時給1000円になるという法律について、
こんな意見がある。前に、NHKのローカル番組で見た話題では、県内の零細企業について、リポートしていた。
社長さんは、既に年金を貰うお歳の方で、今まで地元のパートさんと一生懸命何かの部品らしきモノを造っていた。
昔はかなり儲かった時期もあったらしいのだが、円高や発展途上国の人件費の安さによって、段々儲けがカツカツになってしまった。そして、今や赤字を年金で補填しながらも、パートさんの働き口を残してあげようと、日々、努力しているのだ。
コレでもし、時給が1000円とかになったら、閉鎖するしかナイのだという。
こういう話を聞くと、山村で他に働く場所がナク、遠くへ働きに行くにも難しく、年齢的にも再就職が無理な人々にとって、一日に何千円でも収入になる職を失うのは、とても大変なコトだろう。
都会と違って、長野あたりの地方では、建設会社が倒産したら、連鎖倒産したり、資金繰りが大変だからと子会社もツブれたりという話が、アチラコチラで聞かれたりする。
大手の会社の子会社も撤退する予定とかで、マスマス不景気の風が吹き続けているのだが、特に長野県の中でも、高齢化率が高く限界集落と呼ばれる地域ではもっと大変なコトだろう。
「本当に改革って、正しいコトばかりなんだろうか?」
上の命題にこんな答えを出している本があった。
貸しはがし資金回収小説のあとがきに曰く、
税制改革といえば増税。行政改革といえば、国民負担増という次第だ。
金融改革も同じことで、改革が行われるたびに散々な結果に終わった。理屈がわからなくても、失敗の犠牲者である彼らは直感的にわかっている。改革などというのはペテン師の常套句であることを。
結局、そういうコトなんだろうなと思ってしまうのは、悲しいコトなのだが、でも本当にヨク考えてみれば、「痛みに耐えさえすれば、イズレは明るい未来が」と政府がアナウンスしたのは、何時からだろうか?
そして、改革はマダ道半ばだとは言うものの、
改革によって生き易くなったという人の数が減っていて、改革によって苦しくなったという人の数が多いのは何故なんだろう?
本当に、改革が正しいコトならば、例え途中であったとしても、それで生活が楽になったという人が多くなるのが当たり前なんじゃないだろうか?
そうやって考えると、年金改革のタメには消費税アップ止む無しという意見とかも、本当なんだろうかと思う。確かに、年金の破綻を止めるには、消費税しかナイのかもしれない。でも、壊れた蛇口をそのままにして、元になるの水を増やしたトコロで、どうなるものでもナイだろう。
まず蛇口の修理をするコトだ。それから、水量を増やさなければ、マスマス蛇口は完全に破壊されるだけだと思うのだが?
とにかく、自分の頭でじっくり物事はしっかりと考えるべきだ。マスコミなどの話をそのまま鵜呑みにしているのでは、「矛と盾が、どたらも世界一だと言っている場合の問題」に気付かないコトにもなりかねないのだから‥‥
問題は、時給1000円にしたら、非正社員はそのまま固定とか、サービス残業とか、様々なコトだってあるかもしれないというコトだ。法律と運用の問題もスッキリさせる必要だってある。耳障りのイイ、『改革』という言葉にダマされてはイケナイのかもしれない。
Posted by seitaisikoyuri at
21:53
│
Comments(6)
│
TrackBack(0)