2006年10月31日

人間は買えない

拝金主義の人々がはびこっていて、「金さえあれば、何でも買える」というつもりの人が増えているけれど、「大体のモノは買えるが、本当に大事なモノだけは買えない」と思います。

確かに、奴隷という制度も世界中にはまだ残っているだろうし、労働者も自分の時間を会社に売ってはいますが、「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もあるように、御金で買えるモノは、表面的なモノで、本質的な部分は買えないものです。

結婚しなかったり、出来なかったり、子供を産むという選択をしなかったりしている人々の中には、『理想の人生とか、理想の人物とか、理想の生活、理想の子供みたいな考えが強くあるのでは? 』と思うことがあります。

今は、昔と違って色々なモノが売られている時代です。よく言われるコトなのですが、長野では勤労感謝の日の前後で「えびす講」と呼ばれて買い物客が沢山出て、お祭りみたいになる時期がありました。過去形なのは、今でも、花火とかが上がって綺麗だったりするのですが、昔だったら、過酷な農作業が終わり、一年の締めとして、欲しかったモノを買う様な一大イベントだったのに、最早、「毎日がお正月やお盆やえびす講」みたいに、何でも買える時代になり、スーパーで連日安売りのチラシを入れていると、欲しい時が買う時みたいになっていて、何でも手に入る様な気がします。

だけど、残念ながら、人間には感情があるので、どのショーウインドーを眺めても、自分の「希望する結婚相手」も、「理想の子供」も売ってません。結婚相手や子供というものは、気に入らなかったから「返品する」コトも出来なければ、「買い直し」というワケにもいきません。

相手をとっかえひっかえしたとしても、理想ばっかり追っていて現実と妥協しない限りは、離別体験が繰り返されるだけです。

他人がアナタの空白を埋めてくれるワケではありません。自分の空白で淋しい部分は、自分で埋めるか、互いに淋しい部分を持っている人間同士で、傷を舐めあうのではなく、助け合って生きるコトしか出来ません。友人だろうが、何だろうが、全て同じです。自分と一体化する人なんて、ドコにも居ないし、だからこそイイのだと思います。自分で自分を抱きしめても、それで終わりですが、自分以外の人を抱きしめれば、その人の体温を感じます。そんな当たり前のコトを忘れている人も、増えているのかもしれませんね。

ちなみに、これからの季節、子供達と一緒に寝ていると、湯たんぽみたいで、とっても温かかったりします‥‥
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