2007年07月31日

世の中は思い通りにはイカナイもの

そんな当たり前のコトをタイトルにしてと思う人もいるかもしれませんが、でも、案外世の中、そうは思わない人が多いんですよね。

実際、自民党が37議席しか取れないかもという予測をした人は存在しても、それでも首相は辞めないと思っていた人が何人居たか?

「負けても辞めなくてもイイ」なんて煙幕を張っていた人も、おそらくココまでは負けないと思っていたから、そう話しただけだろうというのが、本当のトコなんだろうと思います。

だけど、「信じられないコト」が起きるから人生だったりするワケで‥‥昨日の本にこんな記述があります。
「でも、介護をこっちに任せっきりの夫の姉妹に、好き勝手なことをあれこれ言われるのはがまんならない」
確かにたまにやってきて「お母さん、お義姉さんが冷たいってこぼしていたわ。あんな状態なんだからやさしくしてあげてよ」などと嫌みたっぷりに言う夫の姉妹の身勝手さには、身の毛がよだつくらい腹が立つでしょう。しかし、そこで、
「あなたは何もしないで文句言っていればいいんだから、いいご身分ね。実際に世話をしているのは私なのよ。冗談じゃないわよ。だったらあなたが面倒を見なさいよ」
と思いのたけを爆発させたらどうでしょう。売り言葉に買い言葉でその場は修羅場と化し、その後の関係はこじれにこじれます。この局面を乗り切るには、
「そう、お義母さんがそんなことを言ってたの。わかったわ。できるだけ満足してもらえるように頑張ってみるわね」
これなら夫の姉妹はグウの音も出ません。高飛車に文句を言った自分の身勝手さに気づかされ反省もするのが、ふつうの神経を持ちあわせている人間です。
と書かれているのを読むと、ちょっと待ってとワタシなんかは思います。

「ふつうの神経を持ちあわせている人間」だったら、親が文句を言ったら、聞いてはあげるモノの、「それでも面倒見て貰っているんだから、それで良しとしなくちゃね」位のコトを親にも言うのが普通で、そうじゃない人が、殊勝な嫁さんの言葉を聞いて反省するとはちょっと思えないのですが‥‥

真面目な人は、本などを読んだら、必ずそうなると思いますが、人生は生き物ですから、そうなるかもしれないけど、そうはならないかもしれないという可能性を常に頭に入れておかないとイケマセン。

とりあえずワタシだったら、こんな時、「至らない嫁でスミマセン。ワタシでは手が回らないコトが沢山あるので、ゼヒ時々来てお母さんの面倒を見てくださいますか?」と頼むでしょうね。

どっちが上手く行くのか、そんなコトは判りません。相手が違えば、対応も違うからです。あの人に上手くいったからといって、この人にも上手くいくとは限らないのが人生です。

その辺を間違えずに、似た様な話を読んだり聞いたりして、自分に合う方法を見つけるコト。それが、スッキリする一番の方法じゃないかと思います。  

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2007年07月30日

「心の疲れ」を捨てよう!

とはタイトルに書いても、無責任丸出しの人間が、日本のトップに居座ろうとしているのですから、「心の疲れ」はナカナカすっきりさせられないものです。

ともあれ、今まで参議院選挙でお灸を据えれば、自民党もそれなりに反省したのですが、衆議院議員で三分の二を獲得しているが故に、ホトンド反省の色も見えない党首の続投は、逆にこの次の衆議院の選挙こそ、政権選択の選挙であり、正しい政治をして欲しいと思ったら、何をすべきか国民に教えてくれたという意味で、とても意味があるのかもしれません。

ちなみに、民主党が大勝したのは、民主党の力よりも、「赤城大明神」の御蔭だと思いますので、感謝しつつも、チャンとした「政治資金改正法」ナドナドを国会で通す努力をしなければ、次の選挙は勝てるとは思えませんので、ドンドンと自前の政策を法案にして国会に出して頂きたいものです。国民は与党に反対されて通らないか、それともどうなるのかをキチンと見守っています。

我々無党派の人間は、戦争をせず、日々の暮らしに事欠かなければ、保守でも革新でも全く関係ないのですから。

で、本論の話です。タイトルもこの本のもじり。
「心の疲れ」をすっきりさせる本―人間関係がずっと楽になるヒント
まず書いておきますが、スッキリさせるのはとても難しいコトだと思います。それでも、こうやって何冊もそういう手の本を読んでいると、「劇的スッキリ」にはならなくても、ちょっとでもスッキリすればイイやと思えるはずです。

この本で指摘しているのは、自分で無理しているのに、無理をしているコトに気付かない人が多いというコト。

これはワタシも経験済みで、「かなり御仕事されたんですね」と言った時に、「YES」と答える人や、逆に「毎日大変で大変で」とおっしゃる人は、そんなに心配していません。そういう方々は、自分が大変なコトをしているという自覚があるので、それを減らすか、それとも仕事を減らせない代わりに、我が家に来ようという選択などなどをして頂ければ、それで済むのですから。

しかし、問題は「何も大変なコトはしていない」とおっしゃる人。今はしてなくても、過去にもナイと言われる人。こういう方は、無理しているという事実に気付いてナイので、無理なコトを平気で継続し、そのコトにも気付いてナイのですから、こちらでは手の打ちようがありません。

本当の意味で人間が治るというコトは、「自分自身の自然治癒力」を引き出して治るのですから、周囲の人間が出来る手助けなど、しれています。

本人に、自分を具合悪くさせているモノを取り除いたりしようと意思がまるで無かったり、そのモノを直視しようとしなければ、どう手助け出来るでしょうか?

「まず自分が疲れていることに気づく」というコトの大切さは、本の第一章なのですが、本当にそうです。明日は、次のステップに行きます。  
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2007年07月29日

うつ病の症状となりやすい性格

いよいよ投票日ですね。早起きの主人に起こされて、既に投票を済ませました。比例区は迷いに迷ってしまいましたが、やっと決断して書いてきました。何時も、投票所に着いて、名前の書いてある紙を見つつ、清水の舞台から飛び降りるつもりで決断するワタシです。

ともあれ、選挙は行って、これからの政府の行動を見守りましょう。与党は案外二枚腰で踏ん張るかもという話もあります。今の政治で満足している人は、投票しなくても大丈夫でしょうが、そうでナイ人は、例え一票でも、声を届けようとしなければ、マスマス踏み付けにされてしまいます。

さて、一昨日の本から、心の風邪と呼ばれる「うつ病」について、判りやすい説明があったので、書き込んでおきます。
うつ病になると次のような症状が現れることが知られている。
1.ベッドに入ってもなかなか寝つけず、寝ても夜中に何度も目が覚めてしまう。
2.どんなに夜遅く寝ても、朝早く目が覚めてしまう。
3.原因不明の頭痛や肩こり、動悸、便秘、下痢などが続いたり、疲労感が抜けない。
4.食欲がなくなった。
5.朝は気分が重いのに、夕方になると爽快になる。
6.生きているのがいやになることがある。
7.すべてのことに興味を失ってしまった。
8.急に涙もろくなった。

うつ病になる人には、ひとつの傾向がある。それは「真面目」なこと。生真面目、完璧主義者、几帳面、正義感が強い、正直者、そして気遣いの人などが危ない。真面目だから、「最近、仕事がはかどらない」ということを深刻に受け止め、最終的には「俺はダメなヤツだ」などと自分のことを卑下するようになってしまうのだろう。
あなたがうつ病になりやすいかどうかを、テストで探ってみよう。以下の項目に、あなたはいくつ当てはまるだろうか。

1.電車に乗る場所がいつも決まっている。    
2.不仲な人は極力作らないよう心がけている。 
3.ズボンやスカートにシワがあると、一日中気になってしかたがない。 
4.なにかのマニアである。 
5.不安なことがあると、寝つけなくなる。
6.旅行へ行くときには、必ず下調べする。 
7.近所で音の出る工事が始まると苦情を言いたくなる。 
8.仕事や勉強が計画通りにはかどらないとイライラする。 
9.一度腹を立てると、なかなか平常心に戻すことができない。
10.「何を食べたい?」と聞かれると「なんでもいいよ」と答えることが多い。

七項目以上当てはまったら、あなたは、ちょっとしたきっかけで、うつ病になることがあるので、くれぐれも注意してほしい。
とあるが、生真面目な、大体当てはまってしまうんじゃないかとワタシは思う。

性格を変えるコトは、とても難しい。もし、うつ病予備軍だと知ったら、逆に心配しかねないと思うので、追記しておく、『世の中には、トンでもナイ不真面目な人間が沢山存在する』と思わないだろうか? 『少なくとも、真面目な人間である自分より、社会的地位はともあれ、自分の様な人間が死んで、不真面目な人間ばかりになったら、世の中は暗黒になってしまう』と思わないだろうか? 『「真面目」でイイのだ。真面目な自分を自分が認めてあげるべきなのだ』と思って、心配しないコトだ。

何故なら、ワタシは過去に真面目に悩んだコトがイッパイある。でも、その都度、だけど「不真面目な人間」に自分がなってしまったら、自分で自分を嫌いになると思った。だから、開き直って、色々なコトが気になるけれど、それはそれでイイじゃないかと思っている。それが「自分らしい」のだ。眠れなくても、ベッドや布団に横たわっていれば、充分身体は休める。(そう思うと案外眠れる)服のシワが気になっても、気にする人は、自分と同類というコトだ。気にしない人は気にしないのだから、二人で几帳面な会話をするよりも、相手には豪放磊落な人を選んだ方がイイ。そして、あまりのガサツさに疲れたら、違う人と付き合うまでだ。そうやって、今でも何とか生きている。

性格は、ある程度までは変えられるが、それ以上は無理。ならば、自分の性格を好きになるしかナイと思うのだが‥‥  
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2007年07月28日

テクノストレス解消法

1日二回の更新にしてから、こんなに遅く更新したのは初めてかもしれません。本日も、仕事ナドナドで、ちょっと忙しがったもので‥‥

さて、昨日のブログの中にあった「テクノストレス」、それってどういう状態を指すのと思った方もいらっしゃるかと思うので、その辺について詳しく書き込みます。
一九八〇年代にアメリカの心理学者クレイグ・ブロードは、シリコンバレーで働くエンジニアのなかに、心身に異常を訴える人が多いことに気づいた。その症状とは、うつ病、月経異常、めまい、動悸、息切れ、自律神経失調症、アルコール依存症などさまざまだった

あなたがテクノストレスに陥っていないかどうか、テストで探ってみよう。

1.自分がふだん使っているパソコンに名前をつけている。
2.最近、人と付き合うのが面倒臭くなった。
3.パソコンの前にずっと座っていてもまったくストレスを感じない。
4.パソコンを使っていると、知らぬ間に時間が経っていることがある。
5.パソコンが使えない人は、時代から取り残されると思う。
6.他人のしゃべっていることが煩わしく思える。
7.ニュースは新聞よりもインターネットで見る。
8.毎日二時間以上、テレビゲームやインターネットをやる。
9.パソコンを操作しながら食事することが多い。
10.トラブルなどでインターネット回線が切断されると、とてつもなく不安や苛立ちを感じる。

八個以上当てはまった人は、すでにかなりテクノストレス気味である。

さらに症状が進むと、明らかな心身の病気に進んでしまうケースもある。


として、自律神経失調症や慢性疲労症候群、過敏性大腸炎、男性型脱毛症(問題になるのは、女性がかかると治りにくいコト)、過換気症候群、食堂通過障害、月経前症候群、仮面うつ病、強迫性障害など、が挙げられている。その症状の詳細については、本を読むか、ネット検索してください。

ともあれ、コンピュータは便利だけど、あくまで人間が使うのであって、人間が使われない様に注意してくださいね。  
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2007年07月27日

パソコンで疲れ目の方に PART2

このブロクを書き始めたコロに書いた「パソコンで疲れ目の方に」、そちらは個人的に考えて書いたモノですが、ホボ二年経って、お医者さんオススメという方法を本で発見!!
プチストレスをきれいになくす―イライラ、クヨクヨはこうして吹き飛ばせ!
上記の方法では、疲れ目がほぐされなかった皆さん、これから方法を書き込みますので、そちらもお試し下さいね。
テクノストレスを解消するために効果的なのは、まぶたを指圧の要領で押すことだ。コンピュータのデイスプレイは、一見すると静止しているように見えるが、実際はチラチラと動いている、数時間も見続けていると目が疲労し、それが心の疲れに直結する。そこで、目の疲れが心に影響を与える前に解消してしまおうというわけだ。指圧の手順は次の通りである。
1. まず両手を十分にすり合わせ、温める。
2. 次に肘をデスクについて、手のつけ根にあごをのせる。
3. このままの状態で人差し指、中指、薬指の三本を揃え、まぶたを覆うようにする。指の腹でまぶたを全体に軽く押す。自分で心地よいと感じられる程度の強さで押し、十秒ほど押さえたら離す。この押す、離すを三回繰り返す。
4.目頭と目尻に力を入れる。まぶたを押しながら、眼球を大きく動かすと、さらに効果がある。
5.眼球の疲れがほぐれてきたら、もう一度手をすり合わせて目を覆い、眼球が目の奥深くに沈んでいく様子をイメージしながら、目をゆっくり休ませる。
6. 手をこめかみに移し、中指の腹でこめかみを軽く押しながら、小さな円を描いてマッサージする。
すべてをやっても三分はかからないから、トイレへ行ったときなどに、鏡を見ながらやるといいだろう。気分もすっきりして、眠気も吹き飛ぶはずだ。
というコトですので、やってみて下さい。  
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2007年07月26日

ドコに投票するか迷っている人に

このブログにリンクしている「種まきブログ」さんに、面白いページを教えて頂いた。その名も「投票ぴったん」。そろそろ投票日。既に投票した人もいるかもしれないが、ワタシみたいに未だにドコに投票するかを迷っている人は、ゼヒお試しください。

ちなみに、どうしようかと迷っている政党が四つあり、その四つがホボ横並びになってしまったワタシは、ますますどうしょうかと考えているのだけれど、投票に行く前に、もう一度チャレンジしてから行こうと思っています。

今日のニュースを聞いても、保護司をやったコトがあったり、地域活動に熱心だった方が、息子の生命保険金が一億円とかで、それを目的に殺したのではないかと、容疑者否認のママ逮捕されたとか、香川県丸亀市の学校給食に、国産品と偽られてオーストラリア産の肉が納入されたとか、誰を信じればイイのか、全く五里霧中の世の中なのですが‥‥

ともかく、投票しないで終わってしまっては、モッタイないので、ゼヒとも投票をお薦めします。

ネットの中には、三菱重工など、軍需産業の株価が急騰しているから、投票日あたりに何かがあるやもしれないナドという情報を流しているブログもあり、何があってもオカシクないのが、今の日本です。

流石に、「拉致被害者が帰国」というコトは無かったですが、それは陰謀がバレたタメかもしれず、世の中は混沌としています。

何度か書いていますが、「北風と太陽」の寓話を思い出して下さい。世界に向かって、北風みたいに風を吹かせ続けるには、日本という国は小さすぎます。世界地図からみたら、ほんとにチッポケなのが日本です。それでも、コツコツと、真面目に働いて生きて来たから、それなりの暮らしは出来る様になりました。

ならば、太陽みたいに、周囲を明るく照らして、ポカポカと気持ち良くして、世界中の戦争というマントを脱がす役に徹した方がイイに決まっています。

なるべく、そんな方針に近い政党を選びたいと思っているのですが、選挙となるとみんな奇麗事ばかり公約として掲げるので、選択が大変です。

だとしても、日頃の言動から、類推して答えを出して、本当に大丈夫そうな政党に投票してくださいね。

追記・晩になって、混雑しているのか上記の「投票ぴったん」にアクセスしにくくなっています。もしダメな場合は「えらぼーと」にアクセスしてみてくださいね。  
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2007年07月25日

日本の食が危ない!・2

本日、色々と忙しく更新が遅れております。加えて、この後も、もう一仕事ありますので、パパッと。

本で取り上げられているのが、ドイツ。

厳格なドイツ人であっても、やはり不正は行われるかもしれないというコトで、「自主検査」や「抜き打ち検査」があり、一週間に一度は検査があるらしい。それだけでなく、
バーデンビュルテンベルク州では、「MAKA」プログラムを運営している。MAKAは、ドイツ語で「市場負担緩和と農耕景観保全のための調整金プログラム」の略称。除草剤の不使用。肥料量の削減、草地の植物の種類の多様性など、環境への配慮について綿密な基準をつくり、項目ごとに点数を配分し、農家が所得する点数に応じて補助金を出す。農家の参加意欲は高く、約80%の農家が参加する。市民からの支持も高い。

ドイツ政府も農業が環境に与える負担を軽くしようと規制を強めている。例えば「肥料条例」は農地の肥料投入量を規制する法律だ。
農家に作物や畑の条件に適して肥料を使わせることで、生態系への肥料の流入を防ぐのが狙い。散布量の条件、時期、方法などを規定する。農家が補助金を受ける際はこの条例を守っていることが条件になる。農薬にも同種の規制がある。
振り返って我が日本では、農業に従事している人々に補助金を出すの出さないのという話があっても、それは農家の規模とかで議論されるコトが多い。

ワタシには関係がナイので、「日本農業新聞」に補助金を出すの出さないのという、各党の公約みたいなものが載っていても、そんなに注意して読んではいないが、まぁ、簡単に言えばそんなモノである。

安心、安全が担保される農作物をチャンと作ってくれる農家に、補助金を出して、水田などを耕作放棄地にせず、緑のダムとして景観保全を含めて、心と食のオアシスになって貰えるならば、補助金としての税金投入に、「No!」という人は少ないと思う。

最早、ボロボロとなってしまった、「日本の食の安全」を考えるならば、消費者もある程度の出費はするべきだと思う。今までは、個人の理性がかなりそれを支えてくれたけれど、このままの状態が続けば、遅かれ早かれ「日本人の健康」にも影響が出てくるだろう。

学校給食という場所で、この先大人となって、日本の屋台骨を支えるべき若者の、血となり肉となるべき食肉が、「個人の欲望」の前に、ハチャメチャなモノにされてしまったという事実を、我々は決して忘れるべきではナイと思う。  
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2007年07月24日

日本の食が危ない!・1

中国のダンボール入り肉まんの報道はガセだったというコトで、マスマス報道の真実が見えにくくなっています。日本でも、柏崎原発の放射能もれの際に、北朝鮮ではナイのですから、迅速にIAEAの査察を要請すれば、何でもなかったものを、保留してみたりするから、疑心暗鬼になってしまいます。

前にも書いたコトがありますが、昔見た映画の中で、
太陽を盗んだ男
「高校の理系のトップクラス程度の能力さえあれば、原子力爆弾を作るのはプルトニウムさえ手に入れれば出来る」と言って、映画だからではありますが、理科の教師が原爆を作ってしまったというショッキングな話題が、かなり年数が経っても、頭にこびりついているものですから。

何はともあれ、ある程度、真実の報道がされているという確信があればともかく、今の段階で本当に原子力汚染は大したコトでは無かったのかというコトを不安になる気持ちは、抑えようがありません。

それは、デタラメなコトが、起こり続けているからです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは言うものの、「ミートホープ」は廃業して幕引きになりそうではナイですか。

既に、変だという通報がなされていたのに、故意にその情報が握り潰されたのかどうかは判りませんが、役所でのマズイ対応についても、さしたる検証はされないままです。

北九州で餓死した人が、二度も生活保護を要請して、巡回した保険師の方も危険性を訴えていたというのに、その情報もどこかで消えて、餓死してしまった。本当にそんな日本でイイのでしょうか? 飽食の時代と呼ばれて久しいというのに‥‥

日本の食が乱れている。食の乱れが、子供達の乱れに繋がっている。そんな話も聞きますが、こんな本を読んでみました。
あした何を食べますか?―検証・満腹ニッポン
前置きが長くなってしまい、お昼の時間なので詳しくは明日に書きますが、どんなに食に心配りしたとしても、産地を偽装されたりしてたら、お手上げなんだよなという思いが、まず浮かび上がってきます。

もう一度、他人を信頼出来る日本になって欲しいと思いますし、それには「何でもありません」、「大したコトではありません」とだけ答えてしまう様な農相で大丈夫なんだろうかと、誠に心配してしまうのですが‥‥  
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2007年07月23日

ココらでホッと一息・2

この本で、とても画期的だと思うのは、宗教についてしっかり触れているコトです。宗教を医学的に分析した本は、そんなにナイので、何故、「宗教にハマりやすいのか」理解すると、変な宗教に洗脳されにくくなると思います。
仏教のお経にかぎらず、イスラム教でも、キリスト教でも、多くの宗教は、を思いきり出します。腹式呼吸で空気を出しきることで酸素の取りこみが多くなり、細胞活動が活性化され、自律神経の働きがスムーズになれば、精神的なストレスが浄化されていくのは当然です。
しかも、その発生を集団で行うのがミソなのです。医師のなかには、人間の3大欲を「性欲、食欲、共感欲」とする人がいます。最後の「共感欲」とは、自分と価値観を共有する仲間とともに、みんなで喜びを分かちあいたいと感じる欲望です。もっとくだいていえば、「居場所」を確保したいという気持ちですね。これは、どんな人間も持っています。
みんなでいっしょにお経を唱えあげれば、自然にこの共感欲が刺激されるわけです。
そして、すべては音楽的です。キリスト教の賛美歌やイスラム教のコーランをはじめ、どれも、頭がドーパミンで満たされるような、恍惚となる旋律にあふれています。
法事にお香が欠かせないように、宗教は嗅覚にも刺激を与えます。

宗教のなかにかならず組みこまれている座禅、瞑想、祈りといった行為も、人間の気持ちを安らかに癒してくれます。基本は、これもまた呼吸法であり、深く、ゆったりとした腹式呼吸をつづけることで、脳波が変化していきます。
瞑想が深まると、脳波は緊張した状態のβ波から、リラックスした状態のα波になり、さらにはその先のθ波にまで達するといわれています。θ波は、没我の脳波、明鏡止水の境地や一種のトランス状態にまで意識が達したときに出る脳波です。
これを読むと、何故優秀な頭脳を持った人々が、オウム真理教の様な邪宗に取り込まれてしまったのかについても、とっても理解しやすくなります。

著者は「出家」をすすめているわけではなく、あなたの周囲に「きみは素晴らしい」と賞賛してくれる人物が居ないと、下手すると「洗脳」される可能性がありますよ、という警告を発しているのです。

身近な人間関係の中に、自分を受け入れ、必要としてくれ、そして誉めてくれる人を見つけられれば、ソレに超したコトはナイし、それが出来にくい人には、危険なカルト集団に入るよりも、いろんな宗教の「いいとこどり」を薦めています。実際、
初詣や合格祈願は神社に行き、法事はお寺、そのくせ、なぜかクリママスをみんなで祝うという日本人一般の宗教観は、外国人から見たら「とんでない無宗教」に映るかもしれません。でも、それでいいじゃないですか。
仏像を眺めて心を落ち着かせ、賛美歌を歌って心を洗われ、神社で安産のお守りをもらって安心して子供を産んで。
あくまで大事なのは、あなた自身の心と体が安らぐこと、救われること<なのですから。
という雑駁な考え方を、ワタシは大好きです。あまりピュアであるコトを求めすぎると、苦しくなります。ワタシの青春時代がそうでした。雑多でイイとか、あるがままでイイという、一種の開き直りこそが、真面目な人間に一番求められているのだと思います。ともあれ、不真面目な人は、そんなにストレスを感じてないでしょうが、不真面目な人のフリを真面目な人がしても、逆にストレスは溜まると思いますから、真面目な人は真面目に、宗教と戯れるという方法を選択するコトは、とても有効だと思います。  
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2007年07月22日

ココらでホッと一息・1

ちょっと硬い話題が続いたので、一息入れましょう。昨日までの本の関連の本も読んではおりますが、ワタシもそういう問題を続けて書き込むのもツライですし、一度リラックスしてからの方がイイと思いますので。

プロレスのリングドクターも努める方の本です。
お医者さまが教える癒されてもっと気持ちよくなる!
流石にドクターだけあって、説明に過去に何度か書いた、「ノルアドレナリン」だの、「ドーパミン」だの、「βエンドルフィン」などの難しい用語もドンドン使われていますが、字数も少なく、二色で書かれているので、とても読みやすい本です。

一般の人ならば、理論はともかく、やさしく「癒す」というコトについて、説明されているので、ちゃんと理論に裏打ちされている「リラックス法」だと認識して、実践すれば充分だと思います。

「温泉はなぜ心と体を癒してくれるのか」、「露天風呂はなぜより良い刺激を与えてくれるのか」という説明をしてくれたからといって、その理論を全部理解しなくても、ドクターが「温泉に行くコト、露天風呂に入るコトを医学的に素晴らしいコト」だと推奨しているとさえ判って、実行さえすればイイのですから。

ともあれ、美食家の人々に嬉しいのは、「ケーキ・ダイエット」なる言葉すらあるコト。

詳しい理論は読んで頂くとして、
ケーキを食べるなんて高インシュリンもいいところ、もってのほか、なのですが、要は食べる順番なのです。
普通、食事の際、ケーキはデザートとしてメインディッシュを食べたあとに出るものです。でも、それがいけません。逆転の発想をして、ケーキを食前に食べてしまえばいい。
甘いものを食べるのですから、もちろん血糖値は上がって、インシュリンも分泌されます。ただ、同時に満腹中枢も刺激されて、満腹感を得ることができます。

つまりケーキを先に食べれば、メインディッシュをあまり食べなくてすむわけです。だから、全体としてのカロリー摂取量が下がります。
ケーキのあとは、糖分の多い穀類などは極力ひかえて、野菜を中心としたビタミン類の摂取を心がければ栄養のバランスも十分にとれます。
食べたいものを食べない、ストレスをためた状態が長くつづけば、逆にコルチゾールというホルモンが分泌されて、「ストレス太り」になってしまう危険さえあります。
どうです、ちょっと抜粋しただけですが、とても現実的で長続きしやすい様な、リラックス方法でしょう。

もう少しだけ書きたいので、後は明日に続きます。  
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2007年07月21日

生命とどう向き合うべきか?・3

生命も、全て金によって支配されるのだとしたら、世の中それほど詰まらないコトはナイと思うのですが、世の中には拝金主義的なコトを堂々と述べる人が多く。
最新の生殖技術のせいで、富める者と富まざる者の差も、いっそう広がる恐れがありそうだ。裕福なハワード・ガーバーは、死んだ娘の胚を代理母に移植しようとするいっぽうで、貧しい人たちが子どもをもつことは非難している。
「思慮の足りない、無責任な者たちが、育てる余裕のない子どもを産むことで、貧困の連鎖をつくりだしている。食べる物もろくに食べさせないなら、産むべきではない」と語っているのである。
生殖技術を利用する人たちは、短期的に見て何が手に入るかということばかりに目が向いて、長期的に見たらそのことがどのような心理的・社会的影響を及ぼすかまでは、考えようとしない。
金儲けを人生の第一義として、ひたすら金のコトばかり考えている人間ばかりがこの世に溢れて、そこら中を闊歩しているのを想像してみたら良い。そんな利己的な人間ばかりの社会と、互いに助け合ったりして損もしながら他者と協調する社会より、どれだけ優れていると言えるのであろうか?

ともあれ、世の中が完全なる平等社会であれば、成功した人が一番その世に適していると言うコトは可能かもしれない。しかし、過去から連なる社会状況の中で、貧困なる地域の中に、世にも素晴らしい遺伝子を持った赤ん坊が産まれて来ているかもしれない。

されど、貧しい地域に生まれた赤ん坊は、栄養が足りなくて死んでしまうかもしれないし、生き延びたとしても、満足な教育を受けられなかったが故に、才能が花開かないかもしれない。そんな想像は、出来ないのであろうか?

貧困にも挫けずに生きる人々が、この世から全滅したとして、裕福な人ばかりの社会になったとする。誰もハングリー精神を持たなければ、退廃してしまうかもしれず、地球に何か衝撃的な出来事(例えば、巨大隕石の衝突とか、異常気象とか)によって、裕福な生活を維持するコトが出来なくなった途端に、人類は破滅してしまうかもしれないとは考えられないのだろうか?

多様な社会や、多様な生活があるからこそ、それに対応する人間が出来上がるので、単一な人間ばかりになってしまったら、アッという間に全滅してしまうだろうと、ワタシは思うのだが‥‥

クローン人間を創ろうとしているレイル教の暦は、広島に原爆が落とされた、一九四五年の八月六日から始まるのだという。その日こそが、ヒト・クローン作成に向けての科学の大叙事詩を人類が紡ぎはじめた日であり、事実、原爆の放射能を浴びたことで生じた突然変異について、研究したハーマン・マラーはノーベル賞を与えられた。広島や長崎で生き残った人たちが受けた遺伝的損傷は米国エネルギー賞によって研究され、その延長上にヒトゲノム計画が開始されたのだそうだ。

正に非人道的な考えではないか。あまりの考え方に、かなり憤慨しているのだ。  
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2007年07月20日

生命とどう向き合うべきか?・2

さて、本日も天気が変なので、体調を崩す方が多いのか、忙しいので慌てて書いてます。主人の母は、小学校からの友人のお葬式に行ってますし、主人も明日お知り合いの母上が亡くなられたとかで、そちらに行かなくてはイケマセン。やはり夏は夏らしく、ハッキリした天気になって頂かないと、景気も出ないし、体調の悪い方々には長梅雨は大敵みたいですね。

そんな生命の儚さも、全て吹き飛ばしそうな感じになって来ている現代が、果たしてイイのでしょうか?

再生出来ない人生、やり直しのきかないたった一度の人生だからこそ、それはそれでイイのだと思いますが、今や生命も「ビジネス・チャンス」になっていて、人間の生殖は〈工業製品をつくるプロセス〉になろうとしている、と著者は警告しています。

失敗の責任については、何も考えずに、
「一種類の動物実験でうまくいったら、人間の女性に試してかまわない」、「その技術を使って赤ん坊が生まれたら、必ず赤ん坊の写真をクリニックの壁に貼る」、「ただし、その子がその後どういう生活をしているか、母親の暮らしぶりはどうかという追跡調査は、絶対に行わない」
といった態度で、多産児の母親のお腹にいるリスクや、無事に産まれたとしても、大きくなるのは大変だという将来を考えずに産ませたり、減数手術で生死を選択したりなどなど、まるで人間が「神」であるがの如く振る舞っているドクターも存在しているみたいです。

安全性などを十分に検討されないまま、臨床の場に技術はドンドン持ち込まれ、不妊治療や遺伝子操作の技術についてきちんとした法律が整備されていないコトから、開発されたばかりで動物実験さえ十分に行われていない手法を、すぐに患者に試すコトは、倫理的に許されるコトなのでしょうか?

女性の体内の卵は、まだ生まれる前の胎児期に、すべてつくられ、母親の子宮内にいる妊娠二十二週目の女児の有する卵が、生涯でいちばん多い卵(およそ七百万個)で、思春期には約三十万個、閉経までに四百個が排卵されるからといって、中絶した女の胎児の卵を、不妊女性に提供すればイイと単純に考えてイイものなのか?
こうしたやりかたの延長上にはいずれ、つぎのようなケースが起こってくることも考えられる。卵をつくれない女性の場合にも、クローンはつくれる。そこで、クローン技術でできた胎児を何ヶ月かおなかのなかで育てたのち、中絶して、その卵巣を摘出する。体外受精医がそこから取り出した卵は、当然ながら、その女性自身の卵巣が機能していればできたはずの卵と、遺伝的にまったく同一のものだ。そこで医師は、中絶した胎児から取り出した卵を、その女性の夫の精子で体外受精させる。そうすれば、女性と夫の子どもをつくれる
としても、それをするコトは果たして、許されるコトなのだろうか?

あまりに問題が複雑過ぎて、整理出来ないので、明日もこの問題について書きたいと思います。  
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2007年07月19日

生命とどう向き合うべきか?・1

昨日は、色々とするべきコトが沢山あって、更新も遅くなりましたが、本日はやっと連休明けの忙しさなども一段落して、落ち着いております。休みが多くあるのもイイのですが、休み明けを思うと、普通が一番だったりします。

本来、昨日書きたかったのは、進化し続ける生殖技術についてだったのですが、原発の心配が優先したので、違う話になりました。原発の内部はかなりヒドイことになっているらしく、真実を隠蔽するから、マスマス恐怖が高まります。「活断層は存在しない」と設置を許可した、東京高裁の裁判官の方は、今、どんなお気持ちでしょうか? それとも、そんな裁判があったコトすら忘れてらっしゃるのでしょうか‥‥

とにかく、優秀な人間の判断が全て正しいというワケではありません。全て正しい判断が出来るのならば、その人は「神」です。という反省から、裁判員制度が出来るのですから、普通の人々には、庶民感覚で物事を冷静に判断して頂きたいものです。

されど、人間社会には「優性思想」というモノが、消し難く存在する様で、特に白人社会に、その影響が根強いみたいですが、こんな本があります。
ヒト・クローン無法地帯―生殖医療がビジネスになった日
人間は、ドコまで「神の領域」とも言うべき、「生命」に関与出来るのだろうかというコトです。

試験管ベビーの実態について、とても詳しく書かれています。

子供が欲しくても出来ない人も居れば、イラナイのにドンドン出来る人も居る。世の中は、元々矛盾だらけなのですが、それを人間の手で可能にしたが故に、トラブルも色々ある様で‥‥

弁護士として、様々なトラブルに遭遇したからこそ、書いた本なのですが、人間の生命の操作の方が、牛や羊などよりも、雑に行われていると知ると、ビックリして呆れかえってしまいます。

無論、それは医師のモラルの問題なのですが‥‥

素晴らしい精子や卵子を求めて、右往左往する人々や、ダマして適当に金儲けなどを企む人々。生命が、金の力で無理やりねじ曲げられて行くコトに、とても恐怖を感じます。

こうした思想が蔓延すれば、似た様な人間だけが、この世に存在して、多様性が無くなるので、逆に地球に何かがあった時に、人類が絶滅する可能性が高まるとワタシあたりは思うのですが。

人類の祖先が、アフリカで見つかった女性を最初のルーツにしたとすれば、ソコから世界中に広まっていく中で、その地に適応して姿形を変えて来たコトで、人類は世界中に住める様になったハズなのに‥‥

生殖医療の問題を含め、簡単に書ききれないので、この話も続きます。  
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2007年07月18日

ゴリ押しは禁物

少し前に、足立区の小学校で、学力テストの時に不正があったという話を書いたが、昨日の「信濃毎日新聞」には続報として、その小学校以外の学校で、テスト後に保護者の了承なく特定の児童を採点対象から除いていたことも明らかになったと書いてあった。

それにより、教育長は「学校に対する管理不行き届きがあった」などとして謝罪。現在、学校別にテスト成績を順位付けして公表方法を改め、順位は出さなくしたそうだ。

これは、学力テストを復活させるにあたって、心配してきたコトが現実になったコトを意味する。

そして、本日、こんなニュースもネットで拾った。

コムスンで話題になった、グッドウィル・グループがテスト特需に預かろうとしたというのだ。ちなみに中学のテストを受注した会社は、ネットで過去に初めて知ったのだが、某宗教団体系の会社として有名なのだという。そんなコトは、ネットを始めなかったら、全然知らなかったと思うのだが、こうなると「教育の公平性」にも、問題は及びそうだ。

ともあれ、柏崎原発も活断層がその地下にまで伸びている可能性が指摘されているが、そんなコトは今さら問題にしないで、造る前に問題にすべきだ。

長野県も、昨年知事が変わって、地盤に問題がありそうな場所にダムが造られようとしている。その件が県議会で可決されるのをネットで見ていたというコトで、関東に行っていた職員が可決したらその足でスグに、決定を国交省に伝えたというのだから、その手回しの速さたるや怖ろしいものがある。

「何があろうと、どうしてもダムは造らねばならない」というのが、現在の県庁の意志なのであろう。

ちなみに、ココにリンクしている山繭さんのブログで知って、一応、県庁土木部に対して、「どうして浅川ダムは、公共事業としての見直しをしないのか?」「もし、無理に造ったとして何かあったとしたら、誰が責任を取るのかを教えて欲しい」とメールしたが、「何かが起こらない様に、全力を尽くします」といった、責任を不明確にしたメールが帰って来ただけ。

こちらも力が抜けてしまいましたが、質問に答えずに本質をはぐらかすというのは、国のトップを始めとして、閣僚、官僚、公務員のホトンドの方々が、プラスになるコトをするよりも、マイナスを無くすタメだけに、前向きではナク、後向きの答弁をして、誰も責任を取らないという歴史を延々と続けて来ているのだから、どうしようもありません。

ともあれ、原子力発電に固執しても、発電のコストだけは安いかもしれないが、発電後の処理とか、リスクを計算すると、決して原子力発電は最良とは言い難いものがある。

それでもデータを隠蔽したりして、このまま原子力発電で行ってイイのか、それとも、もっとクリーンなエネルギーを求めるのかを含め、我々が隠蔽体質に隠されて来た、真実を見極めて、日本の進むべき道を「清き一票」という手段で、決断しなければナラナイ時が徐々に近付いて来ているようだ。  
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2007年07月17日

頑張らずに生きる

我々は、つい頑張り過ぎて生きては、疲れて精神的に滅入るコトが多い様です。これを簡単に取り除くには、「まあ、いいか」療法が効くみたいです。
心の治癒力をうまく引きだす―病気が回復する力とは何か。「まあ、いいか」療法はなぜ効くのか。
ココでは、原因を探求するよりも、現時的対応がとても大事で、「完全なる治癒」を目指すのではナク、「ホドホドの治癒」を説いていらっしゃいます。

患者さんとの会話など、興味のある方々はしっかり本を読んで頂くとして、マニュアルっぼく、とても簡単にだけ「まあ、いいか」療法を書き込みます。
人間はなにかしらの『ねばならない』思考や『べき』思考を持っている。

だが、これはあなたが思っているのではなく、脳の神経回路が作り出したものなんです。

いったん神経回路が形成されてしまうと、これは自分の意思とは無関係に、いつもいつもそんな思いが出てきてしまい、いつの間にかそれは自分が思っていることであるかのように思わせられてしまっているんです。
つまり、どうも落ち込んだ気分になりそうだと思ったら、すぐに「まあ、いいか」という言葉をつぶやくのが有効だというのです。
実はこの言葉が、脳の形成した『べき』思考や『ねばならない』思考の神経回路を切るための、とても有効な言葉なんです。ただお経のように、心の中で、『まあ、いいか、まあ、いいか』と呟けばいいだけです。最初は、言っている言葉にまったく実感が伴わないし、こんなこと何の意味があるんだろうと思うかもしれませんが、何度もやっているうちに、ある時ふと『まあ、いいか』という言葉に、実感が伴うようになります。

これが脳の神経回路をうまく切断できた瞬間です
「死にたい」とか「もう、ダメだ」とか、色々と否定的な考えが浮かびやすくなるコトは、時には誰もがありえます。でも、それを脳の神経回路だと割り切って、脳に新たに回路を作り、「落ち込み」とは無縁にするコトで、沈んだ気分にならないで済むならば、それに越したコトはナイと思います。

気分が沈みがちな方は、一度ゼヒお試しくださいね。  
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2007年07月16日

共依存を考える・6

更新遅くなりました。地震もそれなりに揺れましたが、この辺は大したコトはありませんでした。タダ、新潟に近い地域の親類の家では、タンスが倒れたり、仏壇が転んだりしたそうです。新潟の知り合いの家の瓦も痛んだとか。多くの被災した方々は大変だと思いますが‥‥

本日、忙しかったのは、明日が父親の88歳の誕生日のタメ。ケーキを持って行ったり、色々と野暮用がありました。ともあれ、こうなるかもしれないと、昨夜下書きしておいた部分を書き込みますね。

こんなにバタバタしていると、こういうマジな話を書けなくなりそうです。やっぱり、前もって準備しといて良かったです。

獲想論、ファンタジー、社会の掟にとらわれる‥‥「こうすべき」「…が当たり前」「…するのが普通」という建て前的な理想論や道徳論にとらわれ、「きっと〜するだろう」「こうなるはずだ」というファンタジー、「社会がこう」「みんながああ」といった社会の掟や、周りの人のせいにする。それに対処するには、現実とファンタジーとにギャップがあったら、現実に焦点を合わせる。夢や希望と現実は一致しない。実現しそうな方法を考え、建て前や社会の掟に頼らず、自分の選択と行動に責任を持とう。

漢蠎蠅竜なを敏感に察して、先へ先へと頭を働かせる‥‥常に相手の顔色をうかがい、先回りして次から次へと心配し、現在を感じず、人生を楽しまない。そういう時には、先回りしそうだと感じた時に「ストップ」と声を出してそれ以上進まないように中止させる。今このときを楽しみ、自分の人生にユーモア、笑い、喜びを進んで取り入れよう。

21・つかなくてよいときに嘘をつく‥‥自分に対して正直になれない。出てくる思考や感情を否定したり、疑ったり、無視する。つい嘘を言って相手をかばったり、その場をとりつくろう。子どものころから、家族に秘密があったり、家の外では体裁をつくろって嘘をつく親の姿を見たり、自分もその嘘に参加させられたりすると、嘘をつきやすくなる。まず、自分に正直になり、出てくる考え、感情や感覚を否定せず受け入れ、「感情が自分のものだ」と言い聞かせる。心中は辛いのに、顔は笑うといった仮面を外す。真実を語った後の結果には責任を取ればいいのだから。

22・自己の確立ができていない‥‥自分に自信がなく、相手に幸せにして欲しいと思う。人生の目的や自分は誰かがはっきりせず、自分を大切にしたり、肯定したり、受け入れられない。そんな時は、なりたい自分、人生に求めているものをはっきりさせる。自分の幸せは自分で作るもの。アイデンティティを自ら発見しよう。親や兄弟姉妹、先生などに、どんな影響を受けて育ったのか調べ、過去の心の傷を癒し、健全な自己を確立しよう。自助グループ、サイコセラピー、ワークショップなどに参加して、仲間と共に癒していこう。

以上、○の中の字は20までしか見つけられなかったり、原文にも重複してるかもという部分があったり、勝手に省略したりしてますので、気になる方は、原本にあたってください。

違う本にも、幸せになるタメには、似た様なことが書かれていたと思います。ともあれ、本日は疲れて、あまり上手く話を書けそうもナイので、ココまで。明日は、これの発展形みたいな話をします。ともあれ、コメントを頂いた皆様、地震の心配のメッセージをくださった皆様、ありがとうございました。コメント返しは、これからさせて頂きます。  
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2007年07月15日

共依存を考える・5

台風の被害は深刻そうで、とても心配しております。さて、続きに参ります。

過去の間違いから学ぶことができない‥‥相手が問題を起こすとひどく憤るが、互いの調子が良かったり、離れていたりすると、過去を忘れて相手をかわいそうだと思ったり、相手のよい点だけを思い出して、すぐ許してしまう。この繰り返しによって、同じ間違いをし、離れる決心が出来ない時は、辛い経験を日記に書いたり、テープに吹き込んで記録をとる。一週間に何回か、過去の記録を振り返り、過去の間違いを学習しよう。

被害者意識にとりつかれる‥‥相手を救えなくて自分を責める。相手のせいでみじめになったと被害者意識にとりつかれる。「私のことなんか誰も心配してくれない」と愚痴り、滅入ると友達も近寄らなくなる。助けられない相手は助けない。相手のせいにして責めない。自分のかかわった部分にだけ、責任を取ろう。

鯵欧あるのに平和を保とうとする‥‥自分や自分の周りに害があるのに、相手に合わせ、葛藤を無理して避け、相手の怒りを防ぐために異常な努力をし、他人にも和を保つよう強制する。そんな時は、自分の人格を殺してまで和平を保つ努力を止め、多少波が立っても、葛藤があっても、自分の信じることを表現し、問題に直面し、自己主張するのも大切。

碓情としがみつきを取り違える‥‥どんなに相手からひどい仕打ちを受けても離れられないのは、しがみつきである。愛とは、相手の人間としての成長を最大限に伸ばす支援をし、相互に助け合い、自分を失わず、自分もよりよい人間になることである。あまりに強い引力を感じる人のそばには近寄らないこと。本当の愛は、ゆったりして温かく静かなものである。

恩威者を恐れる‥‥地位や権威のある人、怖そうな人の前でビクビクしたり、そんな相手から批判されたり、認められないのではと恐れる時には、子どもの時に受けた影響を顧みよう。子ども時代の恐れを捨て去る癒しの作業をして、自分はもう小さな傷ついた子どもではないと自覚し、相手から批判されたり、認められなかったり、拒否されたりする恐れに、自己主張するロール・プレイなどを練習しよう。

さて、お昼の用意をする時間になりましたので、本日、書き終われませんでしたが、明日には完結します。  
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2007年07月14日

共依存を考える・4

台風が九州に上陸しそうになっているそうで、台風の被害が出ないコトを祈るばかりではありますが、台風とかの影響は、気圧が不安定になるタメに、とても「お久し振り」という方々の来院を促します。そのタメ今週は忙しく、とてもバラバラな更新時間になってしまいました。今日も、ココで書かないと書けなくなりそうなので慌てて書いてます。

自分の体から出るメッセージに気がつかない‥‥感情が麻痺して、感情が適切に表現できなかったり、相手の関係に違和感を覚えて、胸がドキドキしてもその注意警報を察知できない。息が吸えない、肩こりがする、イヤな感じの時に体から出るメッセージに注目しよう。1日3回くらい胸に静かに手を当てて、自分の感情を体に聞いてみる。第六感で、変と思うコトが少しでもあったら、それに注目しよう。

怒りの問題をもっている‥‥適切な怒りの処理が出来ない、長くフラストレーションをためておいては爆発する。自分より弱い子どもなどに八つ当たりしたり、怒りを爆発させそうな相手と一緒でビクビク暮らしている。そんな時はまず、怒りは自然な感情だと自分に言い聞かせること。怒りを他人にむやみにぶちまけるのは攻撃であり不全である。怒りの下の心の痛みや不安感、さびしさなどに注目して癒そうとすれば、怒りは去っていきやすい。頭が怒りに支配されている時は、生理学的に非常に視野が狭くなっている。その場所から立ち去り心を静めたり、散歩したり、出さない手紙に怒りを書き付ける、友達に電話する、瞑想をしたりして自分の世話に意識を切り替えよう。

忍耐強く待つことができない‥‥相手の行動に反射的に行動したり、せかせかして余分な心配をする。長期プランを立てて、じっくり時を待てなかったら、まず何もしない。相手から距離を置き、相手と自分をじっと観察する。鎮静のためのアルコールや薬物に手を出さないこと。呼吸に注目して、静かに待つ力をつける。必要以上のがまんと、長期ブランを立てて忍耐強く待つこととは違うと認識しよう。

罪の意識によく襲われる‥‥相手に問題があるのに、それを自分が悪いと責めたり、自分が変わることで相手の変化を期待したり、自分の欠点を直して相手の対応を変えて欲しい、相手に従って認めてもらいたい、愛されようと必死になる。相手の文句をそのまま受け入れ、罪悪感を持つ。そんな時は、「今、頭が混乱しているから、少し時間を欲しい」とだけ述べて、弁解せずにその場から去ろう。相手が相手自身に与えている行動の責任を感じるのは止める。罪の意識にさいなまれやすい人は、他人にも罪の意識を植えつけやすいので注意する。

ものごとを極端にとらえ、ホドホドにできない‥‥小さい出来事か、大きな出来事かの見分けがつかず、両方共に極端な対応をしてしまう。黒か白かはっきりさせすぎたり、自分が正しくて、相手が全部間違っている、反対に全部自分のせいだと思い込むとバランスが取れなくなる。物事を白か黒かと決めつけたくなったら、グレーをイメージすること。完璧さを求めて疲れず、自分に対して最も過酷な批判家にならない注意をして、自分にやさしい言葉をかける。

まだ、本日の仕事が残っているので、やっぱりココで時間切れです。では、また明日。  
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2007年07月13日

共依存を考える・3

本日も更新遅れてます。かなり御仕事ハードでした。なので、枕も思い付かないので、続きに直接参ります。

ぢ梢佑悗琉預舷瓦強く、ひとりでやっていけるという自信がなく、見捨てられ危機感に襲われる‥‥ひとりでいると不安になってしまう人は、練習して、一日に10分でいいから、じっと何もしないでひとりで過ごしてみよう。さびしさや不安感感じても、あわてずじっとしている努力をし、虚無感から徐々に距離を置こう。自分こそが、自分の一番大切なよき友達であり、一生涯見捨てることはないのだから。

ス佑方や視野が狭い‥‥依存している特定の相手と、自分だけとの世界に没入すると、友達から離れて孤立してしまう。コントロールできない相手との関係よりも、努力すれば変化する地域や社会への奉仕、自然の中でリフレッシュ、友達や仲間、近所の人、家族や親類たちとのふれ合いや、自助グループへの参加を試みよう。

Ω充造篁実の否定,否認をする‥‥問題の大きさを直視せず、いやなことを無意識のうちに心の奥に押し込む人がいる。実際に起きていることと、自分との関係を見極め、被害はどれくらいなのか、第三者には自分の行動がどう映っているのか、信頼出来る人物の意見を聞こう。回復や癒しは、現実や事実を認めることから始まるのだ。

Д灰潺絅縫院璽轡腑鵑竜蚕僂坊腓韻‥‥自分の言いたいことははっきり表現し、自分の必要なものを容共したり、「ノー」と言う努力を。自分を主語にして話す。相手を思いやる。相手の話に注目する。援助を求めるには、コミュニケーションの技術の学習が不可欠である。イヤなことに、はっきり、しかも尊敬をもって「ノー」というのは、とても大事。

相手と自分の境界線をはっきりさせられない‥‥相手からの心的、性的、身体的な侵入を許したり、相手の問題にお節介に入り込む。相手の落ち込みに合わせる。相手の気分を変えようと必死になりそうになったなら、相手との間にはっきりとした境界線を引く努力をしよう。暴力は受け付けず、相手の問題には頼まれない限り関わらず、落ち込んでいても様子を見るだけで充分。自分の周りには、目に見えない輪があると想像したり、自分は透明なドームに入っているのだとイメージしよう。

まだまだあるので、とても書き込みきれません。「〈明日出来るコトは今日しない〉(遠藤周作さんの著書にアラブの諺として書かれていたものです)という生き方をしたらどうですか」と、本日、自分でお薦めしながら実行しないのは、マズイので。本日は、これまで。  
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2007年07月12日

共依存を考える・2

本日もこんな時間になってしまいました。ともあれ、昨日から続々とコメント頂いていて、ありがとうございます!!

「日本の社会そのものが共依存的な構造をもっている」可能性が、本の中で指摘されてますし、「イイ人」であるコトが期待されやすい社会ですから、「共依存」を考えて、それから脱出するコトは、とても意味があるのではないかと考え、終章をよりダイジェストして書き込みます。

「自分を見失って相手にのめり込んでおせっかいを焼く」のは、「問題のある人に対してハマっている」という意味で、問題なのです。そう思って、自覚してくださいね。

タダシ、「共依存的行動は,一見,非常によい人のふるまいとして目に映るため」問題と気づかなかったり、気づいて行動を変えた場合に「周囲から好ましく思われないような自己主張もできる」といったコトが、「回復につながるので,かえって難しい面もある」そうです。ただ、「生き苦しさを抱えて生きている多くの人にとっては」他者との軋轢も、「自己を殺さずに済む」という意味で、とても大事になります。

ーらを犠牲にして相手を助けたり,世話をする‥‥これは真のやさしさとは違い、心の底で見返りを期待し、それが返ってこないと憤然とする。相手にありがたがられるという報酬を期待し、自分がいるから相手はやっていけるという思い込みに、自分の価値を見出しているのである。自分のことより、相手の世話をしそうになったら、少し落ち着いて、手を出す前に、「なぜ自分を優先しないのか」、「相手をますます不能にしてないか」考え、自分に必要なのは、新しい技術を身につけるコトだったり、趣味やボランティア活動ではないかと自問自答してみる。

∩蠎蠅旅堝亜ご蕎陝す佑方,状態,結果を変えようとコントロールする‥‥まず、他人はコントロールできないと知るコト。自分がコントロールできるのは、自分自身だけだと、何回でも自分に言いきかせる。相手を変えるために費やす膨大な努力を、自分に向ければ自分が素晴らしくて、健全な人間になる可能性が高い。結果、そのコトが相手によい影響を与えやすい。

L簑蠅箚躓,起こっているような状況や人間関係に身を置きやすい‥‥口では心配のない生活を求めていると言いつつも、害のある相手から離れられない場合がある。ハラハラする人からは愛をもって距離を置き、リラクゼーションや瞑想などで、心を落ち着け、静かで平穏な、安らぎに満ちた生活に、少しづつ自分を慣らしていこう。

まだ、沢山あるので続きは明日で‥‥  
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2007年07月11日

共依存を考える・1

本日バタバタしていて更新遅れました。いよいよ明日は参議院議員選挙も公示。完全無党派のワタシとしては、最後の最後まで誰に入れようか、どの政党を選ぶか投票するまで迷う日々になります。

ともあれ、人に質問されても的外れなコトしか答えるコトが出来ない党首には、アキレ果てておりますので、そういう党が選択肢に入らないのはモチロンなのですが‥‥そういう方がこの国のトップのままでは、日本人で居るコトに疲れそうです。

さて、本日は「共依存」について考えてみます。本の題名もそのものズバリ、
共依存―自己喪失の病
なんですけどね。

この本のスゴイところは、家族だけでなく、職業も依存と共依存の関係になりやすいので、注意しましょうと書いてあるコトです。

こんなブログを書いているコト自体、ワタシも「共依存」的なのかもしれないと思いつつ、ストレス発散のタメに書いております。(共依存になりやすい職業みたいですから)

そうなりやすい関係とは、教師と生徒、児童福祉施設職員と児童、ケースワーカーとクライエント、治療者と患者、弁護士と依頼者、保健婦と来談者、聖職者と信者、セラピストとクライエント、回復者カウセラーと依存症者等々、とても多いですね。

要するに、援助しようとする人は、本当に気を付けないと「共依存」になりかねません。
援助者における共依存とは,お互いが盲目になってしまい,援助者であり本来支え手である側の人が自立を促すための手助けではなく,支え手がいなければ生きていけなくしてしまうことである。「飼いならす」という言葉があるが,これは相手を支配することである。これを援助と勘違いし続けていると,遂には飼い犬に手を噛まれることになってしまう。これは上下関係が災いし,「援助されないと生きていけないから支配される」という「凹」と「援助し続けないと生きがいを感じない」という「凸」が一体となり,結果的に離れることができず,お互いが本来の目的を見失った状態の中で蟻地獄に落ち吸い込まれていくのである。誰か他の人に助けを求めることをしない限り,残念ながら永遠に助けはない,ということだ。
失敗,すなわち病気の再発を恐れ過保護にしてしまうことは,援助者が被援助者のことを「心配」という理由づけのもとで,本当は自分が不安で見ていられない心のモヤモヤを発散したいがために,過保護や過干渉といったことになるのだと思う。しかし,これは相手を思いやるのではなく,自分のことを第一に考えているのだから,非常に自己中心的な考え方と言える。
以上の引用で、「共依存」について知らない人もある程度理解して頂けると思います。

詳しくは明日から。  
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2007年07月10日

長生きしたかったら・2

さて、昨日の続きです。

タ事は何に気をつけるかではなく、どれほど食べるか‥‥人間が何千年、何万年と延々と食べ物の歴史を受け継いできて、その長い歴史のなかで「これは大丈夫だ」「これはおいしい」と生き残った食材をたべているのですから、何を食べてもおそらく大丈夫なのだと思います。基本的には、どんな食材であっても、バランスよく、適量を食べていれば、まず問題ないのだと思います。細かい食事の内容はともかく、「食べ過ぎないこと」がいちばん大切だと思っておいてください。

寝るときの環境に十分に配慮する‥‥睡眠時というのは、飛行機のパイロットが自動操縦装置のスイッチを押して眠ってしまうようなものです。自動操縦装置がバランスを崩していたりすると、予期せぬ方向に行ってしまうこともあります。寒くてもエアコンのスイッチを入れて室温を調整するというようなことはできませんし、水分が足りなくても水を飲むこともできません。突然死がいちばん多いのも睡眠中です。ですから、寝るときの環境をきちんと整えてから寝るべきだと思います。

Д螢坤爐里△訐験茲鮨瓦ける‥‥心臓の手術のために来院する三十代、四十代の比較的若い患者さんを見ていると、一人暮らしだったり、独身だったり、自由業だったりと、他人の監視の目が少なくて、生活習慣が乱れている人が多いように感じます。やはり、規則正しいリズムのある生活を送るのが、心臓に対してもいちばん負担が少ないのではないでしょうか。

調子が悪いときには、家族を信じなさい‥‥家族が調子の悪さを見破って、無理やり病院に連れてこられたという人が、命をとりとめる場合が多いようです。調子の悪いときには、残念ながら自分の判断は衰えています。そういうときには、自分を信じずに家族を信じてください。

家庭用の血圧計と心電計を備えておく‥‥よく血圧を測るという人の話を聞いたことはありますが、心電計は初耳でした。これは心臓に問題がある人向きの様ですが、心電図は平常時にとっても心臓の状況はよくわからず、胸の痛みがある時に測るのがいちばんデータとして有効だそうですから、不安がありそうな人は、携帯用心電計を一家に一台用意したほうがイイみたいです。

症状が出たときには、絶対に無理をしない‥‥心臓疾患というのは、生命の危険と直結しています。ですから、苦しい症状が出たときには、絶対に無理をしないようにしてください。

ともあれ、命に関わらないかもしれませんが、調子が悪い時は、無理するなというサインだと思って、心臓に限らず大事を取るべきだとワタシは思います。身体を酷使していながら、何とかして欲しいと言われても、ある程度までは対応出来ますが、一定水準以上は無理です。自分の限界を超えない様に努力するコト、出来れば何事も八分目くらいで充分だと思って生きるコトが、長生きする秘訣ではないでしょうか?  
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2007年07月09日

長生きしたかったら・1

経験則でそうだろうと整体にお見えになっている方々に話しているコトを、医学的に裏付けされたので、嬉しくなっております。
心臓は語る
名医の方ホド、謙遜なさるという見本の方の様で、心臓について理解しやすく教えて下さる上に、
私たちの知っていることは、ごくわずかなことです。ここまで述べた心臓の動きなども、現時点でわかっていることであって、それが将来覆る可能性もないわけではありません。
とまで書いてらっしゃいます。正に「実るホド、コウベの垂るる稲穂かな」といった感じで、こういう方の爪の垢を飲ませたい方々(特に政治家)の何と多いコトよと思います。

で、この中からゼヒお伝えしたい、健康法は、

 /叱撞曚垢襪反澗,良蘆瓦減る‥‥難しいコトは読んで頂くとして、簡単に抜粋すると、私たちが無意識に行っている「呼吸」は、単に二酸化炭素と酸素の交換の役割を果たしているだけでなく、体中の血液の流れをよくして、心臓を助ける行為でもあるのです。「心臓」が血液を送り出すポンプだとすれば、「呼吸」は血液を戻すポンプです。心臓のために何か一つ貢献してあげるとすれば、深呼吸をすることをお薦めします。

体をよく動かすと、心臓は喜ぶ‥‥血液を戻りやすくするのは、先ほど述べた「深呼吸」のほかに、「筋肉の動き」も大きく関係しています。「手足を動かすこと」は血液循環のためにとても重要なことです。日常生活でどうしても運動する機会がない人は、せめて手足を動かさない時間を長時間つくらないようにして、手足をよく動かしましょう。長時間デスクワークをしている人も、時々、体を動かしたり、足を動かしたりして、血液循環の働きを助けてあげてください。

いきなり激しいスポーツに取り組むのは、心臓に逆効果‥‥「体育の先生は長生きできない」とか、「スポーツをやっている人は長生きできない」などと言われますが、それもあながち間違ってはいないと思われます。負担のほうが大きすぎる場合も考えられます。若いうちはともかく、年齢が進んでからは「無理なスポーツはしないこと」が、心臓とうまくつきあっていくためには、特に重要です。

に楜い把浩犬とたいならタバコをやめる覚悟を‥‥タバコを吸わないようにすることは、心臓を大切にする重要な要素です。自分は命にさらされ、タバコの税収が入るので官僚は喜ぶ−−バカバカしいと思いませんか。

もう少しあるのですが、続きは明日に。  
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2007年07月08日

予想通りの結果

世の中が、グレイになるのは、結局、「教育」に一番問題があるのだろうと思うけど、「改革をします!」とか、「教育三法を改正した実績を見て欲しい」なんて言われると『ハァ〜』と思ってしまう。ワタシには、改正イコール良いコトとは思えないし、下手すれば改悪だと思っているから。

本日付けの「信濃毎日新聞」の34面に、「足立区の学力テストで不正があった」というニュースが書かれていた。抜粋すると、
昨年四月に実施された東京都足立区の学力テストの際、試験中に教員が児童の答案を指さして誤答に気付かせる不正を行っていた

共同通信の取材に対し、六人の教員が「校長の指示があった。校長自身も教室に来て、自ら率先して『指さし』をした」などと証言した。

足立区はテストの順位を公表しているほか、学校予算の傾斜配分や学校選択制を取り入れており、教育関係者からは「競争原理の導入が不正の背景にあるのではないか」との指摘も出ている。

同小は区内七十二小学校中、二〇〇五年は四十四位だったが、不正のあった〇六年は一気に一位になっている。

教員の一人は「指をさして意味の分かる児童とそうでない生徒がおり、不正ぎりぎりだと思った。校長の指示があったかどうかと言えばイエスだ」と証言。教員らは「校長は学校の平均点を上げるのが目的だったのだろうが、あんなやり方で一位になっても子どもは喜ばない」と話している。

また、校長は、本来すべてをそのまま回収しなければならないのに、〇五年のテストの問題をメモし、翌年の児童に練習問題としてやらせていた。
これは昨年のコトだから、だから教育改革をなんて言いそうな人々も出るかもしれないけど、今年から全国統一の学力検査が復活して、来年以降も続くのだ。

何故、全国統一テストが中止されたかというと、そうした不正があったりしたからだ。そして、そういう不正を招く可能性がある「教育への競争原理の導入」は、生徒を教育不信に導く可能性もある。学力は大人になっても身に付くが、一度染み付いた「人間不信」はナカナカ解消されないだろう。そんな「教育改革」が「正しい」とか「美しい」とは全く思えない。

ギスギスした人間関係の中で、マスマス精神的な疾患すら生み出しかねない。確かに、勉強は出来ないよりは出来た方がイイとは思うが、勉強が出来ても人生に大事な本当のコトは知らないのだと、校長が自ら身をもって示してくれたのかもしれない。  
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2007年07月07日

精神科 ER

本日の更新遅くなりました。少々ヘバっているので、本日も本のタイトルのママです。
精神科ER緊急救命室
同名のブログがあって、書籍化されたらしいのですが、正直、全然そういうブログがあるコトを知りませんでした。(今は違うブログにお引越ししているコトはモチロン)

仕事の合間にネットをしているので、交流のあるブロガーさん以外とかお気に入り登録した以外は、ほとんどネットサーフィンするヒマもナイので‥‥

ERというのが救命救急施設だというのは知ってましたが、アメリカのTVドラマを見て作られたというのも本を読むまで知りませんでした。ちなみに、TVドラマも最近は忙しいので、そんなに熱を入れずに、仕事前ののんびりしている時間帯で、見れれば「朝ドラ」と土曜日に「大河」の再放送くらいで、ホトンド見ないので、そんな名前がTV欄に載っていたかもしれないね位の認識でした。

ともあれ、ポッポッと話題が提示されつつも、それが解決されるとは限らずにドンドン話が進んで行くのが、本当のリアルなのだと思いました。

我々は、ともすると作り物の世界によくあるハッピーエンドを期待してしまったりするのですが、本来、現実はそんなに甘いモノではアリマセン。

前にも書きましたが「進化」イコール「素晴らしい」といった考え方は最早、間違っている可能性が高くなっています。

人間の中身に関して言えば、過去と比べてそんなに進歩しているとは言いかねるコトが、沢山あります。確かに、技術は進歩していますが、では、進歩し続けた先は本当に素晴らしいのかと聞かれれば、地球環境が破壊寸前だったり、人口問題や食糧問題、それに衛生問題を全世界的に解決しているとは、残念ですが言えません。

本の内容と、ズレてますが、「水が命を救い、命を奪う」と言われる様に、汚い水にしかありつけないタメに、命を無くす子供も多いそうです。昨日付けの「日本農業新聞」の「四季」というコラムには、ユニセフのリーフレットからの引用として、
世界で10億人以上の人々が安全な、きれいな水を手に入れられないという。汚濁水など不衛生な環境のため、下痢性の病気で毎日4100人以上の子供が命を失う
と書かれていた。

全国民のホトンドが衛生的な暮らしをしていて、汚濁水のタメに命を落とす可能性ナドほとんど無いというのに、昨日の本にも書かれていた様に、自殺者は年間3万人を超し続けている現状を思うと、マスマス人生は複雑だと思います。

そして、そんな状況の中でも、「賽の河原」になるかもしれないという可能性もありながら、石を積み続ける精神科医の方々が居るのだなぁというコトをしみじみと思いました。  
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2007年07月06日

「いのち」と向き合う

さて、仕事で更新が遅くなりましたが、心が温まる一冊です。諏訪中央病院の鎌田先生を中心にラジオで語られた話をもとに、対話集として再構成されたものだそうです。
いのちの対話
最後まで読んで、そうなのかと判りましたが、本当にスムーズに話が進んでいて、読み終わった後に、心が軽くなりました。多くの病院の先生方が、こんな感じならイイなと思いましたが‥‥

簡単に言うと「いのちというモノは、代々受け継がれていく」もので、それは「血の繋がりだけでナク、人が生きていた生きざまを、次の世代が受け継いでいく」というコトになるでしょうか。

現在の様に、即物的に物事を考えていると、身体と心が分化して考えられがちですが、そうではナクて、あくまで、「こころ」があってこその身体という視点が、抜け落ちていませんかと、問われているみたいです。

日本的な信仰の最初に存在した「八百万の神様」という考え方、全ての生きものに霊を感じた思想が、政権の変遷によって、様々に変化して来ましたが、最初の原点に戻って、自然と人間の関係を見直す必要性に、今、世界中が気付き始めているのかもしれません。

ダーウィンの「進化論」も、全て現実に適応するタメに行われた「変化」であり、必ずしも「進化」の先に、素晴らしい未来だけが待っているのではナク、もしかしたら、それは「破滅」が待っているのかもしれないという考え方を持たないと、世の中の動く方向に狂いが生じる可能性があります。

平成十年から、日本の自殺者数が三万人台になっているコトと、それは無縁ではナイと思います。時には、こうした読むコトで心が浄化されそうな本も読んで、一息つけないと、生きているのがツラクなりそうな毎日です。

「いただきます」という言葉は、「今まであったいのちを私がいただいて、私のいのちにして、そして生きていきます」ということの表明で、だから「あなたたちのいのちは無駄にはしません」という意味を込めているのだと思うといった言葉があります。

正に、その通りだと思います。生きているコトに、生かされているコトに感謝する気持ちが無くなって、傲慢に生きていると、必ずや天罰が下るといった思想を、非科学的だと排除するのではナク、自らの心の中の規範として、他人に強制されられるコトがナクても、持つコトの必要性を感じます。

人の生死を身近に感じなくなっている今だからこそ、もっと謙虚な気持ちで「いのち」と向き合わなくてはイケナイのかもしれません。  
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2007年07月05日

精神が病んだと思ったら

本来ならば、昨日で話は一段落したので、もっと明るい医学の本の話をする予定だったのですが、衝撃的な話をネットで読んだので、それを報告しておきます。

ちなみに、「具合が悪い場合は早いうちに専門家に相談すべきだし、専門家も選ばないと危ない。健康についての常識と思っているコトは、現実とは違うかもしれませんよ」というのが、最初からこのブログのメッセージなのですが、正にそれを裏付ける感じの話題です。

イャー、驚きましたね。覚せい剤類似薬が、そうとは知らされずに投薬されていたなんて、まるで「タミフル」を思わせる感じの話題ですね。こういう話はマスコミで流れる可能性は、とても低いですけどね。しかし、本日の新聞で「週刊新潮」の広告に、7月20日のコトが書かれてましたから、もしかすると週刊誌あたりには、という可能性がゼロではありませんが、前にも書きましたが、日本のマスコミは、「大スポンサーあっての報道」なのだというコトを念頭に置いておいてくださいね。早く知らないとトンでもナイことになりかねませんから。

コレを読んで確信したので書きますが、昨年、ボケ始めた親戚をある精神病の病院に行かせようとしたら、違う親戚が「こっちがイイから」と違う医院を強く押したので、ソコに最初に行ったら、ボケだけではナクて、妄想も出現したり、徘徊したり、メチャクチャな行動をし出しました。

ドンドン変になって、ついにワタシが勧めた病院に入院するまで、親戚中を巻き込んで大騒ぎでした。(夜中にも夜と認識出来ずに外出したがるので、見張りが必要だったりとか)

ともあれ、入院して数ヶ月したら、病院の先生もビックリの無事退院を果たしました。先週も会ったのですが、歳ですから多少耳が遠かったりはするものの、ホボ普通に暮らしています。

ココからは推測になりますが、最初の医院で貰った薬と合わなかったのだと思います。連れて行った従姉妹は、薬が合わないのではナイかと、最初の医院で話したそうですが、尊大そうな精神科医は、無視して、従姉妹の話を全くと言ってイイほど聞こうとしなかったそうです。なので、最初に一月位、合わない薬を飲んだのが悪かった可能性が大だと前も思ってましたが、今は99%そうだと思っています。

ともあれ、そんな悪い先生ばかりじゃなくて、イイ先生も居て、そうした先生の本の話をしようと思っていたので、明日はもっと気が晴れる話題になりますから安心していてください。  
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2007年07月04日

「精神が病む」ということ・2

本の話に戻ると、様々にデフォルメした形で、精神が崩壊していくまでの軌跡が書かれているのだが、そういう話は、今、少し追い詰められていると感じている人に読んで頂くとして、最終章の中の言葉を引用したい。
貧しさというのは、人生における選択肢がわずかしか与えられないということである。自分をとりまく状況に対して、力があまりないということでもある。

だから人は、貧しさの中で見つけたほんの少しの可能性にすべてを懸ける。そして本当の物語というものは、人が己のすべてを懸けた時にだけ生まれるものなのである。

まず選ばなければ何事も始まりはしない。しかし現在、この豊かで選択肢の多い時代に、人々は選ぶことに臆病すぎはしないだろうか。
歴史を振り返れば、本当に大変な時代があった。考えてみれば、今に不満はそれなりにあるものの、過去の時代よりも今のトコロは、一番自由な時代になっていると思う。

不自由な時代が良かったなどと、決して口にするつもりはナイ。だが、「自由と権利」を持て余している人が多いコトも確かだ。

自分で人生の選択が出来ずに、宗教にすがる人もいるし、仕事にすがる人、何かに依存する人など、それは様々だ。

しかし、自分の人生の選択は、最初は例えそれが強制されたものだったとしても、自力で道を切り拓いて行こうとさえすれば、自分のモノになる。

自分で道を切り拓いているつもりだったのに、実は強制されたモノだったと気付く時に、人は神経のバランスを崩しやすいのではないだろうか?


世の中には、辛いコトも一杯あるし、ストレスだってドッサリある。でも、そういうコトを分かち合える人が少なくてもイイから存在すれば、人はそれなりに大変な時期をやり過ごすコトが出来る。

読書というものは、著者と読者の想像力の戦いだと思う。タダ、受け身に著者の言い分だけを聞く人もあるだろうが、「イヤ、これは違うだろう」とか、「なるほど、ココをこうすれば」などと人生のヒントを掴む人もいるかもしれない。

つまり、作者の考え方に対して自分が色々と反応するコトで、自分が変化する。つまり、本は「自分を変えるタメの媒体」に過ぎず、結局、自分と自分が対話しているのかもしれないと思う。何だか、判りにくいコトを書いている様だが、自分があり、それと類似したり、真逆だったりする意見があるから、自分が触発されるコトがあるのだと思う。

ちなみに、こうして本を読むコトがワタシの一番の健康法なのだが、人には其々の健康法があるだろう。ともあれ、それらを駆使しても、精神のバランスを取り損ねる時がある。その時こそが、「精神を病む」というコトであり、それは決して特異なコトではないのだと、しみじみと思わせてくれる本でした。  
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2007年07月03日

「精神が病む」ということ・1

本日のタイトルも、本の題名そのままです。
「精神(こころ)が病む」ということ―不安な時代を生きるための10章
今の日本全体が下手をすると、そんな状況だと思うから。

英国のテロ事件も『裏があるのだろうか?』と疑ってしまうし、最早、世の中を素直に信じる気にはなれなくなってします。ネットでは既に様々なトコで「七月二十日に北朝鮮から拉致被害者が選挙対策として帰って来る」という話は流れてますし。

本当に日本の税金が北朝鮮への工作に、こっそり使われてたり、そのタメにワザワザ投票日を遅らして、人々に迷惑を掛けたり、税金を余計に支出するのだとしたら、真面目にコツコツ稼ぐのはバカバカしい話です。

ともあれ、「赤ずきんちゃん」を狙うオオカミみたいに、原爆問題で苦しい言い逃れをしてばかりの政府ですが、それでも、食べられてしまった「赤ずきん」みたいに、日本国民はなってしまうのでしょうか?

本論にナカナカ入れずにいますが、今日の「信濃毎日新聞」の朝刊に、ベルリン動物園で昨年十二月に生まれたシロクマの話題が載ってしました。

日本の動物園でも似た様な話がありましたが、母グマが子育てを放棄したので、飼育係の男性が育てるコトになり、そんな感じで育てられたシロクマは、将来、神経障害に苦しむ確立が高い。人工保育とは動物虐待なので、速やかに安楽死させるべきだと動物愛護団体が抗議していて、実際、ライプチヒの動物園では、同じく母親に見放されたナマケグマの赤ん坊に、昨年末この処置が施されたのだとか。

自然を離れて生活した方が、高い所得を得られる今の現代社会を考えると、「コンクリート・ジャングル」と命名された場所で、今、先進諸国の人々が暮らしている都市自体が巨大人間動物園なのかもしれないとすら思えます。

そんな人々の病んだストーリーなのですが、仕事の時間になりましたので、尻切れトンボみたいですが、続きは明日に。  
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2007年07月02日

「健康」という病・3

さて、著者は日本の禁煙政策は形式的であると批判しているが、その通りだと思う様な出来事があった。

きっかけはSNSへのある書き込み。某子ども病院の入院している子供に付き添っている母親が、病院内でこっそり飲酒したり、喫煙しているというトピックが立った。

ちなみにトピ主が、その両親の職業を書いたのだが、それが例えば「公務員」とかだったら、ちっとも問題にならなかったのだろうが、「職業差別」をしていると、それに噛み付く発言が大勢を占めつつあった。ワタシは、客観的に煙草や飲酒に親和性がある職業なので、それは「アルコールやニコチン依存症」の可能性があると書き込みしたら、「ニコチン中毒」に近いと、こちらでは思える人が、反論して来た。

「中毒」になったら「廃人」みたいになるので、そんなコトはナイと。「中毒」の定義をドコに置くかで、問題は全然違い、ワタシは吸うべきでナイ場所とか時間を我慢出来ない人は当然その範疇に入ると思うし、少なくとも害を認識しているのに吸わずにはイラレナイ人は、最早軽いけれども「中毒」だと思っている。

反論した方は、「ワタシの子供が入っている病院(トピの話題とは別の病院)には喫煙所があるのだから、吸って何が悪い!!」とか、「妊娠してもタバコをスグに止めれば胎児に問題はナイと書いてあった」と言っていた。何も、妊娠している人を恐怖に陥れたくはナイが、アメリカでは「喫煙は肺がん、心臓病、肺気腫の原因となり、さらに妊娠合併症を引き起こす可能性がある」などと、タバコのパッケージに記載することが義務づけられたのは、かなり昔だというのに。

「日本のタバコにも、煙草の害を示す表示がある」というコトを述べていたが、本当のタバコの怖さを知らなかったというか、耳を貸したがらなかった。
アメリカのタバコ会社は、一九九八年十一月総額二千六十億ドルというとんでもない金額の賠償金を四十二州に支払うことになった。

タバコ訴訟が、タバコ会社の完全な負けに終わり、そのつけが結局東南アジア、日本に回ってくることになる。アメリカのタバコ会社は非常に綿密な計画で、日本、アジアに進出してきている。

アメリカのタバコ会社はこの裁判での賠償金を稼ぐために、国内で失った市場を、海外へ求めるしか方法がなくなった。

いかにもマナーを守って喫煙をしている、というイメージ広告がテレビから流れてくるが、それはマナーを守ることではなく、喫煙を勧めていることに変わりはない。テレビでのCMはそんなイメージを非常に強調するものになる。そこに若者は飛びつく。

喫煙者の多くは、からだに悪いのを知っていながらやめられないという場合が多いが、若者は「かっこいい」という感覚でタバコを口にする。
そして、長じてからだに悪いのを知っていながらやめられないという「ニコチン中毒」の人が出来上がるのだ。

前に、「中毒と依存症」関係のコトを書いたコトがあるが、「中毒」になってしまうと言い訳ばかりを考え、何とか自分を正当化し、言い逃れ様とする。それは他人に対してよりも、自分に対して「摂取の言い訳」となり得るからだと思う。心から、本当に「毒」なのだと認識するコトさえ出来れば、徐々にでも手を切れるのだが。

若者に効果的な禁煙政策は唯一、広告しない、購入しにくくすることである」という著者の意見は正しい。映画を見ていても、時々、ここぞという場面でタバコを吸うのは止めるべきなのだろうが、そうは思わない人が多いらしい。

世界のタバコの中には、「ホラー」顔負けの、「これが喫煙で汚れた肺です」という写真を載せているトコすらあるのだが。

合法ドラッグなのだから、これ以上は言えないが、少なくとも「タバコやアルコールは合法ドラッグと呼ばれる麻薬なのだ」というコトだけは覚えておいて欲しい。「ヘロインやコカインと同じで、禁断症状すら出るものなのだ」というコトを。  
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2007年07月01日

「健康」という病・2

さて、本論に行く前に、やっぱり健康であるタメには、あまりに御馬鹿な人々を国のトップに据えると、一気に何十万人単位で死ななくてはならなくなり、やっぱり命は大切だと思えば、世の中のコトを全く判らない、自分達の周囲しか見れず、狭い考えしか持てない政治家には、退場頂くしか、我々は長生き出来ないのだと、久間防衛大臣並びに、原爆認識にさしたるコトではナイとおっしゃる総理大臣に、確信させて頂きました。

弁明を聞いても、日本国民よりも米国政府を先に思いやれるなんて、完璧に「植民地思想」が爆発という感じですね。日本は、主権国家ではなかったみたいで‥‥という話も、それなりに関連するので、昨日の禁煙に関する続きにいきますね。(ともあれ、昨日「灰色のベンチから」の過去ログを読んでいて、「戦争のつくりかた」という本のページに辿り着きました。そちらも御参考までに読んでおいてください。正に、今の日本の現状です)

喫煙は個人の嗜好品であるから、とやかくいわれる問題ではないという論理もある。非常に安価なストレス解消法にもなっているから、禁煙させれば、もっとお金のかかるストレス解消へ走ることになり、病気が増えて、国の医療費削減にはマイナスになるという反対論がある。

しかし、そういった論法で研究論文や書籍を書いている人は、タバコ会社から研究費がでていたりする。

喫煙が他人に及ぼすものとしては、副流煙が最も問題になる。最も問題であるという意味は、喫煙しない人の健康に害が及ぶからだ。

タバコの煙には二種類ある。タバコを吸っている人が吐き出す煙(主流煙)と、灰皿に置いてあるタバコの点火部からでる副流煙である。健康に及ぼす害としては、副流煙のほうが問題になる。副流煙に含まれる有害物質は、主流煙なり数倍多い。

副流煙の害を、他人が吐き出した煙のことだと思って、本に書いている医者がいるくらいであるから、一般的な認識は低い。

タバコはあまりにも国の政策がからみすぎている。禁煙して健康な人が増え、医療費が減るとわかっていても、厚生省や農林水産省、大蔵省(注・本の出版時のママ)などの力がはたらき、なかなか進まないのだ。そこに国民の健康が犠牲になっているということはまったく忘れさられている。

世界的にみても先進国では常識になっている禁煙政策がとれないのは、厚生省の弱腰や、医者地自身の低さがある。ひいてはそれが国民の禁煙意識の低さにつながっているのである。

そこには科学的な健康政策をとっている姿がみえる。我々が事実を知らないだけで、被害者は国民なのである。


かなり割愛しているのですが、まだまだ書ききれません。ともあれ、政治家や官僚の利害が国民よりも優先されているコトに、我が国の不幸が根ざしているというコトです。  
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