2009年11月30日

無関心が貧困を招く

失業者の仕事探しと生活支援の相談を1カ所で受け付ける「ワンストップ・サービス」の試行が、全国のハローワークであったそうだが、確実に失業と貧困は我々の多くに忍び寄っているみたいだ。

雇用危機―忍び寄る失業と貧困雇用危機―忍び寄る失業と貧困


この本は、グラフを多用しているので、視覚的にも問題点がハッキリ判りやすいのだが、何と言っても驚いたのが、「子どもの貧困対策」として、政府が所得再配分をすると、OECD各国の中で、唯一、日本だけが所得再配分後の貧困率が高いのだという。

子どものいる世帯はほとんどが現役世代のため、税金や社会保険料などの負担が最も重く、社会保険料のどの所得層でも基本的に定率・定額なコトが、所得に対する負担割合を低所得層ほど高くしてしまっているのだという。

要するに、日本の政策は誤っているのだが、それというのも、国会議員も世襲、地方議員も世襲、官僚も世襲したり、閨閥があるタメに普通の人々は出世し難くなっているコトや、地方公務員もコネだらけなので、貧しい人々の声が政治に生かされ難いからだと思われる。

しかも、選挙に行かない人々の理由の多くは「自分一人が行っても、行かなくても世の中は変わらない」という意見だったりするのだが、大都市で投票率が四割台の大阪市では、市議の四人に一人が世襲なのだが、特定の組織・団体に所属する人達だけが投票に行き、浮動票がほとんど存在しないから、特定の組織や団体、講演会をがっちり押さえれば、当選しやすくなるので、世襲がしやすくなっている。

それゆえ、市議は自分の支持者への利益誘導を優先して、全市的な視野に立っての施策など二の次になってしまうのだという。

つまり、ある意味、普通の人々に広がり続ける貧困の種を蒔いたのは、もしかしたら社会に対して無関心な我々の行動に最大の問題があるのかもしれないと内反させられる一冊である。  

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2009年11月29日

やっばり歳か‥‥

と思ってしまったのが、本日の内藤と亀田興毅のフライ級の王座決定戦。

内藤大助の鼻が折れたみたいで、力が出なかったというのもあるだろうけど、おそらく再戦しても、勝てないかもねと思ってしまうホド、やはり歳から来るであろう衰えを感じてしまった。

タダ、「本当に亀田興毅が二階級制覇出来るだけの逸材なのか」という気も多少はするのだけれど‥‥

大相撲も「白鵬」の天下になりそうだし、日本の格闘の世界は、最早ハングリー精神が薄まってしまっていて、昔みたいに日本人が大活躍しているという実感が乏しい。

その上、どんなにかつて強かったとしても、寄る年波には勝てないという気もするし‥‥

考えてみると、大相撲で北の湖が「憎々しいほどに強い」と言われた時代が嘘みたいで。

ボクシングにしても、子供の頃の方がもっと迫力があった様に感じるのは、こちらが歳をしてあまり鋭敏に感じなくなっているからなのかしら。

少なくとも、視聴率で低迷しているTV局にとっては、TV的に面白い画面が沢山取れそうな亀田興毅が勝ってくれて嬉しかっただろうなとクールに思ってしまう。

どちらかを積極的に応援するというよりも、息子が一生懸命見ているので、つきあいで見ていただけなのですが、やはり昔よりも日本人は豊かになっただけに、ギラギラした闘志みたいなのが、画面の向こうから伝わって来るコトは、あまり無くなってしまったみたいですね。

相撲も他国から来た人々が、土俵で大暴れしているし、最早、国技というよりも、「日本で一番開国している労働市場」なのかもと思ってしまいます。  
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2009年11月28日

民衆のタメの国か、国のタメの民衆か

お気に入りの作家の一人である真保裕一さんの作品と知って、読み出したのはアメリカにおける日系人が、第二次世界大戦の時にどう生きたかという長編小説。

栄光なき凱旋 上栄光なき凱旋 上


自分たちの祖国はアメリカだと思っていても、敵として扱われる二世達のもがく姿に心が打たれる。

アメリカ人であることを証明するために、あるいは自分達を捨てた日本に対する憎しみが、兵士として参戦するしかナイ状況に追い込まれる物語なのですが‥‥

その中で、戦争に対しての象徴的な言葉がこちら。
国を守るために立ち上がれ。勇ましく呼びかける連中が、実際に戦場へ出ることなんかありっこない。
これこそが、戦争の真実なのでしょう。

全てが、国の利権絡みの発想で始まり、結局、力が強いものが勝つ。しかも、戦争の最前線に立つのは、マイノリティの人々。彼等は、自分達が社会に虐げられても、その社会で生き残るタメには、どうしても自分達の血を前線で流す必要がある。

移民は棄民だったのかもしれないと思いつつも、自分達の産まれた国と自分達の祖先の国との対立に巻き込まれ、その中でしか生きられない人々の苦悩を描ききった作品です。

「国のタメ」という言葉が、声高に叫ばれる時ほど、騙されないように我々は気を付けなければならないと改めて思わせてくれる小説でした。  
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2009年11月27日

何度バブルと破裂が繰り返されるのか

世界中で、額に汗して働くよりも、金融商品を的確に運用する方が莫大に儲けられる時代になって、かなりの時が経ったけれども、去年がリーマン・ショックで、今年はドバイショックだという。

そして、多くのしわ寄せは各国の一般人に訪れる。

バブルで何かを手にした人々が、ソレを失うのであれば、いわゆる自業自得だったりもするのだが、バブルの時代もホトンドその恩恵にあずからなかった普通の人々が職を失ったりするのでは、本末転倒だと思う。

社会主義とか、共産主義というのも、人間が善人であるならば成功すると思うのだが、やはり人間には「善なる部分も存在すれば、悪なる部分も存在する」ワケで。

資本主義と共産主義、そして社会主義の良い部分だけを取り入れた新しい社会を構築するべき時が来ているのではないかと思う。

地球環境もボロボロになって、社会環境もボロボロになってしまったら、人類の行き着く先は滅亡だけになってしまう。

それを防止するタメには、やはり犠牲になる一般人こそが社会に対してある程度の意見を述べるべきだと思う。

最低でも投票に行くとか、役所などに苦情だの、建設的意見を述べるとか、方法は様々だと思うのだが、黙っていては困っているコトが伝わらない。

全てが崩壊する前に、やはり一人一人が何とかしようとしなければ、全てが悪い方へ流れてしまうだけだと思う。

バブルを発生させたり、破裂させたりする方が、時流に乗れば一攫千金を手にしやすい。

でも、そうやって儲けるコトばかり礼賛する世の中には、未来がナイことをもう少し皆が認識すべきだと思う。

足るコトを知らなければ、人間の欲望など限りがナイのだから‥‥  
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2009年11月26日

産まれた命を救わなくては

さまざまな事情で親が育てられない赤ちゃんを匿名で預かる熊本市の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」の実態を分析したら、二年四カ月で全国から当初の想定を上回る計51人の乳幼児が預けられていたという。

「ゆりかご」の匿名性については「顔の見える相談手続きを忌避させ、倫理観の劣化が懸念される状況も見られた」などと懸念がある
というのだが、つい最近神奈川県の河川敷で、バッグに入った乳児二人の遺体が発見された事件を思うと、何より失われかねない命が助かったコトを喜ぶべきだと思う。

確かに、倫理観が欠落しているのは問題かもしれないが、そういう親に育てられて虐待されたり、殺されたりする位ならば、匿名ゆえに預けられるという人も存在する以上、多くの場所でこうした取り組みがなされるべきだと思う。

「親だから、自分の子供を愛するべきだ」などという性善説的な前提を大事にして、みすみす助かる命を失うコトの方が社会にとって損失だと思う。

しかも、虐待によって、白紙の心に傷を付けられる位ならば、世の中には子供が欲しくても手にするコトが出来ずに困っている夫婦も存在するのだから、白紙の状態から預けた方がお互いに幸せではないだろうか。

モラルの欠落した人間に、変な期待をするよりも、もっと現実的な対応をすべきである。

理想を追う余り、現実に犠牲になる子供が生まれない様に、もう少し現実的な対応を期待する。  
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2009年11月25日

とても真似は出来ないけれど

立派だなぁと感心してしまいます。娘の代わりにその母親が孫を代理出産したという話は、長野県内では諏訪マタニティークリニックが有名なので知ってましたが、本日、顔を出して事実を公表されたので、孫を産んだ方の年齢が判ったから。

タダ、この問題は、無事にお孫さんが産まれたので良かったのですが、そうでナイ場合も存在すると思うので、当事者の方々がそうしたリスクを含めて、心から望んでらっしゃるのであれば、他人が口出しするコトではナイと思いますが、同じ様な場合に心理的に強制される様であれば、逆に困ってしまうでしょうね。

なので、この方法が正しいと言い切れるかというと、そうもいかないでしょうし‥‥

ともあれ、海堂尊さんの「ジーン・ワルツ」もこの話に影響されて書かれた部分もあると思いますが、やはり出産というのは、リスクもあるワケで。

望んだ通りに、孫を手に入れられた方は、かなり幸運な方だろうと思います。

自分では、二人とも安産というワケでは無かったので、とてもその方みたいな真似は出来ないと思ってしまうし‥‥

とは言っても、子供というのは、人生の中で本当に宝物。大変なコトも多いけれど、それこそ寄る年波を思うと、これから老人への坂を下るだけなので、これから大人になろうとしている子供達を見ていると、楽しみな未来があるというのは本当に素晴らしいコトだなと思います。

なので、こうしたコトを無理に推進すべきとも思いませんが、どうしてもやりたいと考える方々の気持ちが一致しているのであれば御自由にとは思います。

やはり、医療問題も万人に合うかどうかよりも、個人で判断する時代になって来ているのではないでしょうか。

リスクを取ってでも産みたいと考える方も、リスクを考えて産まないという選択をする方も、其々が周囲から受け入れられる社会になって欲しいと思います。  
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2009年11月24日

「うそつき病」がはびこる国

アメリカに起きたコトは、何年か後に日本にも起こると言われて久しいが、思わず手にしてしまったこの本を読むと、本当にそうだなと思ってしまう。

「うそつき病」がはびこるアメリカ「うそつき病」がはびこるアメリカ


いまやアメリカではあらゆる人がうそをつき、ズルをしている。罪悪感はほとんどない。理由はただ「みんながやってるから」と。

そうしないと生き残れない極端な競争社会になってしまったと書かれているのだが、おそらく今の日本だってそうだと思う。

例えば、鳩山首相や小沢幹事長の金銭的な問題を、我々国民は『やはり民主党も自民党と同じか』という感じで受け止めていて、自民党などが大騒ぎしても、「目くそ鼻くそを笑う」という感覚になってしまう。

本来ならば、大問題なのだけれど、日本政界の闇は昔から延々と続いているのだし‥‥

不正が急増した理由について、「競争が激しいゆえに、道徳心を家に忘れていきたい気分になる」、「勝つために手段を選ばなくなってきた」、「勝ち組は不正を働いても罰せられない世の中になってきた」、「社会制度は一般人に不利になっていて、人生のルールが公平だと信じられなくなっている」からだという。

例えば、給与制よりも歩合制が高まっているタクシーでは、毎日より多くの客を乗せては降ろす必要性が高まるので、以前よりスピードを出し、信号を無視するようになるとか、自動車修理工場にノルマが課せられ、クビになる可能性があり、一生懸命稼いだら特別報奨金が出ると言われると、不必要な修理を必要だと客に伝えたり、簡単な整備で直るのに、部品の交換が必要だと告げたりしてしまうと言うのだ‥‥

損得にこだわる結果、不正がはびこり、ルールに従う人びとの高潔さがむしばまれてしまう、そして、それに対する答えが「みんなやっている」だとしたら、とても悲しい国になる。

誠実さを捨て、不正をあおる規制緩和、競争と収益へのこだわりが、価値観や規範を粉砕しているというのだ。

患者の健康よりも自分の利益を優先する医師、違法な薬物を使用してでも結果を残そうとするプロスポーツ選手、記事を捏造する記者、それはアメリカだけに存在し、日本には皆無だと言えるだろうか。

手段を選ばず、ひたすら「結果」だけを追い求め、行き着いた先は本当の豊かさなのだろうか。

タダ、そんな甘い考えをしているからリッチになれないのだと、大金持ちからは馬鹿にされそうな気もするが‥‥  
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2009年11月23日

マイケルの雄姿を堪能

させて頂きました。本当に「キング」の称号に相応しい歌唱力とダンス。亡くなられたコトが、信じられない感じです。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT

世代的に一緒なので、この歳になってもパーフェクトを目指して生きていたマイケル・ジャクソンの凄さを実感します。

あんなにハードに動いてたら、アドレナリン出まくりの興奮状態の時はともかく、痛みなどで不眠症になったのも頷ける気がしました。

プレスリーとかも劇的な最期を迎えましたが、マイケルも完全燃焼したのだろうなという気がします。

ライブに対する熱意がヒシヒシと伝わって来ますし、周囲を固めるギターもドラムもダンサーも、その全てがマイケルを愛していて、彼のタメに全身全霊で素晴らしいステージを創り出そうと、一丸になって頑張っていたのだなと、心打たれました。

ラスト・メッセージは「地球を癒そう」というものでしたが、『本当は自分が癒されたかっただろうに、他者に対する心配りも絶妙で、あれでは疲れてしまうだろうな』と見ていて気の毒な感じでした。

長命な人の多くは、「ゴーイング・マイウェイ」と言えば聞こえはイイですが、どちらかというと「自分の主張を押し通す」という部分もあるので、短命だったのも無理ナイかと変に納得させられてしまいました。

ソレにしても、本当に惜しい才能を世界は失ってしまったのだと改めて痛感しました。

時間がナクて、やっと見れたのですが、時間さえ許せば何度でも繰り返して見たいというか、聴きたい映画です。

安らかに天国で眠っていらっしゃるとは思いますが、欲を言えばもう少しだけでイイから長生きして欲しかった。心から合掌。  
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2009年11月22日

未成年の犯罪を考える

被害者の加害者に対する感情は等しくても、加害者が未成年の場合は、特別な処罰対象なるので、被害者にとって全く納得出来ない場合も多いと思います。

悪党悪党


こちらは、そうした人に対する探偵という職業があった場合を描いた短編小説集なのですが、最近、沖縄で中学2年生が同学年の男子生徒8人から集団暴行され死亡した事件なども現実に起きているので、おそらくこれからもこうした問題に対する様々な書物は書かれると思われます。

加害者が反省したとしても、被害者は生きて帰るワケでもナク、しかも、反省すらしなかったとしたらというコトを問い掛けているのですが‥‥

同じ沖縄県うるま市で、別の中学校の2年生k女子生徒が、同じ学校の3年生女子6人ら計9人から集団暴行を受け、約1か月の重傷を負っていたことが約一週間してから判明したそうだが、死亡事件も学校としていじめを認識していたことを認めたらしい。要するに、危険性を認識していながら、手を打てないという学校側の対応に、問題があるのではないかと思われる。

ともあれ、亡くなってしまってからでは、どうしようもナイのだから、「命の大切さを教える」みたいな対応だけでナク、もっと実効性のある対応が学校教育には望まれているのだと思う。

今回の場合は、いわゆる「いきなり型」ではナイので、未然に防げた可能性も高いというコトを思うと、遺族の無念な気持ちはさぞや募っているであろう。

そうした被害者家族に、「心の救済」は簡単には訪れないと思うが、我々も上記の本などを読んで、「繰り返される過ち」に対して、どう対処すべきかという思いを共有して「様々な対応を検討すべき」なのではないだろうか。

厳罰主義でも無くせない犯罪だと思うので、もう少し被害者に対するケアを重点にした施策が必要になると思うのだけれど‥‥  
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2009年11月21日

会社は正規雇用を

昨日のコメント返しにも書きましたが、「好きでフリーになっている人」はある程度「自己責任」という部分もあると思いますが、株式の配当が出せる会社なのに、従業員を不当に安く雇用し、正規雇用しないというのは問題だろうと思います。

ソレを告発した本が、

偽装請負―格差社会の労働現場 (朝日新書 43)偽装請負―格差社会の労働現場 (朝日新書 43)

こちらなのですが、要するに、口では綺麗ゴトを言っても、現実はという見本だろうと思っています。

キヤノン、松下電器産業など超一流企業までもが、違法行為をしているのですから、「ゆとり教育」を推進して、個人個人に合った働き方を、などと言っても現実は厳しいのではという感想を抱いてしまったワケです。

少し前から、連続して読んで頂いていると、何故、閑話休題的な挟み込みがあったのかというコトを理解して頂けると思いますが。

キヤノンという会社は、経団連のトップであり、経済財政諮問会議の一員として、雇用や経済政策に影響力を持っていながら、偽装請負や派遣法違反をしていながら、「違法行為が合法になるように何とかして欲しい」と働きかけるといのは、本末転倒なワケで、それを指摘した民主党が現在、政権に付き、ソレをかばった安倍首相が国民から見限られたのは、当然のなりゆきだったのでしょう。

とはいえ、こうした雇用問題は、昨今の不況と相まって改善の方向に動き出したかと言えば、必ずしもそうではナイと思います。

理想と現実の違いと言ってしまえば、ソレまでなのですが、やっぱり数少ないお金持ちの座を巡って争うよりも、皆で仕事を分け合ってソコソコのレベルで暮らすという選択があっても良いと思います。

いわゆる、新自由主義の方々は、エリートが世の中を引っ張るから、皆が幸せになれるという幻想を振り撒きましたが、そんなコトはあり得ません。

エリートが、下々をこき使って、労働者の儲けをピンハネして儲けたがるのが、新自由主義の行き着く先だというコトが、既にハッキリしてしまったからです。

少なくとも、望むならば誰でもが人間的に暮らせる社会を目指すコトこそが、社会の成熟だと思います。昔の封建時代みたいに、殿様が楽に暮らす社会に舞い戻る様なコトが許されてはイケナイと思います。

「金は天下の回りもの」なんですから。  
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2009年11月20日

フリーな人生を選ぶ人も

昨日、「ゆとり教育には反対ではナイ」と書きましたが、自ら生き方を選べるのであれば、それは良いコトだと思っているからで、事実、自分でもかなり気に入った仕事をして、ハードなので一日の仕事を制限して出来るという意味で、「ゆとり」を持って仕事をしてますから、自由な生き方の選択というのは悪くはナイと思っているからです。

タダ、誰しもそういう生き方が出来るワケではナイというコトもあり、理想と現実は違うというコトを書きたかったのですが、本日読んだ江戸川乱歩賞の受賞作品の著者で、確実な人生を生きたく無かったので、大学も中退し、仕事もドロップ・アウトして、作家になる道を選んだと書いている人が居たので、ソレはソレでスゴイことだと思ってます。

沈底魚沈底魚

ミステリーというよりは、政治や警察の裏側のドロドロした部分を知る一冊という意味で、とても面白い本でした。

内閣官房機密費は相手先を明かせないと言ってますが、推測すると、日本を世界に売り込むロビイストの方々に、ある程度の報酬は流れているのではないかと思いますし。

ともあれ、世界各国が様々な国に対して。ある種のスパイだったり、世論形成要員を派遣しているのは、ホボ常識ですから、全てオープンに出来ないコトは、あるだろうとは思ってますが、要するに、政府が信頼足るかどうかというコトもあるでしょうね。

民主党がオープンにすると言ってたのに、しないと騒いでたら、自民党は敗北後に巨額の機密費を支出していたとバラされてしまいましたし、政権を握っている方がやはり様々な工作がしやすいのだと、政権交代をしたコトで、様々な問題が明るみに出るのは悪いコトではナイかもしれません。

ともあれ、自民党よりマシだとは思うものの、そんなに民主党に入れ込んでいるワケでもありませんが‥‥

世の中には、裏があったり、裏の裏もあったりするというコトを知っておけば、あまり何かを絶対的に信用する気にはナラナイものです。

そういう意味では、こうした現実的なミステリーは、手軽に世の中を知るコトが出来る道しるべなのかもしれません。  
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2009年11月19日

「ゆとり教育」の推進者は語る

本人の気持ちが純粋でも、それを悪用しようとする人々は大勢存在するのだなというのが、こちらの本の感想です。

さらば ゆとり教育   A Farewell to Free Education (光文社ペーパーバックス)さらば ゆとり教育 A Farewell to Free Education (光文社ペーパーバックス)


タダ、フリーターになってしまっても、「自由度で補填できる範囲の賃金格差にし、老後や病床時の最低限保障ががあれば‥‥自由な働き方をしようという人は、今後もふえるのではないか」と去年出した本に、書いてあるのを考えると、イマイチ現実的ではナイ話だなと思ってしまう。

何だか、昨日に引き続いて貶してますが、どうも教育関係者というのは、「理想と現実」とのギャップの狭間を埋めて行く作業が、上手ではナイ人が多いみたいで、「ユートピア」に暮らせるならば正論でも、現実にはというコトは多々あり。

なので、神輿を担がされ、挙句に神輿に祭り上げられ、最後には神輿と共に捨てられてしまったのだなとは思います。

「ゆとり教育」には別に反対ではありませんが、世の中にはソレを利用して、一儲けしようとしている私学とか、塾とかも存在しているのであって、結局、それらに上手く利用されてしまった様な。

ともあれ、こうした話を読んでいると、世の中の裏側が判るという意味では、本当にタメになります。

バブルの反省を銀行はすべきという正論もあるのですが、正論とは違うのが世の中なんだよなと、ちょっと厭世的になってしまうかも。  
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2009年11月18日

正に『教育は崩壊してるかも』と思う本

引き続き労働関係の本を何冊か読んだのだが、別にソレだけに固執して書いているワケでもナイので、同じ話が続くよりも、時には閑話休題的な話もしたいので、こちらの本の話を。

過酷な労働状態の話を読んでいると、逆に何と先生というのは恵まれた生活なのかというか、クレーム慣れしてないのだなと思ってしまう。

学校のモンスター (中公新書ラクレ)学校のモンスター (中公新書ラクレ)


確かに、非常識な親は存在するのだが、そんなクレームごときに参ってしまう様な教師であれば、辞めるのは当然という気がしてしまう。

世の中には、非常識なクレマーなど星の数ほども存在する。

一々、それに立腹するよりも、民間会社のクレーム処理の方々を見習って、旨くサバいてしまった方が効率的なのにと思ってしまう。

要するに、教師の威厳に逆らわない生徒が多かった時代を知っている方々は、どうも対応が変なのではないだろうか。

気に入らない先生の授業をボイコットしたいと親に言ったら、親が「そんな単位など落として、別の選択科目で取ればイイ」と言ったので、授業を無視した生徒が居たというのだが、学校の秩序として見逃せないと学校側が指導したら、変な先生を指導しなければ、指導は受けたくないと言われたそうだが、不思議なのは、親子揃って『単位が取れなくても良い』と考えているのであれば、その授業に対して出席を求めずに、別の選択科目を来年取らせれば良いのではないかと思うコトだ。

そのタメに、留年になろうと本人達が望んでやったコトの結果なのだから、結果も引き受けて貰うコトは当然の話で、毅然とした態度が出来ない学校の方が不思議。

単なるクレーム処理のミスをあえて問題視するほどのモノかという出来事が多い本である。

水谷修氏のやり方に対しても批判しているのだが、教育の仕方というモノは画一的ではナイので、他人のやり方をあげつらうのは、御本人の方が「いちゃもんをつけている」と思われても仕方ナイことではないかと思ってしまう。

ココまで読んで損をしたと思わせてくれる本は、久し振りである。そういう本は無視するのが、今までの対応なのだが、あまりに限界を超えていたので、御当人が読むとも思えないが、書いておくコトにする。

世の中に変わった人は存在するものだが、その人達を自分の物差しで測ろうとするのは、完璧に間違いだと教えてくれたという意味に於いては、読んだ甲斐があったのかもしれないが‥‥  
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2009年11月17日

ダンピングされる労働者

それにしても、どうしてこんなに「格差社会」になってしまったのだろうかというコトを、労働者の賃金がダンピングされ続けているからだと明確にした一冊。

労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)


何となく、そうなんだろうなというコトが、すっきり整理して書かれているので、とても理解しやすい。

簡単に言えば、正社員をなるべく非正規雇用にする。それに伴って、賃金を安くして働かせ、非正規社員を使用するコトで、より正社員を圧迫してリストラをしたりして、ドンドン非正規雇用を進める。

そして、残った正社員にはサービス残業をさせたり、ノルマを課して時間外に働かずにはいられなくし、ノルマを達成出来なければ、ボーナスをカットするなどして、結果的に正社員と言っても、給料を時間給にすれば、通常より安くさせてしまうワケだ。

加えて、タクシーやトラック業界の規制緩和によって、台数が増え、乗務員が増えたとしても、需要が増加するワケではナイ。ゆえに、競争により低賃金化がもたらされるというワケだ。

就業規則を改正して、正社員であるコトのハードルを上げ、パートに格下げし、要望の多い従業員を解雇するコトも横行しているそうだ。

「承諾しなければ解雇」という武器を手に、労働条件を不利益に変更させる会社側に対して、裁判所もどちらかというと、企業寄りの判決を出すので、ダンピングは進められるのだという。

要するに、コスト・カット至上主義に走る会社に、労働者はホトンドなすすべもナク、賃金カットされ続けて、今の「格差社会」が出来あがったというコトらしい。

派遣料金は、「人件費」ではナク、「物件費」として管理され、労働が商品化された結果、下手すると必死で働いても、生活保護よりも少ない手取りしかナイ生活を押しつけられて来ているのだそうだ。

しかし、この本にも書かれているが、どんなに賃金をカット出来たとしても、その結果として貧困層が拡大して、その層に対して「福祉としての税金」が投入されるのであれば、結局、社会にとってはマイナスになってしまう場合も多い。

やはり、「金は天下の回りもの」なのだから、より多くの人々に、少しづつで良いから余剰資金を手にさせて、世の中の景気のかさ上げをするという方が、社会として健全なのだと思う。

労働力の値崩れで、全ての国民が疲弊してしまわないタメにも。  
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2009年11月16日

暴力飯場という現実

昨日の映画は映画として、現実的にはほんの一握りだけが自由になれるという現実では困るなと思いつつ、この本を読んだら「暴力飯場」についての詳細が書かれていた。

派遣村 国を動かした6日間派遣村 国を動かした6日間


そのダマしの手口とは、「給与は三〇万円で二ヵ月、建設現場で働いてみないか」と声を掛けられ、誘いに乗って群馬県の山中に行くと、プレハブの宿舎で、布団代、毛布代、食事代、家賃で一日に一万三〇〇〇円が日給から引かれるシステムになっているそうだ。

しかも、最初の内は仕事が割り振られず、待機の日が多く、日々引かれる生活費によって、あっという間に借金が出来て、借金返済のために飯場への滞在が長くなり、一月や二月では帰れなくなる。借金が増え始めてから、初めて仕事が入るのだそうだ。しかも、山奥なのを良いことに、缶ビールの小さいのが一本五〇〇円、タバコも一箱五〇〇円以上。仕事を割り振られずに日々を送っていると、一〇万、二〇万円の借金がすぐ出来る。途中で脱走を試みて失敗し、リンチにあう若者も居るという。

現実は、小説より奇なりとは言うものの、本当に悪いコトを考える人は、浜の真砂が尽きるとも無くなるコトはナイ様だ。

ともあれ、今年、政権交代が可能になったのは、「年越し派遣村」みたいなコトが在って、「格差問題が日本に存在する」という事実をビジュアルに日本人が感じとったからかもしれないとすら思う。

ダマされた人が悪いという社会が続く限り、人間、真面目に生きるのが馬鹿らしくなってしまう。

今年の年末は、「派遣村」が無くても生きられる社会になっているだろうか。そろそろ、年末が近づいて来る。

政権が代わって良かったのかどうかの、最初のハードルが見え出したのかもしれないと思った。  
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2009年11月15日

映画「カイジ」を見て来ました

新自由主義を描いたと、巷で評判の映画を息子と見て来ました。

『カイジ 人生逆転ゲーム』公式ビジュアルBOOK『カイジ 人生逆転ゲーム』公式ビジュアルBOOK


原作の漫画は読んだコトがナイけれど、息子は今度ブック・オフあたりで読んでみようかなと言ってました。

展開もハラハラドキドキでしたが、中でもラストが示唆的でとても良かったかと。

新堂冬樹さんの貸金業会モノを人生の参考書として読んでいるので、映画の世界もある程度は、現実にもありえそうですけどね。

タダ、貸金業界も法定利息厳守という社会になってますから、最近のテレビのCMはそうした法律関係の会社のモノが多く、アイフルも再生法を適用したみたいですし、要するに、世の中の仕組みを良く知らない人ばかりが、搾り取られる世の中であるコトは間違いナイでしょうね。

ともあれ、お金で幸せが買えるワケではナイけれど、全くの無一文では幸福とは言い難いのが現実で。

やはり、生きるに困らない程度のお金を得て、それを散財しない生活を送るに限りますね。

なんか、当たり前過ぎる結論ですが、性格的に地道に生きる方が性に合っているので。

世の中、良い人ばかりではナイというコトを息子に教えてくれたと思うので、それが何よりの収穫だったかもしれません。  
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2009年11月14日

肩書よりも、人生の深み

昨日の「罪と罰」について、事件の部分を別にして、人間の深みというのは、下手な知識などよりも、経験が裏打ちしたコトの方がズッと人間の身に付くものだなというコトを思ったので、付記するコトにします。

いわゆる一般人が、事件に巻き込まれたので有名人になってしまっただけと謙遜しつつ、一生懸命自分の置かれた状況に対して、理解を深めようと読書などを通して、理解を深めようとしている方と、いわゆるジャーナリストとして名を上げた方々との、人間性の違いが読み取れるという意味でも、貴重な本なのかもしれません。
人の世は難しいものです。しかし、これが人の世の本質だと思います。この住みにくさが人を成長させるのだと思います。

とあとがきに、漱石の『草枕』を引用しつつ書かれてますが、人間というのは、本当に肩書よりも、人間性なのだなと思います。

あまり個人攻撃をしたくナイので、あえて主語を控えて書いてますが‥‥

肩書に酔って、他人を見下した発言をしている人と、実生活での地道な仕事を続けつつ、自分の悲劇に酔うコトも無く、誠実に生きている人との対比は、人生というモノを見事に映し出しています。

犯罪を考えると共に、肩書などに捉われずに、個人の発言の軽重を考えるべきだと思わせてくれるだけの名著であったというコトを、改めて付け加えておきたいと思いました。  
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2009年11月13日

処罰の原理は明確にした方が良い

さて、昨日の話と少し被りますが、本日はこちらの本も読んでみました。

罪と罰罪と罰


昨日読み掛けだった、「犯罪被害者と少年法」を先に読み終えたのですが、厳罰主義とか、そういうコトではナク、要するに遺族としては、まずは殺された人が再び戻って来るというのが、当然ながら一番望んでいるコトであり、でも、絶対にそれは無理なので、次に欲しいのは加害者からの心からの反省であるというコトに尽きると思います。

であればこそ、幾ら犯人の成育歴とかに問題があったにせよ、『だから、許される』といった間違ったメツセージを犯人に与えないタメにも、罪は罪であるという大前提を忘れてはいけないのではないかと思います。

弁護するのが、弁護士の努めであっても、刑法三十九条の問題などを持ち出すと、より問題が煩雑になるので、前から書いてますが、シンプルにまず犯した罪の問題を鮮明にするコトから、始めるべきではないかと。

精神病とか、成育歴とかは、情状酌量にはなっても、罪を犯したというコトは消えないと思うので。

それと、何か問題が起こると、特定の犯罪に「死刑が是か非か」という問題が出て来るのも困りモノだと思います。

「絶対的終身刑」が、「死刑」より重いのか軽いのかという問題も含めて、ちゃんと議論されるべき問題なのだと思いますが、時々、世論を賑わせてはそのままというパターンが変なのではないかと。

「悪法も法なり」ですから、「死刑」を悪法と思うのであれば、改正が必要だし、不必要ではナイと思うのであれば、「死刑」は当然選択肢に入るワケで。

もっと、問題をシンプルに分けて、もっと国民レベルで話し合うべき問題なのですが、どうもこうした問題は、個別問題としては語られても、「改正」といった方向にはならないのが不思議なのですが、「死刑を廃止すべきかどうか」という問題を、是であれ、非であれ、一度話合った方がスッキリする問題だと思います。

それにしても、人間は自分の立場からしか物事を見れないものだというコトをつくづくと感じました。

ともあれ、上の本の中で、本村さん以外の二人が、昔、左寄りだったから、左の人々の思考方法は判る的な発言をしているのには、「転向した人ほど世の中の人が理解出来る」という帰結にはナラナイと思うので、その部分の論調は、ちょっと破綻している様に思います。

乱読すると、世の中の人々の考え方が如何にバラバラなのかに気付かされてます。それでこそ、自由な世の中というコトなんでしょうけど。  
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2009年11月12日

何時まで親の責任なのか?

リンゼイさん事件の市橋容疑者の両親へのインタビューがTVで流れたりするので、「男の子が居ると将来犯罪者にならないか、とても心配だ」という声を、男の子を持つ親はよく口にされる。

こちらも男の子の親ではあるが、「もしかしたら、子育てが間違っていた可能性もあるかもしれないけれど、だとしても三十歳になった子供のコトまで、全部親の責任なのかと、どうしても思ってしまう」と答えてしまう。

イラク戦争の時に一時拘束されたフリー・ジャーナリストの安田純平さんの本を二冊続けて読んでみたが、その方の本の中にも、何かあると親に対する圧迫が掛かる日本社会について書かれていたのだが、全く同感である。

誰が私を「人質」にしたのか―イラク戦争の現場とメディアの虚構誰が私を「人質」にしたのか―イラク戦争の現場とメディアの虚構


囚われのイラク―混迷の「戦後復興」囚われのイラク―混迷の「戦後復興」


特に、命を張って真実を伝えたいとするのがジャーナリストなのに、「自己責任論」を叫ぶ会社の新聞記者が「息子さんをイラクに行かせた親の責任をどう考えているんですか!」と詰問したのと、類似している。

余程リンゼイさんの御両親の方が紳士的で、「私たちは娘を失った。でも市橋容疑者のご両親も息子を失ったといえるのです。われわれはともに事件の犠牲者」と語ったそうだ。

まだ読み始めたばかりだが、「犯罪被害者と少年法」の主張の中に、少年法は加害少年を「親や社会の教育の失敗による被害者」として位置付ける為に、犯罪行為自体に対する非難が弱まってしまっているとある。

子供のやったコトの責任を、幾つになっても親の連帯責任とするコトで、行為した子供の自己責任を薄めてナイだろうか。

確かに、育てたのは親なのだから、幾ばくかの責任は存在するかもしれないが、それは親自身が考えればイイことであって、正しくジャーナリストとしての責任を全うした人の親にまで、責任を持ち出すという日本社会は変だと思う。

日本人は、「個性がナイ」とか、「親離れ子離れが下手」だと言われるが、それを許さない社会だから、結果としてそうなっているという側面もあるんじゃないかと思わされた、一連の出来事でした。  
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2009年11月11日

結婚して養ってもらいたいなんて

思っている人が多いから、結婚が出来ないのだという話にちょっとビックリ。「普通の結婚」=専業主婦という感覚の人がとても多いみたいで。

確かに、バリバリ稼ぐ夫を持った方が、人生楽には暮らせるのかもしれないけれど、それでは「子育てがいきがい」とかになってしまうので、子供が独立したらどうするんだろうとか考えてしまう。

やはり、人間としてこの世に産まれて来たからには、「あなたが生きていてくれて嬉しい」とまでは言わなくても、「存在していて良かった」的な思いを、他者からも受けたり、自分でもそう思えた方が、人生は充実しているのではナイだろうか。

結婚というのは、男と女が共同して家庭を築くのだから、どちらかの収入をあてにして生きるよりも、互いの収入を合算して生きる生活設計の方が安全だと思うのだが。

ちなみに、どんなに高収入の男と結婚したとしても、早死にする可能性もある(多額の保険金さえ掛けておけば大丈夫かもしれないが)し、障害者になって働けなくなるとか、リストラされたり、勤めていた会社が倒産するとか、様々なリスクは当然あるワケで。

もしかしたら、有責配偶者からの離婚の申し出なんかもあったりするかもしれない(日本ではそんなに多額の慰謝料など滅多に貰えるハズもない)し、なんて考えたら逆にいわゆる「普通の結婚」なるモノは、とても怖い気がするのだけれど。

親の家から仕事に通って、給料を全部「お小遣い」に使うという生き方をしていたら、確かにナカナカ親みたいに裕福な相手は見つからナイと思うけれど、独身で自宅通勤していたら、貯金なんてその気になればバンバン出来る。

そうしたお金さえあれば、結婚しても相手がお金を持っているかどうかなんて、あまり関係無くて、普通に働いている人であれば、子供を産み育てたりする間、フルタイムで働けなかったとしても、足りない部分を貯金で補ったりすれば、別に相手の収入に過大の期待などしなくても生活は可能。

そういう目で、相手を探せば「結婚相手」など沢山存在すると思うのだけれど。

どうも、結婚相手を探して欲しいと頼まれるものの、どうしても望む相手に対する要望の多さに辟易しているからか、「自分が完璧ではナイのに、相手にそんなに望んでも無理」という人が多いから、結婚出来ない人は増えているのだと思うけれど‥‥

何時までも、「幸福は自分の手で作り出すのではナクて、誰かに与えられるもの」だと思っている様な、自立しない考え方をして結婚をするのであれば、結婚しても子供のままで生きているに過ぎない。

ともあれ、親からの援助をあてにして生きている人も居るみたいなので、別にソレで暮らせるのであれば、他人の生活に異議を唱えるつもりもナイけれど、「普通の結婚」みたいに、「普通」というのが、世の中一番難しいコトで、世の中の人間は一人一人が別人なのだから、結婚の形も「普通」と違っても、全然構わないと思うのだけれど‥‥  
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2009年11月10日

こんなコトなら毎日TVで‥‥

犯人とは判ってはいるけれど、逃走している人達の顔を毎日日替わりで放送すればイイのにと思ってしまう。

英会話学校講師のリンゼイさんの死体遺棄容疑で指名手配されていた市橋達也容疑者を大阪市住之江区の大阪・南港で身柄を確保、同容疑で逮捕したというニュースは喜ばしいけれど、ここしばらくのTVでの大騒ぎが無かったら、こんなに早く捕まえられたかどうか。

ともあれ、逃げている殺人犯などは、かなりの数になる。TVのワイドショーなどで、起きたばかりの犯人像をあれこれ騒いでも、それで捕まるというワケではあるまいし。加えて、解決した事件をあれこれ詮索したとて、それ以上新たな犯人が見つかるワケでもナイ。

今回、どうして美容整形が可能だったのかなんて大騒ぎしていたが、大体、全ての未解決事件の犯人の顔を、美容整形の人々が覚えているハズもなかろうに。

そもそも、福田和子の事件だって犯人は整形していたのだから、警察が本気で犯人を逮捕したいのであれば、全ての犯人が顔を変える可能性はあるのだから、日本全国の美容整形の受付に、捕まってナイ犯人の顔写真を全部配布すべきではなかろうか。

大体、整形手術をしたかもしれないという情報が流れたからこそ、逮捕につながったのであって、そういう意味では、「手術したかもしれない」という情報は、貴重な情報だったと思う。

ともあれ、毎日毎日、TVで衝撃的な事件を面白可笑しく報道して、視聴率を稼ぎたいなどと思うよりも、未解決事件の犯人の顔を、より多くTVで流して犯人逮捕に繋げた方が、余程メディアとしての公共性は高いというべきだろう。

今回の事件は、殺された女性が英国人だったので、国家の威信を掛けて何としてでも逮捕という部分もあったと思うが、殺された人の命は、等しく尊いもの。

犯人まで辿りつけずに時効というのも悔しいコトだが、犯人が特定されているのに捕まらないで時効では、遺族は泣いても泣ききれないのではないか。

今回、市橋容疑者が捕まったコトは喜ばしいが、こうした成功例の積み重ねこそが、犯罪の抑止力になるハズだ。

成功する人は、成功例に学ぶものだと言う。ならばこそ、この逮捕を参考に、もう少し未解決事件を解決する方向に、世の中は動くべきなんじゃないかと思ってしまう。  
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2009年11月09日

季節の変わり目は死が招く

俗に「草枯れ、草萌えの時期は注意が必要」だと言うが、本日は主人の友人から年賀欠礼のハガキが‥‥今年、二通目なので、『いよいよ親が亡くなる時期が我々に、押し寄せて来たな』と思って、ヨク見たら何と友達の奥さんが亡くなられたと書かれていた。それも、つい二週間ホド前に。

一応、新聞の「おくやみ欄」は欠かさずにチェックしているハズなのだがと思って、古新聞を改めて調べてみると、ワタシと同じ歳で亡くなられていた。

主人も、そのハガキを見て大ショック。

おそらく、その時は市長選の結果に大激怒していたから、見落としてしまったのだと思われ。

『同年代の人が亡くなっているのだなぁ』とは思っても、いわゆる他人事だと思い込んでたので、知っている人が亡くなるというコトに対する、覚悟が少なかったのかもしれず。

これからは、もう少し入念に「おくやみ欄」を読まなくてはならないかと思うと、少し憂鬱な気分。

数年前に、中学の同級生が亡くなったコトもあるので、そういうコトはあるとは思ってたのだが、やはり心のドコかで、まだ死は遠いものとして受け止めていたのかも。

昨日も、違う方の御葬式に参列したのだが、この時期は体調が悪くなりやすい季節。仕事もハードになるけれど、やはり自己管理は欠かせない。

マイケル・ジャクソンの遺作となった映画も、本当なら昨日見に行こうと思っていたのだが、結局、時間は作れず仕舞いになってしまった。

それでも、やはり欲望はセーブしてでも、体調管理を優先するしかナイのかも。死の足音が、徐々にでも確実に近付いて来ているというコトに改めて気付いてしまった一日でした。  
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2009年11月08日

自分とは違う意見を聞いてみる

というコトこそが、自分の世界を広げる方法だと思うので、自分とは全く違う人の話を読んだりするのですが、この本を読むと、自分の意見に固執して、あまり他人の話を聞かないで憂さを晴らすというコトが、ネット社会でままあるみたいですね。

ネット社会というのは、匿名性があるから、有益な話が聞けるばあいもあるのだけれど、無名性を前面に出すと、どんなに荒唐無稽な話でも作れてしまうという恐ろしさも存在するワケで。

ある意味、かなり勉強になりました。

ネット右翼ってどんなヤツ? 嫌韓、嫌中、反プロ市民、打倒バカサヨ (別冊宝島 ノンフィクション)ネット右翼ってどんなヤツ? 嫌韓、嫌中、反プロ市民、打倒バカサヨ (別冊宝島 ノンフィクション)


ソレにしても、ココに存在する人達が全ての人の代表でもナイだろうけど、手に取りやすい何かを読んだら、ソレだけで、その意見に傾倒してしまうのだなと思います。

我々は、全共闘の後の時代なので、ある意味「あんなに盛り上がっていた学生運動や、マルクス主義が沈静して行く過程」を、第三者的に見ていた世代なので、あまり特定の思想というモノに対して、思い入れが出来なくなっているからかもしれませんが‥‥

日本人というのは、「寄らば大樹の下」というか、「長いモノには巻かれろ」ではナイですが、「大声で叫ぶ方に付いた方が楽」というコトが、昔から続いて来ているので、『まぁ、そうなのかな』という気もするし。

世の中には、色々な人が居るものだという感想にしかなりませんね。

ともあれ、天皇制について語るのであれば、古代からの天皇家の系図や、「日本書紀」「続日本紀」など正史と呼ばれているモノや、「古事記」などを最低でも読破した方が良いのではないかとも思いますが、何でもネットで手軽にと考える人が増えているのでは、それも無理なのかも。

逆に、本物の右翼の人々の迫力の方がプロだけに、かなり伝わって来た本でした。  
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2009年11月07日

子育てに必要なモノは

十年近く前の本なのに、今でもそのまま読めるというか、逆にその傾向が増していると思うのが、こちら。

超少子化―危機に立つ日本社会 (集英社新書)超少子化―危機に立つ日本社会 (集英社新書)


タダ、「日本人の価値観は、将来のために努力するよりも現在を気ままに楽しむ享楽主義になってしまったのだ。国家や自己について大切な価値を問うことを怠った戦後の世代が子どもたちに継承した価値観は、無責任で努力を軽視し、楽なライフスタイルを好む人生観だったのである」と結論付けているのだが、そんな考え方だから、少子化は十年過ぎても解消しないのではないか。

都会はともあれ、地方の独身の方々は、ある意味自分よりも、親の価値観を重視している人達が、とても多い。

歳をすればするほど、老いた親を放って結婚など出来ないと思う、律義な人がかなり居る。

自分が気に入った人よりも、親がどう思うかというコトが先行するので、ナカナカ親も本人も気に入る相手というのが、見つかり難いのだ。

だから、見合いの話が来ても顔を合わせるトコまで、まず行かない。しかも、親みたいに、一目合ったその日から、自分を大事にしてくれる人になど、巡り合うハズもナイのに、ソレを相手に求めてもという人も多い。

しかも、多くの場合、二人で子育てをする環境には全くナイ。子育てをしながら、共働き出来るのは、公務員あたりか自営業者でないと、かなり難しい。中には、子育てに理解のある会社も存在するが、そんな会社などホトンド無いに等しい。

東京で働いていた甥が、給料は安くなったが、去年から長野で働き出した。東京で働いていた時には、ホトンド子供とゆっくり出来なかったが、甥が育児に係わるコトになって、表情が乏しい感じだった子供の顔に手放しの笑い顔がある。二人目の子供も出来て、その赤ん坊もとてもニコヤカに笑う。

もう少し、東京みたいに給料が高くなれば、ソレに越したコトはナイが、少なくとも子供達の笑顔には、ソレに勝るだけの価値がある様に思う。おそらく、子供達の将来にも様々な良い影響が出て来るだろう。

だが、世の中には不景気で子供を産む余裕のナイ若者が結婚を忌避したり、結婚しても産まない選択をせざるを得ない場合も多いハズ。

真剣に少子化を何とかしたいと思うのであれば、仕事と子育てが両立する社会の方をまず整備するべきだと思う。

個人を尊重し、生きていて良かったと思える社会になれば、おのずと子供も産まれるハズだ。

生きているコトが、あまりハッピーと思えなかったら、自分の子供をそんな社会に産もうと思うだろうか

おそらく、少子化を解消する鍵は、その辺にあるんじゃないかと思う。  
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2009年11月06日

数字は警告する

世の中の不平等をコンパクトに説明した一冊。

あいまいな日本の不平等50 (もやどき。―よくわからずにモヤモヤしていたイマドキの問題が1冊でわかるシリーズ)あいまいな日本の不平等50 (もやどき。―よくわからずにモヤモヤしていたイマドキの問題が1冊でわかるシリーズ)


二年前の本なのですが、こちらの本を読むと、例えば昨日の話題の生活保護に対しても、「生活保護の申請相談に行っても70%の人が門前払い!北九州ではなんとそれが85%!」とか、「日本の刑法犯検挙率は28.6%。10年前に比べて12%も低下している一方で、監視カメラの設置が進んでいる」なんて書かれている。

「自殺者がここ何年も一年で三万人を超えている」というコトを知っている人は多いかもしれないけれど、同じ数字でも年間交通事故死者の約五倍と書かれたら、よりそのインパクトは強い。

「1998年から2003までの介護殺人は、確認できるだけでも198件!」とか「1年に約20万人が自己破産している。その原因となる多重債務は10倍の約200万人‼」などと言われると、世の中のコトがかなり理解しやすくなる。

やはり、日本の不平等は本当に拡大しているのだと実感出来てしまう。この格差社会が本当に、少しでも変化するとイイけれど、何だか心配になってしまう。  
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2009年11月05日

税金をアテにすると

大きな企業ほど、税金を導入しやすいので、甘い経営が出来るという典型的な例がこちらのニュース。

神奈川県警が城南信用金庫横浜支店(横浜市中区)から融資金1250万円をだまし取ったとする詐欺事件を摘発したが、信用保証協会は、保証制度を悪用した融資と判明した場合、保証が成立していなかったとみなして金融機関への代位弁済をしないので、城南信金は詐欺が立証され、損失が出るのを恐れて「だまされていない」として被害届や証拠書類を県警に提出するのを拒んだそうだ。

県警は、詐欺事件は会社経営者を自称する3人が内装工事業者と偽り、信用保証制度を利用した融資を同支店に申し込み、だまし取ったとして、捜索で書類などを押収したそうだが、自分達の審査が甘かったのを隠蔽して、損をしないようにするとは姑息な話。

生活保護という制度は、患者自己負担が全く発生しないために、医療機関側にモラルハザードが起きやすいという問題も、類似の根から発生しているのだろう。

最近、「カツカツで暮らすくらいならば、生活保護を受けた方が楽だ」という気持ちの人も増加しているらしいが、本当に困窮した人だけを救わなければ、おそらく日本の福祉制度は破綻するだろう。

とはいえ、生活保護を受けられずに餓死してしまうのでは、何のタメの生活保護かというコトになる。

税金を出す場合には、世の中は良い人ばかりではナイという前提で、仕組みを作るべきなんじゃないかと思う。

ズルイ人には、ペナルティを与えるコトにして、色々な申請の間口は広げて、でも審査は厳しくして出口は絞るという発想が必要なのかもしれない。  
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2009年11月04日

,猫の目バス行政のツケは‥‥

結局、中小零細企業が負わされるんでしょうね。

昨日の信濃毎日新聞に、一昨年の二月、大阪府の吹田市で死傷事故を起こしたツアー主催業者が事業を停止し、自己破産を含めて法的手続きを検討しているという記事が載っていた。

スキー人口の減少と、事故による信用低下で資金難になったそうだ。まぁ、ソレだけなら自業自得という気もするのだが、当時話題になったのは、低賃金で運行せざるを得ない新規参入のバス業者。

事故を起こした「あずみの観光バス(現在はダイアモンドバス)」の社長は、無理して働かさせていた息子を事故で亡くした上に、自己破産しそうになっているサン太陽トラベルに運賃の未払いがあり、四月に大阪地裁は約1287万円の支払いを命じて貰ったものの、現在控訴審で争っているのだそうだ。おそらく、裁判で再び勝訴しても、代金は取れず仕舞いになりそうな雲行きだ。

タクシー業界も、減車の方向で行くコトになっているみたいだけれど、バス事業に簡単に参入させる時は、白バスを厳しく締め付けるという方向性を打ち出し、実際に処分された例もあった。

しかし、今や、白バスは野放し状態だし、それを信じてバス業者になった中小零細業者のホトンドは、馬鹿を見たというコトなのかもしれない。

長野から東京への路線バスも、既存のバス業者と新参の業者とで、価格競争をしているが、そうやって互いに儲からなくなっても、既存のバス業者は民事再生法で潰れて、銀行からの借金はチャラ。

結局、その負担は一般の庶民のツケになるだけだ。

振り返ってみれば、タクシーやバス事業の規制緩和というのは、自動車メーカーを潤しただけで、ホトンドの国民はさほど得をしてナイんじゃないだろうか。

多少は、運賃が下がったなどと喜んでいても、例えば日航などが不振になったからと、税金が投入されたりするのだから、トータルで見れば得をした人など、そんなに居ないのではナイかと勘ぐってしまう。

おそらく、今の時点でのコトを前もって知っていたら、新規参入などしなかったというバス業者も多いのだろう。

大手だけは救済されるのが、日本の格差社会の現実だというコトをしみじみと感じる人も多いんじゃないか。

糸瀬茂さんは、早死にしてしまったけれど、

「デパートを税金で救う国」の行く末―総括256ページ (小学館文庫)「デパートを税金で救う国」の行く末


この本は、手近に置いてあって、時々、思い出しては読み返すコトがある。金を稼ぐコトよりも、しなくてはならないコトがあると思って金融業界から足を洗い、今、訪れている格差社会に早くから警鐘を鳴らされていた方の卓越した論を読み返す度に、ドコで日本は進路を間違えてしまったのだろうかと改めて思うのだ‥‥  
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2009年11月03日

地球の危機はヒタヒタと‥‥

近付いているみたいですね。前から心配されていた、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山頂付近の氷河の減少ペースが加速していて、このまま温暖化が続くと数十年の間に完全に消失する可能性があるという。

過去ログにも書いたかもしれないけど、ヘミングウェイの作品では、

キリマンジャロの雪 (角川文庫)キリマンジャロの雪 (角川文庫)


が一番好きだったのだけれど‥‥もしかしたら、地球には最低でも二度の全球結球のアトが存在するらしいから、人間以外にも、地球の高等動物が存在して、その文明が飽和して、全動植物が全滅した歴史があったという仮説も、あながち嘘ではないのかもしれないと思う。

ともあれ、人間というモノは、楽を覚えると中々後戻りが出来ないモノ。

何時か、地球の終わりが来るとは思っていたが、案外、その時期も早まるかもしれない。

だからと言って、自分だけ助かるからなどと言われても、変な新興宗教に入信する気もナイのだが‥‥

少なくとも、最後の日がドンドン近くなっているのに、地球上で互いにいがみ合ったりしても仕方ナイと思う。

全人類が仲良くして、地球の最期の日を一日でも遅くしようと、一致団結するコトは夢のマタ夢に過ぎないのだろうか。  
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2009年11月02日

郵政民営化しても‥‥

ちっとも便利にはナラナイというか、不便になっているというコトを実感してしまった。

きっかけは、主人の母への年金を払うには現況届を出して下さいというハガキ。

今までは、勤めていたら給料を払っている人の証明とかでも良かったのだけれど、今回から市町村長や区長などから証明を受けるか、郵便局に保険証などの公的な書類を本人と共に、持参して欲しいと書いてあった。

他の人をわずらわすコトも無かろうと、近くの郵便局に母を連れて行ったのが、先週の初め。

郵便局では、手続きの仕方が判らず、本局かどこかに電話で問い合わせて、かなり待ちたされた後で、受け付けて貰ったのだけれど‥‥

ところが、先週の土曜日になったら、必要事項の記載がナイので返送して欲しいという一方的な手紙が。

その文章の中には、「もしかしたら、こちらにミスが在ったかもしれない」という文言は全くナシ。普通、民間だったら、何かしらの行き違いがあったかもしれませんがというニュアンスがあるのにね。

お問い合わせは、東京サービスセンターへと書いてあったので、本日、電話すると「保険の取り扱いのナイ郵便局だと判らないかもしれませんので、郵便局の名前を」と言われ、待たされたあげく、その郵便局は「保険取扱局」だそうで‥‥流石に、一応は謝ってくれましたが。

「ちゃんと、指導しますから、もう一度その郵便局へ」と言われても。「心配だから、違う郵便局に行くので、来年、大丈夫な様に指導しておいて下さい」と言って、少し遠いけれど、別の郵便局へ。

ソコでは、手続きはして貰ったけれど、正直、二度も郵便局へ来て貰ってスマナイという意味の言葉は、ホトンド無く。

「どうして、手続き出来なかったんでしょうね」と言われても、こっちの方が聞きたい位。

「来年、ココに来なくてもイイ様に、その郵便局を指導して下さい」と嫌味を言うのが、精一杯でした。

ドコまでも、自分達の失敗を認めたがらない、官僚的対応でしたね。ハァ〜。  
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2009年11月01日

教育格差が格差固定を生む

「ゆとり教育」は悪いコトばかりでは無かったと思っているのだが、「ゆとり教育」を推進しつつ、一方では「エリート養成学校」が続々出来るのでは、格差固定のタメに教育格差が出来つつあり、そのタメの「ゆとり教育」だったのではないかと論にも、ある程度頷ける部分もあり‥‥

分断される日本分断される日本


長野でも、私立の学園が中高一貫に、そしてさらに小学校からという方向が強まり、「公立こそ素晴らしく、私立は‥‥」という過去の風潮から、「下手な公立よりも私立」という感じになって来ているのだけれど、全国的に話題になった愛知県に出来た海陽学園の授業料は、この文章が書かれた四年前で、中高六年間で必要な学費は1500万円なのだとか‥‥

この前、青山大学出身の方が、小学校が一番学費が高く、大学に行くに連れて学費が安くなり、庶民化するとおっしゃってましたけど、確かに、私立の大学は持ち上がりで入る人と、外部入学者との学力の差はかなりあるもので。

昔ほど、コネ入社は減ったとはいえ、裕福な家が私立の有名大学を卒業させて、そのまま優良会社に就職というのは、普通にあったコトだし。

ともあれ、学力だけが優れていても、人間性まで優れているワケではない。

フィンランドみたいに、おしつけ教育ではナクても、世界に誇れる理解力を多くの国民に付けるコトこそが、国家の教育の理想だとは思うのだが、日本の教育はどういう方向に流れて行くのだろうか‥‥

より多くの人間が、社会に貢献するタメにも、教育格差の解消も大事なんだろうと思う。

少なくとも、高校無償化を推進しようとする今の政権の方が、前の政権よりもマシなのだとは思うけれど、長野県に吹き荒れ出した都会並みの私立志向は、おそらくもう留まるコトを知らないだろうから、屋代高校が公立として初めての中高一貫校になるのだろうが、いわゆる第二次反抗期の子供達が、同じ相手と同じ環境に六年間も居るコトは、人間関係を考えた場合、良いコトばかりとは、あまり思えないのだけれど‥‥  
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