2006年09月29日

成長を心から楽しもう

おはようございます。第三段階に入る前に、昨日、長野県庁に日本禁煙学界からの「敷地内禁煙を復活させて欲しい」と陳情に行かれた方の、報告の中から‥‥

議員に提言書を渡すために各会派の控え室に行って驚きました。
議員控え室は県庁施設内なので当然ルールとしては全面禁煙なのだが、灰皿が当然のように置いてあるのだ。

どういうことなんですか? そんな程度の低い県議を県民は選んじゃっているんですか?
「施設内禁煙のはずなのにどうして喫煙されているんですか?」と訊いたら
「ここ(議員控え室)は治外法権だからいいんだよ」なんて言う頭の悪いことを言う人がいた

ですって、驚きましたね‥‥モラルの欠如もここまで来れば‥‥治外法権は外交官特権でのみ存在する言葉であり、しかも、それゆえに外交官のモラルの欠如も問題視 されている昨今、権力を握れば何をやってもイイのだという発想。これが、この国の政治家の現実です。

そういう「依存症」を自覚できない方々は、一生そのままの人生を送るでしょうが、「依存症」の問題を理解している方々は、必ず脱却できるのです。

第三段階----私はどんな人間になりたいか

(1)回復をゴールとしてではなく冒険としてとらえる‥‥性格的欠点を全て取り除けば、何も問題のない健全な人間になれるという思い込みは、変化と成長のプロセスを考えるとそうはならないと気づくだろう。

たった一つの欠点も許されないと考える必要はありません。目標とすべきは、欠点をなくすことではなく、それに気づいて選択することです。

完璧にはならなくても、十分特別な価値ある人間なのだと自分を認め、ありのままの自分を見せ、自分の行動と感情に責任をもとうとし心がけることです。

(2)自分を許す‥‥自分を許す前に人を許そうと思うと、逸脱行為をした人のもっともらしい説明を認め受け入れるほうが、たやすいという様なことになりかねません。

安らぎの感覚、過去に対する慰め、なるべくしてこうなったという確信。自分が向上できたのは、ここまでの経験があってこそだと信じるに至る。本物の自尊心は、他人からではなく、自分の内部から生まれるのである。

(3)人を許す‥‥自分に何かした相手を、その行為の責任から解放してやろうという決意は、新たな生き方であり、家族や周囲を違った目で見る積極的で継続的なプロセスである。

「人を許して」生きていこうとするとき、私たちはもう犠牲者ではなく、人生から何を手渡されても受け身でいることはない。その結果に責任をとれるのだ。

新しい信念や行動、態度を自由に選べると感じたとき、変わることはできる。このプロセスは「回復」というよりも「人生! 」と呼ぶにふさわしいところまで発展していく。
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