2006年10月17日

ストレス社会との折り合い方

おはようございます。福岡県筑前町立三輪中2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題のニュースを聞いていると、この数年間、7、8件のいじめが起きていたのに、担当教諭の指導などで解決したため、「いじめが続くことはない」と判断し、町教委に「0件」と報告していたという様な隠蔽体質が顕著になってます。滝川市の教育委員会と似た様な体質ですね。

問題を直視して解決するよりも、何となく過ぎていってくれないかと放置しているうちに、問題が大きくなってより大きな責任を取る必要が出て来るという単純なコトが理解出来ない様で‥‥それは中には、ストレスへの耐性が強くて、我慢したまま卒業してくれる子供もいるし、おそらくそうした子供の方が大半でしょうけど、だからといって、それで済まそうとするのは、教育の怠慢なのですが、子供や教師を締め付けるだけで問題を解決出来ると考える日本の上層部の方々と似てますね。自ら汗をかかない限り、問題の解決はナイのですが‥‥

ともあれ、この本も最終回。こんな言葉が最後の章に載ってます。

世界に目を向けると、戦争、テロ、環境破壊、いじめ、病気等々、ストレスの種は尽きないほどある。人が生きている限り、ストレスは存在する。仕事、家族、人との付き合いにエネルギーを注がなければならないのが人生である。生きていることそのものがストレスであるとさえいえる。ストレスをむやみに排除しようとするのではなく、むしろ避けられないストレスとは共存する姿勢を身に付けることが大切になってくる。同じエネルギーを注ぐにしても、楽しく行なうのと、イヤイヤ行なうのとではストレスの度合いもちがってくる。

自分の状況に応じたストレス解消法を持っていることが、より良く生きるためには大切であろう。趣味など仕事以外の活動を持っていることも気分転換に役立つであろう。様々な解消法を思いつくが、これらにのめり込んで逆にまた新たなストレスが生じることもあり、そのバランスが大切であろう。いずれにしても大切なことはストレスを一人で抱え込まないことである。真に解決すべき問題がある時は気を紛らせるのではなく、信頼できる人に相談し解決に向け現実的な行動を取るなども前向きに取り組むことが必要である。

冷淡な傍観者」は今日でも多数存在するように見受けられる。「誰かが助けるだろう」と責任の拡散が生じてしまう。学校では、いじめを見ても見ぬふりをする子どもたちが存在する。これは大人世界を反映するものといえるだろう。

個人の力ではどうにもならない問題もある。だからいってあきらめていては社会をよくできない。問題解決のために、一人ひとりが意見を表明し、可能なことから少しでも行動を起こすことが必要であろう。

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