2005年10月17日

信仰とモラル

おはようございます。

無宗教であると前に宣言したワタシですが、それは数々の宗教書を読んで、最終目標はホボ似たり寄ったりなので、どれか一つが正しいと確信が持てなかったからです。
だから観光で、神社に行けばソコの神様に二礼二拍手一拝し、御寺を参る時は静かに手を合わせ、教会では賛美歌を清聴します。

宗教心は個人の問題だと思っているので、誰がどの宗教を信じても、それでその人の魂が救われるなら、そんなにヨイことはないと思っています。

でも、時々宗教を自分の生活に利用する人達がいるのは、あまり感心しません。
「この宗教に入信すれば、仲間がアナタの商売を助けてくれますよ」
みたいな勧誘をされると、この人は宗教で何をしたいのだろうと、逆にその人の宗教心に疑問を抱きます。

「イワシの頭も信心から」という言葉があります。
信じてその人が救われるのなら、それでいいのだと思います。
でも、それを他人に押し付けるのはどうでしょうか?

政治家が票のタメに参拝したり、商人が金儲けのタメに入信するなんて、普通世界ではありえないコトです。
本当に信じているのなら、どうするべきなのか、それはその人のモラルに訴えかけるしかないのですが‥‥

現在の日本国憲法の前文に(中学時代に暗唱させられたのでマダおぼろげに覚えています)たしか、「我々日本国民は世界の人々に尊敬されたいと思う」といったクダリがあったと思います。
日本は本当に「尊敬」に足りうる国に、なったのでしょうか?

憲法改正もイイでしょう。
でも失ってはイケナイものも、「ある」コトだけは忘れないで欲しいと思います。
「悪法も法なり」そういってソクラテスは自ら無実の罪で死んでいきました。
法律というものは、それだけ重いものです。
法律を作る人、それを司る人、皆がそのコトをしっかり考えて行動し、その人達を選ぶ権利を持っているコトを、全ての国民が理解し行動しないと、日本人は世界から、「エコノミック・アニマル」だとさげすまれるだけだと思っていた方がいいみたいです‥‥
人気blogランキングへ←応援よろしくお願いいたします

この記事へのトラックバックURL

 
にほんブログ村 健康ブログへ