2006年10月25日

していいことといけないこと

現在の教育がオカシクなっているのは、決して「教育基本法」や「ゆとり教育」のせいではナイという証明みたいに、各地の高校で履修すべき社会科が、不正に教えられてないコトが次々に明るみになっています。

はっきりとは言わないものの、「(大学により多くを合格させるタメには)仕方ナイ選択だったのだ‥‥」という感じのニュアンスが伝わって来ます。だったら、堂々と文部省にカリキュラムの変更を要望すればいいのに、コソコソ隠れてやっていて、見つかったら開き直るなんてのは、教育者としてあるまじき行為ですよね‥‥自分達のトコだけ、こっそりやって抜け駆けしようとしてたんだろうとは思いますが。

こういう人物が、トップにいるのに、マトモな教育が出来ると思いますか? 銀行の支店にしても、スーパーにしても、支店長や店長で全然成績は違ってきます。当然、学校だって校長次第で全然違うはずです。

教師の質をウンヌンする前に、校長や教育委員会などの質を問題にすべきでしょう。

子供達に、していいことといけないこと、しなければならないことなどを整理して提示し分別を伝えるのが教育だというのに‥‥

今朝の本に中にこんな一節があります。

アメリカの心理学者マズローは、その著書『モチベーションとパーソナリティー』で、基礎的な欲求が充足してくると、より高次な欲求が現れて社会的文化的に高い次元へと移行していくものであると欲求の種類を規定した(一九五四)が、わが国の状況や自らのそれを省みるときに、この理論が欠陥だったのか、欠損を持つ卑しい遺伝子のなせる業なのかと自ら疑わざるをえないのである。

衣食がこんなに足りても礼節の回復が現れてこないのである。

景気が回復しないといわれて一〇年になるだろうか。そして景気回復のためにたくさんの借金を重ねているのは本当に正しい選択なのだろうか。一九六五年頃からの高度経済成長、また一九八〇年代のバブル経済などが異常だったのではないのか。

そのために失っていけないものをどれほど失っているのかを考えなければならないのではないだろうか。
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