2007年01月31日

家庭内暴力の原因

思春期は第二反抗期であり、一過性の家庭内暴力が起こりやすい時期だという。

絶対的存在だった親に批判的になったり、反発することも多くなり、親の価値観で自分の行動や意思が規制されるのを嫌い、自分なりの意思表示をしつつも、情緒的には親への依存や甘えも見られ、反抗と甘えというアンビバレント(両価的)な感情を示すことが多い。親子関係、とくに母子関係が未成熟であると、心理的に親離れしていくのが容易ではなく、親に対する反発、反抗が暴力という形になって親に向けられるのだという。

思春期の自立における葛藤が攻撃性や破壊性となって、心理的に距離の近い母親に向かっていくのだそうです。

暴力をふるわれた母親の中に抵抗せずにじっと我慢して耐える人も多いが、子育ての責任、子どもから見捨てられたくないという気持ちから、子どものいいなりになり、しがみつくような、依存と共依存の関係に陥る。暴力には、毅然と立ち向かうという態度を一貫して示すことが大切。

家庭内暴力が生じる家族では、親世代と子世代の境界が明瞭ではないため、親と子どもの役目が入れ替わるなど、混乱するように対象関係が築かれている場合も多い。親の意見をはっきり伝え、親と子の世代間の境界をはっきりさせ、親としての誇りや威厳が明白な方が、子どもも安心する。無意味に威厳を振り回しても困るが、親が子どもにおもねってはイケナイというコトだろう。

家庭内暴力が生じる要因は、挫折体験や性格傾向など本人側の要因と、父母の養育の仕方や関わり方など家庭面の要因があり、それが複雑に絡み合って生じる。過敏・心配性・自己中心・わがまま・完全主義・几帳面・衝動を抑えられない本人の性格と、父性の欠如と母親の過剰対応、両親の不一致があげられる。

愛しているのに、憎むという複雑な感情が根底にあるコトを知り、親は暴力に毅然とした態度を示しつつ、背後にある子どもの苦しみや未成熟性を受け入れると、子どもは自己愛の傷つきを癒され、暴力行動を控えるようになるそうだ。  

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きょうだい間虐待の現実

おはようございます。歯科医師の息子が妹をというコトで、注目を集めましたが、きょうだい間の虐待は、日本ではまだあまり注目されてなかっただけで、米国の調査では、きょうだいの暴力を中学生で調べたら、88%の男子および94%の女子が、過去12ヶ月において、被害者であると共に、85%の男子および96%の女子が同じ時期に暴力の加害者でもあった。

ただし、この種の調査は暴力や虐待の定義がまちまちであったりするので、その数字をそのまま受け取ることはできないが、虐待に発展しかねない下地があるコトは間違いナイそうです。

きょうだい関係は,親と子どもの関係,そして仲間関係同様,対人間能力や社会性を獲得する上で大切な人間関係であるといえる。

親との「たての関係」や仲間との「よこの関係」と違い、「ななめの関係」になるのだそうだ。

そのような関係性のなかで,とくに年齢の差が小さいきょうだいでは,互いに競争心や嫉妬心をもちやすく,たとえば親の関心を求めてきょうだいげんかをしたりする。年齢の差があれば,一方が他方を支配するような関係になるかもしれない。

反対に,ひとつのものを共有し,協調的な社会生活をしていく上で、重要なルールを獲得していくこともある。

親によって権限が過剰に与えられ、年長のきょうだいが、年少のきょうだいの世話を任されたり、きょうだい関係に対して、親が関わらなかったり、監督しないといった、消極的なきょうだい関係への親の関わり方も、虐待を発生させる要因として働く。

親同士の虐待的な関係や親から子どもに対する虐待が存在する家庭では、暴力を正当化する規範や合理化する理論を抵抗なく受け入れてしまう。つまり、暴力を頻繁に目撃したり、自身が暴力を受けた経験のある子どもは、暴力に親和的になり、きょうだいに対して虐待を行う可能性があるのだそうだ。

きょうだい間の虐待を防ぐには、きょうだい間に虐待が起こりうることを認識し、子どもの言葉に耳を傾け、両親が不在の時の監督を適切にし、性について話し合い、自分の身体は誰も傷つける権利を有さない、もし虐待されたとしたら専門家などに助けを求め、暴力のない家庭、きょうだい間のよい相互的関係について喜ばしいことであるとの態度の表明が必要だそうだ。

悲劇は未然の抑止力が必要だというコトは、ココでも言えるようです。  
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2007年01月30日

子育て環境を整える

女性は子供を「産む機械」としか見ない男性にとっては、当然その後に子供を育てる「無給のベビーシッター」の時代があって当然だと思っているのかもしれませんが、「兵庫レポート」によると、4ヶ月児を育てている3人に1人は、「子育てについて話しができる相手がまったくいない」と回答し、「育児でイライラすることが多い」と感じる母親は増加傾向にある。

3歳児を育てている母親の、実に47%がイライラ感を訴えているのですから、そちらを解消すべきコトが、少子化克服の切り札になるとは思いますが、担当の厚労省の大臣が大臣ですから、あまり期待しない方がイイかもしれません。

孤立したまま不安を抱える母親に,別のストレス要因が複合的に加わると,児童虐待という「暴力」に発展してしまう危険が増大するのではないかと推測される。

というコトですが、

虐待者である親自身のストレスマネジメントやコミュニケーションスキルの向上,自己効力感を高めるためのペアレントスキルの習得,さまざまなコミュニティケアとの連帯などの要素である。すなわち,親がまず,自分自身の感情と行動に目を向け,それらを「暴力」という手段を用いずに自己調節できるすべを身につけることが必要なのである。そして,暴力を用いない状態を維持するためには,コミュニティの継続的なサポートが重要な要素と考えられているそうです。

現代の子育ては,もはや「誰でもできる当たり前のこと」ではなくなっているといえる。孤立した子育て環境で生じる育児不安を,指導虐待という「暴力」にエスカレートさせてしまわないように,予防的視点からの子育て支援が以前にも増して必要とされている。

とにかく、口を出して、手助けや援助をしないコトが一番の問題です。黙って手を貸してくれる人は、色々なコトが判っているので、無駄口は叩きません。

他人を感情を逆撫でして平気な人ほど、手助けには無縁な人が多いです。胸に手を当てて、そういう人にだけはならないでください。無関係でいたいのであれば、マダ黙っていてくれる方がマシです。

それにしても、『地位と資質が噛み合わない人が世の中のトップで旗振りしていて、日本は大丈夫なの?』と日々、不安になるコトが多くて、そっちもストレスになりそうです。  
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変容する家族

おはようございます。毎週、「介護拒否殺人」が続いていますが、それも現代社会の家族機能の変遷と無関係ではないそうです。抜粋すると、

第二次世界大戦後より,旧来の大家族制から夫婦を中心とした小家族制へと移行し,都市集中化とともに,日本の核家族化は定着していった。そして,核家族のなかで生じる暴力は,抑制すべき立場の人や仲裁する立場の人を欠くために,修復する機能を失い,潜行,変遷化するようになっていった。つまり,祖父母や叔父叔母を家族の成員から失った小家族では,抑制や仲裁機能を減じている。それらの機能を補う地位社会での援助がより必要になるにもかかわらず,都市集中化やそれにともなう近隣者との疎遠化のため,家族はますます孤立を深めるようになっている。核家族は,家族のなかで生じる問題を解決する充分な機能をもたず,といって地域社会からの援助も受けることもできない。家族はそのような閉塞性のなかで苦悩し,そして混乱し,対家族成員への暴力となって行動化していくのである。

とあります。ただ、大家族ならば問題がナイはずもナク。時代が違う祖父母の干渉を嫌う孫や、祖父母と両親に対立があれば、ソコにも暴力の根は広がっていると思います。

現代社会に起こっている家族の変化は,成員の日々の生活で生じる苦悩やストレスに対して,家族として対処する機能を損わせ,暴力として行動化されることに対する抑制力を失わせつつある。そして,そのような家庭での生活こそが,成員の苦悩やストレスを高め,家族といることでより暴力化されるケースにさえ出会う。

そして、ストレスの解消法としてアルコールを「安定剤」代わりに飲用すると、ストレスによるセロトニンの低下がアルコールによってさらに助長され、不安感、憂うつ気分が増悪し,さらにアルコール量が増加するというまさに悪循環が生じる可能性もあり、不安や憂うつにとどまらず、他者へり暴力行為、自らへの自傷、自殺などへと発展する可能性もあるそうです。

晩はファミリー・バイオレンスについて深く考察していきます。  
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2007年01月29日

エリートの空虚感

前に「黄泉の犬」にも、精神的に追い詰められたエリートが登場すると書きましたが、似た様な話が違う形で載っています。

Dさん(26歳,男性)は行きずりの人を殺してしまいたいという欲求が突然浮かんでくる。自分でもなぜそのような気持ちになるのかはわからないが,まったく知らない人やすれ違っただけの人に対して,急に理由なく腹立だしさを覚えるのだという。

Dさんは情報関連企業の有能な技術者で,日常の人間関係や職場での評判は悪くない。しかし,彼は,友だちはいるが親しい人はいない,というより親しいとはどういうことなのか自分にはわからないという。Dさんは子どもの頃から学業に優れ,難関の私立校に通い,トップクラスの成績で大学を卒業した。父や母はそのような彼を高く評価していたが,常にさらに上を求められたという。

Dさんは,仕事でも趣味でも,あるいは人との付き合いにおいても,何事にも完璧でなければならないと考えている。完璧でない自分は「最低」であり,その間は認められないという。彼はどれだけ優秀な成績や業績をあげても満足できないのである。家族もありのままの彼ではなく,むしろ彼が優秀であり高い成果や能力を示すがゆえに評価してきた。彼は非現実的な自分の姿を追い求めていくが,何をやってもいくらやっても自ら充足することがない。彼はそれを「砂の上に城を建てているようなもの」と表現する。現実的な自分自身に満足することはなく空虚感だけが拡がっていくことになる。彼はありのままの自分を受け入れていくことができず,完璧ではない自分を消し去ってしまいたくなる衝動を覚えるのである。人を殺したくなるという欲求はそのような衝動と表裏一体をなして起きてくるものであるらしい。


こういう自分をリセットしたくなって仕事も何もリセットするタメにインドを目指す人間も居れば、カウンセリングで思い留まる人もいれば、こんな感じで突っ走って、アッと周囲を驚かす様な事件を起こす人々もいるのです。

彼らは、他者からの評価や視線を気にしている。とはいえ、他者と深く親密になることは少なく、そのような親密な関係を結ぶことを避けている。それは、自分が少しでも傷つくのを恐れ、他者への不信感が拭えないタメ、現実的な人と人とのつながりのなかに自分を見出すことができずに孤独を感じているからである。

彼らをエリートであるとして尊重するコトが果たして正しいのか? そういう人を排出したくないがゆえの「ゆとり教育」だったのではないでしょうか?  
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暴力・虐待・ハラスメント

おはようございます。今の世の中がオカシクなっている原因は、「暴力」それも、本人がそれを意識せずに行使しているというコトにあると思います。再び硬めの本に戻って、世の中を良くする方法を模索したいと思います。
暴力・虐待・ハラスメント―人はなぜ暴力をふるうのか
昨日の朝刊あたりから、物議を醸し出している柳沢厚労相の「女性は子供を生む機会」発言もそうですが、おそらく、『なんでそんなコトぐらいで問題にされるのか?』という人も、おそらく数多く日本の中には存在していると思います。

こういう発言は、女性に対する心理的暴力なのです。「暴力の定義」について、まず明確にする部分から書かれています。

暴力は戦争,テロなど集団や国家権力との関連で用いられる法学用語としての暴力であり,他のひとつはいじめ,虐待,ドメスティック・バイオレンスなど,人間関係に起因して起こってくるさまざまな形での暴力である。

暴力とは,人間が何らかの理由のために,意図的に,主として別の人間に対して行う加害的行為である。主として別の人間と記したのは,リストカットや大量服薬などの自傷行為,自己に向かう暴力,事物破壊や列車妨害などの行為も暴力である。


中でも、最近話題になっているのが、ファミリー・バイオレンス。児童虐待、配偶者間の暴力、老親に対する虐待、子の親に対する暴力、そして、同胞間の葛藤に基づく暴力をきょうだい間暴力である。

いじめは,学校内で生じるほぼ同年齢間での身体的・心理的攻撃であり,ハラスメントは一般社会に起こる身体的・心理的攻撃を意味し、暴力よりは限定した範囲で使用されている。

暴力が全ての言葉を包括しているとも言える。

さて、定義はここまでにして、晩から具体的に考えてみましょう。  
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2007年01月28日

格差社会を嗤(わら)う

昔は、「嗤(わら)う」みたいな字を好んで使っていたものです。最近は、こういう難しい字をなるべく使わないで、書こうとしてますが、タダ、この字だと「あざわらう」とか「さげすむ」という意味があるので、本日のタイトルには、あえてこの字を使いましたが‥‥

どういうコトかというと、この本。メチャクチャ面白いです。
フェイク
実に今の時代のバカバカしさを見事に諷刺しています。この作家の「再生巨流」を読んで、筆力のある方だと思いました。タダ、「再生巨流」はどうも実在の会社のサクセス・ストーリーみたいだったので、とりあえずココでの紹介はパスしときました。でも、そちらも面白かったです。お得意さんのケーキ屋さんの御主人は、ソコの会社で頭金を作って、開業して成功しているのです。実際、そうなのか聞きたいと思うコトは色々あるのですが、バレンタイン・デーを控えてお忙しそうなので、確かめてはいませんが。

今の世の中の問題点を小説という形だから、ココまで書いているという意味では、上の本はスゴイです。ちなみに、硬い本を読んだり、硬めのブログを書いてますが、小説はエンターティメントの方が好きです。私小説はあまり好きではありません。小説だからこそ、読んだ時にはスカッとしたいってものです。重いテーマなら、それはそれでありですが、個人的にウジャウジャ悩んでばかりの話など、真っ平ゴメンです。

格差社会を這い上がるには、こんな方法しかナイのかもしれません。「戦国自衛隊」を書いた半村良さんの「八十八夜物語」の時代とは、かなりの違いです。

どちらも、銀座を舞台にしてるのですが、正に時代の流れを感じます。正当に上り詰めるコトが、如何に難しい時代になったのかを教えてくれる「面白くてやがて悲しい」シビアな本です。  
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白菜ダイエット?

おはようございます。久々、普通に日曜の朝の「食べ物が作る健康」シリーズです。本日は昨日の「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」と先々週の「週刊長野」の「サイエンス」の記事の合作です。

「あるある‥‥」で納豆ダイエットの夢は破れた方が多いと思いますが、それにしても食べて痩せたいと思うのは切実な方々が多いのだなと改めて実感しました。カロリーを摂取するのですから、ただ食べて痩せられるホド、世の中は甘くナイと思います。でも、高カロリーの食物を低カロリーの食材に変えるコト、食物繊維を多量に摂取して、体外排出を増進するコトによって、ダイエットを推進するコトは、理論的に可能かと思います。

そこでオススメなのは、白菜。幸いなコトに、今シーズンはさほど価格も高くナイので、手軽に取り組みやすいかと思います。昨秋の価格の安さは、生産農家がお気の毒みたいでしたが。

白菜は冬の寒い時期ほど、たっぷり養分を蓄え、糖度をアップします。冬場の白菜が美味しいのはそのタメ。

主な栄養はビタミンC。体に抵抗力をつけ、風邪の予防や疲労回復に効果があります。

たんぱく質や糖質が少なく低エネルギーで、食物繊維やβカロテンもたっぷりあるため、便秘を解消したり、食事として取ったコレステロールを体外に排出し、高脂血症、糖尿病予防にも役立ち、ダイエットにも良い。

体内の余分なナトリウム(塩分)を体外に排出するカリウムも豊富。高血圧の予防や利尿作用を促進し、腎臓の機能を高めてくれる。

鍋物にすると、消化も良くなるので、胃弱や病気の人にも良い。

塩漬けにして、乳酸菌などの有効な腸内細菌で、整腸効果もアップできる。


ただ、美味しいからと一緒に他の食材を食べ過ぎるとなると話は別。やっぱりトータルな問題なので、その辺は注意してくださいね。  
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2007年01月27日

自壊する帝国

マイミクで、ブログ仲間のくになかさんから推薦された本を読んでみました。
自壊する帝国
題名がソ連を指しているとは思いつつも、「何だか日本の将来を予告しているみたいだ‥‥」なんて思ってしまいます。

世の中の政治に携わる人々の、節操の無さが克明に書かれていて、『おそらく日本の政治家ももそうなんだろうな』というのが、最大の感想です。

個人的には、同時代に青春を京都で過ごしているので、『同志社って、そんなに学生運動盛んだったんだ』って感じです。『民青』にハマっている人達も居るコトは知ってましたが、当時から読書にハマっていたもので‥‥同志社には、一度だけ学園祭に行ったコトがありますが、展示を見てたら、筆で名前を書いて欲しいと言われて、動揺して軟筆は苦手なのに、マスマス下手に書いたコトしか記憶にナイのですが。キリスト教系の大学だとは知ってましたから、学生運動と結びつかなかっただけで、一度道路をハチマキして団体で歩いていたのを市バスから見たコトがあって、京大生だと思ってたのですが、あの場所なら同大の生徒だったかもしれないなんて、まったく関係のナイ、昔の記憶がよみがえってきたり‥‥

ともあれ、いかにしてソ連が崩壊すべくして崩壊していったかというコトが、手に取る様に判りました。「社会主義は人間の欲望に負けた」のですね。中国も似た様な感じになっている現在、大国が本気になって資本主義に参加したら、これは怖い。日本は先進国なんて、何時まで言ってられるのか、という気がします。最早、歴史の時計は逆戻り出来ないのだから、日本はこれから来る「少子化、高齢化社会」に向けて、それなりの対応をしないとイケナイんだろうなと思いました。

とにかく色々と考えさせられる本です。それこそ、『国策逮捕』なのかどうかはともかく、彼が逮捕されたがゆえに、我々はこうした本を読むコトが出来るのですから、『神がそうさせたのかしら』とすら思います。前作『国家の罠』はまだ読んでないのですが、時系列的には、この本の後を書いているそうだから、そのうちにゼヒ読みたいと思う。

政治家が希求するのは、「地位」と「名声」と「女(男性政治家なら)」と「金」それに尽きる人が多く、「国民のタメ」というのは「キレイごと」なんだなと実に強く思わせてくれた。それでも、タマには「自説をブレさせず、殉ずる」気骨のある人も何人かはいるのだなと思いました。ともあれ、正に「事実は小説より奇なり」を書いたノンフィクションです。  
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両生類は環境のカナリア

おはようございます。アメリカのゴア前副大統領が出演する地球温暖化の危機を訴えるドキュメンタリー映画「不都合な真実」でも脚光を浴び、アメリカでは昨年の流行語として「冥王星」についで、支持された言葉が「環境のカナリア」です。

本日付けの超ローカル新聞「週刊長野」に長野市にある「茶臼山動物園」獣医師の方が書いている連載エッセイの「茶臼山タヌキだより」に、とても判りやすく述べられていたので、抜粋して紹介します。

21世紀に入り6年が過ぎ、両生類の急激な減少が始まりました。この絶滅の速さは、今まで地球が経験したことのないものです。

現在生息している両生類5743種のうち、半数は個体数が減少しており、4分の1は絶滅に向かっています。

この壊滅の原因の一つは、生息地の破壊です。水と陸の両方で生活するため、どちらか一方の環境が汚染されても生きていけません。また、毛やうろこもないため、水質汚染や紫外線の増加にも非常に弱いのです。

さらに最近、ツボカビが大きな原因の一つであることも分かりました。両生類がこのカビに感染すると、全身がカビに覆われ、皮膚呼吸ができず窒息してしまいます。また、この病気は恐ろしいことに致死率は90%を超え、感染力もすさまじくわずか3カ月で地域の一群を絶滅させるほどです。パナマでは1日28舛梁さで拡散しているとの報告もあります。

なぜこのツボカビがこんなにも猛威を振るうかというと、人間によってもたらされた温暖化が、ツボカビにとって住みやすい環境のようで、そして、そのツボカビが人間によって世界中に運ばれたことによります。

両生類は環境汚染に敏感なため、「炭鉱のカナリア」になぞらえて「環境のカナリア」と呼ばれています。


ということですが、アメリカのシアトルでは学校で「不都合な真実」を上映しようとしたら、親が「(温暖化対策に消極的な)米国を非難するような偏見に満ちた映画を子どもにみせるな」と抗議のメールを地域の教育委員会に送付。これを受けた同教委が上映を中止させた(「信濃毎日新聞」の記事より)そうです。

どこの国にも真実を隠蔽したがる愛国者はいるものですね。  
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2007年01月26日

国民は正確な情報を知らされているのか?

アパグループの問題は、「きっこの日記」を先頭に昨年から大騒ぎしているのに、やっと今、正式に問題になりはじめている。

お気に入り登録している「情報流通推進計画byヤメ記者弁護士」によると、かなり危ない法律が、「共謀罪」法案と共に成立を狙っているらしい。今日の記事の中で東京新聞からの引用として書いてあるコトを少し転載させて頂く、詳細はそちらに飛んで読んで頂くとして、転載して大きい文字にして読みたいという希望もあるからだ。昔から、目は良くなかったが、最近はとても小さい文字は読みにくくなりつつある。歳は取りたくないものだが、どうしようもない。一般社会では中年の部類だが、それでこうなのだから、ネットやパソコンの会社は、文字を拡大する機能をより多くに備えてくれると、とても有り難いと思う。

「知らぬ間に警察の手先」〜東京新聞が「収益の移転防止に関する法律案」の本質をつく記事を特報面に掲載から。(長野では買えないのでスミマセン)

■■引用開始■■

 「マネーロンダリング(資金洗浄)の疑いがある行為を見かけたら、当局に通報すること」−弁護士など約五十の職種に、こんな義務を課す「ゲートキーパー(門番)法案」が国会に提出されそうだ。「国民を警察の手先にする“依頼者密告法案”だ」「共謀罪とともに、監視社会化を進める法案」と反対の声が上がっている。いったい、どんな法案なの?

 政府・与党からはゲートキーパー法案、反対派からは密告法案と呼ばれる「収益の移転防止に関する法律案」(仮称)は、「マネーロンダリング対策とテロ資金対策が目的」という。

 今でも、金融機関で顧客の本人確認などのマネロン防止策が取られているが、新法が成立すると、金融機関だけでなく、約五十の職種が▽本人確認▽疑わしい取引を見つけた場合の当局への届け出−などを求められるようになるという。

 対象職種は金融機関、ファイナンス・リース業者、クレジットカード会社、宅地建物取引業者(不動産業)、貴金属取引業者(宝石店、貴金属店)、郵便物受取業者(私書箱を運営する会社)、電話受付サービス業者(電話秘書サービス会社など)、弁護士、司法書士、行政書士、公認会計士、税理士などなど。ユーザーの個人情報を知りうる職種なのが特徴だ。

 各職種の人は「犯罪がらみの取引かもしれない」と感じたら、それぞれの監督官庁に届けなければならない。例えば、金融機関ならば金融庁に、となる。

 その情報は監督官庁から国家公安委員会に流され、捜査に使われる。政府の「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」(本部長・塩崎恭久官房長官)は、この制度の効用を「安心・安全な社会」「健全な経済システムの維持」とうたっている。

 「もしかしたら、犯罪がらみかも」と感じた業者が、次々と顧客情報を政府に流す。膨大な事件情報、厳密には「事件かもしれないと思える事案情報」が政府に蓄積されるのだから、犯罪組織も壊滅するに違いない−と思えてくる。

 しかし、弁護士や識者からは「国民同士が監視しあう暗黒社会になる。そればかりか善良な国民が巻き添え被害に遭う危険が高い」と反対論が出ている。例えば、次のようなケースが想定されるという。

■悪くないのに口座凍結…とんだ巻き添えも

 【ケース1】 長女の結婚式を控えたAさんは「おたくの土地を買いたい」と言う男に高値で売却したが、不安なので弁護士を立ち会わせた。後日、結婚資金に使おうと、売却で得た金を銀行から下ろそうとしたが、口座は凍結されていた。売却相手がヤミ金融業者だったため、弁護士が「Aさんは何も悪くないんだが」と思いつつも、当局に通報したからだ。

 結婚式はキャンセルするはめとなり、Aさんは弁護士に「ひどいじゃないか。訴えてやる」と抗議したが、弁護士は「私には通報義務があるので仕方ないんです」と弁解した。

 【ケース2】 借地にビルを建てたBさんが死亡した。遺産分割協議がまとまるまでの間、Bさんの銀行口座を管理していた弁護士は、違法営業のようにもみえるテナントからの賃料収入に気付いた。適法かもしれないとは思ったが、通報義務に従い当局に通報した。通報したことを当事者に教えることは禁じられているため、Bさんの遺族たちは何も知らない。

 間もなく、口座は凍結されて賃料収入が引き出せなくなり、遺族は借地料を支払えなくなって立ち退きを余儀なくされた。後日、テナントは適法営業と判明したが、後の祭りだった。

 監視カメラや住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)による「国民監視社会」化に警鐘を鳴らしているジャーナリストの斎藤貴男氏は「電話秘書サービスの業者まで依頼主のことを通報するというのでは、人と人との信頼関係は、どうなってしまうのだろう。社会全体のためなら(善良な市民の受ける)多少の被害は仕方がないでしょ、ということなのか」と危惧(きぐ)した上で、「私のようなことを言うと、『性善説でテロや犯罪に対処できるか』という反論が来そうだが、そういう人々には、なぜ、捜査機関性善説を取るのかと聞きたい」と話す。

 確かに、富山県警と富山地検の捜査ミスで、無実の男性が強姦(ごうかん)罪に問われ、二年九カ月も拘置、服役させられた問題が発覚したり、ファイル交換ソフト「ウィニー」により警察官のパソコンから大量の捜査情報がインターネット上に流出した。警察官による性犯罪、強姦罪、捜査報告でっち上げも後を絶たない。

■国民は蚊帳の外早期成立に懸念

 弁護士たちからは「最近の警察は不祥事のデパート。そこに個人情報を蓄積する新制度は危険すぎる」との声も上がっている。

 通常国会で審議されるという法案の内容は十分、国民に伝わっていない。三月にも成立させてしまえば、七月の参院選までに、国民は忘れてしまう−そんな読みも出ているというのだが。

というコトだそうです。引用はまだ元のブログでは続いているので、続きはそちらでお読みください。

「最近、どうでもイイ様なコトばかりを繰り返し繰り返し、報道している様な気がする」という感じのコトを多くの御客様が口にされます。ワタシも、まったくその通りだと思います。「一億総白痴化」の元凶とTVを批判した方が居ました(確か大宅映一氏だったハズ)が、本当にそうなりつつあり、最近、あまりTVを見なくなりつつありますが、NHKの受信料は義務になろうとしています。BBCがフォークランド紛争の時に政府を批判した様な存在になってくれるのなら、それもイイと思いますが、今の政府よりの体質がもっと強化されるのでは困ります。

こういう大事な法案が国会に提出されそうだという情報は伝えて欲しいものです。何だか、「共謀罪」とセットになると、戦前の「治安維持法」の時代に逆戻りしそうで、とっても怖いです。  
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LDのチェックガイド

おはようございます。コメントが上手く書き込めないみたいなので、投稿も上手くいくかが心配ではあります(と書いても、投稿できなかったらそれまでですが‥‥)とりあえずトライしてみます。周囲にお子さんがいらっしゃる方は、問題がありそうだったら、信頼のおける専門家にご相談ください。アメリカ版ですので、少し日本とは違和感のある問題もありますが、原文に沿って掲載します。

就学前
仝斥佞鯱辰靴呂犬瓩觧期が他の子供より遅い
発音がおかしい
8贏辰増えない。正しい言葉が選べないことが多い。
た堯▲▲襯侫.戰奪函⇒貌などがなかなか覚えられない
イΔ泙韻を踏めない
θ鷯錣僕遒礎紊がなく、気が散りやすい。
同年代の友達とうまく遊べない
┿惻┐暴召辰燭蝓日常生活での基本的な動作を行うのが苦手
パズル、お絵かき、はさみを使う作業が嫌い(手先が不器用)

幼稚園〜小学四年生まで
(事をなかなか思い出せない
∋を読んだり書いたりするときに、たいていまちがえる。文字を逆にしてしまう。(bとd)、上下を逆にしてしまう(mとw)、順番を変えてしまう(feltとleft)、違う言葉を使ってしまう(houseとhome)など
J源と音声の関係を理解しにくい
た字の順番を入れ変えたり、算数の記号を混同する(+、−、×、÷、=など)
タ靴靴い海箸鮟得するのが遅く、記憶力に頼ろうとする
衝動的で、基本的な計画性がない
Щ惻┐暴召辰燭蝓日常生活での基本的な動作を行うのが苦手
┗筆の握り方が不安定
時間の観念を理解できない

あくまでも、周囲の子供達と比べてものスゴク違っていたら問題なのであって、意識しすぎて神経質になるのは逆効果です。日本語だと、小さい文字(ゃ、ゅ、ょ、っなど)の使い方が苦手というのもチェックしてみてください。

例え、問題が見つかっても、天から「この子を頼む」と託されたのだと思って愛情込めて育てることが一番有効です。絵本の読み聞かせとか‥‥間違っても、出来ない子供を責めないコトです。

アメリカでは、LD児は適切な教育を受ける権利が法的に認められています。こういうトコだけはゼヒとも見習って欲しいものです。  
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2007年01月25日

子供の教育は誰がするのか

教育問題の話をヨクしてますが、その中で一番オススメなのが、昔、買ったこの本。今でも、時々、思い出しては読み返しています。
0歳からの教育&4歳からの学習
子供の教育は、学校の先生に任せておけば大丈夫なんてコトはありません。親が、子供にとっては一番の教師なのですから。

道徳教育についても、次の様に書かれています。

言葉を覚えた子供には、博愛精神やマナーなどを教えることができるようになる。その際に大切なのは、「一緒に『ありがとう』と言おうね」と語りかけて、親が手本を示すことだ。親子で一緒に行動すれば、ただ命令する場合より大きな効果が期待できる。家族への帰属意識を育てる役にも立つ。
子供は二歳までに、一人でいても親の言いつけを意識するようになる。

間違っても、「しかるべきはしかり、悪いことは悪いと教え、身につけるべき基礎・基本をしっかりしつける」などという命令が大事とは書かれていません。親が子供を愛して、手本になる行動をするかどうかが問題なのです。

ペットは「しつける」べきかもしれませんが、子供は「愛を持って育む」という姿勢が大事なのですけど、教育再生会議の方々は「教え込む」という発想ばっかりがあるみたいですね。

しかも、いじめの背景に、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、アスペルガー症候群や、虐待による行動ではないかなどと注意するよりも、アメリカのようにLDと判定されたら、公費による特別な教育プログラムで教えられる環境整備の方がズゥーッと効果があると思うのですが、アメリカの見習うべき点は、あまり見習いたくないようで‥‥

LDを良く知らない人のタメに、症状と指導法なども書かれている素晴らしい本なので、教育に関心のある方は、ゼヒ一度読んでみてください。ちなみに、本が手に入りやすいかどうか判らないので、明日の朝はLDのチェックガイドを書き込みます。身近に子供が居たら、「早期発見、早期指導」が一番効果がありますので、ゼヒ、試してみてください。とりあえず、今晩はこれで。  
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人生の目的を何に置くのか

おはようございます。以前、昼寝をしている漁師に、「昼寝なんかしてないで、ドンドン魚を捕って売ればイイ」と言うビジネスマンが居た。漁師が「食べれないほど捕ってどうするのか?」と聞いたら、「売って儲けろ」と言う。「儲けてどうする?」と聞くと「大きな船が買える。人を雇ってもっと儲けられる」と答えた。「もっと儲けてどうするのか?」と尋ねると、「のんびり楽な暮らしが出来る」と言われて、「なら、もうしてるじゃないか」という話をしましたが、ビジネスマン的な社会に対して、EUがウナギの稚魚が大量に漁獲され、中国などの養殖施設を経て日本へ輸出されるのが問題だと、国際取引を規制する方向だそうだ。

「ゆとり教育」が問題だという考えは、似たような発想から出ている。我々の子供の時代の方が成績が良かったとすれば、「ゆとり教育」じゃなかったのが良かったワケではナイだろう。都会の子供はいざ知らず、田舎では子供は一家の貴重な労働力であり、イヤでも手伝いを親に強要され、働く中で世の中を生きぬく知恵を学び取って来たのだ。今は学校の宿題も多いし、ワタシの子供時代よりも勉強時間は格段に多いと思う。「勉強」さえすれば、「学力」が見に付くとは、限らない‥‥レジが普及して、暗算の必要性が薄れたりして、勉強が実生活に役立つ経験が減っているコトの方が、より問題で、「勉強」する「必要性」を実感する教育の方が余程、大事だろうと思う。

前書きが長くなってしまったが、上の様なビジネスマン的感覚だけだと、世の中は拝金主義的な考えに染まってしまう。そうした土壌になると必ずや生まれるのが詐欺。
クラッシュ・ゲーム
生保の問題を扱った「黒い家」も怖かったが、こちらは損保。主人の姉が、「求人誌とかに度々求人があるトコというのは、仕事がキツく待遇が悪いのか、人間関係とかに問題が多い事業所なのよ」と言ったコトがある。タマに世の中の動向を知ろうと読む時があるのだが、損害調査の仕事も時々載っている。不思議な気もしたが、この小説を読んで、下手すると命懸けの仕事なんだと理解した。

金が敵の世の中」ではあるけど、「欲を自制してゆとりを持って生きる」方が、断然「心も豊か」だし、「健康でもいられる」と思うのだが‥‥  
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2007年01月24日

こちらもかなり怖い

ここ数日の、何回かの日記を読んで頂いてから、このミステリーを読むと、日本は怖い国なんだなと思います。というか、明日の朝も、がらっと趣旨が違うのですが、凄いミステリーを紹介する予定です。連日、今まで一度も読んだコトのナイ人の本を、題名と表紙の感じだけで選んだのに、とても面白いミステリーに当たったというか、数冊同じ作家のを読んで気に入った方を書いているのですから、かなりミステリー漬けになってました。(過去形なのは、外交関係の話を今は読んでいるからです)ともかく、何となく変な社会体制に「ゴマメの歯軋り」しているだけでなく、こんなミステリーが書けたら、どんなにイイだろうと思いました。
フラッシュ・オーバー
著者は歯医者さんだそうです。天は何物も与えたのだと思います。こういう方、最近、とても多いというか、他に職業を持っている人の方が、社会に衝撃を与える小説を書くというか。

群馬県と新潟県の県境にある谷川トンネルが舞台です。

プルトニウムを運ぶ車両を狙うテロリスト。

群馬、新潟両県の県警高速隊。そして、消防署の署員と、高速道路の交通管制官。そして、警察の公安部。

そして、それを取材しようとする、人気番組のニュース・キャスターとカメラマンとディレクター。

全ての人間が入り乱れて、職務を真っ当しようとしながら、命を懸けたギリギリの戦いが繰り広げられます。

「ステアリン酸クロライド」という水と反応する物質を積んだタンクローリーが横転している所に、輸送隊が玉突き事故を起こします。

殉職する人々もいて、実にスリリングな展開です。

原子力は安全と言い切る国の施策への強烈なパンチ、「格差社会」に泣いた人々の悔しい思い。

ミステリーじゃなかったら、ゼヒとも色々書き込みたいトコです。このように仕事に誠実な人がいて、今の日本の秩序はそれなりに保たれているのですが、日本の上層部の人々に、これだけの仕事に対する倫理観があったら、もう少し日本はより良い国になっているだろうにと少し残念に思います。  
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新薬開発疑惑

おはようございます。巣鴨の薬局の経営者が逮捕された事件、そこに東洋大学法学部の教授が事実上経営する渋谷区のクリニックが不正な処方箋を出していたという話を聞くと、この小説って、全くの空想に過ぎないのか、それとも「もしかしたら‥‥」という怖ろしさが先に立ちます。
失跡
薬害訴訟が起こる日本の体質を鋭く描いたミステリーです。

出て来る金額に、「薬って、そんなに儲かるモノなのか‥‥」と改めて驚きました。

御金の臭いのするトコには、様々な疑惑が渦巻くものですね。とても興味深い本でした。ミステリーにつき、これ以上書けませんが。

ワタシの主治医だった方で、「苦しんでいる世界の子供を救いたい」と日本を脱出して、世界の劣悪な環境の子供達を助けているであろうドクターが、「新薬というものは、決して安全ではありません。ヨク効くというコトは、ものスゴイ副作用を秘めている可能性もあり、商品として売り出されて、より多くの人々に使われてから、本当の人体実験が始まるようなものですから、安心してはイケマセンよ。過去から、脈々と使われて来た薬の方が、副作用が少ないから生き残ってきたのですから、そちらから使う方が、確実に安全ですよ」とおっしゃった。

確かに、新薬の被験者になろうという人の多くは、ある程度自分の身体に自信をもっている人だろうから、数多くの一般人に投与されてからが、本物の真価が問われるのは当然だと思って聞いていたが‥‥新薬は、そちらを試してからの方がイイのだろう。

タダ、おそらく現実の事件の方は、法学部の教授は、矢面に立たされる可能性はあるのだろうかと思うと、かなり微妙だと思われる。「巨悪」はあまり詮索されないのが、今の日本だからだ。でも、世の中を良くするには、それじゃダメだと思うのだが‥‥  
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2007年01月23日

戦争の悲劇・原爆の恐怖

基本的に、プライバシーに係わるので、あまり整体で聞いた話はしないコトにしている。イヤなコトを吐き出した方が楽だろうと、集中して聞いているので精神的に疲労が蓄積するコトもあり、一日に何人も出来ないから、さほど儲かる商売ではないが、好きだからやってられるのだと思う。

ただ、本日の話は、どうしても伝えたい話なので、戦争に絞って話したいと思う。真実は、とても重いものだ。

長崎での戦争体験

広島ほどではなかったが、長崎も被爆地だ。長崎は、山もあり、谷間が多く、川が流れているので、広島ほどのダメージは無かったが、もう少し平地の真ん中に原爆が落ちていれば、もっと被害は増大したそうだ。

ヤケドして水を求めた被爆者は、川べりに集まった。そして、水を飲もうとして、爆弾の影響でふくらんだ身体を水面に近付けた。そして、膨れ上がった身体は、バランスを失い、川に落ちていったのだという。

通常、水死体は一度水面下に沈んでから、腐敗して浮き上がるのだが、爆弾で膨張した身体は水面に沈むコトなく、川に浮かんで流れていった。

まるで、イカダが流れる如く、沢山の人間の遺体が、川面を流れていくのを、どうするコトも出来ずタダ眺めていたとおっしゃった。

当時は旧制中学の四年生から志願出来たので、特攻隊に志願した友人は、たった十七歳で、還りえぬコトを承知で(燃料は片道分しか入ってないのだから、相手に激突出来なくても、海のもくずとなるしかナイ状況で飛び立つのだ)戦闘機に乗って、空に舞い上がっていった。

お別れに、故郷の上空で二・三回クルクルと旋回して帰らぬ人となった。友人の母親は、気丈にも旅立つ友人を飛行場まで見送りに行ったが、その後、話を聞かせてくださった方と顔を合わす度に涙を隠せなかった。(おそらく生きていれば、今頃はこうしていたのにと思ったのであろう。ワタシも小学時代の同級生が二十代に白血病で亡くなったと風の噂で聞いたが、その後その両親と顔を合わす時は、何となく後ろめたく感じたものだ。)

そんな思いから逃れたかったのかどうかは判らないが、今は長崎を離れて生活されてらっしゃる。日本が戦争をしてから、まだ六十年とちょっとしか時間は過ぎてないのだと改めて実感した。

そういう話は、「相手が理解し難いだろうと思うから、あまり話をしたくナイものだ」とおっしゃったので、貴重な体験談だから、ココに書き込んでおきたいと思った。  
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正しいジャーナリズムのあり方は

おはようございます。1998年の7月の自民党参院選大惨敗に対した政府の「メディア規制」の三つ法案が一番の原因だというのですが、著者がこうすれば良くなるというコトを書いているので、今はその逆なんだと思ってください。ココでは、週刊誌向きのトコを全メディア対応に少し変えて書いてあります。

一、市民の信頼を取り戻す----全てのメディアに言えることだが、「報道被害」を無くすこと。犯罪、事件報道で発生しがちな、誤報、実名報道、人権侵害、過剰取材なは慎重な対応が必要である。特に市民、私人、弱者のプライバシイ侵害を起こさないように徹底させること。もし万が一起こしてしまった場合には、姑息な手段を廃し、明確に謝罪すること。政治、企業と同様に、「倫理観」を持たなければならない。

二、納税者、消費者、すなわち読者の「怒り」「不安」「関心」を明確に代弁し、国政、省庁、地方自治、企業、団体、著名人を監視する----殊に中央政界の汚職、疑惑、腐敗については、訴訟などに怯むことなく、長時間を掛け、徹底的に取材し、真実を長期にわたって掲載、納税者の「怒り」を代弁して世論形成をすること。給与所得者、主婦、高齢者等の雇用や医療費、育児、教育、年金等への不安に対して正確な試算、分析、提案を提示し、併せて公権力、当該官庁の動向を監視する。

三、「儲け至上主義」にブレーキをかけ、「ジャーナリズム」の重要性を守る「志」を堅持する----企業である以上、「売上」を伸ばし「利益」を出さなければならないが、それを優先しすぎると「倫理」喪失の結果を招きやすい。権力とって「怖い」、企業にとって「公正」を追求すれば「売上」「利益」は必ずついてくる。

四、現場編集者、共に働くフリーライターの「批判精神」「ゲリラ精神」を蘇生させる----ココは他のマスメディアは追求し難いトコだと思いますが、ゲリラとなって「名誉」や「地位」よりも「報酬」を求めて、反骨精神のある人を探したり、「潜在的ゲリラ性」を目覚めさせること。

五、高校、大学、大学院で若者の意識改革を図る----「ジャーナリスト」への「なり方」ではなく、「ジャーナリズム」の重要性と、「ジャーナリスト」の視線を、本物のジャーナリストに教育させること

だそうです。「ちゃんと取材するのは面倒」という人が増えていて、激務が続くと退社する人々が増えているらしく、今のマスコミの衰退は、取材する人の資質に問題がありそうです。「学業優秀よりも、学生時代に何をやっていたか、「行動力」「人間性」「忍耐力」「個性」「資質」を見抜く採用が大事だ」と言われると、「問題の根は深いな」と思ってしまいますね。  
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2007年01月22日

何がマスコミを凋落させたのか

過剰生産された納豆の、今後が心配ではありますが、健康効果はあるので、ソコだけは忘れずにいて欲しいと思います。というコトで、アワテテ読んだのが借りてあったこの本。書きたい本が山積みなのに、そちらを差し置いてです。
何が週刊誌を凋落させたのか!?―体験的出版ジャーナリズム論
無論、今回のタイトルは、そのパクリです。

他人の意見を引用している時は、引用してますよと必ず言うコト、まして、他人の発言を勝手に捏造するなんて、最低だと思うんですけどね。

いまや日本は、高級官僚、国会議員だけでなく、末端の公務員や市町村の小役人までもが、国税を食い潰す輩と化しているとしか言いようがない。この時代は「就職に困ったら公務員になれ」というのが、庶民、一般市民の合言葉になっているという。これではいずれ日本は崩壊するだろうし、あの荒廃した北朝鮮を笑うことはできない。

凶悪犯罪が激増しているにも拘わらず検挙できない現状。少年犯罪は少年の精神障害と比例して増加しているという実態。親による幼児、少年少女虐待の増加や、子供への対応機能が低下したままの学校、児童相談所等の怠慢。ニートやフリーターの増加。企業経営にしても、リストラという舌触りの良い言葉で労働者を大量解雇し、給料を下げ、決算数字の帳尻あわせをする大企業。その状況と密接にからんだ外国人による日本投資に支えられている株価。一方で、三百十八万人という完全失業者や、サラリーマンホームレスの急増、中高年自殺者の増大。これで何が日本景気の回復なのか。

こうした状況に何ら有効な手を打てず、消費税アップや、所得税減税、高齢者の医療費増額などによって国民に税負担を強いる。あわよくば高齢者のなけなしの貯蓄まで引き剥がそうと術策を講じる政治が、何ゆえに「国家の構造改革」なのか。これでは改革でなく改悪である。国家や大企業や、一部富裕層のみの利益を考え、一般市民、消費者、高齢者等、弱者のみに「痛みに耐える」ことを強要する、配慮なき政治は悪政でしかない。


という、真に非の打ち所のナイ前書きから始まります。さて、詳細は明日。  
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免疫を高めて、がんや貧血予防を

おはようございます。昨夜の予告通り、連続しての「食べ物が作る健康」です。出典は、同じ「やさい図鑑」からです。

「シュンギク」は周年栽培されてますが、鍋物がおいしく感じる冬場こそ、最大の出番。

独特の香りは、ペリルアルデヒドなど複数の香り成分による。自律神経に働きかけて胃の働きを活発にし、食欲増進の効果があるという。

βカロテンは、ホウレンソウや小松菜を上回る。免疫機能を高めるので、がんの予防にも期待できる。

鉄やカルシウムも多いため、貧血予防にも効果が期待
できる。

カリウムやビタミンC、ビタミンB2、食物繊維も含まれ、生活習慣病の予防効果も期待される。

鮮やかな緑と香りが料理を引き立たせる上、栄養も多いなんて、ウレシイ食材。

日本ではシュンギクの花を見ない人がホトンドだろうが、とても美しいため欧州では観賞用になっているとか。ちょっと驚きですね。

地中海が原産で、欧州は観賞用だけど、アジアでは改良されて野菜になり、中国、インド、東南アジア、日本など、多くの国で食べられている。

各地から日本に来たらしく、別名が、ローマギク、ルソンギク、リュウキュウギク、サツマギク、コウライギクと呼ばれている。

そんなにグーローバルな野菜だったなんて、ビックリです。

シュンギクも長野で見るのは、中葉種で、大きく育てた茎葉を摘み取って収穫するのが主流で、茎が太く長いですが、関西では株ごと抜き取る栽培が主流で、茎が短く、葉が柔らかいものが人気。葉が丸く、切れ込みが少ない大葉種もあり、中葉種よりも香りやあくが少なく、柔らかいものもあるそうです。知ってるつもりでも、知らないことって色々ありますね。  
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2007年01月21日

冬こそチンゲンサイ

さて、久々の「食べ物が作る健康」です。納豆はダイエットには不向きだと、前回の「疲れた胃を癒そう」にも書きましたが、健康にはとってもイイので、「納豆」には罪がありませんから、ゼヒとも夜に一パック食べてみてください。

本日も「日本農業新聞」のアンドユーの「やさい図鑑」から。中国野菜で一番有名な「チンゲンサイ」です。

冬の時期に不足しがちなミネラルを豊富に含む野菜で、βカロテンやビタミンCもバランス良く含む。これらの栄養素を取ることで生活習慣病の予防が期待できる。

くせがないので食べやすく、どんな料理にも合う。旬を迎えた冬場、たくさん食べて健康維持を図ろう。

「小松菜」ほどではないものの、カルシウムやカリウムのミネラル分を多く含む。骨を丈夫にしたりストレスの解消、貧血予防、血圧を正常に保つなどの働きをする。

βカロテンは皮膚や粘膜を健康に保ち、老化を防いだりする。

ビタミンCは肌に張りをもたせたり、βカロテンと一緒に活性酸素の害を防いだりする。いずれも現代人の健康にはなくてはならない栄養素
だ。

βカロテンは油と一緒に取ると体内への吸収が高まり、しかも熱に強い。さっぱりした食味で、どんな料理にも合うが、いため物として食べるのが最適だという。いためて食べることを前提に開発されたため、水気が少なくなってるそうです。品種改良の成果ですね。

ともあれ原産地はなんとトルコ。こちらもシルクロードを通って、到来した様ですね。

明日の朝は「春菊」、少し飛ばしていたので、マトメテ書かせて頂きます。  
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親子の癒着を断ちきろう

おはようございます。「パラサイト・シングル」という言葉を最初につかいはじめた山田教授は、「日本の親子の癒着は、宗教に起因している」と見ているそうです。「各個人の共通の精神基盤になるような強い宗教がそもそもない」ゆえに、自立しにくい。

「キリスト教やイスラム教の国には『利他』の精神があります。成功者や金持ちが、寄付などをして弱者を助け、自らもステータスを上げるという伝統があるのです。しかし宗教がない日本では誰も助けてくれないのです。貧乏な人が他人を助けられますか。戦前なら、お互いに貧しい中で行き抜くための助け合いはあったでしょうが、戦後からしばらくして、豊かになってしまった今、だれも自分を犠牲にしてまで、他人やその家族を助けようとなどしません。余裕のある金持ちも関わろうとはしない。このままでは、日本のコミュニティーの将来は悲観的なものにならざるをえないといえます。」

これが大競争時代の成れの果てだと言うのだ。

欧米には、フランス語を起源とする「ノーブレスオブリージュ」という言葉がある。貴族やエリートは、弱者を支えて社会を維持する責任があるとの考え方だ。イスラム教でも、自分たちの所有物を差し出して貧者を救う「喜捨」は宗教上の義務とされている。

だが日本では、金持ちを含めて、もともと利他の基盤がないため、例え競争に敗れ困っている他人がいたとしても、同情する程度で手をさしのべることはない。


と昨夜の本の著者は述べてますが、ワタシに言わせれば、こちらは現在の日本の「モラル無き社会」の最大の原因であって、「結婚難」の一番の問題は、「子供の人生を仕切りたがる親」の存在だと思います。

縁談を聞いて、「実家から離れ過ぎている」という理由で反対する女性の母親のなんと多いことか。二人で意気投合しても、男の決断は楽でも、女は遠方なら「職場を捨てる覚悟」さえ必要になるのだから、逡巡するのが当然なのに、「そんなに返事が遅いなんて、息子に何の不満があるの。こっちから、願いさげよ」という威勢のイイ親とか‥‥

『何時まで、成人した子供の人生を支配し続けたいの?』と思ってしまいます。そして、心優しい子供は、成人しているのに、親に「No!」が言えない。

親は独身の子供が側に居てくれれば、自分の老後は安心でしょう。でも、ライオンみたいに「我が子が可愛ければ、カワイイほど、千尋の谷(ココでは結婚ですが)へ突き落とさなければ」本当の愛情ではないと思います。

自らが望んで「非婚」ならば全然構いませんが、意識してるかどうかはともかく、誰かの犠牲となっての「非婚」は、社会にとっても損失だし、本人にとっても損失だとワタシは思います。  
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2007年01月20日

「結婚難民」の増大を考える

何はともあれ、日本の少子化問題の一番の原因は、非婚者の増加だと思います。何度か、それについて書き込みしてますが、頼まれると「つい引き受けて」がっくりするコトも多かったからです。
なぜ結婚できないのか 非婚・晩婚時代の家族論
以前、TVで「親の見合い」が流行っているというニュースを見た時、『ついにココまで来たのか』と思いましたが、その辺を詳しくリサーチしている本なので、読んでみました。

とにかく、本人が気に入って、親が気に入る人というのは、とても難しいので、とりあえず会うというコトも、とても大変になっているのですから、こういう方法もあるとは思いますが、それにしても「結婚」まで、親にお膳立てして貰わないとダメとなると、先々思いやられるというのが正直な感想です。

街を歩くと、タマに年老いたお祖母ちゃんが子供を抱いていて、身軽な娘という組み合わせを見るコトがあります。結婚して、子供を産んでも、子供は子供ではありますが。買い物をしてもお支払いは豊かなお祖父ちゃんお祖母ちゃんだったりして、無論、あの世まで御金を持ってはいけないのですから、それはそれで構わないとは思います。でも、とりあえず結婚したからには、別世帯になったワケで、完璧に依存するのは如何なものかと思います。

親の「いい子」を演じてきた子供は、結婚相手すら自分では決められないのでは、何をかいわんやだと思うのですが‥‥

親の敷いたレール以外の人生を考えられないというコトでは、親が死んだらどうなるんでしょうか?

今朝のフランスのように優遇税制を採らないのは、国の財政が悪化し、増税が叫ばれている状況下だということもあるが、若者層への政策は、高齢者向けの福祉政策に比べて集票効果が薄いというコトも挙げられています。

しかし、2035年の五十歳女性の未婚率は18%に、五十歳男性の30%になるという予想をある現在、本当にそれで日本の社会は持つのでしょうか?

それから十五年して、独り暮らしの老人を誰が支えてあげられるのでしょうか?


とても心配なので、明日ももう少しこの話題について。  
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フランスの出生率増加を見習おう

おはようございます。日本では、教育再生会議という名ばかりスゴイ会議が、「本当にそれで良くなると思っているの?」みたいな提言をしたり、果てはコメントを求められて、おそらく体罰を容認するコトに対してだと思いますが、「今は殴られても何もできない‥‥」みたいなコトを述べている人もいましたが、正当防衛は法律に認められた自衛の手段であり、『そんなコト言う人の意見で大丈夫かな?』という思いもあります。「聖教新聞」の御正月のトップを飾った人とかの人選に「???」だったりもするワケですが。

「教室の外」に立たせると言ったって、素直に聞くなら問題はナイでしょうし、体格の良い男子に立ち向かえる様に、武道を習った先生ばかりを教師にするコトも出来ないでしょうし、大体、殴られて何もできないというコトは、生徒が恐ろしいから何も出来ないのであって、ガードマンでも配置してというアメリカの真似でもするつもりなんでしょうか? 暴力の連鎖で学校での発砲事件がタマにある国の真似をしたがる気持ちが、ワタシにはさっぱり理解出来ません。

「今、そこにある危機」をどうするべきかという点に絞って考えるのがまず最初ですから、「いじめている子供へのカウンセリングの義務付け」という方が有効的だと思います。

日本の政策は、少子化問題を初めとして、「問題だ、問題だ」というばかりで、ホトンド成果を上げてないのが実情です。

フランスは育児に対する税制上の優遇処置や託児所の設置など、積極的な少子化対策で合計特殊出生率が2を超え、欧州最高になる見通しだそうです。

そういうモデルをこそ取り入れるべきなのに、出産一時金の方に力を入れたりと、日本政府の対応は何だか変です。太陽は、継続的にふりそそぐコトが一番で、ちょっと顔を出しただけでは無理なのです。この話は「結婚難」の話と絡めて後でしっかりする予定ですが。

ともあれ、模範とすべき国は、北欧とかにもあるのですから、会議費の無駄になる様な話をするよりも、成功している国のモデルを真似る方がズッと効果的だと思います。独自性などにこだわったりするよりも、良いモデルを真似るコトを躊躇すべきではナイし、子供たちにこそ、独自性にこだわらせて欲しいのに、そちらは逆というのでは本末転倒な話ではないかと思います。  
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2007年01月19日

宗教とは何なのか

宗教が人を安らかな心に導く手段であるとするなら、妄想や観念によってその心に導かれるのか、存在のリアリティを直視することによって妄想や観念を脱ぎ捨て、そのことによって安らかな心を体得するのかという二つの道すじがあるように思う。

後者の方法によってひとにぎりの安心を得た私は、そういう意味では「宗教」というシステムにとらわれることなく、知らず知らずのうちに宗教体験を重ねてきたのかもしれない。


と述べている著者だから、空中浮遊するという人々を訪ね歩き、そのイカサマを次々と暴いてみせる。しかし、冷静に考えてみれば、空中浮遊と悟りには、直接的関係はナイのに、我々は奇跡的なコトを見せられると、その神がかり的な所作に、神の再来を重ね合わせたがるものなのだと思う。

神や仏を求める心こそが、宗教を創り出すのであって、神や仏が本当に存在するのかどうか、それはおそらく誰にも本当のコトは判らないだろう。ともあれ、神仏を求める人々が、それを得たコトで心の平安を手にするならば、誰もそれを阻止するべきではないし、阻止しきれるものでもないであろう。

しかし、それが結束して外部に向かう時、社会にとって害となるし、多くの宗教が多神教でないのだから、宗教戦争が起こるコトは、やむを得ないコトなのだと思う。

宗教戦争を止めさせるには、宗教内で結束を深め過ぎないコトに限るのだが、バラバラになった現代の孤独な魂は、結束を求めやすい。

ココに、現代の宗教の皮肉があるのだとワタシは思う。

日本もアミニズムの典型である「八百万の神」を信じていた時代から、現代は一神教にと変容しつつあり、そうしたギャップを如何に軽やかに受け入れるのか、受け入れないのか、どうなのかという本当に個人的な覚悟とか、想いをある程度まとめていなければ、宗教という荒海に巻き込まれる人は、もっと多くなるでしょう。

明治維新以降、国家神道を心の支柱として、その結果、戦争での大敗北を喫した日本が、それゆえに宗教を無視しても、カルト集団に捕まる可能性が高いのであり、信じる信じないはともかくとして、ある程度の宗教書に馴染み、宗教に対する個人的見解をある程度持たないコトには、勧誘によって、さほど考えるコトなく、入信する危険性があるのだろうと思います。

宗教に対する心構えみたいなモノを教えてくれる良書であると述べるに相応しい本であり、宗教に関心がある人も無い人も、一読しておくべき本だと思いました。  
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オウム真理教の生まれる土壌

おはようございます。オウム真理教の出現について、表面的に発言する人は多くとも、出家しようとする人の心に寄り添おうとした人は、そんなにいません。

今回の本の中に出て来る、東大卒の青年との話こそ、オウム真理教に入信したがる青年の気持ちを我々が理解出来る手掛かりになるかと思います。

サティアン(真実)という名の神殿の、何とあの寒々とした水俣や富士の化学工場と似ていることか……。

親たちは戦後、ひたすらな狎源差場甍奮阿里覆砲人間的な美しい家族や人間の関係というものを子供たちに教えてこなかったのである。‥‥親はそして国家は彼らのサティアンであるところの配管だらけの工場群で富士や水俣の美しい風景を破壊し、硫化水素や水銀などの化学物質を垂れ流して、地下鉄サリンで死んだ人々の優に百倍もの善良な市民を殺してきたではないか。


と冷静な目で、オウム真理教の教祖が捕まった施設を眺めている著者に対して、「小学生のころからまるでサラリーマンが使うようなシステム手帳を持たされ、三十分単位でスケジュールがびっしり立て込んでいる毎日を過ごし、勉強の有能なマシーンみたいになることが自分だという風に錯覚したまま成人になり、スイッチを消したパソコンのモニターに映っているゴーストみたいな自分の顔を見つめているときのような不安が襲ってくる。自分が何者で何処にいるのかがさっぱりわからない。」東大卒の青年は、トランキライザーを飲むかわりにふたたびシステム手帳をにぎりしめ、休みの日もびっしりスケジュールで埋め尽くすことでしか、不安を解消できずに、どこにもない自分の顔を捜そうと必死になって、コンタクトを取った。

東大卒の若者に「著者の青春時代」を語りかけるという設定で続く話の中で、世に溢れる宗教のいかに、金銭と無関係ではいられないものなのかとか、宗教家といえども欲望から離脱出来ないものなのかという実例が語られ、逆に死体を火葬して河に流すインドの風習の中に、人間の根源的な生と死の実感が語られます。

教師や生徒を再び管理教育すればイイのだと単純に物事を考えている、教育再生会議の多くの方々に、こういう「エリートの空虚」さを埋めるコトの出来る教育という、本来の教育に対する発想があるのかナイのか、「エリート」と呼ばれた人間に「熱い血の通った人間」という一番大事なものを忘れさせてしまったから、今の「日本」があり、「荒廃した地方や人間関係」という問題があり、それゆえの「ゆとり教育」だったのに、「数値」でしか人間を測れないこの国の、現在に対する、あきらかな問題提起となる本だと思ってます。

されど、さしたる宣伝がなされないコトの不気味さ、もう少しだけ、この本について、晩に。  
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2007年01月18日

「宗教」を冷静に考えよう

宗教について過去にも色々と書いてますが、中でも今朝も告知した様に素晴らしい本です。
黄泉の犬
この本をタブー視しているのか、マスコミでホトンド取り上げないのが不思議なくらいです。オウム真理教の教祖が水俣病の申請をしたけれども不受理だったコトを書いたのがイケナイのか、それとも世間にはびこる新興宗教熱を冷ましたくないからなのか‥‥現代の病理を鋭くえぐり出しているというのに‥‥

ともあれ、教育基本法を改正し、ゆとり教育を脱したい政府の方々には、東大を出て、立派な就職口も捨てて、インドへ行きたがる若者の存在などというのは、目障りに違いないと思いますが。

何故、オウム真理教があんなにエリートと呼ばれた人々を引き付けたのかというコトを、しっかり振り返らないと、第二、第三のオウム真理教が出現しないとも限りません。

ちなみに神経内科医として患者を診るよりもと、新興宗教に入信して布教している友人夫婦もおりますし、他人事ではありませんが、ワタシを勧誘するワケでもないので、信仰の自由は憲法でも確保されているのですから、ワタシが口を挟む筋合いでもナイので、その件については、違う友人経由で聞いたので、直接、どうこう言ったコトはありませんが‥‥

阪神大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件から、もう十二年が過ぎました。この本の中では、映画みたいに見えたという既出の東大卒の青年が登場しますが、乳幼児二人と共に目覚めて、何時かと思ってTVのスイッチを入れたら、ひしゃげた阪神高速が映し出されていた衝撃は今でも覚えています。

神戸には、友人がいるのですが、電話は大阪にいる友人にすら掛からず、数日後にその友人の滋賀の実家電話して無事を確かめ、一週間後にやっと実家も共に神戸の友人の家に公衆電話から通じた(災害時は公衆電話が優先的に掛かります)時は、どんなに安堵したコトか‥‥一昨年、久し振りに神戸の地で友人と再会したら、それなりに神戸は復興してましたが、建築物はともかく、心の傷は簡単には癒されないだろうと思いました。何だか、話はそれてしまいましたが、明日から、じっくり本について書いてみたいと思います。  
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精神病院の苦悩

おはようございます。本当は、麻原彰晃のオウム真理教を契機に宗教に対する素晴らしい良書でありながら、ホトンド世間に宣伝されていない、「黄泉の犬」の話をしようと思っていたのですが、三歳の子供を歩道橋から投げ落とした男の事件があったので、そちらは晩からにします。

精神医学の本のカテゴリーに入ってますが、小説です。最初の出だしが、どう本文につながるのか理解し難いトコがあるほど、正直、小説としては荒削りという部分もあったりするのですが、事実に裏付けされているので、なるほどと思うコトが沢山ありました。
閉鎖病棟
一番の話の核心になっているのは、犯罪性向があって、でも精神病の関連があるとなると、警察も及び腰で、処罰されない人間が存在しているコト。

小説ですので、これから読む人のタメに、あまり詳しく書けないのですが、誰も暴走を止められないとなると、どうすればみたいな話です。

同室の人に暴行したり、それを反省させようとしてそれなりの部屋に入れたら火をつけたり、それから‥‥とエスカレートしていく人がいます。

前に、「犯罪者の中には矯正が不可能な人もいる」という話がありましたが、そういう人と精神病がリンクしてしまうと、本当に大変です。

ちなみに、何度か書いてはいますが、別にこのブログで紹介した本を買って頂いたとしても、ワタシには一銭もなりませんが、紹介したい本を書いた人にはそれなりの報酬が支払われるべきだと考えていますので、余程、「これは‥‥」と思った本以外は、皆さんに読んで頂きたくなる様に心掛けて書いています。誰でもネタばれした小説を読むのは、あまり面白くありませんから。

ワタシは、「何でも厳罰にしろ!!」と言っているワケではありませんが、「矯正が不可能に近く、さりとてどうするべきという明確な基準がナイ人が存在しているコト」を知り、「どうすればそういう人々を社会に復帰させられるのか」もしくは、「復帰させにくい存在だと判っている場合にどうすべきか」というコトをちゃんと考えないと、今みたいに、事件のあった時だけ、ワワッと騒いで、それっきりみたいな感じだと、何の罪もナイのに、ただタマタマ運が悪かっただけで、傷付けられたり、殺されたりといった事件は、延々と続くばかりです。

問題があると認識はしているけど、そのまま放置というコトが日本には頻繁にあり、そのシワ寄せは社会的弱者に、マスコミは問題が起きた時だけ大騒ぎ、で時間の経過と共に、そのまんまという状態が継続していては、なんとなく社会を覆っている社会不安は解消されぬままです。

そういう土壌が、新興宗教などの下地になっているのではないかとも思うので、晩の本の話の前に割り込んで書いてみました。  
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2007年01月17日

気づいて前に進もう

この本も最終回です。長々と書いているうちに、読み終わった本が何冊にもなりました。書きたい本が、目白押しです。

ともかく、逆境は目覚めるチャンスで、難しい問題、トラブルが起こったら、それは何かの意味があって起こったのだろう、自分の中の「目指すべき道」を見つけるためにあらわれてきたのだと考え、目的を探すと道は開けるということです。

「なぜ、こんな目に遭ったのか」「どうしてこんなことになるのか」と、原因を過去に求め、追求していくのは原因論。

「これは、何のために起きたのか」「何を教えようとしているのか」「何を学ぶことなのか」と未来への探求をすすめるのが目的論です。

原因論に立つと、誰かのせいにしたり、自分を責めかねません。

しかし、与えられた環境はすべて、どんな環境であれ、大切な環境に気づくための環境だと思うこと。過去を振り返るにしても、「希望にあふれた未来のため」にととらえると、辛く苦しい経験だけでなく、かけがえのない体験になります。

いじめられた、暴力をふるわれた、両親が離婚した、そうした心の痛み、傷、苦痛を受けた、重荷を背負っている。その原因探しも時には必要かもしれません。

でも、それにこだわり続けると、いつまでも被害者意識から抜け出せないだけでなく、その出来事を思い出すたびに傷みを伴います。

自分が今、立っている位置を認識し、目的をはっきりさせ、「何をしたいか、何になりたいか」ではなく、「どうありたいか、どう生きたいか、何をつくり出したいか」という視点で自分を見つめ、自分の中の本当の自分を生かして、人生を楽しんで欲しい。自分を信じる自分を信じて、どんなに辛い過去があったとしても、新しく人生のページをめくり、全く違う人生を始めることは可能です

あなたの人生が実り多いものになることを著者もそうでしょうし、ワタシも願っています。

人生は何度でもやり直せるのですから。  
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幸せをつかむ三つのパターン

おはようございます。通常、幸せになる三つのパターンがあると著者は言います。

〕澆靴い發里鮗蠅貌れて幸せになる
「欲しいものを手に入れさえすれば、あんなことも、こんなこともできる。そうしたら幸せになれるのになぁ」という生き方です。

新しい携帯、ブランド物の新しいバッグ、お金や財産、地位、名誉、結婚、食べ物、就職、レジャーなど具体的なものです。

ただ、この幸せは、手に入れた瞬間は満たされるのに、しばらくすると感動がなくなってしまう。あれさえ手に入れば幸せがつかめると思っていたのに、一瞬の満足だけで、また違うものが欲しいなる。「どれだけ手に入れたら、本当の満足や幸せが訪れるのか?」という疑問が残りやすいかと思います。

行動することで幸せになる
「幸せになりたいのだったら、まず行動」という生き方です。一生懸命がんばる、努力する、そうすれば、かならず結果がついてくる。「がんばれ、がんばれ、がんばって行動していれば、かならず幸せになれる」という日本人の典型的な生き方の一つといえるでしょう。

がんばっていろいろなものを手に入れられるかもしれません。欲しかった車、家、立場‥‥でも、今の自分に満足していますか。がんばって生きてきて、欲しかった満足、欲しかった自信、欲しかった幸せがあなたの中にあふれているでしょうか。

目的がなくなったとたんに、生きる屍のようになってしまう人もいるほどです。「いつまでがんばれば、本当の幸せや安らぎが手に入るのか?」ということを感じる人も多いでしょう。

なりたい自分になって、その生き方を幸せと感じる
まずなりたい自分になる。そして行動して、その生き方を幸せと感じる。「自分を輝かせて、自分の人生を生きる。それが幸せを作り出し、充実感や満足感があふれ出す」というのです。

自分のしたいことをし、大きな理想に向かって生きる。そのプロセスそのものの中に彼らの幸せがあり、自分のやっていることに誇りを持っていたらどうでしょう。

「好きなことをする、やりたいことをやってみる。自分が輝く。自分で自分を承認し、自分のしていることに誇りを持つ」という生き方です。

この三つの幸せのパターンを選ぶのは、アナタ自身です。どの生き方にも「良い悪い」はありません。満足さえしていれば、それでイイのです。ただ、生き方によって、人生にもたらされるものが違うだけです。  
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2007年01月16日

人生は肯定的がイチバン!!

人間は不思議なもので、ダメだダメだと思っていると、本当にダメなコトが多いのですが、自分に肯定的になると、人生も上向きになると著者は述べてます。

それに必要なのは、アファーメーション。自分に対する肯定的・積極的宣言、自分に対する新しい約束、本当の自分を認める力、言葉といった意味だそうです。

アファーメーションには、潜在意識に働きかける大きな力があるそうです。どうしても、人生を否定的に考えてしまう場合は、この方法で、人生を肯定的に思えるように、「新しい自分」になるよう試してみてください。

「ダメだ」という言葉を、「大丈夫、できる」という言葉に書き換えてみてください。

例えば、「もう病気には勝てない」と思ったら、「大丈夫。きっと良くなる」という様に、「御金がない」というのなら、「御金がナクても大丈夫」とか、「ダメ」という状況を覆すには「絶対にできると信じる力が必要」と考えた男性は、「私は『世界信じる大会』の初代チャンピオンだ!」という言葉を見つけたそうです。そんな感じで思いついた言葉を見つけたら、毎日、繰り返して宣言するそうです。まず、言葉の選び方から、

〔ね莊舛任呂覆、現在進行形で表現する
『タバコをやめたい』と思ったら、「私はタバコをやめている」という形にします。未来形は願望になるので、現在の潜在意識を変えられません。今、すでに変わっていることを宣言することが大事です。
肯定的に表現する
「朝寝坊しない」ではなく、「六時に元気よく起きている」というような形がイイそうです。
C擦て簡単
ぜ分自身にぴったり合った言葉を選ぶ
長続きするには、自分で納得し、確信が強まる表現が大事です。

アファーメーションの方法は、

^貽一〇〇回以上声に出して自分の耳に聞かせる
自我が邪魔しない時間帯は、寝る直前だそうです。水をかぶって頭を真っ白にして、無意識の世界を作るのも効果的だそうです。
一日一〇回以上、ノートに書く
手で書いて念押しします。ノートの左側にアファーメーションを一〇回以上、右ページには描きながら出て来る否定的信念を書くと、自分の持っている否定的信念に気づきます。無論、その否定的信念を無くすタメに、左側をしっかり書くことが大事です。
最低、二一日間続ける
じ泪所以上、目につくとこに張る
自覚を促す意味があります。

脳の中に神経細胞であるニューロンから新しいシナプスが伸びて、新しい回路ができあがっていくことは大脳生理学的にも証明されているそうです。古い思考パターンが休息し、新しい思考が生まれてくるそうです。ゼヒ、お試しあれ。では、マタ明日。おやすみなさい。  
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誰でも仮面をつけている

おはようございます。夫婦間の殺人事件、未遂事件が話題になってますが、愛情がすでに失われているのに、世間体などを考えて幸せを演じている夫婦を「仮面夫婦」と呼びます。

三島由紀夫の小説にも「仮面の告白」があります。しかし、仮面(ペルソナ)は、社会に適応するために必要でもあると心理学の本の著者は書いてます。

職場で、家庭で、近所で、友人と、恋人となどと、社会の中で生きぬく上で、時と場合に応じて使いわけている人もいると思います。

ただ、問題は、あまりにたくさんの仮面の中で、本当の自分が誰なのかわからなくなってしまうことがあります。

「仮面はあくまでも仮面にすぎず、自分自身ではない」ということに、まず気づかないと、「自分が何者なのか判らずに困った」り、「本当の姿を見破られたらどうしようとビクビクする羽目」になったりします。

人間は傷つきやすく、もろい面をもっているので、そうした自分を守るためにつけたり、他の人への配慮、社会に適応し、まわりと協調していくためにつけているのです。

愛されたい、認められたい、ほめられたい、嫌われたくない、いい子でいたいといった気持ちからつける場合もあるでしょう。

ともあれ、仮面を自由にとりはずせるようにしておかないと、いざ、自分に向き合おうとしても、「本当の自分」や、何をしたくて、何をめざしていてということが判らなくなってしまっては、本末転倒です。

自分が自分でなくなると、極端な場合は多重人格とかになりかねませんし、自分の行動に違和感があったり、生きている意味が判らなくなったりします。

まわりから承認されることも大事ですが、まず自分で自分を承認することです。この二種類の承認によって、心が満たされ、安定し、自信がみなぎるのです。

まわりからの承認を求めて、まわりにいい顔ばかりをしていると疲れきってしまいます。

他人にはイイ思いをさせているつもりでも、自分がヘトヘトでは、ちっとも本物の自信につながりません。

自分で自分を認めさえすれば、そんなに他人の思惑は関係なくなります。


仮面は他人と付き合うにはそれなりに必要、でも外そうと思った時には、サッと外せるようにしておくべきものなのだそうです。  
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2007年01月15日

人生は「運命」か「選択」か

ちなみに、ワタシは人生は「運命」と「選択」が、混ざり合っているのだと思います。だから、時には「運命」だったのだと諦め、時には「選択」ミスだったのだと諦めることにしています。

「人生は諦めが肝心」だと思っていますので。完全なる「選択」が出来たら、それは神の領域になりますし、全て「運命」だと思っていたら、生きている意味や考える意味がナイと言っている様なものなので。

著者に言わせれば、運命の要素が強いと思えば思うほど、自分の欲しい結果を、自分でつくり出す可能性はどんどん狭まるそうです。

人生は選択であるという立場に立てば、何でも手に入るということはないけれど、欲しいものを手に入れる可能性は広がるというのです。

どちらの立場がいいか、悪いかではなく、自分の生きて来た立場を見直して、本当に満足のいく立場を見つけるのが良いということです。

そして、選択とは「よりまし(なもの)」を選ぶことなので、人生は選択だと思いつつ、人生がうまくいかないと悩んでいる人は、選択する基準が役にたってないのですから、その基準の見直しが必要になるそうです。

そして、イヤなことがあっても、自分は「被害者」という意識を捨てて、「まわり」に振り回される人生を捨てなければなりません。

被害者になって、同情してもらったり、励ましや見返りがもらえたり、責任をとらずにすんだり、注目されたとしても、不快感、怒り、悲しみがつきまといます。

「自分が源」だと考えて、自分の人生の責任は「こうなったのは、あの時にあの選択をした(しなかった)自分がいて、その結果があるのだ」と思えば、誰も悪くないし、何も悪くないと思えるはずです。失敗したとしても、その経験を未来に活かすコトで、次の「選択」は違ってきます。

責任を他者になすりつけていると、似たような失敗を繰り返しやすくなります。何度も失敗したいのなら、それも仕方ありませんが、失敗を活かせるかどうかが、人生の最期も笑えるかどうかを左右するといっても、過言ではないでしょう。

あなたの人生の主役は「あなたしか居ない」のです。主人公は常に自分なのだということを、心に刻んでおいてください。  
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力まないで楽しむ

おはようございます。休み明けで仕事が詰まっているので、本文のみ。

「努力」という言葉を好む人に、ペンを床に落とし、「努力して拾ってみてくれますか」と著者が問いかけると、だいたいキョトンとした顔になり、おもむろにそのペンを拾おうとします。

そこで、すかさず、「いえいえ、努力して拾うんですよ。努力です」と、追いうちをかけると、たいてい混乱して、身動きがとれなくなるそうです。

ペンを拾うことに、わざわざ努力やがんばらなくとも「拾う」ことはできるのに、「幸せ」になることは、努力やがんばりが必要だと思うのはなぜなのか?

やはり親からの影響
だというのです。

「やり遂げた」人に「本当に苦労しましたね」とねぎらうと、涙があふれ出す人もいます。苦労が報われたのですから、感激があって当然です。

でも、努力とがんばることと幸せはセットでしょうか?

ハイハイしていた赤ん坊が、初めて立ち上がった時に、「努力」した、「がんばった」と思うのでしょうか?

単に夢中になり、無心で取り組んでいたら出来たというのではないでしょうか。

「努力」や「がんばる」ことに意味がないということではなく、自己評価して「がんばりがまだ足りない」、「努力がまだ足りない」といって、目的が、やり遂げることよりも「がんばること」や「努力すること」に置き換えられてしまうのが、自分を好きになれない原因になると言いたいそうです。

その時、その時を楽しんで生きることが、幸せにつながるのであって、誰かが幸せを持ってきてくれるわけではないのです。  
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2007年01月14日

がんばればシアワセになれる?

さて、本に戻ります。別にこの著者がどうとかと思って今朝の日記を書いたワケではありません。前から、そろそろ書こうと思っていたトコに、「違う本」を読んで、やはり書いておかねばと思ったから書いたので、その辺の話は「違う本」の話のトコで、しっかり書き込みます。

努力すれば必ず報われたり、幸せになれると思いますか?

シンデレラはつらい環境の中で不平ひとつ言わず、がんばってきた。だからこそ幸せをつかんだ、最後に幸せをつかむためには、苦労を苦労と思わず、苦労があるから幸せは倍になってくるはずだ、というようなコトを思っている人もいるようですが、果たしてそうなるでしょうか?

どうも、この本のコトを書いていると脱線したくなってしまうのですが、シンデレラの話は、今まで多くの心理学の本を読んできたワタシの目で見ると、かなり不安を感じる物語なのです。

何故なら、王子さまと結婚したら、幸せになれるとは決まってナイと思ってしまうからです。王子様であったとしても、精神的に優れているとは限らないとか、意地悪されていたシンデレラが、逆にイジワルな人になりかねないとか、そんな心配をツイしてしまったりするものですから‥‥

本の話に戻ると、著者とがんばれば幸せになると思っている人の会話です。

「がんばってさえいれば、幸せになれるの?」
「ええ、そう思って、がんばっています」
「今、幸せですか」
「いえ、まだです」
「幸せをつかめましたか」
「まだ、そこまでいっていませんが、いつかかならず本当の幸せがつかめると信じてがんばっています」

がんばってさえいれば、いつか「誰か(王子)が(ガラスの靴の持ち主として)認めてくれ、幸せにしてくれる」と考えてますが、そういう考え方は、「いつかは」という夢や希望にあふれ、「あきらめない」素晴らしさがある反面、永遠に「いつか」のために、今ある幸せに気づけなかったり、今幸せを味わっていても、「まだまだ、こんなことで幸せになってはいけない」とがんばり続け、いつまでも幸せをつかめないという結果におちいりやすい。

通常、期待は泡のようにはかないものです。期待からは何一つ生まれません。期待は裏切られることが多い
ようです。

期待という言葉があらわす達成感は自分がつくり出すものではなく、誰かがつくり出す他律的なものだからです。

自分の幸せは自分でつくり出すもので、だれかや、何かがつくり出すものではないと著者は述べています。  
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ギャンブル時代を生き抜くタメに

遅い更新になってます。それにしても、世の中は本当にギャンブルの様な時代に突入したと思います。

以前の様に会社に入っても、終身雇用もおぼつかなければ、一度スキャンダルに巻き込まれると大きい会社はさほどのバッシングもナイのに、小さい会社はココぞとばかり叩かれる、「いじめの構造」が続きつつ、そんな社会の縮図として子供に悪質な「いじめ」があっても、世の中は虚しい正論ばかり、アナウンスしているみたいな。

日銀総裁を始めとして、一番御金に対してモラルを守るべき人間が強引に居座り続ける世の中で、一体、どう生きていけばイイのかと、迷う人々が増えるからこそ、宗教や心理学がもてはやされるのだと思います。

されど、何度も書いていますが、エセの宗教家も述べる言葉はキレイな言葉しか述べません。

言葉にのみ惑わされると、誤った人生の選択をしかねません。幾つもの、宗教に関する話や心理学に関する話を書いてますが、だからといってそれらの著者が万能の人間だと思って、このブログを契機にして、自己を捨てて傾倒されても責任は取りかねますし、道を踏み外されても困りますので、時々、こうした警告を書いてます。

こうした時代を生き抜くには、「ありのままの自分」を受け入れるコトでしか、「心の平安」は得られないと思います。誰しも、他人は「自分に対して有益な人間であるコト」を求めますが、それに対して過剰にやり過ぎてしまうと、「自分を失ってしまう」と思うのです。

少なくとも、「自分の中にある有益でナイ自分」を認めるコト。怠惰だったり、ワガママだったり、自己顕示欲が強かったり、ありとあらゆる世の中で悪とされいるコトが、人間だから内在していると思います。「でも、人間なんだから、それでイイじゃないか」という自分に対する開き直りは許すべきです。

他人にそういう開き直りをすると、ケッコウ大変ですが、少なくとも自分だけは、「そういう気持ちがありつつ、それを抑えつつ生きている自分はスゴイ奴だと認めてあげるコト」だと思います。

というコトを大概の心理学の本は述べているのですが、晩は、今、書き込んでいる本に沿って、より具体的な方法の書き込みをします。最近、こういう警告文をあまり書かなくなっていたので、今日は久々に書いてみました。  
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2007年01月13日

怒っても泣いてもイイ

感情の発散は、アートセラピーが有効だそうです。前にも何度か書いてますが、ココでは、クレヨンで思い切り画用紙に塗り込んだり、粘土をいじったり、体を動かしたりすることで、体の中に抑圧された感情が外へ流れ出していくと書かれてます。

明らかに怒っているのに、「自分は怒ってない」と答える人は意外に多いそうです。コンブレックスの解消法は、気づいていないその感情を外に出してあげることだそうです。

自分の尊厳が傷つけられているのに、ニヤニヤ笑う人もいますが、怒りを何かに置き換えたままでは、正しく表現できず、抑圧している怒りは憎しみや恨み、ねたみに変化します。

怒りは、破滅的なエネルギーですが、人生を生きるうえでの必要な、強い力でもあります。不自然に抑圧するのではなく、自然に発散することが大切です。

まわりに迷惑をかけないのであれば、古典的な怒りの昇華法として、物を壊す、何かを叩く、大声を出すというものがあります。ドラムをガンガン叩くとか、カラオケで歌いまくるとか、方法は色々ありますね。怒りを抑圧せずに、発散すればスッキリします。

悲しみも抑圧すると、泣けなくなります。

悲しみの昇華法は、十分に泣き、涙を流して感情を外に流し出すことです。

体を丸くして、枕やタオルを抱きしめながら、声を出して泣けばイイそうです。

感情を発散するときに忘れてならないことは、誰かにぶつけないことです。まわりに八つ当たりしても、自分自身が苦しくなるだけです。

怒りを注意深く受けとり、感じ、表現していくことが大事です。

否定的感情を表現するだけでなく、受けとめてくれる人がいると、より良いそうです。

ちなみに、破るつもりで、絵を描くというのも有効だとワタシは思います。何だか判らないモヤモヤとした感じを思うがままに描き、それからビリビリ破くのです。手軽に出来て、御金も掛からないので、ゼヒ試してみてください。  
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感情を自然に発散する

おはようございます。長野は雪がチラつく、寒い朝です。では、仕事もあるので、チャッチャと本題に入ります。

私たちは、小さい頃から怒るにはいけないこと、泣くのは恥ずかしいこと、怖がるのは臆病な証拠などと、「感じること」そのものを否定されてきました。
「そんなことで泣くんじゃない」「それぐらいなことで怒るのか、短気なやつだ」と一度や二度くらいは言われた経験があるでしょう。

しかし、感情は自然なものなのです。

ところが、その感情を人はなかなか上手には受けとってくれないのです。また、感情表現の仕方を学校でも家庭でも誰も教えてくれません。「大人になる」ことを「否定的な感情を表現しなくなる」ことと考えている人たちも少なくありません。

何度も言いますが、感情の中でも、怒り、悲しみ、恐れ、喜びは人間にとってとても自然な感情です。「感じてはいけない」とか「感じないようにする」ものではありません。

しかし、感情を抑圧し、「感じなく」なったのが自慢の人も居ると著者は述べています。

抑圧し、本人が感じないようにしても、自然のエネルギーは体内にたくわえられ、スポーツとか、情熱に転化されて外へ出ていけばよいのですが、抑圧が過ぎると、突然爆発したり、体内で爆発させることで病気になってしまうこともあるそうです。

抑圧し続けることで、自然な怒りは憎しみや恨みに変化していくからです。

否定的な感情を自由に表現しなくなっていくと、うれしい、楽しいといった喜びの感情も表現できなくなります。

本人なのに、自分の感情をつかめなくなり、こうしたうっ積が、コンブレックスを形成することもあるのだそうです。

晩はその発散方法について。  
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2007年01月12日

コンプレックスに気づく

さて、一休みしたので、再び心理学の本の話です。ユング派の本です。とても読みやすい本なので、オススメです。
自分セラピー―読むだけで自分のことが好きになれる
前の本と重複している部分もあるので、まだ日も浅いですから、そちらは省略して、違う部分を書き込みます。

コンプレックスは、自分では無意識に閉じ込めているものです。しかし、原因不明の恐怖心や心のおびえ、心の閉ざしなどに作用します。

相性の合わない人という場合、私たちは「相手」が悪いと考えがちですが、実は「相手」に自分の「シャドウ(影)」を投影している場合がある
のだそうです。

つまり、「自分では意識して抑えようとしているけれど、存在している悪いと思っているコト」をしている人物の行動に、「自分自身に都合の悪いもう一人の自分」の存在を思い知らされるがゆえに、腹が立つというコトもあるのです。

「良い人」を演じ続け、「暴力的な性質や、自分勝手な振る舞いはいけない」と自分に言い続け、抑圧していると、閉じ込められたエネルギーは、「良い人」を演じるたびに負荷がかかり、突然のように外に爆発することがあります。

「キレる」というのは、心理学的にこのことで、あまりに自分を殺しすぎると、その反動でシャドウは外に爆発するのです。

渋谷のバラバラ殺人事件の御夫婦は、二人とも「とてもイイ子だった」と生家の隣近所の人々がインタビューに答えています。悪口を言うのは抵抗があるというコトで、多少は割り引いて考えるとしても、「礼儀正しい子供」の役を演じ続けていたものの、互いにそうでナイ自分を抱えていたからこそ、DVの加害者・被加害者になり、最終的にその立場が逆転するような結末を迎えてしまったのだろうと推測出来ます。

では、どのようにして、プレッシャーやコンプレックスを乗り越えて行くべきなのか、明日からじっくりと、それについて書き込んでいきたいと思います。  
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疲れた胃を癒そう

おはようございます。殺伐とした時代だからこそ、晩には、「自分を好き」になるための心理学の話を始めますが、その前に「食べ物が作る健康」にいきます。「超オススメ健康法」のカテゴリーの中にある「納豆」がメチャメチャなブームになっていて、スーパーとかでも欠品になってたりするそうですが(買い置きしてるので行ってナイから判りません)、ダイエット効果はビミョウかと思います。少なくとも、ワタシには全く効き目はありませんでしたが、健康になれることだけは保証します。

さて、本日は「長芋」。「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」からです。

「長芋」の独特のめねりに健康の秘密が臆されているそうです。

ムチンと呼ばれる糖たんぱくの一種は、胃の粘膜を保護する働きがあるとされ、胃潰瘍や胃炎の予防が期待できます。

アミラーゼ、ジアスターゼなどの消化酵素が大根以上に含まれています。強力なアミラーゼは、御飯や麦飯などのαでんぷんの消化吸収を助けてくれます。

ストレスが多い時代、ストレスは内臓に溜まりやすいので、胃に優しい食べ物で、内臓の疲れを癒してあげてくださいね。

他に栄養素として、ビタミンCとカリウムが多く含まれています。

カリウムは取り過ぎたナトリウムを体外に排出し、塩分の取り過ぎによる高血圧の予防も期待できる。

熱に弱いビタミンCを生で食べられるという利点もあります。

お正月のごちそうで胃に負担をかけた人、仕事に戻ってストレスにさらさけている人、それぞれでしょうが、「長芋」を食べて、健康を取り戻してくださいね。

ちなみに、「長芋」のお味噌汁もナカナカ美味しいとワタシは思います。単に千切り、すりおろしてトロロにしてもOKです。フライパンで油を使って焼くと、フライドポテトに似た食感になるそうです。色々と試してくださいね。  
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2007年01月11日

世田谷一家殺人事件

茨城でも、バラバラにされた遺体が見つかったとか、世の中ホラー顔負けの事件が相次いでますが、あまりに不思議な話はコレ。報道では犯人の手掛かりがヨク判らない様ですが、これを読んだらビックリです。
世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白
あえて、「ミステリー」のジャンルに入れたのは、「ノンフィクション」だったとしたら、警察の捜査の仕方がミステリーだから。

ともあれ、長野市でもこの本を借りた県立図書館のある公園に、殺人事件の目撃者探しの看板が立っていたコトがある。数年前の夏だったけど、未だ犯人は逮捕されていない。その数年前にも、今は合併して長野市になった地域で、未解決の殺人事件がある。前者は事務所の所長で、後者は小規模な経営者だったハズだ。

「さしたる額でない金の強奪が目的で、平気で見ず知らずの他人を殺してしまう人間が存在しているコト」だけは、認識しておくべきなのかもしれない。特に、外国人ならば、殺してスグに出国してしまえば、捕まる可能性は低いだろうし。

怨恨による殺人だけでナク、殺人を快楽と感じる人間も増加しつつある現在、ありとあらゆる可能性を視野に入れておかないと、マスマス迷宮入りの事件は増えるコトだろう。

本題の「世田谷殺人事件」は犯人が逮捕されてないのでココでは述べないが、この本の中にあった一番衝撃的な殺人は、大分県の建設会社会長夫妻の殺害事件。日本における身元引受人を主犯の男が殺したコト。

「恩をアダで返す」という事件が実際にあったというコトで、この話を聞いた時から衝撃を受けていたが、最近の傾向として、日本人にしても『他人によくそんなコトを平気で頼めるな』という人がかなり存在してきていると思う。

縁もゆかりもナイ他人に親切にされたら、感謝すべきだと思うのだが、当然という感覚だから呆れるコトが多い。そういう人間も現在増殖中だというコトを頭の中に入れておかないと、大変危険である。

「グローバルになる」というコトは、想像以上の痛みを伴うコトだというコトは認識しておくべきコトであろう。

ただ、ドコの集団にも一定割合でワルは存在する。だからといって、その集団の全てがワルでナイことも事実で、冷静に対処する必要も大事だろうとは思うし、自主防衛というコトも必要だし、とても悩ましい時代に突入しているコトだけは確かである。  
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真実が報道されない理由

少しだけ違う話をしてから、マタ心理学の話をするつもりなのですが、似たような話だと書いてる方もアキるので、読んでくださる方にも、一度、気分一新して頂こうと思って、全く違う話です。残念ながら、あまり楽しい話題ではありませんが‥‥

「食べ物が作る健康」シリーズ(もう少ししたら書きます)のネタ元である「日本農業新聞」の一月五日付けの記事に「にっぽん未来図」という記事がありました。

ソフトウェア会社の代表取締役で、アメリカ人ながら、昨年日本国籍を取得して、京都に住んでいらっしゃるビル・トッテンさんという方の提言です。

日本の輸出額の半分をトヨタ、松下、ソニーなどの大手輸出企業30社が占めている。その30社が経済界の主導権を握り、政治献金や官僚の天下り先を提供し、メデイアに広告を出し、政治や官僚、メデイアに強い影響力を持つ。30社の売上は国内総生産(GDP)で12%、けれども雇用は1%。一般企業が売上の5%を法人税で払っているのに対し、約1%しか払っていない。30社のために国民が振り回されている。

例えば消費税。消費税導入以来、消費税収は120兆円だが、その間の企業の法人税の減税分は107兆円に上る。消費税は大手企業の福祉に使われているようなものだ。

こんな政治なのに、多くの国民は選挙にいかない。政治は投票しない国民ではなく、政治献金する大企業を優遇するに決まっている。

そして、一人一人が行動や考えを見詰め直して「自分は国をどう考え、何をしているか」と問いかけて答えを出さなければ、政治が良くなるハズもナイと述べています。

江戸時代は「士農工商」の国だったが、今の日本は商が最上位で、お金が一番の価値観となった。

競争が進めば進むほど格差は広がる。しかし、スポーツにだってルールがあるように、自由競争は危険で、一定の規制は必要だというのですが。

晩には、「御金のタメなら何でもする」という怖い集団の本の話をします。こちらも驚きの話ですが、報道はされていません。「マスメデイアには、特定のバイアスが掛かっているコトを理解しつつ、生きていくしかナイ時代に突入している」コトを自覚しないといけないのかもしれません。  
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2007年01月10日

人をやる気にさせる法

さて、今回でこの本も最後です。大事だと思うコトを短めに書いてますので、より詳しく知りたい方は、原本にあたってください。

前に潜在意識の話をしたと思いますが、この本でも「人間は、自分の中にある力の0.3パーセントしか使ってない。残りの99.7パーセントは、内に秘めて、活用されてない。その活用されない力が潜在能力だ」と書かれてます。

つまり、「自分の実力はこれくらいしかない」と思い込むと、実際それしか出来なくなります。

潜在能力に方向性を与えるのに適しているのは、ぼーっとして、体がゆるんでいる時、たとえば眠りに入る時、逆に眠りから覚めつつある時だそうです。

目覚めの時は、一日でもっとも大切な時間で、その時に「今日は素晴らしい一日になる」と潜在意識に良いメッセージを送りましょう。

また、緊張している時に無理に「リラックス、リラックス」と思っても、潜在意識は逆に反発してしまいます。一度、ギュッと身体中を硬直させ、ぎりぎりの緊張のところでパッと力を抜いて虚脱状態をつくる方が効果があるそうです。

そして、相手を傷つける様な行為を精神的にも肉体的にもしないコトです。マイナスの波動は自分に返ってきます。

そして、利用して欲しい高度なテクニックが、「サンドイッチ・ストローク」です。良くない結果を改善して欲しいと相手に言う時に、「まず良いことを言い、次に悪いことを言い、最後に良いことを言う」のです。

例えば血圧の高い患者さんへの注意の仕方として、「全体的に健康ですね。でも、少し血圧が高いのが心配です。ただ、これくらいなら少し養生して頂ければ心配ありません」という言い方で、「血圧を正常にしよう」という意欲が湧きやすくなるそうです。

相手を受け入れ、評価する言葉や表情、態度を投げかけ、人とのコミュニケーションを好くし、相手の潜在能力を引き出して、互いに優しい気持ちになって、良好な人間関係を築いていってください。ちなみに、明日は全然違う驚きの話です。  
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気持ちが伝わる話し方

おはようございます。「話をしているのに、ちっとも気持ちを理解してもらえない」という不満を抱いている人は、多いと思います。自分の意思を明確に伝えられたら、どんなに状況が好転するか、でも、話し方を工夫すれば、かなり違うと著者は述べてます。

話し方の基本は、「事実、影響、気持ち」という三つのステップを踏むことが大事です。

例えば、子どもがリモコンをいじって、テレビのチャンネルやボリュームを変え続けているという状況があったとします。大体、「やめろ」とだけ言って、トラブルになるのが普通です。本当に止めさせたいと思ったら、どうするか。

まず最初に事実を述べます。

「チャンネルを次々変えているね」とか「テレビの音がうるさいね」とか。

次に影響を述べます。

「落ち着いた気持ちになれない」とか、「ゆっくり新聞が読めない」とか、「電話したいけど、かけられない」とか。

最後に気持ちを述べるのです。

「イライラしてくる」とか、「仕事が出来ずに困っている」とか。

普通の人間は「愛し愛されたい、いい人と思われたい、役に立ちたい」という本能を根源として生きている。誰かに「あなたのおかげで私は嫌な思いをしている」と聞かされて、違和感を覚えない人はホトンド居ません。

褒める時も、「勉強しているのを見ていると、学力がついてきてるんだなと思って、とても安心する」とか「手伝ってくれると、助かるので、とても嬉しい」という言い方の方が望ましいのだそうです。

すると、「こうすると安心」「こうすると嬉しい」のだと心の中にインプットされやすいのだそうです。

言葉の中に、反感や抵抗感、攻撃性などの害を無くし、自分の気持ちを正直に把握し、真っ直ぐに、相手に伝わる表現をとる方が効果的だということです。

ほめすぎの問題は、相手が「ほめられ中毒」になり、「ほめられないと自分は価値がない」と感じるようになり、ほめられることでしか自分の価値を確認できなくなることだそうです。

三ステップの話し方は、行為に対する評価なので、「こういうことがうれしい」「こういうことが助かる」ということなので、満足感を感じるけれども、思いがあとを引かないのだそうです。

これも、スグ出来るとは限りませんが、意識して話してみてください。コミュニケーションが良くなる可能性が大です。  
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2007年01月09日

心の成長の五段階

天使の観察は、暖かく慈しみに満ちたまなざしで、天使のように自分自身を観察するのですが、「なぜ(WHY)」と聞かずに、「何を、いかに(WHAT・HOW)を念頭に置いてください。

無意識につづけている癖を意識し、それに対して選択することで、人の愛を得ようとして自分をごまかす習慣から抜け出ることが可能になります。


他の人との本音のコミュニケーションを増し、互いに受け入れあうことです。

感情はどのように成長するかというと、「失業率が四パーセントを超えた」というニュースを例に考えてみましょう。

【第一段階】客観的事実しか述べない
ニュースそのまま、「失業率が四パーセントを超えた」という事実だけで、自分の意思や思いは皆無です。

【第二段階】客観的事実に自分なりの評価が加わる
「失業率が四パーセントを超えるというのは困ったことだと思います」というに、自分の意見が入る。しかし、普遍的なことだけ思うか、そこに「明日は我が身かと思う」というような、自分の感情を加味するかで、違いが生まれる。

第三段階】事実によって引き起こされる自分の内面の反応を表現する
「失業率が四パーセントを超えたと聞くと、胸が苦しくなり、せつなくなります」というように、外部の出来事によって起こる内面の反応に注意が向けられ、感情がより明確に、豊かに表現され、内面に意識が向き始めている。

【第四段階】自分の内面の変化に焦点を当て、内面を洞察する
「こういうニュースを聞いて胸が苦しくなったり、せつなくなるのは、自分の中に社会への不信感や、未来への不安が強いためかもしれません」というように、感情の表現とともに、内面の問題点や危惧に目を向ける。
内面を明確に把握してないが、内面への強い興味と、表現する意欲が出始めている。

【第五段階】内面への洞察から犁い鼎瓩もたらされ、自分の感情を的確に把握する
「私を支配しているのは、不信感と不安感ですね。人のいう通りにやっていたらきっとひどい目にあう、そういう思いが私の生きるエネルギーであり、ストッパーでもあります」といったように、外部の事実から自分の感情、内面の構造まで深めることで、自分の内面を幅広くとらえ、生き方に対する独自の発想や視点を得て、自分への愛情を自覚し、周囲の人々にもより深い愛情を抱ければ、心は確実に成長する。  
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自分を愛する秘訣

おはようございます。子供達も学校へ行き、いよいよ正月気分も終わりです。ボケーッとしていたので気付きませんでしたが、昨日は「八万ヒット」を達成させて頂きありがとうございました!!

さて、自分を真の意味で愛し、他の人から愛される秘訣が書かれています。

ー分の言動を自分のものとして責任をとる
何事も人のせいにしないで、自分の言動を自分自身のものとして認めること。「いま自分がどういう行動習慣に衝き動かされているか」を洞察し、どんな習慣をつづけるかを選択する段階に進もう。

天使になって、自分を観察する
自分が天使になったつもりで、自分を観察すること。
天使になったつもりで、自分自身の行動をただ温かくやさしいまなざしで見守ることです。
批判も賞賛もなく、同情や励ましもなく、ただ温かい気持ちになってみてください。

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機‖里両態を調べる
緊張している部分はないか? リラックスしているか? しこりはないか? などと、やさしく体を調べてみる。

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どんな気持ちでいるか、平静か、何かに怒っているか、不安感を押し殺してないか、などと瞬間瞬間に変化する自分の内面に、温かいまなざしを向けてみる。

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批判的に考えているか? 人の自分に対する気持ちを気にしているか? 自分の思考の関心はどこにあるか? 自分の頭に浮かぶ考えを、ただ眺め、観察してみよう。

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自分がどんな態度をとっているか、やさしく振まっているか。元気なのか。硬くなってないか。笑顔か。など、自分の今の態度を温かいまなざしで包み、眺めつづけてみよう。

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どのように語っているか。声の調子や、言葉使い、まなざし、ゼスチャー、体の動きなどを温かく観察してみよう。

さて、仕事の時間ですので、続きは晩に。  
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2007年01月08日

問題解決は本人が

アクティブ・リスニングで忘れてはいけないのが、話し手の問題を引き出したとしても、その解決の解決は聞き手が引き受けないことです。

相談を受ける場合、相手は、あなたに何らかの依存心を抱いています。だから、つい、相手に助力するべきだと考え、相手の悩みを引き受けようとするのが人情だし、相手も責任分担を期待しています。

しかし、そこで話し手ができることに助け舟を出してしまうと、独力で問題を解決できるチャンスをつぶしてしまうので、相手の秘めた力を信じてあげるべきなのです。

相手の問題を相手の中にとどめることは、本人が問題の本質の探求を推し進めていくことを可能にすると同時に、本来、自分が解決するべきではない問題を背負いこみ、ピントの外れた対処策に頭を悩ますという無駄も避けることができる。

多くの場合、問題の所有者が、その問題を解決できる人間だからである。


さて、こうなると自分自身の問題も自分で解決できる可能性が出てきます。自分で自分の感情を聞くことも可能なわけです。

我々は、自分自身に対するイメージ、つまり自己像とか自己認識、自己概念を持って生活していますが、自分の内面で感じている実感との自己一致がなされているかどうかという問題にぶつかります。

自分の感情を麻痺させて、仕事の話や筋道に明け暮れている人もいるだろう。

感情丸出しになって、お互いを傷つけるような感情の爆発と、自分の内面の世界を大切にし、実感として受けとめたものを大事にするということは、まったくの別物である。

感情的なやりとりは、他者にも自分にも害を与えるが、自己一致を促すことは、他者も自分も、人間として成長させる力になる。

ということで、明日は自己一致するために、どうするべきかということを書き込みたいと思います。  
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人の話を聞くコツ

おそようございます。ちょっと急いでるので、パパッと。

アクティブ・リスニングの基本は四つの選択肢があります。

/瓦離疋△鬟離奪する言葉を表明する
話し手が話したくなるような雰囲気を作ることです。

「もっと話して」という気持ちを積極的にはっきりと伝えるには、「君はどう思う、話してみて」「その話が聞きたいね」「何か言いたいことがありそうだね」などという言葉を使う。ただ、「話してみなさい。聞いてあげるから」といった、命令的で押しつけがましいニュアンスは禁物。

沈黙とあいづちによる受容的な聞き方を採用する。
「そうか」「ふうん」「なるほどね」など、あいづちを打つことが効果的。
自分の考えや判断を相手に伝えない言葉づかいや話し方を、心をこめながらすることによって、話し手が、考えや判断、感情を話すように促す。

仕種や表情、態度で聞いていること、受容していることを示す
話し手に犲分は価値のある人間としてみとめられている甅狢膸にされ、受け入れられている瓩抜兇犬気擦襪燭瓩法△舛磴鵑畔垢い討泙垢茲氾舛┐襦

聞き手が気をそらすと、話し手に不安感を抱きがちになる。

づ切なフイードバックを行う
話し手の言葉を受けとめて、「こう言いたいのですか?」と確認する作業。

「何々で困っている」と言ったら、どう困っているのかと根掘り葉掘り聞くよりも、「こんな感じて困っているのですか?」と聞くと、「イヤ、ちょっと違って、こういう感じて困っている」とか、「そうです」とかいう感じの答えが返ってくる。

「相手の言葉を誤解して、理解していませんよね?」という問いかけです。相手を導こうとかせずに、ただ、相手の言葉を聞き手である自分はこう聞こえたけど、「そうなの?」と聞くのが基本。

それを繰り返すうちに、話し手は自分の話すことが、より明確になっていき、自分の抱えている問題の本質に気づく。そして、話し手が、自らの力で問題解決の知恵を生み出す手助けとなる。

以上、それ相応のトレーニングも必要だったりするが、四つの選択肢から無理することなしに採用できる方法を選び、出来るならばそれらを複合して、怖れや不安、混乱の中にある話し手を癒すコトが可能になるのだそうです。  
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2007年01月07日

聞くコトをトレーニングする

アクティブ・リスニングの方法について、シュタイナーはトレーニングが必要だと言っている。

ただ口だけ黙っているのはやさしいが、頭の中まで沈黙させることはできない。頭にはいろいろなことが浮かんでくるが、それにとらわれないこと、それが沈黙だというのである。

この訓練は、初めはうまくいかないが、だんだん自分の中に反応が生じてくる。賛成している、反対している。判断している、自分の問題にとらわれ始めているなどと、自分の反応をつかまえつづけるうちに心の沈黙は広がっていく。

しかし、この練習は一日中することはできない。いまからしようとはっきり決めても、五分もできれば上々である。

日常的に練習してマスターするしかなく、ある程度できるようになったところで、問題や重荷を背負い、あなたに話したいと思っている人に対して、実践してみる。それは、自分の心の中に広い部屋を用意して、そこに相手を迎え入れるという感じである。

この感じができるようになったら、自分と意見の対立する人、自分に不利益や混乱をもたらす人、自分に批判的な人との会話の中でこの状態を保つトレーニングをしてみる。

自分を批判している言葉を聞いているあいだも心をざわつかせず、心の中に起こってくる言い訳や反対や拒否の非難を返すような考えが生じても、それにとらわれず引っかからないことだという。

なかなか難しいが、やさしい練習から上達していくと、どの場面でも自分の聞く姿勢によって、相手と分裂にいかず、両者のあいだに良い接点を持ち、問題の解決になっていくことができるようになる。

相手との対話で、沈黙を守り、自分の意見を言わず、指導や指示の願望を感じずにいるというのは難しいことかもしれない。しかし、それができれば、両者の位置関係は、上下関係ではなく、同等なものとなり、いままで見えなかった相手の心の奥深くが見えるようになれば、深い相互理解が可能になる。

こうした聞き方を実践してみると、相手とのあいだに不思議なほど対立がなくなり、好意的な態度を示してくれる。

相手の思っていることが、抵抗なく自分の中に入ってくるし、相手も受け入れられている安心感から、こちらの言うことを受け入れるようになる。

というコトです。お試し頂いて、良かったら続けてみるというスタンスでやってみるのも、イイかもしれませんね。明日は、より実践的に詳しく書き込みます。  
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ストレスを吐き出させる

本日も午前の更新遅れてます。スミマセン。続きです。

多くの人が、話を聞いてもらいたいと思う相手とは、適切な方向づけをしてくれる相手だと信じている。だからこそ、相談を持ちかけられば、何らかの指示や教訓を与えようと一所懸命になる。

しかし、あなた自身が話を聞いてほしいと思うのは、そういう人たちだろうか? 何かを相談した時、「だから君の〜が問題なんだよ」「君は〜を心がけねばならない」などとお説教をする相手に、本当の悩みや解決しがたい問題を相談したいと思うだろうか?

誰でも自分を否定されることを好まない。自分を受け入れてくれることを望んでいる。自分が受け入れられていると感じた時、自分が愛されていることを実感し、自力で問題解決の糸口を探し、人生の中で成長していく。

この「受容」は肥沃な土壌のようなもの
である。

話し手が何らかの相談をする時、聞き手は話し手の土壌となりうる。ただ、実際に花をつけるのは、あなたに相談を持ちかける子ども、友人、同僚や部下であり、おなた自身の知恵で相談者の問題を速やかに解決することではけっしてない。

「ありのままの姿を受け入れる」というテーマの背景には、誰もが、自らの問題を解決する能力を秘めているという事実がある。沈黙とあいづちによる受容的な聞き方によって、自分なりの問題解決能力が発揮されるのである。

干渉もなく、攻撃もなく、賞賛もないことで、人は、受け入れられている満足感を得ることができる。何も言わないことが、重要なメッセージを伝えることになるのだ。

人は、ストレスがたまった時、それを吐き出す必要がある。もっとも効果的なストレスの吐き出し方は、人に話を聞いてもらうことなのだ。誰かがそういう状況の時は、聞くほうはただひたすら聞くことに専念することが重要である。解釈や提案などせず、ただ「なるほど」と言って、聞いてあげるのである。

するとストレスを抱えている人は、解毒できたようにすっきりし、ストレスに隠されていた自分の心をのぞき、自分の声を聞くことができ、そこから力が湧いてくるのである。  
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