2007年04月30日

幻想を乗り越えて冷静に

ともあれ、著者が言いたいコトは、母親に母性本能があって「自分を見殺しにしても、子供を愛情深く育てるものだ」というのも、幻想だというのです。

確かに、そう考えれば昨今の「幼児虐待」などの痛ましい事件も、理解されやすくなります。

失敗するまいと思えば思うほど、親子関係というものは必ず失敗するものです。統計的に言えば、第一子にもっとも子育ての失敗例が多い。第一子ほど神経症になったり非行化したりする確率が高い。なぜかというと、みんな熱心だからです。絶対にいい子に育てよう、と。(あえて、ここに注を加えるならば、大学時代の心理学で「第一子の優位性」というのがありました。第一子は、他の順位の子供と比べると兄弟間で、一番頭がイイ可能性が高いというモノでした。つまり、期待に応えてそうなる子供もいれば、期待が大きすぎてツブされてしまう子供もいるのだと理解して頂くのがイチバンかと思います)

現在の少子化は、親が子育て競争をしていて、よりいっそう優れた子供を育てようとしいるので、より問題が深刻化しているというのです。

かなり昔は、子殺しが一般化していた時代もあったのだから、変な幻想を振り払ってしまえば、逆にどうするべきなのかというコトが、冷静に判断出来るであろうというのです。

人間の本能は壊れていると考えれば、どのような行為もすべて役割、あるいは演技です。

必然的にすべての行為は選択した役割です。しかし、それを自覚するかしないか、意識するかしないかという違いはあるのではないでしょうか。


上の様に書くと、少し前の「選択理論」と根っこの部分でとても似てきますね。全く別のアプローチにも関わらず、真理はとても似かよるという典型みたいです。

望ましい母親像、ありうべき国家像、社会的規範の裏にある支配者の思惑を理解しつつ、自らが自分の意思で、世の中の様々な問題にアプローチしてゆこうとさえすれば、おのずと幸せになるタメの道は開けて来ると思います。

やはり、何事も学ばなければ理解出来ないのであり、虐待の世代間連鎖を含めて、タダ子育てしていればイイという時代ではなくなりつつあるというコトなのでしょう。かなり刺激的な本でありますが、こう考えるのも一つの手なのかとも思いました。  

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2007年04月29日

そして、支配は進められる

昨夜の続きです。本の中から、抜粋してみましょう。(省庁名は本文当時のママ)

日本は無階級社会だと言われています。‥‥しかし、日本も国家組織であるかぎり、一部の者が支配層となり、他の一般民衆を支配するという形態をとらざるを得ません。‥‥日本では大学が選別の役割を担っています。‥‥人々は大学でどれほど勉強したか、どれほど知識や技術を身につけたか、どれほど人格を磨いたか、どれほど思想を深めたかによってではなく、どの大学を出たかに等級づけられます。

友人の外務官僚が彼の友人の文部官僚のことをえらく褒めて‥‥「あいつは教育に熱意をもっていて、わざわざ文部省に入ったんだ。立派な人だ」と。‥‥あとから知ったことですが、文部省は大蔵省など他の省庁にゆけなかった落ちこぼれがゆくところだそうです。だからこそ、望めば他の省庁にゆけた‥‥友人をこの外務官僚は褒めたのでした。

この点から、なぜ文部官僚が東大を頂点とする大学の階級組織を必死に維持しようとするかが理解できます。いわば彼らは東大出身の高級官僚のなかのプア・ホワイトなのです。(‥‥集団のメカニズムによって、この種の集団では下位の者は上位の者の価値体系を知らず知らずのうちに身につけてしまいます‥‥)黒人への偏見がもっとも強く、白人の特権をもっとも熱心に守ろうとするのがプア・ホワイトであることはよく知られています。同様に、文部官僚は、大蔵省や通産省や外務省などの官僚よりも東大出の高級官僚の特権維持に熱心なのです。‥‥高級官僚の特権が失われれば、それをまっ先に失うのは高級官僚のなかの最下層の自分たちですから。‥‥一流大学の教師が「われわれは全然そう思っていないのに、文部省の役人のほうはわれわれを同じ世界に属する同僚だと思っているらしい」とおかしがっていました。自分たちが、一流大学の教師たちとともに、日本の教育を支えているつもりになっているのではないかと想像されます。これは、金持ちの白人はプア・ホワイトなんか全然仲間と思っていないのに、プア・ホワイトは自分たちを金持ちの白人と同じように白人の仲間だと思っているという図と似ています。

この考えを読んで、下流社会の中に共通する部分があったコトを思い出しました。前にも書きましたが、本屋で全文立ち読みしただけなので深くは覚えていませんが、「下流社会の人々こそが、自民党の価値体系を支持している」という手のコトが書かれていたハズです。

「黒人への偏見がもっとも強く、白人の特権をもっとも熱心に守ろうとするのがプア・ホワイトであることはよく知られています。」という部分の黒人を外国人、白人を日本人と置き換えると、いわゆる現代の「新興右翼」の方々と共通しているかもしれません。ともあれ、本論の母性本能に関する部分には、まだ到達出来ていません。時間がナイので、今回もこの辺で。  
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2007年04月28日

何もかもが幻想か?

天候が不順なタメか、体調不良です。タダ、そういう時は、皆様も一緒ゆえに、頑張って御仕事しておりました。(有難いけど、疲れました〜)

さてさて、話はガラッと変わり、とても革新的な本です。岸田秀さんという方の書かれた「母親幻想」(新書館)。何と言うか、目からウロコといった感じ。確かに、割り切って考えればそうなんだと思います。そして、そう考えた方が、親子の問題で葛藤する人々にとってもイイのかも‥‥

母親も幻想なら、国家も似た様なものかもしれませんね。しかし、実にバッサリと「国家主義」の時代の日本人を切って捨てているので、逆に心地良かったりします。文部省(書いてた当時)に対する批判もそう。今なら、もっと過激になっているかもしれませんが‥‥

母系制社会と父系制社会について書かれているコトの中で、一番『へえ〜』と思ったのが、どうしてキリスト教を他国に押し付けたがるのかについて。

簡略に述べると、ローマ世界は多神教の世界だった。しかし、ローマ帝国はキリスト教徒が民衆の多数を占めていたので、人心の掌握のタメには仕方なかった。人間は嫌なことを押しつけられて仕方なく従っていると、そのうち必ず他人をも同じ嫌な目に遭わせてやろうと思って、同じものを無理に誰かに押しつけてしまうもので、キリスト教を強いられたローマ帝国は植民地のヨーロッパにキリスト教を押しつけ、次にヨーロッパ人がヨーロッパの外へ出掛けてゆき、そこを植民地化してキリスト教を押しつける。つまり植民地しては、キリスト教化するという繰り返しが、世界中に続いているというのです。

彼らは禁欲的ではないので、異教徒が羨ましいのだという説には、そうかもと思います。大地母神信仰とか太陽神信仰は、母系制社会であり、土俗的でおおらかさがあります。理念的、禁欲的ではナイというコトです。

さて、途中ですが、本日は主人の誕生日なのでココまで。コメントを頂いた皆さん、ありがとうございました!! しばらくしてから、コメント返しさせて頂きます。これから、バースデーケーキを食べる予定なので、家族が呼んでます。尻切れトンボみたいですが、お許しください。  
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2007年04月27日

健全に生きるタメに

PTAなどがあって、バタバタして更新が遅れました。

健全な人間像のモンタージュを引用してみます。

ー己評価が高い
他人と対等に話ができる
自分の考え、態度、行動、言葉に責任をもっている
ぜ分と他人に愛を与えることができる
ゼ分を大切にし、自分の世話ができる
自己が確立しており、はっきりした目標をもっている
Х設的な批評を受け入れ、自分の成長に役立てることができる
┝分と他人の長所や短所を現実的に認識できる
他人の意見を尊重しつつ適当な自己主張ができる
心の平安と落ち着きをもっている
自分と他人を愛し、大切にできる人を、自分のまわりに置くことができる
家庭や友人、職場での人間関係を大切にする
感じるべき感情を感じ、適当に表現できる
なにかを決断するとき、いろいろな情報や方法を考慮に入れ、ゆっくり考えることができる
自分のことだけでなく、他人の幸せも考えることができる
絢己を超越した精神性に触れ、人類全体、あるいは地球全体のことを考えることができる
映β儷く、逆境にも負けずに、失敗から学んでいける
何誉犬魍擇靴漾喜びを生活の中に組み入れられる
骸分と他人との境界線を尊重できる
桓分が間違ったときには素直に謝り、つねに相手に対する感謝の念を忘れない
最後は、自分と他人に対して正直で、自分の言動と行動が一致している


以上、21の項目全てをクリアーするのは難しいですし、逆にソコまで行くとかなり人間離れして神業の世界になってしまうかもしれませんが、『そ〜んな感じで、リラックスして暮らしていけたら、イイんだな〜』と思ってみてください。

地位やお金など物質的なものは、失ってしまった途端に、持っていた人の価値が半減されたり、下手すると一気に人間関係が解消されたりと、刹那的でむなしいものにしがみつかず、誰からも奪われない魂の健全さが大事だと著者は述べてます。本当にその通りだと思います。  
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2007年04月26日

自信がナイ若者はこうして作られる

昨日の本の中に、若者に蔓延する「確固たる自信のなさ」という章があり、「ひきこもり」に特有の葛藤として、「ひきこもりたくないのにひきこもってしまう」という、一種の悪循環に陥った自意識、あるいは家族関係の袋小路が問題で、こうした悪循環さえ解消できれば、ひきこもり状態は改善に向かうのだが、中には、ひきこもること以外の生活が考えられないという意味で、確信的にひきこもっている若者たちも少なからず存在する。と書かれているが、ソコまで行かなくても、「自分に自信が持てない若者」は量産されているみたいだ。

そういう子供が生み出される背景にあるものを描いた本に、
機能不全家族―「親」になりきれない親たち
というのがあり、その中にとても対照的な子育てが書かれている。

ケース 邸塗廚冒瓩に先立たれた母親は、娘と息子を女手一つで育ててきた。下の男の子は生まれつき身体が弱く、母親は息子のするコトを「病気だから」と制限した。大学も強引に地元に通わせ、就職も親が勝手に内定していた会社を断り、コネで地元の会社に。四十歳近くなっても、母親との二人暮らし。姉は「弟はもう自分の力で生きようとする気力を失い、自分の人生を諦めてしまっているみたいです。母がびったりくっついて離れようとしないので、助けようがナイ」と。

ケース◆邸纏或佑涼罎如一人の子供が遺伝性の病気で失明すると知った母親。専業主婦だったのだが、四十七歳にして働くコトを決意。母親がいなくなるコトで、身のまわりのことを自分でさせたいと思ったから。母親は若くナク、手に職もナイのだが、思案の末、美容学校に通い、美容師に。息子が「自動車の修理工になりたい」と言ったら、全米を探し歩いて、目が不自由な人のための自動車修理工養成所を見つけた。身障者への月々の援助金も拒否して自立させた息子は、修理工として生計を立て、結婚もして子供もいる温かい家庭を営んでいる。

どちらの親が「ひきこもり」の子供を作り出す可能性が高いのか、考えるまでもナイだろう。この本に書かれている健全な人間になるタメのヒントは、次回。  
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2007年04月25日

エッ! と驚く話

本来、この本は「ひきこもり」の人々についての偏見を無くすべきという意味で書かれているのですが、イチバン驚いたのが、「それでもボクはやっていない」と真逆の話、というか、根は一緒なのかもしれませんが‥‥
「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論
最初に断っておきますが、「ひきこもり」の人々は稀に犯罪者になる人もいるのですが、大半はそんなコトはナイので偏見を持たず、社会に受け入れるべきというスタンスで書かれていて、とにかく、稀な存在をして、ホトンドだと思わせるコトは困ると書かれています。

ともあれ、ワタシが問題にしたいのは、途中でチラッと書かれている、精神疾患と疑われる犯罪者について(ひきこもりとは決して同義ではない)の司法の対応。

わが国では、殺人者の四〇%以上もが不起訴になっている。その原因は検察官にあるそうだ。

知人の精神科医から数年前に聞いた話として、犯罪者の責任能力が疑わしい場合、無罪になりそうなケースをあらかじめ除外すべく、「起訴前鑑定」がなされる。起訴前鑑定は、簡易鑑定と嘱託鑑定から構成され、嘱託鑑定は鑑定の大前提となる事実鑑定を認定する証拠について弁護側が吟味する機会が与えられていないものの、鑑定それ自体については、正式鑑定と同様の質の高さを維持していると考えられるが、問題は簡易鑑定だという。

裁判所の令状を得ず検察官の判断だけで行われる簡易鑑定は、事件記録を読む時間も含めて、なんと数時間の診察で一応の鑑定書を作成し提出するというもので、通院歴がある被疑者の場合は、さらに簡略化されることもあるという。

容疑者を起訴したにもかかわらず無罪になってしまう(これを「検察黒星」という)と、検察官のキャリア上大きな傷となる。したがって、「黒星」を避けようと、検察官が、措置不要の鑑定結果を恫喝したり、極限すれば、検察官の気に入った鑑定結果が出るまで、いくらでも鑑定を繰り返せる。検察官の起訴・不起訴を決める権限について有効なチェック機能が存在しない現行の制度下では、職権乱用が堂々とまかり通ってしまうらしい。


タブーを廃止した論議を期待と書かれているが、まずは「検察黒星」という考え方を無くすコトが先決だと思われる。それが無くなれば、無実の人でも裁判になったら「有罪」と裁かれるべきという裁判官へのプレッシャーも減るだろうし、裁かれるべき人が裁かれずに「無罪」になるというコトが減ると思うからだ。

本論の「ひきこもり」の話など、飛ばされるホドの衝撃でした。なので、本論の方は次回か、他の本の話と絡めて改めてしたいと思います。何はともあれ、知らないと驚くコトばかりです。  
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2007年04月24日

あずみの観光バスも犠牲者

昨夜は、世界的に有名な画伯の甥の方が、外国の演奏家の方々を招待して、画伯の絵が収蔵されている日本各地の美術館を廻られている途中で滞在する旅館に行って、ミニコンサートを聞かせて頂いた後で、整体をして参りました。帰宅したのが、今日未明になっていたので、さすがにヘトヘトです。

本院の仕事は、午後からにしておいたので、これから気を引き締めて、御仕事モードに調整します。(肉体的なコトもそうなのですが、メンタル的に気をある程度はバリバリに引き締めないと仕事にならず、とはいえそのままではちっとも身体が休まりません。リラックスして初めて、緊張がほぐれて疲れがとれます。なので、ONとOFFの切り替えが難しいトコなのです)

さて、以前に書いて、結構反響が多かった「あずみの観光バス」の件ですが、全国ニュースではホボ黙殺されていますが、先週末、長野のNHKで社長さんのインタビューを流してました。

結局、社長としては断りたかった追加の仕事の発注を、力関係では上になる旅行会社から無理に要求されて、断るコトが出来ずに、ああした事態になってしまった様です。それでも、断れば良かったじゃないかというのは、結果論としては言えるコトで、ソコまで追い詰められていたみたいです。

法律で最低料金は決まっているものの、それを守らなかったとしても発注側の旅行会社には何のお咎めもナク、受けたバス会社が処罰されるだけという変な法律らしいので、平気で無理難題を旅行会社は要求するみたいです。(こういう話は、民放じゃ出来ないだろうと思いました。全国のニュースはかなり政治的圧力が掛かっている感じになってますが、ゼヒともCMに頼らないで済むジャーナリストとしての意地を見せて頂きたいものです。でも、こんなコト書いて、逆に検閲の強化して欲しくありませんが)

ちなみに、以前知り合いが高速道路のETCカードをネットで管理するパスワードを変更されたコトがあります。誰がハッキングしたのかは判りませんが、それだけで実害は無かったのですが、パスワードを変えられて困った知り合いは、そうとは判らず体調が崩れ、医者に掛かるほどパソコンと格闘して、どうもパスワードを変えられたみたいだと思って、問い合わせしても「警察に届けてくれ」と管理会社からすげなく言われ、警察でもホトンド捜査しないみたいでした。それでも、何とかパスワードだけは判って、再び新たなパスワードに変更したらしいですが、こんな事件が在ったというコトは、闇から闇への世界です。

我々の知りえる報道は、様々なフィルターが掛かった上でしか、入手出来ないのだというコトを覚えておくべきだと、身に沁みて思ったそうですが、全くです。

今日、行われる全国一斉テストも、ある宗教団体系列の会社が中心になって行われるとか‥‥(詳しくは「反戦な家づくり」という方のブログで)本日、娘も受けていますが、どう使われるのかと少々心配だったりします‥‥  
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2007年04月23日

日本も少しづつ変わって来た

昨夜の統一地方選の結果を見ると、旧態依然としたトコもあるものの少しづつ意識が変わって来ているのかなと思います。ちなみに、ワタシの地域は、選挙はありませんでしたが。

お気の毒なコトではありますが、長崎市長選挙で世襲が阻止されたコトは、過去の日本では考えられなかったと言っても過言ではナイと思います。

市長に選ばれた方は、市役所の課長さんだった人とはいえ、その方も突然の出馬だったのですし、抜群の知名度でも無かったでしょうから。

それにしても、圧倒的な知名度によって当選される方々も多く、これからは政治家になりたかったら、真面目にコツコツ政治の勉強をするよりも、芸能界やスポーツ界等々で名を売った方がイイと考える人も増えそうですね。

日本人は付和雷同な人が多いのだと思います。それをどう克服するかというコトが、これからの課題だろうと思います。

ともあれ、スターになる人々にはオーラもありますから、それに惹きつけられてしまう人も多いのは仕方ないコトかもしれません。


外国でもあった事件ですが、日本でも列車内で大勢の人々が居たのに誰も止めもしなければ、携帯電話とかで警察とか車掌さんに通報した人は居なかったので、女性がトイレに連れ込まれ暴行されたという事件がありました。前にも書きましたが、コレが群集心理の怖さです。「誰かがやるだろうと思っていて、誰も正義を行わないコトがある」という見本みたいなモノです。

一番これから問題になるだろうと思うのは、投票率の低下。誰かが何かをやってくれるだろう。そして、それに従えばイイという考え方は、とても危険です。

自分の生活を思うならば、誰でもイイから、この人と思った人に投票してみる。そのことが、徐々に政治に対する意識とか、周囲に対する意識を変えます。
「自分、一人くらい」と思っていても、そうではありません。長野県でも同数でくじ引きして当選というトコがありました。

「千里の道も一歩から」です。健康的な人生を送るには、それに適した社会が必要です。人間は、自分一人では生きられないのです。そうであるならば、少しでも住み良いと自分が思う社会にすべきだと思います。

といって、多くの人々は自分の生活で手一杯だと思います。だから、政治をやりたいと言う人に、自分の意見を託して、少しでも自分の生活を良くしてもらえるように、一票を入れるコトだけは必要だと思います。  
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2007年04月22日

役立つコトが大切

計算の知識が役立つ様になるタメには、現実的な応用が大切になると著者は述べる。

車は買うべきか、リースにすべきか。

この本では簡単に述べられているが、日本の現実を織り交ぜて考えるならば、もっと複雑なコトが色々と考えられる。

マズ、少なくとも金利を払わずに済むというコトだけを考えるならば、買うコトが節約につながる。(これを教えるコトが、大事だと著者は述べている。アメリカはクレジットがもてはやされている社会だからであろう)

ただ、もし、それが日本の会社とかであれば、規模にもよるが、会社のキャッシュ&フローの関係や、資産として計上しなければナラナイ問題などが、もっと複雑に加味されるであろう。

個人にしても、金利負担は大変になるのだが、堅実一筋でつまらない人間と思われ、恋人や結婚相手をゲット出来なかった(そんなコトが気になる相手はゴメンだと言い切れるならば、それでも全然構わない、全てはその人の選択なのだから)として、新たに結婚相手を別に見つけるタメに民間の結婚紹介所に登録する費用を考えたりすれば、それはどっちが安いのかは判らない。

タダシ、もっと言えば、イイ車に乗っていたからといって、素敵な恋人に恵まれる可能性は100%ではナイし、捕まえた恋人が浪費家で、アナタに散財させたあげく、スッカラカンになったアナタを捨てる可能性もある。

世の中は、教科書では割り切れる問題だけではナイし、様々なコトが考えられ、色々な問題にぶつかった時に、それに応じて対処出来るコトが、大切なのだと思う。

何時いかなる時も、困難にぶつかった時こそ、自らの思考を停止して、他人まかせの人生にせず、自分の力で困難を打開するコトを目指せる人間になるコト。それが一番「人間として生きる」上で必要なのだと、言いたいのだろうと思います。

どんなに不幸な過去でも、それは過ぎ去ったコト。我々は、過去の失敗を踏まえて、現在の人間関係を良くするタメにこそ、労力を使い、私たちが直接コントロールできる唯一の自分の「行為」と「思考」をより良いものにして、「自信」を持って、幸せな人生を「選択」して生きるべきだと思います。

世の中には、様々な幸せになる方法があります。この理論を選択するかどうかも、アナタの選択に掛かっているコトを最後に書いて、今回の「リアリティセラピー」の紹介は終了します。  
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2007年04月21日

知識が使えてこそ教育

では、どういう教育が望ましいと著者は考えているのでしょうか?

子供に対して意見を述べるのは、説教を垂れるよりも良いことだ。子供の将来にあれこれ言って干渉せず、子供と親しい関係を維持することは、恐らく意見をたくさん述べるのと同じくらい良いことだ。意見を述べるとしても、何度も繰り返したり、ガミガミ言ったりしてはいけない。子供は、一度聞けば、言われなくても、親が何をしてほしいと思っているか分かっている。子供が以前やったことが成功しなかったとしても、過去についてはふれないことだ。終わったことは、終わったこと。失敗にふれることは、分裂のもとだ。

しかしながら、過去の成功にふれることはすばらしい。誰でも、自分の手柄についての話はいくら聞いても聞き飽きない。子供は小さいうちから、ほとんどのまちがいはそのうち訂正することができ、生活に支障はないものだという考え方を身につけることだ。まちがいがほとんどないのは、訂正されないままになってしまうので良くない。いつでも力になる用意があること、しかし、代わりにすることはしない。このことを知ってもらうことだ。


子供には自分が選んだものに責任を持つ覚悟を教える。責任を取るということは、罰を受けるということではない。

親が与えるべきメッセージは、
自分のまちがいから学んで欲しい。選んだ行動に不満足だと思った時は、話し合い、より良い方法を見つける手助けをする。あまりに若過ぎて、どんな方法に向かっているか分からないと思える時は、介入して、していることを止めるつもりだが、目的は止めることではなく、後悔する前に学んでもらうためなのだ
子供が親を信頼していれば、子供は親の言うことに耳を傾ける。

「教育は知識の修得である」と定義せず、「教育は知識を使うこと」と定義するのが最善である。知識を知っているだけでは、テレビのクイズ番組やパーティでのゲーム以外にはほとんど役立たない。学んだ知識を使うことに価値がある。学校の失敗はここに焦点を当てていないことにある。  
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2007年04月20日

子供でも強制はムリ

大人は子供よりも世間を知っている、だから、「子供をコントロール出来る」と思い込んでいる人は、とても多く、褒美で釣ったり、罰を与える。それをし続けると、子供は良い子供になり、親子関係も上手くいくと考える

しかし、子供を理想地点にまで導くことに成功出来るとは限らないし、思った地点にまで到達させるコトを押し付けたコトで、逆に望んでいた親しい関係を失ってしまう場合も多々ある。

子供が親の願う人生を送ってくれるならば、親しい関係になれなくても構わないというのであれば、それは仕方ナイのだが、互いに成功を分かち合える方が、ズッとイイと思う。

という著者の言葉を考え、現実に目を向けるとこう思う。

問題行動を起こす子供をどなりつけるだけで、あるいは罰を与えるだけで、良い方向に向く子供ばかりならば、どんなに楽だろう。

しかし、そう上手くいくものではナイことを子供とちゃんと向き合った人は知っている。

犯罪を冒した子供たちも、おそらくそうなるまでに一度たりとも叱られたり、罰せられたコトの無かった子供は皆無だと思う。

罰を強化するだけでは、悪への道を止められないコトが判っているのに、今回も「少年法」の対象年齢を引き下げ、重罰主義だけが「犯罪の抑止」になるのだというコトになっている。


公費で弁護士が付くコトに関しては、一歩前進だとは思うが、自分の主張をちゃんと出来ない世代が警察や検察に厳しく詰問され、マスマス人間不信になってしまったとして、社会復帰は出来るのだろうか?

それとも、全ての犯罪者は死刑にすれば問題はナイという、世界的な傾向と逆の方向に突き進むのだろうか?

少年法を改正するのであれば、低年齢の問題を起こした子供の両親を何とかするコトの方が先なんじゃないかと思う。成人してからの親の責任はともかく、犯罪者になってしまった子供の親がどう子供に対処してきたのか、そして、それが適切だったのかを、教え導くコトの方が大事なのではないでしょうか?

環境に問題があるとされる子供が、再び同じ環境に帰って行く場合、再び問題が蒸し返される可能性がとても高い。

であるならば、その親にも自分の子供への対応が正しいか否かを考えてもらう方が、より現実的な選択ではないかと、昨今の身近なトラブルを起こしている子供と親の実話を仕事柄聞いていると、どうしてもそう思ってしまうのですが‥‥  
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2007年04月19日

幸せな人間関係の築き方

時間がナイので、コメント返しはアトになります。コメント頂いた皆さん、ありがとうございました!!

ともあれ、多くの不幸せな人々の一番の問題は、正しい選択をするコトにあります。

美容師の恋人だった女性を殺して自殺した若者、長崎市長を殺さなければならないと思いつめた暴力団の男、大量のキャンパスの学生を道連れに自殺した韓国人学生、彼らがもし「自分の選択を変える」コトさえ出来たならば、彼らも被害者や遺族も幸せな日々を送れたハズです。

多くの人々は、何かを手にしてナイコトが、不幸せの原因です。その何かというのは、千差万別でしょう。ある人はお金だったり、名誉だったり、恋人だったり‥‥あまりに人それぞれなのですが、それから脱却出来る方法は三つの選択。

ー分の求めているものを変える

⊆分のしていることを変える

N省を変える


自分の手に届かないものを求めても、それは無理という場合は、求めるものを変えるしかナイでしょう。「あの月を とってくれろと 泣く子かな」という俳句がありますが、こういう場合、求めるモノを変えない限り、要求は満たされるコトはありません。

交際している人とのトラブルが問題だった場合、相手への態度を変えるコトで問題が解決するコトもありますが、どうしてもダメなら、交際している相手を変えるしかナイのです。

そんなコトは当然だと、普通の感覚ならば思うのですが、頭に血が上ってしまうとナカナカそれに気付かなくなってしまいます。

選択を誤って、不幸になってしまうか、それとも正しい選択をして、幸せになるのかはアナタ次第です。

前述した三人の場合、どうしたら幸せになったのか、一般に自分のコトとなると冷静になれなくなってしまいますが、とりあえず練習問題のつもりで、加害者を自分だと思って考えてみてください。

三つの選択を変える方法のどれかで、事件を起こす必要が無くなっただろうと、必ず思うハズです。  
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2007年04月18日

選択理論という考え方

今朝、忙しがっていて、出典を書き込むのを忘れてしまいました。
グラッサー博士の選択理論―幸せな人間関係を築くために
選択理論の原則は、簡単に述べると、

1. 私たちがコントロールできる行動は唯一自分の行動だけである。

2. 私たちが与えることができるもの、他の人から受け取るものはすべて情報である。その情報をどう処理するかは、それぞれの選択で決まる。

3. 長期にわたるすべての心理的問題は、人間関係の問題である。

4. 問題のある人間関係は、常に私たちの現在の生活の一部である。

5. 過去に起こった苦痛は私たちの現在に大きく関係しているが、この苦痛な過去に戻ることは、現在私たちがする必要のあること、つまり重要な現在の人間関係を改善することに、ホトンド、あるいは全く貢献できない。

6. 私たちは,遺伝子に組み込まれた5つの欲求、生存、愛と所属、力、自由そして楽しみの欲求によって駆り立てられている。

7. 私たちは,上質世界に入っているイメージ写真を満足させることによってのみ、欲求を満たすことができる。

8. 私たちが誕生して死を迎えるまでにできることは全て、行動することである。あらゆる行動は4つの分離できない構成要素の、行為、思考、感情、生理反応によって成り立っている。

9. すべての全行動は、動詞あるいは不定詞や動名詞によって表現され、最も認めやすい要素によって呼ばれる。例えば、私は「落ち込んでいる」のではなく「落ち込み行動をしている」「落ち込む選択をしている」と表現するべきである。選択を動詞で表現することが、自分の行動を客観的に気付くタメには重要である。

10. すべての全行動は選択されたものであるが、私たちが直接コントロールできる要素は自分の行為と思考だけである。


というコトなのですが、これでは理解し難いでしょうし、お読み頂くにはかなり厚い本なので、しばし抜粋しますから、それに共鳴して関心を持った方は、原本に当たって頂くのが、一番かと思います。  
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力で他人を完全にコントロールするのは無理

長崎市長を銃殺するという暴挙、アメリカの工科大学での大量乱射殺人。他人を力でコントロールしようとする人々は増えて来ています。

ちょうど、そういう感じの本を読んでましたので、新しいカテゴリーをマタマタ作ってしまいました。リアリティセラピー(現実療法)というものだそうです。

簡単に説明すると、現実という名前の通り、過去をあまり重視して考えず、「現在の考え方に間違いがナイか」と本人に理解させ、人生の選択を正しくする様に働きかけるという療法です。

世界が使う外的コントロール心理学の簡単な前提は、「悪いことをしている人は罰せよ。そうすれば彼らは私たちが正しいということをするだろう。そして報酬を与えよ。そうすれば彼らは私たちが望むことをしてくれるであろう」。この考えが地上のほとんどの人の考えを支配しているからである。

この心理学をこれほどまでに浸透させられているのは、権力を持つ人々が完全にこれを支持しているからである。権力を持つ人とは、政府の要人、親、教師、企業の管理者、宗教家などで、彼らが物事の善悪を決定している。こうした人々によってコントロールされる人々は、自分の人生をほとんどコントロールできないので、権力のある人々のコントロールを受け入れることにいく分かのやすらぎを見いだしている。

私たちがいくら熱心に取り組んでも減らない不幸が世界中にあふれている。残念なことに、このコントロールと強制を強力にもたらす心理学がこの不幸をつくり出していることに誰も気づいていない。

この不幸は衰えることなく存在し続ける。その理由は、私たちが熟慮の末、コントロールが最善であると思うからではない。不幸が存在し続けるのは、他人が自分の思いどおりにならないときに、対応の仕方として、強制とコントロールしか思いつかないからである。

親も、そのまた親も、教師も指導者も、私たちの知る人々のほとんどが使ってきた。あまりにも長い間、自分のやり方を押し通すために使われてきたので、強制は常識となり、この心理学の根拠や質問の妥当性など気にかけることもなく、何の考えもなしに使われている。

では、どうすべきなのか、久々に少し長めの連載になりそうです。  
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2007年04月17日

大人になりたがらない子どもたち

再び、一昨日の本からです。

今の青少年が大人になりたがらないのは、つまり大人の世界が好奇心に富み、あまり冒険心をそそる社会ではないということなのである。まして今のように大蔵省や厚生省などといった、権威があると思われていた官僚たちが何をやっているかわからない世の中では、子どもの目にも虚偽に満ちて、いっそう大人を信用しなくなってしまうのも仕方がないのかもしれない。

学校で民主主義を教えておきながら、実際には民主主義が行われていないという状況をまざまざとみせている社会に、いったい誰が夢を託すであろうか。子どもたちは一見明るそうであるが、今の時代にはほとんど絶望し、期待していないのである。

エリート大学に入ることだけを「人生の勝者」と仮に評価するならば、成功したと考えられる人はほんとうにわずかなパーセンテージしかいないことになる。

創造性というものを学校の先生は重視するが、一番創造性が欠如しているのは学校の先生であるように思われる。

多くの日本の学校の先生方は、失点を少なくして、そつなく事を進めることによって出世を目指す。だから彼らはほんとうに創造的な冒険をしようとはしない。上の命令に従うだけで、批難をするということは一騒ぎ起こると考え、避けるのであろう。

ゆえに、自己否定、対人過敏という問題をかかえた子どもは、閉じこもるか、さまざまな問題を引き起こし、派手な振る舞いをするかというコントラストを成すけれども、コインの表と裏なのだと思われる。

うつ病になって、行動化によってうつ病から逃れようとしたり、うつ病に対抗する行動の乱れが生ずる。例えば、怒りの発作とか、反抗的になるとか、非行に走るとか、学校に行かないとか、勉強をしないとか、自分を傷つけるようなことをする。

さらに性的な問題を起こしたりという問題行動を起こしたり、怒りが強かったり、あるいはまた特に心身症的な症状、例えば吐く、頭痛、腹痛といったものが起こり、非常に多様な様相となるのだそうだ。
  
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2007年04月16日

子どもはペットなのか?

昨夜の本の続きです。

今の日本の親子関係として指摘されているのは、他の本でも問題視されてますが、「母子密着」。抜粋すると、

日本の家族というのは、母性家族で、父親が外見的な力を振るったとしても、家の中では母親が実験を握っていて、子どもも父を中心としてまとまるというよりも、母を中心としてまとまっていく。

父は外で実力を発揮し、家は単に休む場としか考えていないので、家での実権は得られず、だらしない姿をさらけ出していて、敬意を払われないのが実態である。その父親も、仕事ではそれなりに尊敬され十分な敬意を払われるので、家庭外での生活のほうが楽になってしまう。

父親の関心はますます家庭の外に向かい、母親の関心は、一途に子どもに向かってしまうのである。母親は子どもに期待し、子どもへの多大な教育投資となったり、さまざまな習い事、多様な形態の過保護、ペット化を引き起こす。

母親は自分自身では、子どもに愛情を注いでいる、と思っているであろう。しかし、その愛情の中身というのは夫亡き妻であるだけに、その寂しさをすべて子どもに注ぎ、子どもをその寂しさの慰みにしてしまうことが多い。その結果、子どもの自由を奪い、知らず知らず子どもに対して母親に忠実であることを要求し、子どもは母親に金縛りにあってしまう。

子どもは母親から逃げようにも逃げられない状況に追い込まれる。


現在の日本のように、兄弟が少なく、少子化が進み、そしてまた外での友だちが少ないとなれば、兄弟連合、あるいは仲間連合がないだけに、母親に密着しなければ生きられない状況になってしまっている。

母親に反抗するとなれば、ほとんど死をかけた反抗を試みなければならない。これが極端に進めば、強い母子密着によって、去勢され、母親にペット化された子どもがたくさんつくられてしまうか、非常に凶暴な家庭内暴力に向かってしまう子どもが生まれてしまうのである。

そして、家庭外にその暴力の矛先が向けられるコトもあるのだろうと思います。  
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2007年04月15日

豊かになり過ぎた不幸

昨夜から、忙し過ぎてパソコンに向かうヒマがありませんでした。コメントを頂いた皆様方、ありがとうございます。この記事をアップ次第、スグにコメント返しさせて頂きます。

さて、どうして先進国になったというのに、問題が山積してしまうのか、そういうコトを教えてくれる一冊が、こちら。
居場所を失った子どもたち
精神科のドクターの本です。

北欧などの福祉国家ほど自殺者が多い。日本でも自殺率は年々上がっており、特に中高年の自殺者が増えているのが注目されている。衣食足りて、我々は死を選び、そしてまた凶悪犯罪で殺されることになる文化とは、なんという皮肉な歴史の歩みであろうか。

ものが豊かになり、必死に衣食を求めることがなくなったとき、私たちを襲うのはじつは倦怠感である。退屈であるということ、それが我々人間を苦しめる感情だと思われる。


「衣食足りて美醜を知る」「衣食足りて倦怠に悩む」「衣食足りて快楽と刺激を求める」そして、犯罪すら求めるのである。この倦怠に対して、我々はいかなる防衛、いかなる対応策を持っているのであろうか。

オウム真理教のように宗教がその答えを教えてくれるのであろうか。我々はそれに関しては、もはやいやというほどその宗教の持つ催眠的な恐怖を知っている。本来の宗教はそういうものではないといっても、やはりどこか宗教への恐怖はある。

ではいかなる方向へ進めばいいのであろうか。これはそう簡単に答えられることではない。同時にみんながそれぞれ自分の人生の中で考えねばならないものである。

創造的生き方とはその不確定さを生き抜くことであろう。  
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2007年04月14日

少年Aのその後

世の中には、「少年A」が数多く、本来の名前を有しながら存在しているのですが、おそらく今の日本で一番有名(だった)と思われる少年の矯正教育の本です。
少年A 矯正2500日全記録
今まで知られてなかったコトが理解出来たという意味では、実に色々なコトを考えさせられる本ではありましたが、苦言を呈するならば、著者のあとがき。

「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。鎌倉時代に親鸞が説いた悪人正機説である。私はこれを「自分の悪を自覚し、そのために泣き、悔いることのできる人間こそが救われる。自分の中の悪にも気づかず、うぬぼれ、心を固く閉ざしている人間は救う必要がない」という意味だと解釈している。教科書でしか習わなかったこの教えが、今、とても心に響いている。

という部分に、教えた先生がいけなかったのかもしれませんが、直訳したとしても「善人も往生できる。まして悪人は」という親鸞の言葉は、仏教学が選択科目ではナイと知らず入学し、必修科目だったにも関わらず、サボりまくって最後のテストにも、ヘンリー・ミラーの無神論者の小説の暗記していた部分を書き、されど「そんな生徒に大学に残られても困る」とばかりに、教授に「可」で卒業させて貰ったワタシといえど、「おいおい‥‥」と思います。

この部分を著者の言葉を使って、親鸞聖人の言葉を現代語に意訳すると、「自分の中の悪にも気づかず、うぬぼれ、心を固く閉ざしている人間すら、仏様は救ってくださる。だから、自分の悪を自覚し、そのために泣き、悔いることのできる人間は当然、優先的に仏様は救ってくださる」という意味になります。少しの違いみたいですが、本質的な部分で、かなり違いますよね。

そういう、まるで仏様の様な広い心と、熱い情熱、そしてたゆまぬ努力をする人々が存在してこそ、矯正教育は行われ、その全てではナイけれども、かなりの割合で多くの少年A達が、真人間になれるのだと判りました。


そういう人々の努力の結晶だった「少年A」達は、既に一般社会に数多く存在しているのですが、その努力を無にせずに、真っ当な人生を送っていって欲しいと思います。そして、しつけと称して、「虐待」に近い「しつけ」を正当化したがる人々に、この本を読んで、そういうコトは逆に凶悪犯罪を生み出す素地なのだというコトを気付いて欲しいと思います。  
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2007年04月13日

憲法改正のタメに何でもあった

2001年に出版された本ですが、「少年犯罪と向きあう」という本があります。

この中に、「少年法の改正」は「犯罪抑止」には「大して期待できない」と提案者自身が答弁していたのに、何故、改正されたかというと、当時、法務大臣が「憲法改正、教育基本法の見直しを含め、二一世紀に向かって社会全体の規範意識や責任と義務、個と公の関係など、新しい日本のあり方をきちんと求めていくことが極めて重大」と重ねて国会で発言した。

結局、眼中にあるのは少年だけでなく、対象は広く市民に向けられている。

というコトである。それが、目的なので、「否定的効果」が大きい刑務所収容だと一般に理解されているにも関わらず、「少年法」が改正されたと書いてましたが、正にそうなろうとしています。

再犯をとどめて、自律・自立するためには、社会の受け入れなど、数々の要素が必要であり、本人の変わろうという強い意識の醸成が核になるのであり、人は非難されることでは変わらない。少年が自分と向き合い、自分の犯罪と向きあうことが出発である。まず、少年を受け入れて、その自分史というものに自分が顧みられるための支援が必要である。


罪を犯した少年の家庭だけが、特殊ではナク、どの過程でも、もしかしたら起こりうるコトだと考えて、排除していくのではナク、連帯するコトが大事だしいう趣旨のコトが述べられています。

国外に対して、あの国は危険であると宣伝し、国内にあっては、少数派を非難するコトで、かつての全体主義的方向に持って行こうとする勢力はマスマス大勢になってきています。

自らを信じ、周囲を信じるコトで、日本全体が悪い方向に向かおうとするのを止めない限り、本当に今が「日本の戦前」になってしまうと、強く思った本でした。  
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2007年04月12日

疲れた時の補中益気湯

春ゆえか、スッキリした目覚めになりません。寝ても寝ても眠い様な‥‥

春は軽いのですが、アレルギー性鼻炎(いわゆる花粉症)の影響かもしれません。ダルいし、疲れるし。

「食べ物」で栄養を摂取するのが、イチバンではありますが、こういう時に飲むのが「補中益気湯」。

眠りが深くなるような気もします。やっぱり、疲れた時はグッスリ寝るのがイイんでしょうね。

タダ、欠点を上げると、疲れを感じにくくなるので、無理して動き過ぎてしまうコト。それでは、逆に身体に疲労を溜め込みやすいので、注意してます。

それと、食欲が増進するから、食べ過ぎてしまうコトも。

なので、「ココ一番」という時にだけ限定にしてますが、いわゆる増強剤と呼ばれるドリンクとかも、そういう注意が必要かと思います。

「二十四時間働けますか?」という秀逸なコピーがありましたが、やっぱりそれはやらない方が無難かと‥‥

ちなみに不妊症で悩む方々に、処方されるお医者さんもいるとか、前に読んだ記憶があります。

「中国三千年の歴史」でしょうか。

タダ、漢方薬は前にも書きましたが、症が合わないとダメな場合が多いので、本当に上手に処方してくださる先生に相談した方がイイかと思います。

良心的な漢方薬局だとイイですが、中には一度に「十万近い支払い」を求める薬局すらある様ですから。

「処方してみるけど、合わなかったら止めた方がイイですよ」と最初は、少な目に出してくれる方が信頼出来ると思います。  
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2007年04月11日

娘が修学旅行です〜!

今朝、早起きして出発しました。御蔭で、とても眠いです‥‥

それにしても、月日が流れるのは速いものだと、最近つくづく思います。

中学生になって、「ああだこうだ」と言っている間に、ついに最上級生になってしまいました。

帰って来たら、いよいよ来年に向けて本格的な受験の準備に、学校側もなるハズです。

今は、昔よりも子供達が勉強しているので、色々大変だと思います。

我々のコロは、山の中の田舎の村だったからかもしれませんが、高校受験に目の色変えている子供や親がホトンド居なかったので、楽でしたが。

今は、周囲が一生懸命なので、「負けたくナイ」と思えば、こっちも必死になってやらなくてはダメみたいで、『今の子供でナクて良かった〜』と思います。

親とすれば、「負けてもイイ」と思ってるんだけど、頑張っている子供にそうも言えないし、「あれもやりたい、これもやりたい」と言われて多額の金額を出費したからには、「やらないなら止めて」と言わざるを得ず。

結果、一生懸命やっているのを見ると、気の毒だったりするのですが‥‥

ともあれ、縁みたいなものがあって、努力もしなくちゃイケナイけれど、『ダメだったら、違うトコに縁があったのだ』と思えばイイんじゃないかと思っちゃう方なので。

やっぱり、そういうのも親の影響があるのかもしれませんね。仕事が忙しかったので、ワタシの成績にさほど関心が無かったですから。

それが、良かったのかどうかは、これからの人生次第だとは思いますが、ともあれガリ勉君になって、必死に努力して、ステップアップしても、延々と必死の努力が続くだけなので、本人の出来そうなある程度のトコで、『ま、いっか』と思ってた方が、楽しいと思います。(ワタシはね)

娘がどんな人生を選択するかは判りませんが、なるべく妨害だけはしないでおきたいと思っています。  
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2007年04月10日

政治は劇場なのか?

「小泉劇場」と呼ばれた「小泉改革」が、「地域格差」を増大させたと多くの地方の首長がアンケートに答えたらしいけれど、依然として「あの頃の方が楽しかった」式の意見があるのも事実。今回の選挙も、知名度ばかりが優先している感もあったりしますし‥‥

多くの国民は、「地域格差」の光の当たる地域に住んでいるのですから、さほど「格差」が気にならない人もいるのかもしれませんが、その内に「田畑」や「森林」が荒廃すれば豊富だった「日本の水資源」などにも影響が出るのではないかと思ってしまいます。はたして、その時にどうなるのでしょうか?
さらば小泉純一郎!
中東のレバノン大使だった天木直人さんの本です。前に、『さらば外務省!』についても書いたかもしれませんが、最近は時々、天木さんのブログも読ませて頂いてます。

息子さんが俳優になってますが、小泉さんも俳優だった方が良かったのかも。政治家の方々の不勉強ぶりは色々ありますが、「何でも、良きにはからえ」と言っていて、「自分に注目が集まれば良い」と考えているとしか思えない感じの、場当たり的な対応をなさっていたのだとマスマス思いました。

ともあれ、日本の外交を理解するには、その前段階として、
なぜ日本の外交官は世界からバカにされるのか
という、外務省よりの本を読んどくのも、イイかもしれません。

こういう本を何冊も読んでいると、「日本外交」がなってないのは、当然かと思えて、本当に疲れてしまいます。「出る杭は打つ」、「無難が一番」という日本の官僚的な考え方では、何時か日本は後進国の仲間入りしそうで、怖いです。  
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2007年04月09日

無抵抗がイチバン怖い!

統一地方選の序盤の結果が出ました。大方が下馬評通りだったみたいですが、一番気になったのがあまりに低い投票率。

こんなんで大丈夫なんだろうか?

一般の人が出来る最大の政治活動だというのに‥‥確かに、若い頃はワタシも政治なんて誰がやっても同じかなと思っていた時期もありましたが、そんなコトではマスマス「格差社会」になってしまうんだと思いますが、「将来を投げている人々」が増えているんでしょうね。

ともあれ、どんな政治をやっても許されると思えば、より政治家は無茶苦茶なコトをしかねないと思いますが‥‥

ともあれ、京都の選管の当選者と落選者を間違えて発表したのには、驚きました。

人間だから、間違えもありますが、それにしてもヒド過ぎませんか?

日本全体に「緊張感」が欠けているのではないでしょうか。

「なんとなく」生きていれば生きていられる時代になったコト、それはそれで悪いコトではナイと思います。毎日、ピリピリして生きていなければならないなんて、大変ですから。

でも、ココぞという時に、ピリッと出来ないのでは問題だと思います。

人生にちゃんとメリハリをつけて、大事なコトだけは「絶対に死守する」というコトをしないと、つまらないコトで「他人のタメに死守せよと命じられる時代」が来ないとも限りません。

日本の今の平和は、過去の軍国主義の方々が作ったものではありません。無念の想いで亡くなっていった多く方々の犠牲があってこそ生まれた、「自由」だったり「平和」です。

再び暴走する人達が出て来て、マタ多くの一般の人々が戦火に脅える日々が来るのはゴメンです。

そんなコトは嘘だと思っている人々が、何時か自分の身に火の粉が降り掛からないコトを祈ります。そして、タダ祈るだけでナク、自ら何らかのアクションを起こすべきだと思います。

忙しいのですから、政治活動なんか出来なくても仕方ありません。でも、せめて選挙には行って、自分の考えを表明しないと、昔みたいに「貧乏人は投票も出来なくなったり」、「男しか投票出来なかったり」する時代が来てしまうかもしれません。そんなコトだけは、阻止したいと思うのですが‥‥  
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2007年04月08日

ダマされて死なないタメに

いよいよ憲法解釈の大幅な変更により、憲法が改正出来なくても、日本が戦争に巻き込まれる可能性が高まってきました。

アメリカ国内でも、平和を望む声が強くなってきているのに‥‥
マイケル・ムーアへ―戦場から届いた107通の手紙
映画「華氏911」のマイケル・ムーア監督への戦場からの、銃後の家族からの、戦争経験者からのメールです。戦場の悲惨さ、プロパガンダの嘘を嘆く声ばかりです。

ただ、「こんなに騙されている」と気付いた人が多かったにも係わらず、ブッシュ大統領は再選し、イラクはもっと泥沼化しました。それで、やっぱりマタ多くの人々が考えて、民主党に「戦争はNo!」と言って欲しいと議員選挙で答えを出しました。大統領が変わらないので、激変はマダですが‥‥

逆に日本は、軍国化の波がマスマス押し寄せて来ています。

「華氏911」の映画で一番印象的だったのが、戦争賛成と言っている議員さんの多くが自分の子息は戦場に送ってないコトに対して、監督がマイクを向けて「戦争に賛成なら、ゼヒお子さんをまず戦場に」と言うのに対して、ホトンドの方々がイヤそうに顔を背けたコト。

自分の子供は戦場に送りたくないが、格差社会にして貧しい子供達を金で操って、戦場に派遣すればイイ式の考え方はゴメンです。


自分がイヤならば、他人だってイヤなのですから、他人の痛みを判らなくてはイケマセン。でも、かなり多くの政治家の方々は代々政治家の暮らしをしているので、困っている家のコトなど理解出来ません。

かつてマリー・アントワネットが「パンをよこせ!」とデモをする民衆に対して、「あの人達はどうしてお菓子を食べないのかしら」と感想を述べたのは、有名な話ではありますが、革命を起こしてギロチンで処刑せずとも、選挙という平和的な手段が現在の我々にはあります。まず、今日が選挙の人は「今日」、それでダメでも「次回」と何度でも日本が良くなる様にアタックするしかありません。庶民の政治参加はほんの僅かな一票でも、それぐらいしか手軽に出来るコトはありませんから。

投票に行きましょう! 何時の日にか必ず、イイ日本になるコトを信じて。  
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2007年04月07日

死んで欲しくはナイ

本日、リンクしている「種まきブログ」で知ったのだが、あまりに素晴らし過ぎる(モチロン、皮肉ですが)ブログタイトル「宣戦布告」を見て、そのトップページに書かれていた言葉にギョッとしました。

「俺は、君のためにこそ死ににいく」なんて、あんまりだ。父親が良く言っていた。「おそらく日本は負けるだろうとは思っていた。だけど、家族を守るためには、戦地に行くしかなかった」と‥‥そういう不毛な戦いを、もう二度として欲しくないし、息子を戦地に取られるのは絶対にイヤだ。だけど、こういうコトが平気な人がいるかと思うと、どうしても黙っていられない。
戦争を起こさないための20の法則
この本が出たのは2003年。でも、それからマスマス世の中は、戦争に向かって突き進んでないだろうか?

色々な意見がありますが、田中優さんという方の意見を読んでいると、

今は「戦争をしたい」「エネルギーをとりたい」「カネを儲けたい」「そのためなら多少人が信でもいい」と思う人の方が、多くを占めるような状態になってしまっているのです。

という意見がありました。そのタメには、「省エネ」をして、「石油に依存する今の生活からの脱却」を説いているのですが、それを読んで思い出したのが、少し前に読んだ「BenjaminFulford」さんのブログの中に(3/28付けの記事)、海水の温度は表面温度と深いところの温度は差があり、それを利用すればエネルギーは無限に近く生産が可能になるという話題。

海岸沿いにある原子力施設をこうした安全な施設に転換出来たら、どんなにイイでしょうか。

原子力のゴミ処理の心配も無ければ、運転時の臨界という危険もナイのだ。

夢みたいな話だが、こういうコトが実現して、「夢物語」だった「世界平和」が実現するコトを心より祈っています。
  
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2007年04月06日

見捨てられた白衣の天使

教科書検定で、沖縄戦では自決を軍が強制したことはなかったという様な記述に改めさせられたという話がありましたが、前々から書きたかった話を書きます。

父親の実話です。舞台は日本ではなく、中国とロシアの国境付近、北満州と呼ばれた地域。1945年の8月の終戦後の話です。

陸軍の兵隊は、ソビエト軍の捕虜となり、毎日ソビエト領シベリアへ向かうべく、出発している最中、父親は師団長から「陸軍病院に行き、看護隊の状況を見てくるように」という命令を受けて、単身徒歩で陸軍病院に行ったそうです。

入院中の兵士達は原隊に復帰させられたり、後方の陸軍病院に転送され、残っていたのは残務整理を任された看護婦さん約二十名。

父が歩いて来るのを見ると、皆一斉に飛び出して来て、父を取り巻いたのですが、彼女らは看護服を脱ぎ捨てて兵隊の軍服を着て、戦闘帽を被っていました。その帽子の下には、丸坊主で青光りした頭が。女性であることを隠すタメに、黒髪を剃ったのです。しかし、体型や動作、顔や肌の白さから、一見して女性だと判るものだったそうです。

「私たちはどうしたらいいのですか」
「私たちはどうなるのでしょうか」

真剣な、困惑しきった表情で矢継ぎばやに質問されても、若き日の父にはどうすることも出来ません。

日本軍の意図では行動を決めることは出来ない。すべてはソビエト軍の命令により行動するしかないので、全く見当がつかない、と現況を説明するしかありませんでした。

一人の看護婦さんが歩み寄り、兵隊服の胸ポケットから一服の薬の包みを取り出して父に見せ、「これは青酸カリです。万が一、辱めを受けるくらいならと全員所持しています」と告げました。

陸軍の兵士のタメに、看護婦として中国まで来て、そして、彼女等は置き去りにされたのです。

捕虜となった父に何も出来るハズもナク、これからシベリアに送られる身です。これが一生の別れになるだろうとは思っていても、どうするコトも出来ません。

「どんなにツライことがあっても、体を大切にして日本に帰ってください。元気でがんばってください」とだけ言い残して、父は後ろ髪引かれつつも、捕虜として居るべき場所に戻っていったのです。

お国のために努力してきた白衣の天使、命の尊さを知り、人の生命を助けんがために国外まで来たというのに、そのまま音信普通になったそうです。

長い抑留生活の果てに、日本に帰り着いた父親は、新聞の「尋ね人」欄に投書したそうですが、父親が留守の時に「その投書を読んだ」とだけ誰からかは判らない電話が家にあったそうですが、今もってその約二十名の方々が、お一人でも生きて日本の地を踏めたかどうかさえ、不明なのです。

もし、彼女達が「青酸カリ」で自決したとしても、確かにそれは直接軍が命令したわけではありません。でも、「青酸カリ」を用意したのは軍であり、彼女達を北満州まで同行させ、置き去りにせざるを得なかった原因は、国にあります。

日本国の戦争に従事して、見捨てられた人々が実際に居たコトを思う度に、二度と戦争はするべきではないし、一般人の命などどうなっても仕方ナイのが戦争の現実なのだというコトを、広く世に伝えるべきなのだと強く思います。  
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こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)許可

匿名で新生児を保護する施設が熊本市に出来ようとしている。以前も書いたが、良かったと思う反面、そういう施設が無ければダメな日本の行政が不満です。にもかかわらず、「匿名で赤ちゃんを置き去りにすることは許されない」という建前を口にする政府首脳には、もっと。

赤ちゃんを捨てるというからには、ヨクヨクの事情があるんだと思います。世の中には、安産の人もいるかもしれませんが、やはりお産は母子共に、命を落としかねない大変なコトです。

医療が進歩して、そういう感覚が薄れて来たから、逆に過度の医療訴訟が起こったり、軽い気持ちでセックスする人々が増えていますが、生命を誕生させるのは、崇高なコトだったり、大変なコトなのだというコトをチャント教えないからこそ、逆に望まれない子供の誕生に繋がるのではないでしょうか?

性教育というコトの中には、どうやったら子供が産まれるのかという科学的なコトも大事かと思いますが、それだけでなく、例えば子供を育てるには、生後すぐの数時間での授乳が必要なのだとか、おしめを洗う大変さ、紙オムツの使用頻度にオムツ代を掛けて月額幾らかかるのかを計算させて、計算問題や家計のやりくりの大変さ、そんなに大変なのに、それでも子供を育てたいと親が思う気持ちとかを、丁寧に教えるべきだと思います。

その時に、もし望まない妊娠をしてしまったら、児童相談所に相談するコトは可能だというコトや、自分が赤ん坊だったとして、親に育てられなかったと知った時に、どう思うのかというコトを含めて考えさせるべきだと思います。

その上で、それでもダメな時に赤ちゃんポストというものがあり、その是非を含めて子供達に考えさせるべきではないでしょうか?

そうした教育をチャントしないで、ただ「赤ちゃん」を捨てる人を責めるのはいかがなものかと思います。

シングルマザーを奨励するわけではありませんが、例えシングルマザーだったとしても子供を育てられるだけの福祉の充実の方がもっと大事で、早急にするべきコトだと思います。

行政の手が届かない処に手を差し伸べたいと思う医療関係者を非難するよりも、するべきコトはあるはずです。弱者に対して厳しいコトを言いながら、手をこまねいているのではナク、弱者に対して優しく接して救済してあげてこその行政だと思うのですが‥‥

せめて言葉の上だけでも、病院側が「こうのとりのゆりかご」という名前を付けているのですから、捨てられる子供達の気持ちを考えて、少なくともこの施設については「赤ちゃんポスト」という呼称はなるべく遠慮すべきかと思います。そして、どんなに設備が整っていたとしても、この「ゆりかご」ではなく、たとえ貧しくても楽しく親の側で子供が生きていかれる社会になって欲しいものです。  
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2007年04月05日

だます がめる かもる

タイトルにつられて読んでみました。
だます・がめる・かもる―知らない!あなたが狙われる
世の中に、なんと詐欺師の多いコトか。

で、思い出したのが、去年の6月に来た手紙。何時か、書くチャンスがあるかもと思って、保存しておいたモノです。手紙を以下に抜粋すると、

この程、当協会と提携関係にあるアメリカン大学の学位(博士号)が審査にて得られるようになりましたのでご連絡申し上げます。当協会と姉妹関係にあるアメリカ、イギリス、オーストラリアの協会の支援により、高校を卒業している方で25歳以上である方が対象となります。医学博士号以外に大学卒業(学士号)、大学院卒業(修士号)、MBAもございます。

1.若いころ、仕事に追われ大学に行くことができなかった。
2.施術には自信があるが、ビジネス上、肩書きが必要だ。
3.公文書、履歴書に最終学歴を大学卒、大学院卒と書きたい。
4.社会的な地位に就いているため、それなりの学位が必要だ。

大学卒業(学士)    九八万円
大学院卒業(修士) 一四二万円
MBA         一八〇万円  
博士号(医学部門) 一九一万円

※費用は契約時に50%、学位取得後に50%のお支払いになります。

お金で買える様なバカバカしい学位を売る商売があるのかと思ってましたが、この本を読んでじっくり考えてみると、

1.架空の大学による嘘の学位を取得させる
2.契約時に半額だけ騙し取るのが目的(学位に相当せずで終わり)
3.ホトンド価値のナイ大学の学位を安く買って売る
4.商売のコンセプトはともかく正当な商売

のどれかが正解なのだと思うのですが、確かめてみる必要性も、気持ちもナイので、こうやって将来ネタにしようとしていただけなのですが‥‥皆さんは、どれが正解だと思いますか?

ちなみに、こうやって買われた学位も世の中に存在すると思われますので、注意が必要かと思います。何はともあれ、実力が無ければ、学位など何にもならないと思いますし、本当に実力に自信があったら、学歴など無意味だと思いますけどね。  
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2007年04月04日

九万ヒット有難うございます!!

皆様の御蔭で、ついにココまで来るコトが出来ました。二周年記念の夏までには、十万ヒットも夢じゃないかも‥‥春からペースダウンしてますが、でもちゃんとそれなりにしっかり書くつもりですので、これからもヨロシクお願いします!!

短いですが、御礼まで。  
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善光寺から古代瓦大量出土

最近、全然書いて無かった「歴史大好き日記」。久々に血が騒ぐ話が出てきました。

善光寺は謎のお寺」だと、前々から思っているのです。

まず、秘仏であって、本物の仏像は見ることが出来ない。(ちなみに御開帳で七年に一度見せて貰えるのは、前立本尊なので本物ではありません。本物のコピーだと理解しておいてください。となると、果たして本物は存在しているのかどうか、なんて空想すら可能なお寺なのです)

知っている人は知っているかもしれませんが、蘇我氏と物部氏の戦いで、本尊が池に捨てられたりしながら、長野に辿りつくまでの軌跡が、何故か物部氏の退却したであろう道筋と似通っているコト。

それだけでナク、大宝律令以前の条里制と思われる呼称が書かれた瓦が過去にも出土しているのです。

今回の出土した瓦は、白鳳時代あたりと見られているので、「ベールに包まれた古代史」の全てが判る可能性は低いのですが、明治時代に行われた廃仏毀釈と似た様な、宗教関係の争いゴトが、「国分寺」や「国分尼寺」を作るころにも、必ずやあっただろうと思われるので、もしかしたら何らかの手掛かりが掴めるかもしれません。

ともあれ、これだけ全国的に知名度がありながら、建前上は「どの派閥にも属さない、無宗派のお寺」なのです。(大勧進は天台宗の系統だったと思いますけどね)

日本の古代史を本当の意味で正しく研究するには、前から言ってますが、宮内庁によってデタラメな部分もあるにも関わらず一度天皇陵として指定された御陵は調査が出来ないコトがネックになっています。

おそらく、調査出来ないのは、調査されては困る様な、「本当の歴史」の鍵が埋もれているからに相違なく、だとするならば、こういうコトをキッカケにして、現代の優れた技術を持って、民間の過去の歴史をしっかり調査することでしか、「日本の正規の史実」に少しづつでも近付くコトは出来ません。

古代は闇に包まれているので、ロマンは増すばかりです。  
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2007年04月03日

幸福の神様は「ゆとり」がお好き

昨日の本を読んでもそうなのですが、本日親戚からの電話とか、ここ数日の御客様との会話で思ったのは、やっぱり「ゆとり」は大事だなというコト。

逆縁になりそうになったお宅の話を聞いていると、過去に子供に先立たれているのだとか。

その親御さんは、どちらかというとピリピリしているので、話しているとかなり疲れるのだそうだ。

再び逆縁になりそうになったのも、お子さんが体調を崩しているのに無理に仕事を続けようとしたからだとか。

やっぱり仕事も大事だけど、健康はもっと大事。早めに休んで体調を整えれば、大手術して生死の境を彷徨うコトもなく、入院して長患いするコトもなかったのに‥‥持って生まれた運だと言ってしまえば、それまでではあるけれど、やっぱり自分で守れるものは守ろうとしないと。

東京あたりでは、長野よりももっと受験戦争が過熱しているらしく、過去に高校を四校受験して、たった一校落ちただけで、悔しくて悔しくて大泣きした子供もいるとか。

試験問題との相性もあるんだから、一つぐらい落ちるのは当然じゃないのかと、こっちは思ったりするのだが。

今は、少しのんびり高校生活を楽しみ過ぎたので、スゴイ大学には行けないかもしれないと言うのだけれど、無理してイイ大学に入って、ソコで糸がブツッと切れるよりも、ズーッと良いのではないかと。

どの大学を出たかよりも、何をするかなのだと言うものの、やはり学歴の壁はあるかもしれない。だとしても、日々、ゆとりのナイ、イッパイイッパイの生活を無理して続ける一生よりも、ある程度生きてて楽しい一生の方がイイんじゃないかとワタシは思います。

お金があって、何度も家を建て替えるコトが出来たとしても、ギスギスしている家もあるらしい。「やっぱり、お金も大事だけど、ある程度あれば充分だし、過ぎると逆に問題が出て来る場合もあるわよね」という言葉に何度も頷いてしまったワタシでした。  
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2007年04月02日

子どもが壊れようとしている?

日本がこれから悪くなっていくという分野に「教育」が挙げられたというニュースは、「いじめ」や「教科書未履修問題」のせいにされていますが、それをテコに管理教育を導入しようといている方が、心配だったりする人々が多いとは思わないのかと、疑問になります。

英国人教師を殺害したと思われる(最高裁判決前は、推定無罪の原則ならばこう本来は書くべきだと思われ)28歳の男性の両親の職業などを見ても、前に書いた「上流志向の苦悩」を思わされますが、そうなる手前の時期の子供達のエピソードを書いた本がこちらです。
壊れる子どもの事件簿
何と言うべきか、『こんなに大変なのか、今の子供は』というのが、率直なワタシの感想です。

長野あたりでも、昔と違って私立学校では、過当競争を奨励しているらしいという話は、風の便りで聞こえてはいますが、『あんまり無理しても、無理はそう長くは続かないだろう』と思ってしまう方の我が家とは、考え方が違うのでそういう話をじっくり聞いたコトが無かったから、ちょっと「事実は小説より奇」なのだと驚きました。

ワタシがそういう立場の子供だったら、とても耐えられませんね。今の家の子供達の学校生活や周囲に変質者が増えているコトなどを聞いているだけでも、『昔の時代の子供で良かった』と思っちゃう方なのに‥‥

この本にも書かれてますが、「かつて時間は今よりゆっくり流れていた。世の中も家庭も、デレビドラマもアニメを見ても、ヒット曲を聞いてもそうだった」という意見は、多くの人々が口にする言葉です。

ところが年々速度が速まり、変化が矢継ぎばやにやってくる。リズムもアップテンポになり、早口の人が増えた。文章展開も早くなった。家庭や学校でもすべきことが多くなり、四六時中処理に追われている感覚だ。


「より速く速く」と駆り立てられる時代で、「ゆっくり、自由な自分の時間を持つ」というコトが贅沢な時代になってしまって、我々は何か大事なモノを忘れて来てしまったのかもしれません。だから、「子供が、人々が壊れてきているのかもしれない」と、日々殺人事件の話を聞かない日がナイ、今を振り返って思います。  
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2007年04月01日

美肌、ストレス軽減にキウイフルーツ

本日も「日本農業新聞」の「アンドユー」の「くだもの図鑑」から。

キウイの原産地はなんと中国南部。1904年にニュージーランドに種子が導入され、その後の品種改良が重ねられて、現在のように美味しくなったそうだ。ゆえに、「キウイ」という名前は、ニュージーランドの国鳥・キウイに形や色が似ているので付いた。

果肉が緑色の果物は珍しいので、デザートや料理に利用が拡大、欧米で人気になったが、日本に普及したのは、1970年代に温州ミカンの過剰生産問題解決の転作作物として。

そんなキウイフルーツは栄養素の宝庫。果物の中では、100津たりのビタミンCが一番多い。1個で1日の必要量をほぼ満たす。

若返りのビタミンと呼ばれるビタミンEは種子に豊富。

体の酸化を防ぐビタミンCとビタミンEのダブル効果で、抗酸化の相乗効果が得られ、美肌やストレス軽減などに効果
が。

食物繊維もダイコン、カボチャ、タケノコに匹敵するほど多く含まれている。

普段の食事のデザートにピッタリで、1個で栄養所要量を満たし、腸内の善玉菌を活性化させ、便秘や糖尿病に有効。

カリウムも100津たり290性弔函果物の中では多く、体内のナトリウムを排出して、高血圧を予防。血糖値やコレステロールを下げるので、生活習慣病予防に良く、有機酸のクエン酸リンゴ酸は、疲労回復に役立つ。

こんなに太字で紹介するべきスグレモノとは、全く知りませんでした。これからは、考えを改めなくては。

『甘いから太りそうなんて思っててゴメンネ』というのが率直なワタシの感想です。「やさい・くだもの図鑑」の締めくくりにバッチリでした。  
Posted by seitaisikoyuri at 10:48Comments(2)TrackBack(0)