2007年05月31日

ガラスの自尊心

母親が高学年の子供を殺しただの、引越しのゴミの中に乳児の遺体だのと、普通では考えにくいニュースが今日も聞こえて来ます。

そういう現代の病理について書かれた本がこちら、
自尊心という病―自尊心の傷つきに耐えられない少年たち
ココでは、自尊心の高さが問題にされていますが、本当に確固とした自尊心ならば、ビクともしないのでしょうが、この本の中でも指摘されている様に、空想の世界における自尊心、事実に即さない自尊心だから、ちょっとしたことで大きな傷を受け、そしてあっという間にキレてしまうのです。

リッツの「ゆがんだ家族」説というのがあり、一見、正常に見えるものの、一番の権力者に支配され、その人がゆがんだ妄想的考えを持ち、家族構成員に影響を一方的に与えるというコトです。主に、母子密着型の多い日本の家族は、しばしばこれに当てはまる例が多いというのですが。

人格障害の中に、自己愛人格障害というのがあり、それが病理的になっているものだそうです。アメリカの精神医学界の診断基準を一般的な言葉で説明したものによると、

一、自分が人と違って、偉い、すごいということを人に認めてもらいたい。

二、自分は才能があって偉いのだから、どのような成功も、どのような素晴らしい相手との恋愛も思いのままだという空想を抱いている。

三、自分は特別で、普通の人と違っているから、普通の人から理解されずとも構わない。自分の素晴らしさは特別な人しかわからない。

四、過度に人からほめられたい。ほめられないと、自分が無視されているみたいだ。

五、自分は特別扱いされるのが当然だと思い込んでいる。

六、人を自分の目的のためにうまく利用する。

七、人の感情を思いやる気持ちもないし、共感性がない。

八、人をうらやみ、嫉妬し、また逆に、自分が他人から嫉妬されてると、思う。

九、態度や行動が傲慢で、尊大である。


誰でも自己愛があるので、多少はこの基準に当てはまるのですが、この傾向がとりわけ強く、自己中心的になっていると問題なのだそうです。(続きは明日に)  

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2007年05月30日

自殺は連鎖する

自殺した人のコトで大騒ぎすると、自殺が増えるというコトは国際的に言われているのに、そういう国際的なルールを無視して大騒ぎするのが、日本のマスコミです。

時を同じくして、アイドル歌手の転落死があり、子供達の学校ではそちらの話題の方がもっぱらだったみたいです。どちらが主かは判りませんが、都立高校の生徒が自殺したのは、大騒ぎしなければ防げたかもしれません。過去にも、アイドルの自殺に続いて何人も自殺したコトもあり、「はしか」だけでナク、「自殺」も感染しやすく、しかも、命を落としやすいというコトを頭に入れておかなくては困ります。

殺人も問題ですが、自殺に追い込むのも、殺人の一種です。

今回の農相の自殺は、その前の農相の秘書の自殺、そして収賄側と思われる人の自殺で一段落ではありましょうが、一連の自殺騒動で得をした人がいるとすれば、その人々が自殺を教唆した可能性は充分にあります。自ら手をくだしたか、否かはともあれ。

「死を悼む」には、それなりの方法がありますが、幾ら「神道」と「禊」の国だとしても、疑惑の渦中の人が没したからと言って、霊柩車の行く先を長々と公共の電波で流す必要があるのでしょうか?

「日本の常識は、世界の非常識」と言われて久しいですが、あまりのバカバカしさにビックリです。

「禊」が済んだからと、堂々と刑事被告人でも国会議員になれるお国柄ですから、仕方ナイのかもしれませんが、「禊」を済ませれば、全ての罪は消えるとは到底思えません。

日本がアジア諸国とトラブルになるのも、その辺にあるのだと思いますが、「償い」というものはズッと継続してするべきものです。個人の犯罪者に対して、寛大じゃナイ人に限って、国家の犯罪は(特に自国が犯した場合)さして罪の意識がナイ人が多いのですが、誰しも「足を踏んだ方は忘れやすいが、踏まれた方は執拗に覚えている」ものだという、単純なコトを理解しないと困ります。

ともあれ、幾ら視聴率が採れようと、自殺者関連の話題を長く続けるのは、自殺者を増やす可能性が高いので、自粛して欲しいものです。(林野関係の談合疑惑はどんなに話題にして貰っても構いませんが‥‥)  
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2007年05月29日

更生可能と言えるだろうか?

昨日に似た本なのですが、果たして全ての人間が更生できるのだろうかと考えさせられる本です。

かなり前に「犯罪者の心理」から始まる一連の話の中で、犯罪者を数多く更生させていた方の本の中にも、はっきりと一部の者は「強制不可能」であると書かれていましたが、正にそんな感じの小説です。
ボーダーライン
せっかくの小説なので、あらすじを書き込めないのは残念ですが、一枚の写真に映った男を依頼されて調べる探偵と、その男の父親と娘、そして探偵を取り巻く上司と警察官、友人そして恋人と過去の事件が交錯して物語は進むのですが‥‥

というコトで、興味のある方は読んで頂くとして、ソコに登場するのは「ニコニコと笑いながら人を殺せてしまう」という根っからの殺人者。これは小説ですが、現実に犯罪者を数多く相手にしている人のノンフィクションでも、そういう人は存在しているらしいのですから、昨日も書きましたが、「死刑」を存続させないという選択をするのだとするならば、「終身刑としての牢獄」というコトも考えざるを得ません。

加害者にも人権は存在しますが、被害者の人権を踏みにじったのですから、その責任は取るべきです。被害者に何かがあって、加害者がというのではナク、単に自分の欲望のままに、無辜の人々を殺してしまう様な人という者は、更生を試みるコトも大事ではありますが、それと共に、自分が絶ってしまった相手の人生を思いつつ、遺族に牢獄の中で謝罪し続けるというコトも必要なのではないかと思うからです。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。「死刑にしたって、殺された人は生き返っては来ません」でも、「生きている限り贖罪し続ける」というコトは大事だと思います。「贖罪」されても「死者」は蘇生できませんが、少なくとも「贖罪」が続く限り、被害者のコトを加害者は忘れないでしょう。

とにかく現代の我々が忘れがちなのは、「他者の痛み」です。「相手の気持ちに立って考えたら、凶悪な犯罪は出来ないハズ」です。それでも、出来るとしたら、やはりそれはそれで問題なのだろうと思います。  
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2007年05月28日

死刑制度と少年事件

数多くの少年達による殺人事件などが行われている昨今ですが、少なくとも事件の数自体は減少しているのに、マスコミで煽られておりますが、そうした姿勢を含めて批判した絶好のミステリーがあります。ミステリーだと思わせないトコがミソで、最後にミステリーだったんだと気付かせて貰いましたが‥‥
さまよう刃
ミステリーとなると、筋が書きにくくなりますが、何も過失のナイ少女が二人、別々に拉致されて札付きのワルどもに強姦され、一人は自殺し、一人は死体遺棄及び殺人となるか過失致死あたりになった二人の父親の復讐と、それを取り巻く警察官の話です。

ともあれ、本を離れて、現実問題として、少年法が問題にばかりなりますが、マズ問題にすべきは死刑制度の是非が大前提だろうと思います。一般に人を一人殺しても、初犯だったら死刑になどならないのが、今の現実です。そして、無期懲役が本当に無期懲役ならばまだしも、真面目に勤めれば十年とちょっとで出て来れるというコトが一番問題だと思います。

一生、牢獄に入れておいたら、改心なんてしないだろうし、収容に掛かる経費が大変だというコトなのですが、出所するタメの改心なんて、本当の改心でしょうか?

死刑制度を廃止したいのならば、アメリカみたいに「200年の懲役」みたいなありえない数字ではあるものの、改悛の情が認められたとしても、ナカナカ減らない程度の刑という考え方が、日本にも必要ではないでしょうか?

犯罪者になるには、それだけのバックボーンもあり、同情すべきコトも多いでしょう。でも、それを含めて、犯罪者が大人であろうと、少年であろうと、どう処罰すれば世の中のタメになるのかという、根本の問題が議論されているとは言い難いものがあります。

「裁判員制度」も始まろうとしている今だからこそ、量刑の問題や服役すればそれで終わりではナイ、例えば賠償の問題ナドも全てひっくるめて議論しない限り、本当の更生など出来るハズもありません。ちゃんと更生させるコト、そして本当に更生したのであれば、社会が受け入れるコト。その二つもナイと、ただ「刑期を終えさせるダケに税金を費やしたダケ」になってしまいます。表面的な議論ではナク、もっと深い議論をして欲しいものなんですが‥‥  
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2007年05月27日

食料は自分でチェックしよう!

昨日のブログで、何を食べても空腹さえしのげばイイというのは、ヤバイと思って頂けたとは思いますが、それにつけても米国の牛肉輸入を再開したいというのは、結局、自国民の健康など、大したコトではナイと思っている政治家や官僚が多いからだろうと思います。

教育問題もしかりで、米軍に出す「思いやり予算」はバッチリあっても、国民が心配している「年金」や「教育(地方の国立大学を脆弱にして、マスマス大都市の一極集中を進め、地方の活力を削ごうとしているのか?)」に出す金はナイという姿勢が見え見えです。「教育基本法」を変えたいのも、単に政府の言うコトを押し黙って拝聴する人間を増やしたいだけだろうし‥‥

というコトで、如何に政治家や官僚が心ある民間人を踏みにじっているかという実話もどきの本です。あまり、悪口を書きたくはナイのですが、大学時代この本に出てきた私利私欲の塊の様な会社のビールを飲むと、どうも頭がガンガンする様な気がして、ソコのビールは飲まない様にしていたのは正解だったかもなんて思います。
冤罪の構図―キャリアの仕組む罠
良心的な酒造会社と酒税を儲けたい国家権力との、あまりに不毛な戦いがあります。「国家に逆らうものは、平気で命を奪う」みたいな‥‥

子供達がお腹に出来てから、年子だったので授乳期間が終わるまでの禁酒期間が長く、飲めはするのですがさほど飲まなくなった上に、メタボの可能性ありというコトで禁酒した(ホントにタマにある飲み会では飲んではいますが)主人の付き合いでこっちもホトンド飲まなくなったので、さほどお酒の関係には興味がありませんでしたが、裏側はドロドロだったんだなと判りました。

そして、こんな様な構図は当然他の業種でもあるのだろうから、知らない国民はイイ様にダマされているのですね。ガンガンCMを打てる様な裏には、エセのお酒を本物だと思わせて売ったり、天下の有名監督には中身を入れ替えたウィスキーを飲ませて、変なモノの広告をさせていたのだとはついぞ知りませんでした。

世界の名監督は、今頃天界でどう思ってらっしゃるでしょうか?

公務員に「公僕」であるという意識がナイ限り、こうした不正は限りなく続いていくでしょう。それにしても、ここまで、警察から司法までがベッタリと不正を擁護しているなんて、全くこの国は根っこから腐っているのかもしれませんね。少しでも、過去の腐敗と決別して欲しいものです。  
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2007年05月26日

子供が出来なくなる?

ともあれ、真面目に少子化を心配するならば、環境汚染や食物汚染の話題を避けては通れません。

人工化学物質のプラスチック、塗料、殺菌剤、ドライクリーニング液や洗剤など、ほとんどは無害だが、なかには性に影響するものもある。

汚染物質が多い川では、オスの魚がメスになったり、フロリダの湖に住むワニのペニスがかなり小さくなったり。カモメがメスどうしでカップルになる。イギリスの海では、貝のメスがペニスを持ったりと、世の中の生態系は混乱しているらしい。

避妊用のピルに含まれるホルモンが水道水に紛れこみ、淡水魚のメス化や人間の精子の減少を引き起こしているとも言われている。

バナナを害虫から守るという薬が、バナナ園の労働者の精子の数を五〇〇分の一にまで減らしたり、他にも有害物質も続々と見つかっている。

牛乳や牛肉にも、成長促進剤としてきわめて強力なエストロゲン類似物質をヨーロッパでは禁止されているにも関わらず、アメリカでは好きなだけ使って牛を成長させている影響が、今後どう出るのか?

ベジタリアンだとしても、クローバーを食べ過ぎた羊が不妊になったり、大豆にもエストロゲンに似た物質が多く、体内のエストロゲンは脳を保護するのに、大豆のエストロゲン類似物質は、本来のエストロゲンの働きを阻止して痴呆になるという説さえあるという。

ふつうの食生活では、こうした化学物質は、ごくわずかしか摂取されない。しかし、なかには大量に摂取している人もいるし、微量なら大丈夫とは言い切れない。体脂肪の中に蓄積され、いくつかの物質が結びつくことによって、重大な影響を及ぼす可能性もあるからだ。

ちなみに、妊娠させられない男性が増加の一途では困るので、コレだけは書いておくと、精子のコトを考えるならば、精巣が精子を作るのは体温より二度から三度低い温度なので、体外にある。サウナは厳禁らしく、逆に寝ている時に扇風機で三カ月ほど風を当てつづければ、精子の数はグンと増えるそうだ。(あくまでも、真剣に科学している先生の説なので、それに対するコメントは避けさせて頂きます)

環境破壊は他人事みたいに考えている人も、多いのかもしれないが、人類が進む未来を変えてしまう可能性が、とてつもなく大きいのだというコトを認識しないとマズイだろうと痛感した本でした。  
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2007年05月25日

女の子を殺す習慣

さて、前述したインドは、女の子にとって大変な場所であるそうだ。娘を高い階級の男性に嫁がせられるとなると、そうしたくなるのは人情だが、それには多額の結婚持参金が必要になるというのだ。

何人もの娘を嫁がせられないとなると、余計な子どもは、生まれてすぐに処分するというコトになる。

インドの経済は発展したが、それにともない、結婚持参金の額は増える一方。貧しい家では、結婚する娘に財産の半分をもっていかれてしまうことになる。そのため、娘殺しは減るどころか、ますます増えていく。

インドのなかでも、教育水準が高く進歩的な地域では、女の子が殺されることはない。しかし、一部の村では、男の子が女の子の三倍にもなる。

産婆に頼んで殺したり、母親に赤ん坊殺しを実行させる。子どもの口の中にタバコを押し込むのだ。もしも母親が拒めば、彼女自身が殺されるか、あるいは家を追放されることになる。

持参金不払い殺人まで起こっていて、家が貧しいために持参金を工面できなかった花嫁が、夫の家族によって生きたまま燃やされるのだ。そして、たいていは石油ストーブの事故ということにされる。こうして殺される花嫁の数は、少なく見積もっても一年に二〇〇〇人だという。

一九九六年、インドでは出生前診断が禁止され、違反者には三年間の懲役と思い罰金が科されることになった。しかし、この法が適用されるのは公立の医療機関に限られており、私立の診療所は今でも自由に活動している。

現在、こうした処置はとても簡単にできるようになった。小型のスキャナーを村から村へともち運び、胎児がしかるべき資質を備えているかどうかを検査する。そして、インド国内で一年に一〇〇万人もの女の子が、生まれる前に殺されていく。この検査にかかる費用は、労働者の賃金の二カ月分。だが、将来の出費を考えれば、けっして高くはない。さらに私立診療所は、中産階級の人びと向けに人工授精の実施も始めた。これなら好きなほうの性別の子どもだけを妊娠できるからだ。

社会がどれほど女性の排除を望んでも、シンプルな生殖の方法によって、結局は女性の存在を認めざるをえなくなってくる。これを無理に妨害すれば、おそらく結果は悲惨な(そして高くつく)ものとなる。

こうした話を読むにつけ、世界では、マダマダ理不尽なコトがまかり通っているみたいだ。日本だって、ソコまでではなくても、想像外のコトは存在しているだろうが‥‥  
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2007年05月24日

O型の両親からB型の子供が

出来るコトもあるとは知っていましたが、何故なのかというコトは今までハッキリとは知りませんでした。ちなみに、そういうコトは、ホトンドありえないコトではあるのですが、参考までに、抜粋すると、

血液型の発現には、ABOの遺伝子だけでなく、ある酵素に対する遺伝子も関わっているからだ。O型遺伝子によってつくられる物質は、いわば基本形である。AやBの遺伝子をもっている場合、その基本物質が他の形に変化する。この変化を直接引き起こすのは、DNAの別の場所に書きこまれたある酵素の遺伝子だ。そしてごくまれに、この酵素をもたない人がいる。そうした人はAやBの遺伝子をもっていたとしても、AやBを特徴づける物質をつくることができない。したがって、遺伝子の型にかかわらず、血液はO型になる。さて、この酵素を欠いたBBの人(実質的にO型)が、酵素をもったO型の人と結婚したとしよう。すると子どもは、BとOの遺伝子を一つずつ受けとり、さらに片方の親から正常な酵素の遺伝子を受けとることになる。つまり、血液型はB型だ。両親は二人ともO型なのに、B型の子どもが生まれてくるのだ。

なんと人間は、複雑なのでしょう。ちなみに、今はDNA鑑定が主流なのである。そして、DNAも繰り返し配列の中には、一〇〇分の一という高い確率で変異が含まれているからだ。最近では、なるべく確実な結果を得るために、少なくとも九カ所の異なる繰り返し配列を調べるのだそうだ。

ちなみに、Y遺伝子を追跡すると様々なコトが判る。インドはカースト制で有名だが、クシャトリヤ(王族や武士)の男性は、西洋の男性によく似ている。カースト制を作ったのは、今のイランやさらに西のヨーロッパからやってきた侵略者だった。彼らは貴族社会をつくり、現地の女性に自分たちの遺伝子をばらまいた。それ以来、女性は結婚のときに相手のカーストへ移ることはできるが、男性はずっと同じカーストに留まる。現在でも差別感情が強く残っているため、父系が別の階層と混ざりあうことはほとんどない。ゆえに、男性はカースト間でのDNAの違いが目立つのだという。

過去の侵略者と支配者の歴史が、未だに現存しているという状況らしいのだ。  
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2007年05月23日

Y染色体(男)を科学する

東京でゴミ集積所に捨て子、そして少女二人が乳児の死体遺棄で逮捕という事件が相次ぎ、匿名で乳児を預かる施設が首都圏でも待たれる様な感じです。捨て子を奨励しているワケではありませんが、『天からの授かりもの』である赤ん坊が、何の罪もナイのに、みすみす死にそうになったり、虐待されそうになったりするのを容認するワケにはいきません。

世界には、まだ性別による「子殺し」も頻繁に行われている現実を含め、様々なコトを教えてくれる一冊が、こちら。
Yの真実-危うい男たちの進化論
科学者というものは、冷静に何事も分析するものだと、改めて感心しきりの本であります。

真面目に、「ハゲはどうしてなるのか?」とか、「老いてマスマス盛んになるには、どうすべきか?」だけでナク、「割礼は是なのか、非なのか」というコトで包皮に対する分析などに対する几帳面過ぎるほどの解説には、ちょっとビックリ!!(知りたい方は多数でしょうが、残念ですが少しこのブログの方向をセクシー路線に変えてしまいそうなので、そういう話は、直接読んで頂くというコトで‥‥)ともかく、真面目に『がんになる可能性』などを交えて科学してらっしゃいます。

ちなみに女性が長生きなのは、この本を読むと当然らしく、男性の機能を停止させた方が長生き出来るそうです。そして、男性は裕福な方が長生きしやすいとも‥‥

ともあれY染色体を追跡すると、トマス・ジェファーソンというアメリカ独立宣言の起草者として有名な人物も、どんなに本人が否定しようとも大統領就任後(65歳頃)に噂のあった奴隷の女性に自分の子供を産ませていた可能性が濃厚であると、科学的に証明されてしまうのだという。

DNAのハプロタイプを調べると、有史以前にアメリカ大陸には移民がやって来ていて、彼らはシベリアから当時陸続きだったベーリング海峡を越え、アラスカに入り、2000年かけて南の端にまで子孫を行きわたらせた。北米の先住民の半数が、同じハプロタイプに属し、南米の先住民族の五人に四人までが同じタイプのY染色体を持っているからには、一人の試練を乗り越え続けた男の子孫がホボ北米や南米を独占していたというコトまで、調べられるらしい。

ともあれ、女性の卵子も年齢と共に古くなるなどと言われて、晩婚化が害であると言われているが、男性の場合も高年齢になればなるだけ、精子のコピーにブレが生じるので、好ましくないのだそうだ。

思わぬトコロで男女は同じ土俵に立たされているらしい。あまりに興味深い本なので、本日はさわりだけで、明日に続きます。  
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2007年05月22日

離婚300日前の出生児にみるイジメの構造

やっと離婚後の妊娠と判明すれば、本来の父親の子供として戸籍が作れる時代になりましたが、本来、離婚して300日までの子供に父親が空欄になるのは可哀想だから、という民法の救済的な考え方を思えば、離婚が成立する前に妊娠した子供だって、DNA鑑定とかで正しい父親の子供の戸籍に入れるコトも容認してもイイのにと思います。

子供の福祉というコトを第一に考えるのであれば、子供が無国籍になったり、正規の父親とは異なる父親の戸籍に入るコトがイイのか?

男性の方だって、自分の子供じゃないのに自分の戸籍に他人の子供が入るのはイヤでしょう。

嫌がらせのタメに、離婚しない人もいるのですから、父親が空欄になる心配がナイのであれば正しい父親の子供になった方が子供は幸せでしょう。

そんなコトをすれば、モラルがという人も多いですが、とにかく子供を第一に考えないとイケナイと思います。(熊本の「こうのとりのゆりかご」に対する考え方と同じスタンスです)

国立大学の補助金も、増額される大学と減額される大学が発表されました。ともあれ、こんなコトをしていたら、政府寄りの発言をする学者が増えるのではないかと危惧されます。

研究というものは、目先の金儲けばかりに走ると基礎がおろそかになります。今、企業が投資ファンドから防衛するタメに、配当金を上げたりして、研究費が削られているのです。そのタメ、博士号を取得しても、それを活かす職場に勤められる可能性も減っているとか。

「大学は出たけれど‥‥」という時代も過去にありましたが、今や「大学院は出たけれど」という時代になっているそうです。

「子供は情緒豊かに育てよう」とか、「世界に冠たる技術立国になろう」などと、スローガンだけは立派ですが、やっているコトはどうでしょうか?

何となく、多数派が少数派をいじめている感じとダブって見えるのです。

本当に「強いものだけが勝つ社会」「異質な分子をはじき出す社会」で沢山の人々が幸せになれるのでしょうか? 民主主義は多数決が原則ではありますが、少数の人々の意見を聞いて、それを活かしたり、取り込んだりする中で、社会の発展はあるのではないかという気がします。  
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2007年05月21日

カッとなる、その前に

天気が不順なので、忙しい日々が続いてます。なので、本日も更新遅れてます‥‥

さてさて、こんな季節の変わり目の時は、肉体的にも精神的にも辛かったりするので、凶悪事件も起こりやすいとは思いますが、さすがに「詰めた小指をカレーにする」なんてのはちょっと、ホラーが嫌いなワタシには理解不能ですね。

理解不能と言えば、愛知の立てこもり事件も、どうしてDVや虐待に対する知識が不足している方々が多いのかと思います。「やり直そう」と言われても、同じメンバーではまず100%無理なのです。時として、相手が変われば違うパターンになる可能性もありますが‥‥

円より子さんの古い本ですが、「私が離婚しない理由」という本にも、なかなかぐすぐずと別れられない夫婦が何組も登場して、歳と共に丸く収まる話ならば、無理に離婚する必要はありませんが、暴力的な問題が絡むと、次世代連鎖というコトもあり、きっぱり手を切った方がイイ場合もあります。
あなたのとなりの熟年離婚―離婚カウンセラーが見た理想と現実
こういう話を読んで参考にして、どうすべきか決断すべきでしょうね。

ともあれ、お金も大事ですが、精神的な安定はもっと大事です。多少は我慢も必要ですが、行き過ぎた我慢は自分にも、子供にも負担になります。闇雲に離婚しようとせずに、計画的に離婚するならしてください。発作的にするのも、問題です。

行き当たりばったりが出来るのは、若さの特権。ある程度の年齢になったら、落ち着いて色々考えるコトです。暴言を吐く人間も、スイッチを押し間違えなければ穏やかな人でいられます。顔色に見てキュウキュウとするのでなく、他人には常日頃から聞いて嬉しい言葉を選んで話しましょう。親子だって、夫婦だって「親しき仲にも礼儀」が必要です。  
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2007年05月20日

欲望する女たち

面白くて、やがて悲しい話なのですが、十年ホド前の本を読んでみて、なるほどとも思い、はてさてどうしようかと思っていた矢先に、「福島では名門高校生が母親を殺し」、「妻の連れ子を義理の父親とで殺し」‥‥などというのを読んでいると、「人間の欲望」の渦巻く先が、現在の病巣なのかもしれないと思います。

ともあれ、貧しさゆえの凶悪犯が(外国人によるものは増えているかもしれませんが)減ってきているのに、皆が思いもよらない様な華々しい犯罪をして、空虚な自分を認めて欲しいという「劇場型犯罪」や、「発作的な欲望が制御されないままの犯罪」は増加しています。

要するに、資本主義社会というのは、「欲望の増大」によって社会を拡大していく社会とすら言えるのですから、仕方ナイのかもしれませんが‥‥
欲望する女たち―女性誌最前線を行く
トップで扱われているダイエットは、確かに御金を消費させるには打ってつけだったり。極端な話、食べなければ痩せれるに決まってますが、食欲も満たして、美的欲求も満たしたいというコトですからね。

鎌田先生が、最近TVとかで話している様に、過去はBMIは22をもって最高としていましたが、長生きしたかったら24〜26あたりという「チョイ太で大丈夫」というかなり前から定説だった話もあるので、過激なダイエットは「命知らず」の方々がしているとも言えますね。

「お受験」あり、「昼カラオケ」あり、「パチンコ屋」に、「おっかけ」、「女性犯罪」から「不倫」などなど、ありとあらゆる男性が主流だったものにまで、女性も欲望を全開していたとしたら、本当に日本はどうなるんでしょうね。

ともあれ、本も過激じゃないと売れないだろうしと、何だかとてもモノ悲しい気分で読み終えた一冊でした。読んでると社会勉強になりますけどね。  
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2007年05月19日

子育てで失敗しないタメに

今朝から、とても忙しく更新も遅く、コメントのアップも返信も遅くなりました。ともあれ、色々な問題があるあると言ってばかりでも仕方ナイので、こちらも何日か前に読んだ本を紹介しますね。子育て関係の話なんて、続けて書いてもと思っていたのですが、現実がそうでもナクしてくれてますので‥‥
パパ、ママぼくを巻き込まないで!―子育てに失敗する夫婦の35の愛憎ゲーム
この本には、様々な親の葛藤で傷付く子供達の姿があります。そして、これ位なら関係ナイと思っている様なコトで、傷付く子供がいかに多いコトかを思い知らされます。

「親として、どうするべきか」素直にこの本を読むと反省するコトが、ママあります。

伝えにくいコトを子供を通して伝えようとするのはイケナイ、とか‥‥その辺を抜粋すると。

●自分が子どもに「お願いがあるの」と頼んでいるときを意識し、どれほどの頻度で、どういう理由でこの言葉を口にしているか考えましょう。

●子どもを使ってもう一方の親へメッセージを伝えたいという気持ちは押しとどめましょう。たとえ当たり障りのないと思われるメッセージでも。

●子どもがメッセージを伝えることを拒否したり避けようとしているときは、注意を払いましょう。あなたに使者の役はストレスが大きすぎると伝えているのです。

●子どもがメッセージを運んで来たら、そのことをとがめてはいけません。不満があったら、運ばせた親に対して、不満の意を伝えましょう。

●夫婦間の平穏を取り戻すタメのメッセージを子どもに伝達させたり、問題解決に子どもを頼るコトはやめましょう。

子どもに頼めるコトは、能力の範囲内にして、過剰な要求は止めておくべきだそうです。

その他、様々なシュチュエーションでの問題解決に役立ちそうなので、何か心配事のある方は一読ください。全部、紹介しきれないので、さわりだけです。  
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2007年05月18日

凶悪事件の陰で、殺人犯は逃走中

センセショーナルな事件を報道するのが、マスコミの常ではあるけれど、福島の高校生殺人事件や愛知の立てこもり事件の陰に隠れているのが、多くの普通の殺人事件。

普通という言い方も変だが、福島の事件の少し前に長野県の千曲市でも老女が布団の中で、メッタ刺しにされて殺されていて、その家の三十代の息子の行方が判らなかったりしているし、英国人語学教師殺人の犯人とか、未解決の事件の報道は下火なのだが、本当はそういう犯人が世の中に潜伏している方が怖いのではナイだろうか?

立てこもりしているのをTVで、各局が延々と流し続けているのは、「劇場型犯罪」を狙っている犯人の思う壺ではナイのだろうか?

警察車両の動きナドナドも把握出来るだろうし、こういう時こそ、静かにしていた方が、犯人の精神状態を落ち着けるのではないかと思ったりもする。


とにかく、目立つコトをするよりも、地道な作業というものは有効で、ニューヨークの治安の好転に役立ったのは「駐車違反の摘発強化」だったりする様に。プライバシーの問題もあるとは思うものの、交番の「お巡りさん」と呼ばれる方々の「地域の巡回」が過去の治安の良さの原因だったと思う。

「隣組」の強化が必要だなんて、昔のコトは言わないが、ある程度犯罪などを起こしそうな人々のコトは、把握している必要もあるだろうし、そうした危険な情報は個人を特定しない範囲で注意を喚起して欲しいものだ。

十年近く前、近所で放火事件が相次ぎ、刑事さんがいらした時に、小さい子供が居ると知ると「この周囲には変質者が居るので注意してください」と言われた。深読みすると、犯人が判らないけどこの周辺にいる場合、アイツらしいと判っていても証拠がナイ場合、精神的に問題がある人の場合は捕まえられない場合に分類出来るとは思うが、とりあえずそういう情報があれば、「かなり心を配って」そういう事件に巻き込まれない様にしてきたつもりだ。

最近は、長野市から「子供に関する事案で心配なコト」はメール配信されているが、少なくとも犯罪が身近に存在するコトを知り、それなりの手立てをするコトは必要だと思う。

一人一人の防犯意識や、遵法精神こそが、全体主義を招かずに、平和に暮らすタメの手段だと思う。警察も人権尊重は当然だが、犯人と思われる人の写真はともかく特徴は早目に流す、犯人と特定されたら写真やビデオなども公開するといった早目早目の対応をしないと、事件から時間が経てば経つホド、殺人当時とは違う人相になってしまうので、発見が難しくなるのではないだろうか?

犯人も閉じ籠っている様な事件の報道時間を、逃げ回っている凶悪犯への情報提供の時間にした方が、余程、有益だと考えるワタシは、変人なのだろうか?  
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2007年05月17日

「共感不全」という病

昨日のタイトル、しばらく間違ってました。母親を殺した長男だけでナク、同居していた次男や、三男はどうしているのかなと思っていたので混乱したタメです。スミマセン。

数日前に読み終わっていた本です。
仮面をかぶった子供たち―カウンセリングで暴かれた「普通の家庭」の病巣
しかし、こういう話を書くのは少々気が重かったので、福島の事件が無かったら、スルーしていたかもしれません。

既に、こうした事件は起きているし、これからも起きるかもしれないと思わせる本です。抜粋すると、

いまの学校では、成績至上主義でIQ中心の教育が行われていますが、本来はIQとEQがあって、はじめて能力が発揮できます。

IQが潜在能力であるとすれば、EQはそれを顕在化する能力で、EQというソフトがなければIQは生かされないのです。

近ごろの子供がEQが育っていないといわれるのは、ひとつには、学校で教師と濃密な人間関係を作り上げられるほどのコミュニケーションがとれないということが原因としてあります。IQ中心の管理教育のなかでは、教師は時間的にも、一人ひとりの子供にきめ細かく対応する余裕がなくなっています。


家庭でも親が過保護で、一から十まで子供に干渉しようとする反面で、子供の心を理解しようとせずに、コミュニケーション不足になることで、子供は情緒的成長が妨げられているのです。

教師、親、友達など、周囲の人間との関係が希薄になっているため、子供たちは自分自身も他人の存在感も希薄になってしまっています。それは‥‥最近の少年犯罪の特徴である動機の希薄さにもつながることです。心のなかに人間の姿が映らず、心の奥の濃密な人間関係を読みとることができません。

原因は、家庭での親、とくに母親との関係にありそうです。

母親たちは子供を大事にするあまりに、過保護になって、子供に自分で考えさせたり、一緒に考えようとせずに、すべて先回りして答を用意してしまいます。

同時に、母親が母性というより、いつも管理者、教師的役割になっているために、親子のあいだで濃密な人間関係が生まれず、心から共感することがありません。

他人と共感する能力が育たない「共感不全」になっています。この共感不全が根本にあるから、自己の存在も他人の存在も希薄にしか感じられないのです。


親とすれば耳が痛い話なんですけどね‥‥  
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2007年05月16日

会津若松の高校生は、今

どうしているのかと、他人事ながら心配してます。殺された母親と、ホボ一緒の年代ですし‥‥殺された人を悪く言わないのが、日本の原則なのは知ってますが、あまりTVとかで疑問を投げ掛けられてませんが、ゴールデンウィークの合間に受診したトコで、「無理に学校に行かせないように」という指導がされたのだとしたら、ワタシだったら、恥を忍んででも、長男を自宅に連れ帰っただろうにと思います。

「恥を忍んででも」と書いたのは、おそらくそれがネックで下宿に居たのだろうと思うから。山の中の学校で、おそらく「神童」と思われ、前途洋々と進学校に行った親子の「誇らしさ」は、想像するに余りあります。

何十年も前に、大学に二浪した時、「神童だと思われていただけに、近所の眼が、本当に辛かった」と言ってた医学生の話も聞いたコトがありましたし、「東京の予備校だったから、逃げ出せて良かった」みたいなコトを言ってたと思いますが‥‥

それでも、今回の場合は、親子揃って自宅へ戻ってたら、状況は違ったのではなかったかと結果論ながら思います。

「イイ子」の挫折というのは、男の子の場合、結構、高校とかであるもので、ワタシの同級生にも不登校になった人は居たし、大学時代にかなり遅れて医学生やっていた方も、高校時代、超名門校時代に精神的に挫折して何年か休んでいたコトがあったと話してらしたし。

丁度、読み終わった本に、
“男らしさ”という病?―ポップ・カルチャーの新・男性学
というのがあり、本文はさほどとも正直、思わなかったのですが、「はじめに」という部分で自分を語っている部分で、「三人兄弟の長男である。母親に心理的なこだわりをもつという意味でのマザコンになりやすいパターンである」「私は、世間からは絵に描いたような『おぼっちゃまエリート男性』と思われている。しかし思春期以降は、内面では、通俗心理学でいうところの『よい子ホリック』のアダルトチルドレン(自分の生きがたさが親との関係に起因すると自覚する人)として苦しみ続けてきた」という部分に、今回の事件の鍵があるかもしれません。

神戸の小学生殺人事件との類似点も多く、ある意味では「厳罰化は犯罪の抑止力にはならない」という見本の様な事件ではあるが、やはりソコまで少年を追い込むまでに、何らかの逃げ道を作ってあげなかった周囲の(学校を含め)問題があるのだろうと思う。

『兵法』に「三十六計逃げるに如かず」というのがある。人生、行き詰まった時こそ「名誉ある撤退」という考え方があるコトを覚えておいて欲しいものだ。人生の勝負は、結構、何回もあるものだから、「一度や二度の敗退は、次に捲土重来するタメのステップ」だと前向きに、考えて欲しいのだけれど、今はとても些細な失敗を恐れている時代になっている様な気がする。  
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2007年05月15日

こうのとりのゆりかごに幼児が

熊本で始まった「こうのとりのゆりかご」に父親に県外から連れて来られた3〜4歳の男の子が、運用開始の初日に預けられていたそうです。

「育児放棄を助長する」という意見が強まる可能性も高いですが、それでも、「虐待」される前に「親に育児を放棄して貰った」方がイイだろうと思います。

逆DVで絞殺された奥さんも、昔、虐待されていたみたいですし、殺した夫より前の夫が、メチャクチャにした部屋の写真を公開したりしたのを見ていると、TVで見ているだけでも、ひょっとして「多重人格?」の可能性すら覚える。「酒乱」という話もあるみたいですし。

「虐待」されてしまうと、無意識にその記憶がインプットされ、そして、トラウマを刺激されると「虐待」を自分がしてしまう様なコトが、この事件以外にもあり、「実の親が実の子供を育てる」のが一番みたいな考えを捨て、「親が育てられないのなら、社会で育てる」コトを選択するしかナイと思います。

その社会に問題がナイのか? と聞かれれば、問題はあるでしょう。でも、普通、自分の子供を捨てたいと思いますか?

自分の子供を捨てたいとまで思い詰めてしまっている人の側で、子供が生きるコトが果たしてイイのか悪いのか?

捨てたとしても親は親だし、現在はDNA鑑定も進んでいます。将来、身元を調べるコトも可能でしょう。

たった今、TVでは十七歳の少年が、母親を殺したと「人の頭部を持って警察に出頭して来た」というニュースが流れました。

「親子」だから、逆に「愛憎」がぶつかりあうコトもあります。複雑な家庭から、社会に助けを求められた時には、スグ助けるべきです。

結局、それがイチバン世の中を良くする方法なんだと思います。
  
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2007年05月14日

崩壊している食生活

昨日の話にもありましたが、本日紹介の本のトップにあるのが、「ご飯の上に駄菓子とマヨネーズ」で夕食する母と子の話題。
家族は孤独でできている
しかし、特に驚きではありませんでした。何故なら、何年か前に叔母が、叔母方の親戚に「嫁が子供に御飯らしき御飯を食べさせてナイので、ナントカ注意してくれないか?」と頼まれたのだけど‥‥と相談されたコトがあったから。

「嫁姑問題に口出しした様になるから、黙ってた方がイイんじゃない?」と言っておいたけど‥‥何でも、御飯は食べないから、駄菓子ばかり食べさせているらしい。発達不良だと言ってたから、問題ではあるのだが、そこで姑が口出ししても「トラブル」になるし、叔母が下手な口出ししても、かなり気まずい関係になるのは、目に見えている。

「早く幼稚園や保育園に行かせた方がイイかもね」とは言えても、無関係のワタシが食育の大切さを会ったコトもナイ人に説教するワケにもいかず。

「嫌がられても、それとなくお姑さんが、お嫁さんの隙を見ては、違うモノを食べさせる練習をするのが、イチバンじゃない」程度には答えておきましたが‥‥

微妙な関係は難しいもので、昔の様にガミガミ言う姑も、絶滅はしてないという話も聞いているのではありますが、それはそれなりの覚悟も必要だったりするので、こういう問題に下手なアドバイスをすると、良かれと思ったコトが憎まれる場合もあり。

知ってる人なら、変なコトをしているのを見掛けた時に、上手く話題をそっちの方に持って行くという手もあるけど、「誰がチクった」というコトが問題になると想像される場面ではとても困ります。

可哀想ではあるものの家にお菓子を置かなければ、御飯を食べるしかなくなるし、「オニギリ」とかにしてあげれば、結構、喜んで食べるんだけどね。

ともあれ、本の内容に戻ると、援交しているより問題だと思うのが、「枯れている」少女。結局、その行き着く先が「ひきこもり」かもしれず‥‥

現代の家族のあり方が様々な感じで描かれていて、「勉強になりました」といった感じ。ともあれ、他人を変えるコトは難しいから、身近に問題がある時は、簡単には正解の答えを出せないんだよね。

最初の相談場面で、「カウンセリングしたら」なんて言うのも無理だし‥‥親戚の絡んだ問題はとっても複雑だったりします。  
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2007年05月13日

母性本能は在るか無いか

以前、「何もかもが幻想か?」という数回連載したトコにも書きましたが、論争になっている問題とは知りませんでした。
母性崩壊
ともあれ、後半の「母性崩壊の治療と予防」には、肯定する部分もありますが、本の大半に書かれている「フェミニスト」と著者が考えている人々への反論は、実に不毛な議論。「やりたいことをやる」というのと、「子供を叩きたければ、叩いて良い」という考え方を混同している人は、「フェミニスト」ではありません。

「女性を大事にする」というのが「フェミニスト」の考え方だとしたら、その前に当然「女性を人間が包括する」のですから、「全ての人権が守られる」コトが「フェミニスト」の大前提になります。

ともあれ、何があろうとギリギリまで「暴力を振るわない」というコトが、子育ての大前提と考えているならば、こうした反論はナイのだろうけれど‥‥

ちなみに、ワタシは「母性」は「本能」ではなく、「学習」すべきモノであるのか、もしそれが「本能」だったとすれば、今日の最初に紹介した「母親幻想」の本にある様に、壊れてしまっている、つまり、ココで著者が嘆いている様に、「崩壊」している人が全てではナイが、多数だと思います。

子供を育てる時に、「睡眠不足になってツライ」とか、「子供を抱いたら重い」という当たり前のコトは、「本能」で感じるでしょう。しかし、「それでも我が子を大事に育てよう」というコトは、親から「学習」している人には簡単でも、してない人には「難しい」のだという前提で物事を考えるべきです。

昔は、そんなコトは無かったとは言うけれど、果たしてそうなのか? 無自覚に「子供を虐待している」人は多かったと思うし、単にそれが話題にならなかっただけではないでしょうか?

現在、平気で我が子を「しつけと称して暴力」を振るう親の親は、当然、同じコトをしていたハズで、世の中がそれを容認していたから「問題視」されなかったダケだと思います。それに、昔は子沢山だったので、多くの人々は下の子供の「子守」をさせられていたので、親になってからなら、それは「もっと身体が小さくて大変な時に学習済みだったコト」なので、初めて直面したタメにパニックになる様なコトでは無かっただけのコトだと思います。

だから、「母性崩壊」している人の治療としてではナク、「母性」や「父性」を理解してナイ人への「学習」として、小さい頃から、歳下の妹や弟、イトコなどと遊ばせるコトや、小中学生の保育園や幼稚園児との交流を深めたり、思春期には男女共に乳児の保育をサポートするコトを学習するコトが一番だと思います。

世の中には、「主夫」で幸せな家庭もあり、幸せの形は様々ですが、「無知ゆえの涙」を流す人を減らす努力コソが、大事だろうと思います。「愛憎」は「表裏一体」。「愛」が深いから「憎い」コトもあります。といって、「無関心」は一番困りますし。何事も「丁度イイ」加減を教えるコトが「本物の教育」だと思います。  
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2007年05月12日

とってもイイ話(下)

昨夜は、夕食も食べずひたすら寝たら、今日は何とか持ち直しました。まだ本調子ではありませんが‥‥子供達は主人と外食しに行って、ガンガン食べて来たそうです。健康だから食べられるのだと痛感しました。

さて、昨日の続きです。無給でケーキ屋の下働きをさせて貰える様になって、どうしたでしょうか?

ともあれ、まずは色々な物の名前を覚えるコトから始めたみたいです。そして、仕事が終わった後で、見よう見真似でロールケーキを焼いて巻く練習とかを一人、黙々と続ける毎日。捨てるホド使い込んだ木型を、貰い受けて親戚の家の倉庫に親に内緒で預かってもらったり‥‥

そうした年月を続ける内に、木型を預けていた親戚が、親には秘密とは知らず、父親に「あの何だかワケの判らないガラクタ、ダンダン量が増えて我が家も邪魔になって来てるんで、御宅だって広いんだから、御宅に置いて貰えないかね」と話してしまった。

地道に酒屋になるべく修行していると思っていた父親は激怒!! 

呼び付けられた息子は、父親に「ケーキ屋になる夢を捨てない限り、我が家の敷居はまたがないでくれ」と勘当を言い渡されました。

それでも、諦めずにケーキ修行を続けていたら、ケーキ屋の女将さんが言いました。「アンタは他の製菓学校出の人達とは気合が違うから、独立出来るかもしれない。だけど、親が開店資金を出してくれないのなら、何時まで経っても独立は不可能だよ。もし、その気があるなら、開店資金を作る仕事に就きなさい」と。

当時、悪事に手を染めずに、確実に御金を稼ぐなら飛ぶ鳥を落とす勢いだった○○急便のドライバー。バブル全盛の頃だったので、月給100万円近くも可能。タダシ、身体が続けばという過酷な職種にトライ。開業資金を貯め、自力で開業を決めた時も、父親は「勝手にやるコトなんだから、何があっても援助はしない。とにかく、御前とはもう赤の他人だから」というのが贐の言葉。

「器用貧乏にだけはならないで」という修行先の親方の言葉を胸に、貸し店舗からコツコツとケーキ作りに邁進しました。そして何年か後には、売りに出た手頃なパン屋さんを買い、そこをケーキ屋に改装して、今は長野では押しも押されぬ有名なケーキ屋に。

昨年、歳で廃業を決意した父親は、やっと彼の努力と先見の明を認めてくれたそうです。ともあれ、一等地にある父親の固定資産税も昨年から彼の背中に。父親の事業をしていた場所で開店していたら、もっと御客さんは集まったでしょう。メインストリートに面しているのですから。でも、「苦労したからココまで来れたのだし、周囲の人々にも恵まれたと思う」と話してます。

風雪に耐えて大きく根付く大樹の様に、コレだけの決意さえあれば、必ずや「道は拓ける」という話です。今の境遇に不満の方々も、ココまでの決心があれば何に転職しても、必ず成功すると思います。「道は自分で切り拓く」ものですから!  
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2007年05月11日

とってもイイ話(上)

今までにも、「人生をやり直したイイ話」を何回か書いて来ましたが、久々にそんな話を。

昨日出た「文藝春秋」の「目・耳・口」というコラムのトップで、美味しい「味噌ロールケーキ」として紹介されているのが、当ブログのリンクの大トリの「季節洋菓子 オペラ」さん。

御本人に承諾を得たので、こんなに有名になるまでの波乱万丈の話を御紹介します。

そもそもオーナーパティシェは、酒屋の息子として、親の跡を継ぐという人生設計をしていました。「テニスコートの恋」を互いに婚家が遠いという反対にもめげず、実らせましたが、酒屋の将来のタメにと見学に訪れたアメリカで、今は既にお馴染みになったデイスカウントストアーでお酒の安売りをしているのを目にして、遠からずこういう時代が日本にもやって来るだろうと察知して、暗い気分で日本へ戻って来ました。

そして、絶望の中、本屋をグルグル歩き回っていると、ソコにリキュールの写真が何種類も載っている本が目に留まりました。「洋酒の本」だと思って手にしたのですが、あにはからんや、「お菓子の本」だったのです。ともあれ、それを買って読んでいる内に、「お酒のコトだけをよく知っている自分に出来るのは、その知識を生かしたケーキ屋に違いない」と思えてきました。

しかし、帰って来て、そんな話を父親にしても、全然受け入れて貰えません。既に結婚していて、修行のタメに実家以外の酒屋に勤めてましたが、自分一人ならいざ知らず、転職に対しては奥さんの実家からも「話が違う」とクレームが付きました。当時のママならば、そのまま酒屋を継いでも充分に暮らせていけるハズだったからです。

「もし、本気でケーキ屋なんかになるならば、勘当だ!」という父親の言葉すら、斜陽になると判っているので、耳に入りません。「勘当」覚悟で、昼間の仕事の後、「タダでイイから使ってくれ」と何軒も回った「ケーキ屋」の中で、やっと受け入れてくれる場所を見つけました。

しかし、他の修行している人々は製菓学校を出て来た若者ばかり、道具の名前すら知らないズブの素人は、右往左往するばかりです‥‥

さて、続きを書きたいのですが、寒暖の差が激しすぎて体調を崩し、風邪なのか、花粉症なのかは判りませんが、鼻水が出てばかりで、止まりません。申し訳ないのですが、続きは明日にさせてください。  
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2007年05月10日

卑怯なことはしない

本当は「ひきょうなことはしない」というひらがなのタイトルでないとイケナイのかもしれませんが‥‥と書いて、何を言いたいか感のイイ方ならばお判りかと思います。

政府の教育再生会議のまとめた「子育て提言案」の中の一文です。

「ひきょうなことをしている」大臣の方々に、まず提言して欲しいものですし、この程度の提言をするのに大勢の人々が会議しなければならないのかと疑問です。


ともあれ、こういう理想的なコトを提言するのもイイですが、であるならば、そういう環境を整備するタメの提言があってしかるべきではないかと思います。

今の様な格差社会で、金銭的に困窮している家庭の人々にとって、「ゆったりした子育てをしたくても時間的に無理」という方々も多いのではないかと思います。

「インターネットや携帯電話は、世界中の悪とも直接つながる」かもしれませんが、逆に隠しておきたい悪事も暴かれて困る方々も居るのかもしれません。

「恥ずかしいことはしない」という提言とかを聞いていると、それ自体は当然のコトなのではありますが、「ナントカ還元水」で逃げ回っている大臣は、「恥ずかしく」ないのだろうかと不思議になります。

そういう子供の御手本にならない様な人々が、国のトップに大勢存在しているのを、子供は見ているのです。

「世界中の悪」と実際に繋がっているのは、どういう人なのか、多分、子供だって判っているハズです。

そして、今、問題になっている「いい子」になってくれ、「いい子」以外イラナイという子供達への、真綿で首を絞めるようなプレッシャーがマスマス強くなりそうで、逆に怖いです。

「するな」の理論というのがあり、落語の「お茶が怖い」という話ではありませんが、人間というものは、「制止されればされるほどやりたくなる」というコトがあります。

「野放図」にしろと言っているワケではありませんが、行き過ぎた「あれをしろ」「これをするな」という指示は、逆になる可能性があると言いたいのです。

そういう人間の心の機微が理解出来そうにない人々の提言に、果たしてどんな意味があるのでしょうか?

「ゆりかごから墓場まで」支配しようとするよりも、「ゆりかごから墓場まで」安心して暮らせる社会にすることが一番だと思います。何と言うか、ACの方々による提言の様に思えてしまうのは、ワタシだけでしょうか?

スゴイ子供にしようなどと、両肩に力を入れ過ぎるより、ゆったりした気分で子供を育ててさえいれば、そんなに道を外そうとする子供は増えないと思います。問題を起こす子供の場合、誰が見ても当然と思う様な家庭の子供か、逆に全く問題がナイと周囲が思う家庭の子供のどちらかに分類される可能性が高い様です。そう考えると、こうした提言はどう受け止めるべきかというコトが理解されるかと思います。  
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2007年05月09日

うまくいかなくても卑下しない

人付き合いが下手な人、下手なんだけどそういう人と付き合いたい人は、ゆっくり、じっくり関係を進めていきましょう。

互いに自尊心を持ち、ある程度の距離を保つことです。何かを一緒にするという行為をしつつ、もし、その関係が上手くいかなかったとしても、自分を卑下しないことです。

ともあれ、バチェラーと呼ばれる人々の行動を読んでいると、全然違う本なのですが、
「アダルト・チルドレン」実践篇―家族に潜むコントロール・ドラマ
という本の中に出て来るAC(アダルト・チルドレン)の人々と類似している部分もあるのではないかと思います。

なので、前の本の中でもバチェラーの方々には、サイコセラピーも勧められています。

親も、自分の子供を独身のままでいさせたいという様な、支配的な考え方をするならば、やはり問題があると思うので、セラピーなどを受けるべきでしょう。

上の本の著者の様に、ピュアな感覚も大事なのかもしれませんが、もっと「結婚」というモノは、アバウトに捉えた方がイイのではないかと思います。

人間は、互いに神ではナイのですから、欠点があってあたりまえだし、その欠点を気にせずにいられるかどうかが、家族としての継続が可能になるか否かに関わる問題だと思います。

少なくとも、結婚しようとする時には、「イヤなトコもあるけど、好きだから結婚しよう」というよりも、「メチャクチャ好きではないけれど、イヤなトコがあまりナイから結婚しよう」というスタンスの方が、長続きするのではないかと、色々な話を聞いたり、経験的に思います。

「結婚」とは、物語や映画やTV番組では「ハッピーエンド」ですが、実際には「新しい家族を作るスタートライン」なのです。最初の家族は、自ら望んで家族の一員となったワケではありません。でも、「結婚」は、自分の意思で「家族」を選択出来るのです。現代が、昔より色々と問題はあるものの良いと思うのは、先進国では「不本意な結婚」をしなくてもよくなったコトが一番だと思います。

無論、「結婚」するしないは個人の権利です。人間は本質的に孤独なのですから、一生を家族と共に「幸せになろう」として暮らすか、それとも孤立して暮らすか、どちらを選ぶにしても、全ての責任は自分にあります。どうせ選択するならば、「より幸せになれる」方を選択して欲しいと思います。  
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2007年05月08日

人と仲良くするタメに

妻を絞殺した夫が、実は妻からDVを受けていたという話もありましたが、妻も幼少期から親から虐待をされていた様です。

「バチェラーとの関係を発展させるために」という章も、良好な人間関係に慣れていない人と交流する時に参考になると思いますので、書き込んでおきます。(一般的になる様に、少し変更してますが)

● 相手を理解する努力をしましょう
● 現実の相手を理解し、一人よがりな思い込みを減らしましょう
● 互いの独立性を評価し、それを伝えましょう
● ゆっくり関係を進めようとしましょう
● 互いの距離を保ちましょう
● 何かを一緒にやりましょう
● うまく行かなくても自分を卑下しないこと


相手のすること全てを受け入れる必要はありません。自分の見方だけでなく、相手の見方も知ってください。

相手を敏感に理解できるようには時間がかかりますし、努力と忍耐力も必要です。相手にもそれを望んでいるのは当然でしょうが、まず自分から手ほどきをして、相手に何をしてほしいのか伝えることができます。

相手を理解するためには、相手と少し距離をおき、何が生じているのか状況を見とおす力が必要です。相手の特定の行為にのみ捕らわれているときには大変難しいことです。

相手の行動を見通し、行動の動機を知りましょう。相手の話すことを全体的に把握できれば、あなたに何かを投影したり、こじつけても、それは貴方のせいではありません。貴方が何を求めているのかを明確にして話し合うこともまた、相互理解のために大切です。

引っぱっていく人と、付いていく人という固定した役割を負ってしまうと、健全な関係を育てられなくなります。一人よがりにならないことです。相手としっかり向かい合いましょう。相手がそれをしたがらなくても、徐々に努力するのです。

さて、仕事の時間です。あと少しですので、お付き合いください。  
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2007年05月07日

率直に語り、前向きに生きよう

さて、四番目の狎議召任△覘瓩箸いΔ海箸蓮◆岷海鬚弔ない」という、消極的な行動を指すのではなく、もっと積極的なことを目指しているそうです。

正直であるということは、気さくなことです。感情を正直に話すこと、互いに率直な意見を交わし、相手をよく見つめ、気持ちを伝え合うことこそが、関係改善に役立ちます。

わかりやすいコミュニケーションに努め、理解されるように、積極的に話すこと、聴くことに時間をかけることです。聴き上手になるにしても、相手の話した内容を、区切り区切りで反復し、自分の受け止め方が正しいのかの確認が必要です。話し手であれ、聴き手であれ、良いコミュニケーションには、メッセージの内容を明確にすることと、理解するというふたつの過程が求められているのです。

そして、「今、というその時に集中する」必要があります。人間関係を保つには、他のことは横において、互いに関心を向け合うことが大事です。

そして、相手を「信頼すること」。完璧な相手をさがそうとする人の多くは、虚しく一人孤立してしまいます。互いの協力が、持続力のある高い質の関係を築くのです。努力して、互いの関係を楽しむべき相手を探すことです。

最後に狒蠍澎預鹸愀犬魴盈する瓩戮です。一方が一方に頼り、そして影響されます。しかも、あるときには一人になり、あるときには依存し、そうやってそれぞれの個性が保たれなくてはなりません。いつも完璧な相互依存関係にいようとせず、時々に応じて柔軟でいてください。
こうした許容的な関係は、長続きするものです。


従属的な関係に陥ってしまうことを恐れ、一人に逃げ込むよりも、融通が効くようになることです。ある場合には、依存したとしても、一人でも行動できることです。前向きな人間関係が大事です。一人で仕事を背負い込むよりも、仲間に協力を呼びかけることです。仕事が完璧に仕上がらなくても、その過程は啓発的です。よりよい相互関係を築くために、最良な人達とは、聡明で、反応がよく、さまざまなあり方を楽しみ、人生に全力で取り組んでいるような、自立した考えの持ち主です。

そうした人との交流から、調和のとれた人間関係を学びましょう。本当の強さとは、必要な時には、他者に依存できるようになることで身につくのです。

人生は征服するものではなく、そのときどきを生きていくものです。重要なことは始めることです。ずっと立ち止まり続けていれば、つまづきも転びもしません。しかし、人生という旅の途中の数え切れない景色や音色、そうした彩りと無縁になってしまうのです。

人間関係を良くするためには、踏み出す勇気が大事なのです。  
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2007年05月06日

怒りの効用

怒りは、どこから来るのかということを知ろうとすると、怒りにまかせて行動するよりも、怒りを理解することができます。自分の怒りを認めそれに向かい合うことは、怒りを意識の下に押し込めてしまうよりも、不用意に人を傷つけないようにします。怒ることを自分に許すことは、ありのままの感情を外に表出するためのひとつの重要な方法だそうです。

そして、忘れられがちなのですが、怒りは感情を表現する生活全般に関係しています。怒りは二次的な感情で、自分が感じていることをおおい隠している場合が多いのです。私達は、迷ったり、怖くなったり、落ち込んだり、孤独だったり、混乱したり、怖がったり、不安だったり、無力であったり、恥しかったり、傷ついたり、あるいは他の感情を抱いたりするから怒るのです。

私達は、怒りを殺すことに必死で他の感情にふれようとしないことが実に多いのです。他のことに蓋をして終わらせてしまうわけです。

ですから、自分に「今、感じてることは何?」と尋ね、「怒ってる!」という答えなら、「それ以外に感じていることは?」と質問することが大事です。

自分の感情を言い表すいい言葉が見つからないならば、自分が抱いている感情の核心にたどり着くまで、人と話し合うことです。感情への気づきは感覚的な経験で、他の興味深いものへ通じたり、感情について話すことで、眼からウロコが落ちる体験をするかもしれません。

それから、三つ目の行動"勇気をもつ瓩海箸某覆澆泙靴腓Α

抑圧的で慎重になると、積極的で感情豊かな人間関係を抑えつけてしまいます。自分が感じているものを実感することで、自分が主人公という意識が生まれます。人との関係は、大切な人に自分を見せることによって花ひらきます。

親切な行いや楽しい体験を夢想するだけでなく、これらの感情を他の人とともに実感することも肝腎なのです。考えたことを実行するのです。

勇気とは、自分自身を信じ、こころのままに行動するところからやってきます。物思いに耽り、消極的な行動をして、あのときこうすればと後になって嘆いても仕方ありません。

勇気ある行動とは単純なものです。失敗への怖れは誰にもあります。よい人間関係をつくるには寛大な広いこころが必要で、よい関係をもっている人達は、お互いに相手の努力に対して評価を与えます。間違いや過ちがあっても、それは親密になろうとする誠実な努力だと理解しているのです。  
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2007年05月05日

自分を知るには

自分を知るには、心理学や人間関係に関する本を読むだけでなく、講義を聞いたり、テープを借りる、授業を聴く、ワークショップに参加する、黙想会に出席する、グループに加わる、友達と話すなど様々です。

実際の人間関係で私達は、自分がどのように人と接しているのかを観察することで自己認識を高めることができます。自分に「なぜ?」と尋ねてみましょう。「なぜあんなことを言ったのか?」「なぜ相手がああいう反応をして欲しかったのか?」「なぜ今、居心地がいいのか?」「なぜこの課題を避けているのか?」。「なぜ」という質問から、自分自身の素晴らしさを発見することにつなげましょう。

他の人がその過程に加われば、もっと知りやすくなります。大切な友人と議論して、自分の悩みの解決法を知りたいと伝えておけば、より内容のある話し合いも可能です。

自己探求は冒険を伴った、刺激的な旅かもしれません。バチェラー達はしばしば尻込みします。感情をあらわにすることから逃れたくなりがちです。でも、自分の感情を大切にすることに、格別な注意を払わなければなりません。

非常に早い時期から、男の子は自分の感情を抑えるように社会から教えられてきました。感情への気づきとその安心感を認めるよりも、変化に反応し、表に出さないことがよいことだとされています。

自分の感情を押し込めてしまうと、世の中の男性とつながっているという感覚が強められ、男としてのアイデンティティを強められますが、必要以上に身につけて、感情を表にださない人間であろうとして、感情の重要さを忘れてはならないのです。

「今、自分は何を感じているんだろう?」そう問いかけてみるのも大事です。

怒ってもいいのです。怒りにまかせて、状況にかまわず破壊的になってはいけませんが、怒りをあらわにしてもいいのです。「なぜか?」ということは次回に。  
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2007年05月04日

バチェラーという生き方

バチェラーなんて耳慣れない言葉ですが、「結婚しない男性」をさす言葉です。しかも、自分がバチェラーだという心理学者が、バチェラーについて調査したという実に画期的な本。40歳以上の独身男性はその後6人に1人しか結婚せず、45歳以上の独身男性は20人に1人しか結婚しないということを克明に調査したものです。

自分がバチェラーだという方、そうした方と付き合っている方は、じっくり読んで研究して頂いた方がイイかもしれませんが、一般的な方にも人間的な魅力を高めるという章は、とてもタメになると思います。

女性の部分を人間と置き換えることで、とても万人向きの生き方指南になります。

前向きな人間関係を築く方法

●自分自身を知ること
●感情を大切にすること
●勇気をもつこと
●正直であること
●いま、ここに集中すること
●自分に合う人を信頼すること
●相互関係を訓練すること


最初の犲分自身を知る瓩箸いΔ海箸蓮⊆分を喜ばせてくれるものを知り、生き生きさせる、愛される、挑戦的でいられる、支えられている、興味をそそるものを知るということ。自分自身の衝動、好み、目標、期待、夢や原動力を知ることです。自分自身を知らずに、誰かと結びついたり、相手に自分を知ってもらおうとしても難しいのです。

常に私達は、人間関係に思いもつかないことが起こるのを期待し、常識を超えた力によって、自分が望んでいるものを他人に理解してもらおうとしても、自分自身で望んでいるものがわからず、言葉にもできないのでは、常に失望するハズです。‥‥さて、仕事の時間になりました。シリーズとして少し続きます。  
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2007年05月03日

自己主張しないと危ない

マルサだったコトもある方が、銀行強盗をした続報の中で、「悩みをリセットしたかった」という趣旨の動機を述べているそうですが、こういう感じの発想は以前の奈良の義理の母親と兄弟を焼死させた事件と類似している様に思えます。プッツンした時期が、違っただけで‥‥

そんなにイヤだったら、そうハッキリ言えばイイだけで、何も事件まで犯さなくてもと普通の人々は思うでしょう。ソコまで精神的に追い詰められていたとも、言えますが、自己主張を抑えられ続けると、爆発する以外に自分の気持ちを外に出せなくなってしまう人もいます。過剰なしつけが、背景に疑えます。
母という暴力
この本の中に、「しつけ」について、母性は育児感に左右されると書いてあります。

またバタンデールは、愛情としつけは子ども観によって左右されるということを言っています。子どもはろくでもない存在だ、放置しておくとやがて困った存在になるという考え方がある社会のなかでは、子どもに対するしつけは猛烈になっていく。子どもに十分な愛情を注ぐというふうにならないというのです。

大事なポイントだと思います。しつけも愛情の一部だとか、しつけのために叩くのは愛情の発露だというような意見は詭弁であり、本質は少しも愛情ではないと考えていい理由の一つがここにあります。むしろそうした暴力肯定へと傾きがちな議論は、ひとつの子ども観、たとえば子どもは早期にしっかりしつけておかなければ将来手に負えない事態を引き起こすことになるといった子ども観に左右された結果であるとみていった方が正しい認識に達するはずなのです。

エリートだった方々の挫折の裏に隠されている葛藤を冷静に考えれば、これからマスマス強化される教育の右傾化が、どんな問題を引き起こすかと言う推論はできます。おそらく、もっと荒れた社会になる可能性は大です。

それでも、しつけ万能だと、皆さんは思いますか? 愛情があったら、少なくとも「しつけに暴力は無用」だと思います。そして愛情とは、放任とも別の問題なのですが、「しつけ」よりも愛情と言うと、「ほったらかし」では子供は変になるという、歪曲した反論をする人が多いのも不思議です。
  
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2007年05月02日

世の中が壊れつつあるのか?

エリートの税務署職員が銀行強盗をしたり、匿名で赤ちゃんを保護する施設には何十件もの相談が開設前からあったり(前にも書きましたが、虐待されそうな環境ならば、その前に篤志家に育てられた方がマシだと思ってますけどね)、若い女性が地中に埋められて白骨死体で見つかったりと、想像以上のコトばかりがニュースで流れて来ます。

「事実は小説より奇なり」なのだから仕方ナイと言われてしまえば、それまでなのですが、そんな社会で住んでいるというコトには、多くの方々が「漠とした不安」を覚えるというコトを口にされます。ワタシも、そう思いますと応えてはいるのですが、こうしたコトはどうして進行しているのでしょうか?

ドコかで読んだか、聞いたかなのですが、「食べる」という字を考えると、「人」と「良」という字が組み合わされて出来ているのだから、「良いものを人が食べる」コトが大事だというのです。

それだけとも思えませんが、地球の自然が狂い出しているコトや、人間の欲望がむき出しになって来ているコトもあると思います。

欲望というモノは、限りないモノです。それを制限し過ぎても、全てを満たそうとしても、無理が出ます。

自分の欲望を満たすタメには、他人の欲望とナカナカ共存は出来ません。

それでも互いに折り合っていかなければ、世の中は良くならないと思います。

自分にも、他人にも欲望があるのだと思うコト。

自分にも、他人にも権利があるのだというコト。


単純ですが、それさえ理解していれば、そんなに無茶苦茶なコトをしないのではナイでしょうか?

色々なコトを言う人が居ますが、人間の権利というモノは本来全て平等なモノです。

タダ、力を持った人と力を持たざる人の間に、人為的に差が付けられているだけで。

そういうシンプルなコトを改めて認識するしか、世の中は良くならないのではないかと、最近強く思います。  
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2007年05月01日

働けど働けど‥‥

Mrブラックアウトさんに教えて頂いたので、「あずみの観光バス」関連の話を見ようと、昨夜の10時からNHKの特集を見ましたが、それを待ちつつテレビ朝日の「TVタックル」も見ました。どちらにも「ワーキング・プア」そのもの、若しくは一歩手前の方々が登場されてました。

御覧になった方も居ると思いますが、見なかった方のタメに少し書きますと、「TVタックル」ではネットカフェで夜を過ごさざるを得ない29歳の女性の話とか、NHKでは急成長するツアー会社とバス会社の対比が明確にされてました。

NHKで「あずみの観光バス」の運賃を値切るツアー会社の話は、かなりサラッと流されてましたが、県内の特番の時は、値切った価格を最後の支払いで、再び値切られていました。

近畿地方のバスの運転手さん達が、近畿運輸局にツアー会社の指導を要請しても、「のれんに腕押し」状態だったのは、「TVタックル」で自民党に近い方々の意見と、とても類似していました。

確かに、昔の封建時代あたりと比べれば、徐々に格差は減って来ていますが、日本はココへ来て「格差拡大」という方向へ進んでいるコトは間違いありません。確かに、大金を手にして働いている人は、『忙しいからこれだけ稼ぐのであり、貰って当然』だと思うのは、仕方ナイのかもしれません。でも、薄給で働いている人達の中にも、かなりの時間を身を粉にして働いている人もいるワケで。それで身体を壊してしまえば、元も子もナイのですから。

強者の論理だけで、弱者を切り捨てていくと、やがて日本もどうなるコトか。日本人は一般的にオトナシイ民族ですが、過去には「米騒動」などもあったのです。力の強いモノ達に踏み付けにされている人々に、もっと気力が無ければなんておっしゃってましたが、その気力がアフガニスタンなどで、貧困に不満のある若者をタリバンが扇動しているみたいにならないとも限りません。

「格差社会」の解消は、強者の方々の夢を短くするコトにもなりかねないのです。「安く安く」という競争には、限界が必ずあります。「一定の品質」を担保する責任は、やはり行政にあるのではナイでしょうか?

皆で、互いのタコの足を食い合う様な、負のスパイラルを回避して、「共に楽しく生きる」方が、絶対に世の中は明るくなると思う
のですが‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 10:32Comments(2)TrackBack(0)