おはようございます。昨夜の続きです。
五歳の男の子の割り箸事故で亡くなられたのは、大変お気の毒でした。ただ、裁判所が医師の注意義務違反を唱えたコトに対しては、もう少し被告が謙虚になった方が、御遺族の感情を逆なでしなかったと思います‥‥人間には、失敗もありますが、その時にどういう態度を取るかで、相手の気持ちが全然違ってくるからです。
そういう他人の感情に共感したり、推測できる能力こそがEQなのです。
「感情」を消去したら、人生は豊かな色彩を失い単調で不毛な世界になってしまう。それぞれの場所にふさわしい感情を持つコトこそが、人生を豊かにする。
ただ、感情の強さや持続時間を制御しきれなくなると、抑うつ状態で動けなくなる、不安に耐えきれなくなる、怒りに荒れ狂う、躁状態で動き回る、といった病的な状態になってしまうそうです。
不快な感情が極端に強くなったり長時間持続したりする状態は、精神の安定をおびやかす。といって、苦しみが何の役に立たないというワケでもない。創造性や高い精神力を養う力であり、苦しみは魂を強靭にしてくれる。
古代の学者として名高いアリストテレスは、『ニコマコス倫理学』(高田三郎訳)で、次のように述べている。
然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、さらにまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒るひとは賞賛される。
つまり、何にでも怒るのではナク、怒るべき事柄・存在を限定してそれに対して、怒る方法を冷静に考え、怒る時のタイミングをはかり、クドクなく怒れば、例え怒るというイヤな感情であったとしても、他者が受け入れ、賛同してくれると述べているのであろう。
快い感情と、不快の感情とのバランスが心の満足感を決定する。満ち足りた気分で暮らすには、不快な感情をすべて避けることが大切なのではなく、不快な感情が嵐の感情となって快の感情を吹き飛ばしてしまうことのないようコントロールすることが大切なのだ。ひどく腹が立つ出来事や落ち込む事件があっても、それを相殺してしまう楽しみや幸福があれば満ち足りた気分になれる。
情動に対する知性(EQ)こそが、人生に対する満足感を左右する大事なものであるコトをもう少し理解して頂きたいので、続きます。