2006年11月11日

安全な暮らしという夢

いよいよ、この本の話もお仕舞いです。

先進国と自ら呼んでいる国が、発展途上国に対してヒドイ仕打ちをするコトは、止めなくてはいけません。

世界銀行のチーフエコノミストの悪名高い覚書は、経済問題を担当する人間たちのものの見方、つまり彼らが人間の福利よりも経済を優先することを露わににした。

「ここだけの話だが、世界銀行は、汚い産業を低開発国にもっと移すことを奨励すべきではないだろうか。有害廃棄物を低賃金の国に捨てることを促す経済的理論は申し分ないものであり、われわれはそれを認めるべきである。低開発国は、非常に汚染度が低い」

確かに、最早、先住民の持続可能な社会を復活させるのは不可能である。だが、彼らが体現していた価値−−大地の入念な管理、その豊かさの利用、次の世代を守ること、自制と可能な限りの自給自足−−は、すべての人々の安全という古くからの、そして未だ実現されていない夢を生き返らせることができるだろう。

自立を通して、われわれは自分が必要としているものを発見する。それは驚くほど少ない。


世界的、冷戦の時期は終わり、共産主義は資本主義に対して敗北した様な形になった。しかし、それによって、逆に行き過ぎた資本主義の弱点も明らかになったのである。

いわゆる「セーフティネット」が無い社会、「格差主義」が横行する社会は問題なのだ。

とはいえ、御金がある人ほど、資金をより税金の安い所に移したり、ブラックマネーに変えたり、色々な手段で、富の再分配を拒むコトが可能になっている。

しかし、だからと言って、それを放置していては、世の中が歪んでしまう。

誰しも、「自分だけ良ければ」という利己的な考えは持っているものだ。

だが、利己主義ばかりを追求していれば、地球が持たなくなるコトは目に見えている。

「貧困」の反対語は、「富」ではナク、「充足」なのだというコトを、我々は何度でも心に刻み付けなければならないだろう。

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