2005年11月22日

雷丘に5世紀の埴輪!!

おはようございます。
蘇我入鹿邸とみられる建物跡の発見に続き古代史ファンにはタマラナイ発掘が続きます。

雷(いかづち)の丘は日本書紀にも書かれていますが、我々上代(国文学ではこう呼びます)を志した者にとっては、明日香清御原宮御宇天皇(一般的には天武天皇と呼ばれている天皇・後の人物が贈り名しただけなので当時はそう呼ばれてなかった。一応ココでは理解しやすい方がイイので、通称を遣いますが、歴史は後世の権力者によって、書き換えられている可能性があるコトだけは覚えておいて下さいね)が藤原夫人に賜った歌と和して奉じた歌を思い出します。

万葉集の百三番目と百四番目に書かれている歌で、ケッコウ好きな歌です。
桜楓社の萬葉集(鶴久・森山隆編)を下敷きにして、適当に現在的に読み下し、簡略な現代の意味を付けます。

天皇の歌
  我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくはのち
   (ワタシの住むトコに大雪がふったよ。貴女の住んでいる古くに栄えた場所に
    降るのは後だろうけどね)

藤原夫人の歌
  我が岡の 御神(おかみ)に言いて 降らしめし 雪の砕けし そこに散りけむ
   (ワタシの岡の神様に言って降らしてもらった雪のカケラでもソコに降ったん
    でしょ)

この時代は、もっと人間と自然が一体化して生活していて、山は神聖なものだったハズで、雷神を捕まえたなんて話も出るホド、人間と自然と神が深く関わりあっていてるので、とってもオモシロイ時代です。
ただ、上代の先生が、新説を異端視する感じの先生だったので、下には付けないと、中世の先生に付いたので、卒論も不本意なものでしたが‥‥
自由に昔を思ってノビノビとイメージを膨らませるのは、とっても楽しいです。
道楽の世界ですけどね。

昔、「こんなコト勉強していても、何の役に立つが判らないから、実学を勉強している人達がウラヤマシイ!」と言ったら、「役に立たないと思われる中にこそ、真の学ぶというコトがあるんじゃないか」と言ってくださった方がいらっしゃいました。
御蔭で大学を中退しようと思わないでスミましたけど‥‥
多分、そうなんだろうと思いつつ、現在も趣味で個人的に学んでます!
マタマタ、新しい歴史のページを切り開いてくれる発見になればイイのですが‥‥
人気blogランキングへ←応援よろしくお願いいたします

この記事へのトラックバックURL

 
にほんブログ村 健康ブログへ