2006年11月30日

ジャンクフードは最悪

何故か、食べ物関係になると、皆様のコメントが増えるので、今度はダメな方の花形、ジャンクフードの危険性を書き込みます。

もし不安や不安定な感情を発生させるための処方箋はなにかと問われれば、ジャンクフードが回答である。ジャンクフードとは、栄養が乏しい食物のことで、カロリー(エネルギー)だけは高いのだが、ビタミンやミネラルといった微量栄養素が極端に少ない食物のことである。その代表が、ファストフード、砂糖たっぷりの食品、箱に入った甘い食品である。

ファストフードは、やわらかく、甘く、塩味が効いていて、口あたりがよい。だから、どんどん食べる。そこが食品会社のつけめだ。こうしてファストフードを楽しむ人は、過食になって太る。その一方で、ファストフードにはビタミン、ミネラル、ファイバーなどが著しく不足している。

しかも、ジャンクフードには砂糖や精製デンプンが大量に含まれているため、食べてすぐに血糖値が上がる。高血糖が脳に悪影響を及ぼすことは朝、書き込みました。ジャンクフードの特徴は「安い、うまい、脳に悪い」の三つである。

毎日食べ続けた災いは、

‖燭の生化学的な研究によって、ビタミン、ミネラル、必須脂肪酸、アミノ酸が生体で不足したときに、感情が定まらず、不安な気持ちになることが判明している。

∈重や単純デンプンの摂取量が増えれば増えるほど、一度に多くのインスリンが放出されるため、脳のガソリンであるブドウ糖が血液中から減少し、低血糖症状が発生しやすくなる。

脳がエネルギー不足のときに、不安に襲われやすい。血液中のブドウ糖レベルの低下は空腹と疲労だけをもたらすという定説を信じてはならない。

神経質、イライラ、消耗、冷や汗や身体の震え、いわれのない不安や持続性の心配、脈拍が速くなる、心臓がドキドキする、パニック、呼吸が浅くなるなど、様々な症状が低血糖で起こってくるのである。  

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食品で血糖値を上げるスピードが違う

おはようございます。昨夜は体調がイマイチで、今日もそんな冴えてないのですが、なえちゃんさんから、昨夜の件で質問のコメントを頂いたので、もう少し詳しく書き込みます。

ブドウ糖は、糖の分子の長さによって、果糖一個の糖からできた単糖類、二個で出来た二糖類、ブドウ糖100個から1000個が数珠のようにつながった多糖類があります。

単糖類は胃や小腸から吸収されただちに血液に入り、二糖類は酵素によって二個の単糖類に分解されてから血液に入り、すばやく吸収され短時間のうちに血糖値を上げます。

そのスピードを数値化したものが、グリセミックインデックス(GI、グリセミック指数)で、ブドウ糖を基準100として数値化されています。

このGIの数値が高いほど、食べてすぐに血糖値を上げる食品で、高GI食品と呼ばれます。

高GI食品を食べて、血糖値が急激に上がると、これを抑えるためにインスリンが大放出されて、血糖値が急降下し、血糖値が下がりすぎると低血糖になる場合があります。

ちなみに、低血糖は緊急事態なので、人体は血糖値を上げようと、アドレナリンとノルアドレナリンを大放出して、上がりすぎになり、今度はまたインスリンなどと、血糖値が安定せずに、乱高下する場合があるのです。

アドレナリンは怒りを起こし、ノルアドレナリンは脳を興奮させるので、落ち着いた気分にはなれません。


食べてからゆっくり血糖値を上げる食品を「低GI食品」と呼び、昨日書いたのはそうした「低GI食品」と呼ばれ、血糖値をゆっくり上げる「スローフード」なのです。

適度の血糖値の上昇は、適量のインスリンが放出されるので、血糖値の急降下は起きず、心が平安で感情が安定する。

高度に精製された小麦粉から作られた、うどん、精製白パンや精白米から作られた餅、精白米御飯に含まれるデンプンは、精製されすぎてファイバーなどの不純物がなくなり、「化学的に純粋なデンプンそのもの」になってしまったので、腸内の酵素によるブドウ糖への分解速度が極端に早くなるそうです。

といった感じの話で、かなり難しい話です。色々な物質の名前が氾濫してますので、文系の人間には、紹介がとても厳しいトコがあります。  
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2006年11月29日

心の病は食事で治す

正に、「食べ物が作る健康」部門にふさわしいタイトルの本です。
心の病は食事で治す
ちなみに、少々難しい本ですけど‥‥ともあれ、精神病と思っていたら、栄養不足だったなんてコトも多いのだそうです。

ジャンクフードの危険性も指摘されています。手軽でオイシイ、でも、身体には最悪って感じなんですって。

こういった、心の病を正しい食生活、ビタミン、ミネラル、必須脂肪酸をうまく摂取することで治す考え方を「分子整合精神医学」と呼ぶそうです。

脳は神経細胞の集まりであり、その一つ一つの神経細胞の内部では、電気信号のかたちで情報が飛び交っている。しかし神経細胞の間は、化学物質である神経伝達物質が流れることで情報をつないでいる。つまり、脳内をかけめぐる伝達物質の種類と量によって、狄喚瓩決まるのである。伝達物質の種類と量のバランスがとれた状態が健常であり、バランスの崩れたインバランスの状態が異常で、心の病が発生する。

という理論に基づいて、提唱されたものです。

かなり難しいので、とりあえず摂取したいとされているモノ一覧を書き込みしておきます。

野菜類・キノコ・海草・大豆・フルーツ類・ヨーグルト・牛乳・バター・卵・スパゲッティ・オレンジジュース・肉・魚介類・アイスクリーム・サツマイモ・そば・玄米御飯・ライ麦パン

だそうです。化学は苦手だったので、うまく書き込み出来ませんが、副作用のある薬よりも天然の食物から不足している栄養を補充して、健康を自らプロデュースしてください。という学問の様です。  
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末法の世なればこそ

おはようございます。昨夜の本の話にホトンド触れずというのもマズイですし、ココだけは書いておきたい部分があります。

映像とは思考の回路を経ずに脳のスクリーンにダイレクトに映し出されるがゆえに、人は無批判にそれを受け入れやすい危険をはらむメディアである、ということを言っておきたかったのだ。

演出という表現手法に人々の目が向かいはじめたということも含めて、先のロバート・キャパの時代が映像の世紀のはじまりであるとするなら、それから半世紀後、私たちの眼や脳はかつての時代とはくらべものにならないほどの大量の映像情報にさらされている。

さらに言えば少なからぬ映像がコンピューター処理をほどこされ、現実の組み換えが可能になった今日、一片の映像に対し、それが犖充造演出か瓩箸量笋いけを持つこと自体が無意味なものとなりつつあるとさえ言える。またヴァーチャル化しはじめた人々の目には、時に非現実的な映像の方が現実的な映像よりリアリティを帯びて見えるという視覚上の逆転も起こりつつある。

かくもさように錯綜化した映像環境の中で、私たちにいま求められているのは、さまざまな映像を解読する技法と力である。というのは映像によって包囲され、日々半ば強制的に視覚情報を与えられている今日的環境の中で、それか何かの意味や意思を伝達し、時には情報の操作を意図するものでもある場合、それを無批判に受け入れるということは、これほど危ういこともないからだ。

二〇〇〇年のいま、私たちは映像を解釈し、意味の世界に還元する技能を鍛えなければならない時期にさしかかっているのである。

我々は、日々情報操作されている時代を生きているのかもしれませんね。

御釈迦様が亡くなられて、末法の世とされた平安時代末期よりも、より時代は流れて、正に「世も末」の時代だからこそ、次の時代にチャントしたバトンを手渡さなければ、人類の未来は無くなってしまうのかもしれません‥‥  
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2006年11月28日

安保闘争って何だったのだろう?

写真集の書評の本を読んだのは初めてです。この前のブログから「藤原新也」さんのブログを読んでいるので、題名も「ン?」と思ったので借りてきました。
末法眼蔵
一番気になったのが、作詞家松本隆史の言葉として紹介されていた「少年だったあのころ、浅間山荘で機動隊と連合赤軍の衝突するのをテレビで見ながら、僕は機動隊を応援していました」という言葉。

「浅間山荘事件」は、先生も見たかったらしく、小学校の応接室で授業中に見た覚えが‥‥ちなみに、県警の中に母親の友人の御主人がいて、応援を要請された時には、おそらくロクなモノを食べてなかろうと、長野中のパンを買い占めて持っていったという話を大人になってから聞いたコトがあります。雪の中で、本当にひもじかったり、色々と大変だったそうです。今、思うと、あの事件がテレビを劇場化した事件の一つのターニングポイントだったのかもしれませんね。

大学時代、病院の息子で今は跡を継いでいるだろうと思われる人が、学生運動家が立て籠もった東大への放水を見ながら、もう少し大きかったら、あの中にいたのにと思ったと言ってたのをシラケて聞いていました。クールな子供でしたから、籠城して勝てるワケないと小学生にして淡々と分析していた(秀吉とか三国志あたりの話が好きだったタメ)ので、大した感想は無かったというか、そんなに体制に文句あるなら、日本を出て行ったらイイし、イヤな大学に何でいるの位にしか子供なので思いませんでしたから‥‥

ちなみに、今の官房長官とか、猪瀬直樹さんとか、歳と共に、逆に右寄りになった人は多いし。(ヤンキー先生も、自分が高校から排除された経験がありながら、いじめた子供は出席させるななんて言ってるし)

昔、バブルの頃、母親とグリーン車に乗っていたら(母は、グリーン車が大好きな人だったので、ちなみにワタシは父親の影響で、どうしても座れなくて死にそうに疲れてナイ限り自由席が一番好きです。安いし、イヤな席なら移れるから)接待ゴルフらしき男性二人連れが大声で話していて、接待しているらしき方が、「昔は、カブれて学生運動なんてやってましたが‥‥」と自分の過去をこき下ろしていましたが、聞いているこっちの方が頭に来ました。軽井沢で下車したので、セイセイしましたが、『ああいう人生だけは送りたくナイものだ』と思ったのを二十年近く経った今でも覚えています。

思想にカブれやすい人にとっては、右でも左でも大した違いではナク、会社に滅私奉公するのがお似合いなんでしょうけど、そういう人生だけはゴメンだと思いながら生きてきました。何だか、全然本の話になってませんが、色々と考えさせられた本でした。  
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人生の折り返しを過ぎたからコソ

おはようございます。本当なら昨日書きたかった本です。素晴らしい本でした。
40 翼ふたたび
人間の死は、本当は誰でも明日をも知れない命なのではありますが、一応の目安として平均寿命なるものもあり、四十歳は人生の折り返し地点なのかもしれません。ちなみに、ワタシの場合、母方の祖母も母親も七十歳で亡くなってますから、三十五歳の時に「人生の半分を生きてしまったのかもしれない」と思いました。

そうやって、人生の後半戦を生きていると思い、知っている人が亡くなっていくのを身近に感じるようになると、生きていて出来るコトはしれているし、大半の人々は死と共に、この世から徐々に忘れ去られて行くものだし等々と、昔から好きだった中世の無常観について書かれた「方丈記」などの思想が、より身近に感じられます。

でも、諦めるにはマダ早いというストーリーなのですが、特に気に入ったのは、この部分。ストーリー展開には関係ナイので書き込むと、

若いころのように、もう自分の力を過信してはいない。世のなかには、できることよりも、ずっとたくさんのできないことがある。さしてくやしさもなく、素直にそう認められるようになったのだ。自分を突き放し客観的に見ることも、自分を笑うこともできるようになった。

身にあまる夢をもち続け、自分に過重な期待をかけるのはつらいことだった。

まだ青春のさなかにある人間はいうかもしれない。夢も希望もない人生なんて生きる意味がない。だが、それが違うのである。ほんとうは自分のものではない夢や希望によって傷つけられている人間がいかに多いことか。本心では望んでいないものが得られない、そんなバカげた理由で不幸になっている者も、この世界には無数にいるのだ。


若干、省略してありますけど。シンプルに「生きる」コトを考えれば、それなりの夢や希望もあって、リターンマッチをするコトも可能な四十代への応援歌かもしれません。

生きるコトに対して、肩に力が入り過ぎている若い人々も、人生を見つめ直すつもりで読んでみるとイイかもしれませんね。  
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2006年11月27日

冬が旬の葉モノ野菜

昔、東京の友人に叔父に無理やり持たされた「キュウリ」を「夏のギラギラした太陽で出来た、旬のキュウリだからオイシイよ」とあげたら、「キュウリに旬なんてあるの?」と聞かれてしまいました。それでも、後で聞いたら、「今まで食べた中で一番美味しかった」と言ってもらいましたが、冬が旬の野菜もあります。何だと思いますか?

正解は「ほうれん草」、「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」からです。寒い冬に低温で育ったものの方が、植物が栄養分を蓄えようとするので、ビタミン類や糖分の含有量が増えて食味が向上するそうです。

特に東洋種の方が甘味も強いのですが、栽培がしにくく収量も少ないので、今は西洋種と東洋種の交配種がほとんど。

.侫薀椒離ぅ瀕爐多く、抗酸化作用がある。

体内でビタミンAになるカロテノイドが多い。

ミネラルが多い。

づ簡が多く、貧血気味の人に向いている。


ただ、えぐ味の成分であるシュウ酸が含まれている。シュウ酸は、ミネラルの吸収を阻害してしまうなどのマイナス面もある。大量に摂取せず、食卓に時々登場するなら問題ナイそうです。

ちなみに、ホウレン草は塩でゆでるよりも、砂糖でゆでた方が、えぐ味も消えてスグに美味しく食べられますので、お試しくださいね。

それにしても驚きなのは、ペルシャ原産だったというコト。 17世紀にシルクロードを通って日本にたどり着いたそうです。やっぱりシルクロードは昔から、様々なものが伝えられる道だったのですね。  
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自殺・虐待・いじめ‥‥

おはようございます。「食べ物が作る健康」を書き込みしようと思ってたのですが、中学二年生の男の子が実の母親と同居の男に虐待されていたというニュースを聞いて憤慨しました。

何に怒ったかというと、昨年の二月には暴力を加えられているコトを既に学校等々が把握していたにも関わらず、今年九月に二週間の怪我で入院するまでは、多少の注意はあったものの実質的に放置されていたコトに‥‥

何で、一年半以上も暴力の中に居なければならなかったのか。虐待はエスカレートするものなのに、何時も死亡とか、入院とか生命の危険までいかないと助けられないのは、変じゃないでしょうか?

日本には、起こりうるだろう危険を未然に防ぐという発想が根付いてナイ様に思います。

時々読んでいるネットニュースにJ−CASTニュース ビジネス&メディアウォッチというのがあります。その中のニュースに、

WHOは2000年に、「自殺を防ぐために、マスコミへの手引き(PREVENTING SUICIDE A RESOURCE FOR MEDIA PROFESSIONALS)」と題された、群発自殺を防ぐための報道のガイドラインをまとめている。それによれば、実際に起きた自殺についての新聞・テレビの報道が自殺の増加と十分に結びつくことを示唆する十分な証拠がある、という。

「写真や遺書を公表しない」は原則だ

WHOの自殺報道への勧告。日本のマスコミは意識しているか、さらにWHOは自殺報道について次の原則を挙げている。

●写真や遺書を公表しない
●自殺の方法について詳細に報道しない
●原因を単純化して報じない
●自殺を美化したりセンセーショナルに報じない
●宗教的・文化的な固定観念を用いない
●自殺を責めない
日本のマスコミが報道していることばかり、という気がしなくもない。


というのがあります。「日本の常識は、世界の非常識」という言葉がありますが、本当にその通りなんだなと思います。

「視聴率を上げるタメだったら何をしてもいいのか?」と思います。少なくとも、WHOがこういうガイドラインを発表したら、それ以降はそれを尊重するという姿勢が必要だと思います。

そして、知らないというコトは本当に怖いものだと思うのですが‥‥  
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2006年11月26日

子供も大変

今朝の本の話はこう続きます。

学校の教科も、給食のメニューも、担任の先生も、子どもには選り好みは許されない。せめて友だちぐらい、自分の好きな子だけとつきあいたい、そう子どもたちが思っても間違っているとは言えない。もっとも、子どもたちの「友情」はそれほど固定的ではない。ちょっとしたイザコザから仲よしグループが分裂することもあるし、ひとりだけ仲間はずれにされることもある。逆に、ふとしたキッカケからそれまで互いに無関心だった同級生が意気投合することもある。

だから、別の箇所では、

子どもたちは仲間と出会い、コミュニケーションを深める過程で、共有すべき夢や価値観を対象化できるようになり、それを守るために友情で互いを結び壁をつくるのである。子どもたちのグループがとかく相互排除的であるのはそのためだ。自我の確立に先だつこうした結びつきだからこそ、秘密や掟の共有が重要さをまし、外的世界からの濾過器の役割も果たすことができるのである。

「いじめ」を遊びとしてしかける側は、たいてい仲よしグループを形成していて、スケープゴートを指定し攻撃することによって、そのグループ内の「価値観」を強化することになる。

しかし、それは逆にみれば外的世界に攻撃目標をつくることが必要な程度に、グループの安定性が低いともいえるわけで、「集団的自我」内部での矛盾、衝突はいつ表面化するかわからず、そういう不安は、ほぼすべての子どもに潜在している、といえるのではないだろうか。

なので、著者は、ある日曜日、自宅に帰る郊外電車の中で元気にふざけあう中学生のグループに注目する。大騒ぎしていたグループの一人を残して、電車を降りた後、残された中学生は舞台で演技していた役者が楽屋に引き上げてきたかの様に、ドアの脇に立って窓の外にぼんやり目を向けている。その少年の横顔に、なにかに耐えている感じの「せつなさ」を感じるのである‥‥  
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本当の教育とは?

昨夜は九時から、ライブドアがトラブル回避のタメの点検・修理をされるコトになっていたのに気付かず、忙しがっていて書き込み出来なくなった時間になってしまってから書こうとして、更新不能でした。朝、「晩に書きます」と言ってたのにスミマセン。

昨夜からヤフーニュースに載っているニュースに、

学校でいじめによる自殺が相次いでいる事態を受け、安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は25日、いじめ問題に対する緊急提言を来週にもまとめ、公表する方針を固めた。

 都道府県や市町村の教育委員会に対し、〈1〉いじめた児童・生徒に出席停止など厳しい対応を取る〈2〉深刻ないじめ問題が起きた場合に備え、緊急に学校を支援する態勢をつくる――ことなどを求める。

があります。アドラー心理学など、心理学から考えても、「悪いコトをするのは、悪いコトをしてでも、自分の存在を認められたいという欲求の現れで、人間は本来価値ある存在として認められたいのだが、それが無理だと思うと、他者の感情を揺す振る様なコトを何でもいいからしてでも、認められたい」のだという観点から考えると、学校から排除されたとしても、社会には存在するワケで、「社会が愛情を持って接し、教育出来る最後かもしれない義務教育を放棄しようとするコト」が本当に正しい教育なのでしょうか?

問題のある子供こそ、個別に愛情をもって、「教えはぐくむ」コトが読んで字のごとく「教育」だと思いますが‥‥

昨日の本に、「みんなで仲よく遊ぶ」のが「よい子」の条件である。だが、この「みんな」がくせものである。だれとでも仲よくして、嫌いな子はいないなどという子は、仮におとなの思い描く理想像であるとしても、現実はひとりもいないだろう。クラスで「みんな仲よく」という標語をかかげたとしても、それがタテマエにすぎないことはだれにもわかっているはずだ。とあります。それが本来の人間の気持ちであるコトを踏まえた上で、どうするのかが問われるべきなんだろうと思います。

人間の深い部分を理解せずに、表面的なコトを押し付けても、マグマ溜まりにマグマがドンドン蓄積する様なものではないでしょうか?

子供達が、心の内部に抱えているマグマの吐き出し口をつけてあげるコトこそが、大切なのだろうと思います。『人間には「好き」も「嫌い」もあるけれど、どうすべきか』という、真の議論こそが物事の本質に触れるキッカケになるのだと思うのですが‥‥  
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2006年11月25日

「市場の論理」にしばられる子供

おはようございます。こんなに読みやすくて、明快な子供論はなかったのだろうと思います。
「子ども」の消滅
学校を中心によりそうおとなは、反面やっきになって子どもを管理、抑圧し、おとな好みの「よい子」づくりに熱中している。

かつての「校内暴力」や現在なお衰えを知らぬ「いじめ」や「登校拒否」といった現象は、こういう「教育」の矛盾のあわられにほかならない。学校が要求する一定水準にまで学習効果のあがらない子どもや、生活の秩序を守れない子どもに対する差別、抑圧、攻撃は巧妙に強化され、その影響は学校外へと拡大している。

学力に不安をもつ子と親は補習塾に殺到し、より高い学歴を手に入れようとする親子は進学塾をめざす。「よい子」でなければやっていけないしくみに適応しようとすれば、よその子よりももっと「よい子」になろうとするのは当然のことで、スポーツクラブやおけいこごとにも精を出し、健康な身体とゆたかな情操を学力にさらに加算して、子どもの商品価値を高めなくてはならなくなるのだ。

子どもたちも、抵抗らしい抵抗を示さずにこれに従う。‥‥スケジュールをはずして自由を拡大すれば、たのしいこともあるだろうが、不安もあるし、面倒くさいこともつきまとう。やりたいことをやるためには、周囲との間に調整しクリアしなければならないことがいっぱいありそうだ、と彼らは感じる。

意味があるかどうかも考えず、「おもしろそう」と感じた自分の直観に殉じるのは、エネルギーの浪費のように思えてくる。

管理と差別の教育は、少数の「問題児」を矯正ないし排除しつつ、圧倒的な「よい子」をつくり出していく。

そして、「登校拒否」にも陥らず、「いじめ」の側に加わることはあっても「いじめられる」ような孤立だけは味わわずにすめば、やがて、子どもではなくなるのである。

しかし、考えてみれば、まさにこの出口なしの閉塞状況こそが、時代をこえた「子ども文化」の核心なのかもしれない。

行間でも、かなり省略してますので、気になる方は本に直接あたってください。続きは晩に‥‥  
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2006年11月24日

人生に「正解」はナイ

人間はどういうものなのかを、明確に述べるのは難しいコトだ。しかし、今朝の本の著者のこの言葉は、その手引きになるだろう。

人間どう生きるべきかについて「正解」はない。学校もメディアも「知識人」も、人間どう生きるべきかについて責任のある答えを教えてくれることは絶対にない。当然のことである。

人間どう生きるべきかについて「正解」がないにしても、だからといって自分の生き方がどうでもいい問題になるわけではない。誰にでも共通する「正解」がないとすれば、自分らしい答えを自分の責任で見つけ出すしかない。個人の思想・良心と呼ばれるものは、そうした自分らしい生き方を支える理念枠組であり、それを守る監視機関である。


だからこそ、「民主的な愛国心があり得ることを踏まえた上でもなお、どのような内容の愛国心を持つべきなのかは、教師だとか、教育専門家だとか行政官庁だとかに決めてもらう筋あいの問題ではない。あくまでも、一人ひとりの人間が自分なりに解答をつかみとっていけばいい。‥‥国民主権の憲法にあっては、国民こそが国家に指示を行う主体である。その国民に対して憲法が愛国心を要求することは、本質的にあり得ない。ましてや国家権力の側は、国民に対して愛国心を持つよう要求できる立場にない」という話は正当なものです。

ちなみに殺人で検挙される少年10万人あたりの人数は、ピークの1951年で2.55人、次のピークの1961年で2.19人であるのに対し、2004年で0.48人、少し多かった2001年でも0.79人である。軍国主義の柱を成した"修身瓩箸いΧ軌薺範が行き届いていたはずの戦前において、1936年は1.05人だという。

ちなみに、高校生に教えるべきとした教科を教えなかった校長先生はどうなっているのでしょうか? 国旗・国歌の問題と比べると、ズッと問題があるのではないかと思うのですが、教育委員会に覚えのイイ校長先生はホトンド不問で、文部科学省と思想を違える一般教師は処分されるという様なダブルスタンダードこそがオカシイのではないでしょうか?

「教育内容を一元化を当然視し、その一元的な教育内容が文部科学省→教育委員会→校長→教師と続く縦系列の命令服従を通じて子どもに確実に伝達されるような構造を理想として描き、教師は職務の独立性を否定され、"お上瓩琉媚廚暴召Χ軌薀蹈椒奪箸箸靴撞’修垢襪靴なくなる」可能性を著者は恐ろしいコトとして指摘していますが、現実にそうなりそうな今こそ、気を付けていないと「トンデモナイ」ことになるかもしれませんね。  
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権利は自分にも相手にも在る

おはようございます。結構、硬めの本を読んでいます。
良心の自由と子どもたち
半分くらいしか読んでないのと、メチャメチャ硬いのでどう書くべきか迷っておりますが、昨夜まで書き込んだ本と、頂いていたしんちゃんさんのコメントにもありますが、自由というものは、自分にもあるが他者にもあるというコトを忘れてはイケナイというコトに尽きるのだろうと思います。

昨夜までの本に、「若者は自分と密接な人以外は電柱くらいにしか思ってないから、平気で電車の中で化粧したり抱擁したりできるのだ」と書いてありましたが、「国旗や国家を歌いたくない人の人権」も認めるべきだし、「歌いたい人の人権」も認めるべきだという話に、本当にその通りだと思いました。

右の人の意見もあり、それでは大変だという左の人の意見もあり、互いに意見をぶつけるべきであっても、どちらかがどちらかを支配するのは、民主主義ではナイというコトだと思います。

ちなみに、国家の伴奏をしたくないという人に対する裁判での主任弁護人の比喩は、俗な話ではありますが、真に本質をついているとワタシも思います。

(イヤなのに弾けと強制するのは)「俺を好きになってくれと頼んでるわけじゃない、ただ抱かせてくれと言っているだけなんだ。体だけなら、心の中は傷つかないだろ?」というに等しい、と。あまり品がよくないけれども、適切なたとえであり、判決が無理に通そうとしている強弁を浮き彫りにする。

自分がしてもイイと思うコトは、相手にされてもイイこと。
相手にされてイヤなことは、自分がしてはイケナイこと。


そんな単純なコトが、理解されずらい世の中になっているようです‥‥  
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2006年11月23日

無限の可能性と適性は別

個性と言っても程度ものだと思うのは、前述の本の中に、若者は「あきらめがイイのか悪いのか判らない」という話がある。

その背景には、大人たちが「どんな子どもにも無限の可能性がある」「だれでも努力すれば何でもできる」「これからはだれもが個性を生かした職業につかなければならない」といった幻想を吹き込みすぎた、という問題もあるはずだ。だから、そうやって、「理想を高く持て。あきらめずに夢を抱け」とさんざん言ってきた大人が、ある日、突然、「夢ばかり追い求めないで、もっと現実を見て妥協しろ」というのはあまりに無責任だと思う。若者とすれば、「いったいどっちなんだ」と理不尽さを感じてしまうだろう。

確かにその通りでしょう。あえて言うならば、「可能性は無限だが、能力は有限」「努力すればそれなりになれるが、だからといって世界で一番になるのは難しく、運もあるので努力したから報われるとは限らないのが人生」「理想を持たないとつまらない人間になってしまうが、といって高すぎる理想は現実とのギャップがあり過ぎる」といったコトでしょうか‥‥

友だちの中でみんなと同じでいたい。でも、細部ではだれとも違う自分でありたい。まわりにもそれに気づいてもらいたい。

若者がそう思っているならば、コレはとても難しいと思います。友達と違ってもイイのなら個性を明確に出せるでしょうが‥‥

「からだは大事」と言いつつ、平気でタトゥーをファッション感覚で入れるなんてのは、不思議で仕方ナイ。「とりあえず」したつもりが「一生消えない」可能性が高いです。若い時に身体を傷め付けてしまうと、アトアト大変なコトになってしまいます。無理なダイエットも子供が産めなくなったり、下手すると命が危なくなる可能性もあるのに‥‥

大人になっているのに、自分は「子ども」だと思っている二十代から五十代の大人も存在しているらしい。「親だから我慢」というコトをしないでいる人というのも、確かに存在しているという話は現実に聞くが、そうやって自分勝手にした結果を子供が負わされているというコトもある。

やっぱり、「今の若者は‥‥」という前に、その若者を育てた親や社会に、問題があるのだろうと思ってしまいました。  
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選択はだれがするのか?

おはようございます。昨夜のブログに「徒競走(かけっこでイイのですが、質疑でそう言っていたので)」のコトを何故書いたかというと、現在の小学校では足の速さの順に各クラスで人数を出し合って、運動会で走る方法が多いようです。

確かに、その方が見ていて面白いし、足の遅い子にもうんと差が付かずに気の毒ではナイのですが、「へそ曲がり」なワタシは、走っている子供達を見ていて、その方がイイだろうとは理性では思うのですが、違う感想も持ってしまうのです。クラスで上位の子供達も、必ずしも一番にはナレナイ組み合わせというものは、確かにイイのかもしれないけれど、何時も全力疾走を強いられる子供達は大変だろうし、少々足が速くても、「自分はかけっこが得意だ」とは思えないだろうなと‥‥「何かが得意」という気持ちは、それなりに自尊心を持たせます。実際の世の中は、そんなに誰かを褒めてはくれません。こういう競争では、一位になったとしても、ソコの組み合わせで一番になっただけで、各学年の一番速い組の一等だけは自尊心が生まれるかもしれませんけど、大多数はどう思うのでしょうか?

「勉強も得意な子」もいれば、「かけっこが得意な子」もいる。同時に、それで傷付く子もいるけれど、ある意味それが人生で、「悔しかったら頑張る」とか、「不得意だからといって、それがどうした」と思う気持ちとかが出る可能性は、減るんじゃないでしょうか?

一見、「傷付かない」様に配慮しているのだけれど、「傷付いてからが勝負」なのが人生だったりするのではないかと思うのですが‥‥人生は全部勝てません。でも、負けた時に、どう立ち上がるかが問題で、「かけっこでビリでも、何か違うコトで秀でたらイイのだ」とか、「勉強が嫌いでも構わないが、自分の生きる分だけは自分で稼ぐ人間になってくれ」と教えるコトも大切なんじゃないでしょうか? 人生の選択権は子供にあって。

昨夜の本の話に戻ると、『親の意向なのか、本人の希望なのかが明確になっていないという人生を歩んでいて大丈夫かと思う』という話の部分があり、先回りして、子供が傷付かない様にするのではナク、「他者との違いを認め、違いは当たり前であり、自分に合った人生を選択できるタメの教育」という考え方もあるのではないかと思います。『皆が一緒に同じ方を見ていれば、それが一番なのだ』とは思えません。価値観はバラバラだから、皆が思いもよらない革新的なモノが生まれるのであって、型にハマッタ子供を量産してしまったら、「アッ!!」と思うものは、生まれにくくなるのではないかと思ったりもするのですが‥‥  
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2006年11月22日

豊富過ぎる不幸

香山リカさんの本は、とてもオススメと思う本と、期待したホドでもと思う本に分かれる傾向にあるのですが、この本はとてもオススメです。
若者の法則
とても読みやすい文章で、現代の若者について語っています。今まで紹介していた本で、不登校は大したコトではナイというトコに、『本当はそうなんだろうか?』と思っていました。何故なら、「そうじゃない」という元不登校の女の子の本の話を前にした覚えがあったからです。

この本の最初に、医師を家にまで招待して、中学の卒業証書を見せたなんて話は、実話じゃないと嘘っぽくなってしまいますが‥‥

今日の昼休みに、見るともナク参議院の審議を見ていたら、「『徒競走で手をつないでゴールするのは悪平等』という例を昔からやっていますが、実際にその現場を見たコトがあるのですか?」と質問している場面に出くわしました。「新聞で読んだ覚えが‥‥」と答弁されてましたが、『ひょっとして都市伝説?』だったのでしょうか?

ともあれ、「今の若者は」という言葉は洞窟にすら書いてあるらしい(実際に見てはイナイのですから、ワタシもこう書かないとイケナイかもしれないので)ですが、ワタシが自分の子供達とかを見てて思うのは、「我慢」をホトンドしないで済む時代というのは、それはそれで不幸の様な気も‥‥

ビデオとかもナクて、一週間に一度のテレビ番組をワクワクしながら待つ気持ちとか、『電話したいのだけれど邪魔になるだろうか』などと自己規制してしまう時代もあったのですが、今なら都合が悪くても伝言を残せるので便利な反面、『手軽になりすぎて逆につまらないんじゃないかな』とも思います。

何通でも同じ文面のメールを多数に送るコトも出来なかった時代は、手紙もそれなりに覚悟して書いたりしたし、書き損じて書き直ししたりしたのですから、手紙を書くのは大変だったけど、それなりに楽しかったのですが、メールなら簡単に書き直しも出来ますから。

すれ違いなんて、互いに携帯の電波さえ入っていればあり得ない時代になったし、それはそれでイイ時代なんだろうけど、障壁があるからこそ、手にした時はとても嬉しいなんて気持ちは希薄になりますよね。

足りないモノは買えるモノなら、24時間空いているスーパーもあり、欲しい時に手に入る今だからこそ、目に見えず手に入ったかどうか判りにくいモノを求めたくなるのかもしれないなどと思いました。欲しいモノが物質だったら、「やっと手に入れた」と感動出来やすいのに、それはそれで大変な時代なのかもしれませんね。  
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生活を楽しむ

おはようございます。「いじめ」てはイケマセンと言っている政治家の先生方なのに、自民党の郵政反対議員への対応などを見ていると、正に「いじめ」だよなと思うのですが‥‥意に沿わないからと刺客まで立ててイジメておいて、それに耐えた実力のある人に白旗を揚げれば復党させてあげますよ。ちなみに、今年中なら政党助成金という御土産もあるし‥‥みたいな。

昔は、そんなに自民党はヒドイとこだとは思いませんでしたが、単に物事の本質が見えてなかったからなのか、それとも世襲議員が肥大化してきて特権意識が出て来ているからなのか、はたまた、何をやっても国民は許してくれるとナメられているのか、ドレが正解なのでしょうか?

昨夜の「過食嘔吐」する女性は、父親に摂食障害があると告白するコトから、徐々に転機を見つけるのですが、取材を進めると、母親にも、祖母にも、父親にも過酷な生育歴があったコトが判明して行きます。

世代間連鎖は、エリートと呼ばれる人々にもあり、「イイ人ならば、愛してあげるよ」という条件付メッセージの乱用によって、自らが蝕まれている人が多いコトに気付かされます。

学習はできるだけ無駄をなくし、効率よく、しかも速くとなると、速く、正確に仕事をすることが有能という考えに到達します。つまり、学校から職場まで、人との競争を強いられ、点数が悪ければ評価が悪い。そんな人間を数値化して見る発想が植え付けられてしまうのです。


「ゆとり」教育が撤回されようとしていますが、経済界からの意向を受けて、「日本が高度経済成長を達成するためには同一年齢人口のハイタレント・マンパワーの育成が必要」というコトで、1972年の学習指導要領改訂で「かなり難しい」教科書が出来てしまっていて、それを手直ししたら、マタ批判されたというコトなのです。

普通の子を標準にして作られていない教科書では、落ちこぼれと呼ばれる生徒が大量に出るのも無理のナイことかもしれませんね。

基礎を繰り返し教えるコトで、発展するコトもあると思います。子供の成長に沿った教育が必要だと思います。小さい頃から無理やり塾などに通わされて自由が奪われていたり、「出来ない子」というレッテルを貼られたりして虐待されていたら「いじめ」でもして発散したくなるでしょうね。悪いコトだと判っていても‥‥

過食から遠ざかるタメに十五年もの歳月をかけて、『生活を楽しむ』ことだと気がついたという話は、とても象徴的な感じがします。
  
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2006年11月21日

世代間連鎖の恐ろしさ

斉藤茂太さんがお亡くなりになられたというニュースを聞いて、とても残念に思っております。もっとお若い様な気がしていたのですが、享年が90歳とお聞きして、充実した人生を送られたのだなと思いました。御冥福をお祈りしております。

さて、今朝の続きですが、大声が出せない子供の背景を探ると、父親は大企業の猛烈サラリーマン。過労死寸前でも残業するタイプ。

日本の学校は、自分を押し殺して上からの命令に従うのが最高の美徳、栄誉としてきた明治以来の富国強兵策の一翼として機能してきた。戦後の民主教育でも、小学一年から学習指導要領に従って進められる教室の授業が、受け身になる子どもを育ててきた。

「日本の男は昔は戦場に駆りだされたが、いまは企業戦士で、利潤追求に駆りたてられている」と書かれているのだが、下手すると、今は企業戦士からはみ出した「ワーキングプア」の人を戦場に駆り出そうとしている米国の二の舞になりそうな雰囲気になりつつある様な気も‥‥

過食嘔吐の人の話もスゴイ。

しかも、そのキッカケが、中学二年の時にやせたいと思って、母親に「甘いものを食べたくなったんだけど、食べると太りそう」と泣きついたら、「いいじゃない、食べたあとで吐けば」と言われたなんてコトが実際にあるのか‥‥といった感じ。

両親が戦争のタメに晩婚で、しかも間を開けつつ子供を産んだ末っ子のワタシは、大正生まれの両親なので、食べて吐くなんて「モッタイナイ」ことは、罰当たりの様な気がしてしまうのだけれど‥‥しかも、今の時代の子供が自分で考えたのではナク、子供にそう教える親がいたというコトが、信じられないのだが、おそらくその様にワタシも洗脳されているのかもしれない‥‥食べたかったら食べて、しっかり太ってますから(笑)

ココでも、問題になっているのは「イイ子」「イイ生徒」だったりする。

やっぱり他人に「イイ人」と思われた方が喜ばれるかもしれないが、自分を殺してまで「イイ人」になろうとすると、本当に自分の生きる場所が無くなって、死ぬしか方法が無くなるというトコまで、最終的に行ってしまうのではないだろうか?

「オバタリアン」になって楽なのは、他人の目をそんなに気にせずに済むコト。ソコまで行かなくても「自分は自分だ!!」と思えるのは大事ですよね。

はるか昔、京都が暑くて夏バテでやせて、今の身長になって人生で最初で最後の50坡笋譴了は、風で吹かれても飛びそうだったが、やっぱり足がしっかり地に付いている方がイイと思ったりする。(にしても、「少しはやせてね」とドクターに言われてはいるのだが‥‥)  
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囲いの中の豚

おはようございます。昨夜の本の話の続きです。

学校教育の問題は、先生達の環境にも問題があるようです。

頑張り過ぎて、結局教師を辞めてしまった先生の話から‥‥

学習指導要領とのギャップで起きる、指導主事訪問の時の教頭の無責任さ。

愛知県の日教組は主流派といわれているのだが、『入ってない人は、皆、アカ』という発言。支部の書記長ポストは教務主任などがやり、次は教頭という管理職への登竜門的色彩の強いポストなのだとか。

組合だからと、「何か困っていることはありませんか」と聞かれて、素直に上司のことを話したら、全部、校長に筒抜けになるという組合。正に、教師も管理されているのですね。

「学級通信を毎日出されると、忙しくて出せないこっちが親から責められるので、やめてくれ」と言う主任。

民間教育運動の研究集会に行くと「アカの仲間としてブラックリストにのせられる」という忠告。

一年ごとのクラス替えとなると、親との関係も一年どまりなので、建前優先になり、表面上静かで、整理整頓ができて、みんなが手を挙げ、きらんと運営されるのがよいクラス。自分を抑え、ありのままでいられないクラスが目標となるらしい。

みんながやることが正しい

世界の日本人に対するジョークの原点がココにあるようだ。

宮沢賢治の「フランドン農学校の豚」を読んで、自分が学校という囲いの中の豚であり、祖母や両親の期待通りの「よい子」に徹していた自分に目覚めて、学校を辞めるのだが、自我を亡くすコトでしか続けられない教師という職場になっているのなら、教えられる子供達はどうやって生きていればいいのか‥‥ロボットの様に心を失くすか、いじめで鬱憤を晴らすか、はたまた自殺するかでは、とても救いようがナイと思うのだが‥‥  
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2006年11月20日

十年、一昔とは言うけれど‥‥

奥付を見ずに買ったので、十年近く前の話なのですが、ちっとも古く感じない。人間は、本当に進歩しているのかと思ったりもするのですが‥‥
大切な忘れもの 自立への助走
不登校の話とかで、子供に翻弄されている父親が、こう話します。

「私は、それまでは学校と会社は異なる存在だと思っていたんですが、学校の実態を知れば知るほど、学校は会社と体質が似ているように思えてきたんです」
会社では、会社の方針に忠実で、上司の言うことをよく聞き、売上高や利益額が大きい社員がよい社員であり、方針の中身や社員の人間性は問題にならない。一方、学校も同じで、教師に言われるままに行動し、点数や偏差値の高い生徒がよい生徒であり、批判したり、豊かな個性を発揮したりする生徒は問題児とされるのだ。

十年前でもそうで、今でもそうなのに、もっと教師の言うことを聞くべきだというような感じになりそうな「教育基本法」の改正なんて、もっと学校に『歪み』をもたらすだろうと思うのだけれど‥‥

親と子の問題というのは、古くて新しい問題なのだと思います。

第2章の「賢治の学校」のワークでは、親が子供らしく生きてこなかったから、子供を知らず知らずに同じように育ててしまう親が、何人も登場します。

大人になっても、子供時代に戻って、「言えないでいた言葉」を吐き出さないと人間は、その時のママの子供の部分を抱えているのだと思います。

いじめにしても、不登校にしても、決して今始まったワケではありません。教育問題をワイワイやって、そのドサクサに紛れて大事な法案を通そうとしたり、何十年も前にしっかり調査したりしておくべきだった拉致問題などを今、大騒ぎしているのは、似た様な発想なのかもしれませんね。

その場の雰囲気というのに、日本人はとても弱いのですが、過去からじっくり振り返って、一体どうすべきなのかを冷静に考えた方がイイと思います。

時が過ぎているから、覚めた目で見れるコトも沢山あります。新刊もイイのですが、古本の中に秀逸な本を見つけると、とっても得をしたような気分になります。  
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自然に敬意、異変に注意

おはようございます。JR西日本の脱線事故スゴかったですね。やっぱり、自然は人間の力ではどうしようもナイことも、起こしますね。

でも、脱線事故の前に、近くの道路も陥没して通行止めになっていたらしいのですから、やはり何か変という時に、しっかり他にも注意を払うべきなのかもしれませんね。

今朝、気を付けていたから良かったものの、娘を送る時に、近くのカーブで危ない目に遭いました。

向こうは、ホボ直進ではあるのですが、一時停止になっているトコなのに、一時停止どころか猛スピードで目の前を通過した車がありました。あと少し、こちらが早くソコに行ってたら、完全にブツけられてたコトでしょう。

ちなみに、ソコは道路に「とまれ」と白く書いてあるものの薄くなっているし、「止まれ」と書かれた標識は見当たらないので、時々そんなコトがあるので注意していたので良かったのですが‥‥

やっぱり、市の道路維持課にでもお願いの電話をしないと、何時か大変な目に遭う可能性も高いと今日は、マジに思いました。

何事も、些細な前兆はあるのに、『マァ、大丈夫』だろうと思っているウチに、大事になるんですよね。

JR西日本の脱線場所は過去にもその周辺で落石があったそうですから、やはり注意して、何かしておいたら良かったのでしょう。

日本は昔から、犠牲者が出てから改善というコトが多いのですが、やっぱり何か起きてからでは遅いので、早め早めに手を打って貰った方が安全ですね。

死んでからでは遅すぎるし、怪我とかでも後遺症はかなり残るものです。

健康な身体は一瞬でダメになるけれど、回復にはとても時間が掛かるものだ」と実感してます。自分の身体でも、患者さんの身体でも。

人間は自然を征服なんて出来ません。自然の摂理に逆らわず、穏やかに暮らしつつ、健康でいられたら、それだけで充分幸せなのかもしれません。  
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2006年11月19日

食物繊維と健康

食物繊維が含まれているので‥‥と、ヨク書き込みしてますが、では、「食物繊維の正体は?」なんて聞かれたら、上手く答えられるかどうか‥‥

そんな知ってる様でビミョ〜な話を子供にも判りやすく、今朝と同じ「アンドユー」の「卵太郎のものしり教室」で書いていたので、ココに書き込みします。

食物繊維は炭水化物に分類されるけど、糖質と違い消化されない。

35年前にイギリスの医師が「食物繊維の摂取が少ないと、大腸がん発生のリスクが高まる」という仮説をたて注目された。

腸の活動を活発にしたり、善玉菌を増やしたりとさまざまな効用がある。

穀類や野菜、豆類などに多く含まれる。

サツマイモやゴボウなど繊維を多く含む食べ物はガスが出やすいけど、便秘をなくしたり腸内をきれいに掃除してくれる。

おならの約7割は空気中の窒素を飲み込んだもの。食べる時に一緒に飲み込んで、大腸や小腸でおならになる。食べ物を腸内細菌が分解する時に、いろんな種類のガスが発生し、それが空気以外のおならの成分になる。

くさくないおならは、ほとんどが穀物類などの炭水化物を食べた時に起き、主成分は炭酸ガスやメタンガスなので、あまりにおわない。

肉などのたんぱく質を摂り過ぎて、消化しきれずに過剰なたんばく質が腸内にあると、大腸菌などの悪玉菌が繁殖し、アンモニア、インドール、硫化水素やスカトールなどの悪臭ガスを発生させる。

おならがくさかったら、腸内バランスが崩れている証拠。食物繊維を多めに摂って、善玉菌を増やそう。

我慢すると健康に悪いので、おならはした方がイイ。たんばく質がイケナイのではナク、偏った食事が困るので、そうした面からも、食物繊維は奨励される物質なのです。  
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おでんに大根はワケがある!!

おはようございます。日曜朝の定番通りに「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」より大根です。

ダイコンはお腹にイイというコトは、御存知の方も多いと思いますが、それはでんぷんの消化酵素であるジアスターゼを豊富に含むから。

ジアスターゼは根の部分に多く、でんぷんの消化を助け、腸の調子を整える。胃炎や胃かいようなどの予防に有効といわれ、胸焼けや胃酸過多、二日酔いなどにも効果がある。

食物繊維も豊富なので、便秘や整腸作用がある。

ビタミンCも豊富。
ただ、過熱すると分解されてしまうので、ビタミンCを摂取したい時は、サラダやおろしなどの生食がイイ。

ダイコン独特の辛味成分はイソチオネート。特に目立った機能性は確認されていないが、食欲を刺激し、ブリやサンマなど魚類の味の引き立て役。

ダイコンの葉は、ほかの緑黄色野菜に比べても遜色がナイほど、βカロチンをたっぷり含む。伝説のNHKの朝ドラに「おしん」があったが、貧しい子供時代にダイコン飯を食べたのは、健康面から考えると、とても理にかなった食生活だったというコト。

ビタミンCにカルシウムが豊富なので、抗酸化作用が強く、生活習慣病の予防効果も、葉も捨てずに食べよう。

味噌汁の中に、葉の部分をなるべく細かく刻んで入れると、そんなに気にならずに簡単に食べられる。色取りもキレイなので、お試しください。

冬は、アツアツのおでんで一杯という人も多くなるでしょうが、野菜の代表としておでんに入っているのは、単に煮崩れしにくいというだけでナク、体調を整えてくれるという昔からの知恵だと思われます。  
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2006年11月18日

学ぶべきものは学ぶ

今朝の本ですが、「ナルホド!」と思うコトもあります。

例えば、「南北朝の内乱」の時の話として、

一三五一年、足利尊氏は、弟・直義と対立したため、南朝と和睦する。それにより、北朝の光巌上皇の治天(政務の実質的指導)と崇光天皇は廃され、北朝が所持する神器は「虚器」として南朝に接収される。南朝は光巌・光明・崇光の三上皇を、賀名生(あのう・吉野の西南)に拉致する。まもなく、勢力を回復した北朝では、崇光上皇の弟(後光巌)を即位させようとするが、「神器」も、即位を命ずる上皇(譲国者)も南朝に連れさられていた。窮した北朝は、後光巌の祖母の広義門院(西園寺寧子)に治天の代行をさせて、後光巌天皇を即位させる。広義門院は、藤原氏(西園寺家)の出身で、皇族でない女性が上皇の代理をしたのである。

この事件は、天皇の地位が、治天の譲国を必須としたことを示し、この時代の天皇の制度をよく示している。また祖母・母の社会的地位の高さも示す。

という時代もあったのです。ともあれ、三種の神器に関して言えば、現在の様に海底探査機など無かったのですから、安徳天皇が母である平清盛の娘・徳子と共に一緒に海へ飛び込んだ時に海の藻屑となってしまったコトは、想像に難くナク、神武天皇以来ズッとというコトもナイでしょうね、どうみても。ちなみに三種の神器も、時代の変遷と共に変わって来たコトも、古代史を少しかじったコトのある方なら、周知の事実ですし‥‥

幕末の時代も、公武合体・大政委任をしようとしていた孝明天皇の死は、毒殺説もあり、急死を受けて明治天皇が十六歳で皇位についた。討幕派の主導権を握った岩倉具視・大久保利光らは、天皇の知らぬまに「倒幕の密勅」が薩摩と長州に下った。この勅には、勅を奉じた者の署名も花押(かおう・書き判)もなく、勅としての効力がうたがわれるものであった。

というコトがあったそうです。つまり、天皇の権威を利用しつつ、自らのしたいようにした人々の何と多かったコトか‥‥

維新政府は、天皇の現人神化をめざし、神道国家教と仏教抑圧の政策をすすめた。故に、古来より、仏教に親しんできた天皇家は、その時期に神道へと変わるコトを余儀なくされたのであると。

それが、現在の靖国神社の問題へと続いて来ているのです。というワケで、人間は全て正しいコトを述べるとは限りませんが、学ぶべきコトは学べるのです。自分と違うからと、排除してしまえば、それは不可能です。どんな人も、先入観だけで見ずに、冷静に見るコトが出来れば、学ぶべきトコは必ずあります。時には、反面教師となるコトもあるでしょうが‥‥  
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違う意見を認める

おはようございます。色々言っても、「いじめ」問題は多様な生き方を認めることにつきるのではないかと思います。

運動が不得意な子もいれば、勉強が不得意な子もいるし、ディベートの不得意な子もいたり、弱虫な子供もいる。それでも、「OK」なのだというメッセージを伝えないとイケナイのだと思いますが、口ではそんなキレイゴトを述べつつ、「これで日本の教育は良くなる」と数の力にモノを言わせる与党の行動は、自己矛盾しているのではないでしょうか?

ともあれ、日本の本来の古代史は『日本書紀』に書かれているのとは、ズレているだろうと考えているワタシではありますが、だからといって、そうした考えの持ち主の方の著作だけを読んでいるワケではあのません。

日本の史実に対しては、「ちょっと‥‥」と思う様な方々も、他国の歴史書に対しては冷静な頭脳で、明快な説を展開するコトが多いからです。例えば、
歴史のなかの天皇
という本を読むと、

六〇〇年の遣隋使は、天を兄、日は弟と説明したので、隋の皇帝に相手にされず、役人から教え諭された。その屈辱感によるものであろう、『日本書紀』はこの遣使についてはまったく言及しない。

と、御自分も国内に関しては、とても都合がヨク解釈してしまわれるのだけれど、この方が、中国史を語ると、

王朝の交替の方法も大きく変化する。∞ ε發泙任蓮崛犠」が一般であった。「禅譲」とは、皇帝が「自分は不徳であって天子の任にたえられない」という名目で、徳のあるものに位を譲り、新しい王朝が成立することをいうが、実体は実力による「放伐」(前王朝の打倒)であった。禅譲したはずの王朝の最後の皇帝の約三分の二が、まもなく次の王朝によって殺されていることが、そのことをなによりも雄弁に語っている。

とあります。日本でも、前の政権から順当な継承をしてないと思われる時は、必ず前の政権の皇子は沢山殺されているのですが‥‥などと、様々な矛盾を感じて、やっぱりあのあたりの交替(色々あるのですが、有名なトコでは継体天皇とか)は変だなどと再認識させられます。ともあれ、日本では、前の政権の娘を后にするという方式が一般的なので、前の政権の婿に当たるので、前政権を悪し様に言わないというスタイルになっているのですが‥‥

つまり、自分が正しい正しいと言うばっかりで相手の話を聞かないでいるよりも、違うと思われる相手の話を聞くコトで、自分の考えが正しかったか、間違っていたかの再認識が出来るのです。よくネットでも、自分の意見と違う人をバッシングする人がいますが、そうでなくて、冷静に自らの正当性を述べ、相手の意見も聞くという「大人の対応」こそ、今の日本に求められる最大のモノではないかと思っております。  
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2006年11月17日

隠蔽される真実

「すごくイイ本なのに、全然話題にナラナイ本がココにもあるんですよ 」とメールを頂いた。即決で買う決心をして、読んでとっても感動されたのだそうだ。マタマタ、読みたい本が出て来てしまった。

ついでに、その本のコトを書いてある田口ランディ公式ブログまで教えてくださった。少しソコから抜粋させて頂くと(全文は飛んでお読みください)

藤原新也さんの新刊「黄泉の犬」を読んだ。
衝撃的な素晴らしい本だった。しかし、なぜかマスコミの反応は冷たく書評も出ていなければ、藤原さんのホームページの書き込みによると「反応は不気味なほど静かだ」という。
マスメディアが無視する原因はこの本に書かれている内容だろうか。
ここには「麻原彰晃は水俣病(だったのではないか?)」という仮説と、それを裏付ける藤原さんの「麻原彰晃の実兄の証言」が掲載されている。

しかし、この本の核心は麻原彰晃と水俣病の関係を証明することではない。このことは麻原彰晃という人物を知るためのバックグラウンドの一つにすぎない。「黄泉の犬」が問いかけているのは「今、この時代を生きる私たちの有り様」であり、オウム真理教という宗教集団に入信していった者たちのなかに、私たちがいかに「よりよく生きたいと願い、もがいている存在か」を見ているのだ。もがけばもがくほど、この社会の恐るべきラーメン構造のなかに入れ子にされてがんじがらめになってしまう私たちの「寄る辺なさ」に、近代の断末魔を見ているのだった。

あえて補足しておくけれども「水俣病」という公害事件は、チッソという一企業が有機水銀を含む排水を海に垂れ流し、それによって海の生物・魚が汚染され、食物連鎖によって環境が破壊され、鳥、猫、植物、そしてついに人間が汚染された事件である。
戦後最大の公害事件であり、その被害者は2万人を超えるものと見られる。なぜそのように被害が拡大したのか。それは、原因企業であるチッソが、日本の高度成長を支える大変に重要な役割を担っていたからだ。

チッソは当時、日本の産業にもっとも必要とされたプラスチック製品の原料を作っていたため、国や県はチッソの操業を停止させることは国家的な損失と考え、その責任を隠ぺいしたのだ。国益重視のために地方の漁民を切り捨てたと言いきってよい政策に出た。そのため水俣病の原因特定は遅れ、およそ10年間にも渡って被害者が続出するなかで有機水銀は海に流され続けた。早い時期に操業を停止していれば汚染範囲がこれほど拡大することはなかったが、行政は経済成長を国民の生命の安全よりも重視して、見て見ぬふりを通したのだった。

コレを読んでも判る様に、大多数の利益のタメに、少数の犠牲は仕方ナイ。これが国の論理ではないかとワタシは思います。

その延長線上に、耐震偽造事件とか、今頃になって蒸し返されている拉致事件とかがあり、それを推し進めようとするタメに、教育基本法の改正等々があるのではないか。

そうした国の政策に無関心でいたら、将来、自分がその少数派に入れられて、犠牲を強いられるかもしれません。それが、イヤなのであれば、まだ言論の自由が失われつつあるものの、残されている今こそ、「No!」と声を上げるべきなのではないかと思うのですが‥‥
  
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人の話に耳を傾けよう

おはようございます。昨夜の本の話を煎じ詰めると、「親は子どもの話をさえぎるコトなく、最後までしっかり聞いてうけとめてあげましょう」というコトに尽きるかと思います。

そんな単純なコトかと思うかもしれませんが、これが案外難しいものです。

自分では聞いているつもりなのに、聞いてナイことがあるのだと気付くタメにも、この本の実例は参考になるだろうと思います。

前に書いたと思いますが、我々は一生懸命聞いているつもりでも、相手の話の30%理解すればイイ方なのです。

大半の話は、通り過ぎていってしまいます。そして、その残った30%の中に、核心の部分が含まれていればイイのですが、そうでなければ、子どもの話を聞いたとしても全然聞いてナイコトになるのだという風に、謙虚にならなくてはイケマセン。

忙しがっていると、「一を聞いて十を知る」つもりになりますが、そんなコトをせずに、じっくりと心を据えて、相手の話を聞くコトが大事なんだそうです。

話しているだけで、子どもは落ち着く。確か、そんな話は心理学の臨床家の方々もおっしゃっていましたね。

話しているうちに、自分で答えを見つけるものなのだ」とか‥‥

自分の判断は別にして、全部話を聞くコト、話の腰を折らないコトが大事だというのです。

無論、ディベートなんかでは、そうやっていたら自分が負けてしまいますが、子どもとディベートする必要は、子どもが精神的にまいっている時には、必要がありません。

逆に、「どうしてもダメなものはダメだ」という時は、根気良く言い聞かせる必要があるそうです。威圧的にならず、繰り返し、粘り強く、何度でも。

考えてみると、今、大変な問題を抱えている子どもに対して、どう親が向き合っているのかというコトが問題になっているのかもしれません。何度も書いてますが、「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。大切な我が子を亡くさないタメには、他の全てのコトは後回しにして、その子と向き合う必要性があるのではないでしょうか?

そして、何よりあまり重症だと思ったら、相手を選んで専門家に相談するコトです。自分の欠点を指摘してもらって、見えて来るコトもあるのですから‥‥  
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2006年11月16日

子供を支えるタメには

いじめられている子供や家族に、とても有意義な本があります。
子どもを支えることば―立ちすくむ家族へ
どうすればイイのかを実例と共に書いてくださっているのですが、惜しむらくは、少々理解しづらいかもしれないコト。医師の本の中には、とてもイイ話なのに、万人に判らせるには、もう少し噛み砕いてくだされば‥‥と思うモノがままあります。知的水準が高いというコトなのかもしれませんが、もう少し易しく書いてくだされば、より多くの方が素晴らしい理論を理解できるのにと残念になるコトがあるのですが、この本もそういうタイプの本です。しかし、根気良く読みさえすれば、必ず理解出来ますし、難しいと感じた方は、序章は飛ばして、事例の部分から読むのも手かもしれません。

ともあれ、相談者と著者の会話を読んでいると、こういう会話なら身に覚えがあるかもなどと、自分に引き付けて考えられることが可能かと思います。

当たり前のことだと思うかもしれませんが、「いじめ」というものは不当なものです。そうしたコトがあった時に、「そういうコトはやめろ!!」という趣旨のコトを言葉なり態度で示すコトが大事なのですが、それが出来ないというか、教わってない子供が、「いじめられやすい」子供だというのです。

親と子供の関係は「養育と依存」「支配と服従」といった関係が初期段階ですが、反抗期などを経て「No!」と言うコトが出てきます。

しかし、「相手に支配させ」「自分は従属する」という役割にはまってしまうと、中々、「いじめ」られても、「やめろよ」「やめてよ」とはっきり言う。「泣いて」でも抗議するという、「いじめられる」存在から脱出するタメに有効な手を打てなくなってしまうのだそうです。

なので、親も子供との関係を見つめ直す必要があるとおっしゃりたいのだと思います。

追いこまれた子どもほど、すでに自分の知っている親しい大人を見限っていて、内心では強く支えて欲しいと願っているのに、「そう要求するのは自分のわがままなんだ」と思っているそうです。

「困った時には頼っていい」「人は助けてくれるもの」「ぜんぶ、自分がわるいわけではない」と思ってもらうコトが大事なんだそうです。  
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核兵器は恐ろしい

おはようございます。今、読んでみたいと思う一番の本は、少し前にネットサーフィンしていて見つけた本です。

競艇場から見た風景」というブログの記事で、知ったのですが、アメリカの帰還兵の子供が、劣化ウラン弾で被爆したであろう父親のタメに障害を持って生まれて来たという話です。

そちらのブログに詳しく書かれていますので、その本に関しては書きませんが、日本が先の大戦で敗北して六十年以上が過ぎ、当時の悲惨な体験をした方々が少なくなり、しかも誰しもあまりイヤな体験は、それを追体験するコトになるので、悲惨であれば悲惨であるホド、口が重くなるというコトを考え合わせると、このまま戦争の記憶が風化していったとして、今の様な右傾化が進み過ぎたら大丈夫かと思います。

ワタシは息子を戦場へは決して送りたくない。

「愛国心」などという「美名」で殺された多くの人々を忘れたくはありません。

戦争を指揮するトップの方ほど、自国の安全なトコにいらして、戦争の継続を指示します。

でも、前線で戦うのは、上官の命令に逆らえない普通の兵士で、死んで行くのも彼等です。


任務する場所は決して公平に決められるワケでもありません。

アメリカでも、上流社会の子息は、安全な場所に配備されるにも関わらず、徴兵を拒否する人もいました。

米軍の大多数の兵士は、貧しく生まれた少年少女が、軍隊について何も知らぬまま兵士になり、母国を離れ、兵役に付くのです。

沖縄で民間人が、事件に巻き込まれるのも、そうしたやるせなさのはけ口にされるからです。

あなたは、軍隊に入りたいですか? もし入りたくないと思っているなら、それはとてもよい教育を受けているからです。」という言葉の持つ意味を我々はもう少しじっくり考えてみなくてはイケマセン。

そして、「核兵器」の恐ろしさを、決して忘れてはいけないのです。現在の核兵器の威力は、「広島」や「長崎」に落とされたモノとは比べ物にならないホド、高性能で小型化されています。

日本が核兵器を持たずとも、既に核兵器はありあまるほどこの地球上に存在しています。軍拡競争をしても、儲かるのは兵器産業だけで、決して世の中に平和は訪れません。不安が増大するだけです。もう一度、核の脅威を実感するタメにも、上のブログに書かれた本を、読みたいものだと思っています。  
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2006年11月15日

教育には、教養が大事

「教育基本法」が無理やり改正されようとしている、今こそ、『やっぱり教養は、大事だよな』などと思って、心静かに中国の古典を読んでいます。
寒山拾得―座右版
国文専攻ですが、日本の文学にしか興味が無かった時代もあり、漢文はどちらかというと苦手なのですが、読み下し文や現代語訳があるので、李白や杜甫の詩はそれなりに読んではいましたが、正直な話、「寒山拾得」は森鴎外の小説や、水墨画の題材としか思ってなかったので、世俗を脱した詩を読んだ人々だったとは、恥ずかしながら知りませんでした。

考えてみれば、森鴎外の時代には、当然素養として読まれていたハズで、今思うと、コレを読まずして、鴎外の小説を読んで感銘を受けても、真の理解には程遠かったのですね‥‥

世の中の喧騒を離れた漢詩の数々を読んでいると、何だか本当にバカバカしい時代に生きている感じがします。

ともあれ、俗事を全て捨て去ってしまうワケにもいかないので、時々はこういうモノを読んで、世俗の垢を捨て去ろうとしなければいけないなと思いました。

人間の命は有限なのに、どうして他者を押し退けようする人々が多いのだろうかなどと、厭世観すら浮かんできます。

どうせ、縁あって、この世に生まれて来たのですから、なるべくならば皆で仲良く生きれないものかと思います。

誰かを憎んでばかりの人生よりも、自然と戯れる人生の方がず〜っと素晴らしいのに‥‥

「老子」を読んだ時も思いましたが、政道が優れていれば、おのずと世の中は良くなるモノです。乱れた政治をしておいて、下々を変えようとしても、下々まで乱れるばかりです。

「自らを省みて何事も行うべきだ」と自戒の意味でも、この本を買おうかと、本気で思っております。一度読んでしまうと、あんまり、そう思える本には出会えないものなのですが‥‥  
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「いじめ」にキレイごとはイラナイ

おはようございます。口先だけで、「いじめ」はヨクナイ、「いじめ」をしてはイケマセン。「自殺」なんてダメです、「生命」は尊いのになんて言ってたって、校長先生方の会見やら自殺やらを見ていて、子供はそう思うハズないだろうと思うのですが‥‥といったコトを書こうとしてたら、ネットニュースの見出しを見て、慌てて最近お気に入り登録しているページに飛んだら、驚き桃の木山椒の木といった話でした‥‥頼むから、こんなバカバカしい話は勘弁してくれ〜といった感じ。

今日の日本農業新聞の読者投稿の中に、「タウンミーティング」じゃなくて、「イメージダウンミーティング」だとシャレてあったけど、思わず『上手い!!』と思った後だっただけに、なおさらですね。

全部、お芝居だったというコトですね。仕切り屋さんは、ちゃんと存在して‥‥

頼むから、そんなモノに御金を使う余裕があるんなら(こうしている間にも、刻一刻と借金は増大しているのですから、本来はそんな余裕などナイのですが‥‥)、税金を安くして景気を上げてという感じ。競争力を高めるタメに、企業には減税する予定らしいですけど、経済は「風が吹けば桶屋が儲かる」式のトコがあり、より多くの大衆が財布のヒモをユルめけば、もっと景気は拡大します。

バブルの時は行き過ぎだったけど、変な投資というか、投機さえしなければ、皆が財布の御金を循環させるのは、決して悪いコトではありません。リストラして一部の企業が黒字になるよりも、大多数の人間がチョビチョビでもイイから、御金を回転させた方が、世の中はヨクなります。

大多数の労働者を「いじめ」て働かせる、そんな社会の皺寄せが社会的弱者の子供達に来ているのです。

かなり前に、あんまり「節約」「節約」というコトばかりが目立つので、「勇気を持って1日100円を多く使う社会にした方がイイ」という投書をしましたが、ボツになりました。ブログはボツにされるコトがナイのでイイのですが、皆さん、そうは思いませんか?

1日に五円だって、十円だってイイのです。無理して、借金するホドでなく、ササヤカでいいから、少しの贅沢をするコト、それが人生の潤いです。無駄を省き過ぎるとギスギスした社会になります。そして、そのストレスを何処かで爆発させたくなるものです。五円じゃ使えないと思う方は、貯金箱にためておいて、マトメテ何か買ってもイイでしょう。たった、五円でも、一月で百五十円、一年で約千八百円になります。というか、気持ちの問題なので、金額の多寡ではナイのです。

目くじら立てて、日々を過ごさずに、ゆとりを持って生きれば、ストレスは軽減されるという話です。「倹約は美徳」かもしれませんが、何事も過ぎれば問題です。夏目漱石の小説の中に「誠は天の道なり」という掛け軸を見て「されど人の道にあらず」と主人公が思う箇所があります。

「美しい国」になるよりも、生きてて「楽しい国」になって欲しいとワタシは思います。  
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2006年11月14日

正しい歴史を知る必要性

ともあれ、今の話とゴチャゴチャになっていますが、古代史について興味がある方は、是非古田武彦氏が書いた本をお読みになってみてください。中でも、一番のオススメは、
法隆寺の中の九州王朝
です。

九州年号なるものがあること、法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘にある上宮法皇と『日本書紀』に書かれた「聖徳太子」の没年が違うという事実に驚かされます。

ちなみに、法隆寺の蔵の中の様々なモノは、開封されずに現在まで来ています。おそらく、開けると困るモノがあるからなのだろうと思います。

そして、天皇陵であると制定されてしまうと、研究すら許されないのですが、正確な日本の歴史を知りたいと思うならば、やはり調査すべきだと思います。

天皇陵であるとされていないモノは、高松塚古墳を始め、研究は許されているのですから‥‥

こんなに文明が進んで来ているのに、不確かな歴史のままでいるというのは、どうなんでしょうね?

ともあれ、昔は今の様に高速道路網や新幹線等々の鉄道も無かったのですから、九州には九州の、近畿には近畿の、関東には関東の王朝があったとしても、少しも不思議はありません。

無論、東北には東北の王がいたと思われます。日本が本当の意味で統一されたのは、明治時代だとワタシは思っていますが、別にそれで困るなんてコトはナイと思います。

沖縄には琉球王国があった。それは歴史の一ページです。

歴史を正しく理解するコトは、これが正しくてこれが間違っていたなどと、後世の人がこれからの判断材料にするコトが出来ます。

そうして初めて、過去の間違いを繰り返すコトなく、未来を構築出来るのです。だから、歴史なんて、過去のコトだから学んでもしょうがないとか、入試に関係ナイからとパスすると、確かに刹那的にはそれで済むかもしれませんが、誤った選択の繰り返しは、やがて民族の滅亡をもたらします。それは、既に歴史が証明しているコトなのですから‥‥  
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耐震偽装に似ている‥‥

おはようございます。昨夜の本の話に戻りつつ別の話になりますが、この本は、
失われた九州王朝
という本を古田武彦さんが出したのですが、その説に対して有力な歴史学者はシカトしていたのに、埼玉稲荷山古墳に出た鉄剣によって、「倭の五王」の中の「武」が雄略天皇であり、古田説は間違いだとマスコミ等々を上手く丸め込んで、大騒ぎしたコトに対して丁寧に反論した本なのです。

難しい話をしても理解し難いでしょうから、興味のある方は本を実際に読んで頂くとして、極めつけは、中国史料に存在する「武」王の年と、雄略天皇との在位した年が合わないという、誰でも理解出来る単純な話なのですが‥‥

それでも「中国が間違えた」ことで処理しようと思う人々が、日本の歴史学者の中枢なのです。

無論、そうするにはワケがあります。大和朝廷が、日本を全国統一した時代をなるべく早くしたコトにしたいから‥‥天皇家が、万世一系だと思わせたいから‥‥というコトに尽きるでしょう。

政治的配慮というモノです。ちなみに、日本だけでないのかもしれません。現代の中国の歴史教科書を読んでみると(図書館にはそんなモノもあるのです)、確かに黄河文明が栄えた国ではありますが、「わが国は世界で初めて‥‥をした」式の記述が多様され、「中華思想」満載です。脱線ついでに書くと、同じ中国でも「黄河文明」よりも、「長江文明」の方が古いのではないかというのが、現在の考古学の主流になりつつあります。まだ、確定されてはナイみたいですけど‥‥

というのを考えると、今、ネットを騒がせている「きっこの日記」による耐震偽装事件の藤田社長の存在と似ているなと思いましたが、今、リンク貼るタメに飛んだら、本日の日記には校長のいじめで無くなった先生の遺書が載っていました。それもスゴイ話です。

ともあれ、今の長野県の教育長は「教科未履修問題」の学校の校長を八月までやっていて、横滑りして教育長になったと前に書きましたが、地元紙によると、その欠員になった県高校長会長にやはり「未履修」だった上田高校の校長が、副会長から繰り上がって就任したそうです。

先生と呼ばれていても、イヤだからかもしれないけど‥‥世の中の常識とは、全然違う方々なんだと思っておいた方が良さそうですね。

というコトで、肩書きを信用すると、とっても危ないという見本の様な話になってしまいました。皆様も、どうぞお気を付けてくださいね。真実は勝つとは限りませんが、真実は消すコトは出来ないのですから‥‥  
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2006年11月13日

偽造している自国の歴史

久々の歴史についての話です。バーミアンの大仏の胎内にあった経文の字を見て、『日本の「神代文字」に似てるなぁ』と思うのですが、その話は確証がナイので、まだココではしません。

でも、明白なる事実があっても、嘘の歴史を教えていると言ったら、どう思いますか?

本当は、未履修よりも問題だと思うのですけどね‥‥ともあれ、本日の本はこちら。
関東に大王あり―稲荷山鉄剣の密室
古代史好きなら知る人ぞ知る、古田武彦さんの本です。

古代史はメチャメチャ好きなので、何冊もココに書き込まなくても読んではいるのですが、コレと思わないものを書き込んでも仕方ナイので、余程グッと来ないモノは書き込みしてません。そんなに好きな人は、居ないだろうと思うので‥‥

マニア向けの話は置いておくとして、例えば「本当は聖徳太子が遣隋使を派遣したのではなかった」と言ったら、どう思いますか?

「多利思北孤」王の話は、「隋書」に出て来ますがね。

「王の後宮には沢山の女の人が居る」なんて書かれているのですが、推古天皇は女です。なので、隋の人が「聖徳太子」を王様だと思ったなどと、こじつけて教えていますが、古代史を少しでも真面目に勉強しようと思ったコトがあるならば、誰でも知っている話です。

ただ、それを言うと、歴史家としての王道を歩めないだけの話で‥‥

「定説」があって、それに疑問を投げ掛けると反主流になるという、「日本の掟」があるのです。

真実を述べたいと思ったら、亜流と呼ばれるコトを覚悟しなくてはなりません。

なんて話をしていたら、本の話に到達しなくなってしまいました。歴史に興味のナイ人も、もう少しだけお付き合いください。とりあえず、本日はこれにて、オヤスミナサイ。  
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死んでどうなる?

おはようございます。やたら自殺している人が多いです(前から、不況なので多いのですが、最近不祥事やいじめ絡みなので、マスコミがやたらと報じております)が、はてさて、自殺したら本当にそれで楽になるのでしょうか?

何、脅かしてるんだと思われるでしょうが、死後の世界を体験した人は沢山いても、その体験を現世に正しく伝えた人は居ないというか、それを検証できないのですから、本当に即物的、物理的に「死」で全てが終わりなのか、キリスト教の様に「最後の審判」があるのか、「天国」や「地獄」が存在するのか、それは誰にも、確実なコトは判りません。

この世の責め苦から、逃げようとして自殺して、あの世が存在したとしたら、どうなるんでしょう?

地獄が、どんなに大変でも、既に死んでいるのですから、二度と死ねないかもしれません。

とにかく、何も判らないのですから‥‥

そんな無謀なコトをするよりも、今、生きているウチに出来るコトをした方が、良くありませんか?

いじめられて大変だったら、教師、学校、警察、役所、弁護士にマスコミありとあらゆるものに相談してみるべきです。文部科学大臣に手紙というウルトラ手段まで出て来ましたが、それだってありじゃないですか。出来るコトは全てやってからでも、死ぬのは全然遅くないです。

ありとあらゆる手段を試してみる。それでもダメだと思い、矢折れ力尽きたのなら、死後に「地獄」が存在したとしても、「生き地獄」よりはマシだと我慢出来るでしょう。

アナタの人生は、アナタのモノです。でも、アナタが、現在、存在していられるのは、決してアナタ一人の力だけではありません。支えてくれる人々が居たから、ソコまでなったのです。その人々に感謝し、受けたモノは返すくらいの気持ちが無ければ、やっぱり問題でしょう。

特に、責任ある地位にいらした方々は、自己の過ちを自ら正すコトもせずにでは、世の中に無責任です。自分のミスは、自らの責任問題も含めてちゃんと振り返るべきです。それが、将来に繋がるのですから。「悪しき見本」にだけは、ならないで欲しいものです。  
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2006年11月12日

言論の自由を求む!!

言いたいコトが言えるコト、それが一番の幸せではないかと思うのですが、最近、「共謀罪」を始め様々なトコで、何となく言論弾圧に動きつつあるんじゃないかと思う今日この頃。

前にブログへの、言論統制のごとき圧力が掛かったという話をしましたが、あえてドコなのかは伏せておきました。どう出てくるのか判らないので、下手に刺激してもイケナイと思っていたから‥‥ちなみに、ワタシにではなく、その当事者の方に‥‥

その事実に憤慨してブログに書いたら、こうなりましたとメールを頂きました。詳細はそちらを読んで頂くコトにしますが、あり得ない話ですよね。その方とは、面識もナク、近くではないので直接応援も出来ませんが、せめて世の中にこんな馬鹿げたコトがあるという話を日本全国の方々に知って頂いて、間接的にでも応援出来たらイイと思っています。

本日の「サンデー・プロジェクト」で「共謀罪」の特集をやっていましたが、「国旗・国歌の強制はしない」と言っていながら、違反した人を処分しているのですから、「共謀罪」が通ったら、大変なコトになりますよね。

「国境を越えた犯罪に限定する」と書きさえすれば、住民運動も出来るのに、おそらく大赤字を作るだけだろうと思う静岡空港に反対運動をしているお茶を作る農家の方々がおっしゃっていました「政府にとって目障りな人間を取り締まりたいのだろう」という趣旨のコトを。本当にそうだろうと思いました。

最初に紹介したブログの騒動の話に戻ると、市議会なんていうのは、傍聴可能で、別に非公開でやっているワケでもナイのに、ソコであった話を議長に承認して貰わなくては、ブログに書き込めないなんて話は「検閲」でしかありません。『そんな明々白々なコトも判らなくても、市議会の議長になれちゃうんだ〜』と逆に不思議になります。

県議会議員さんの、「治外法権」発言もそうですが、頼むから勉強し直してきて頂きたい。「ゆとり教育」が問題だとおっしゃっている方々の頭の中の方が、問題あるのでは? などと失礼ながら思います。自分がしっかり勉強したという自信があるのなら結構ですが、どうも身に付いてらっしゃらない方に、そんなコト言われても説得力はナイと思うのですが‥‥

「ゆとり」教育がイケナイのではナクて、判らない子供にじっくり教えてあげる体制が出来てナイのが問題なのでは? 今の子供達は、ワタシが子供の頃よりも、塾などに通ったりして、勉強している子供がズッと多いと思います。ちなみに、ワタシは山の中で生まれ育ったので、学習塾に行ったコトは皆無です。

昔の子供と今の子供の一番の違いは、テレビ・ビデオ・インターネットなどの発達で、本が楽しみではナクなりつつあるコトが一番ではナイでしょうか? それでも、昔も本を嫌いな子供もいたけど、親が忙しかったので、お手伝いを強制させられていたから、あんまりニートにはならなかったくらいなものでしょうか。親に金銭的余裕があるからニートにもなれるので、何も食べられなかったら、誰でもイヤイヤ働くしかナイと思ったりしますが‥‥

何だか、話がそれました。でも、こんな感じで自由に思ったコトを書けるのが、一番の幸せだとワタシは思います。  
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コタツでミカンは健康のもと?

おはようございます。「ミカン」の話は前にもしたかもしれませんが、よく食べ過ぎると手の色が黄色になるとかいって、食べるのをやめたりしますが、あれは色素成分のβ-クリプトキサンチンが皮下脂肪に蓄積されるためで、「体に全く問題はない」だけでなく、β-クリプトキサンチンが最近注目を集めているので、その辺を詳しく。

本日も「日本農業新聞」の「アンドユー」の「くだもの図鑑」を参照してます。

β-クリプトキサンチンは、がん予防、肝疾患、動脈硬化、糖尿病、骨粗しょう症などの予防に高い効果があるとされ、各地で研究が進んでいる。

生活習慣病のリスクを軽減するには、一日2〜4個のミカンを食べるといいらしい。

フラボノイドの一種ヘスペリジンは、ビタミンPと呼ばれていた成分で、風邪薬にも利用されている。白い筋の部分に多く含まれるので、「風邪予防のためなら、筋を取らない」コトが大切。

ビタミンCも多く、1個に約35性調泙泙譴襦1日に必要なビタミンCは3個で充分というコト。

ビタミンB群や食物繊維も多く、脂質や糖質の吸収抑制効果、便を軟らかくする効果もあり、ダイエットしたい人は、食前に食べるのが効果的。

カリウムも含んでいる
ので、これからの時期にオススメの果物。コタツに入ってミカンとし言うのは、血液を暖かくして、循環を良くしながら、体内に良い物質を採るというコトで、最高に身体に良いコトかも‥‥

寒い冬がもうソコまで来ていて、今日は初雪が降るかもなんて天気予報で言っている。

自分の体は、自分で守るのが一番だ。

中でも、食べ物から栄養を摂取するのが、一番副作用が少ない。


良いモノをドンドン食べて、冬将軍に負けない身体を作っておいてくださいね。  
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2006年11月11日

安全な暮らしという夢

いよいよ、この本の話もお仕舞いです。

先進国と自ら呼んでいる国が、発展途上国に対してヒドイ仕打ちをするコトは、止めなくてはいけません。

世界銀行のチーフエコノミストの悪名高い覚書は、経済問題を担当する人間たちのものの見方、つまり彼らが人間の福利よりも経済を優先することを露わににした。

「ここだけの話だが、世界銀行は、汚い産業を低開発国にもっと移すことを奨励すべきではないだろうか。有害廃棄物を低賃金の国に捨てることを促す経済的理論は申し分ないものであり、われわれはそれを認めるべきである。低開発国は、非常に汚染度が低い」

確かに、最早、先住民の持続可能な社会を復活させるのは不可能である。だが、彼らが体現していた価値−−大地の入念な管理、その豊かさの利用、次の世代を守ること、自制と可能な限りの自給自足−−は、すべての人々の安全という古くからの、そして未だ実現されていない夢を生き返らせることができるだろう。

自立を通して、われわれは自分が必要としているものを発見する。それは驚くほど少ない。


世界的、冷戦の時期は終わり、共産主義は資本主義に対して敗北した様な形になった。しかし、それによって、逆に行き過ぎた資本主義の弱点も明らかになったのである。

いわゆる「セーフティネット」が無い社会、「格差主義」が横行する社会は問題なのだ。

とはいえ、御金がある人ほど、資金をより税金の安い所に移したり、ブラックマネーに変えたり、色々な手段で、富の再分配を拒むコトが可能になっている。

しかし、だからと言って、それを放置していては、世の中が歪んでしまう。

誰しも、「自分だけ良ければ」という利己的な考えは持っているものだ。

だが、利己主義ばかりを追求していれば、地球が持たなくなるコトは目に見えている。

「貧困」の反対語は、「富」ではナク、「充足」なのだというコトを、我々は何度でも心に刻み付けなければならないだろう。
  
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再配分しないと富は不平等を増大させる

おはようございます。冷たい雨の土曜日の朝です。

さて、現在一ドルで入手できる品物やサービスが、二ドルあるいは三ドルかかるとしたら、一日一ドル未満で生活する人間の数は半減しても、彼らの暮らしが良くなったかどうかは、即断出来ません。何故なら、「貧困線」は富の増大によって、上昇するからだと著者は言います。

貧しい人々は金持ちのイメージに沿って作り変えられてきた。彼らは同一の無慈悲な広告や宣伝、つまり、獲得し、所有し、費やすことへの同一の刺激にさらされてきた。いろいろなものを見せびらかされ、同じ嗜好と欲望をそそられてきた。彼らは金持ちと同じように抑制が効かなくなり、同じように圧力を感じてきた。

この文化は、排除された者たちの間に、市場参加の戯画化を呼んだ。犯罪、薬物乱用、暴力、依存症、仲間内での競争、暴力団の抗争等である。グローバル市場から追い立てられた人間が片隅で生き残るにせよ、消えていくにせよ、若者たちは多国籍企業の傭兵となり、ロゴやブランド名をめぐる戦いに駆り出される。シャツ、ジーンズ、トレーナー、アクセサリー、携帯電話、宝石など、自分の持ち物を表す紋章への強迫観念は、これらの品物を手に入れるためなら何でもするところまで彼らを追いやる。

多国籍企業の中には、こんな犯罪的な手口を使う者もいる。

ベトナムの工場の低賃金の仕事をやめて、太平洋のアメリカ領の島の一つで働く機会を与えられた時、容易に高収入を得られる道だと誰もが思うだろう。

だが、行った先は奴隷工場で、労働者たちは殴られ、空腹に耐えながら合衆国向けのデザイナー・ブランドの服を作らされた人も現実に存在する。

部屋代と食費二〇〇ドルを支払っても、一部屋に三六のベッドが詰め込まれた寮での寝場所と一日三回の粗末な食事、約二五〇人で一キロに満たない鶏一羽を食べさせられ、給料は年中差し止め、支払われなかった分を取り戻そうとストライキをすると、電気を止め、過熱した工場内を耐えられない状態にする。

最悪の争議の際に、裁縫師の一人をみせしめにして、数人の男たちにプラスチックの管で彼女の目玉をくり抜く暴挙。

こうした犠牲によって、出来たモノを着ているかもしれないという恐怖。

さらに、貧しさゆえに、学校へも行けず、劣悪な環境で働かされる子供達も大勢世界には数多く存在しているのである。

しかし、豊かな社会では、貧しい人々は見えない存在として押しやられ、こけおどしやチャリティの呼び物としてしか、国際ニュースで取り上げられなくなっているのだという‥‥  
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2006年11月10日

幸福感は「金」の問題だけではナイ!!

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスが一九九八年に行った「世界幸福調査」にでは、インドが世界で五番目に幸福な国であり、イギリスは三二位、合衆国は四六位だった。ガーナ、ラトビア、クロアチア、エストニアが合衆国より上位に位置した。オーストラリア、オランダ、スイス、カナダ、日本を含む豊かな国々の人々は、ドミニカ共和国やアルメニアの人々より幸福だと感じていなかった。

もちろん、資源(あるいは所得)と幸福感の間には関係がある。貧しい国々では、所得のわずかな増加が生活様式やライフチャンスの大きな改善につながる。だが、一定のレベルを超えると、直接的な関係は崩れる。豊かな国の幸福感は、緊密な人間関係、健康、仕事への満足度によって決まる。

闇経済で金ぴかになった子供たちは、子供の頃から買えるものは何でも与えられている。彼らは全てにおいて最高のものを手に入れているが、必要なものと気まぐれとの区別がつかず、両方に同じ優先順位を与える。欲求不満への耐性がなく、挑発されると危険なほどにかんしゃくを起こす。わがままな彼らは薬物に手を出し、時に悲劇的な結末を迎える。
年長者や知恵への敬意もなく、価値を置くのは金の力だけである。
彼らの両親は、不正行為、利益供与、汚職、詐欺、架空請求、投機、高値取引で金持ちになり、こうした罪の赦しを、子供たちを通じて求めてきた。
だが、時に彼らは、一八歳の誕生日に買ってやった車の残骸の中で破損した遺体を確認するために呼び出される。留置場に入れられた、薬物で異常をきたした若者が、何不自由なく育った自分の大切な子供かどうか確認するために、警察に呼ばれる。

インドの先住民、ウォーリ族の多くは読み書きはできないが、数え切れないほどの世代にわたって親から子へと口伝で伝えられた膨大な知識を持っている。だが、支配的な社会は、彼らの識字能力のなさを無知と同一視する。
一二歳の少女は、百を越える草、潅木、樹木の名前とそれらのさまざまな使い方を知っている。穀物中心の彼女の食生活を補い、必須たんぱく質、ビタミン、ミネラルの摂取に役立てている。どの植物から繊維がとれるか、どれが燃料や灯りになるか、どれが薬として使えるかを知っている。

著者は、非識字がいいと言っているわけではないが、もう少し寛大な見方があっていいだろうと言うのである。ウォーリ族に見られる記憶の弾力性、精神の俊敏さ、足元の確かさは、知性の指標である。貧困を金銭だけで測定するという大雑把なやり方では、人間のもつ無形で賢く美しいものを評価できない。グローバリゼーションは、これらを根絶しようとしているのである。  
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目指すモノは何なのか?

おはようございます。「金持ちになるのは、イイことだ」、「金さえあれば幸せになれる」、「金を出せば何でも買える」という思想は拝金主義と呼ばれ、昔は軽蔑されていたものです。
でも、それは「武士は喰わねど高楊枝」というコトからだけではアリマセン。「痩せ我慢」もあるかもしれませんが、「金」で買えないものがあるコトを良く知っていたからです。

昨夜書いた、「不老不死」もそうかもしれませんし、「金の切れ目が縁の切れ目」のような愛情関係だとすれば、そんな愛情など、「まやかし」に過ぎません。

他の本でも読んだ話ですが、

漁師が昼寝をしていたら、旅人が通りがかった。寝ている漁師を起こして、「なぜ魚を捕まえないか?」と聞くので、漁師は「もう二匹捕まえた。夕食の用意は出来た」と答えた。「もっと大きい網で、もっと長い時間漁をすれば、一〇匹は捕まえられる」「二匹で充分なのに、一〇匹捕まえてどうする?」「売ればいい。毎日、そうすれば舟が買える」「それで?」「もっとたくさん、魚を捕まえて、人を雇い、もっと魚を捕り、金持ちになるんだ」「金を持って、どうする?」「楽しい日々が過ごせる。木陰で楽しく寝れるよ」「今みたいに?」

実に示唆に富んだ話です。グローバル化の名の下に、こうしたコトが推し進められているのです。

そして、この話の中にも幾つかのワナが仕掛けられています。

食べきれない魚を捕ったとしても、売れるとは限らない。売りに行くのも手間が必要である。舟を買うのに、借金したとしたら、それを返さなくてはならない。返せなければ、負債が残る。舟の維持管理にも費用は掛かる。人を雇えば、給料を払う必要性が生まれる。他人の労働を当てにしていると、その人が居なくなったら、やっていけなくなる場合も生まれる。そして、それで支出と収入のバランスが取れるとは限らない。加えて、より多く働いたタメに、健康を損うかもしれないコトや、乱獲により漁獲量の減少もあり得るというリスクを計算しているかどうか?

だが、こうしたコトが形を変えて、いわゆる先住民と呼ばれる人々の生活を激変させ、そして、その日を幸せに生きていた彼らを、生きるに精一杯な「貧困」にあえぐ民にしてきているのが、現在の「植民地主義」から名前を変えた「開発」だと著者は喝破している。

「開発の最大の秘密は、それが植民地主義的概念であり、搾取のプロジェクトだということである」

かつての植民地は今、植民地化によって歪められた経済構造と貧弱なインフラの中で、豊かな国の後を追うことを求められ、その結果、自国の国民や環境に耐えがたい圧力をかけている。グローバリゼーションは、開発のために債務を負った国にさらなる貸付と新たな「融資条件」、不平等な条件下で「自由」貿易のための市場開放を迫ることで、貧困国をさらに貧困化させているのである。

上の言葉は訳者あとがきからの引用ですが、それは、日本が歩んで来た道であり、これからも歩もうとしている道でもあります。

食料品の国内自給率は低いのに、外国からの安い食料に押され、農民は耕作放棄、工場労働していますが、はてさて、「ゆとり」という言葉は多くの家庭から、ドンドン無くなっていないでしょうか?

世帯平均の貯蓄額が増えたとしても、貯蓄がゼロの家庭数が増えたり、貯蓄の最多家庭数が平均よりもドンドン離れて行くというコトは、一握りの大金持ちだけが貯蓄をグ〜ンと伸ばして、平均を押し上げているに過ぎません。一部の人々の財布が潤うのが、景気の良さではナク、少々しか増えなくても、より大多数の人々の財布が増えてこそ、景気が上昇と言えるのではないでしょうか? もっと、言うならば、手取りが減ったとしても、「充足感」があれば、「貧困」とは呼ばないのです。その辺を、今晩、もう少しじっくり煮詰めてみます。  
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2006年11月09日

金持ちでも貧困

今朝の本の何がスゴイのかというと、「貧困」の定義をしっかりと定めていてくれるというコトにつきます。裕福ならば、貧困と無縁なのかというと、残念ながらそうではありません。

何故なら、人間の欲望には限りがナイからです。

われわれは不可能なことにあこがれる。それが手に入るものなら、不死や全能を願わないものがいるだろうか。ことによると、継続的な経済成長の最大の魅力は、それが人間の果てしない欲望を満たすことにあるのかもしれない。

富が増大するがゆえに、貧困が増大することもある。

貧困の反対は富ではなく充足である。満足、安心、安定した暮らしができることこそが、貧困ではないということなのだ。

「貧困はいくらかを欲し、贅沢は多くを欲し、強欲はすべてを欲する」

上の名言はセネカという人が語ったのですが、全てを欲した人間には、充足はナイ。どんなに周りから見れば満ち足りているように感じても、本人は「貧困」から抜け出せないのだ。

著者は「一日一ドル未満で暮らしていても、暮らすに困らない人もいる。もし、その人々がグローバル化の名の下に、ある程度の御金を得ることが出来たとしても、収入以上の御金が生活に必要な暮らしになるならば、それは決して貧困から抜け出たのではなくて、貧困になったのだ」という趣旨のコトを述べている。

グローバル化という御題目に踊らされて、逆に貧しくなっている人間が増えているという。

全ての人が、不足を感じなくなるのではナク、発展途上国の人々の労働を搾取するコトで、先進国が繁栄しているのが、現代の「グローバル化」と呼んでいるコトの、本質なのです。

水が、民営化され、有料となることで、水道料を払えない人は、飲み水にすら事欠く様になる。

エチオピアで三児の母が、自宅近くの木で首を吊って死んだのは、二〇kmくらい離れた一番近い井戸から戻る最後の一歩で倒れ、数日子供たちを生かしておいたであろう貴重な水をこぼし、土で出来たつぼを割り、既に借金を負っていた彼女には、飲み水を汲んで来るタメのつぼすら買うことが不可能だったからである。

世界には、我々の想像も出来ないような「貧困」が、「開発」という美名によって、逆に作り出されているコトもあるのだそうだ。  
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貧困が見えなくなっている

おはようございます。何時ものパソコンの調子が悪い様なので、こちらでアワテテ書き込みしています。

日本も景気が良くなった言われていても、実感が伴わないように、世の中の富は偏り始めているようです。

アメリカの中間選挙で民主党が勝利したのも、そのタメかと思われますが‥‥

豊かな世界では、貧しい人々は目に見えない存在になろうとしています。

それは不平等のなせるワザ。
世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びと
この本は、そうした現在の状況に警鐘を鳴らしています。

世界で十二億人の人々が、一日一ドル未満で生活している。世界の人口の半分が一日二ドル未満で生活している。

世界で最も豊かな一パーセントの人たちの収入は、最貧五七パーセントの収入の合計に等しい。

女性は今でも、貧困の最下層に置かれている。絶対的貧困層の七〇パーセントは女性である。

女性は、世界の労働時間の三分の二を働き、世界の食料の半分を生産しているにもかかわらず、世界の所得の一〇パーセントしか稼いでいないし、世界の資産の一パーセント未満を所有しているにすぎない。


発展途上国全体の人口の五分の一近くが、四〇歳を越えるまで生きられない、などなど衝撃的な事実が伝えられます。

考えてみれば、昨日発表の日銀短観にしても、大型小売店の販売額などを統計としていて、個人消費が上向きになったとか言ってますが、近年の中小小売店の相次ぐ閉鎖を考えると、あまりに当然の結果というか、そういうコトを念頭に入れて見ないと、実際のコトは見えて来ないでしょう。

そして、六割近い貧困の人々の合計の富を持っている、一パーセントの人々の豪勢な買い物によって、世界の景気が語られたとしても、それは少しも世の中の実情を反映しないのと同じコトではナイでしょうか?

この本は、とても示唆に富んでいるので、しばしこの本の話をしたいと思います。  
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2006年11月08日

いじめなんかで死ぬな!!!

こういってはいるが、小学生の時にはいじめられていて、死にたいと思ったコトもある。でも、親が哀しむだろうと思って、踏み止まった。

思うコトはあっても、行動に踏み切るには、ある程度の距離があるのに、最近は平気でその溝を越えてしまう人がいる。

だが、こんなコトだってある。

上田市の丸子実業高校1年生で男子バレーボール部員だった北佐久郡御代田町の高山裕太君=当時(16)=が自殺し、母親が同校でのいじめなどが原因だとして、県などを提訴している問題で、同部の顧問や部員ら計30人が6日までに、母親を相手取り、精神的苦痛を受けたとして総額3000万円の慰謝料の支払いを求め、長野地裁に提訴した。

 原告側の弁護士は提訴理由について、自殺とバレー部や部員は関係ないのに、母親によっていじめの加害者と決め付けられたり、繰り返し非難されたりして精神的苦痛を被った−などとしている。

 高山君は昨年12月に自殺し、母親が今年3月、長野地裁に損害賠償請求訴訟を起こしていた。母親側の弁護士は、今回提訴されたことについて「被害者の立場を考えていない」としている。(より詳しいコトを知りたい方は、こちらのブログへ)

いじめられた人間が死んだだけでは済まずに、遺族にまで迷惑掛ける人だって、世の中に存在しているのだ。コレを書きたいから、この前に、セク・ハラの「いじめ」をする人間の話を書いたのだ。世の中には、自分が悪かったと認めない人間が、うじゃうじゃいる。

そんなオカシナ人間のタメに死んでどうなる?

自分の未来も、家族の未来も台無しになってしまうんだ。

とにかく、死ぬな!! 生きてさえいれば、イイこともある。

それでも、死ぬというなら、止めはしない。それが、アナタの人生だから‥‥
  
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いじめは不安や苛立ちの裏返し

おはようございます。昨夜の続きです。

セク・ハラに対して、マスマス変な話が続いていて、派遣社員を正社員にするからと持ち掛けて、性的関係を強要しようとした部長は、言い逃れの挙句、人事部長と役所が話し合った結果、定年待ちポストで、部下はゼロ、仕方ナク派遣社員を部下がわりにあてがっていたので、渡りに船とばかりに、クビを会社側から宣告されてしまうのです。

と思うと、離婚した女性に虎視眈々としていた社長に対し、間に入った弁護士が、度々のセク・ハラに呆れて、社長が懲りてもうしないようにと、破格の慰謝料を提示したりと、世の中は様々です。

特に、スゴイのが、就職氷河期に人事課長が、入社をエサに「酒にクスリまで入れて」目的を達成し入社させた。新入社員となっても、関係を強要されて精神的にボロボロになったタメ、課長の妻に手紙を書いて助けを求めたが、逆になじられ、最終的に行政に駆け込んだのだが、その妻は、夫を信頼していて、全然耳をかさず、それでも最後に二重生活を続けようとしていた夫の行為には腹を立てて、離婚するに至るのだが‥‥

ともあれ、詳細は本を読んで頂くとして、逃げ口上としては、男性側は、地位を利用して自分で強要しておきながら、誘われたと巧みに物事を自分の都合がイイ様にすり替えてしまっているのです。前に、幼児に対しても性犯罪をする人間は、幼児である子供が誘ったという「倒錯」をしているのだと書かれた本の話をしたコトがありましたが、要するに「錯誤」している自分に気付かず、自分が正しいと思うのです。

結論として、著者は、自らも理解できないであろうその衝動の大きさは、彼らの抱え込んだ閉塞感に比例し、いじめによって他者に転化して、抱え込んだ苦しみから逃れようという行為だから、無意識に近い。相手に対する差別意識の大きさに比例して増大する。将来に向けての不安や苛立ちの裏返しだと述べています。

正に、「事実は小説より奇なり」といったトコでしょうか‥‥  
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2006年11月07日

壊れている男達

セクシャル・ハラスメントの問題を取り扱った本があります。本日のブログのタイトルは、それをもじってつけたのですが、何時の世も壊れてしまった男もいれば、壊れてナイ男もいると思って、ワザと上の様にしました。実際の、本のタイトルは、
壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか
なのですが‥‥

「いじめ」問題も、「いじめる方が悪い」と思わない子供達が増えているそうですが、「悪いコトをしている」と感じる感知器が壊れてしまっているからだと思います。

それがそのまま、大人になるとこうなるみたいな感じで‥‥

例えば、自分の娘が父親のコトをバカにしている。それを妻も批難している。そんなこんなで傷付いた気持ちを部下の娘と似た年頃の女性に、「仕事のことで‥‥」と呼び出して、食事に誘い、無理やり人気のナイ山中に行き、関係を迫った部長とか、リストラされた夫を持つ妻がパートに出たら、奥さんに愛想をつかされて離婚した社長に、「付き合いも給料のうち」などと性的関係を迫られて、役所に相談したら、本人が出向くべきトコなのに、代理人しか寄こさず金で解決しようと逃げまくるとか、あり得ない話ばっかりです。

どちらも、奥さんにすら見離されているのですが、当然でしょうね。とにかく、自分の考えでしか、相手のコトを考えられないのですから‥‥

そして、言い訳と逃げ口上。

よほど、ヒドイ生育歴なんだろうと(表面的ではナク、本質的に)思いますが、「イイ歳をして何やってんだ!!」と関係ナイけど、怒鳴ってやりたいくらい‥‥

アメリカのセクハラについての「手引書」には、こう書かれているそうです。

セクシャル・ハラスメントをする人は、良き家庭人であり、その子どもを大学に通わせ、二〇年以上も会社に勤務をして、ボランティア活動をし、誰からも好かれ、魅力的な人で……自分の妻や娘に優しく、娘のことを心配して、日曜日には教会に行く人と同じ人なのだ。

つまり、ドコにでも居る普通の人が、平気でそういうコトをする人物なのだというコトだそうです。長くなりそうなので、続きは明日の朝‥‥  
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社会が変わると、立ち位置も変わる

おはようございます。それにしても、「日本も核を持てる論議を」とかやってますが、ワタシの若い頃には、考えられないコトですよね。

ちなみに若い頃はノンポリ(政治に無関心な人をそう呼んだのです)で、大学時代は、TVも新聞もホトンド読まず、見ずにひたすら大学の図書館の本を、今ではとても読まないだろう硬いモノを読み、文庫本の新刊を漁る毎日だったのですが、それでも大した危機感を覚えませんでした。

当時、労働組合は異常に強く、ストライキは毎年の恒例行事に近かったし、京都駅の国鉄のキップ売り場の人なんか、イヤイヤ切符やおつりを投げつけて売ってたし(それがイヤさに少し早く下宿を出て、旅行会社で気分良く買って家に帰ってた。長野駅はまだ我慢出来る対応だったけど)、というコトで、どちらかと言うと保守的な考え方をしていたのだが、ソビエトのアフガニスタン侵攻で、「モスクワオリンピック」のボイコットあたりから、世の中が変になり始めて来た。

「武力には武力」という考え方が、台頭し始めて、「防衛費はGDPの1%未満」という実際、何ゆえGDPなのかが良く判らなかったが、それでも一応歯止めにはなっていたのに、そんな枠は撤廃され、ドンドンとアメリカ軍との連携が増大してきた。

それでも、湾岸戦争の時は御金を出しただけだったのに、それに対する感謝が少ないコトを契機に、ドンドン目に見える貢献をと言い出したと思ったら、今度は、「核武装」まで話題になっている。

日本は、世界で唯一の被爆国で、しかも、既に全世界を何度でも、何十回でも滅ぼせるだけの核兵器が、世の中に存在しているというのに、遅ればせながら核を所有したがっている人々の存在がクローズアップされている。

若いコロの映画に
太陽を盗んだ男
というのがあり(試しに検索したら、今でもソフトが手に入るのにちょっとビックリ)、少し頭のイイ理系の高校生クラスの人間ならば、プルトニュウムさえ手に入れば、核爆弾など作れると言ったのに衝撃を受けたものだが、それにしても、世の中が右傾化し過ぎているんじゃないかと思う。

当時の世の中では、右寄りだったワタシが、今では左寄りだと思われるんだろうなと思うし、積極的に政治系の発言をしなくてもイイ、ホトンドの人々が「平和思考」だった昔の日常に戻りたいと思うだけなのだが‥‥  
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2006年11月06日

心理分析の本

朝は、穏やかだったのに、さっきは雷と共に大雨が降っていました。「秋の空」は変わりやすいものですが‥‥
「困った人たち」の心理分析―傍迷惑な言動にはこんな性格があった!
という本を読んでみました。ちなみに、冒頭部分には、田中真紀子さんが、スッタモンダで外相を辞めた時のコトを書いてありましたが、こういう本は、時事ネタを入れると売れるのでしょうが、何年かすると読んだ時に、『古い本だな〜』という感想をスグ持ってしまうものだなと思いました。

ともあれ、その件に関しては、このブログとは関係ないので書き込みしてないはずなのですが、数ヶ月に読んだ本に、
さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さない
というのがありまして、外務省の人々の話をそのままうのみにしていいのかビミョ〜だと思われますので、その辺についてのコメントは止めときます。

ともあれ、終章に書かれているコトは、とてもスッキリとしていて判りやすく、ココだけでも充分に読んだ価値があると思います。

一番気になったのは、「境界性人格障害(ボーダーライン)」の人々は、アメリカの調査によると、幼児期に虐待された人がきわめて多く、十八歳までに約八〇%が経験しており、そのうち四〇%は性的虐待を経験しているそうです。

感情が不安定で、わずかなことで激しい怒りにかられて乱暴し、あるいは自傷行為や自殺企画を繰り返す傾向があり、薬物依存症は人格障害と密接な関係があるというコトを踏まえると、幼児期の虐待は、本当に社会的に害をもたらすと思います。母親の過保護も、日本ではボーターラインの人を生み出しやすいそうですので、自立した人間に教育するコトが大切な様です。確かに、歳だけとっていても、子供のままの人って、結構いますから‥‥  
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「完璧」を求め過ぎるのは危ない

おはようございます。放射冷却の関係なのか、太陽がサンサンと降り注いでいるのに、とても寒い朝です。車のガラスもびっしりと露で濡れていました。そのうち、霜となって張り付く冬の足音が聞こえてくる様な晩秋の朝です。

さて、似た様な本は何冊も紹介しているので、ことさら目新しいコトも書かれてはいませんが、とても判りやすく、読みやすい本です。西澤哲という方の書かれた「子どものトラウマ」(講談社現代新書)。

一部、抜粋しますと、

完璧性への欲求の背景には、自己肯定感や自己評価の低さが存在していることもある。

完璧な存在となることが、それまでの人生で得られなかった自己肯定感を回復する最後の砦であるかのように。

人は、無能感を持ったとき、無能感を与えた対象を何とか思い通りに動かすことによって「自分は有能な存在だ」という能力感を回復しようとする。自分のいうことをきく存在がいることで、自分の能力に安心感を持とうとするのである。

人は誰でも、自分の周囲に影響を与える存在でありたいと願っている。しかし、それが過剰になった場合、自分がかかわる人をコントロールできるということが、能力感(自分がさまざまな出来事に対処していけると思える気持ち)や自己評価の維持につながってしまう。つまり、能力感を持ち自己評価を維持するためにコントロールしようとしてしまうわけである。

暴力は暴力を生む。そして、虐待は虐待を生む。

どうでしょう。これは、虐待された子どもと親の関係について書かれたものなのですが、現在の世界のトップの方々の行動を考えると、「う〜ん、これに当てはまっているかも‥‥」と思う人々の顔が、何人も思い浮かんできませんか?

他人の考えや、行動を縛ろうとする人々は、まず自らの行動を考え直す必要性があるのかもしれませんね。  
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2006年11月05日

驚くべき医師達‥‥

久々に、スゴイ本を発見しました。
震えるメス―医師会の闇
最近、何かと話題の損保の医療調査員だった方の小説なのですが、一般の人間には、驚きの連続です‥‥

政治と医師会、そして個人病院の関係など、普通の人間には無縁の世界ですから。

読むページごとに、ビックリ、ビックリです!!

良心的なお医者さんばかりではナイとは思っていましたが。

これがミステリーでなかったら、色々と書き込みたいトコですが、そうもいかず。

やっぱり病院は選ぼうと、心から思いました。

人の命が絶対的なもので、医療行為は完璧なものでならなければならないと期待しすぎている一般社会に、医療のタブーを伝えたいと思って小説にしたそうです。

でも、やっぱり100%完璧じゃなくても、それなりにしっかりやってくれる先生も存在していると信じたい。

忘年会や新年会などの時ぐらいは、何があっても電話は受け付けないという先生が実在しているコトも、過去には現実として見てはいるのだけれど‥‥

大変な仕事だというコトは判ってますが、それだけの社会的責任がある仕事をなさっているのです。やっぱり、あまりにメチャクチャなコトはして欲しくないですね。

昔の赤ひげ先生みたいじゃなくてもイイから、それなりにモラルを守って欲しいと思います。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:18Comments(2)TrackBack(0)