれほど落胆しない。他人に自説を無理に押しつけたりせず、求められた時にだけ自分の考えを堂々と披瀝する。人の役に立とうという場合でも、恩着せがましいそぶりはみじんも見せない。

何だか、「仁」という考え方と似ていますね。タダ、漱石ではありませんが、こういうのを読むと、「誠は天の道なり、されど人の道にあらず」とも思ってしまうヘソ曲がりでもありますが、浮世の垢をマトッタ身体だとしても、タマには賢人の言葉に自らを省みるのもイイなと思うのであります‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:31Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月15日

快活さは精神に弾力を与える

再び、続きです。

希望に燃えている人の心は、健全で幸福そのものである。自分が快活に仕事に励むと同時に、他人の意欲もかき立てる。

熱意をこめて働けば、どんなに平凡な職業でも尊敬に値するものになる。自信の持ちようで仕事の出来栄えは違ってくる。心から喜んで働けば、それが手仕事であれ精神労働であれ、有意義な結果を生まずにはおかない。

誘惑が訪れるのは、若者の力を試すためだ。一度でも誘惑に屈すると、若者の力はどんどん弱まり、大切な美徳も次々と奪われる。

人生の若い時期に得た習慣は、悪に対する真の防波堤となる。なぜなら、人間が品行方正になるのは、習慣を通じてであり、モラルが損なわれないよう守ってくれるのもまた習慣の力なのだ。よい習慣が日常のすみずみまで行き渡れば、その人間のふるまいは一段と立派なものに変わっていくにちがいない。

理想通りに生きられるワケではありません。若い時には、羽目を外したり、みっともないコトも沢山すると思います。と言うよりも、それが青春だったりもします。

若いというコトが、かけがえのナイのは、人生をやり直す気力に溢れているからです。人生は何度でもやり直せますが、歳と共にダンダン億劫になってしまいます。

失敗を恐れる気持ちも高まり、過激なコトはナカナカ出来なくなります。

無論、熟年離婚など、人生のリセットをする人もいらっしゃいますが‥‥

人生の最後を良いものにしたければ、それなりの努力は必要です。「果報は寝て待て」とは言うものの、何もせずにタダ待っていても果報は来ないでしょう。したコトの結果が、待っているだけだと思います。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:02Comments(0)TrackBack(0)

よい手本と悪い手本

おそようございます。本日は終戦記念日、多くの方々の犠牲の上に、今の日本の繁栄があることは紛れもない事実です。多くの戦没者に哀悼の意を捧げるのは当然ですが、政治的に利用するのは頂けません。宗教は心の問題であり、パフォーマンスに利用しようというのは、戦没者を冒涜するものです。

真に宗教心からお参りしたいのであれば、毎日、肩書きを外してお参り頂きたいものです。

現在、書き込みしている本の中にも、こう書かれています。

立派な行動や言葉は、それが結局は実を結ばないものであっても、いつまでも人の心に生きつづける。悪しき行動や言葉の場合も同じだ。まったく取るに足りない人間でさえ、その言動はよい手本と悪い手本のいずれかに分類される。

人間の精神は不滅である。それは、われわれと共に生き、われわれと共に歩みつづける。

現在は、その根を過去の中に持ち、祖先の生活と手本はわれわれにいまなお大きな影響を及ぼす。同時に、われわれの日々の行動も子孫の人格形成に貢献している。現代に生きる人間は、それに先立つ幾世代の文化によって育てられた果実に他ならず、はるか遠い過去とずっと先の未来とを行動と手本によって結びつける磁石の役割をになっている。
人間の行動は、完全に滅びたりはしない。たとえ肉体は露のごとく消え去っても、善悪の行動はそれぞれに相応の実を結び、将来の世代に感化を与えていくだろう。
人間が生きていくことの大きな責任と危険とは、まさにこの重大かつ厳粛な事実から生じるのである。


唯一、軍人でも無かったのに、総理大臣であったとして、A級戦犯の汚名を拝受した方のお孫さんが、「しかるべき地位に居たのですから、責任は逃れられません」とおっしゃっていらしたのは、とても立派でした。正しい考え方は、脈々と受け継がれていくのだと感服致しました。

同様に、逆の考え方も受け継がれていくのだと不安にもなりましたが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 10:19Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月14日

眠るライオンより吠える犬

珠玉の言葉の宝庫ですので、続きます。

人生につまずいた人間は、往々にして自らを罪なき被害者と見なし、自分の不幸はすべて他人のせいだと早合点する。

しかし、苦労した人ならば、次の言葉に頷くだろうと思います。

世間にあれこれ不平不満をぶちまけるのは、絶対にまちがっている。どこか長所のある人間なら、いつまでも無視されつづけるわけがない。成功をつかまえ損なうのは、たいていはその本人が悪いからだ。

アメリカの作家ワシントン・アービングいわく、

人間は一つや二つ長所があったところで誰からも相手にされない、などと聞いたふうな理屈をこねる連中がいるが、それはまったくのウソっぱちだ。だいたいそんな連中は、自分の怠けぐせや優柔不断な態度を棚に上げて、成功できないことを世の中のせいにしたがるのだ。もちろん人間の長所といっても千差万別で、その多くは中途半端で不徹底なしろものだ。だが、ほんとうに鍛えられたすぐれた長所を持ち、それをいかんなく発揮する人間なら、世間が見逃すわけがない。ただし、どんなに長所があっても、家の中に閉じこもってチャンスの到来をただ待ちわびているだけではお話にならない。

自分を信じる気持ちは大事ですが、独善になってしまっては誰も認めてくれません。

他者の気持ちもおもんばかりつつ、自らの長所を広めてさえ行けば、必ず光はアナタに降り注ぎます。不平不満ばっかりの話を聞きたい人など、どこにもいません。相手の気持ちを自分に置き換えてさえいれば、大きく道を外すコトはナイでしょう。

苦節何十年の偉人もいます。最後まで諦めてはいけないのです。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:03Comments(0)TrackBack(0)

気持ち次第で何でも出来る

寝坊してボケボケとした頭を、なんとかシャッキリさせようとしながら書き込みしてます。

昨夜の本の続きです。

政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を揚げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルにまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。

立派な国民がいれば、政治も立派なものになり、国民が無知と腐敗から抜け出せなければ、劣悪な政治が幅をきかす。

法律を変え、制度を手直ししたからといって、高い愛国心や博愛精神が養われるわけでもない。むしろ、国民が、自発的に自分自身を高めていけるよう援助し励ましていくほうが、はるかに効果は大きい。

国民一人一人の人格の向上こそが、社会の安全と国の進歩の確たる保証となるのだ。

どんな逆境にあっても、自らを信じて、前向きに進むコトです。

さっきミクシィで見て、そうそうと思い出しましたが、「佐川急便」のドライバーさんの大変さは、有名です。特にバブルの時は、一時間もせずに、ギブアップした人も居たとか‥‥

でも、目的がある人はそれに耐えて、事業資金を作り開業しています。

ケーキ屋さんをしたいけど、お金がない‥‥そこで諦めていたらそれまでですが、ガッツで、「佐川急便」のドライバーさんをして開業した人を実際に知ってます。コンビニ始めた人も居れば、車につぎ込んでパーにした人もいるとか‥‥正に、この本のおっしゃる通りの世界だったりします。  
Posted by seitaisikoyuri at 10:10Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月13日

天は自ら助くる者を助く

昨夜、予告しました本です。
自助論―人生の師・人生の友・人生の書
この本は、ワタシの考え方の原点と言ってもイイくらいの本です。このブログを始めて、もうじき一年になるのですが、どうしてもこの本の紹介をしておきたいと思ったので書き込みます。

外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし元気づける。

いかにすぐれた制度をこしらえても、それで人間を救えるわけではない。

いつの時代にも人は、幸福や繁栄が自分の行動によって得られるものとは考えず、制度の力によるものだと信じたがる。

だが、どんなに厳格な法律を定めたところで、怠け者が働き者に変わったり、浪費家が倹約に励みはじめたり、酔っぱらいが酒を断ったりするはずがない。自らの怠惰を反省し、節約の意味を知り、酒におぼれた生活を否定して初めて人間は変わっていく。

こういう趣旨の本です。だからと言って法律がどうでもイイと言ってるのではありません。無論、弱者に手は差し伸べられるべきです。されど、自分達は弱者だと、その場に立ちすくんで居ては、人生それまでです。

長野県の代表校である松代高校は、残念ながら甲子園の二回戦で負けました。でも、現在の甲子園に出場している高校の大半は、地元以外の選手がホトンドです。公立高校で、さして有名でもなく、地元ばっかりのトコだからと諦めていたら、県内でも負けています。有力私立高校は長野県にもあります。でも、自分達を信じて県大会を勝ち抜き、初戦で白星をあげたのです。5-1で負けかと思ったら、強豪の沖縄相手に、それでも5-3まで頑張りました。人間は頑張ればそれだけの力も出せるというイイ見本だったと思います。

そんなことをしばらく書き込んでいきたいと思ってます。よかったらお付き合いください。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:43Comments(0)TrackBack(0)

なんてったって枝豆!!!

おそようございます。ゆっくりした朝を迎えました。休みが続くのはイイですね。しかし、休み明けには必ず、休まずボチボチやってた方が良かったと思うのですから、人間はワガママなものです。

さて、日曜朝の定番「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」から「エダマメ」です。

「もしアナタが無人島にたった一種類だけの食料を持っていけるとしたら?」という様な質問があったら、迷わず「枝豆」を選択しますね。食べても食べてもアキナイし、何より大好物ですから(塩茹でしては、山の様に食べてます)‥‥

エダマメは大豆(黒豆などの有色大豆を含む)の未熟なさやです。なので、成熟した大豆とほぼ同じ栄養素を含みますが、含有率は熟度で変わります。

ビタミンB群は成熟大豆と同様に豊富。

ビタミンB1は糖質の代謝を促し、脳や神経の働きを正常に保つ。不足すると疲労や筋肉痛、食欲不振に。

「葉酸」は「造血のビタミン」といわれ、新しい赤血球を作る。

ビタミンCは大豆が成熟するとなくなるが、エダマメにはあり、皮膚や血管、骨を健康に保ち、がんを防いだりする。

体内でビタミンAに変わるβカロテンも、成熟大豆に比べ格段に多い。抗酸化作用があり、老化やがんを抑制する。ビタミンAはのどや消火器などの粘膜、皮膚を正常に保ち、免疫力を高める。

必須アミノ酸のうち、植物たんぱく質に少ないリジンが多く、「畑の肉」と呼ばれ、体力や免疫力を保つ。

カリウム、カルシウム、鉄などのミネラル、脂肪酸や食物繊維も多い。

やっぱりメチャメチャ優れものなので、ビールのお供とかにゼヒどうぞ!!  
Posted by seitaisikoyuri at 09:32Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月12日

庶民の幸せ

とりあえずコレをこの作者の最後にして、しばしお休みしようと思ったら、ソレがその作者の今まで読んだ中で最高の本だっりすると、とってもラッキーだと思います。
そんな庶民のササヤカな幸せを求める気持ちが丁寧に描かれています。出てくる人々は、皆イイ人なのに、それが災いしてツライ話になっていて、それでもラストはそれなりにと‥‥読んでてとてもハラハラドキドキする本です。

ちなみにミステリーとも思わずに読んでいて、かなり読んでからミステリーだったコトに気付きました。それほどある意味でスゴイです。

人情も細やかに書かれていて、ミステリーでなくても十分です。今朝の日記に書いた『武士道』の世界が実に鮮やかに描かれています。

こんなに潔い人達は、現代の日本には居なかろうと思います。

本日は久し振りの長期休みの前とあって、今朝予告していたよりも特別にもう一仕事してしまいましたが、この後にかなり前に読んだきりで、「天は自ら助くる者を助く」という言葉で有名なS・スマイルズの「自助論」も読み始めました。

そちらもとってもイイ本で、久々スッキリした気持ちになりました。その話は、明日、恒例の「やさい図鑑」の話をしてから、じっくりと。とりあえず今晩はコレで失礼します。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:28Comments(0)TrackBack(0)

日本人の潔さはドコへ?

おはようございます。お盆休み前のタメ、朝から予約が続いていて忙しいので、とても早い書き込みになっております。

長い休みもイイのですが、前後が忙しいのが大変というか、アリガタイと言うべきか‥‥定員制ですので、死ぬホド働くコトはありません。ちなみに、本日も四時には全ての仕事が終わってしまうのですが‥‥同じ人数でもバラッバラッと仕事するとケッコウ楽なのですが、本日は連続するコトが多いので‥‥泣き言です。しかし、一週間に二度のペースでお見えになられている方々は、一週間も間が開くなんて不安‥‥とおっしゃいますので、長い休みも申し訳ない気持ちになります。

さて、話は変わり、昨日の本は批判するタメに書き込んだワケではナク。とても、ウンチクのある話なので紹介したいと思って書き込んだのです。

そこで一番の御紹介したい部分は、新渡戸稲造さんの『武士道』に関する記述。

新渡戸さんの『武士道』のなかで私が一番好きなのが、第五章です。ここは新渡戸さんが、一番力を入れたところだと思っています。「仁」という問題を扱っているんですね。仁は中国の儒教のなかでも、一番重要視された徳目であります。愛といってもいい。その仁ということを、新渡戸流に定義しているところが面白い。
この定義が、「仁とは弱者にたいする同情、敗者に対する思いやり、劣者にたいする共感である。この仁の情が武士道の根源的な徳目である」とというのです。弱き者にたいする負い目を担いつづける、という考え方でしょう。ひょっとすると日本人のモラルの根源は、そこにあったという気がします。

≪勝てば官軍≫は世の習いです。宮本武蔵の『葉隠』武士道と、会津武士道の違いも描かれ、巌流島の決闘に際して、わざと遅れて行った武蔵は卑怯だとも書かれております。ワタシは、命のやりとりの場面で、一流は一流を知ると言いますから、五分五分の勝負と思われる時に、むざむざ策を拒んで負けるのが 正しいとも言い切れないと思います。人間、生きていてこそと思うコトは沢山ありますから‥‥

しかし、勝敗の決した後は、敗者に対する尊敬の念を忘れないというコトもマタ大事なのであり、現在の自民党総裁選挙の様に、あの候補は間違っていると思っていたとしても、数の論理で負けてしまうからと自らの思いを曲げてしまっては、『武士道』でならした日本という国家に対して申し訳ナイと思わない方々が増えているのも、事実です。

「日本を愛するように」と強制したがる方に限って潔くない様な気がするのは、ワタシがオカシイのでしょうか?  
Posted by seitaisikoyuri at 07:24Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月11日

「癒し」という言葉はいやしいか?

今晩紹介する本は、神道の本です。
鎮守の森は泣いている―日本人の心を「突き動かす」もの
日本の神道は「国家神道」になってしまって、宗教色がアイマイになってしまい、今の国の混乱があるというコトは、現在まで続く「靖国神社」参拝のゴタゴタを見れば実にヨク判ります。

そういう時に、神道の何たるかを知らずに意見を述べていては上滑りなコトしか言えません。ワタシは無宗教に近い(どれでも一緒みたいな感じだと思ってますので)のですが、どうしてもどれかを選択しろと言われれば、日本の原始宗教である八百万の神というか、森羅万象、一木一草全てに精霊が宿っているという考え方を選ぶと思うので、本当の宗教らしい神道は歓迎すべき思想ではあります。

タダシ、何冊も宗教書を読んでいるとしても、全てを受け入れるワケではナク、違うと思うトコは違うと思っています。

宗教書に限らず、全ての読書は著者と読んでいる人とのキャッチボールみたいなものですから、ストライクと思う時もあれば、ボールと思う時もあります。

この本で言えば、「ちょっとな‥‥」と思うのは、≪「癒し」とか「癒される」という言葉からは、甘ったれた、うさん臭い匂いばかりが立ちのぼってきます。≫というトコ。
癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか
の様な本を読んで頂けば、決してそうは思わないと思うのですが‥‥

心が癒されるからこそ、人間は自分で治ろうと思うのです。と言うか、癒されてこそ自然治癒力が生まれ、そして自然治癒力以外に人間は治らないと思っていますから‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 21:07Comments(2)TrackBack(0)

夏向きの短編集

おはようございます。ちなみに、昨夜の本のような自己啓発本は、少しずつ拾い読みしていけば元気が出ます。一気に読もうとすると疲れてしまうかも‥‥

さて、最近凝っている作者の本です。でも、アト一冊くらいでしばらくはお休みするかも‥‥読みつけてない小説家の本はオモシロイと思ったら、ある程度何冊もまとめ読みして、大体の傾向が判ったら、アトは時々間を開けて気が向いた時にというのが、ワタシの読書パターンです。
眠らない少女―高橋克彦自薦短編集
という本を読みました。

怪奇ワールドが好きだとおっしゃっているだけに、その手の話が大半です。暑くてたまらない時に読むにはとても打ってつけの本です。

短編集なので、読みやすいとも思います。とは言っても、短編集こそ珠玉の作品が続いてないと、途中で読みたくなくなりますので、その点でも大丈夫です。東野圭吾さんの「秘密」などの長編小説が短編になったような話が載ってます。無論、東野さんの方が、後に書いてらっしゃるのですから、似た様な傾向というだけですけど‥‥ネタバレしては、読みたくなくなるでしょうから、これまたストーリーを書き込めないのが残念です。

昔は、短編集というものを好きな時期もありましたが、やはり長編小説の方が、それなりに作者の方々は準備されているので、どちらかと言うと全般的に長編小説の方が好きです。タダシ、新聞に連載した小説だけは、パーツを集めた感じなので、最後にどう修正加筆してマトマッタ小説にしてくださるかに、全てが掛かってますけれど‥‥

暑いからとクーラーの効いた場所に長時間いると、とても疲れます。なるべくクーラーは弱目にして、しっかり入浴したり、忙しかったら暑いシャワーとかを足に掛けるなどして、「冷え」過ぎない様に注意しましょう。夏こそ、油断しすぎると身体を冷やしてしまう大敵が潜んでいるのですから‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:02Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月10日

心を癒す言葉

ともあれ、疲れた時に読むにイイ本は、宗教書だったり、自己啓発書だったりします。何かの宗教に入ったり、自己啓発セミナーに行くのは、時に危険だったりしますが、本で知識を仕入れるだけならば、何も問題はありません。そして、数多くのそうした本を読んで読んで読み続けるならば、ドコか一箇所のトコに入会しようなどとは思わなくなるでしょう。全てが、とても似ているし、大概の本はとても役に立つコトが判るので、何か一つの考え方に固執して、他の全てから遠ざかるのはモッタイナイと、おそらく思います。で、そうした本の一つ、
すばらしい人生のはじまりに ジェームズ・アレン全集10
かなり厚い本なのですが、字数がとっても少ないので手軽に読めます。

著者は、イングランド出身の人ですから、当然ベースにキリスト教があります。と言っても、そこで別に反応するコトはありません。キリストの言葉を読むタメには、キリスト教徒でなくてもいいのです。それはイスラム教しかり、仏教しかり‥‥著者にこの宗教の教祖が影響を与えているのだなくらいに思って、読み進めればイイのです。

おのれを知ることなしに永続的な心の平安はありません。激しい情念に流され自分を見失う人は、平静な心が支配する聖なる場所に近づくことはできません。

という様な言葉を読む時、別にどの宗教がベースだって構わないと思うはずです。

愛、柔和さ、優しさ、自責、寛容さ、忍耐、思いやり、叱責。これらは魂の産物です。
憎しみ、うぬぼれ、無情さ、他人への非難、報復、怒り、残酷さ、おだて、これらは肉体の所産です。


だから何だと言われてしまえばそれまでなのですが、疲れた時には、身体がサプリメントを必要としたりする様に、心もパワーを与えてくれる言葉が必要なのです。今朝までの日記に書きましたが、そういう時、誰かを頼ろうとすると危ないコトになりかねませんから注意が必要です。少なくとも、宗教に入信したければ、なるべく疲れた時ではナク、こうした本でパワーアップしてから、宗教に入るコトを考えてください。それでも入りたいか、どうか‥‥そうすれば、過ちはホトンド無くなります。宗教にどっぷり漬かってらっしゃる方には、その宗教の本以外の宗教の本を読んだことのナイ人がケッコウいらっしゃいます。何冊も読んだ上での選択ならば、それもイイでしょう。タダシ、同じ著者の本を何冊も読んでの入信は避けてください。全然、違う教祖の本をこそ、バラバラに一冊づつ読むべきです。全ての開祖の方々は、それはそれはイイことを述べてらっしゃいますから‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 21:11Comments(0)TrackBack(0)

宗教は買い主の危険負担!!

おはようございます。昨日の本の続きです。

詐欺や搾取を理由とするカルトに対する訴訟はほとんど成功しない。それは大部分の裁判所が宗教的教義や活動を含む問題を扱うことをしぶるからだ。カルトは相手が疲弊するまでどんどん上訴して彼ら自身を防衛するだけでなく、訴訟を煽動することもできる。訴訟好きなカルトと闘うための十分なエネルギーや財源をもつ原告は希である。多くの過激なカルト宗教の莫大な財産は、彼らに批判者以上の大きな有利さを与えるのだ。

大カルトの教祖たちは、瞑想的な生活のために現代文化の物質主義と縁を切るどころか、絶えず継続的に多角的な収入源を追求する。きわめて多くの宗教のカルトは、それが何であれ、金もうけの作戦本部であることは疑問の余地がない。彼らが主に強調するのは、募金と巨大な見返りを意図した投資である。教祖たちはあらゆる気まぐれな欲望を満足させながら贅沢に暮らしている。彼らのほかにも教団のなかで最も高い地位にある役員たちは貧しさとはほど遠い贅沢な生活をしている。

宗教的背景のなかで、幻影をつくのだして態度と信念を操作することは、完全に保護されている。法律は、信仰の誠実な宣伝と、富と権力を集める目的のためにのみ使われる戦略的なイデオロギーとを区別することができない。要するに、法律は破壊的説得に対処するには完全に無力であるばかりか、それを使う宗教団体に憲法上の保護さえ与えているのだ。幻影を永続化させることに対抗する法律はない。しかし、自分たちの目的を達成するため破壊的説得を使う教団に干渉することに対抗する法律は多い。数多くの規制機関によって人々は世俗的範囲では、インチキな取引や詐欺から保護されているが、宗教に関しては、あらゆる人間は自らを守らなければならない。「買い主の危険負担」[商業用語で、買った商品に対して売り手は責任を負わず、買い手が注意をしなければならない、という原則]というわけである。

米国の著者の話ですが、詐欺で失ったお金もマズ戻っては来ません。社会は厳しいものです。何事もヨク考えてから行動すべきというコトなのです。とにかく「イイコトがあったら、教祖様の御蔭、悪いコトがあったら信心が足りない」という様なトコには近付かないコトです。「イイコトも悪いコトも同じ人の行動の結果」でなければ、話は矛盾します。こうした『論理のすり替え』を行なっている人を信頼するのは、とても危険だというコトだけは覚えておいてください。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:02Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月09日

カルトはアナタにこう近付く‥‥

では、今朝の本の続きです。

カルト集団に入った人を「何であんなのに入るんだ!!」とか「バカみたい!!」と言うのは簡単です。でも、「オレオレ詐欺」に引っ掛かる人は、判っているハズなのに引っ掛かってしまいます。それでも、カルトがどういう勧誘するのかを知らないでいるよりは、知っている方が引っ掛かる可能性は低くなると思うので書き込みます。

例えば、彼等は個性の中から特殊なものを選り分けて欠点だと言いかえ、欠点ではないものに罪悪感を引き起こそうとします。大したコトではナイものも、そう言い出した人が、いかにもそれらしく堂々とそれらしく話をすれば、あなたはきっとその言葉を信じはじめるでしょう。

誰もが、なぜ人生は思いどおりにならないのかを解明するかぎを求めているので、大変です。気にいらないことの一つや二つ、誰でももっています。ボスが気に入らないし、財産も気に入らないし、その他の不満もいろいろあります。私たちはみんな人生はもっとよくなるはずだと思っていますから、誰かがやって来て、どうすればもっとすばらしい人生を送れるか自分たちは知っていると話す時、すでにあなたは、彼らに関心をもっているのです。そして彼らは、霊性、エネルギーといった効果的な言葉を使って話しはじめます。それらは強烈なものですから、印象的に聞こえます。あなたは、彼らが話していることは彼らが実際に知っているにちがいないと確信します。誰でもそんな言葉を使うことはできます。もし、あなたがその気になれば、明日からでも自分自身の教団をはじめることができるでしょう。

つまり、巧妙に近付いて来るワケです。詐欺師は、誰も自分のコトを詐欺師だとは言いません。普通に暮らしている人のトコロに、ハメテやろうと思って来るのです。普通の人は、他人に対して、そんなに身構えていませんから、「イイ人」だと思って付き合い出します。そして、ある時点まで行った途端に、豹変するのです。大阪で監禁されていた女性達も似た様な経過で、洗脳され、憎むべき相手を「御主人様、旦那様」などと呼ぶようにさせられてしまったのでしょう。

前に書き込んだ「オペラント条件付け」もそれに利用されます。だから、我々は決して「カルト集団」や「洗脳」・「詐欺」などを自分とは無関係だとあなどってはイケナイのです。

悪魔はソコに手を広げているかもしれません。他人の全てを疑っても困りますが、全ての人がアナタに意味もナク親切にしてくれるとは限りません。その辺りをヨク見極めるコト。イザとなったら、親など世代が違う人の意見も聞いてみましょう。≪諫言は口に苦し≫と言います。アナタに小言を言う人の方が、ズッとアナタを思いやっているかもしれません。優しい言葉のみで近付く人は、アナタを利用してやろうと思って近付いているのかもしれません‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 21:02Comments(0)TrackBack(0)

幻想に振り回される人々

更新が遅くなりました。朝一の仕事を終え、少しゆっくりしています。

甲子園に応援に行った方々はバテバテみたいです。それでも勝った疲れなので、我慢出来るとおっしゃっているみたいですが‥‥あの暑さ、殺人的ですからね‥‥軟弱なワタシとしては、甲子園もドームになれば、もう少し全国の高校生がハンディなしで戦えると思いますけど‥‥

画像はありませんが、あやつられる心―破壊的カルトのマインド・コントロール戦略
という本です。福村出版・トーマス・W・カイザーという人が書いてます。

最初にまずこんな警告の言葉が書かれています。

これまで群衆が真実を渇望したことはなかった。群衆は自分らの気にいらぬ明白な事実の前では、身をかわして、むしろ誤謬でも魅力があるならば、それを神のように崇めようとする。群衆に幻想を与える術を心得ている者は、容易に群衆の支配者となり、群衆の幻影を打破しようと試みる者は、常に群衆のいけにえとなる。(ギュスターヴ・ル・ボン著 櫻井成夫訳 『群衆心理』 講談社学術文庫)

本文にも、

現実をはっきり認識してこそ、私たちは精神的、宗教的、身体的な意味で生存することができる。しかしソフトな歪曲でさえも、私たちの目を曇らせ現実感覚を弱めてしまう。些細なものとはいえ、詐欺はやっぱり詐欺であり、私たちが比較的罪のないかたちの詐欺に気づかないでいるうちに、より大きなスケールでの詐欺に無感覚になる危険性がある。少量の砒素では人は死なないが、さらに量が増えていけばやがて人は死んでしまう。致死量としてどれくらいの量が必要だろうか?

とある。世界の国々の行く末を考える時、『ナルホド‥‥』と思わせる言葉ではあります。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:47Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月08日

延長サヨナラ大勝利!!

やった、やった、やりました!!!

長野県勢、久々の一回戦突破でありま〜す!!(負けた高校関係者の皆さん、ゴメンナサイ‥‥)

前にも書きましたが、本日ダブルスチールを果敢に決行した監督は、高校の隣のクラスの人なので、家族全員かなり力が入って見てました。

三点差を付けられた時は、サスガに今年も「出ると負け」なのか‥‥と思っておりましたが、百周年で違う高校を二回、甲子園に連れて行けただけに、運の強さはバツグンですね。無論、それを支える練習があったとは思いますけど、≪勝負は時の運≫が左右しますからね。

母校の卒業生達は、ゼヒ母校の監督になどと皆で期待してますが、私立高校の監督にスカウトされちゃうかも‥‥

ともあれ、実家に週末帰った時に、超ローカルな「須坂新聞」というトコにも、監督のコトが書かれていて、それを応援して高校の同期の野球部の二人が訪問したと、三人の写真が載ってました。何十年振りで見ると、一人は若かったのに、もう一人は完璧なオッさんになってまして、そちらがワタシの同級生。昨年から母校の教師になり、野球部の面倒も見てるようなのですが‥‥ワタシもオバさんになってしまったけれど‥‥苦労しているのかなと心配になりました。今の時代、先生稼業は大変ですからね。甲子園で勝利のインタビューを受ける監督の髪もかなり寂しくなっておりますし‥‥

ただ、二回戦は沖縄県が相手なので、簡単には突破出来ないかも‥‥関西、暑いのにヨク戦いましたよね。長野は昼間は暑くても、平地でも朝晩は涼しいのに馴染んでいるからな‥‥

明日は、応援帰りの方々からの土産話も主人あたりから聞けると思います。主人の知り合いは多数応援に行ってる様なので。

ワタシも応援に行きたいですが、仕事もあるし、日焼けに弱いのでムリですね。数時間、外にいるだけでヤケドみたいになって、ヒリヒリしてしまうタイプですから‥‥

ま、自分に合った応援させて頂きます。ガンバレ〜、ガンバレ〜、ガンバレ〜!!!(これをヤルと子供に古いCMだとバカにされます)  
Posted by seitaisikoyuri at 21:11Comments(2)TrackBack(0)

今だけ良ければというのは危ない!!

おはようございます。ついに米国の牛肉は再び輸入解禁されました。メキシコから既に牛肉が入って来ている(米国産とおぼしき)のなら、同じかもしれませんけど‥‥

安くて美味しければ‥‥確かにそれもそうでしょう。でも、それを堂々と表示したりして、不正が行なわれなければ、別に構わないのですけど。

過去に何度も外国産の肉を、国産と偽って売る人が多いコトは、皆が知っています。
昔、まだそれなりにモラルが皆に在った時は、そんな心配はしてませんでした。
でも、最近のモラルの崩壊はもう誰にも止められないホドになっています。

嘘を付いてでも、地位を得た方がイイ

人をダマしてでも、御金を得た方がイイ

他人を蹴落としても、自分だけ助かればイイ

自分の不満を自分の非力さに原因を求めず、関係のない人に当たればイイ

誰しも、我が身はカワイイでしょう。でも、皆で自分だけ良ければ、他人のコトはどうでもイイと皆が思ったとしたら、世の中は一体どうなるのでしょう?

他人の足を引っ張り合ったりしていては、世の中はちっとも前に進みません。

自らの失敗を反省するコトの無い人も増え過ぎていると思います。

自分でアヤマチの発端を作っておいて、それを反省するコト無く、平気でアレは失敗だった。では次。みたいなコトをおっしゃる人もケッコウ居ます。というか、そんな厚顔無恥な人の方が、世にのさばっているような気が‥‥

「過ちて即ち改むるにハバカルこと無かれ」と言いますが、誤ったコトに対して謝罪もせずにいてもヨイというワケではありません。

間違いを反省して、何故誤ってしまったのか、何がイケナかったのか、どうすれば良かったのかを考えて初めて次のステップに進めるのです。

その様なステップを省略していては、必ず次も失敗するだけだと思うのですが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:49Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月07日

涼しくなりたいなら‥‥

夏の納涼といったら、怪談、幽霊話と決まってますが、ホラー好きでナイので普通は読まないのですが、「浮世絵三部作」を借りるついで(と言っては失礼ですが、読む時は集中して読む方なので‥‥)に同じ著者の本をそうとは知らずに借りてきました。
黄昏綺譚
そんなに怖い本ではありません‥‥と言うべきか、実話なのだから、もしかしたら本当は怖いのだと思いますが‥‥

「人間は見たいものを見る」というマーフイーの様な話というか、霊力の強い人はそれなりに色々な目に遭うといったトコでしょうか‥‥

しかし、柳田國男の『遠野物語』批判に近いコトにも書かれてますが、本当に怖いのは生きている無慈悲な人間の様な気が‥‥ワタシ的には、『遠野物語』には『遠野物語』の良さがあり、『聴耳草紙』には全然違う良さがあるのだと思います。著者も「否定しているのではない」とは書いてありますが‥‥

オウム事件の前に書かれた文の中に、こんな箇所があります。

私の知る範囲では勤勉で真面目な若者ほど前世や守護霊に強い興味を抱いているように思える。
少ない事例で判断するのは乱暴かもしれないが、彼らは今の社会の在り方に絶望を覚えているのであろう。努力や真面目さがなかなか報われない。口先だけのお調子者が愛される。‥‥こつこつと働くものにとって今の日本は決してベストとは言えないはずだ。だから神にすがってもみたくなる。こんなことでいいわけがない、という怒りと絶望がその裏側に潜んでいるのだ。‥‥極言するなら幸福な人間にとって神も予言も不要だ。時代や国家にもそれは当て嵌まる。偉大な僧や聖者の出現が常に不幸な時代と重なっていることからも分かる。乱立とも言うべき現在における新興宗教の広がり。そしてそれを信仰する若者の急増も日本の不安定さと決して無縁ではない。

その状況は、今も変わらないどころか、マスマス強まっているような気もするのですが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 20:58Comments(0)TrackBack(0)

全てはこれから‥‥

おはようございます。長野県知事戦の結果は皆様、御存知の通りになりました。

「高校再編」という地域を刺激する問題提起に、その地区の人々が敏感に反応したコト、そして、約8%という投票率の低下、それが今回の結果をもたらしたのでしょう。大した差ではなかったのですから‥‥

現知事の≪軽挙妄動≫・≪軽佻浮薄≫という言動も問題にされたのだと思います。昔、母親に「ハサミを切る時は、三度よく考えてから切りなさい。一度、切り離したモノは二度と元には戻らないのだから」と何度も言われました。聞いて聞き流しでしたが、今の歳になればナルホドと思います。「親の小言は万に一つのムダもナシ」と言ったトコでしょうか?

でも、この敗北は現知事にとって、どうなのでしょう?

これから四年、新知事が選挙期間中「旧来の県政に戻そうと思って私を担いでいる人は必ず後悔する」と述べている通りに行動するならば、フランス革命の時の『ロベスピエール』みたいな扱いを将来受けるかもしれません。

しかし、現知事の行動を問題視しながらも、ヨリマシだろうと投票した人々の思惑通りになれば、『義経』のような扱いになるでしょう。

人生に於いて、外部から見ている限りは挫折らしき挫折をしてらっしゃらない現知事が、今回のコトを契機に、改めるべきトコは改めてバージョン・アップするかどうかも、関係すると思います。

ともあれ、こんなコトで挫けてしまうと、反対派の思惑通りに『ドン・キホーテ』の烙印を押されかねません。≪捲土重来≫・≪臥薪嘗胆≫されるコトを願ってやみません。

新知事は、一度政界を引退せざるを得なかったのですから、人生の晩節を飾って頂きたいと思います。

ホトンド何もおっしゃらなかったコトが幸いして当選しているので、不安を抱いている人はかなり居ますが、日本の最高学府と呼ばれるトコロに在籍してらっしゃったのですから、不安を払拭してくださるものと思います。

ただ、そうした期待が裏切られた時は、無党派層の人々は必ずや次回選挙でよりもっと違う選択をするハズです。(次は出ないからと言われてしまえばそれまでですが‥‥)

ハッピーエンドと呼ばれても「結婚」は新たな人生のスタートに過ぎず、「出産」も子供を育てる第一歩に過ぎないのです。選挙結果が出て、全てが終わったワケではありません。逼迫した財政をどう舵取りするかはこれからの大問題なのです。

今回の選挙結果が、実際にどんな結果をもたらすのかは、これからの知事候補だった方々の行動に全て掛かっているのですから‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 08:31Comments(2)TrackBack(0)