おはようございます。仕事の都合で、朝の更新遅れております。
長野県の下諏訪町の産婦人科で、五十代の女性が、がんで子宮を摘出した三十代の娘とその夫の子供(実質的には孫)を代理出産したというニュースに対するコメントとかを聞いていると、「本当にその全容を知っていてコメントしてらっしゃるのかな?」と思うことがあります。
いちおう県内なので、「信濃毎日新聞」という地方紙によれば、結構詳しく書いてあり、院長の説明によると、子宮がんになった女性が電子メールで相談し、女性の実母は、娘が子宮を摘出する際、「私が産んであげるから、手術を受けなさい」と促した。
五十代後半という高齢出産なので、本人や家族に「致命的なことが起こりうるかもしれない」との説明に「娘のために命を捨てても」と応じた。
院長は「『おばあちゃんのおかげで生まれたんだよ』と、生まれてきた子どもに幼いうちから話してほしいと行ってあり、家族も了解している」という話なのに、テレビとかで一般の人が、「大きくなって、そのコトを知ったらどう思うんでしょうね?」とか、トンチンカンな話をしているのを聞くと、『いかにもこういうコメントを出して欲しいと質問を出して、答えさせているんじゃないの?』などと思います。
「いじめ問題を色々言うけれど、そういう体質が問題じゃない?」と思います。
問題提起をするからには、知りうる全てを教えて貰わなくては、本当のコトが見えてきません。
いじめを隠そうとしているコトを批判するのもイイけれど、似た様な体質にも自分達にあるとマスコミも反省すべきなのではないでしょうか?
今回限定のコトとして、意見を述べるならば、子供を産めなくなるからと娘さんが手術しなくて死ぬ様なコトになった可能性があったとすれば、少なくとも娘さんの命と新たな命が産まれたのは喜ばしいコトだと思います。タダ、今回、五十代の女性が亡くなられた可能性もあるので、全ての人が同じ状況にあったとしても、産む必要はナイと思います。
不妊治療に限らず、移植手術をするコトを強制するのも困りますし、どうしてもしたいという人の不妊治療を制限するのもどうかと思います。
ある意味でファジーなグレーゾーンを残しつつ、個人の自由な意志を尊重して欲しいものだと思います。全ての事柄は、一つ一つ微妙に違うのですから、中々これが正しい答えというものは見つけ難いのではないでしょうか。よく知らずにコメントをしたり、させたりするのは差し控えた方がいいのではないかと思うのですが‥‥