おはようございます。
本日、仕事が立て込んでますので、ドンドン行きます。
「信濃毎日新聞」にカラー写真付きで、中国でこのほど、約七千年前の新石器時代の遺跡から、風景や人々の生活などを表現した文字のような絵や記号が大量に見つかったと「新華社」が報じたと書かれてました。
専門家は、三千年以上前の中国最古の文字とされている「甲骨文字」を大きくさかのぼる漢字のルーツの一つとみているそうだ。
これを見て、思い出したのが、昔、何かの教科書で「エジプトの古代文字」の話が書かれていたコト。おそらくシュリーマンではなかったかと思うが、プトレマイオス王だかの名前あたりから文字として解読したような感じの記号と、そっくりとまではいかないが、かなり似ているような気がする‥‥
最近、ヨク思うのだが、人間は確かに進歩してはきたのだが、煩悩というモノがある限り、そんなに精神面とかでは、変わらないのではないだろうか?
もしかしたら、自然に対する畏怖という感情を薄れさせているだけに、危険なのかもしれない。
山の中で、他に誰もいないような場所で大空を見上げると、本当に自分というものがチッポケな存在であるコトに気付く。
目に見える部分は地球のほんのゴク一部に過ぎないのに、それよりももっと小さいのが、一人の人間だ。
そんな謙虚な気持ちが消えて、人間が暴走したら、地球や自然はどうなるのだろうかと‥‥
ともあれ、これでマタ、埋もれていた歴史の一ページが世の中に出現した。日本の古代にも、文字と認められていない文字が存在している。
正しい歴史認識で、自分及びその属する場所を過大に考え過ぎないコトこそが、今こそ求められているのではないかと思う。歴史は繰り返す、それは過去の貴重な失敗の歴史を忘却してしまうからだと思うから。出来れば、イイことも、ワルイことも、遺産として引き継いで、今がイチバン幸福といえる世の中になって欲しいのだが‥‥