2020年10月29日

民は国の本

この言葉は、幕末に長岡藩の河井継之助の「民は国の本 吏は民の雇い」として広く流布しているが、「民は国の本」とは、既に五代将軍綱吉の時代に、大老の堀田正俊の言葉にあった。

江戸時代の大老と言えば、先ずは日米修好通商条約に調印し、日本の開国を断行した井伊直弼を思い浮かべる人が大半ではないか。

稀に、四代将軍家綱の大老で、下馬将軍と言われた酒井忠清をと思う人は、かなり江戸時代に詳しい方だけだろう。

ちなみに、綱吉が五代将軍になれたのは、堀田正俊が酒井忠清に後継問題で勝利したからである。

でも、堀田正俊がクローズアップされて無いのは、何故なのかという点に焦点を当てたのが、


である。

堀田正俊は、大老にも関わらず暗殺された。

それ故、あまり良い印象を持たれなかったのだろうか。

家綱政権の末期から綱吉政権の初期、天候不順で飢饉に見舞われたにも関わらず、年貢の取り立てが厳しくて、各地で騒乱が起きていた。

その時に、堀田正俊は「民は国の本なり」で始まる、画期的な触書を発布した。

その言葉自体は、『書経』に基づいたもので、儒学を学んだ事があれば常識であった。

綱吉が『生類憐みの令』を出して本格的に民衆を苦しめたのは、堀田正俊の死後の事である。

簡潔に言えば、その辺りの事情が綴られた本である。

翻ってみれば、今の日本は「コロナ」で大変な目に遭っている。

政治家の人々は、本当に国民の為になる政治を心掛けているだろうか。

福島原発によって大変になった人々や、非正規によって安定した仕事を持てず、結婚も出来ずという人達が大多数になって、人口が減っているのにも関わらず、有効な手立てを打ち出せては居ないのではないか。

堀田正俊の仁政思想を考え、それを発展させた幕末の河井継之助の「民は国の本 吏は民の雇い」という言葉を噛み締める時、『国家の基本は国民であり、役人は国民に雇われているだけの存在』と思い違いをしている人達の存在を憂わずには居られない。  

Posted by seitaisikoyuri at 21:02Comments(10)

2020年10月23日

こちらも凄い

最初の本は、大概続編よりも良いというのが定番ですが、この本は続編の最初の部分の歴史分析が素晴らしい。

後半は、前の本の補強していて、それはそれで面白いのではあるが‥‥


秀吉の出自の謎とか、上杉謙信や伊達政宗の分析とか、松前藩の前身や琉球と薩摩藩の関係など、目新しい問題が一杯。

時代の変遷と講談的な流れを無視して、教科書とは違う正しい歴史感を教えてくれる。

そもそも、明治維新と言うが、それが絶対的に正しいワケでは無く、間違ったプロパガンダや思想の押し付けなども存在する。

日本人は、真面目で勤勉なコトは良いけれど、それも程度物。

間違っていると思っても、同調圧力に流されてしまう。

昔から、政権を奪取した人は、非情な部分が有ると思ってナイと、庶民は働けど働けど楽にならざりしというコトになってしまう。

世の中の仕組みを知り、自分の頭で色々なコトを考えなければ、マスマス搾取されるだけの人生になりかねない。

日本はOECDに加盟している同じアジア諸国である韓国にも負け、年収・時給ともにアジア諸国では最下位(OECD加盟国内)となったというニュースを知って、素直というのも考え物なのかもと思いを深めた。  
Posted by seitaisikoyuri at 20:39Comments(4)

2020年10月19日

本能寺の変は信長が招いた

久々に歴史物で、本当にワクワクした。


歴史は勝者によって書かれているが、丹念に見て行けば別な証言も存在する。

先祖の名誉を濯ごうと、丁寧に調べ上げられた本。

ネタバレになると悪いので、書かないで置くけれども、確かに合理的に考えれば、納得が行くだろう。

ともあれ、江戸時の人事の不思議も、説明も出来る。

是非とも、読んで戴きたいし、モシ、史実がその通りだったとしたら、歴史は敗者に冷たく、勝者に手厚いというコトを改めて実感するコトだろう。
  
Posted by seitaisikoyuri at 21:42Comments(6)

2020年10月14日

芸道を求める心

今の日本に不足しているモノは、教養ではないかと考える。

実利的な事ばかりに、心を奪われると人生に深みが無くなる。

とはいえ、親の言う事を素直に聞かず、華道や茶道などをしっかり学んでナイのだが‥‥

それでも、母親は華道も師範の看板も持っていたので生徒は募集しかなったけれど、「天地人」でお花を生けなければナラナイとか、お茶の飲み方を教えられていたので、別に困った経験もナイ。

歴史に興味があるので、何気なく読んだ本なのだが、


武士と言えば、武芸だけが必要だと思っていたが、それだけで無く、茶の湯を通して芸道にも趣が深かった。

そう考えてみれば、今の政治家は深みが有るのだろうか。

日本の歴史もチャンと知らない人も多く、自分にとって都合の良い歴史を信じていたり、歴史の改編を狙っているのではと思わざるを得ない。

戦後75年を過ぎて、日本も戦争を出きる様にしたいと思って居る為に、学術会議の有り方を変えようとか考えているのではと深読みしてしまう。

不況になると、戦争を求める政治家が現れるのは、歴史の必然なのではあるが、それで困るのは一般庶民である。

戦争になってから、騙されたと思っても、取り返しはつかない。

日本人は、政治家の甘言に騙され易いというのも、繰り返されている歴史なので、マスマス心配になる。  
Posted by seitaisikoyuri at 22:17Comments(6)

2020年10月06日

学問の道は険しい

本当に珍しく、専門的な本をブログに書きます。


卒論は中世で、「藤原定家」の研究をしたというモノの、一人一人の歌人にについては、あまりにも知らずに生きて来たと改めて感じてしまった。

俊成は定家の父であり、藤原俊成女は俊成の孫なので、定家の姪に当たる。

大納言源通具の妻でありながら、その歌人としての才を後鳥羽院に認められ、妻や母の座を捨てて、歌人として後鳥羽院に仕えた。

しかも、後鳥羽院の息子である土御門天皇や順徳天皇の時代を過ぎ、土御門天皇の息子である御嵯峨天皇の歌壇まで活躍したという。

八十歳を超えても、まだ歌人として生き、播磨の国には自分の荘園を所持していたというから驚きである。

平安朝末期から鎌倉時代を自立して生き抜き、人生を誇り高く生きた藤原俊成女に感服すると共に、その人生をコンパクトに纏めて研究された教授の成果に改めて感謝したいという気持ちになった。

閑話休題、学術会議の任命拒否で、味噌を付けた感じの政府だが、「単に、税金を使っているから」何でも政府に従えというのでは、日本の研究は先細りになりかねない。

既に、最近の政府の方針は、人文学は理系と違って役に立たないという考えすら、如実になっているのではないか。

研究に税金を投与せずに、アメリカとか中国への頭脳輸出が続くのであれば、日本という国はダメになるだろう。

戦後の反省を生すコト無く、将来的に軍事の道を目指そうとしても、学術の道がある程度自由でバラ色で無ければ、若者が人生を掛けると思うだろうか。

大学院は出たけれど、というコトになるのであれば、優秀な人材は散逸してしまう。

学問を志す人が、安心して進める様にしなくては、狭い国土であるだけに、一度、後進国になってしまったら立ち直れるのかどうか、将来を類推して、国民も自分の頭で良く考えてみるコトが必要だろう。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:48Comments(4)