2006年01月12日

「憎悪犯罪」の構図

おはようございます。

昨日、書きたい記事が幾つかあったので、昨日の地方紙「信濃毎日新聞」の「現代の断面」というトコに、「優しい社会」の逆説と題された、佐藤俊樹さんという東大の助教授の方の投稿記事からです。

私の勤め先は日本で最も偏差値の高い大学の一つで(チャント一つと書くトコがスゴイと思って読み出しました。フツウは一つと書かない人の方が多いだろうから)‥‥合格発表のときは全員「勝ち組」だった一年生の、約半分は大学に入れば「勉強ができないヤツ」になる。‥‥新入生ですでに教師と同じくらい頭がいい人もいて、そういう人の同級生になると、少々勉強ができても「やっぱり頭が悪い人」になってしまう。‥‥そんな風に自分の価値がひっくり返ることで、うける衝撃の度合いが最近、急に上がった感じなのだ。‥‥私たちは優しい社会をつくった。問答無用で理不尽な目にあったり、未来の希望を勝手につぶされることが、なくなったわけではないが、以前より少なくなっている。病気は治ることがふえ、事故にあうリスクも減ってきている。‥‥優しい社会では、ほとんどの人がそれなりに愛され、好かれる。だからこそ、きびしい拒絶にあったり、「ダメにヤツだ」と決めつけられると、脆(もろ)い。動転し逆上し、深く傷つく。
そして、なかにはその痛みを自分より弱い相手にぶつけることで、解消しようとする人間がでてくる。自分は傷つけられた、だから自分には他人を傷つける「権利」があのだと信じて。「憎悪犯罪(ヘイト・クライム)」の構図である。
‥‥子供や老人がはけ口にされる、というより、子どもや老人だからこそ、狙われる。弱い人間が弱さゆえに、意図的につけ狙われる。そんな事件がふえているように思う。‥‥優しい社会には、その優しさゆえの残酷さがある。ずっと愛されて好かれて、それなりの価値を認められてきたからこそ、加害者になったりする。
そういう犯罪は、いわば私たちの内側からやってくる。‥‥
弱い者を弱さゆえに狙う犯罪は、きびしく罰せられるべきだ。人の未来を奪った人間に、自分の未来を言い立てる権利があるのか、私は真剣に疑問に思っている。でも、だからこそ、処罰そのものは犯罪の予防にならないことも、すべてを監視できないことも、忘れてはならないのだと思う。
優しい社会をやめればすむわけではない。優しい社会は、良い社会でもある。だから、解かなければならない問題を少しでも解いていくしかないのだろう。
楽観することにも、そして絶望することにも、逃げ込まないで。

自分が不完全であるコトを自覚し、他人の過ちを声高に言い立てず、失敗しても次があると思えるような社会をワタシ達一人一人が築いていこうとしなければ、マスマス悪い社会が待ち受けているのかもしれないナと思いました‥‥
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