2006年03月27日

七千年前と今はどう違うのか?

おはようございます。

本日、仕事が立て込んでますので、ドンドン行きます。

「信濃毎日新聞」にカラー写真付きで、中国でこのほど、約七千年前の新石器時代の遺跡から、風景や人々の生活などを表現した文字のような絵や記号が大量に見つかったと「新華社」が報じたと書かれてました。

専門家は、三千年以上前の中国最古の文字とされている「甲骨文字」を大きくさかのぼる漢字のルーツの一つとみているそうだ。

これを見て、思い出したのが、昔、何かの教科書で「エジプトの古代文字」の話が書かれていたコト。おそらくシュリーマンではなかったかと思うが、プトレマイオス王だかの名前あたりから文字として解読したような感じの記号と、そっくりとまではいかないが、かなり似ているような気がする‥‥

最近、ヨク思うのだが、人間は確かに進歩してはきたのだが、煩悩というモノがある限り、そんなに精神面とかでは、変わらないのではないだろうか?

もしかしたら、自然に対する畏怖という感情を薄れさせているだけに、危険なのかもしれない。

山の中で、他に誰もいないような場所で大空を見上げると、本当に自分というものがチッポケな存在であるコトに気付く。

目に見える部分は地球のほんのゴク一部に過ぎないのに、それよりももっと小さいのが、一人の人間だ。

そんな謙虚な気持ちが消えて、人間が暴走したら、地球や自然はどうなるのだろうかと‥‥

ともあれ、これでマタ、埋もれていた歴史の一ページが世の中に出現した。日本の古代にも、文字と認められていない文字が存在している。

正しい歴史認識で、自分及びその属する場所を過大に考え過ぎないコトこそが、今こそ求められているのではないかと思う。歴史は繰り返す、それは過去の貴重な失敗の歴史を忘却してしまうからだと思うから。出来れば、イイことも、ワルイことも、遺産として引き継いで、今がイチバン幸福といえる世の中になって欲しいのだが‥‥
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この記事へのコメント
おはようございますkoyuriさん。
今回のテーマとても関心がございました。
人間中心の自然破壊と解釈いたします。おっしゃるように私たちは自然との共生を考えませんとそのうち自然の神様からシッペ返しがくるとおもうのです。私の住む東京は本当の意味の「自然」が少なく住民はなにかコセコセした感じなのです。
結局私たちのルーツは地球に生息している動物の一つではないのでしょうか。
Posted by takachan at 2006年03月28日 07:40
takachanさん 何時も適切なコメントありがとうございます!!
超田舎育ちのワタシは、東京の自然との乖離に疲れて、一年ホドしか住めませんでした‥‥
とはいえ、地方の県庁所在地で暮らしていると、自然の驚異を軽んじる気持ちも判らないではありません。
それでも、実家に帰り自然の中にいると、自分が傲慢になってないかと自戒しています。
人間も地球に存在している動物の一種なのに、こんなに我が物顔で地球を破壊していて、絶滅した恐竜のようにならなければいいと何時も願っています‥‥
Posted by koyuri at 2006年03月28日 09:17
 
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