2006年10月31日

人間は買えない

拝金主義の人々がはびこっていて、「金さえあれば、何でも買える」というつもりの人が増えているけれど、「大体のモノは買えるが、本当に大事なモノだけは買えない」と思います。

確かに、奴隷という制度も世界中にはまだ残っているだろうし、労働者も自分の時間を会社に売ってはいますが、「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もあるように、御金で買えるモノは、表面的なモノで、本質的な部分は買えないものです。

結婚しなかったり、出来なかったり、子供を産むという選択をしなかったりしている人々の中には、『理想の人生とか、理想の人物とか、理想の生活、理想の子供みたいな考えが強くあるのでは? 』と思うことがあります。

今は、昔と違って色々なモノが売られている時代です。よく言われるコトなのですが、長野では勤労感謝の日の前後で「えびす講」と呼ばれて買い物客が沢山出て、お祭りみたいになる時期がありました。過去形なのは、今でも、花火とかが上がって綺麗だったりするのですが、昔だったら、過酷な農作業が終わり、一年の締めとして、欲しかったモノを買う様な一大イベントだったのに、最早、「毎日がお正月やお盆やえびす講」みたいに、何でも買える時代になり、スーパーで連日安売りのチラシを入れていると、欲しい時が買う時みたいになっていて、何でも手に入る様な気がします。

だけど、残念ながら、人間には感情があるので、どのショーウインドーを眺めても、自分の「希望する結婚相手」も、「理想の子供」も売ってません。結婚相手や子供というものは、気に入らなかったから「返品する」コトも出来なければ、「買い直し」というワケにもいきません。

相手をとっかえひっかえしたとしても、理想ばっかり追っていて現実と妥協しない限りは、離別体験が繰り返されるだけです。

他人がアナタの空白を埋めてくれるワケではありません。自分の空白で淋しい部分は、自分で埋めるか、互いに淋しい部分を持っている人間同士で、傷を舐めあうのではなく、助け合って生きるコトしか出来ません。友人だろうが、何だろうが、全て同じです。自分と一体化する人なんて、ドコにも居ないし、だからこそイイのだと思います。自分で自分を抱きしめても、それで終わりですが、自分以外の人を抱きしめれば、その人の体温を感じます。そんな当たり前のコトを忘れている人も、増えているのかもしれませんね。

ちなみに、これからの季節、子供達と一緒に寝ていると、湯たんぽみたいで、とっても温かかったりします‥‥  

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産むのも生きるのも大変だが‥‥

おはようございます。お釈迦さまが、この世は「生・病・老・死」という苦しみがあるとおっしゃったのは、かなり昔のコトになりますが、確かにそうでしょう。それでも、皆、「子は親となり、子は親となる」から、現在まで人間社会は続いて来たのです。

どんなにオカシナ人々が存在しようとも、自分は染まらずに生きようとするコトは可能で、極端な話、相手が誰であろうと、もっと極端だと女性だったら、相手が完璧に不明でも人工授精すれば子供は産めて、ともあれ、その子供は自分の子供に変わりはありません。

しかし、世の中が平和になり過ぎて、生きているだけでも十分大変だった時代とは違い(平均寿命が長くなったタメ。ちなみに縄文時代の平均寿命は三十歳ぐらい)、楽に生きれるようになったから、逆に生きるコトの価値が相対的に低下している。

その上、皆、楽に楽に生きようとして、今日の新聞でも大変な「産婦人科」や「小児科」の医師の不足は深刻だという。確かに、ある程度以上のお金が得られるのであれば、苦労せずに楽しく人生を送りたいだろう。ホトンドの人がそう考えても無理はナイ。でも、それでイイのだろうか?
30代未婚男
この本を、「未妊―「産む」と決められない」の前に読んだのだが、共通して言えるコトは、自分というモノが一番最初にあり過ぎて、他人への「ギブ」の感覚が弱いコト。

世の中は「ギブアンドテイク」というが、「ギブギブ」と与えてさえいれば求めたものが与えられるワケではナイし、「テイクテイク」と欲しがってばかりでも、やっぱり貰えるとは限らない。意思を持って、まず与え、そして権利として貰うものは貰うつもりが必要だと思う。

現実が自分に合わせてくれるワケではない。自分を現実に合わせるしかナイ。大変なトコにこそ、「やりがい」が潜んでいるので、楽をして果実だけを手にするコトは難しい。

今は、そんな当たり前のコトを教える人もドンドン減っているのだろうか? 高校が予備校化する時代なんだから仕方ナイのかもしれないが、そんなんだったら、いっそ全部予備校にしてしまって、大学に検定試験で資格を取らせて受けさせればイイのに。もっと、しっかり身が入った教え方をするだろうから‥‥社会における自分の仕事の意味や、責任、使命というものを忘れた人々がとても多い様に思えてならない。立派な人も居るには居るのだが‥‥  
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2006年10月30日

事なかれ主義の大人達

岐阜県瑞浪市の中学二年生が自殺した学校の、校長の話などをTVで聞いていると、こっちの方がうんざりします。

思い出して欲しいのが、2000年に発覚した5000万円恐喝事件。
ぼくは「奴隷」じゃない―中学生「5000万円恐喝事件」の闇
この事件の取材が本になっているのを、借りて来ていたので、すぐに読み始めました。(本来は、先に読んでいた本の話をするつもりだったのですが‥‥)

何と言うべきか、驚いたなんてもんじゃない。事件が発覚したのは、偶然、恐喝に遭っていた中学生が、ボコボコにされて入院していた病院で、三人の男性と知り合ったからで、そうでなければもっと被害は増大していたのだ。

しかも、最初に聞き出して、助けてやろうと動いた男性は、父親が暴力団組長で傷害事件で中等少年院に入ったコトがあり、「荒れて」いた経験から、直感で少年が恐喝されていて、袋だたきに遭ったと悟って、「何とかしてやろう」と思ったコトが、キッカケだった。

学校も、警察も、恐喝した金で豪遊していた少年を乗せたタクシー運転手を含めた周囲の大人達も、元ワルの青年よりも最低の人間だったというコトだ。

恐喝した人間も、以前に恐喝されていたりと、学校の管理責任が問われるべき問題なのに、事件を捜査せずに放置していた警察も、問題にしようとしないで逃げ回っていたと言っても過言ではない学校側も処分の甘いコト、この上ない。

処分した市教委は、「処分対象になった人は、『運が悪かった』と思っている考えがあるのではないか。被害者の気持ちを考えてほしい」と担当した弁護士が批判している。

昔、中学生の頃、友人と二人で放課後音楽室のあたりに行ったら、誰もいないハズなのに、なんだか声がする。二人で、こっそり様子を窺うと、異様な風景が目に入った。二人して、誰にも悟られない様に、その場を立ち去り、職員室に駆け込んだ。で、私達が密告したコトは黙っていて欲しいと教師に頼み込んで、二人してさっさと学校を後にした。

後日、判明したコトは、三年生が大勢で一年生の生意気そうな男子を一人ずつ呼びつけては、土下座させてたらしい。別に金品を強請ったりしていたワケではなく(昔の山の中の中学だったから)、ただ上級生としての優越感に浸りたかったらしい。どうも、それは以前から続いていたらしいのだが‥‥

私達二人は、全く関係ナイというコトで知らんぷりをしたままで、大事にならずにそれで事件は解消し、おそらく連鎖はソコでストップしたハズだ。(こんな時代だから、復活しているかもしれないが‥‥)

ともあれ、その気になって指導すれば、指導出来るハズで、昔だからという言い訳は通用しないだろう。要は、教師にやる気があるかナイかだけで‥‥

つくづくと、昔の学生で良かったと思うのだが、そんなコトばかりも言ってられない。もう少し、自己保身ばっかり考えてナイで、早く手を打てば、何とかなったハズなのに‥‥火事だって、初期消火のうちはスグ消せる。大火になる前が大事なんだけど‥‥

それにしても、未履修問題への校長先生の反省の弁もメチャメチャ変ですよね。しかも、自分でやったコトなんだから、死んで問題から逃げずに真正面から問題に取り組んで欲しいと思います。ともあれ、五千万円を恐喝されても被害者の少年が、生きていてくれて本当に良かったと思います。生きてさえいれば、未来はあるんだから‥‥  
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頑張り過ぎないで生きる

おはようございます。高校の必修科目未履修問題は、何時も通りの「無理を通せば、道理が引っ込む」になりつつありますが、高三男子が、「ホリエモンのように金儲けのタメに、何をやってもイイという考えはダメだと教えられたのに、学校は受験のタメなら何をやってもイイと教えている」と自らの私立高校を批判したそうですが、当然でしょう。

「いじめちゃイケナイ」と口では言いながら、黙認したり、露見しても自らの保身に大わらわの教師達の態度ほど、子供達をバカにしているものはありません。

でも、だからこそ、大声で言いたい!!!

バカみたいな奴らのタメに死ぬなんて、もっとバカみたいだよ!!

他人の人格を尊重出来ずにいるバカな人間、そしてそれを自分がカワイイからと見て見ぬふりをする事なかれ主義のアホな人間のタメに、死ぬなんてバカげていると思わないか?

どうせ死ぬのなら、もっと価値あるコトのタメに死になよ。誰かを助けるためとかさ‥‥少なくとも、死にたくなるほどイヤだったら、そんな場所に近づいちゃダメだ。世の中には、学校なんて星の数ほどある。不登校しようとか逃げずに、「違う学校に行かなきゃ、もう生きていけないよ」と親にはっきり言おうよ。

転校が大変だと思っているなら、世の中には役に立つとは限らないけど、相談センターなんかもあるんだから、ソコに話を聞いてもらったりしてみてよ。子供にとっては、卒業までの時間は長く感じられるかもしれないが、長い人生から見たら、ほんの少しの時間なんだよ。それっぽっちのタメに人生を無駄にしちゃ、モッタイナイんだけど‥‥ま、今まで生きて来たから言えるコトで、昔はこっちもナーバスだったから、「自殺」を考えたコトはあったんだけどね。でも、だからこそ、言えるコトもある。

そんなに「人生は完璧じゃなくてもイイんだ」「疲れるホド頑張る必要はナイよ」、昨夜の本の仕事か子供かで揺れる女の人もそう。どんなに頑張っても、世の中の欲しいモノ、全てが手に入るコトなんかナイ。手にしたもので、どう満足して生きていくかなんだ。ちゃらんぽらんな人が生き残って、真面目な人が死んでりゃ世話ナイじゃないか。

イヤなものはイヤ、出来ないモノは出来ないとはっきり自己主張しようよ。自分だけ我慢すればなんて思っていたら、本当に自分を殺すしかなくなっちゃうよ。

我慢も大事だけど、正当な怒りはしっかり外に出す
そうじゃなきゃ、生きてて苦しいばっかりだよ。  
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2006年10月29日

少子化の本当の理由

更新が遅くなりました。少子化について、産む立場の女性の本音を聞き出した本があります。
未妊―「産む」と決められない
今朝の書き込みで、10代のできちゃった婚について書きましたが、子供が出来ないというのも、それなりに大変です。ちなみに、この本のできちゃった婚に対するアンケート(2004年小学館ウェブマガジン「FAnet」の調査)について書いてある部分によると、回答した三〇〜四〇代女性の五六%が「大賛成」「それでも幸せなら賛成」「アリだと思う」などの肯定的選択肢を選んだ、しかし、一〇〜二〇代では肯定的回答をした人は四二%。

FAnet編集者は、「できちゃった婚は若い女性の間で多いのに、若い人の方が厳しい見方をしているので意外でした」とコメントしている。

若い年齢層の離婚率が急上昇していて問題になっている。二〇代前半で四割を越えてしまい、もはやアメリカ並み、一〇代に至っては六割にせまる。

「条件を整えてからすべき」だと妊娠を考えると、逆に妊娠のタイミングは逃げていくという矛盾。

とにかく、「授かりもの」であるべき子供を、好きな時に産める状況で産みたいと思っている夫婦が増えているものの、では、いざ産もうとした時に、都合良く産めるかというと、妊娠とはそんなに簡単なものではなく、高齢化すればするほど、妊娠することが難しくなっていくのです。

流産率は、二〇代でも一〇人に一人強、三〇代後半では一〇人に二人くらいになり、四〇代では一〇人に三人くらいの割合になる。

しかも、体外受精の成功率は四〇代半ばでほとんど可能性がなくなってしまいます。

五〇代でも、六〇代でも産めるのだが、だんだん宝くじで一等賞を当てるような話になってくる。


高齢出産出来る人がいるというコトと、自分も高齢出産で産めるというコトは、決してイコールではないのです。高齢でも産める人がいる反面、若くでも産みにくい人がいる。そして、若い頃よりも、高齢になるに従って、出産は難しくなるのだというコトを淡々と書いてあります。

「赤ちゃんはコウノトリが運んで来てくれるのだ」という、非科学的なれども、子供は「天の恵み」であるというコトを無視できるホド、人間はまだ進化していないのです。  
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「家庭崩壊」の現状

おはようございます。今週の「食べ物が作る健康」は昨年書いた「リンゴ」なので、略させて頂きます。

で、昨日の話を続けることにして、今朝は『「家庭崩壊」の現状----児童相談所から』というトコからです。三人の方が共著されてます。

子どもと面接しての感想。
「近頃、子どもがギスギスしている感じしない? 疲れているのかなあ」
「そうね。緊張が強い感じ」
「それに、この人はどんな人か、見きわめようとしている感じ。押さえつけられるんじゃないか、それとも味方になってくれるのか、それがわかってから態度を決めようとしているみたい」
「子どもどうしだって簡単には信じられない。バラバラにされているんだなあ」
「一時保護されてくる子どもは、ほとんど学校で勉強がわからないまま置いていかれたようで、教えてひとつでもわかると嬉しそうな顔するね」
「目立ちたがり屋でもあるなあ」
「そうしないと自分の存在が忘れられてしまう、そういう経験をたくさんしているみたい」

そして、実例として「中三の女の子が妊娠二ヶ月、産むつもりなのだが、相手は十七歳のアルバイト。そちらも出産に賛成。女の子の父親も賛成しているが、その家は父子家庭、十八歳の姉は二十一歳の男とそこで同棲している。一軒の家に三世帯といった感じで、父の部屋、姉と同棲している男との部屋、中三の女の子の部屋がバラバラで、互いにあまり干渉せずにそこそこ生活できればいいという感じ。外側から見れば、それほどおかしく見えないが、内部では家庭としての機能が確実崩壊しているのではと受け止められてしまう。

と思うと、姉と弟の小さいときに両親は離婚。母親と三人で暮らしていたが、半年前から、母親は男性のもとへ行き、時々お金を届けるだけで、高一の姉がアルバイトして不足分を埋めて、中二の弟と暮らしている。しかし、最近、弟の姉への暴力が激しくなり、勉強も出来ないのでと助けを求めた。「養護施設」への入所を希望する姉だが、母親が拒否。ならば、家庭裁判所の承認を得て、入所させると母親に連絡すると、弟だけを引き取り、姉の施設入所に同意。姉は養護施設で高校を卒業して、希望の職種に就職し、施設を出たが、就職先も、落ち着いたら自分で連絡するが、母親に教えないでと頼んだとのこと。

などなど、想像し難い現実がある様だ。世の中には、信じられない人が存在しているみたいだが、その子供達が不幸の連鎖から逃れられることを祈りたい。  
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2006年10月28日

虐待という病理

さて、今朝の続きです。

「虐待」というのは、ABUSEという言葉の訳語なのですが、ABとはアブノーマルのアブと同じです。ですから、本来の直訳「誤った取り扱い」という意味で考えると、より広く子供を「虐待」している親の親権を停止しやすく出来るのですが、日本では、過失ではなく、やっつけようと思ってした故意だと確定しないと、親権停止には出来ないのだそうです。

虐待を加えておいて、子どもの面倒を見る権利があるとは変だと思うでしょうが、生活保護費めあてだったり、体面を汚されたくないがタメに、親権の剥奪を拒否する人も多いようです。

その障害は、第一に、親は、故意ではない、子どもに良かれと思ってやったことであると主張して、自らの責任逃れをしてくるであろう。
(本来はこの話とは無関係ですが、この発想は高校の必修科目未履修問題の言い訳と酷似している様に思うのは、ワタシだけでしょうか。とすると、日本の教育を担っている地位のある方々は、虐待している親と同程度というコトになりかねない。今朝の失敗せずに、成功を無理強いするのも虐待であるという部分と重ねると、さもありなんと思うべきコトなのかもしれないが、子供を無理に自分の鋳型にはめ込もうとするのは、大変危険なコトだと言わざるをえない)
いじめようとしてやったのではない、懲戒だと思った、体罰を加えようと思ったに過ぎない、といってくるに違いない。つまりは過失の主張をするであろうことが予想されるが、これに対抗するのは容易ではない。

第二に、「虐待」は「悪い意思」と法律判断の中心におくと、その後、反省した者は「悪い意思」は解消されてしまう。
そうすると虐待だったと判断されても、今は反省しているからと、親権の剥奪まではしなくてもということになるが、虐待者の常として、反省は一瞬のもので、かっとすると反省は無力になり、理性など吹っ飛んでしまう。かっとするから虐待するのであって、反省はどちらかといえば無力なのである。
反省よりも、日常生活の習慣・会話・反応の改善を求める方が、効果的である。

第三に、両方の親と子どものそれぞれに知的障害などがあると、行動が意思に基づくかどうか、処罰にふさわしいかどうかの問題になる。

多くの虐待問題は、親子とも虐待関係から抜け出ようとしても、その方策がわからない、人間関係の持ち方がわからない、子どもに対する接し方がわからないという場合が多いので、処罰しようとして、抵抗されるよりも、一度処罰評価を棚上げして、虐待を招く人間関係を改善するために、虐待の社会関係、人間関係、心理過程に対し、原因を究明しつつ親と子どもに対し、社会訓練をすべきという考え方が、少しずつ認知されてきているそうだ。  
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虐待の原因

おはようございます。昨夜の本からです。本日は、木下淳博さんとおっしゃる弁護士の方の「家族病理としての子どもの虐待」から、虐待の原因について、最も直接的で説得力があるのは、
子どもの虐待―子どもと家族への治療的アプローチ
こちらの本だそうです。これは読んでないので、いずれ読みたいとは思いましたが、その引用からも含め、略して書き込みます。

虐待傾向のある親に見られる特徴

 岼預絃匹よび受動性」‥‥子どもよりも親の方が誰かに甘えたい。甘えたいのに子どもは当然甘えさせてくれない。ゆえに、自分に甘えてくる子どもが憎くなる。

◆崗彳粟と攻撃性」‥‥すぐかっとするという特徴があり、感情を抑制する社会性が獲得されてない。

「社会的未熟」‥‥社会的、情緒的に問題を抱えていて、未成熟、発展過程にあるので、子どもの要求がストレスになる。

ぁ嵌鷂充妥な認知と期待」‥‥成長過程での当然な子どもの失敗を、成長の糧と思えず、子どもにできる・しなければならない、との誤った思い込みによる期待をし、それが叶えられないと知ると虐待する。

ァ崘朸者の愛情を子どもにとられると思う嫉妬」‥‥子ども時代に十分愛されなかったゆえに、その不足感を充足させようと一挙に愛情欲求を配偶者に求めようとする。その愛情を奪う子どもは、ライバルであり、虐待すべき存在となる。

「精神疾患」「離婚、別居、不安定な婚姻関係、不和、経済的問題、家族関係の葛藤」「未熟児出産、多児出産にともなうストレス」

「世代間連鎖あるいは夫婦間暴力の連鎖」

虐待者は、自分が受けた誤った教育によって、暴力が愛情表現であるとの認知をしている。虐待された事実について怒りを持っているが、どのように解消すべきかわからず、怒りの感情を外部へ投影しようとする。弱い無力な自己を否定し、暴力を加えた親・攻撃者と自己を同一化して、攻撃を子どもに向ける。

虐待を受け、子ども時代に情緒的欲求が満たされないと、子どもに自らの欲求充足を求めて「役割の逆転」を生じさせるが、子どもは自己の成長に必死で親の欲求など満たせない。ときとして、「逆転」した関係を受け入れた子どもは、ゆがめられて欲求不満を引き継ぎ、未解消の依存欲求を自分の子どもにとの連鎖を産む。子どもからの依存拒否に、悪い自己イメージを投影し、子どもを攻撃し、攻撃者である自分に親の姿を重ねて、全能感の獲得を狙う。

ゆえに、教育によって虐待連鎖を断ち切る必要がある、というコトだそうです。  
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2006年10月27日

家庭の崩壊と子どもたち

今朝のワタシの意見と似た様なコトを書いてらっしゃる方もいて、驚きではありますが、当然とも思います。こちらの本です。
家庭の崩壊と子どもたち
坪井節子さんという方の「離婚における子どもの権利保障」から、

弁護士として子どもがいる家庭の様々な離婚事件に関わり、あるいは離別や別居を契機とした家庭崩壊の犠牲になった子どもたちと出会ったなかで、私は、子どもたちを問題のかやの外に置き、親権者の決定や養育料、面会交流の条件決定のときにだけ思い出したかのように登場させている今の離婚制度に、根本的な疑問を感じるようになった。

崩壊しかけている家族のなかで、子どもたちは必死にその絆を取り戻そうと健気な努力をしていたり、自分に責任があるのだと自分を責めていたり、両親の弱さを一心に引き受けて病気になったり、問題行動を起こしたりしている。両親の勝手な離婚のために安住の地を失い、荒れ、自分を傷つけ、不安に駆られ、親を恋いながら親を厭い、人間不信に陥っている。両親の二の舞にはなるまい、幸せな家庭を築くのだと決意しているにもかかわらず、人との距離の取り方がわからずに甘え過ぎたり、依存したり、冷淡すぎたりして、結局親のたどった道と同じ道に迷う子もいる。

家庭内の暴力や虐待、遺棄などにより、離婚しなければ親自身が人間としての尊厳を保ち得ないような夫婦もあるわけだから、子どものために、ただ親が忍耐すれば良いということではない。しかし自ら望んで伴侶と結婚し、子どもを持つことを選択した以上、せめて親への依存から脱して生きていけるようになるまでは、自らの選択の結果に責任をとるという態度で生きようとする親が、一組でも、二組でも増えてほしいと思う。それは決して子どものために親が犠牲になるということではない。自らの選択の結果に対する責任を回避しないという形で、親自らが毅然として人間としての尊厳を保つということなのである。

本当にその通りだと思います。  
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子育て支援の発想

おはようございます。本の話の前に、昨夜の続きがあります。今朝の「信濃毎日新聞」によると、県教育長は、2005年四月に長野高校長として赴任、問題を把握していたものの、指導要領に合致するよう、実態と異なる教育課程表を提出していた。

その言い訳は、「知ってなんとかしなければならない」と感じ、来年の四月からは実際に授業を行うつもりだった、そうです。「やるつもりだった」なんて言い訳するくらいなら、少なくとも今年の四月からやっといたらイイのに。呆れた言い訳ですよね。

三年生の男子は「全員に世界史の教科書が配られたのに、これまで何も説明がなかった。(学校側の)暗黙の了解のように感じた」と話したそうです。

こんなことだから、補習について、ある三年男子は「生徒は自習と思って、受験に必要な科目を“内職”するはず。先生も『授業を聞いてくれ』とは言わないだろう」と言ってるそうです。

それでも、一応の知識があるとナイとでは、受験はともかく教養という面では違うんだけどね‥‥受験戦争で「勝つタメなら何をやってもイイ」という思想を心に植えつけられた生徒は、社会に出てもそうやって「モラルを破壊してでも勝てばイイ」という人間になっていくんでしょうね。

だから、今の様な日本社会が出来ているので‥‥ちなみに、世界史は覚える人の名前が多過ぎて、ワタシもイヤイヤやっていたから高校生が敬遠したくなる気持ちは理解出来るのですが、「どんなに悪法でもルールはルール」というソクラテス以来続いて来た、順法精神を失っては世の中は正常に機能しないのですが‥‥権力者が恣意的に運用しているのを見ていれば、そうは思わないだろうけど。

そんな日本と違う国の話です。
社会で子どもを育てる―子育て支援都市トロントの発想
日本の社会にとって、参考になりそうなコトが一杯書かれています。確かに、こういう制度だったら、子育てはしやすいだろうなと思います。

ただ、「日本でもこれからますます離婚が増えていくでしょう。離婚は残念なことではありますが、必ずしも不幸なことではありません」という主張だけは、どうでしょうか? 養護施設の子供達をはじめ、親の離婚は子供達にはかなりダメージがあります。そのダメージを覚悟してでも、別れるべき理由があるなら「仕方ナイ」とは思いますが‥‥

ともあれ、大変な子育てではあっても、社会がバックアップさえすれば、そんなに大変ではなく子育ては出来ます。大変なコトがあっても、「子供のタメなら」と乗り越えられます。子供の笑顔を見られるならば、大変でも「子育て」は「やりがいがある」と感じるとワタシは思うのですが‥‥  
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2006年10月26日

高校必修科目、未履修問題のアホらしさ

既に書き込みしている問題をもう一度書くとは思いませんでしたが、あまりにバカバカしい話だとマスマス思ったので、書き込みます。

今日の新聞に県内2校で未履修という大見出しで一面トップで地方紙の「信濃毎日新聞」に載りました。「へー!!」と思ってたら、県教委は県内全校を調査すると書いてあるので、「ああ、そうか」と思っていたら、TVやラジオのニュースで「長野高校も未履修」と報じているではありませんか。

県内屈指の進学校だから、どうこうと言うつもりは全くナク、ココで問題としたいのは、なんと長野県の教育長は、高校再編問題で前の教育長が辞任して空席になったので、山口利幸・長野高校校長待望論があるとかで、この九月から長野高校の校長から転進した人なのです。

未履修問題は、調査しなくても、校長だったんだから知ってましたよね。でも、黙っていた‥‥

おまけに今日のTVの県内ニュースで教育長として、「現場とすれば苦渋の選択だった‥‥」という趣旨の発言をしていました。

普通の感覚だったら、まずは自分がしていたコトなのですから、謝罪があるべきだと思いませんか?

まるで、他人事ですから‥‥どういう人なんだろうと、呆れてしまいました。

おまけに、自分が承知してやっていたコトなんですから、当然、非難も出来ないですよね。

これが、「教育県」と呼ばれた長野県教育の現実かと思うと、バカバカしくて話になりません。

人生で最大の難関ともいえる大学受験を控えた高校三年生の気持ちを考えると、「ありえない!!」と思いますけどね。

ココでも、ダブル・スタンダードで問題は処理されてしまうのでしょうか?

高校生にとって、人生に於ける「素晴らしすぎる経験」でしょうね。モチロン、皮肉を込めて‥‥

「そういう大人ばかりじゃないよ」と言ってあげたいのですが、「今の時代って、夢もないし、がっかりすることばかりじゃありませんか」という科白が、今朝の短編小説に出て来ます。

オカシナ教師や校長そして教育長までが、存在する限り、学生がマトモになるハズはナイのだと思いますが‥‥皆さんは、どう思われますか? とりあえず、教育基本法に問題があるからとは、ワタシにはどうしても思えませんが‥‥  
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HP復帰しました〜!!

お騒がせしましたが、本日HPが元通りになりました。

時間が掛かったのは、アメリカのドメイン会社まで巻き込んで、ドメインを取り返すコトになったからだそうです。(そんな大げさなコトになっていたとは‥‥)

皆様、御迷惑をお掛けしました。御心配ありがとうございました!!!

晩の日記もこの後で書き込みますが、まずは御報告まで。  
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援助交際への仰天言い訳!!

おはようございます。ミステリーにして、依存症のコトが理解出来る一冊です。
住宅展示場の魔女
心理学の本の話で、「依存症」の実態を難しすぎて理解出来ないと思われる皆様、ブラックユーモアたっぷりの短編集にて、御理解ください。

簡単に言えば、他人がズレているコトは理解出来るものの、自分がズレているコトは理解出来ない、若しくは理解したくない人々、と言うか、自分の理論の正当性を詭弁を弄して正当化している人とすら思えます。それは、親から子へ脈々と受け継がれる様で‥‥

ミステリーの本筋とは関係ないので、高校教師が援助交際していた生徒の母親に説教している場面から。(かなり略して)

「お嬢さんがずいぶん長い間、援助交際をしていたのに気づいてなかったんですか」
「たしかに、おかしいとは思っておりましたけど‥‥」
「聞き出して、もっと早くに手を打てば、警察に補導されることもなかった」
「こ、怖かったんです。ほんとうのことを言われると、どうしてよいのかわからなくて」
「保護者がそんなふうでどうします。十人以上の男性と関係してたんですよ!」
「十人以上が悪いんですか」
「えっ?」
「二人だって、三人だって、十人だって同じです。今時、処女で嫁に行く娘なんていません。花婿もそれを期待してないでしょう。だから、相手が一人だろうと、十人だろうと、百人だって同じです」
「いくらなんでも百人というのは」
「わかるのは、産婦人科の先生くらいです。減るものでもないし、娘は産婦人科に嫁がせませんから」
「妊娠の可能性や、病気の感染も」
「中学の時に避妊をしっかり教えてあります。もし娘が体を売っていると知ったら、家庭内が暗くなります。そんなことを知らぬまま、早く良い相手を見つけて、嫁に出せばいいのです」

小説ではありますが、こんな言い訳する母親が現実に居そうで怖いです!!!  
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2006年10月25日

していいことといけないこと

現在の教育がオカシクなっているのは、決して「教育基本法」や「ゆとり教育」のせいではナイという証明みたいに、各地の高校で履修すべき社会科が、不正に教えられてないコトが次々に明るみになっています。

はっきりとは言わないものの、「(大学により多くを合格させるタメには)仕方ナイ選択だったのだ‥‥」という感じのニュアンスが伝わって来ます。だったら、堂々と文部省にカリキュラムの変更を要望すればいいのに、コソコソ隠れてやっていて、見つかったら開き直るなんてのは、教育者としてあるまじき行為ですよね‥‥自分達のトコだけ、こっそりやって抜け駆けしようとしてたんだろうとは思いますが。

こういう人物が、トップにいるのに、マトモな教育が出来ると思いますか? 銀行の支店にしても、スーパーにしても、支店長や店長で全然成績は違ってきます。当然、学校だって校長次第で全然違うはずです。

教師の質をウンヌンする前に、校長や教育委員会などの質を問題にすべきでしょう。

子供達に、していいことといけないこと、しなければならないことなどを整理して提示し分別を伝えるのが教育だというのに‥‥

今朝の本に中にこんな一節があります。

アメリカの心理学者マズローは、その著書『モチベーションとパーソナリティー』で、基礎的な欲求が充足してくると、より高次な欲求が現れて社会的文化的に高い次元へと移行していくものであると欲求の種類を規定した(一九五四)が、わが国の状況や自らのそれを省みるときに、この理論が欠陥だったのか、欠損を持つ卑しい遺伝子のなせる業なのかと自ら疑わざるをえないのである。

衣食がこんなに足りても礼節の回復が現れてこないのである。

景気が回復しないといわれて一〇年になるだろうか。そして景気回復のためにたくさんの借金を重ねているのは本当に正しい選択なのだろうか。一九六五年頃からの高度経済成長、また一九八〇年代のバブル経済などが異常だったのではないのか。

そのために失っていけないものをどれほど失っているのかを考えなければならないのではないだろうか。  
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「再生」するタメには‥‥

おはようございます。昨夜の本の続きですが、今度は「婦人保護施設」について書かれた部分から、感動的な実際にあった話をコメント抜きで引用します。
昔の話なので、現在とは様子が違っているかもしれませんが、以下は原文を手短に略して。

婦人保護施設は、一九五七年に成立した売春防止法を根拠として、売春に関わっていた婦人達を保護し社会的自立をめざす施設であった。

ある日、四〇代半ばの婦人と若い仲間と無断外泊した時、三〇代前半の寮母が無断外泊から舞い戻った婦人に、かなりきつめで少々長い注意や叱責をしていた。そのうち、婦人が、「おい、てめぇくどいんだよ! お前に何が分かるんだ。お前はどんな苦労をして生きてきたというんだ。身体を売らなければ生きられない者の気持ちが分かるのか! お前、出来るかそんなこと。偉そうにグズグズ言いやがって!」と激高した。

寮母も負けず、言い合いは激しくなり、言い負かされそうになった婦人の怒りや興奮は頂点に達し、「てめぇ、ぶっ殺してやる!」と叫んで、自室から西洋剃刀を持ち出してその寮母に襲いかかろうとしたので、寮母は逃げ出し、他の職員が怒りの固まりの婦人を追ったが、鋭利な刃物を振りかざしているので取り押さえることが出来ないでいた。

寮母の逃げる場所が行き止まりに追い詰められた。怒り狂った婦人は自らが持つ鋭い刃物に刺激されて昂りはもう沸点を超えたようだった。
あわや、惨劇という瞬間、寮母はくるりと向きを変えてその狂ったような婦人に向き合ったのである。誰もが息をのんだ。
「いいわ、わたしのいのちをあなたにあげる! その代わり、わたしの分もちゃんと生きて頂戴!」
決意に満ちた表情で寮母がそう言い放った瞬間、あたりは厳粛な雰囲気で満たされた。

すると婦人は突然、「うわ〜っ!」と叫びとも悲鳴ともつかない声を上げて、剃刀を振るい上げ、いきなり自分の眉間のあたりから頬にかけて切り下ろした。
幸い、急所は逸れていて命に別状はなかったが、相当な重傷であった。殺されそうになった寮母は退院するまで帰らず婦人の付き添い看病し、長い日々を病院で過ごした。

「私を利用し、騙す者しか私の周りにはいなかった。でも、寮母は、私にいのちをくれると言った。こんな人と生まれて初めて出会った。この人のためならば何でもできる」
退院した時には、婦人の生き方や人格までが真っ直ぐに変えられていたのである。  
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2006年10月24日

養護施設の実態

今朝の日記で、「社会で子供を守ろう」という趣旨のコトを書きましたが、現在下の本を読んでいて、それが念頭にあったからです。
誰がこの子を受けとめるのか―光の子どもの家の記録
養護施設を開設するにも、様々な反対があり、それを説得する形で開所し、悪戦苦闘している現場からの報告です。

溢れるような家族の愛のなかで最も信頼し安心してよりかかることのできるはずだった家庭から引き離され、その家族に期待されることも乏しく、期待することは夢の如くにあり、独りで生きていくことは、子どもでなくても困難を極める。そして逃げるあてもなく、回避不能であるならば、課題への意欲や未来への希望が生まれるはずもない。運命を呪い、神を恨むようにもなる。養護施設の子どもたちが出会う危機であり、決定的な課題の時でもある。

「子どもがもつことのできる一番大きな恐怖は、自分が愛されないことですし、愛を拒否されるということは、子どもがひどく恐れる地獄」『エデンの東』なのである。

その子どもでなければ負うことのできない課題であるということで手をこまねいている怠慢は許されない。凍てつくような絶望的な状況に、子どもを独りで向い合わせてはならないのである。腰をかがめ、肩を並べ、共にその困難に向き合うことで、どれほど子どもに決定的な勇気や希望をもたらすか計り知れないのである。「環境がどんな具合であっても、一緒になってやってくれる人があれば、本当に自分で生きていこうという気持ちが湧いて」来るタメに一生懸命やっていらっしゃる方々が居ます。

我々はその存在や、ソコで働く方々の尊い気持ちを無にしないタメに、何が出来るのかをジックリと考えるコトから、始めないとイケナイのかもしれません。

実の両親と暮らしていても、満足に愛情を受けられない子供達が増えている社会で、仕事であって、仕事を超えた愛を注ぐ人々の姿には、とても心が打たれます。で、あったとしても、人生の最初のページを黒く塗られてしまった子供達のやり場のナイ気持ちを思うと、出生率をただ上げる様に強制するだけではナク、その後の人生が素晴らしいモノであるタメの「福祉の充実」こそ、大事だと思います。そして、それらは決して御金だけでは買えないモノの様です‥‥  
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社会の力が落ちているのでは?

おはようございます。日々のニュースを見たり、聞いたりしていると、どうしてこんなコトにと思うコトばかり増えている様な気がします。

ほんの少し前に書いた、虐待されて餓死した女の子と同じ目様な目にあって、マタマタ三歳の子供が餓死したり‥‥やっぱり親がオカシイのが一番だろうけど、児童相談所の対応がいわゆる「見て見ぬふり」をしている様な‥‥

「いじめ問題」もそうだし、「老々介護」もそう。

小児科医は敬遠され、少なくなる一方という話もあり、中でも心配なのが、赤ちゃんが「乳幼児突然死症候群(SIDS)」で死亡したと診断する場合、必ず解剖をして他の死因が見つからないことを確かめるよう義務付けた厚生労働省のガイドラインを74%もの病院が守っていないと本日の「信濃毎日新聞」という地方紙の一面に書いてあった。

解剖しないと、虐待や窒息などの外因死が隠されてしまう危険性がある。

警察への届出をしない病院もあり、ガイドラインを「知っているが実践しない」病院が47%、「知らない」というトコが、何と27%もあるという‥‥

解剖しない場合は「死因不祥」と書くべきなのに、そう書くのはたったの22%、赤ちゃんの突然死を必ず病院に届けるのは61%、そして「ほとんど届けない」「不定」が計4%なる数字を見ると愕然としてしまう。

「虐待死」は防ぐコトは出来る問題です。モチロン、100%は無理でしょう。しかし、今の「虐待死」を発見するコトで、次の「虐待死」を防止出来るコトもあります。

この前に書き込みした「餓死」は防げなかったとしても、今回の「餓死」は、周囲の人々も児童相談所に通報していたのだし、児童相談所が警察に通報さえすれば、未然に防げた可能性は高いハズです。

忙しいコトを言い訳にして、「見て見ぬふり」を許している、今の社会全体が「虐待死」を増加させていると言っても過言ではありません。

我々は、知らず知らずのうちに何らかの加害者になっているかもしれないのです。その一番の原因は「無関心と無知」。もう少し他人のヒド過ぎる言動には、注意を払い、自分で解決出来なくても、警察等々に連絡すべきです。タダ、警察も相談されてても、見殺しという事件はありますが、それでも通報しなければ、良心の呵責すら生まれません。

投票率の低迷など、無関心でいれば世の中それなりにうまく行くというワケではありません。一人一人が行動してこそ、微力でも世の中を変えていけるのではないかと思います。  
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2006年10月23日

二日酔いに効くのは‥‥

さて、お待たせしました。本日、御紹介したいのは「柿」です。モチロン、出典は「日本農業新聞」の「アンドユー」の「くだもの図鑑」から。

昔から、「酔いざましに効く」とは言われていましたが、最近の研究によると、ポリフエノールの一つ、タンニンの働きが関係しているそうです。

飲酒後に柿を一個食べた人は、食べなかった人より血液中のアルコール濃度が40%、二日酔い物質のアセトアルデヒドが30%減少したという。

飲酒すると尿と一緒にミネラルやビタミン類が排出されてしまうので、カリウム、ビタミン類を多く含む柿やリンゴ、ミカンなどは飲酒後にもってこいの果物。

特に多いのがビタミンCとA。ビタミンCは、柿を一個食べるだけで一日の必要量が取れる。

脳卒中などの循環器系疾患やがんなど生活習慣病の予防のほか、しみ、そばかす、しわにも効果があるという。


温州ミカンに多いといわれるβ−クリプトキサンチンが多く、これは体内でビタミンAに変わる。体の器官が酸化するのを防ぐ抗酸化作用があり、がんや心臓病予防、コレステロールの低減に効果がある。

食物繊維も多く、カロリー単位で比較すると、サツマイモを上回る量が含まれている。


柿は甘いというイメージがあるが、実はカロリーも低く、ダイエットにも最適な果物。

生活習慣病や美容に、心強い味方になってくれます。

とはいえ、アルコールの取り過ぎや、飲酒運転は御法度ですから、その辺はヨロシクお願いしますね(笑)  
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ドラッグの害

おはようございます。福岡のいじめて殺した中学生は「先生もやったのだから、自分達もやってイイと思った」と言っているそうです。

他人がやっていても、してはイケナイことはイケナイのですが、そうやって自分達がしているコトを偽の正当化するのだという傾向は、丁度、ドラッグについて説明しているコトと酷似してますので、皆さんも、「ヤッパリ‥‥」と思うのではナイでしょうか?

医療目的外のドラッグ使用に対する政治的に影響のある反対は、五つに分けられています。

〇藩兌圓自分自身や他者に対しておよぼす直接の害‥‥酒飲みは事故死の危険がずっと高くなる。酔っぱらいは酒場で隣の客に殴りかかるなどです。喫煙もそうです。医学的研究が間接喫煙の発ガン性を証明した今、「タバコを吸ってもいいかな」は「君をガンにしてもいいかな」と同義であると著者は断じています。公共の家屋における喫煙の禁止は当然のコトです。

⊆匆馘損失への懸念‥‥最大多数に対する最大利益の追求を至上命題とすると、私的な利益は、それがいかに大きくとも、容認しがたいほど道徳的に弁護の余地はない社会的損失を伴う場合があり、その損失は合理的な正確さで推定することができる。
アルコールの乱用が病気や早死にの増加を招くとすれば、それは労働日数の減少につながり、それだけ生産性や賃金や税金が減少する。犯罪や事故の原因になるとすれば、警察や医療の経費を増大させ、それが高い税金や保険料として他人に転嫁される。肝臓移植に大金が掛かれば、酒の飲み過ぎはすべての人の責任になるのだ。受け取りがなかった年金による節約分があっても、それを帳消しに出来るものではナイ。喫煙なども同様である。

宗教的な非難‥‥祈り、断食、瞑想。そして勤行が意識を変化させる手段であるが、ドラッグは一時的に感覚だけを模倣するもので、鍛錬による本物の神秘体験ではない。それは偽者の宗教であり、善男善女の心を乱して破滅への道へ誘う化合物の偶像である。
本物の信者、つまりあらゆる形の放縦を疑い、苦心して培った自己規制が無駄になることを恐れる。したがって、あらゆる宗教の宗教家は常用癖と乱用を自動的に標的とする。

て団蠅離疋薀奪阿醗鐫者や嫌われ者の集団との結びつき‥‥歴史的にそのようなケースは多々見られる。

ゥ疋薀奪飴藩僂、部族、国家、人種などの集団の将来を危うくするという認識‥‥ドラッグ集団の安泰に対する不安は国際的な紛争のあるときにもっとも強くなる。

合法的なドラッグ(一位がカフェイン、二位がアルコール、三位がニコチンこれをビッグスリーと呼ぶ)であれ、乱用は自分も他人も不幸にするだけであると、知っておいた方が良さそうです。  
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2006年10月22日

依存症は脳疾患

今日は秋晴れのイイ天気でした。山並みを見て気分転換して来ました。では、新たな気持ちで続きを。

ドラッグというものは、直接的または間接的に、強くまたは弱く、中脳辺縁系ドーパミン系という原始的な神経基質に働きかけるのだそうです。この基質は快楽への重要な経路として、また選択を行うときの動機づけの手段として機能する。ドラッグはこの神経系、そしておそらくはまだ知られていない他の神経系をも興奮させ、よい気持ちによって「よい選択」の合図を与える。比較的酩酊度の少ないコーヒーのようなドラッグでさえ明らかに気分を高揚させる。

カフェインなどのドラッグを繰り返して使うことはまた、脳の自然な化学作用を不健康な方向に変化させる。外部からの化学物質を浴びた脳は、それに相当する内部的な物質の生産や受容体の数を調節して、外部からの供給に依存するようになる。その供給が止まると不快な影響が起きる。落ち着かない、発汗、極度の不安、抑鬱、怒りっぽくなる、不快感、不眠、発熱、悪寒、むかつきと嘔吐、爆発的な下痢、インフルエンザに似た痛みや疼き。それが重なり合った苦しみで自殺をも引き起こす。

身体および心理的な禁断症状は、カフェイン飲料のようにあまり強くないものを含めて、主だったサイコアクティヴ製品すべての常用後に起きることがある。快楽という餌のついた罠に入ってしまい、ドラッグを使いはじめていい気分になった人々は、いやな気分になるのを恐れて止められなくなる。

依存症を身体の自然な強化メカニズムのハイジャックだとすると、禁断症状は頭に突きつけられた銃である。完全に断ち切った----コカインのようなドラッグでは何カ月もかかることがある----患者でさえ以前と同じではなくなってしまう。脳は快楽を得る化学的な近道を忘れない。なじみだった酒場の看板のような環境的な暗示が激しい渇望を引き起こすことがある。依存症は慢性的な再発性の脳疾患なのだ。

依存症患者とは本質的に人格が不適切だったりまちがっているという人もいる。ドラッグに対して持続的で激しい反応を起こす者は本質的に依存しない。強力な超自我を持つ人や宗教的な良心のとがめを強く感じる人も試そうとしない。対極にある、スリルを求める社会病質者はドラッグを使う可能性がはるかに高い。

合法ドラッグによる死亡者の数は増え続けている。その理由は、本質まで煮詰めると、金と権力だと著者は述べている‥‥  
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快楽のワナ

おはようございます。大部分のドラッグは危険な物質で、限定された量を医学的な管理の下で使用することが望ましいという考え方は、ドラッグの社会的な役割に関する公式見解になっています。

しかし、商人や投資家や、課税する政府上層部は、長年にわたってドラッグが魅力ある商品で儲けの多い収入源であることに味をしめてきた。儲けの機会と健康への懸念の衝突が、道徳上そして政治上の葛藤の中心になり、金銭的な動機や関心は医学的なものと同じくらい歴史的意味をもち、いくつかのドラッグでは疑いなくこちらの方が大きいそうです。

ドラッグは毒である。サイコアクティブ植物のアルカロイドは草食動物に対する防御のメカニズムとして進化した。それを食べた昆虫や動物はふらふらして方向感覚を失ったり、幻覚を経験する。にもかかわらず、それが生存技術を狂わせるにもかかわらず自ら求めるものもいる。

一つ考えられるのは、酩酊物質の摂取が基本的な欲求を満足させるということだろう。人間はみな、通常の意識を変えたいという内的な衝動を持っているとアンドルー・ワイルは主張する。遊んでいる子どもはぐるぐる回ってめまいに身を任せる。聖者は瞑想の中で忘我の境地に入る。自我を中心とする意識を空にしたいという欲求は根深いものである。しかし、この目標を獲得する手段には危険なものもある。ドラッグは異なる精神状態への強力な科学的手段であり、衝動を満足させるためにドラッグを使う人は、効果の強さと速さを得るために有害な影響をこうむるのだ。

退屈してみじめな動物は、何かに携わって満足しているものより意識の変化を求める可能性が高い。たとえば、囚われた動物は野生のものより酩酊物質を使う可能性がはるかに高い。さらに、文明そのものが囚われの状態を表しているとも言える。

近代初期の世界で九〇パーセントの人々の運命だった苦しみとひどい貧困は、タバコをはじめとする新奇なドラッグが大量消費の対象となった理由をかなり説明してくれる。それは思いがけなく手に入った身体の状態に対する武器、日常という不快な監獄から脱出する新しい道具だった。

幸福感を起こさせる神経伝達物質は通常少しずつ、それも生存や生殖につながる行為にだけ与えられる。ドラッグは、一時的にそうした快楽を誘発する神経伝達物質のレベルを上昇させて神経をだますのだと著者は述べている。(長くなりますので、続きは晩に)  
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2006年10月21日

タバコはドラッグ

今日、県立図書館で驚くべき方を目撃しましたが、丁度借りたこの本を持っていたので、読み終わってたら、困っている図書館の男性を助けられただろうと残念に思いました‥‥
ドラッグは世界をいかに変えたか―依存性物質の社会史
たった一言、「法廷弁護士に言わせれば、シガレットを故意に使えば致死的な凶器なのです」と言えば、良かっただけなのに‥‥

長野県の知事が変わって、敷地内禁煙の張り紙が剥がされたコトが一因だと思われるのですが、二階の一般図書で、本を借りて階段を降りているうちから、なんだか大声で騒いでいる人がいるなと思いつつ、一階の児童図書室にいる娘のトコに行くと、ソコで初老の男性が何やら抗議してました。

本日は、緑化を推進したいという行事を隣接する公園でやっていて、大勢が集まっていたのですが、どうもソコで煙草を吸おうとしたら、「吸うな!!」と誰かに注意されたのが不服だったらしく、「何で吸っちゃイケナイんだ!!!」とわめき散らしていて、相手をする館員の人を恫喝していました。丁度居合わせた娘によると、「そんな条例があるなら、条例を見せろ!!」と迫っていたそうです。公園には、幼い子供も沢山いたのですが、守るべき存在とは思わなかったのでしょう。

他人に受動喫煙させるコトはイケナイという自覚が、全くナイんでしょうね‥‥ともあれ、県会議員ですら、県会について書いてあるブログによると、「喫煙は生理的現象」だと息巻く方々が存在するそうですから、一般的なオジ(イ)さんが、知識がナクとも仕方ナイのかもしれませんが‥‥

過去に遡って、ロシアで喫煙者がむち打ちと追放、嗅ぎタバコ愛好者は鼻を削ぎ落とされるという憂き目にあったり、中国でさらし首、トルコで鼻にパイプの軸を突っ込まれたり、タバコのみは死ぬまで拷問にかけられるよう命じられた時代が恋しいとまでは、思いませんけどね‥‥

大臣、教師、実業家、産業界の大立て者、社交界の名士といった人々が実例を示して喫煙を促すかぎり「この習慣は道徳的不正行為とは見なされないだろう」と、ハーヴェイ・ワイリーは嘆いているそうですが、「医者のような模範すら喫煙しているのですから、大衆がその習慣は有害だという主張を真剣に聞くわけない」と、ジョン・バーナムも述べています。

一言でいうと、エリートの行動が二十世紀のほとんどの間、アルコールとタバコのダブルスタンダードを補強し、永続化させたというのです。

長野県は、二十世紀に逆戻りするコトになりそうです‥‥  
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ネグレクト(育児放棄)という現実

おはようございます。日々のニュースは刺激的なコトばかりを流していますが、2000年の十二月、ミイラのようになって死んだ三歳の女の子がいたコトを、皆さんは覚えてらっしゃいますか?

二十日近くも段ボールの中に入れられ、ほとんど食事を与えられなかったという事件は、当時世の中を騒然とさせました。その原因を探った本です。
ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか
両親自体が、虐待家庭で育てられていたコト。虐待とは、暴力だけでなく、子供の世話をしなかったり、責任を放棄するコトも含まれているのですが、この一件は、保健師や児童福祉師、医師や児童相談所などが関わっていたのに、問題が共有されるコトは無かった。当時は、虐待自体をよく知らない人が児童福祉師になっていたというコトもあり‥‥

母親は強度のストレス下で、現実に向き合うことができず、父親は事実を直視することを拒絶して、ゲームや仕事に逃げ込んでいく、極度の無関心があった。

幼いころ虐待を受けた人たちのなかには大人になってもクリアな現実認識ができない人は少なくない。無力な子どもたちは、虐待を受けているときに現実をリアル把握してしまうと、その過酷さに圧倒されて正気を保つこと、あるいは生き延びることができない。だから現実認識を忌避したまま術を学ぶのだ。そのまま成人すると問題を見つめて立ち向かう力は育たない。両親の常識はずれの現実認識力のなさは、養育歴にも大きく起因する。


と書かれていますが、この子どもは一歳になる前に急性硬膜下血腫で入院している。虐待の専門家では、乳幼児の急性硬膜下血腫では、まず虐待を疑う必要があるとされていて、乳幼児が自力で高いところに登って落ちるということは考えにくく、親が何かで叩いた、高いところから落とした、どこかに子どもを投げつけたなどといった暴力が隠れている可能性が高いというのだが、「一般論として、結果として現れた症状から治療がはじまるので、医師は病院の不審点についてあまり追求しません」と、当時の院長が語ったというコトを考え合わせると、確かに、ミイラ化したのは、両親や祖父母の対応に、一番の問題があったとは思うのだが、この事件全てに関わった人々にそれなりの問題があったと思われる。

それは、ホトンドの人々が「そんなコトはないだろう」という自分の常識に縛られて、現実に向き合うことができず、事実を直視することを拒絶しようとしたのではないかという気持ちになるからだ。

それは当然、生きている全ての人への警告であり、世の中には様々な人が存在していて、「あって欲しくナイ現実でも、存在するコトはあるのだ」というリアリティーを見せつけられている様だ。消費を喚起するように作られた仮想現実の世界に生きていた方が、幸せなのかもしれないが、人生には自分では理解し難い様な闇が待ち構えているコトを認識しておかないとイケナイのだと思う。  
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2006年10月20日

戦争当時の話

加賀乙彦さんの本が二冊続いたついでに、前に読んだ加賀さんの本について書き込んでおきます。

日本が、第二次世界大戦で何をしたのかを書いたモノは、そんなにお目に掛かりません。おそらくワザワザ悲惨な話を読みたいと思う人は、そんなに居ないと思われ、医師であった方であればこそ、本が売れる売れないに関係なく、書くことが出来たからだと思うのです。

今朝の、「湿原」にも中国で悲惨なコトをした体験が描かれていますが、日米開戦当時のコトについて詳しく書いてある小説は、「錨のない船」(講談社・文芸文庫)に書かれています。
永遠の都〈1〉夏の海辺
このシリーズを読んで貰っても、イイのですが‥‥陸軍の高級参謀から保守党政治家に華麗に転進する様な人物が、戦後の日本の基礎を作ったりしたのです。だからこそ、現在も歴史認識に問題が残されているワケで‥‥

「大日本帝国の国力の充実」に奔走した人々が、二・二六事件、満州事変、そして本格的戦争に突入した様子が、丁寧に描かれています。

正直、学校の歴史は、大正デモクラシーあたりまでしっかり、、その後は駆け足で何を習ったか判らないホドのペースで、小・中・高と教わったのだけど、上の小説を読んでそれなりに日本の歴史を認識しました。

南京「大」虐殺があったかどうかは、若干の問題(当時の人口と犠牲者の数が非合理的といった瑣末な問題)はあるかと思いますが、虐殺はあったと思っています。虐殺した人間の多寡は、本質的な部分では、大した問題ではナク、そうした追い詰められた状況とはいえ、人間性を崩壊させ、非道なコトを平気でしてしまう様な、戦争という狂気の塊自体に、嫌悪感を覚えるハズです。

ともあれ、そうやって日本は存続して来ました。過去の間違いは間違いとして認識した上で、正しい未来を構築するタメにも、歴史認識を明確にしておくコトは、とても重要なコトだと思います。  
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冤罪の恐ろしさ

おはようございます。昨夜の続きなのですが、実はその前に読んだのが同じ加賀乙彦さんの「湿原」(新潮文庫)です。これを、読んで感動してしまったので、未読の最後の長編を読む決心をしてしまったワケで‥‥

以前に冤罪について書いた話の本を読んでいましたので、こういうコトはあり得るとは思ってましたが、その獄中にある状況を克明に書いた記録はそうはありません。

権力が、個人を犯罪者として決め付けてしまうと、冤罪が生まれます。冤罪によって、死刑にされたのでは、絶対に浮かばれません。

犯罪の捜査や、裁判は「疑わしきは被告人の利益に」というコトを忘れるべきではナイし、そうした予断を避けるタメにも、マスコミの過熱した犯罪報道は差し控えるべきだと思います。

報道すべきなのは、権力者側の不正なのに、どちらかというと叩きやすい個人の方を叩く傾向が強いと思うので‥‥


少なくとも、個人が人を殺せるのは、どんなに多くても一人では、二桁くらいなものですが、権力を持った一人の命令で、戦争というコトになると、莫大な犠牲が払われます。なのに、戦争にだったとなると、その戦争責任の存在は曖昧になってしまいます。

ともかくA級戦犯の方々に、戦争責任が無かったのだとしたら、諸外国で殺された方々の存在もそうですが、国内で戦争に巻き込まれて亡くなった人々は、誰のタメに亡くならざるを得なかったというのでしょう?

兵士として亡くなられた方々には、軍人恩給もありますが、無辜の民であり、国内で戦争に協力しつつ空襲とかで、命を亡くされた方々、そしてその御家族の苦労は察してあまりあります。されど、その方々に補償がされたとは聞いたコトがありません。

「命は大切だ」というコトは大命題としてあるならば、殺人は未然に防ぐコト。まして、戦争は、モチロンのコトです。

殺人を犯した方々の、それまでの人生は「虐待やいじめの連続」だったと言っても、過言ではありません。だからこそ、犯罪が過激になる前に、そうした過酷な環境から逃れられる様な世の中にすべきだと思うのですが‥‥  
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2006年10月19日

死刑制度とは何なのか?

死にたいからと、殺人事件を起こす人が増えてきた現代ではありますが、死刑よりも怖いのは、何時死刑になるかが判らないコトだということ。そんなコトは、普通の生活をしていてはわかりませんが、小説を読めばある程度は理解するコトが出来ます。
宣告 (上巻)
拘置所の現実を淡々と書いた小説を読むコトが、一番の犯罪抑止力になるのでは、とか思いつつもこの厚い小説を読む人は、そんなにいないだろうと思ったりもするのです。

作者の加賀乙彦さんは、精神科の小木貞孝医師であり、東京拘置所に勤務した経験を基に書いた小説なのですが、数十年前からの大ファンにも関わらず、二十年近く前に買ったままの文庫本を最近やっと読みました。

加賀さんの小説は読みさえすれば素晴らしいとは判っているのですが、読むにはそれなりの体力も必要だし、読んでしまうのがモッタイナイ様な気がしてしまうのです。

昭和という時代を、正確に描写している作品です。タダ、現在だったら、この主人公が死刑と断罪されたかどうか‥‥

最近の裁判は、死刑を回避している傾向にありますから‥‥ちなみに、ワタシは死刑制度は必要なのかもしれないと、この作品を読んで強く思いました。著者の望むコトとは逆なのかもしれませんが‥‥「人を殺した人間を殺すというのでは、二重の殺人があるばかり」かもしれないし、「人を殺すことが悪だというならば、たとえ国家によって合法化された死刑であろうとも、殺人を行うということにおいて同じ罪を犯さねばならぬ。」という現在の死刑制度の問題点を鋭く衝かれようとも、多くの殺人者の過去に虐待の痛ましい過去があるからだとしても、やはり無実の人が殺されてしまったという結果があるならば、やむを得ないのではないかなと思いました。

まぁ、読んだ人によって感想は違うのだと思いますが、少なくともワタシはこの本を読んで、そんな気がしました。ギリギリに追い込まれたからこその、反省もあれば魂の救済もあるのだとは思いました。ただ、冤罪もあるので、その辺が難しいトコではありますが‥‥その話は、明日。  
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政治の闇

おはようございます。昨夜の本で、もう一つ目を引くのは、政治に関する部分です。ココは本論ではナイので、しっかり書き込みしておきますが、とても恐ろしいコトが書いてあります。

古い話になりますが、一九七九年にイラン革命が起き、その年の十一月にテヘランのアメリカ大使館全員が人質になった事件がありました。一九八一年一月にアルジェリアの仲介で解決するまで、人質は監禁されたままとなり、カーター政権の行なった米軍特殊部隊による人質救出作戦は、砂漠でヘリコプター同士が衝突事故を起こして失敗。その結果、カーターは危機管理能力がないと共和党から攻撃され、一九八〇年の選挙でレーガンが勝つ要因のひとつになったのです。

この時、レーガン陣営では、人質が選挙前に解放されるのを恐れていた。何故なら、選挙の直前に人質が解放されてしまえば、カーターが英雄になってしまって、選挙に勝たれてしまうからだ。

そして、就任式当日、大統領就任の前に人質全員解放の知らせはレーガンの耳に入った。当然、そのニュースを一日千秋の思いでまっている人質の家族は居るのだが、何事もなかったかのように就任式をし、就任演説を終えた。

そして、昼食会になったとき、そのとき初めて知ったような顔をして、人質解放のニュースを発表したというのである。

イランによる人質の解放は、何かの取引が行われた結果だった。そしてその取引を行った人物は、そのときはまだ大統領ではなかったのである。

というコトが書かれています。米国だから、オープンにこういうコトがされたとは思いますが、この人質を、日本の拉致被害者と置き換えて考えてみる(それは事実の歪曲だという批判もあるかもしれませんが)と、何やら似た様なコトがあったとしても、少しも不自然ではナイと思えます。

あまりに偶然すぎるタイミングで何かがあったりした時は、こうした裏がある可能性を考えるべきなんだろうと思います。

票を集めるタメには、相手の失策が大事だったりして、本当に救われるべき人に手が迅速に差し伸べられるワケではナイ。タイミングを見計らって、助けられたり、助けられなかったりするコトすらあるのだというコト。

政治を行う人々の心は、善良とばかりは言えません。今回、タマタマ、その娘が作家だったゆえに真実が明らかにされましたが、おそらくホトンドの場合、こうしたコトは闇から闇へと、葬りさられてしまうのが、常だと思います。
  
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2006年10月18日

虐待からどう立ち直るか?

レーガン大統領は、日本でも有名な方でしたが、そのお嬢さんの書いた本を読んで、とても驚きました。
わが娘を愛せなかった大統領へ―虐待されたトラウマを癒すまで
こんなに壮絶な人生があったなんて‥‥本当にびっくりです。

是非、読んで頂きたいので、書き込みは最小限にしておきますが、我々は政治に偶像を求めているのかもしれないと思いました。

そういう意味では、この本が出版されたコト自体が素晴らしいコトだと思います。

母親に殴られ続け、父親には信じて貰えない娘。

医者による薬物依存、そして麻薬‥‥

虐待の世代間連鎖の恐ろしさ、それを克服するコトの大変さ。

ノンフィクションの凄さというものをマザマザと見せ付けられます。

華麗なる男性遍歴の中に出て来るロック・ミュージシャン達の名前の数々にも‥‥

ワタシが知らなかっただけかもしれませんが、図書館でこの本を見つけるまで、こんなに赤裸々な告白本があったなんて、全く知りませんでした。

こんなに壮絶な人生があったコト、それでも懸命に生きて来たコトに、心が揺す振られました。

どうしても一度読んで欲しい本です。暇を見つけて、読んでみてくださいね。必ず、得るものがあるハズです。  
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祖母が孫を産もうとするのはイケナイことか?

おはようございます。仕事の都合で、朝の更新遅れております。

長野県の下諏訪町の産婦人科で、五十代の女性が、がんで子宮を摘出した三十代の娘とその夫の子供(実質的には孫)を代理出産したというニュースに対するコメントとかを聞いていると、「本当にその全容を知っていてコメントしてらっしゃるのかな?」と思うことがあります。

いちおう県内なので、「信濃毎日新聞」という地方紙によれば、結構詳しく書いてあり、院長の説明によると、子宮がんになった女性が電子メールで相談し、女性の実母は、娘が子宮を摘出する際、「私が産んであげるから、手術を受けなさい」と促した。

五十代後半という高齢出産なので、本人や家族に「致命的なことが起こりうるかもしれない」との説明に「娘のために命を捨てても」と応じた。

院長は「『おばあちゃんのおかげで生まれたんだよ』と、生まれてきた子どもに幼いうちから話してほしいと行ってあり、家族も了解している」という話なのに、テレビとかで一般の人が、「大きくなって、そのコトを知ったらどう思うんでしょうね?」とか、トンチンカンな話をしているのを聞くと、『いかにもこういうコメントを出して欲しいと質問を出して、答えさせているんじゃないの?』などと思います。

「いじめ問題を色々言うけれど、そういう体質が問題じゃない?」と思います。

問題提起をするからには、知りうる全てを教えて貰わなくては、本当のコトが見えてきません。

いじめを隠そうとしているコトを批判するのもイイけれど、似た様な体質にも自分達にあるとマスコミも反省すべきなのではないでしょうか?

今回限定のコトとして、意見を述べるならば、子供を産めなくなるからと娘さんが手術しなくて死ぬ様なコトになった可能性があったとすれば、少なくとも娘さんの命と新たな命が産まれたのは喜ばしいコトだと思います。タダ、今回、五十代の女性が亡くなられた可能性もあるので、全ての人が同じ状況にあったとしても、産む必要はナイと思います。

不妊治療に限らず、移植手術をするコトを強制するのも困りますし、どうしてもしたいという人の不妊治療を制限するのもどうかと思います。

ある意味でファジーなグレーゾーンを残しつつ、個人の自由な意志を尊重して欲しいものだと思います。全ての事柄は、一つ一つ微妙に違うのですから、中々これが正しい答えというものは見つけ難いのではないでしょうか。よく知らずにコメントをしたり、させたりするのは差し控えた方がいいのではないかと思うのですが‥‥  
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2006年10月17日

コレステロール値を下げるには‥‥

「食べ物が作る健康」シリーズをお待ちの皆様、遅くなりました。本日も、「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」を参考に書き込みします。

シイタケがおいしいのは、グアニル酸を含むため。グアニル酸は、昆布に代表されるグルタミン酸など3大うま味成分の一つ。このためシイタケと昆布でだしをとると、本格和風並みの、おいしいだしができる。

おいしいからと食べ過ぎて困るのは、コレステロール値。シイタケは、シイタケだけに含まれる特有成分エリタデニンの効果で、血中コレステロール値を下げてくれる。

食物繊維は、過剰な脂質やコレステロールを吸着し排出する効果もある。

このほか、血液をさらさらにする力が、きのこ類の中でも強く、グアニル酸が有効性付箋の一つと考えられている。


スムーズな血流で血圧を下げるともいわれ、しかも低カロリー。健康食材としては、もってこいだ。

日本特用林産振興会は、「骨粗しょう症の予防ができる」と指摘する。カルシウムの吸着と骨への沈着を促すビタミンDが多く含まれているからだ。

シイタケに限らず、キノコ類は、カロリーが低く、食物繊維が多いのが特徴で、生活習慣病の予防効果が高いと言われている。

秋の味覚といえば、「マツタケ」だが、「香り松茸、味シメジ」と言われる様に、そんなにメチャメチャ美味しいものでもナイ。

シイタケやシメジの様な、低価格で毎日食べられる様なものを、チョコチョコ食べて、ヘルシーな身体になりましょう!!

フトコロの温かい御仁は、マツタケを堪能してください。では、マタ。  
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ストレス社会との折り合い方

おはようございます。福岡県筑前町立三輪中2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題のニュースを聞いていると、この数年間、7、8件のいじめが起きていたのに、担当教諭の指導などで解決したため、「いじめが続くことはない」と判断し、町教委に「0件」と報告していたという様な隠蔽体質が顕著になってます。滝川市の教育委員会と似た様な体質ですね。

問題を直視して解決するよりも、何となく過ぎていってくれないかと放置しているうちに、問題が大きくなってより大きな責任を取る必要が出て来るという単純なコトが理解出来ない様で‥‥それは中には、ストレスへの耐性が強くて、我慢したまま卒業してくれる子供もいるし、おそらくそうした子供の方が大半でしょうけど、だからといって、それで済まそうとするのは、教育の怠慢なのですが、子供や教師を締め付けるだけで問題を解決出来ると考える日本の上層部の方々と似てますね。自ら汗をかかない限り、問題の解決はナイのですが‥‥

ともあれ、この本も最終回。こんな言葉が最後の章に載ってます。

世界に目を向けると、戦争、テロ、環境破壊、いじめ、病気等々、ストレスの種は尽きないほどある。人が生きている限り、ストレスは存在する。仕事、家族、人との付き合いにエネルギーを注がなければならないのが人生である。生きていることそのものがストレスであるとさえいえる。ストレスをむやみに排除しようとするのではなく、むしろ避けられないストレスとは共存する姿勢を身に付けることが大切になってくる。同じエネルギーを注ぐにしても、楽しく行なうのと、イヤイヤ行なうのとではストレスの度合いもちがってくる。

自分の状況に応じたストレス解消法を持っていることが、より良く生きるためには大切であろう。趣味など仕事以外の活動を持っていることも気分転換に役立つであろう。様々な解消法を思いつくが、これらにのめり込んで逆にまた新たなストレスが生じることもあり、そのバランスが大切であろう。いずれにしても大切なことはストレスを一人で抱え込まないことである。真に解決すべき問題がある時は気を紛らせるのではなく、信頼できる人に相談し解決に向け現実的な行動を取るなども前向きに取り組むことが必要である。

冷淡な傍観者」は今日でも多数存在するように見受けられる。「誰かが助けるだろう」と責任の拡散が生じてしまう。学校では、いじめを見ても見ぬふりをする子どもたちが存在する。これは大人世界を反映するものといえるだろう。

個人の力ではどうにもならない問題もある。だからいってあきらめていては社会をよくできない。問題解決のために、一人ひとりが意見を表明し、可能なことから少しでも行動を起こすことが必要であろう。
  
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2006年10月16日

アートセラピーの諸技法

では、アートセラピーについて詳しく見ていきましょう。

ヽ┣萠屠 邸甜分の描きたいものを描く自発的描写と、提示した題材を描く課題画がある。問題が根深い人は、セラピストの指示に従えばいいし、軽い人は鬱憤晴らしのつもりで描いてみればイイと思う。

▲灰蕁璽献緡屠 邸纏┿錣筌タログ、写真など様々に印刷された紙、色紙などを切り抜き、それを画用紙に貼って一つの作品に仕上げるという技法。すでに存在する様々な雑誌等の写真から自分のイメージするものを選んでレイアウトして貼るので、自分の表したいイメージを簡便に完成させることができる。絵を描くことに苦手意識のある者や描画の上手下手を気にするものにも取り組みやすい技法。年齢や知的レベルも問わずに実施可能なので、日本で急速に広まった。雑誌とハサミ、糊、画用紙があればどこでもできる。箱庭療法の簡便な形ともいえる。

グループで各人が選んで切り取ったアイテムを、皆で話し合って模造紙にレイアウトし、貼っていくやり方もある。切り抜くのが上手な者も不得手な者も、各々が切り抜くのを励ましあったり、レイアウトする時に互いに意見交換しつつ合意していく過程で、他者を尊重することや一緒につくり上げていく共有感や協力を学んだり、社会性を開発できる。

雑誌の写真を切り抜くのではなく、各自が書いた絵を貼る方法もある。画用紙に、好きなテーマを描いても良いし、花や動物、食べ物などある程度テーマを決めて書いても良い。貼った後に、皆で話し合いながら、地面や空、器など背景やまとまりとなるものをサインペンや絵の具で描き入れるとさらに完成度が高くなる。

個人で仕上げる作品も良いが、協力して合同すると、さらに大きな作品がつくり出せると実感したり、描画に苦手意識を持つものが、自分の絵がレイアウトによって生き生きするのを見て、嬉しいと思うことで、自己肯定感が高まり、互いへの思いやりも高まる。

3┣茣嫋淮屠 邸迭┣茲鬚犬辰り鑑賞することで、絵を描くことに苦手意識のある人にも、無理なく取り組める。描画の表現方法への刺激が、表現意欲を促進するのにも役立つ。

やってみて、状態が悪化したと思ったら場合はすぐ中止することが必要です。  
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アートセラピー

おはようございます。秋らしい青空が一杯に広がっています。では、本題。

アートセラピーとは、絵画、コラージュ、造詣(粘土、陶芸)、マンガ、写真、音楽、ダンス、箱庭等、非言語的手段による表現を媒介とする心理療法である。非言語的手段だけでなく、詩歌(連句、俳句)、文芸等の言語を用いる技法もある。自発的に表現することだけでなく、鑑賞することでも治療効果が得られる。

仝生豌修垢覦柄阿離ぅ瓠璽犬鯆樟槁修垢海箸可能であり、本人の無意識的、あるいは意識があっても言語化が難しい心理内容を言語以外の媒体で表すことができるので、自己理解が促進される。

怒りなど抑圧された感情やこころの中の葛藤を言葉以外の媒体で表現でき、こころを解放することができる。カタルシス効果が得られる。

I漸茵粘土、ダンス、音楽などは幼少時期から行なっていた活動であり、幼い日を思い出させ、退行を促し、こころの解放がはかれる。

ぅ譽リエーション効果があり、作品を媒介にして感情の交流をはかる事ができる。

ゥ◆璽箸枠麁常的なものであり、日常の煩雑な出来事からしばし逃避し、空想の世界に遊ぶこともできる。


以上の意義があると考えられています。

そして、出来ればこうであらねばならないといった、型にはまらない創造や鑑賞が出来るならば、それだけノビノビと自分を解放できるのではないかと思います。

本では、セラピストの介在を基に書かれていますが、重症ならともかく、一般的な方ならば、日常の生活に芸術に触れ、楽しみ、遊ぶことを取り入れるだけで、充分にストレスが解消されるかと思います。

ちなみに、ワタシも今の仕事を始めた当初は、心が空になりそうで、空き時間を縫ってよく絵画を見に行ってました。最近は、そんなコトも必要なくなりましたが、おそらくそれには、このブログを書いたりしているコトも影響しているのかもしれません。自分の想いを何らかの形にするコト、おそらくそれがストレス発散になっているのだと思います。

仕事がありますので、アートセラピーの諸技法は晩に書き込みます。では。
  
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2006年10月15日

ナラティヴ・セラピー(物語療法)

現代心理学は科学として発展してきた。基本的な考え方は科学的なアプローチで人間を理解しようとした。しかし、科学的アプローチとは、絶対的な真実があり、しかも、真実は一つであり、それは客観的に測定できるという信念である。

だが、その考え方に反発する人たちは、絶対的な真実とは何なのか。科学的な方法論がすべてか。精神疾患は西洋的な「正常」の概念からはずれているだけではないのかと考えた。

そして、人間は一人ひとりが固有のこころを持っていて、こころの中に固有の物語を生きている。その物語に着目すべきではないかと考えて、ナラティヴ・セラピー(物語療法)を生み出した。


自分の生活について語る物語を傾聴し、旅仲間としてカウンセラーは存在する。前向きに進む可能性について語り合い、自分に合うと思われる新しい物語が語られることを目指す。

自分が生きてきた物語を語るとき、三人の「わたし」が存在する。ひとりは物語を生きてきた『わたし』、もうひとりは物語がどんなふうに生まれてきたかを語る『わたし』、そして、物語の由来に聴き入る『わたし』が存在する。無論、全て同一人物なのだが、過酷な物語を生きてきた『わたし』が大事に扱われる、共感的雰囲気でめくもりを感じ、『私が悪いから殴られる』、『誰にもわかってもらえない』『他人は信じられない』など、無力感や孤立感、不信感でいっぱいの硬直した物語を、口に出して誰かに話すことができるようになっただけで、ずいぶん楽になっていく。

目指すところは、ストーリーの書き換えかもしれない。あからさまにストーリーの書き換えを狙う人もいれば、認知の悪循環を断ち切ることで効果を上げようとする人、偶然の力も利用しようとする人など、治療者によって様々である。

「現実は社会的に構成」されており、我々の内的世界が外的世界に投影されたものが「外在化」し、立ち現れたものが「客体化」した現実である。一見、強固な現実であり、変えようもないと受け止められるが、実は変容可能なものであり、対話を通して、ストーリーを変容させることがナラティヴ・セラピーともいえる。

例えば、夜尿で困っている子どもに、会話を通して、「わたしが悪いからオネショをする」のではナク、おなかの中にいる「オネショの虫が悪い」というストーリーを認識させ、「寝る前にトイレに行く。わかってするオシッコはやめる。大人を起こす。オネショ虫が悪いと大人と一緒に言う」という約束をして、紙に書いて毎日続けることによって、夜尿するたびに自信を失う悪循環が解消され、大人との関係も深まることがある。  
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ブリーフセラピー(短期療法)

おそようございます。しっかり寝てました。

さて、従来、心理療法は1年も2年も費やして治療が進められるのが一般的でしたが、3カ月や半年など期間を短期に設定して治療を行なう人たちが登場してきました。

●ソリューション・フォーカスト・アプローチ
一般に人は症状や問題を何とか治そうとし、問題に注目する。しかし、症状や問題よりも、その解決の方にこそ目を向けるべきという主張である。


我々は日常の中で問題解決をはかっている
今までにいろいろな努力をしたが万策尽きたと訴える場合もしばしばある。
本当は日常の中で自ら問題解決をはかっているのに、それらは「例外」として省みられず、相も変わらず、同じような観点で問題にとらわれ、ああしよう、こうしようと、問題発生の悪循環の渦に取り込まれていると考えるのである。

例外への注目
ソリューション・フォーカスト・アプローチでは、その「例外」に注目し、その例外を大きくしていくことを考える。問題行動や症状を形成する悪循環を解消することを考えるよりも、日常の中で起こっている良好な「例外」を見出し、それを大きくしていこうとするものである。

.好院璽螢鵐亜Εエスチョン‥‥「一番ひどい状態を1、もう大丈夫と思える状態を10とすると、今はどれくらいですか?」と聞く、「3くらいかな」と答えたら、「2段階良くなったのは、どのあたりだと思いますか?」と尋ねると、「朝が多少、早く起きられるようになりました」「他には?」「昨日は、久しぶりに、犬の散歩をしました」「気持ちが良かったですか?」「ええ」「朝、犬の散歩をすると、気持ちがよいのですね」「そうですね」「では、これから、1週間、朝、犬の散歩をして見ませんか」という感じで、すでにしらずしらず行なっている解決、いわば例外を発見し、それを拡大していくのである。

▲魁璽團鵐亜Εエスチョン‥‥「(例外や良い変化が語られたとき)一体どのようにして行ったのですか」「どうやってこのたいへんな状況をなんとかやってきたのですか」というような問いかけにより、解決法を浮き彫りにしていく。

ミラクル・クエスチョン‥‥「ここでちょっと変わった質問をしたいと思います。少し想像力がいるかもしれません。夜、寝ている間に奇跡が起きて問題が解決してしまうとします。翌朝、その奇跡が起きたことがどんなことでわかりますか」と尋ね、問題解決の糸口を探すというものである。
  
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2006年10月14日

色々な療法

世の中には色々な療法があります。このブログを最初から読んで頂いている方には、ダブる部分もあるかもしれませんが、様々な療法をコンパクトに書いてくださっているので、中から自分に合ったものを見つけて、それを詳しく知りたいと思ったら、ネット検索とか図書館などでより深く調べてくださいね。

逆説を用いる方法‥‥患者が求めていることや一般に正しいと信じられていることと、まるで逆さまなことをいったり指示したりして治療を進める手法。

例えば、夫婦喧嘩が絶えない夫婦が相談に来た時に、「これから1週間、必ず、毎日食後1時間、二人で喧嘩したください」と指示する。
「こんな指示は馬鹿げている」と思えば、結託して喧嘩をしなくなるし、指示通りに「毎日食後1時間」喧嘩したとしても、自発的な喧嘩ではなく、「喧嘩の真似事」でしかなくなる。やがて心から喧嘩してない自分に気づく、これは今朝の二重拘束を治療に応用したものである。

悪しき循環を断ち切る‥‥「母源病」という言葉がある。子どもの問題行動の原因は母親にあるという考え方である。

自発性の乏しい子どもがいたとして、母親は子どもに対して過保護・過干渉である。一般的に我々は「母親が問題だ」と考える。しかし、ほんとうにそうだろうか?
子どもの自発性が乏しいから、母親が過保護・過干渉に接したのかもしれない。
要するに、どちらが原因でどちらが結果かということは簡単にはいえない。双方ともが原因であり結果であり、ぐるぐると循環しているともいえる。

原因があって結果があるという考え方を直線的認識論といい、双方ともが原因でありまた結果であり、ぐるぐると循環しているという考え方を円環的認識論という。
システム理論に立つ家族療法家たちは、円環的認識論の考え方をとり、悪循環自体を断ち切ることを考える。

その具体的方法について、明日は詳しく。  
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家族が変われば、問題は解決する

おはようございます。「家族療法」というものがあります。これは、家族が変わることによって、問題を解決しようとする方法です。

ちなみに、心理学などの真理として、「誰かを変えようとしても、変えることはできない。自分で変わろうと思った人だけが、変わることができる」というコトがあります。

人は家族の中で生まれ育つ。気がつかないうちに家族の影響を全面的に受けているのである。ところが、本人は家族の影響に気がつかないことも多い。また、家族も自分たちが大きな影響を与えているという自覚を持たないことが多い。

どこの家族にも独特の雰囲気がある。それはいわば家庭の匂いのようなものである。しかし、家族生活が毎日繰り返されるうちに、その家族の特殊性は自分たちにとって当たり前のものとして感じられるようになる。

かなり特殊な生活形態であっても、本人たちは決して自分たちは特殊な行為や生活を繰り返しているとは思わなくなる。家族を離れ、結婚して初めて、ああ、うちのしきたりはかなり変わっていたんだなと気づくことも多いのである。

だから、精神病院で良くなった、少年院で良くなったとしても、家に戻ると元の病気に、元の不良生活に戻る場合もある。取り巻く環境システムに問題があるならば、それを積極的に変えるしか、問題は克服されないのである。

例えば、母が子どもに「こっちにおいで」という。子どもが近付こうとする。しかし、母親はびくっとする。すると、子どももびくっとして立ち止まる。すると、母は「何で来ないのか」という。で、子どもは再び近づこうとする。また、母親はびくっとするので、子どもは拒否されたと感じて立ち止まる。「お母さんに、近づいてくれないんだね」と母親がいう。

母親は、口では「来い」といいつつ、身体は「来るな」というメッセージを送っているのである。

こうした矛盾したメッセージを送られ、しかもそこから逃れられず、何らかの反応をしなければならない状況をダブルバインド(二重拘束)という。

こうした状況から手をつけなければならないというコトは理解しやすいだろう。どうすればイイかを少し続けて書き込んでいきます。  
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2006年10月13日

被害者にこそ支援を!!

続いて考えて頂きたいのが、刑事事件の被害者の権利です。

加害者にも人権はモチロンあるのは当然ですが、被害者は、加害者に資力がなければ賠償金も取れず、生きていても後遺症、死んだ場合の遺族は生活が一変してしまうというのに‥‥

犯罪で生きるか死ぬかの被害体験、あるいは犯罪などで家族をうしなうといった被害体験は、トラウマ体験となり、不眠や被害体験にかかわる事柄を回避したり、ぼんやりして物が考えられなくなったり、フラッシュバック、ハイパービジランス(過度の警戒)などの症状に悩まされる場合が出てくる。これが後遺症になって残るとPTSDと呼ばれる。

フラッシュバックとは、意思とは無関係にトラウマ体験が脳裏によみがえり、同じ場面、同じ恐怖を体験することであり、ハイパービジランスとは、過度にびくびくし過敏になり、ちょっとした物音に飛び上がって驚いたり、用心深くなってドアの近くでないと心配でたまらなくなったり、過度に警戒心が高まることである。

被害者は自責の念にも駆られやすい。自分がこうしなかったら、もしかしたら、事件は回避出来たのでは‥‥などと自分を責めたりする。

このような精神症状に苦しめられているにもかかわらず、被害者たちは精神化医療やカウンセリングを望まない場合も多い。自分の苦しみを病気としてかたずけられたくはないという気持ちがあるからだ。

「(事件前のような)生活に戻りたい」という気持ちを尊重し、理解し、その上で必要なら医療にといった手が差し伸べられなくてはならない。

被害直後は、茫然として食事の献立すら考えることすらできなくなるという。一緒に献立を考えてもらえるような、生活に直結した支援を必要としている人もいるのである。

依存症も含め、自助グループの役割はとても大きいのだが、この時には、「言いっぱなし、聴きっぱなし」というルールがよく用いられる。誰かが自分の気持ちを話したら、それについて余分な注釈や詮索はしない。ありのままに認め聴くというルールである。無論、説教は禁物。そして、聴いたことは決して外部に話さないこと、本人にその話題を持ち出さないことである。  
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非行少年の特殊性

おはようございます。昨夜の様な感じなので、何故か「加害者でありながら被害者意識が強い」という少年が再犯を繰り返し、罪の意識がほとんどないように見える少年もいるのです。

彼らはもちろん理屈の上では悪いことをしたという自覚はある。しかし、罪意識は深まらないという矛盾がある。

「運が悪かった」「友だちが悪かった」‥‥つまり、彼らは罪を犯した加害者でありながら、こころの中では被害者意識が強く、それゆえに罪悪感が深まらないのである。

親から虐待された、裏切られた、教師に不当に扱われた。こういうこころの傷に対して、カウンセリング手法で対応しても、神経症者と違い、激しい行動化が伴う。

つまり、こういうコトである。

『自分が悪いから、犯罪をしたのではナク、自分の周囲が悪かったから、自分は仕方ナク犯罪に手を染めてしまっただけ』と思っているというコトだ。

確かに、そう思っているならば、犯罪は「心の中で(本当は不当にも関わらず)正当化」されているのですから、何度も繰り返すはずですよね。

でも、このような心の動きは、誰にも形こそ違え存在している可能性はありますよね。過激ではナイだけで‥‥

『何もかも、自分が悪いんだ』という被害者意識にハマっても、これまた問題になります。

何度も書いていますが、「依存症」の人々にも、「再びしてはならないコトを繰り返す」という意味で似た様な考え方が存在していると思います。

自分の自我を護るタメに、多少の非合理的自己愛も必要になるでしょう。全て合理的な時以外は自分を愛せないというのも、大変でしょうから‥‥

結局、程度問題だと思うんです。自己を護ろうとするタメに、他人の存在を否定するのか、自分を護りたいのと同じ様に、他人も自分を護りたいと思っているのだというコトを理解して、他人の権利を侵害しようとするか、しないかではないでしょうか?

他人の気持ちを考えられるコト‥‥共感する気持ち」があれば、乗り越えられるコトです。誰かに共感されて、自分を認められるコトから、そうした気持ちは生まれるのでしょうが‥‥  
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2006年10月12日

キレることと自己愛

今日の朝はとても寒くて、冬近しと思いましたが、昼ごろから晴れて「小春日和」の一日になりました。秋は本当に天気が変わりやすいので、皆様、くれぐれも体調にお気を付けください。では、本題です。

自己愛にも、健全な自己愛と不健全な自己愛があるといわれているそうです。問題になるのは、不健全な自己愛。実力もないのにプライドだけが高い。実は自信もないのに、人を人とも思わないような横柄な態度をとる。自己中心の勝手な論理で行動する。他人を思いやるような共感性に欠けている…こういう自己愛は不健全な自己愛といえるだろう。この不健全なナルシストが増えているのである。

彼らの特徴はバルネラビリティと呼ばれる独特の「傷つきやすさ」を持っていることである。彼らは対人関係で非常に傷つきやすい。キレる若者の背景には、実はこの「傷つきやすさ」が存在するのである。

なぜ、こういうナルシストができあがるのだろうか。それについては、親自身がナルシストであるという指摘がある。自己中心的な親は、自分の願望を子どもに一方的に押しつける。この「一方的に」というところが問題である。これが悪しき自己愛を生む一つの要因なのである。

つまり、親から一方的に過剰な期待や願望を押しつけられると、子どもたちは本当の自分を生きることができなくなる。親の道具として偽りの自分を形成するわけで、それは自己中心的なナルシストを生み出していくのである。

このような悪しき自己愛化は、共感性の乏しい自己中心的な人格、脆弱で傷つきやすいナルシストをつくり上げていく。彼らは往々にして尊大な態度をとるが、それは弱々しい真の自分の上に肥大した偽りの自分が乗っているからである。実際は、ちょっとした非難や批判にぐらぐらと揺れている。彼らが自分の意見を少しでもけなされるとひどく怒りを爆発させるのはこのためなのである。

このような怒りの爆発は「自己愛的激怒(憤怒)」と呼ばれている。最近の若者の「キレる」現象は、まさにこの自己愛的激怒と関係があるといって良い。この衝動に対する制御不全は少年たちの非行の凶悪化とも関係がある。

現在、少年非行の凶悪化と社会的ひきこもりが大きな問題となっている。この二つの問題の背景には、「傷つきやすさ」という共通の問題が横たわっている。傷つきを避けるために閉じこもるか、あるいは逆に、尊大な態度で自己を防衛する。一見対照的な二つの現象の背景には、共通の問題が存在しているのである。

こういう人、歳をとった老人にもいらっしゃいますけど、気の毒な方だったのですね。  
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子どもの発達と家族のストレス

おはようございます。昨日のコメントにtakachanさんから、お嬢さんが育児ストレスになってらっしゃると書かれてましたので、本日はその部分から書き込みます。

育児ノイローゼになりやすい方は、良い母親になろうとする方が多いようです。目標が高ければ高いほど、現実とのギャップも生まれ、挫折しやすいのだとか‥‥

「理想の母親像」はインプットされている。しかし、現実の子どもは思いどおりに育たない。いうことも聞かない。つい、八つ当たりする。それが許せない。自分を責める。落ち込む。気付くとまた子どもに八つ当たりしている。自分が、特に自分の行動を自分でコントロールできないのが許せず、不安になる。不安や焦燥感がエスカレートしてしまうと、暴力になる。

子どもがマニュアル通りに育たない→母の不安→子どもに暴力暴言→「良い母親になろうとしたのに…」と落ち込む→子どもがマニュアル通りに育たない‥‥という悪循環に陥りやすいのだそうです。

「子どもに対してイライラするのは当然だ」と思えれば、この悪循環からは逃れられます。
それには、母親に余裕がナイと無理です。父親やその他の家族のサポートが大切になります。

そして、母親が気分転換できるような場面を作ること。友人との交流とか、「あなたは一人ではない」という安心感が得られるようなサポート体制が必要です。

ともあれ、子供は赤ん坊の時には赤ん坊ゆえの、幼児の時期にはそれなりの、小学校へ行っても、中学・高校・大学・社会人になっても、何時までも親にとっては子供なので、その時その時の心配は決してゼロにはなりません。

気の毒だと思っても、子供の身代わりにもなれないし、心配だからといって、付いて回るわけにもいきません。親は、タダ心配したり、ハラハラしたり、手を貸したりは出来ても、別人格であるコトには変わりません。見守ってあげられるだけです。

子供だって、親が自分の人生を全てどうにかしてくれるワケではナイと悟って、互いに自立して歩いて行くしかないんだと思います。自立した同士が助け合うコト、これが社会で生きる基本だと思います。  
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2006年10月11日

認知療法とは

さて、認知の歪みを理解したとして、どうすればイイのでしょうか。色々なストレスの場面についても書き込むつもりですが、今、認識している人に少しでも早くそれから抜け出して頂くために、一気に本の終わりに飛んで「認知療法」について書き込みます。

認知の歪みを修正するには、「そう考える根拠はどこにあるのか」「だからどうなるというんだ」「別の考え方はないものだろうか」という三つの質問を心の中で順番に問いかけてみることで、自分のものの考え方を変えていくことが大切になってくる。

何かを体験したりした時、それと同時に、自動的に何かを考えたり想像したりしている。これを「自動思考」という。この「自動思考」に目を向けながら、自分を追いつめるような悪循環の思考になっていたら、最初の段階のマイナス思考に反論してみよう。

〆拠を探す:気持ちが動揺した時に、その考える根拠を探してみる。
「いったい何を根拠に自分はこのように考えたんだろう」
「それを裏付ける事実にはどのようなものがあるんだろうか」
「逆の事実はないものだろうか」

結果について考える:しかし、どうしても自分の判断が正しいと思えたら、
「それが本当だとして、どんなひどいことが起こるんだろう」
「それはどの程度重要なんだろう」
「自分の判断と違った行動をすれば、何か困ったことが起こるんだろうか」

B紊錣蠅旅佑┐鮹気:最後に、「では別の考え方はないものだろうか」と質問すれば、硬直化した考え方から解放され、現実的な柔軟な考え方が見つかるはずである。

表にして書き込む方法もある。「日付」と「状況」を書き、次に「不快な感情」を書き込む。
その感情を今まで一番の強い感情を100%として、今の%を書き込むのである。

それに対しての「自動思考」を書き、それにも%を書き込む。

それから「合理的反応」欄に自動思考に変わる柔軟な考えを書く。あまり意味がないと思っても書き、そこにも%を書く。

最後に「結果」として、考え方を変えてみて感情や気持ちがどう変化したか書き込む。気持ちが楽になっていれば新しい考えが役に立ったということがわかり、これからもそうしようとすればよく、あまり変化がない場合は、別の考えや見方ができないかと考えるのである。

こうして、ストレスに押しつぶされない柔軟な考え方が見つけられるようになるのです。  
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ストレスが生む認知の歪み

おはようございます。ストレス、ストレスというものの、「ストレスって何?」と改めて聞かれると明確な答えをスッと答えにくいものですが、そういうコトをスッキリ教えてくれる一冊。
ストレスとトラウマからの回復―精神保健の新しい展開
ストレスとは「種々の外部刺激が負担として働くとき、心身に生じる機能変化」であり、「環境の変化、あらゆる種類の過剰な身体的、感情的、知的労働や刺激の過多、自己の存在や自己評価を脅かすような状況、などのストレッサー(ストレスの原因となる有害な作用因子)によって引き起こされる、精神的・身体的な過度の緊張状態(ストレス反応と呼ぶ)」をストレスと考えるのが適切と書いてある。

ちなみに、強いストレスに長い期間さらされると、うつ的な状態になる。そのプロセスで「認知の歪み」が認められる。それは七つに分類され、

」鶲嫖推論:証拠が少ないのにあることを信じ込み、物事を思いつきで独断的に推測し判断する状態である。例えば、しばらく友人から連絡がないだけで、その人に嫌われてしまったと考えるような場合がこれに当たる。

二分割的思考:曖昧な状態に耐えられず、物事をいつも白黒はっきりつせておかないと気が済まない状態である。

選択的抽出:自分の関心のある事柄だけに目を向けて結論を急ぐ状態である。健康状態が気になると身体のちょっとした不調にばかり目がいくようになる。

拡大視・縮小視:自分の関心のあることは大きくとらえ、反対に自分の考えや予測に合わない部分はことさら小さく見る傾向のことである。

極端な一般化:これはごくわずかな事実を取り上げて何事も同様に決めつけてしまう状態である。一度失敗しただけで、「何をやってもだめだ」と結論づけてしまうことなどが、その一例である。

自己関連づけ:自分の責任を大きく感じすぎて、少しのミスで自分を責めてしまうような態度である。

情緒的な理由づけ:その時の自分の感情状態から現実を判断するような状態である。例えば、与えられた仕事の内容がまだよくわからない段階で不安を感じると、「初めてでよくわからないから不安になっているんだ」と考えられず、「こんな不安になっているんだから今度の仕事は難しいに違いない」と思い込むようになる。

思い当たるコトがありますか? この話は続きます。  
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2006年10月10日

男と女は、メビウスの裏と表

「えっ?!! 何の話?」と思うタイトルでしょう。

メビウスはもちろん「メビウスの帯」を指してます。紙を一ひねりして繋げれば出来る「メビウスの帯」表かと思えば裏で、裏かと思えば表になります。

タダ、ここで、色々と語ってしまうコトは出来ません。何故なら本日の本は、それに関係したミステリーだから‥‥
片想い
世の中の決め事に順応出来る人間もいれば、出来ない人間もいるという話です。

コチコチの頭になってしまうと、そういう異端者は全て認められなくなりますが‥‥そして、自分の頭が固いコトは棚に上げて、他人の批判をしたくなります。でも、世の中には、自分と違う様々な人が生きているのです。

世の中を生きるには、他者の気持ちを理解して、他者の気持ちに寄り添えるかどうかで、生きるコトが苦しくなったり、辛くなったり、とっても簡単だったりします。

自分と異質な人の存在を認められるだけの幅の広さが大事です。

人間は、似たような人と集団になりやすいので、自分が他人を認めるならば、他人もアナタを認めてくれると思います。

目を開いて、世の中には様々な人が存在していると理解するだけで、もっとのびのびと生きやすくなると思います。

この世に同じ人間などいないんです」から‥‥  
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7万ヒットありがとうございます!!

昨日の晩に本当は書き込みしないとイケナカッタのですが、そういう状況の展開ではなかったので、今朝にしました。

ブログを初めてから一年ちょっと、こんなに多数の方々に御訪問頂き、加えてワタシの記事をこのブログに来なくても読めるようにしてくださっている方々もいて、本当に有り難いと思っています。

タダ、一つお願いがあるのですが、このブログの記事は「参考文献」によって書いているコトも多いのですが、必ずソコにはワタシの意見を含ませて書いたりしてますので、基の「参考文献」にナイことも書き込みしています。なので、一部転記の際に「参考文献」の名だけを書かれると、迷惑が掛かる場合もありますので、このブログの名前やURLを書くか、ワタシの全ての意見が好きじゃないからと思う方は、「どこかで読んだのだが‥‥」と名無しでイイので、他のブログからの転記である旨、書いておいてください。

ついでなので書いておきますが、「食べ物が作る健康」の成分はあくまで目安であって、食べ物が口に入る時までの調理方法とかで、成分は減少する場合もあります。ともあれ、面倒だからと調理済みのモノに頼るより、果物の丸かじりとか(リンゴや梨なんて皮付きの方が栄養はありますから)、特定のビタミンが破壊されたとしても手軽に食べた方が、それ以外の栄養は残るからと、お手軽な調理法を書き込みしてますが、決してそう食べるのが、最良の方法ではありませんから、その辺だけは御理解してお願いします。

基本的に本の紹介とかもしてますが、アフィリエイトしているワケではナイので、このブログは単なる趣味で、クリックして頂いても、紹介した記事のモノを買われても、ワタシには全く関係がありません。当初は、アフィリエイトも念頭にあったのですが、思ったコトを書くタメには、金銭的束縛がナイ方がイイと思っています。なので、紹介している割に文句を言ってと思ってらっしゃる方もいるかと思いますが、活字になったからといって、それは「真実」とは限らないというコトを述べたいので、ワタシの意見も、こんな意見の人もいるんだと思って読んでおいてくださいね。

それでも、なるべく「参考文献」との違いを出すタメに、自分が本来使う文字とは違う書き方(例えば「子供達」と書くのがワタシの普通)ではナクても、「参考」にしている文字の通りに書き込みしてますし、現実には「私」と書くのに、ブログ上ではわざと「ワタシ」と書いたり、カタカナ書きを多様しているのは、「参考文献」とは違いますと判りやすくしたいと思っているからです。

御礼のハズなのに、違う方向に行ってしまいましたが、好きで読んでくださっている方はモチロンのコト、イヤだけど読んでみるかと思ってくれる方々にも感謝しています。自分と違う意見を読むというコトはものスゴイ度量がいるからです。全ての皆様にありがとうございます!!  
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2006年10月09日

北朝鮮をあざけるのは簡単だが‥‥

北朝鮮が、核実験をこれみよがしにするのを見ていると「何と馬鹿げたコトだ」と思うものの、北朝鮮のコトを考えると太平洋戦争前の日本と、とても類似している様に思う。

無論、時代が違うので、当時の日本は核兵器なんか持っていなかたし、逆に世界唯一の被爆国になってしまったのだけれど‥‥

「あの戦争は仕方なかった」という説を唱える人々は、日本が世界からつまはじきにされ、経済封鎖されたコトをあげる。今の北朝鮮と似た様なものだ。無論、他国のお札を偽造しようとする様な卑劣な真似はしてないが、満州国を作ったり、朝鮮半島を併合したりと、他国の主権を侵害したコトは間違いない。

第三者としてみれば冷静になれるのに、当事者となるとどうしても正しい判断が出来ないものです。

今朝の本の舞台はインドネシア。事件を調べる刑事は、未だに神頼みをしている国民に対して、

「よその国の連中なら、時代遅れも甚だしいって笑うだろうよ。でも、我がインドネシアの国民に限れば、おれやおまえをふくめてその大半が今も神の力を信じたがっている」

それもこれも、国が貧しさと矛盾をごまかそうとしているからだ。満足に医者にかかれる者など多くなく、農村部の医療自体も遅れていた。だから、神に祈るほうが近道だと考える者が少なくない。医療だけに限った話ではなかった。たとえ親族が殺されても、警官の中には民衆から金をせびることばかりを考える者がいて、捜査の進展はおぼつかない。だから、犯人逮捕を神に祈る者がまた増えていく。進学や就職だって、コネを持たない一般市民は神頼みをするほかはなかった。見上げた宗教国家じゃないか。

こう考えている。こうしたインドネシアの現実を非難するのはたやすい。しかし、考えてみれば、インドネシアといい、北朝鮮といい、民衆のタメにならず、特権階級のフトコロが潤うだけなのを知りつつ、援助してきたコトが日本になかったのか?

今回の核開発の資金にすら流用されたかもしれないのだ。結果だけを見て、色々言うコトはたやすい。しかし、そうなるまでの経緯をじっくり考えるならば、決してその責任は他国にだけあるワケではないと納得するのではナイだろうか。  
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癒しの謎を解き明かしたい

おはようございます。なんかスゴイ感じのタイトルですが、これは登場人物の発言の引用です。
昨日に引き続き、新保裕一さんの本、
真夜中の神話
の中のヒロインの言葉です。

難い本で読むよりも、推理小説で読んだ方が『癒し』について理解しやすいかも‥‥

「‥‥動物や花を愛でることで、人の心拍数や血圧は確実に安定していく。‥‥単なる精神作用のせいだけではなく、精神の安定が微妙なホルモン分泌に関係していると見る研究レポートはいくつも発表されているわ。癒しはホルモンの活性化を生み、免疫力や組織の成長力、つまりは治癒力を高めていく助けとなる。科学による裏づけがまだ進んでいないのは、研究者と予算が単に少ないから‥‥」

という様に語られてます。ちなみに、ココで一押しされているのは、「イルカ・セラピー」。

ストレスが軽減されると、脳波の中のミッド・アルファ波が特に活性化する。人は脳を働かせるとベータ波が活発になるので、日常的にはベータ波とともにすごすケースが多い。睡眠状態になるとシータ波が、深睡眠時にはガンマ波が増える。

イルカと戯れるとリラックスするが、アルファ波も増えているのだが、シータ波はより遥かに高くなる。覚醒時にはほとんどシータ波はほとんど活性化しないはずなのに。

イルカと交流しても睡眠状態になったワケではなく、自然との一体感を得られたという人はかなり多い。それは、脳内ホルモンのエンドルフィン特に、内因性モルヒネ物質と呼ばれるベータエンドルフィンの活性化で、精神的、肉体的な苦痛を和らげることができ、癒されたと感じる。ベータエンドルフィンには、免疫力を高める作用もある。


以上のことは、前にもっと専門的な本の話の中でしましたが、小説で読んだ方がより実感としてとらえられるかもしれません。

整体をしていても、「ウトウトしてしまった」とお話になられる方もいらっしゃるので、似た様な効果があるのだろうと考えられます。しかし、それにはある程度、お互いの信頼関係も必要になると思いますけどね。  
Posted by seitaisikoyuri at 09:32Comments(0)TrackBack(0)

2006年10月08日

人間の盾

最近、あんまり小説を書き込んでいませんが、何冊も読んでます。『ヒット!!』と思わないと書き込まないだけで‥‥
防壁
人間の壁、つまりSP(シークレット・サービス)の方々の話です。

TV画面を見ていると、『あぁ、マタあの人が防護に就いているな』なんて思ったりしますが、大変な作業なんだろうと考えてましたが、本当に「命懸け」の仕事なんだなと思いました。

採用されるには、最低でも柔剣道が三段、射撃は上級、口の堅さや素行も問題の上に、総理番ともなれば、衆参両院はもちろん、首相のお膝下の県や市町村の議員と、そのすべての秘書に、政党職員、院外団体、経済団体、そのうえさらに各マスコミの担当記者、私邸の使用人から出入りする出前持ちまで、総理を取り囲むありとあらゆる関係者が、その経歴をふくめ、頭の中にインプットされているというのですから驚きです。

そして、担当の人のタメなら、自分の命に換えても護らなくてはならない職業となると、ウーン、頭が下がりますね。

でも、だからこそ、どうか彼等が「命に換えても惜しくない」と思うだけの人物であって欲しいとも思いますけど‥‥

本物の壁ならともかく、人間ですから感情も在るでしょうし。

短編集なので、「海猿」で話題になった『特殊救難隊』、自衛隊の『不発弾処理隊』、そして『消防署員』の話も載ってます。

ともあれ、これは実話で聞いた話なんですが、焼身自殺はとても大変らしいので(即死出来なかった時に、救助しようとする人、看護する人、当事者全てが)、他の方法の自殺も含めて、死にたくなったら、とりあえず誰かに話を聞いてもらうコト(上手なプロの専門家が一番ですが)をしてからでも遅くはありません。

周囲の方々も、何か変だという徴候を感じたら、今は色々な無料相談機関もありますので、恥ずかしいなどと思わずに、電話でいいから相談してみましょう。

自分の周りに、壁を作って押さえ込もうとすると、マスマス問題は複雑化します。

世の中は、全部がイイ人でもありませんが、全部が悪い人でもありません。一人の中にも、悪の部分と善の部分が共存しているのです。死ぬつもりなら、全てさらけ出してからでも、遅くないと思いますけど‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 21:34Comments(0)TrackBack(0)

バランス栄養食と言えば‥‥

おはようございます。御心配をお掛けしましたHPの件ですが、製作してくださった方のパソコンが壊れるというアクシデントがあり、それにミスが絡んで、トラブルになったみたいですので、ハッカーとかではナイと判明致しました。しばらくしたら正常に戻る予定ですが、ブログを書いている素性を知りたいという方しか訪問しないに等しい感じなので、ダメージはそんなにありません。皆様、お騒がせしました。励ましのメッセージありがとうございます!!

さて、本題ですが、本日は「サツマイモ」です。無論、出典は昨日の「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」から。

天然の「バランス栄養食」なので、「準完全栄養食品」と呼ばれ、でんぷん、たんぱく質、ビタミン、ミネラルがバランスよく含まれています。

九州沖縄農業研究センターの研究で、ビタミンCや食物繊維が豊富で、その繊維の質もゴボウやタケノコと比べて質が良いとされています。

サツマイモを切った時の白色の乳液は「ヤラピン」と呼ばれ、下剤の働きのほか、腸内のビフィズス菌の増殖を促進する効果があり、腸の健康にプラスとなる。ゆえに、便通促進効果があるのです。

最近、人気の紫サツマイモは色素成分のアントシアニンがあり、抗酸化作用だけでなく、ヒト段階の実験でも肝機能を改善する効果、血糖値の上昇を抑制する効果、血液の流れを良くして血液をさらさらにする効果、血圧を下げる効果などがあると解明されています。

食糧難の時代を救った「サツマイモ」には「健康食」と呼ばれるだけのパワーがあったのですね。

焼き芋なども美味しいですが、もっとも手軽に食べるには、小ぶりのサツマイモを塩を少しいれたお湯でゆでるコト。

気長な人は、電子レンジの弱で一時間近く(大きさによります)加熱しても、焼き芋に近い感じの食感が得られます。

男女を問わず「健康維持」のタメに食べるべきスグレモノだったのですね。ちょっと、ビックリ。  
Posted by seitaisikoyuri at 10:28Comments(2)TrackBack(0)

2006年10月07日

「秋刀魚」と書いてサンマ

本題に入る前に、午前のブログに書いた確認のタメのHPからは、問題発言などは削除されたそうなので、一部書き直しを致しました。御理解ください。タダ、「臭いものには蓋」という傾向がありますよ‥‥という証明にはなったかと思いますが‥‥

超ローカル新聞の「週刊長野」の「話題の食材」というコラムから今回は「サンマ」です。

注目はドコサヘキサエン酸(DHA)とエイコサペンタエン酸(IPA)という不飽和脂肪酸が多く、血液をさらさらにしてくれるほか、近年ではがんにかかりにくくしたり、がんの転移防止の働きが期待されています。

ほかにビタミンB12・D、鉄、銅、亜鉛などのミネラルをバランスよく含有。特有な苦味が好まれる内臓は、ビタミンA、カルシウム、マグネシウムが豊富。

栄養的には、タンパク質より脂肪の方が多いという珍しい青背魚。旬には脂肪が20%を超えるが、11、12月には数%に減少するなど、季節による脂肪の変動率が大きい。

選び方として、新鮮な物は、皮の銀色が美しく、腹が切れていない。尾の付け根や口が黄色くなっている物は、脂がよく乗って栄養状態がいい。一般に大型の物ほど脂の乗りが良いそうです。

ちなみに、サラッとしたサンマの方がワタシは好きなんですけど‥‥ま、人生色々というコトで。

「目黒のサンマ」ではありませんが、昔だって殿様は庶民の生活を実際に調べていたりしたのですから、庶民の代表選手であるべき政治家の方々には、タマには「サンマ」でも食べて頂き、健康的になって、それが御馳走だったりする庶民の気持ちを理解して頂きたいものです。

「食べ物が作る健康」、明日の朝は、何時もの様に「日本農業新聞」から紹介させて頂きます。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:01Comments(2)TrackBack(0)