おはようございます。人生を楽しく生きるには、無用な争いを避けなければなりません。だからこそ、兵法の書物を読んで、平和に生きる智恵を得るべきなのです。
「彼を知り己を知れば、百戦してアヤウからず」と言いますが、平和を語ってさえいれば、平和を手に入れられるワケではありません。愛せと強制して、心の底から愛して貰えないのと同じです。それが、判らない人々は「国を愛せ!」と叫んでいますが、国民を愛して政治を行えば、国民も心から国を愛するでしょう。方法論が逆ばかりだと思うのは、ワタシだけでしょうか?
戦争の方法は、現代では交渉事や説得の場において活用出来ます。世の中には、≪わからずや≫が大勢います。その人々を真っ向から説得しようとしたならば、一生かけても終わらないでしよう。名を捨てても実を取って生きた方が楽です。人生はそんなに長いものではありません。地球の誕生してからの悠久の時間と比べたら、人の一生なんて塵(ちり)みたいなものです。でも、だからといって人生を投げずに、大事に生きるしかスベはありません。
第十三計、「草を打って蛇を驚かす」というのは、相手の動きを把握して、強引に行かずに、探りを入れてじっくり相手を観察せよというコトです。マタ、主目的である蛇を捕獲したければ、周囲からジワジワ攻めよという意味もあり、用意周到な計画こそが、攻めるに際して重要というコトなのです。
第十四計、「屍(しかばね)を借りて魂を還(かえ)す」コレは、世の中に見捨てられているものの中から価値があるモノを掘り出して、活用すべきというコトです。今をときめく、大したコトのナイ人よりも、野に埋もれた賢人を利用した方がズッとイイのは、昔も今も変わりません。
第十五計、「虎を調(あしら)って山を離れさせる」虎は山の中にあれば無敵でも、平原におびき出せば鉄砲などで仕留めやすくなります。相手の土俵に乗らずに、こちらの土俵に連れて来なくてはイケマセン。
第十六計、「擒(とら)えんと欲すれば姑(しばらく)縦(はな)つ」である。つまり、捕らえたければ、しばらく自由にしろというコト。完全に逃げ道を断てば、相手も必死で反撃する。それでは、こちらも怪我をしかねない。心からの服属を願うならば、許して放す度量の広さコソ大事なのである。恋人だって、浮気をするのではないかと束縛してばかりでは、逆に自由を求めて羽ばたきたくなってしまいます。愛するというコトは束縛ではありません。心というものは、捕らえ所のナイものです。自由に伸びやかにしていればコソ、本当の感情と向き合えるものだと思います‥‥