2007年03月31日

上流志向の苦悩

おはようございます。こう書くのも、おそらくコレで最後だと思います。何故なら、今まで午前と午後の更新を続けてきたので、自分で読み返す際にスグ午前の日記と判るタメに書き込んで来たのですが、やはり時間的、体力的に一日二回の更新は、限界に近付いてきました。

キリの良いところで、明日からそうしようかと思ったのですが、『何もエープリール・フールに宣言しなくても』と思い直して、本日から一日最低でも一回の更新はするものの、余程のコトがナイ限り、二回の更新は無理かと思います。今まで、一日二回読んで下さっていた皆様、本当にありがとうございました。回数が少なくなる分だけ、練りに練った感じで文章を書きたいと思ってます。(といっても、スランプとかマンネリが時にはあると思いますが)というコトで、これからもヨロシクお願いします。何時に更新するか、不定期になると思いますが、一日一度のブログは必ず書きたいと思っておりますので。

さて、昨夜の本の話にいきますね。

『何故、あんな子が?』と思う様な事件の起こる理由について、端的に書かれています。

上流志向は、さらに上をめざせばめざすほど上流としてふさらしい服や住まい、食事や車などが求められて生活コストが増すため、ますます既得権益を守ろうとする半面、そうやって維持していく暮らしぶりのつらさから下流に下りたくても、それはそれで敗北感を味わうという二重の苦痛を負うリスクがあります。

上に行けば行くほど「長」のつくポストを得るための狭き門に入る努力が延々と求められ、努力を辞めれば将来の選択肢が先細ると同時に、既に上がったハシゴの下の段が外されていくという生き方は、自分を追い詰めていく苦痛から逃れられないものです。


実に明快に理由を述べてらっしゃいますね。エリートは呼ばれる人々ほど、今の自分の地位にいるコトの難しさを実感しているというコトです。限りない勉強、限りない努力、これに疲弊せずにいるのは大変です。自分を豊かにするには、時間とか体力とかにも余裕が必要です。

そう思っていながら、ワタシも自分を追い詰めている可能性があると前から気付いていた一日二回の更新を止めずにいましたが、ドコかで終わりが来るのであればと、本日から少し楽するコトにしました。やがて、数日に一回になる時も訪れるかもしれませんが、なるべくそれはもっと歳老いてからにするつもりではいます。  

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2007年03月30日

ワルガキではいられない時代

ナカナカ面白い本を見つけました。
下流上等―キレない子が病む格差教育
かなり今まで読んだ本とは違った切り口で、若者について書いてます。

ただ、本とは少しズレますが、一番に思ったのが、今の時代のギズキスした感じ。

例えば、こんな事件。中学2年生が、昼食の時間前、教卓に置いてあったやかんの口から2つに折ったチョークを入れ、「やかんからチョークが出たらみんなが驚くと思った。大きな騒ぎになるとは思わなかった」と思ってたのに、実際は(おそらくチョークが融けたのだろうと思われるが)そのお茶を飲んだクラスメートが12人、腹痛で入院した。そして、警察に補導されたという話。

まず、中学2年になって、こうした幼稚なコトをしようとするコトに驚くが、『それにしても、警察が出て来て、補導するホドのコトなのか?』という疑問が残る。

昔だったら、こんなコトは「駄目じゃないか」と先生から大目玉は喰らうだろうが、単なるイタズラで終わってしまう程度のコトじゃないのかと‥‥他にも、線路で置き石するのは良くないコトではあるが、十代のテロなんて大層なものなのか?

小学校の高学年になって置き石しただの、電車の窓ガラスに石を投げるだのというコトにまずアキれはててはしまうのだが、それにしても、そんなコトは昔からドコにでもあったコトではなかったのか?(無論、悪いコトだから、警察が捕まえるのは無理ナイことなのだが、昔だったら、子供のイタズラとして大目に見て貰えたであろうコトが、事件になっている気が‥‥)

今の子供の幼稚なコトは、実際にあったコトを色々聞いているので知っている。中学1年にもなって、イヤガラセしようとした子のカバンに、石や雑巾を入れたとか‥‥その子は転校したらしいが、まるでガキで話にナラナイと、まず思った。『そういうコトは、小学校の低学年ならするかもしれないが、中学生になってまでするコト?』て感じ。

身体だけ大人になっていても、精神的にガキな10代に振り回され過ぎているんじゃないのだろうか?

と思うと、ある特定の子供がクラスをかき回しているとPTAの学級懇談会で話題になったら、その親がキレて、子供を転校させたそうな。しかも、一つ目の中学には、その子の素行が知られていたらしく断られたので、全然知らない中学に潜り込ませて貰ったらしいとか‥‥

親も子も、昔と比べれば年齢の割に幼いままの人々が増加しているコトが背景にあるのだけは、間違いナイ。しかし、世間もそれに過剰反応してないだろうか? そして、それが事態を悪化させているんじゃないだろうか?ともあれ、ホトンド本の内容に触れてませんので、続きは明日。  
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日本人としての誇りを持ちたい

おはようございます。明け方は、スゴイ雨でした。輪島地方の方々は、より大変だろうと思います。困った時こそ、「ドーンと、任せておけ」と政治家に言って欲しいものですが。

ともあれ、靖国神社のA級戦犯を含めた合祀についても、厚生労働省の神社側への働きかけが資料で明らかになったりしてますが、適当に嘘をついて、その場を言い逃れようという姿勢ばかりでは、世界が日本を信用しなくなるだろうと思います。

間違いは間違いとして認めて、どう未来に向かって一歩を踏み出すかだと思うのですが、過去の言い訳に終始している日本政府の醜いコト。

小中学生に「徳育」を教科にして教えようという動きがありますが、子供に規範意識を植え付けたいというならば、まず自らというのが普通ですが‥‥

従軍慰安婦問題を始めとして、変に言い逃れしようとする姿勢が、どれだけ日本人に対する世界の視線を厳しくするのか、普通の感覚を持っていたら、判りそうなものですが。

政府が改正したがっている憲法の前文にも、「世界からの名誉や尊敬を得たい」という趣旨の言葉がありますが、どうしてそう思わずに、今の自分を死守するコトばかりしているのかと不思議になります。

昨日のオウム真理教に対する問題ではないのですが、熱に浮かされた戦前・戦中のコトをちゃんと分析して、今に活かさなければ、必ずや今が再び「戦前」になります。

再び、戦火が日本を覆った時に、順調に再スタート出来る保障はドコにもありません。

日本が世界の各国と仲良くしようとするならば、世界の各国も心を開いてくれるでしょう。でも、世界に疑惑の種を撒き続けていれば、必ずそれは日本に向かって返ってきます。

右とか、左とか関係ナク、「日本人として他国の人々に受け入れられたい」という気持ちは、全ての日本人の心の中にあると思います。

偽りの歴史を学び、メッキで出来た「愛国心」などよりも、過去を真剣に学び、失敗はそれを糧として、本当の「国を愛する心」こそ必要だと思います。「愛する」というコトは、決して強制されるべき筋合いのコトではナイのですから。
  
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2007年03月29日

マインドコントロールは原爆より怖い

午後の更新も遅れてますね。本日中に書けるとイイのですが‥‥どう書くべきか、少々悩んでました。

元最高裁判事だった、團藤重光氏は、「オウム真理教のマインドコントロールは、直接的に薬物を使用する洗脳もあったが、マスメディアによる〈管理社会〉一般を考える上でも非常に重要な事例だ」1970年代、あるアメリカの社会評論家は「マインドコントロールは原爆よりずっと恐ろしい」と指摘したと主張するそうだ。

「マインドコントロールはわれわれの心の中に入ってきますから、外部的な原爆などよりも、もっと恐ろしい影響を後に残す、ということを言いたいわけです。もちろん、原爆は大変に危険です。でも原爆ならその地域に放射能が残る。また被曝した人たちには、後まで大きな影響が残る、子孫だちにも残ります。けれども、世の中一般に広がるわけではありません。ただ国際的な核兵器の問題はすこし別ですが。ところが、行動の科学的操作の方は、人間の心をむしばんで、どこまでいくかわからない」

「刑事政策、犯罪対策を考えるについても、秩序を維持する面からだけ発想すると、かえって間違ったことになると思います。本当にわれわれが秩序を回復して、また、いい社会にもっていこうとするためには、もう少し人間的なものを持ち込んだ、ヒューマニスティクな犯罪政策、刑事政策が必要ではないかと思うのです。そういうことを考えると、経済的繁栄は必要ですが、それだけではいけない。また科学技術も必要ではありますけれども、それだけではいけない。何か持っていなければならない。そうするとどうしても人間の主体性、人間の尊厳の問題になってくる。これによってこそ本当の社会連帯的な秩序が達成されるはずです。」

現在の教育が「主体性を持った人間を生み出そうとしているのか?」疑問なのですが、それにつけても、著者が最後にこう書いているコトだけは、覚えておいた方がイイだろう。

情報化が極端に進んだ今日ほど、誰しもが気づかぬうちに、騙されて自分が加害者となってしまう可能性が高い時代は、人類史上かつて存在してないのである。

すべての人が同じように、立ち止まって振り返り、判断し、叡智ある行動をすることで、すべては初めて実を結び始める。  
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特攻と9・11とオウム真理教

午前の更新、仕事で遅くなりました。さて、「宗教の本」というよりも、「反宗教の本」なのかもしれません。「宗教」を極めようとして、逆に「反宗教的」なコトをしてしまった、かつての同級生の軌跡を冷静に分析している本です。
さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生
オレオレ詐欺の犠牲者は「自分は大丈夫」だと思っていた人が、とても多い様に、「オウム真理教」に心を囚われたのは、たまたま彼等だっただけで、もしかしたら、アナタだったのかもしれませんよ、と問題を提起してくれています。

9・11同時多発テロは、海外でしばしばKAMIKAZEと表現される。国内のメディアには載らないが。そうした海外と国内の歴然とした温度差、報道のギャップを遥かに不気味だと感じる著者は、軍国主義のマインドコントロールとして理解する。

誰か一人が仕掛けるというより、集団が我知らずのうちに陥ってゆく。

軍事手法としてのマインドコントロールは、「特攻」以後も進化し続けている。戦前の戦闘右翼「血盟団」の流れを汲んだ重信房子の所属した日本赤軍の近代兵器を利用した自爆特攻の戦法、とりわけ「人間操縦」方法がアラブゲリラに伝えられたという意味では、世界からKAMIKAZEと呼ばれても仕方ナイ側面もあるという趣旨のコトを述べている。

ナチス・ドイツのナンバー2だったヘルマン・ゲーリング曰く、

『人間集団を攻撃するのはいとも簡単である。
 自分たちが攻撃されている、と思わせれば良いのだ。
 そうすれば、どんな集団でも、ただちに攻撃的になる』


恐怖で縛るのは効果的。被害者意識に凝り固まっているときには、いくらでも攻撃的になれる。逆に被害者意識やパニックがいったん暴走し始めると、誰か黒幕がいなくても、集団が破局まで突っ走っていくことも少なくないらしい。これはひとつのアリジゴクで、砂が勝手に落ちていく。

というような著者の言葉に、オウム真理教だけの特異な問題と思っている我々は、日本の今を言われているつもりになる。「サリン散布」という事件から、長い年月が経った今こそ、もう一度じっくり、冷静に「オウム真理教」を考えるコトが、将来の日本の破滅から救われる道なのかもしれない。おそらく、「オウム真理教」の手法を客観的に見るコトで、軍国主義への行進をし始めている今の日本に気付くコトになるだろう。  
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2007年03月28日

若さは何ものにも変え難い

十七歳の若者が、色々な事件を起こした時期もあったので、なんとなくタイトルに惹かれて借りたのが、この本。
十七歳
結構、売れた本だったみたいですが、何も知らずに読みました。スゴイ衝撃的では、残念ながらなかったけれど、十七歳にしてココまで色々と書けたのは、かなりスゴイかも。現在、どんな大人になっているのか、ちょっと知りたい気分です。

ともあれ、少女でもこれだけのコトが書けるのですから、大人が反省するべきだと思いますね。

最近ガキのような大人がやたら目につくんだ。生意気なことをいわせてもらえば、だから日本の社会がこんなになったんじゃないかな?

子供たちのことをいろいろいうまえに、子供たちが夢をもてる社会にしてよ。

いまの大人たちがもとめてきたものはなんだろう。学歴や地位や名誉って、かたちが見えるものでしょ。そんなものばかり追いもとめてきたから、知らないあいだにこんな社会になったってわけだ。

どうせ子供の心なんて考えないできたんでしょ。いろんな問題が起こりだしてからあわてたって、もうおそいよ。自分たちを中心に考えて子育てしてきたから、心さびしい子供が増えてるんだよ。

そして子供たちはそんな大人たちへの不満で反発するんだ。

子供たちは自分の存在感っていうか、自分が親にとってどういう親にとってどういう親にとってどういう存在かって、なんとなく感じてしまう。だからふと不安になって、自分がここにいるよって、いろんなかたちで一生懸命自己主張したくなる。


ココに全てが集約してます。カチコチで、改悪になりそうな教育基本法をゴリ押ししたがる様な方々に、まず一読して欲しいものです。  
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リラックスしたかったらセロリ

おはようございます。「セロリが好きだったり‥‥」なんて感じで、珍しいって感じに世の中に思われているホド、好き嫌いが割合激しい野菜ですよね。「ピーマン」とか。ちなみに、ワタシは、どっちもかなり大好きですが。

おなじみ、「日本農業新聞」の「アンドユー」の「やさい図鑑」から。

セロリが持つ独特の香りは、アピオイルをはじめとした、40種類の成分からなっている。この香りは、気持ちをやわらげて気分をリラックスさせてくれるものとして、昔から重宝されていた。

こう書かれると、『なるほど〜だから、時々無性に食べたくなる時があるんだけれど、そういう時はイライラしていたのか』と思ってしまう。

香りで好みに個人差がある野菜だが、栄養成分はたっぷり含まれている。

葉には茎の約2倍のβカロテンが含まれ、活性酸素の働きを抑えて、体の老化防止や生活習慣病の予防が期待できるそうだ。

ビタミンB1、B2、食物繊維が多いので、疲労の回復や、コレステロールの低下に効果がある。

豊富に含まれるカリウムは血圧を下げてくれるので、イライラの解消などに効果的。

セロリ本来の味と香りを堪能するには、茎の部分を生でそのまま食べるのが一番。(ちなみに、マヨネーズを付けて、茎をバリバリ食べるのが最高に美味だと思ってます)

葉の部分は魚やレバーの臭み消しにはもってこい。生でスープの浮き実にしたり、ドレッシングに加えると、ビタミンも失われずイイらしい。

強すぎる香りが苦手な人は、牛乳を加えたスープとか、ゆでこぼしたり、いためたりすると香りもやわらぎ、食べやすくなるというので、お試しあれ。

ただ、好きだからと食べているより、栄養があると判って食べている方がイイですよね。ワタシも、これからバリバリ食べるようにします。  
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2007年03月27日

シンデレラ・ストーリー

「食べ物が作る健康」シリーズを書こうとしてたんだけれど、やっぱり読み終わったばっかりの本の話を先に。

ハッピー・エンドが好きなワタシには、とても心温まるストーリーでした。
下北サンデーズ
人生、ホトンドこうはいかないのが判っているだけに、逆に心惹かれます。

それにしても、十五年位前にワタシと同じ歳だった人で、劇団やってて生命保険の仕事していた女優の卵はどうしているだろうかと、思います。もう若くなくなっているのに、それでも今まで過ごしてきた年月を、夢を諦められずに生きていたけれど‥‥

もう五十歳近くなってしまって、今は全く違う仕事をしている男性も知っているし、大半の人々は夢破れて、散っていくだけの世界だから、こういう素敵な夢は見たくなる。

上手くいくのは、ほんの一握り、その一握りになれても、それを持続するのがとても難しい世界だから。

義理で出掛けたさほど観客もナク、あまりに間延びしていた劇を必死で演じていた彼女のタメに、保険に入って上げたかったんだけれど、当時のワタシは手術して間もなかったから、保険会社で拒否されてしまった。入ってくれてアリガトウと何かを貰ったハズなのに、そっちは覚えてないのだけれど、拒否されて気の毒だったから、母が買ってくれてワタシの足には少し小さいので履いてなかったかなり鮮やか過ぎる色の靴を喜んで貰ってもらったけれど、あの靴は彼女に長く履いて貰えたのだろうか?

夢を見るのは自由だけれど、引き際が本当に難しい。そんな世界を思い出させてくれました。

久々に思い出した彼女が、この世のどこかで幸せに生きているコトを心から願って、本日はこれでオヤスミナサイ。  
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アウトローも大変

おはようございます。似た様な話だけだと煮詰まるので、全然別の本を読んでみました。感じ方は人それぞれだと思いますが、ワタシにはタイトルの様に思えました。
歌舞伎町シノギの人々
日々、安心してゆっくり眠れないのはツライことだろうと思ったり‥‥

昔は、波乱万丈な人生もイイなと思ってましたが、歳をしてくると、イヤでも波乱万丈にならざるを得ない時期とかが、人生の中ではそれなりに誰でもあるので、あえて自分からそれを求めるという気分には、もうなれません。

お金というものも、あればあったで使ってしまうし、無ければ無いなりきに使っていれば、それなりに生きて行けるので、大金持ちを目指してしゃかりきになる強い気持ちも薄れてますし、といって働くことも「生きがい」だと思うので、できれば夜だけは、毎日ではなくても、ゆっくり心から休める日々が貴重だなんて思います。

警察に捕まるかもしれないとか、命を賭けなければいけないとか、そういうギリギリの世界で生きざるを得ない人々が、色々なバックを背負って生きているだと、よりリアルには判りましたが‥‥

でも、「夜回り先生」の水谷修氏ではないですが、夜の社会に住まないでいられれば、それに越したコトはないし、ともあれ、この社会を維持しているのは、こうした本の取材には決して出て来ない、昼の世界で鬱憤を蓄積した人々なのだろうと思います。

心にもナイお世辞を言ってもらいたいがタメに、刹那的な快楽を得るタメに、多くの時間を犠牲にするコトを厭わない、「仮面を付けて生きている多くの人々」がいる限り、虚飾の繁栄は限りなく続くのだろうと思いました。

書かれてない、ハマってしまって、湯水の様にお金をつぎ込みたがっている男性や女性の話の方が、知りたくなってしまいます。現代は、心が潤うコトが少ない時代なのでしょうか?  
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2007年03月26日

親子の距離の取り方は難しい

昨夜のブログに小太郎さんからコメントを頂いてまして、そこに「人を殺すゲーム」にハマっているお子さんについて、お祖母さんがかなり子育てに関わっているという話を読んで、飛ばそうと思っていた部分をやはり書き込むべきだろうと思い直して、「退化する子どもたち」の中から、もう少しだけ。

中学一年生の女子生徒が不登校になりそうになり、学校の示唆で「いじめ相談」を訪れる。その結果、どうも問題は母親と祖母と中学生の関係にあると思われてくるのである。

母親はもともと結婚願望は薄かったが、交際していた父親から結婚を望まれてしぶしぶ承諾。妊娠・出産にも消極的だったが、父親のたっての願いで子どもを産んだ。それゆえ、育児にはまったく自信がなく、育児書に書いてないことはすべて母方の祖母まかせで解決した。

祖母の資金援助を受けて公団の分譲マンションを購入。母親は団地住民との交流を望まず、団地内の子どもたちとは別の幼稚園に通い、公園で遊ぶ時も、少し離れた公園に行った。地域に友だちはできなかったが、いとこたちとの交流があればいいと考えていた。

小学校に入ると同時に妹が生まれ、母親の関心は妹に集中した。学校で友だちができないならと、英語とピアノの教室、三年からは絵画教室、四年からは学習塾に通わされる。

四年生の年に、母親は私立大学の通信制に入り、その夏休みから母親がスクーリングに通う期間、妹と二人祖母の家に泊まり込むことになったので、母親より祖母に、父親より祖母と同居している叔父に親しみを感じる。

母親は子どもにまとわれつかれるのをうっとうしく感じ、邪険に扱う。自分にやりたいことがあるのだから、子どもには早く自立してほしいと思う。そんな中、中学に進んで、いじめられ孤立し、登校をしぶりだしたというのである。

「いじめ相談」に携わってきた野口のぶ子さんによると、「祖母の丸抱え」と「地域と断絶した子育て」を問題にする。

〈母を飛び越しての祖母の丸抱え孫育ては母にとっても子にとっても過干渉そのものである。母も子も自立は先送りされる。子育ての困難にぶつかると、すぐ祖母の陰に隠れる母から、子は真の愛情を感じたり信頼感を抱くことができるだろうか、親子の情緒的な感情交流も乏しかったことがうかがえる〉

この問題は母親が定期的に相談機関を訪れ、子どもも立ち直るのだが、こういう事例は特殊な例だとばかりは言えないのではないだろうか。今、子供を祖父母に任せて共稼ぎしている人々も増えている。祖父母が補助しての子育てならともかく、自分の子供を親とはいえ任せきりでは、子供は親の存在をどう思うでしょうか?  
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人生は「賭け」だと割り切るコト

おはようございます。しっかり寝たので、仕事が迫っております。本日も、コメント返し遅くなりますゴメンナサイ。貴重な御意見頂いているので、ブログの本編でも取り上げさせて頂くつもりでおります。

さて、色々なコトを考えておりますが、今の時点での感想を述べると、当然、子供を良くするには、それなりのコトをしなければならないのは当然ですが、タダ、あくまでもそれは一般的なコトで、これしかナイという強制は難しいというコトだと思います。

あくまでも、人生の本質は「賭け」なので、必ずこうすれば、こうなるというコトはありえません。こうした方がイイというコトは存在しても。こんな辛口の警句を引用しておきます。
縦糸横糸
日本の経済界にバブル崩壊現象が生じたことは誰でも知っている。あんな馬鹿なことにはもう乗るまいと思っている人は多いだろう。しかし、ほとんど同様のことが教育の世界においても起こっている、あるいは、起ころうとしていることに気づいている人は少ないのではなかろうか。

バブルの時代は、何が何でも金を借りて投資をすれば、後は儲かるだけと人々は信じこんだ。それと同様に、自分の子どもに対して、「教育投資」をすればするだけ子どもは幸福になると、今では多くの人が信じているのではないだろうか。

「知識の投資」も大変だ。小さいときからできるだけ早く、できるだけたくさんの知識を子どもにつぎこんでおくと、子どもの幸福もそれに比例してふくらむと考える。

このようなバブルが、どの段階ではじけるかは、人によって異なる。ある意味では早くはじけてくれた方がいいかも知れない。むしろ、どんどんふくらんで、よい高校、よい大学へと進み、よい企業に就職したとたんにはじけることがある。つめこまれた知識は役に立たない。つまり、社会人としては役に立たないのだ。

自分の子どものほんとうの幸福を願う人は、崩壊しつつある教育バブルに惑わされず、自分の子どもがその子にふさわしい道を歩んでいくための教育とは何かを考えるべきである

結局、放任し過ぎてもイケナイし、幾らコレが一番ベストだと親が考えた道を行くことを強制してもイケナイというコトです。真面目な方々は、真面目過ぎるが故に、子供達を追い込んでしまっているコトに気付かないと。自省を含めて、そう思います。必勝法というものは、この世に存在しないのですから‥‥  
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2007年03月25日

深い睡眠が一番の特効薬

ともあれ、人と仲良くするにはセロトニン神経系が関与しているので、環境からの刺激が必要になるそうです。

そして、睡眠覚醒リズムにかかわるセロトニン神経系というのは、強制してはじめて働くようになっている神経だし、昼夜を区別してセロトニンを誘発することが必要なのは、セロトニンがドーパミンの制御役だからです。それがちゃんとしてないとドーパミンの活動が行き過ぎても押さえられなくなります。昼夜の区別をしっかりして、目的をもった行動ができたときにはおおいに褒めることが大切。

日中の活動が低下して深い睡眠がとれないと、セロトニンが減ってドーパミンが変に活発になり、小学校時代は無気力になったり依頼心が強くなり、中学三年ぐらいになると甘えの反面の粗暴行動がでて来るになる。セロトニンの減少は対人関係に問題を起こしがちで、環境への適応を難しくするのだそうです。

ゆえに、不登校や注意欠陥他動性障害(ADHD)、いじめや度を越した暴力も、友達をつくれない悩みも、すべてここに根があるというコトだそうです。

以上のことは、瀬川昌也医師の研究に基づいて語られていることです。

「ゲームをしているときの脳はドーパミンの伝達が亢進しています。ドーパミン神経系というのは、いいことがあると頑張るという報酬系の神経ですから、ゲームに出てくる特定の場面や動きに強く動機づけられることがあります。しかも、反射的にやるので考えることがありません。

ですから、これはゲームなんだと自覚できる衝動を抑制させる仕組みができていればいいんですが、そうでないと変なのが来たら殺せばいいという感覚をおかしいと思わなくなってしまう。つまり、厳しく育てられていないために睡眠・覚醒がはっきりしていないような、セロトニンの抑制が利かない状態でやっていると、ゲームで植え付けられたものを現実にやろうとする衝動に歯止めがかからなくなる可能性があります。同じようにゲームをやっていても、おかしくなるかならないかを分けるのは、準本能的な仕組みがちゃんと発現できるようになっているかどうか」なのだそうです。

「深い眠り」これこそが、元気の基本であり、健康の源であり、世の中で皆と仲良くする基本なのですね。さぁ、ワタシもこれからやるべきことを済ませて、寝る様にします。オヤスミナサイ。  
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強者の論理の行き着く先

おはようございます。昨夜の続きです。

人の心が分るなうになるには、子ども社会での泣いたり泣かせたりという日常の中でさまざまな心の状態を経験することが必要で、いかに親から説教されたところで「他人の痛みが分かる」ようにはならない。ただ、親から狆,疏鉢瓩砲覆襪海箸髻嵒蕕韻燭藥瓦瓩平誉犬砲覆襦廚箸いΧ寡櫃箸靴謄ぅ鵐廛奪箸気譴討た子どもには、人を思いやる心は育ちにくい。また、早くから脱落者を自覚させられている子どもは、「そんなこと関係ネーヨ」となるだろう。と書かれてます。

ここまでいじめがはびこるのは、現在の子ども社会には「強者の論理」だけしかなく、弱者としての自分は絶対に否定されなければならず、いじめられた過去は弱さを思い出させるものとして厳重に封印され、他者の痛みを思うような感受性も意識的に追放され、その結果、暴力によって人を支配する優越感と自己充実感が、疑いのない価値として広範に拡がっていき、「殴ったり蹴ったりしていると、何か自分が強くなったような、偉くなったような気がして気分がいい」というトコまで、行き着いてしまうらしい。

多数の傍観者が強者になびくのも、ハブかれた子に近寄れば排除したグループから白い目を向けられ、自分もハブかれる弱者に転落させられるかもしれないという不安が、過剰な自己防衛となって、他者の痛みを想う感受性を追放させてきた。

そして、集団でやるときには、自分が仲間の中でどれだけ凄いことをやったかの競争になるので、やめるにやめられなくなり、やばいなと思っても言い出せず、歯止めのないない爐劼匹い海閥チ茘瓩砲覆辰董⊇害致死事件とかになる。人が死ぬことだとか、殺すことがどういうことかを未熟さゆえに、理解できないのだという。

さて、まだ、この話は続くのですが、少し前にグラグラと地震があって家が揺れました。我が家はそれだけで大したことはなかったですが、少々動揺してしまって、気持ちが落ち着かないので、続きは晩にさせて頂きます。  
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2007年03月24日

不感症の子供たち

今まで挙げてきたコトを、より実務的に関わっている人達の証言でまとめた本があります。
退化する子どもたち
少年法が改正されて厳罰化されても、それが抑止力にはならないと述べています。それは、家庭裁判所調査官や保護監察官、元少年鑑別所所長とか元少年院院長、それに家裁で少年事件を担当した経験を持つ裁判官だったりするワケですが、「抑止効果はナイ」だけでナク、「適切な矯正教育が行われなくなる可能性の方が高い」という、趣旨の話をなさってるワケです。前の本も、前の前の本の著者も述べていたのも、同じ話なのでココでまとめて書こうとしているワケです。

要するに、子供達は他人に対して不感症というか、感じたら傷つくからと感じることを拒否して育ってしまった子供が増えているというコトなのです。両親や教師や仲間から、屈辱をイッパイ受け過ぎて、それを感じなくするタメには、感じること自体を避けようとする。でも、無意識の部分では傷ついているから、抑え込んだものがマグマみたいになっていて、それが溜まりに溜まると爆発する。ただ、意識されてない、無自覚なコトなので、ブレーキが効かず、自分でも何でやったのか分からないママに、重大な犯罪をしてしまう様な子供が発生するというコトらしいです。

そういう子供が刑事裁判で裁かれた場合、逆に軽微な刑になるコトもあるというのです。
「礼儀正しく、すぐ反省して謝り、表面上はきちんと受け答えする非行少年」が刑務所に入り、規律を守って言われたとおりのことをやって刑期を終えるよりも、少年院の矯正教育で、日々少年を自分と向き合わせ、問題は何かを自分で見つけ、それを改めるように自己改革を迫られた方が精神的にはきついそうです。少年院というものは、根性を叩き直し、人間としての歪みを矯正しようとしているらしいので。

不感症の子供にとって、「自分がやったことがどういうことなのか、世の中から見てどうなのかなんていうことは全然考えていない。というより考えられず、被害者がいたとすら理解していない」可能性すらあるというのですから‥‥

『考える訓練』をされてナイ。「何で引ったくりや恐喝をしたか」と聞かれれば、「欲しかったから」と言うだけ。「欲しかったら、何時でも盗るのか?」と聞かれると「そうじゃない」と答える。「じゃあ、何でしたのか?」と聞かれて初めて、「先輩から脅された」などと話す。「どういう圧力だったか、それでどう思ったか?」と聞いていくと、「じゃあどうしたらいいか」という解決方法に考えを持っていけるという、何とも大変そうな話である。

「自分で何かをやろうとして、そのために考えるという経験がナク、みんなに合わせて、みんながこうだからとやっていれば考える必要はナイ。問題を起こした時も、何でそんなことをやったと怒るばかりで、どういう気持ちでやったのかを聞かれないから、考える道筋がつかないと言われると、なるほど、だから今朝のコンビニで万引きしようとした少女達はああいう反応だったのだと、少し納得出来る様になりました。

ちょっと、昔の子供には理解不能なトコがあり、勉強しないと今どきの子供達の気持ちはさっぱり判らないみたいです‥‥  
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面白半分で悪の道

おはようございます。次の仕事が迫ってますので、コメントを頂いた皆様、コメント返しは仕事が終わってからというコトでお許しください。読んではおりますし、励みになっております。何時もコメント頂きありがとうございます。

さて、昨夜の本の中に「罪悪感がない面白半分の非行」という問題があります。

これこそが、今の世の中の問題の大半ではないでしょうか?

本人が軽い気持ちで行ったコトが、他人にどういう迷惑が掛かるかという認識もナク、「したいからする」という考えを持った、刹那的な快楽を味わいたがる人々が大人にも増えているからかもしれませんが、子供の中に増大しているとワタシも実感します。

このことは、前に書いた「さらば、哀しみの青春」の本の中でも取り上げられていますが、コンビニエンスストアの中で、二人の女子中学生が窃盗(万引きと呼ぶから罪が軽い様に思うかもしれないが、万引きは窃盗であるという自覚がナイとも述べられています)の真っ最中で、一人がレジ側で壁を作り、もう一人が口紅やマニキュアを鞄に入れていたのを水谷先生が、トガめたのだけれど、店の人に謝る気持ちもナク、「運が悪いな、今日は。みんなやっていることだろ。うざったいんだよな」と外に出ようとしたので、警察に引き渡した。警察が来るまでも、「捕まえるんなら、みんな捕まえろよ。私たちだけなんておかしい。みんなやっているのに……」とくってかかってきた。自分の価値基準や行為の指標を善悪や正邪ではなく、他者の行動にあわせていく、今の典型的な子どもたちがいる、という趣旨の部分があります。

前にコンビニエンスストアの統括マネージャーさんが、とても怒って話してくれたコトがありました。「国立大学の女の子が、パンを数多く万引きしていた。あんなに食べられるワケがないから、おそらく友人に分けるのだろう。小売業なんて利の薄い商売なのに、そんなくだらないコトで、毎日働いて得ている利益がガクンと減ってしまうというのに‥‥」という様なコトを。ワタシも少し前まで小売業をやってましたから、判りますが一度チロルチョコの箱ごと盗られたコトがあります。小さい子供達の喜ぶ顔を見ようと、それなりに商品を充実させてましたが、それ以来バカらしくなって、子供商品は縮小傾向にしました。

最近の話題としては、元ライブドアの経営陣のあっけからんとした感じの株価操作(日興などを思えば軽いものだとはいえなくもナイのですが、それとこれは話が別なので)も似た様なものでしょう。「皆やってたとしても、悪いコトは悪い」という当たり前のコトが当たり前になる必要があると思うのですが、なにしろ日本の政治家や官僚のトップがトップだったりするのですから、難しいかもしれません。  
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2007年03月23日

今の「いじめ」の背景

今の子供達の問題を鋭くえぐった本の中に、現代の「いじめ」についての洞察が載っています。
なぜふつうの子供達が犯罪少年になっていくのか
土屋守さんという精神科医といじめられていた子供との共著になる『私のいじめられ日記』の孫引きになってしまうのですが、

いじめは人間関係の悪化の顕著な表れである。今、日本では狢膺佑寮こΝ瓩凌祐峇愀犬著しく悪化している。その人間関係の悪化が子供の世界にもろに反映しており、それに加えて子供の場合、精神的成熟度の不足によって人間関係を円滑にする狃甞衞瓩大人より足りない。人間関係を円滑にする狃甞衞瓩六匐‘瓜里寮犬たコミュニケーションの中からしか身につかないが、今は地域社会の崩壊や塾通いなどによって子供同士が遊ぶ場と時間を奪われ、結果としてテレビケームのような機械相手の遊びになり、あたかも子供一人ひとりが「透明な繭に包まれたような」状況が生まれている。また一人の子供の中に驚くほど幼稚な面と大人顔負けの世知にたけた面が同居している‥‥核家族化は「人間(たとえば祖父母)の死に対面する」という貴重な体験を子供から奪ってしまった。このような子供をとりまくもろもろの変化がいじめ死を引き起こす土壌となっているのであるから、どの子でも、その時々の置かれた状況によって、いじめる側にも、いじめられる側にも、傍観者にもなり得る。‥‥一旦、いじめる側になってしまうと、その子はその行為を隠すために、その後は教師に爛丱譽覘瓩茲Δ覆悗泙覆海箸論簑个砲笋蕕覆なるし、いじめた相手に「誰にも爛船らない瓩茲Α廾匈鼎靴討くことを忘れないようになる。いじめた子の家庭も自分の行状を知らないケースが多い。そしてその子は爛丱譽淵き瓩海箸房信を持ちはじめ、そのいじめ方は回を重ねるごとに陰湿になるという悪循環を起こす。

精神科医と犯罪学者である小田晋によると、今のいじめは三つに分類されるそうだ。

.縫錺肇蠅里弔弔順位型いじめ
◆屬澆砲いアヒルの子」型いじめ
H鷙垠燭里い犬

,禄腓阿蠅剖い個体が弱いあいてをいじめるのだが、クラス担任や生活指導の教師はサラリーマン化して、第一順位ザルとしてのいじめ制止の役割を果たせなくなっているという。

△歪構蠅任△戝蚕蠅任△譟⊂しでも大勢と違うトコを見つけてはいじめるのである。

はカツアゲの様な、暴力を絡めて金銭を要求するようないじめである。

昔より実数は減っているかもしれないが、より深く潜行して問題を外部に気付かれなくしているのが、現在のいじめや少年犯罪の特徴かもしれない。  
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千葉大女医殺人事件

午前の更新遅れてます。昨夜、今週末に控えた支店のオープンに向けて、最終チェックをして来て疲れた上に、午前の仕事だったので‥‥

さて、前の話題に戻り、今日はタイトルの事件の話です。流石に、この事件はよく覚えてます。事件を起こした医者夫婦とは、さほど年齢も違わないし、その頃には、ワタシも成人してましたから。当時のワイドショーでも大騒ぎしてましたからね。

改めて、テレビの大騒ぎが済んで約二十五年ほどしてから、その事件を振り返ると本当に様々なコトが見えてきます。

妻の研修医を殺した、研修医の父親は住宅販売会社の社長だったが、オイルショックで営業不振におちいり、銀行管理になり社長を退陣させられた。息子を私立の医大に入れようと、寄付金三千万円を払ったのが、社業が傾く原因になったらしい。

秋田駅裏の造成地には、息子を開業させようと、既に用地を確保してあったそうだが、開業医の一人娘で、東京女子医大と独協医科大の両方に合格していたのだが、婿養子を迎えて家業を継がせたいと考え、共学の方を選んだ将来の妻と息子が出合ったコトで、その地は夏草が生えた荒地になっていたという。

結局、夫婦は銚子市の開業医だった妻の親が購入してくれた千葉大医学部の近くの高級住宅に済み、家政婦まで派遣してもらうという、至れり尽くせりの厚遇をされたにも関わらず、婿は居心地が悪かったらしく、市内のソープランドに通い、フィリピン人ダンサーに入れ揚げるなどの放蕩をしたので、大学の三年生から同棲していた二人は、正式な結婚をして三ヶ月、「これから実家へ帰る」と深夜に飛び出した妻を、電気コードを持って追いかけた夫が路上で絞殺、強盗被害を偽装したという事件を起こす。

次男の裁判が始まり、東京に出た元社長夫婦は「下積みの生活で一からやり直」そうと、軽トラックに乗って、廃品回収業をし始めたそうだが、自宅の路上で脳内出血で倒れ、ほどなく息を引き取った。

殺人を犯した研修医は、懲役十三年の刑が確定し、服役する直前、拘置所の独房で自殺して「被告人死亡につき公訴棄却」となり未決囚で、医師免許を剥奪されることなく亡くなった。

夫婦して、親が敷いたレールに乗り、悲劇的な結末を迎えた二人の結末を思うと何だかやりきれない。彼らよりも若かったワタシは、とうに彼等の生きて来た年齢を過ぎ、当時の彼等夫婦の両親の年齢に近付いている。両親の子供を思う気持ちも理解できなくもナイが、やはり親の思うままに生きろと言われても、ロボットではナイのだから、難しいのだろうと改めて思う。  
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2007年03月22日

知るべきことが知らされない

さて、今度は「埼玉・連続少女誘拐殺人事件」の宮崎勤の家族の話です。彼のやったコトの中に、カリバニズム(人喰い)があったコトを、初めて認識しました。そういう話を聞いていたのかもしれませんが、記憶が欠落していました。

ともあれ、一番『そうなんだ‥‥』と思ったのは、彼が家庭内暴力の世代連鎖の終着点だったというコト。

祖父母は、子どもを七人ももうけているにも関わらず、祖父は女子従業員にも出産させ、認知しているという複雑な家庭で、祖父母は口論が絶えず、祖父は祖母を、殴ったり蹴ったりしていたそうだ。

そして、両親は僻地出身で働き者の娘を祖母が気に入って、「ぜひ長男の嫁に……」と話を進めて結婚。長男の勤が産まれた時の様子は、「姑がきびしく、妊娠中も結婚前の勤めをし、家では遠慮して十分な栄養も取れず、未熟児で産まれ、母乳も出なかった。ベタベタ母親が育ててロクな人間にならない様にと、住み込みの三十代の男の職人さんが、ミルクを与え、オムツを換えた。夜だけ抱きしめることができた」という趣旨のコトを母親が語っている。

掌を上に向けて、水平に揃えられないという先天的な障害があったが、積極的な治療もされず、中学では女子にイジメられたらしい。

この頃、PTA活動に熱心な父親は、女性の役員と浮いた噂が絶えず、それが口論になり、両親がケンカして、母親が殴り倒されるという夫婦間暴力の世代間連鎖があった。

可愛がってくれた祖父が死んでから、精神的におかしくなり、両親への暴力や幼児誘拐、そして殺人へと異常行動は悪化していったそうだ。

どんな家庭で育とうと、犯罪に足を踏み入れない人間もいるのだから、それをゆえに宮崎勤の擁護をするつもりはナイが、それにしても、その家庭に生まれたばっかりに、犯罪者へと転落していったと思われる人々の話を読むのは、ツライものだ。

こういう家庭で育ったら、とんでもナイことをしかねない人間になるだろうと思う人が数多く存在するコト、その背景を冷静に分析するコトこそ、本当の犯罪の抑止力になりうるコトなのだろうが、実際は猟奇的な話の方を優先したり、よりセンセーショナリズムに煽るのが、現在の多くのマスコミだ。我々が知るべきことは、このような残虐な事件を起こさざるを得なかった子供をいかに少なくするには、どうすべきかという情報の方だと思うのですが‥‥  
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父権喪失と言われる時代だけれど

おはようございます。地下鉄サリン事件でオウム真理教の「科学技術庁」次官だった広瀬健一の情状証人の話も驚きでした。

出廷した早大名誉教授が「早大で教えた三十年のあいだ、修士課程の学生総数はおよそ百人で、その中で広瀬健一はトップクラス」と述べたそうです。

残念なことに、卒論テーマを織り込んだ連名の論文を、教授が京都の国際会議に提出したら、認められずに送り返された。

論文のテーマは「高温伝導の二次元」で、金属が高温で超伝導になったという発見で、「国際会議の判定はナンセンス」とボツにされたことに強い反発を示したという。翌年のスイスにおける国際会議で「トップサイエンスである」と高く評価されたのだそうだから、この挫折さえなければ、広瀬健一は「二十世紀でもっとも重要な発見」をした人であり、「世界の物理学に根本的な違い」を生み出しただろうとすら教授が太鼓判を押す人物だったのだそうだ。

「秀才だけれど無邪気で、人を疑うことを知らないのが欠点だった。理系の若者は、文学や哲学など人生を語る教育を受けず、ジェントルマンになれないことがある。あのとき引き止めて、ドクターコースに進ませていたら、ノーベル賞級の学者になった」と。

母親の証言によると、博士課程へ行くか迷った時に、親は断念した理由を聞かなかったという。そして、出家したら自由に研究でき、一貫教育の理想郷をつくるというオウム真理教にだまされたのだという。

父親は、家の中にオウム真理教の本があっても、「知ってはいたが、私は宗教そのものを信じないので、本を見なかった」し、「二十四にもなっているのだから、本人の意思にまかせるしかない、と。縁を切って出て行った」ので「戻ることを期待していませんでした」とも。「論文が認められなかったのは、指導教授のせいと勘違いしていた」とも証言した。

オウム裁判の被告人の多くが「麻原輝晃に父親を感じた」と述べたというコトの意味を、我々はもう一度考えるべきなのではないだろうか。忙しいことを言い訳にせず。犯罪者の多くの父親は仕事で多忙で、家の中に存在感が薄いとも書かれているのだから‥‥  
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2007年03月21日

死刑になるかも金次第

本当はこっちの本を先に読んでいたのですが、あまりにショッキングだったので、何となく後回しにしてしまいました。今朝の本で、少し心が温まったのと、今晩のNHKで一生懸命な学校の先生の特集を見て、それが全ての先生ではナイけれど、そういう先生も居るというコトで、気持ちが少し穏やかになったので、穏やかざる話を書きます。
少年犯罪の風景―「親子の法廷」で考えたこと
これを悪用されたら、あんまりだという気持ちもあり、ともあれ『どうやっても死んだ人は生き返らないのだとすれば、せめて補償金は』とも思わなくてもナイのですが、やっぱり複雑な心境です。

家を売ってでも、多額の補償金を加害者の親族が遺族に提供しさえすれば、情状証拠として認められ、刑が軽くなるとは知りませんでした。

家族への不満を、赤の他人なのにぶつけられて殺された被害者こそ、イイ迷惑です。

とはいえ、情状が無ければ、多額の補償金など払わないだろうというコトも、長年、人間やって来て、多くの人々を見ていれば、おそらくそうなるだろうとは思います。特に、犯罪者を生み出す土壌の家庭環境ならば。

著者と同じく、娘と息子が居る身となれば、信頼してはいるものの、何かのはずみで強制させられてというコトもあり得ないとは、言い切れない世の中だけに、一抹の不安は全くナイというワケにはいきませんが、信じるしかナイのが親というモノです。

それにしても、主犯格の少年は、父親が証券会社に勤める猛烈社員で、平気で外泊して外に女を作り、ピアノ教師の母親とは幼少期から不仲だった両親を見て育ち、問題児になり、十八歳で十七歳の女生徒を四十日間も監禁し、強姦、殺人、死体遺棄までして、検察官は「犯罪史上においても稀に見る重大かつ凶悪な犯罪」として、無期懲役の求刑が五千万円の補償金ゆえに、懲役十七年とは、あまりにヒドイが、五千万円というのは、空前の金額であり、法律はクールに加害者の両親の遺族への「被害回復の努力」を認めざるを得ないとは、あまりに理不尽と言わざるを得ない。

1974年には、織物業者のボンボンが、中卒の女子工員を引っ掛けて妊娠させ、邪魔になったからという動機で二人も殺し、山中に埋めて、その後、資産家の令嬢と結婚したという事件は、当時子供だったワタシの記憶にはナイのだが、その事件も三百万円づつ被害者の両親が支払ったので、受け取った遺族が、裁判所に対して「寛大な処分をたまわりたい」と嘆願書を提出したために、死刑判決を免れたのだという。

狠蝋の沙汰も金次第瓩世伴卒兇気擦蕕譴襪里蓮¬快な話ではないが、生きる社会の現実である以上は、このことを直視しなければならないと言われても、やっぱり『ウ〜ン‥‥』と思ってしまって、ナカナカこの話は書き難かったのであります‥‥  
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再生への道

おはようございます。小説だからと言われれば、それまでですが、親子の関係を変えるヒントになりそうな小説です。
夏の魔法
ミステリーを封印しての第一作ということで、期待して読んだら期待以上でした。読後にとても気持ちが軽くなりました。ひきこもりの青年と、十五年ぶりに一緒に暮らす別れた父親との物語です。

皆が皆、同じ方法で問題解決とはいかないでしょうが、ひきこもりなどに悩む人、周囲の人にゼヒ一読して欲しい一冊です。

自然と離れ、機械的な生活をしている人にも、こんな生活があるのかと思ってみるだけで、かなり気持ちに潤いが出るだるうと思います。

この本の内容からは少し離れますが、それにしても、日本国内の酪農をはじめ農業を真の意味で確立させないと、食料安全保障の点からも問題だと思います。

安く安くという圧力が、生産者の意欲を失っています。農家の高齢化、小さな小売店の相次ぐ閉店による市場の形骸化。問題は山積みです。

だとしたら、我々はせめて国産の物を食べるように努力するしかないでしょう。

自然は人間を癒してくれます。自然にしっぺがえしをされないように、人間も自然の一部として、謙虚に自然と接し、そこから再生するしかないでしょうね。  
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2007年03月20日

過激な事件を起こす訳

あまりにイイ本なので、省略して引用を続けます。

今を生きる子どもには、こうした事件を起こして他者の視線を集め、周囲からの自己承認を求めようとする動きが強まっている。当然マスコミの反応を予想していて、派手な事件になる。切り取られた「現実」で「生まれ変わり」を夢想するのだ。日常で受け入れてもらえなかった「本当の私」がそこにあるのではないか、と。

日常で傷つけられた、低い評価しか与えられない「私」を、子どもは自分自身で認めることができない。すると日常とは違うどこかに「本当の私」を抱きとめてくれる場があるのではないか。そう思い、探し求めてさまよう

子どもは親の「支配的な物語」からなかなか自由になれない。子どもの側からは決して「親のせい」とは言い出せない。親は支配する者の特権で「子どものせい」にできるが、子どもの方は、「親のせい」にはしない。どちらが人間としての苦悩が大きいだろうか。「私のせい」と背負い込み、自己の責任に押し潰されそうになりながらも、子どもは必死に「自己改造」に走る。その際、子どもは四つの方法のいずれかをとる。

一つ目は「キレる」と言われる表現があるように、少年事件で見られる暴力という形で自分の気持ちを外に向けて出す。

二つ目は、病気になることである。

三つめはアルコールや薬物を取り込み「酔いの世界」に身を預けるか、摂食障害のように自己の身体を変えようとする。

四つ目はフィクションの世界や、その延長にある超越的な力が支配する世界に離脱しようとする。


親にとって子どもは果たせぬ夢の肩代わりだったり、連れて歩きたいペットだったり、あるときには欲求不満や暴力のはけ口だったりする。子どもは生きていく上で、親の保護を受けざるを得ないから、親の期待に応えようとする。

親の期待にそえないと「申し訳ない」と罪悪感を抱いて、「自分は親の失敗作」と自責の念が強くなる。強くなればなるほど、駄目な自分を懲罰するような攻撃のエネルギーは高まる。
  
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人間の身体は誰のものか?

おはようございます。昨夜の本の続きです。

これまで人間の身体は、親から授かったものとして家族に属していると思われていた。だが今は、自分に所属して「自由裁量権」があると考えるようになった。身体は自分が所有しているから「改造できる」「売買ができる」と思える。

援助交際で売春した少女の「だれにも迷惑をかけていない」という言い方には、自分の身体は自由に扱うことができるという判断が隠されている。臓器移植を進める医療の中にも、身体に対する自由裁量の考えが見え隠れする。それが私たちに、割り切れない感情をもたらしている。

さらに人間の受精卵の遺伝子を調べて、男女の区別や傷害の有無まで分かるようになった。私たちは「自分が望むいのち」を、自由に手に入れることができる時代に生きている。さらに心臓や神経、血液など人体のあらゆる臓器や組織に分化できる、「万能細胞」の研究が日本でも始まろうとしている。万能細胞をつくるには、母胎に戻せば赤ちゃんに育つ、人間の受精卵を必要とする。人々の身体への限りない欲望は肥大化し、その先に、体外受精の過程で多く生じた受精卵を、その親ばかりではなく第三者が利用できる自由裁量権をも手に入れようとしている。いのちの第一歩になる受精卵に対しても、私たちにとって役に立つかどうか、という「査定」の視線が絶えず注がれている。

そのように、受精卵までを自由に扱える、自由裁量権を認める社会では、世間の視線から望まれる「完璧な身体」が人々の目指すべき像になる。競争に打ち勝つ、ということが最高の価値の時代には、他者の「拍手の大きさ」が行動原理になる。異性を「そそる」かどうか、他者に受けるかどうか、が身体を扱うときの基準になる。まず自分を変えたい、と思うと、身体が可変可能らように視野に入ってくる。「生命は有限」「時間は繰り返さない」「肉体は傷つく」という「現実の掟」から離れて、自己はどこまでも自由である、と考えることを不自然と思わなくなる。そんな世界で私たちは生きている。当然、世間の目が集まる身体を、子どもは価値として選ぶ。受け狙いは果てがない。すると、現実から身体は浮遊し始める。

こんなに長く引用したのは初めてかもしれません。無論、今までのブログを読んでくださってる方々は、「身体髪膚これを親に受く これを咀嚼せしむるは不孝の始めなり」(だったかな?)という戦前の教育勅語の時代に戻って欲しいと言っているワケではないと理解して頂いていると思います。人間が何に対しても傲慢になっている。それが諸悪の根源ではナイかと思います。  
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2007年03月19日

開いた口が塞がらない‥‥

いやはや、ミネラルウォーターは光熱水費ですか、ズッと消耗品費だと思っていましたが‥‥しかも、一本5000円という高額商品でも‥‥無茶苦茶な答弁が続いてますね。

それでも、庶民や子供達には、勤勉に努力せよなんて言われていると思うとも本当にバカバカしくなります。
少年サバイバル・ノート―家族の中で「生き抜く」ために
この本を読んでじっくり考えて思うコトは、本当に世の中を悪くしたのは、ゆとり教育なのかというコトです?

郊外のニュータウンと呼ばれる地域で育った子供に、残虐な事件を起こす子供がいたというコトで、そうした地域を取材した著者は、こう述べています。

郊外のニュータウンでは、父は仕事に、母は家事に、子どもは勉強にそれぞれ専念して、現状の生活を落とさないように、さらに「上」に上昇していく暮らしが求められる。しかし、あまり目立たぬように、周りと同調しながら暮らさなければならない。「上昇」と「同調」の相反する規範が併存するニュータウンの暮らしは、「内向きの力学」がいっそう強化されやすい。

勉強ができる子はいいが、途中で挫折した子には、親の「教育的なまなざし」が抑圧として映る。親は「お前のため」という意味づけで、まなざしに拘束力を持たせていく。すると子どもは、親の期待にそえないと、絶えず自己懲罰として「駄目な人間だ」「この世にいても意味がない」と思い煩(わずら)い、肯定感が抱けない。

今の子どもは大卒や高卒の学歴の親を持ち、親より「成り下がる」ことがないようにしなければならない。学歴は人並みの条件になっているから、あって当たり前の時代になった。落ちないようにする、外れないようにする、というプレッシャーの方がきついのである。


「あなたのためよ」と笑顔を振りまく親は、どこにも欠陥がなく、うまくいかないのはこの自分にすべて責任があるように思えてくる。何も自己選択をしていないのに、責任だけは自分に舞い降りてくる苦悩を抱え、AC(アダルト・チルドレン)になりやすいのだという。

イイ本なので、明日に続きます。  
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スタミナアップにニラ!!

おはようございます。マトメて書いてしまいます。今朝は「ニラ」。

長野の有名な郷土料理というと、「おやき」とか「信州そば」。でも、本当に懐かしい料理は、「ニラセンベイ」。あまりに庶民的で、お店で売ってはいません(知らないだけかもしれません)が。

作り方はとっても簡単。長野以外でも食べてらっしゃる方はいるかと思いますが、ニラを数センチに切って、中力粉にふくらし粉(ベーキングパウダーとか重曹など)を入れて水で適当な固さにし、好みで塩とか砂糖とか味噌とか醤油とかを複数マタは単数で味をととのえて、フランパンに油を引いて焼くだけです。

あまりに簡単なので、御飯の足りない時とか、幼少期のおやつに食べさせられていたので、歳と共に懐かしい味になるのです。

長野は、夏場に庭先でニラが取れたりしましたから。今は庭が少なくなったり、親が外で働いて忙しがっていたりするので、現在の子供たちには、なつかしい味ではナクなっているかもしれませんが、昔は健康的なおやつだったのだと、今になっては思います。

ともあれ、成分の話にしましょう。昨夜と同じ出典です。ニラの強い香りは、ネギ類に共通するイオウ化合物の一種のアリシン。

アリシンは体内に入ると交感神経を刺激しエネルギー代謝を活発にしてくれる。

また、ビタミンB1の吸収を促進するので、豚肉やハム、魚介類などと一緒にとると、スタミナ効果抜群で、疲労回復に役立つ。

βカロテンも多く、体内でビタミンAに変化して、粘膜を保護し、ウイルスや細菌の侵入を防いで、風邪予防に効果が。

他に、カリウムやビタミンCも豊富
なので、昨夜の食材と共に、季節の変わり目の弱った体の強い味方。

ただ胃腸の弱い人、アレルギー体質の人は食べ過ぎに注意が必要。体にイイものを少量多種食べるのが、健康の秘訣です。  
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2007年03月18日

美肌を目指す方に

さて、しばらくお休みしていた「食べ物が作る健康」シリーズです。「日本農業新聞」の「アンドユー」の「くだもの図鑑」と「やさい図鑑」から。

エンドウの未熟豆をさやごと食べるサヤエンドウは、βカロテンを多く含む緑黄色野菜。βカロテンは、体内でビタミンAに変わり活性酸素を抑えるので、細胞の老化を予防する。

さやはビタミンCを多く含む。発育途中に最高になるので、未熟豆のサヤエンドウに多い。ビタミンCはコラーゲンの生成を助けるのでしみや、しわの予防になるなど美肌効果や生活習慣病予防も期待できる。βカロテンとの相乗効果で身体に免疫力をつけてくれるので、風邪の予防にも良い。


ビタミンCとなると、多く含まれるお馴染みはかんきつ類。ミカンは既にピークを過ぎてしまったので、今は伊予かん、デコポンなどの中晩かんと呼ばれるモノ。

黄色のカロテノイド、フラボノイドやカリウムなどミカン全般に含まれる成分は体のバランスを保ってくれ、疲労回復にも効果があるそうだ。食物繊維も多い。

愛媛の「せとか」という品種には、最近話題のβクリプトキサンチンなども多く含まれているので、動脈硬化、糖尿病予防に効果があると期待されている。


さて、サヤエンドウに戻ると、グルタミン酸の含有量が極端に多いので、こちらも疲労回復に効果がある。

サヤエンドウは、低温で貯蔵すると、でんぷんが減って、糖が増える傾向があるので、低温で上手に保温して、甘みを増しておいしく食べると良いかも。

春の季節感を出すサヤエンドウと、今が食べごろの中晩かんのミカン、緑と黄色の取り合わせで、見た目も綺麗になるので、春の食卓やお弁当の彩りに活用したいスグレもの達です。

ちなみに、お彼岸だというのに、長野は雪が沢山降って、本来の冬よりも冬らしくなってたりします。「暑さ寒さも彼岸まで」というハズなのに、地球の自然が狂い出しているみたいです。せめて、我々人間も、季節のモノを沢山食べて、自然の力で元気になっておきましょうね。  
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どうすれば傷ついた若者は救えるのか?

遅い午前の更新になりました。農水相のトンデモ発言について、「子供に高い倫理水準を求めるのなら、こちらの問題はどうなのか?」という趣旨の質問に対して、「それはこれと別の問題」などと一国の最高権力者と自称する人物が述べているのですから、世も末なのだと思います。

地道にひたすらに傷付いた若者を更生させようとなさる方々もいらっしゃるのに、ダブルスタンダードの社会は、その気持ちを萎えさせるコト請け合いです。

それでも、ひたすらに何とかしようとなさっている人が居る。その代表的な方の本です。
さらば、哀しみの青春―伝えたい。闇に沈む子どもたちの哀しみを…
NHKとかで、時々再放送などもされていますから、夜の街とかで子供を諭し、全国各地を講演して麻薬の害を説き、なんとかして真っ当な道を歩かせようと努力してらっしゃるのを知る度に、こういう人こそが正しい教育の筋道の話が出来るハズなのに、ロクに教育の何たるかも知らない様な、つまらない人物が教育基本法を歪めようとしているコトは本当に残念です。

本当に教育を建て直したいのであれば、誤った教育をなしたと思われる教師を公正に吟味すればイイのであって、単に上から押さえつけようとするだけで、全てがコト足りるワケではありません。

私は今までの教員生活を、常に子どもたちの側に立って生きようと努力してきました。子どもたちを育て、子どもたちの明日を拓(ひら)くのは私たち大人であり、大人たちが作った社会です。この意味では、許すことのできない犯罪を犯してしまった少年も被害者です。彼らをきちんと育てることのできなかった社会、そこにいたる前に何らかの手を差し伸べることのできなかった私たち大人こそ、加害者なのではないでしょうか。この現状を変えず、言い換えれば、大人自身が、大人の作った社会が変わらずに、ただ子どもたちにのみ変わることを求めることは、私には非常に許し難い責任転嫁に思えます。

「夜回り先生」と呼ばれる水谷修さんの上記の言葉をよく噛み締めてください。ワタシもそうだと思います。大人が私利私欲に走っていながら、子供達に自己犠牲だの、我慢などを教えようとしても暴発するだけです。

子どもたちはとても敏感なセンサーです。彼らは、私たち大人が失ってしまった繊細な感性で、私たちの社会の矛盾を感じ取ります。

というコトを思わなくなったとすれば、それは大人の方が鈍感になっているからです。渡辺淳一さんも「鈍感力」を「無責任な政治」を推奨する様なつもりで書いたワケではナイはずです。我田引水に走る、厚顔無恥な方々には、その様にしか受け取れないのかもしれませんが‥‥  
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2007年03月17日

帝銀事件の真相?

「冤罪」と言えば、その代名詞みたいなのが「帝銀事件」。その事件の真相を明らかにしたいという小説があります。
毒殺―小説・帝銀事件
日本軍が犯した罪は、虐殺事件、従軍慰安婦問題、そして、七三一部隊による生体実験が挙げられると思いますが、そのどれもが曖昧模糊とさせられています。

特に、生物化学兵器や毒物を実験していて、当時の世界最高水準だったという七三一部隊の持っていた研究成果は、アメリカが継承するコトにして、その責任を不問にしたコトは判っているものの、それゆえ、どんな研究をしていたのかは、未だに断片的にしか判っていません。


だから、隠蔽される過程で、「帝銀事件」も起きたのではというのが、この本の醍醐味です。

帝銀事件にはGHQの影がチラついているとは、前から言われていたコトではありますが、推理小説とはいえ、この様な形で整然と判りやすく書かれたものは、そうざらにありません。

真実なのか、どうなのかは自分でジックリ読んで確かめて頂くとして、日本にも治外法権的なコトは結構、存在してきました。

だけど、そういう話は、「国策逮捕」とは逆の、「国策隠蔽」によって、我々の様な一般人には知らされないままです。

ともあれ、CIAやKGB、そして中国の警察などが、国の治安のタメなら、非合法な殺人も厭わないコトは、周知の事実であり、米国の議場で「従軍慰安婦問題」が語られているコトは、過去の日本の人権を無視した政策を浮き彫りにするコトで、現在の北朝鮮の非人道的政策に対する世論を弱めようという意思が、見え隠れするのに、ワザワザ火に油を注いでから、沈静化させようとする政治家の思惑には、ドコかピントがずれている様な感じがします。

「物言えば、唇寒し」とは言いますが、日本の政治家には、裏の裏の裏を読んだという様な弁舌はホトンド無く、逆に弱味やマイナスを生みかねない事態を招く方々が大勢います。

死刑囚とされた男性が亡くなっても、未だに事件の裁判は引き続き、そして、決着を見ません。

もし、この小説の全てでナクても、一部でも事実だったとしたら、日本国民は、今までダマされていたのです。

こういう事実を捻じ曲げた話は、一体、何時まで続くのだろうかと思います。戦後のドサクサから、現代までも続いているみたいで、不快な気分にさせられます。
  
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友情と約束遵守が全ての基本

おはようございます。昨夜の本の衝撃はかなり大きなモノでした。前に読んだ本などからも、著者の考える理想の社会と、ワタシの考える理想の社会には、ズレがあると感じてはいますが、自分の意思を曲げない姿勢というものは、それはそれでスゴイことだと思います。

ともあれ、鈴木宗男さんの人となりはともかく、著者が思い描く国益のタメには、鈴木さんの傍らにいて、日本外交が崩壊しない様に、墓場まで持って行って欲しいコトに関して、黙ってもらえるタメならば、自らが拘束されるコトは必要だとまで、ストイックに思っているコトは理解出来ました。

そして、情報の世界で生きていきたければ、「存在しない」という話は当事者が合意しない限り、最後まで存在しないし、「会っていない」という約束になっている場合は、誰が何を言おうともあくまでも「会っていない」というルールが存在し、それは徹底的に遵守されるべきものであり、それを破った場合、ルールを破った者に対して属人的に責任が追求され、それには時効がないとするならば、「アリバイ」があっても、それを立証するコトは、その社会での地位を失うコトになるので、どうしても出来ないコトだとすれば、この事件を契機に多くの著作を世に問う立場になったコトは、決して著者の不利益になってナイのだろうと思った。

裁判の結果は、2030年になれば何が正しくて、何が間違っていたのかを我々は知るコトになるだろうが、それはともあれ、この事件を契機に、対米関係以外の外交チャンネルを狭めたコトは、おそらく日本の将来に禍根を残すコトになろう。

そういう意味では、この「国策捜査」は意味があったのだろうが、それが日本の国益になったかどうかは、かなり怪しい。

友人関係というモノは、友人が他の人物にも好かれる人物なればこそ、友人を独り占めしたくなるモノだが、完全に自分に隷属し、従順になってしまった様な友人は、やがて飽きられパシリにはされても、大事にはされないだろう。そして、強者である友人の関心が、別の新しいターゲットに向かう時、見捨てられるに違いない。利用価値がありそうだと思われている限りは、徐々に判りにくい感じで距離が遠ざかりつつ、奉仕させられるだろうが‥‥

無論、上記のコトは、ワタシが日米関係を比喩しただけだ。友人は、一人でも多く居た方が、リスクは分散される。八方美人は好かれナイが、忠犬は最後はうっとうしがられるダケ。そのバランスが外交だと思うのだが、人間関係を上手く構築出来ない人々が増えているだけに、日本外交も負のスパイラルに入っているコトだけは、とてもヨク理解出来た。この本を薦めてくれたくになかさんに、ココで改めて感謝の意を表したいと思う。  
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2007年03月16日

権力の怖さ

芥川龍之介の「藪の中」という小説ではないが、揉めている事柄について、どちらが正しいのかは簡単には言えないと何時も思ってはいるが、流石に本当にこれが事実なら、かなり恐ろしい。
国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
ともあれ、もし自分が「冤罪」で捕まったとしたら、映画の「それでもボクはやっていない」ではないが、普通は混乱してしまうだろう。そして、普通の人間だったら「冤罪」でも認めたくなるだろうとは思った。

一般人が、そういう羽目になるコトはマレだろうが、可能性はゼロではないのだから、将来のタメに一読すべき本であろう。もしもの時に備えて‥‥

TVやワイドショーが作り出す世論というモノの恐ろしさも、理解できるので。とにかく、双方の事情を斟酌しないで、勝手に白黒を付けたがる昨今のジャーナリズムは異常かもしれない。

裁判が国民の判断によって、決まる世の中が到来しそうなのだからこそ、冷静な判断が求められるのだが、過激で視聴者を煽る番組が増えている現状を思うと、これからの裁判は本当に大丈夫なのかと、少々不安にもなる。

「悪法も法」なのだから、「法」が悪いのであれば、「法を改正」すればイイのであって、情緒的に「こんな量刑は不足」だとは思うけれども、それを変に煽って「お涙頂戴」の話にしようとしている思惑が透けて見えるのは、ちょっとやりきれない。


本の話から、離れてしまったが、裁判に対する考え方もちょっと違って見えるコトは間違いありません。

ライブドアの元社長の裁判も、「国策捜査」なのか?という疑いも、生まれて来る。ちなみに、道義的責任という問題から言えば、「有罪」という判決に別に文句はナイのだが、もっと巨額の粉飾決算の「日興コーディアル」に対する捜査はどうなるのだろうか?という思いがある。

権力との距離によって、犯罪になるならないが決まるというのではオカシクないだろうか?
という疑問がどうしても頭から離れないのだが‥‥  
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親と子の葛藤

おはようございます。日本ほど、親と子で殺したり、殺されたりする国はないんじゃないかと思います。

心中の時に生き残った人に対する罪も欧米と比べれば、かなり軽い。お互いが、自立してなくて、もたれかかって生きているからだと思います。互いにもたれかかって生きるコトを全く止めるべきとは思いませんが、ある程度の距離を取るコトは必要だと思います。
これからの日本
久々に河合さんの本です。

ココに書いてある中で一番、心に残ったのは、「イニシエーション」としての「親殺し」だったり、「子殺し」。無論、それは実際の殺人とは違い、「心の中の幻影」を殺すのですが。

学園紛争も一種の「エディプス・コンブレックス」の裏返しという説には、『なるほど』と思いました。

子供時代に見る大人は、「親」に限らずとても大きく感じるものです。第二次反抗期の親子や教師の葛藤も、子供の体格が親や教師に追い付いてきて、巨大だと感じていた大人の存在が、さほどではナイと思うのだが、といって子供が一人で生きてはいけないという現実もあり、ストレスが溜まるのだろうと思います。

元服は、首切りの象徴的表現で、「子供時代の自分が一回死んで、新しい大人としての出発」を意味してたのでしょうが、今の成人式は、まだ親の庇護の元で学んでいる人も多く、ココで大人にという、厳然とした「けじめ」ではなく、だから、子供として親に保護されていた人は、今度は会社に保護されて、自分というものを確立させなくても生きていけてしまうのだと思います。

親子の一体感を一度断ち切って、一個の人間同士として関係を結びなおすコトが本当は大事で、親離れを経験しない人が増えているコトが、現代の人間関係の問題なのだと、やさしく解説して貰うと、ボ〜ッとそうかもしれないと思っていた世界が、霧が晴れてすっきり見える様な気がします。

やっぱり、タマには読みたい心理学者です。  
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2007年03月15日

虚しさに耐える強さ

今朝の本の続きです。一番、若者に伝えるべきなのは、規制するコトよりも、「淋しさとか、虚しさを刹那的な関係で誤魔化そうとするのはつまらないコト」だというコトではないでしょうか?

本の中に、大学の後輩が殺された事件も載ってました。ワタシが居た寮ではありませんでしたが、寮とかに入っていると、「見栄で付き合いたくなる」コトもあったりして‥‥それも、寮を出たくなった原因の一つでした。今みたいに、携帯電話が無かったから、外部からの電話は館内放送で呼ばれましたし、休みの日にゴロゴロしているのもつまらなかったりします。大したコトがナイと思っていても、休みにデートに誘ってもらえると、何となく優越感があったり‥‥(古い話です)

ともあれ、下宿に居たら居たで、誰かに話を聞いて欲しくなったりもして、若いというコトは面倒なものです。映画にハマって、時間つぶししたりしてましたが‥‥若いコロの話は、ちょっとガリガリ(頭を掻く音)みたいなコトもあり、数々の失敗の中で強くなったりします。

友人の中には、失恋して、本当にツマラナイ相手と付き合ったのも居たりしましたが、結局、自分でそんな「無意味な関係はバカバカしい」と思わないと、立ち直れないものです。

数多く誰かと付き合っても、魂をある程度ゆすぶる関係でないと、真の意味で「満たされる」コトはナイと思います。恋愛なんて、どうせマボロシなのだからとニヒリズムの方はともあれ、例えそれが錯覚だったとしても、自分が「満たされれば」それでOK。「自分がつまらなく」思えたらそれは、それだけの付き合いだったというコトです。

虚飾の仮面を付けて、ただ付き合っていても、ちっとも建設的ではないと気付くには、それなりの親とかに愛される体験をしていないと、難しいかもしれません。

子供を魔手から守る一番の方法は、小さいコロからの親の愛情(愛情にみせかけた支配ではナク)なのかもしれません。

フイルターなどは、それなりに有効かもしれませんが、裏をかく人間は世間に満ち満ちています。「真実を見抜く力」とか、「簡単にダマされない力」を子供に付けさせた方が、よっぽど安全だと思います。


ネットなどにも、限度を持ってハマるコトが大事なんだと思うので、こういう少々過激なトコもある本を使って、教育すれば効き目もあるとは思いますが、日本の教育は表面を撫でているだけ、というか靴の上から足を掻いているトコがありますからね。  
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出会い系サイトにすがりつく孤独

おはようございます。出会い系サイトにハマるには、既に歳もしているし、ヒマも無いしという毎日ですが、この本を読んでいると、若いコロにこういうシステムがあったら、どうしたかなと思うコトはやっぱりあります。都会での独り暮らしは、時として底知れぬ淋しさを覚えるコトもありますから‥‥
出会い系サイトと若者たち
出会い系サイトを利用する若者の話を読んでいると、心のエアポケットに、サイトがすっぽり入ってしまった様な感じがします。

学校でイヤなコトがあったりした時に、ストレスの発散をしたいと思って始めたとかいう発言を聞いていると、世の中に「ゆとり」というか、「余裕」がナイのだと思います。

昔だったら、周囲にいるヒマな大人とか子供の仲間とかがグチを聞いてくれたりしたものです。でも、今は皆がセカセカ忙しく生きていて、ヒマな人も居るには居るでしょうが、そういう人と関わりを持つコトが難しかったり、逆に大丈夫かと思わせる世の中になっていて、バーチャルなネットワークに携帯電話とかパソコンというクッションを通して接触した方が、逆に安心のように思えてしまっているのだろうと思います。

援交の手段になったりしているものの、上手に活かせば孤独に苛まれる人を救う可能性もあり、下手に利用すれば犯罪の犠牲者や加害者になる可能性もあるのだと思います。

ともあれ、婚期を逸しかけた友人が、チャットから交際が始まって、普通では到底知り合えない様な遠方の人と結婚して、子供も二人いる生活を築けたコトもあるので、分別のある利用をしていれば問題はナイのですが、やはり若者が利用する場合には、例えば、実際に会いたいと思った場合には、ある程度の素性が判らない内は、一人だけで会わないとか、具体的な指導も必要だろうと思います。

サイトをやるなとか、バーチャルで知り合った人とは絶対に会うなとかという、抑止ばかりでは逆にストレスを溜めかねナイので、知り合った機会をどう建設的なモノにするかという指導こそが求められているのではナイでしょうか?

昨日も、今の子供は学校で大人の監視がナイ場合は、バットを使った遊びが許されにくくなっているそうです。怪我をした時の責任問題などが絡むからだろうですが、本当に管理教育で、しかし、一度管理を離れた場所では無責任というのではあんまりです。

大人が居なくても、自分の力で安全に世の中のコトがある程度出来る人間にしてあげるのが、教育ではナイでしょうか? ケンカするにも手心を加えられるか、それとも殺しそうになるまでやってしまうかというコトと根は一緒だと思います。

個人の力量を高めていく教育というモノが大切なのだと思いますが、支配する側にとっては、それは迷惑なのかもしれません。それでは本当の成熟した社会が形成出来ないのだろうと思います。
  
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2007年03月14日

ただの人として、楽しく生きる

「ニートから、どう自立していくのか」というのは、かなり難しい問題だと思います。スパルタ方式だけで、問題が解決するはずもナク、放置していても状況は変わらないのが普通です。
希望のニート 現場からのメッセージ
この本に書かれている感じに上手くいく人もいれば、いかない人もいるかと思いますが、それでも現場で努力している人の話は、机上の空論ばかりしている人よりは説得力があります。

親と子の問題は色々あるとは思いますが、期待し過ぎる親と従順すぎる子供の問題。

子離れ出来ない親が、ニートを作るという実例に出会ったコトがあります。

手伝いをホトンドさせてないので、中学を卒業してもロクな掃除も出来ない子供、それでも自分でそれなりに働こうとしているのに、親が迷惑だろうからと引き取って行った親がいました。

「獅子は我が子を谷に落として、這い上がる子供だけを育てる」というホド厳しく育てる必要はナイと思いますが、モノには程度が必要です。

知っている人の中にも、ニートの範囲(15歳から34歳)を過ぎても仕事をしない人がいます。その人がまだ、大学生のコロ、母親が靴下をはかせてやっていたのを見て、のけぞったコトがあります‥‥

ニートならびにもっと歳を取っても働かずにいる人は、結構多いらしく、色々な話をしていると誰でも周囲に必ず一人くらいは、そういう人がいるみたいです。

ともあれ、何かをしてみるという気持ちがナイと、ズルズルっとそのまま月日が過ぎていってしまうだけです。

スゴイ人になろうとするよりも、日々少しづつ自分の力で生きていける人になる様に努力すればイイんだよというメッセージを、発信し続けるコトが大切だと思います。

ともあれ、人間を仕事をするパーツとしかみない会社、利益優先の時代にドロップアウトする人々の方が人間的なのかもしれません。

そういう心優しい人々が、世の中で受け入れられる社会になって欲しいと思いました。
  
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妄想と空想と現実と

おはようございます。小説の中には、現実に潜む危険を拡大して知らせてくれるものが、時としてあります。昨日の朝の本もそうでしたが、今朝の本は、近未来小説として読むとかなり怖い。しかも、現実の話として語られているだけに、リアルで。
青らむ空のうつろのなかに
タイトルの小説とかもだが、巻頭の小説が一番怖い。

我々は、飢餓という状態を知らず「飽食の時代」と呼ばれる時代に生きている。しかし、考えてみればそれは虚ろな「砂上の楼閣」なのかもしれないのだ。

戦前も、戦中も大変だったでしょうが、それでも「互助」の気持ちがあったし、「モラル」も残っていた。

考えてみれば、今の様なモラルが欠落しだした時代で、危機的なコトがあれば、修羅場になるのは目に見えている。


食料備蓄というか、お米だけは新潟の生産者から、取れ秋までの分を買い置きしてあるし、1週間程度の食料はありますが、今はコンビニとかで買えばいいからと、自宅に置かない人も増えていると思いますが、やはりそれはかなり危ないコトだろうと思います。

日本国の防衛という観点からも、「軍事力」だけでナク、食料安保という観点から、休耕田を無くして、食糧不足の国に援助米として送るとか、誰にでも目に見える支援などをして、世界と仲良くするコトが、一番の「安全保障」なんじゃないかと思います。

「防衛」イコール「軍事力」という、単純な発想は危ないと、よくもこんなに現実をデフォルメ出来るものだと思う様な短編小説集を読むと、思ったりもします。

作物を泥棒する人々を防ぐタメに、竹槍などが登場する様な異変が起こらないコトを祈るしかないのでは辛すぎます。異常気象が続いているのを考え合わせると、単なる「妄想」と片付けるワケにはいかないだけの衝撃があります。  
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2007年03月13日

テレビの裏側

今朝の記事を書いてた時は、高知空港周辺は大変なコトになってたのですね。それにしても、今朝の本の中の機長さんみたいに、上手なパイロットでは良かったですが、そういう問題ではナイような‥‥過去に何度もトラブルがあった飛行機だったのだとか。設計ミスなどなどは怖いですよね。あまりに似た様な話の小説を紹介してたので、背筋が寒くなりました。昔、「霊感少女」ぽかった時は、結構そういうコトがあったのですが、最近は「オバサン」になってますから、ほんの少し偶然があるだけなので。

話は変わり、過去にもトラブルが多かったという様なマイナス情報は、インターネットの方が手に入りやすいものです。テレビでは、オブラートに包まれる傾向が強く。その辺が、玉石混交の情報だと判っていても、インターネットを始めるとテレビではモノ足りなくなるのだろうと思います。
テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか
大体、そうらしいという話は聞いたコトがありますが、テレビとインターネットとの関係をすっきり説明してくれる良書ではあります。

現在の状況は理解出来るけれど、将来は誰にも判らないのではありますが、本当にどうなるんだろうと思ったりしますね。

ともあれ、インターネットはある意味「パンドラの箱」なので、開いてしまったからには、もう二度と無かった時代には戻れないわけで。封じ込められていた悪も、世界中にバラまかれたかもしれませんが、箱の中にただ一つ残っていたのは「希望」。正に、その通り。これからの使い方次第で、どうにでもなるものですね。

デジタル放送にやっきになる理由も、ある程度理解出来ました。新製品に慌てて走るという性格ではナイのですが、よりじっくり考えてから、テレビを買い換えるべきだと思いました。

あまり、テレビやインターネットが充実するのも、現実感が低下するのでイイとばかりも言えないかもしれませんけど‥‥増え続けている独身男女がなおさら増大しそう。社会保障はともかく、老後が前と違って近付きつつあると認識しだした身には、孤独な老後はつまらなかろうにというお節介な思いが、どうしても拭えないので。気の合う人と家族になり、子供が出来ても出来なくても、楽しく暮らすのは、そんなに悪いものではナイと思うので。

しかし、働かない方が儲かるような仕組みの地方局のテレビの体質には驚きました。何時までも、そういう甘い汁は吸えない時代が、確実にソコまで来ているみたいです。  
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コンピューター依存し過ぎは危ない

おはようございます。「ウィニー」など、色々なウィルスによって問題化するコンピューターの問題が素人でも理解しやすい小説だと思います。
クラッシュ
読んだのは単行本なのですが、写真が付いてないのでこちら。

ともあれ、約10年前にコンピューターやインターネットの危険性にここまで気付けたのはスゴイでしょうね。本の中に出て来るアメリカ大統領が、こんなにイイ人だったら、世界はもっと良かっただろうにというのが、一番の感想だったりします。

実にくだらない人間的なイザコザが、その気になれば世界を破壊しうるだけの発端になるというコトは本当に怖いですね。

大事なモノは必ずバックアップするべきでしょう。ちなみに、今年も確定申告が終わりましたが、以前、一生懸命入力したデータが消えて、ヒイコラしたので、時間が掛かるデータは必ずデータ保存しているので良かったと思いました。(高額なミネラルウォーターを領収書ナシで認めてもらえる身分になりたい様な気分もしますが‥‥ああいうバレバレの嘘を認める様な発言をして、納税意識はどうなるんでしょうか?)

車も自動運転を目指しているみたいですが、補助的にならともかく危ないと思います。

機長席に乗客の女性を座らせて、写真撮影をした機長もいるそうですが、自動操縦になると皆気が緩むどころか、だらけてしまいますからね。

パイロットという人々は、高給を貰うのは、時として命を賭けることもあるし、イザという時には命懸けで乗客の命を守らなくてはならないからです。

何時も何時も緊張していろとは思いませんが、コンピューターを過信している機長あたりには、ゼヒこうした本を読んで欲しいですね。

何時の間にか、汗水流さずに楽して儲けるコトを目指す傾向が出て来ていますが、昔の様に苦労すべきとは言わないまでも、流した汗は報われるという社会にならないと、マジメに働くのがバカバカしくなりかねません。

そんな日本が「美しい国」なのか? 内閣が目指すという目標と、実際にやってるコトは正反対だと思います。  
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2007年03月12日

日興にみる巨悪の横暴

今朝の本で、「今、世界を覆うグローバリゼーションは、真のグローバリゼーションではない」という言葉があったが、本当にその通りだと思う。

少なくとも、証券会社が決算の不正を働いたのは、他の業種とは比べ物にならないホド、問題になるべきコトだ。

一般に、教師が児童買春をしたり、警察の関係者が逮捕されたら大騒ぎになるのは、自らのテリトリーなんだから、そういうコトをするなというコトである。

しかも、今回は「日興コーディアル」は上場廃止の方向というニュースが流れ、中国発の世界的株式暴落の際の安値でTOBをシティグーループがするという。

上場廃止のニュースに踊らされて安値で売った人間はダマされたみたいだ。ともあれ、既にこうしたモラル違反は知っていて株主になっていた人に、同情すべきかどうかは意見が分かれるとは思うが、少なくとも「不正会計」を知らなかった一般の人々は気の毒ではある。東証に対する信頼は、以前から無きに等しいが、マスマス世界の人々に「日本の常識は、世界の非常識」なのだと認識させたコトは間違いナイ。

シティグループの子会社になるという話を聞いた時に、おそらくこうなるんじゃないかという疑念が浮かんだが、まさかそれが的中するとは思わなかった。

上場を廃止しないという理由は後付けで、必ずや背後にアメリカの意向が働いているに違いないと思っている。

「日興」とは無関係だからと、国民が無関心でイイことだろうか?

日本のアメリカに対する考え方は、植民地が宗主国に対するものに似ているという今朝の本の指摘は、全くその通りだ。

ココまで、金融行政が歪んでいるとは思わなかったというか、今までもヒドかったが、これからマスマス変になる前触れなのかもしれない。

郵便貯金や簡保の御金は、この先どうなるのかと、不安はイヨイヨ増大してきた。日本人は、アメリカの奴隷になるしかないのかと、絶望的な気分になってしまった‥‥  
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コロンブスは残虐だった

おはようございます。日本とアメリカの関係を見直してみないかという本があります。
日本は略奪国家アメリカを棄てよ―グローバリゼーションも共同幻想も必要ない
アメリカの歴史は、先住民の財産を奪ったコトに始まるという話です。ただ、好きだとおっしゃっていただいている日本の奈良時代や平安時代、江戸時代も平和だけではなかったと思います。

日本の歴史も、公式の歴史は綺麗ごとばっかりですから。

少し前に、何かを連続して書いていた時だったので、書かずにいましたが、現在、本当の「継体天皇陵」と関係者に呼ばれている発掘が進んでいます。

宮内庁が「継体陵」と指定している場所は、時代的に合わないのです。でも、無視している。ただ、だからこそちゃんとした発掘調査が出来たので、それはそれでありがたいのですが‥‥

前にも書きましたが、奈良時代から平安時代になったのも、単なる遷都だけではナク、ドロドロとした政権争いがあったからです。

ただ、そういうコトを正直に書いたのでは困るから、綺麗ゴトの歴史が好まれるのはドコの国でも一緒なんだと思いました。

従軍慰安婦の問題も、首相周辺があまり人権を無視した発言をしていると、日本に北朝鮮を批判する資格があるのかという世界の反応になってしまうでしょうね。

暗黒の時代は、暗黒の時代として反省すべきなのだとシミジミ思いました。

アメリカの先住民や黒人に対する姿勢、そして南北戦争も単なる「北が善で、南が悪」という単純な図式ではナイことに、驚きました。

南北戦争の後、北部の人間が所有していた「奴隷船」がインドから中国へとアヘンを運ぶ船となり、重労働を中国人にさせようと、アヘンでフラフラの時にアメリカ行きの契約書をサインさせて主に「上海」からサンフランシスコへ。

ゆえに「shanghai」という言葉が「誘拐する」「拉致する」という意味になったのだそうだ。

アメリカの少なからずの人々は、今も昔も、相手のためを思って何かをしてくれるのではなく、自己都合だけを考えた腹黒いアメリカ人の存在があるのだという。今、驚いて読んでいる最中です。  
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2007年03月11日

庶民はコツコツ働いてるのに‥‥

やはり昨日の無理が響いて、本日バテバテでした。無理しなくてもイイとは思うのですが、「来たいけれど、ナカナカ休みが取れなくて‥‥」という御客様の都合を知っている場合、「満員なので‥‥」と断りにくいもので、皆さん一生懸命働いて疲れてると思うと、「明日は休みだから大丈夫」だと無理してしまったのがいけなかったのでしょうね。
告発封印
この本にも、真面目にコツコツ働く人々が出て来ます。でも、報われるかといえば‥‥

ミステリーゆえにアレコレ書けないのが、残念ですが必ずやこの本を読んだら、巨悪に対する怒りがフツフツと湧いて来て、真面目に働いている人々が愛しくなると思います。

ワルの子供に対しては、アレコレ言いたい文科省の人々に、マズは内閣の恥さらしの方々にアレコレ言って欲しいものです。

国のトップが恥知らずなコトをしていて、何が「教育」でしょうか。

子供に正しいコトをさせたかったら、マズ大人が手本を見せるのは当然のコト。

国会をも愚弄する人々が政治を取り仕切っているのに、何で子供が真っ当に育つものでしょうか?

地方分権に逆行する、文科省の支配に学校を置こうとする前に、政治家の方々に子供の手本になってくれと、何故、言えないのでしょう。


同じ穴のムジナだと思っているのならば、何も言うべきではありません。教科の未履修問題で大騒ぎしたのは、こういう伏線があったのかと思うばかりです。

問題教師もいるでしょう。でも、そういう人間が世間にも存在するのですから、そういう人間とどう付き合うのか、その人をどう対処するのかを子供に見せるコトが教育で、ロボットみたいに国の顔色ばかり見ている教師ばっかりだったらと思うと、逆に背筋が寒くなります。

十億ドブに捨てても構わない社会があるとは驚きでした。そういう社会にしたのは、「教育」だけが問題ではナイと、きっとアナタも思います。  
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2007年03月10日

「常識」を疑え

本日、色々あってかなりハードに仕事するコトになったので、ヘロヘロです。このまま寝てしまおうかとも思ったのですが、それではマズイと思って、何とか書いております。

少し違和感があるものの、それでも時々読みたくなる作家、やはり歳が近いからでしょうか。
いまどきの「常識」
ただ、出て来る問題はニュースと絡んでいるので、時間が経つと「ニュー」で無くなるという気持ちになりますが‥‥

今、一番気になるのは「ゆとり教育は失敗だった」という常識の項。

「心のこもったおふくろの味」を強調して、「手作り料理」さえ出せば犯罪が減少するという説は、今朝の本の中でも、少年院送りになった生徒に対して、担任の教師が「『食』は親との絆の象徴。母親の弁当を拒否し、家で夕食を食べなくなった時点で、家での居場所をみつけられなくなった」という話と共に、ちゃんと手作り料理だったとしても、「食卓が楽しくない」とダメだと書かれている。

「家の食卓では母も姉も会話が返ってこないし、父は怒るだけ。寂しくて落ちこんじゃう」という理由で、家に寄り付かず、覚醒剤にハマったり、組織売春に目をつけられ、危ない目にあったことも、それでも家に戻るより、遊び仲間とたむろしているほうが、ずっと楽しいという少女もいる。

女はおとなしく家を守ってさえいればイイのだという意識が抜けない人が、「手作り料理」の少なさが犯罪の誘引になっているという説に飛び付きやすいのでしょう。

今は、男性が「主夫」する人すらいます。そして、何より、「手作り料理」という形よりも、「仲の良い家族」という中身が問題なのです。

学校の「ゆとり教育」が問題なのではなくて、「落ちこぼれ」と呼ばれる生徒を救えない今の教育システムが問題なのではないでしょうか?

教師が雑用で忙しすぎて、補習も出来ない。「勝ち組負け組」などと呼ばれ、「負け組」は敗者復活出来なくても仕方ナイという社会の風潮があり、「落ちこぼれ」と呼ばれる生徒に希望が見えないコト、それこそが問題なのではないでしょうか?

ワケなく他者をイジめたり、暴力を振るうコトはありません。その理由を見極めるコトもナク、教室からの排除といった安易な道を選択しようとしている今の教育行政に、未来はナイとワタシは思います。

これから、「ゆとり教育」が撤回されて、「管理教育」になった時に、「あぁ、マタ失敗」だったでは困ります。子供達は、モルモットではナイのです。朝令暮改の様な、猫の目行政による教育の犠牲になるのは、多くの子供達なのですから。  
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世代間連鎖を断ち切る決意

おはようございます。さて、昨夜の話題ですが、数日前に引用した「あなたはもう幻想の女しか抱けない」というトコから、こういう厳しい発言を抜粋して、引用させて頂きましょう。

大人はたとえどんな子供時代の家庭の歪みを背負っていても、それに気づき是正できる、自己決定や修正のチャンスと時間を与えられているのだ。だから、「私は歪んだ親子関係のもとで育ったAC(アダルト・チルドレン)だから、人の心を傷つけてしまう」とか、「親が過剰管理したから、殺人を犯した」という自己正当化は許されない。が、子供にとって家庭や親はある意味で「絶対」であり、相対化することはできない。

外側は堅牢に見えても、内部が空洞化していたり人間関係が腐りかけている家庭は、根深い病巣を抱えている。まったく生きる喜びのない「廃墟」や、深呼吸もできないほどがんじがらめに支配する「牢獄」にもなり得るのだ。が、それでも親が「よきもの」だと、必死に信じこもうとする子供たちには選択肢はない。

自己承認のない空洞化した精神のまま大人になった親が、子供に「お前はOKだ」とメッセージを送れるわけがない、だから彼らはあらゆる方法で自尊心の欠落を埋めようとする。

子供を飼い犬程度にしか思っていないから、逸脱行動が見え始めると、訓練士に預けるかのように「手におえない。躾は学校にお任せします」となる。

子供は生まれてくる家を選べないのだから。


少年犯罪を防ぐタメにも、社会的にACを撲滅する様にしなければならないのに、果たして日本の教育はそういう方向に向かっているだろうか?

より過剰な管理教育に向かうというのであれば、問題はマスマス進行するに違いない。

我々は、物事の真実を知り、それに向けて対処する方策を練らなければならない。

ACになったコトはあなたの責任ではナイが、自ら変えるべき課題なのである。その自覚をしなければ、不幸な世代間連鎖が続くのだというコトをしっかり心に刻まなければならないと思う。  
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2007年03月09日

グループ・カウンセリングと回復

グループで語るコトは、自分の話で他の人が涙したりうなづいてくれたりします。乾いた砂に水がしみこんでいくように、共感をもって聞いてくれる人たちがいるのだそうです。

親を語るということは、必ずそこに流れがあって、ストーリー化され、言語でストーリーとして語ることで、自分と親との関係が「言葉」になり、自分の外へ出ていきます。このことで自分と親との関係が一人で頭の中で考えていたものとは別のものになり、感情も伴うので、怒り、悲しみなどの感情も放出されます。抱え込んでいたものが外に出されて、軽くなり、「怪物のように大きな存在だった親」が収縮していくのだそうです。

怪物みたいに大きな親の演出で、脇役や共演者として、自分の人生を親の人生を支えるタメに生きて来た人生を、自分が主人公のストーリーに変えるべきなのです。

親との関係は和解してもしなくても、許しても許さなくても、憎んでも憎まなくても、折り合いをつけてもつけなくても、駆逐してもしなくても、どちらでもイイのです。自分がしたいように親との関係を「自分のストーリーの一登場人物」として整理して、自分の人生を、自分が主役で歩める様になれば、それでイイのです。

心理療法の一環として、サイコドラマも有効です。自分が自分以外の役割を演じるというコトです。

例えば、母親に何かを言いたいという人がいても、それを面と向かって言えない人が、「子どもになって、言いたいコトを言う」、それから、別の人に「子ども」になって貰って、自分は「子どもの母親」となって、母親に言って欲しかった言葉を言うのです。

抑圧されていた母親に「初めて言いたいことを言え」、母親を演じて「言って欲しいけど、言われる可能性が低い言葉を言う」ことで、現実の生活での行動に自信となってつながっていくのです。

演じてみると頭で感じていたこととは、違う新しい体験であり、現実の生活でも出来ることが拡がります。自分の人間関係をドラマで変えることが、現実を変えることにつながるのです。

そうやって、世代連鎖の関係を断ち切り、自由な人生を歩み出せれば、楽になります。対人関係の悩みが全て解決しなくても、それなりに人生を楽に生きていける様になれば、それで充分なのです。力み過ぎずに、自分の人生をゆったり生きれれば、それでイイのですから。  
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自分を主語にストーリーを語ろう

おはようございます。我々は他人の事柄を話すことに慣れていて、他人の意見を紹介しやすいと言われたら、どう思いますか?

「イイヤ、そんなコトはナイ。私は自分を主語に話している」と言い切れる人は、そんなに多くないと思います。

ただ、それをしたとして、カウンセリングの場合は「話すことのすべてはOK。それを批評したり、批判しません」が、問題のある人の場合は、「自分」を主語にして語るストーリーをちゃんと聞いてくれる人に巡りあってきてナイのです。

ゆえに、他者の評価に脅え、とまどってきた人には、「自分が主語のストーリー」を語るというコトは難しい場合もあるというコトです。

「自分と親」、「親と自分」について繰り返し語ると、その話は少しづつ変化します。新しい記憶が甦ったり、親についての新しい発見があるからです。

自分が思う過去の記憶と、実際の記憶が違うコトはママあることです。例えば、幼少期に心の傷となった出来事も、親にしてみれば些細な出来事というコトもあります。

ともあれ、その時の傷を親が理解し謝罪してくれるなら、本当は一番イイのでしょうが、親は些細なコトだと思っていたり、子に対しての謝罪という観念自体がナイ人も居るワケで、ナカナカそれは望めません。

あまりに辛すぎる記憶は、忘却や否認するコトでしか生きられないコトもあります。「悲惨な人生だった」と思いつつ、「どう悲惨だったのか?」というコトには触れず、ただそう思って生きて来た人はいると思います。

どのように酷かったかというコトをツライかもしれないが、思い出すうちに楽しい記憶も甦る場合があり、それが過去の許容量の拡大につながり、自分の中のストーリーの書き換えが起こるというコトです。

人の評価を気にせず、自分で殺してきた感情を「私」を主語にして語ることで、自分がここにいることを結果的に肯定するストーリーができます。


自分はこう生まれ、こう生きてきたという物語を話し、私はこの世に生まれてもよかったのだと、物語が書き換えられるのです。

過酷と思われるドラマをくぐりぬけ、生きていることを肯定出来れば、ACだった自分が「生き残った」コトに感謝できるというのです。

晩は、グループ・カウンセリングについて詳しく。  
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2007年03月08日

自分を振り返る余裕がナイ男達

さて、今朝の話の男性、ドコがACなのかと思う人もいるかもしれませんが、そういう方のタメに、ACの話ではナイ本から、ズレている部分を指摘して貰って、では、どうすればという話に持って行きたいと思います。
あなたはもう幻想の女しか抱けない
少し古い本になるのですが、前に書いたこの著者の本よりも、なるほどと思う部分があります。ココで指摘されているのが、いわゆる「三高男」の勘違い。

子供がエリートになるタメならと、自分を殺しても尽くしてくれた(というか、子供がエリートになるコトこそが、自分のアイデンティテイと考えてのコトだと思われる)母親の愛情に支えられた男性は、パートナーも自分の実存をすっぽり包んでくれるだろうという「幻想」を抱きやすい。

プライドも高いから、自らが捨てられるというコトにも耐え難い。そこで妻から申し出る離婚の際は、夫へのプライド代としての慰謝料の支払いも増えている。そうやって、和解金を払うコトで決着しても、引越しの荷物を取りに行った時に、感情的になった夫がからんだあげく口論になり、一悶着というコトもあるそうです。

イイ学校を出て、イイ職場に勤めたなら、必ず「幸せ」になれるのだという想いが「幻想」だと認めたくナイ部分が男性にもあるでしょうが、女性にとって最初は「三高」が魅力的だったとしても、ある程度付き合って、自分とは合わないと思えば「それで終わり」というコトはヨクあるコトです。でも、それを認めると男性側の「虚構の自分のアイデンティティ」が壊れてしまうので、認められない場合も存在するというコトです。

そして、今朝の本に戻ると中年という世代のあやうさが問題になってきます。中年時代の恋というものは、もう一度人生を仕切りなおして、もっとハッピーに生きようということと関係しているからです。

おそらく、もう二度と20歳近い歳の差の若い女性と交際するのは無理だと自分でも気付いていたと思います。それもあって、ラストチャンスの様な若い女性との交際が、プライドを傷付けられる相手からの拒否でピリオドを打たれた時、理性が消えて激情に歯止めが掛からなくなってしまったのでしょう。

それでも、年齢に相応しく分別ある人間になるタメ、もしくはチャンと愛される人間になるタメには、「インナーペアレンツ(自分の中にいる親)」との関係が問題になるのです。

支配的な親が心の中にいないとか、おとなしくいるだけなら問題はナイのですが、心を支配し、人生に関わり続けられていると苦しくなります。そうした関係の清算こそが、「本来の自分の回復」なのだと述べられています。


明日は、そうした親との関係の清算方法についてを書き込みます。今夜は、この辺で。  
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AC(アダルト・チルドレン)という病

おはようございます。エリートの43歳の男性が、17歳も年下の女性をメッタ刺しの上で殺したという話を聞くと、やはり心を病んでいたのだろうなと思います。
「アダルト・チルドレン」完全理解
バツイチで母親と二人暮らし、交際中は男性の家にも遊びに行ったコトもあるという話ですが、それだけで決めるのも早計かとは思いますが、普通は別れを告げられたからといって、相手を殺して自分の一生を棒に振ろうとは思わないでしょう。

こういうバカげたコトをするのは、「子供のまま」の部分がさせるコトです。抑圧されていた「イイ子」の枠がバッと外され、「フリー・チャイルド」の部分が爆発してしまったのでしょう。

上の本の中で、ACというのはアルコールなどの嗜癖などの問題だけではナク、親が子どもに対し、教育やしつけという形で子どもを自分の思うように仕立てたい、という形が問題なのだというのです。

子どもが大人になるタメには、あらゆる面で親が育てる時代もありますが、ある程度の年齢になったら、「あなたはあなたの思うままの道を行け」というような離別が必要なのですが、成人したら別暮らしが当然な欧米と違い、日本では親子関係の緊密さがナカナカ絶ち難い人もかなり多いのです。

「あなたのタメを思って」と言うけれども、本当は『こういう感じの人になってくれるのが、ワタシの希望なんだけど、それは言外に汲み取って頂戴ね』というバックグラウンドを意識させつつの「あなたのタメ」という言葉の意味を考えた時、そういう人の恋愛は、対等な人間同士の関係ではナク、自分が親にされた様に、「相手を自分の思い通りにコントロール」したいという欲求が生じるの可能性が高いのではないでしょうか。

そういう関係となると、「逃げ出したくなる相手」というモノも存在しますが、「親の支配から逃れられない人間」にとっては、それはものスゴイ裏切りに思えてしまうでしょう。

そういう自分では出来ない「束縛からの脱出」をする人間に対する感情は、殺人も出来るだけの憎悪に転換が可能だというコトは考え過ぎでしょうか?

そういうコトは、無意識の領域なので、当人が自覚しているにせよ、してないにせよ、そういう気持ちが在っての「殺人」だったのではないかと思えます。

本では、ACとは自己認知の問題であり、「病気」ではありません。だから「治る」「治癒する」という言葉は使わず「回復」という言葉を使うのだそうですが、自己認知の問題と言われると軽く考える人もいるでしょうから、やはり「回復を必要とする病」だと深刻に受け止める必要性があるのではないかと思います。

「病気」というモノをどう捉えるかというコトは人によって違うと思いますが、風邪になったからといって「ウィルス」を憎んでも仕方ナイ様に、ACとなったからといって「親」を憎んだだけではどうしようもナイと思うのです。長くなりそうなので、続きは晩に。  
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2007年03月07日

キリマンジャロの雪は小説の中だけに?

ヘミングウェイの小説の中で、ワタシの一押しは「キリマンジャロの雪」だったのですが、今日の本で、下手するとアト十年したら、「雪があるかどうか」も怪しくなっていると知って驚きました。
不都合な真実
著者は、クリントン大統領時代に副大統領をなさっていた方です。ちなみに今、グーグルで検索したら「キリマンジャロの雪が消える」というコトを、ネット上でもすぐに状況を理解出来るのだと判りましたけど。

ヘミングウェイの小説も、キリマンジャロの雪は、「万年雪」というトコに意義があるので、氷河が完全に消えてしまったら、話が全然違う方向に行ってしまうでしょうね。とても人間臭い話が、自然環境の問題とリンクするコトになろうとは、感動して読んだ昔には、全く考えられなかったコトですが。

とにかく、現在の地球温暖化のスピードは例えようもないスピードで進行しているのだと、綺麗な写真で説明してくれています。

とにかく、この本が出版されるのが今年だったら、この冬の記録的暖冬もマスマスこうした問題が深刻だと書かれていたコトでしょう。一年一年、悪化の速度を速めている様です。

日本でも、竜巻が最近多くなっていますが、それも温暖化が関係しているそうで。

今年の冬は、長野の様な雪国では「夏場の渇水は少し心配になるけど、雪が少ないと暮らしやすい。スキー場は困っているだろうが‥‥」あたりに意見に集約されてしまうのですが、そんなノンキなコトを言っていられないのだと改めて思いました。

有名なハスの葉の論理も思い出しました。(前にも書いたと思いますが、倍の大きさになるハスの葉があるとしたら、池の大きさの半分になったと思ったら、その次は全ての池の表面がハスの葉に覆いつくされてしまうという話で、アッと思った時には、最早、取り返しがつかなくなる可能性が高いという象徴的な話です)今の、世界はどの辺りまで、危険になっているのでしょうか?

とはいえ、人間は欲望に負けやすい動物で、快適な暮らしを覚えてしまったら、ナカナカそれから抜け出すコトは出来ません。色々と、考えさせられる本でした。  
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メチャクチャなんだなこの国は‥‥

おはようございます。朝食の後は、仕事の時間まで、様々なチャンネルの「半分ニュース」で「半分ワイドショー」を見てますが、本日の驚きは「朝ズバッ」で紹介された「一度もオープンされなかったスキー場」

狭すぎて除雪車も入れない道に「消雪設備」が欲しかったのだけれど、それに対する国の補助金はセットでないとダメというコトで、仕方ナク、消雪設備とセットの「スキー場」を作った。でも、元々作る気が無かったし、スキー場への道路整備のお金もナク、採算も合わないだろうからと「オープン」しないまま現在に至っているそうな。

町村合併で現在は福井市になった場所で、福井市は廃止の方向だそうです。しかも、原野みたいなトコに、今でも、高額の借地料を払っているそうで‥‥

その上、そのスキー場にはナイター設備まであるのです。

民間が、しっかり計画立てて作るスキー場は、それが失敗しようとも、税金が掛かるワケでもありませんし、固定資産税が入ってくるのに、税金をタダたれ流す施設を作る。このスキー場は、オープンしなかったですが、オープンしているスキー場の中には、民業を圧迫するものも多いと思います。

コレは、スキー場だけでナク、グリーンピアとか地域起こしの温泉事業とかにも言えるコトですが、税金で豪華な施設を作り、自腹で施設を建てた民業を圧迫し、おまけに失敗しても税金というのは、虫が良すぎる話です。

安売りのスーパーに殺到して、地域の小さな小売店がつぶされ、小売店は放置するが、つぶしたスーパーが大赤字だったら税金で補填するのと似た構造。

あまりにバカバカし過ぎる話だと思います。

各界の上層部だけで、大きな利権が巡っていて、庶民は懸命に働いて得たさしたるコトもナイ所得の中から、税金を持ち逃げされている様なモノです。でも、それを許しているのは、結局、我々みたいな庶民の責任なんですよね。

他の地方自治体の首長選挙に色々言うのはどうかと思っていましたが、少なくとも「子供を産めなくなった女など無用(ホボ無給の介護要因にさせたいという考えを持っているハズなのにこういう信じられないコトを述べる)」と言える発想を持っている男性や、おそらく心の奥底では少しでも自分に投票してもらって友人の再選を助けたいと思っている男性などよりも、地方出身でも(昔、東京人は東京の人に知事になって欲しいので、田舎モノにはなって欲しくナイと思っていると言ってた人の気持ちも理解出来なくはナイですが)、東京自体が江戸時代までは、日本のド田舎で、今でも東北の人を一番呼び寄せている地域なのですから、今回くらいは日本の首都として、何時までも「裸の王様」を祭り上げているのは止めて頂きたいものです。

東京すら変わらないのでは、田舎なんか、とっても変わりそうにありませんから‥‥  
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2007年03月06日

家族もリスク?

なかなか手厳しい本です。タダ、そうかなと思う部分もありますが。
家族というリスク
親に寄生している独身男女を「パラサイト・シングル」と名付けた方だけのコトはあります。

ともあれ、女性の大部分が出来れば「専業主婦」を希望しているという説は、ワタシや友人達は大部分からハジかれているのだろうと思いますが、どうかなと思います。

正直な話、ある友人と「仕事している方が、育児するよりズッと楽。仕事してたから、保育園に早く預けられたから、子供も二人産めて、ラッキーだった」なんて話をしたコトもありますし。

家事があまり好きでナクても、「専業主婦」で無ければ許されますし。(世の中には、「専業主婦」でも、家事が嫌いで許されている人も居るかとは思いますが)

ともあれ、お互いに好きなモノを夫婦の相手に気兼ねなく買うコトが出来るというコトはイイものです。自分で節約しようと思うのと、相手から節約を強制されるとでは、気分も違いますからね。

ともあれ、今の子供達は「豊か過ぎて目標を見失っている」という意見には、同調します。ワタシも、そう思ってますし。「幸せ」と感じにくくなっているのは、「不幸」だと思いますから。

それゆえに、「期待値」が高くなり過ぎて、現実とのすり合わせが出来ないというコトも理解出来ます。


しかし、何となく、お金があるコトが「一番の幸せ」の基準みたいな思考には、少々付いていけません。世の中には、人の数だけ「幸せの形」があり、簡単には分類はしにくいものだと思うからです。

そんなコトを言っていれば、「社会学」にはナラナイのだから、仕方ナイのかもしれませんが。

パラサイト・シングルの人の老後は、どうなるんだろうと思って、お節介を承知で頼まれれば、結婚相手を見つけようと努力したり、今もそれなりにしてますが、全くと言ってイイくらい上手く行きません。とはいえ、ワタシがどうあがこうと、無理なものは無理、所詮、どうなろうと「他人の人生」だからと、諦めるしかアリマセン。

「妥協」するか、しないかは、個人の問題なのですから、他から何を言っても、無駄なのだと思います。

私に正確な将来予測ができたり、特効薬が思い浮かぶわけではありません。

という著者の言葉に、正直なんだなと思います。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:33Comments(0)TrackBack(0)

誰を信じればイイのか

おはようございます。足立区のマンションで、大家が合鍵を使って、空き巣に入っていたというニュースを聞くと、本当に世も末だと思いますが、こういう本を読むと、上には上がいるものだと思います。
裏と表
株の世界も今やメッキが剥げかかっていますが、政治の世界でもタダなのに多額の光熱費を計上し、その上、嘘の上塗りをしようとしているのも、ドロドロした裏の話を聞けば、これ位当たり前の世界なのかもしれないと思います。

金券ショップの使い道って、こういうトコロにあるのかと、まず思います。

「ブックオフ」とかの商売でも、売るよりも売るモノを買うコトが出来ないと、商売にならないという話ですが、買うには様々な方法があり、法とスレスレだと思っていたら、ドンドンそれがエスカレートして行きます。

その一番の原因が、選挙のタメの裏金作り。

そうまでして、当選させるコトの意義があるのかと思っていると、不良債権による計画倒産の話が出て来ます。

こんな話を読んでいると、『不良債権でヨレヨレの銀行を税金で救うワケだよな〜』と思い、結局、『我々の税金が回り回って、こんなにバカバカしい所に使われているのだ』と絶望的な気分になります。


偽装建築の『公的支援』の基準を作ろうという話が出てきてますが、こちらも「偽装建築」をしている会社と癒着している政治家や官僚の話とを考え合わせると、【悪いコトをした人が得】という世の中になりそうで、本当にアホらしくなります。

あまりに脱力感を覚えたので、何日も前に読んだのですが、ブログに書く元気が出ませんでした。

このブログを書いている途中でも、参議院でも超豪華議員宿舎を作る計画があるとTVでやっています。赤字イッパイの日本、「どうせ計画倒産するのだから、個人の借金もドサクサに紛らせてしまえ」というワルの考えと、どれだけ違うのでしょうか。

こういう話を書いていると、疲れて仕事が出来なくなりそうです‥‥でも、庶民はコツコツ仕事するしかありませんが。  
Posted by seitaisikoyuri at 08:51Comments(0)TrackBack(0)