2006年12月14日

他人と調和して生きる

おはようございます。いよいよ、最終段階です。

犯罪者がなかなか変わらない最大の障壁は何でも人のせいにしてしまうという考え方の癖です。

人を批判する前にまず、自分に批判の目を向けなければならない。

「自分以外は誰でもだます」といった態度から、「分かち合う方法を身に付け」、チームワーク、忠誠心、信頼感の世界へと足を踏み出す必要があります。

人と人との関係はギブアンドテイクだと知り、人の話を聞き、人に教わらなくてはならない。ものをたずねるのは、無知を認めることかもしれないが、何でも知っているふりをするより、ずっと賢明なのです。

些細でも新たな目標を作り、それを達成することは励みになります。

誘惑されそうになっても、関心をそらすことを身につければ、自分自身をコントロールできます。


人生は、向上しようという努力を止めてしまえば、堕落の道が待っています。それを他人が押し付けるのではなく、自らが気付かなくてはなりません。

人類の文明の存続を可能にしてきた道徳観を身につけ、人を傷つけずに生きる術を教えることこそが、犯罪を減らすのに役立ちます。

多くの犯罪者は、良識があるようなふりをして、その裏でまんまと犯罪行為をやってのける道があると信じていますが、そのような道は無いのだと明確に理解してもらう必要があります。

「欲望をそのまま通せるわけではない」という単純なことを教えるために、反社会的な子供は生きる方便として嘘をつく、だましたり、脅したり、暴力をふるって、自分の意思をむりやり押し付けるが、責任はとらずに、人に責任をなすりつけ被害者のふりをする。しかも、意外にもろく、些細な失敗が、自尊心に壊滅的な打撃だと受け取る。だから、カッとなりやすいと知ること。捕まるかもしれないということは理解していても、当座の目的を追求する時は、そうした知識を締め出せる冷酷な能力を備えていると理解しなければなりません。

恐るべき暴力行為をする子供は、注意が必要だ。反社会的な人格を持つ子供が破壊活動を自然に止めることはない。犯罪者になりそうな少数の人間を見極め、手遅れになる前に何らかの手を打つことこそが大事だ。

という提言を読んだ時、「いじめる子供」をどうすべきか、答えは自ずから出るでしょう。問題のある子供に必要なのは、「排除の論理ではなく、社会で生きる責任を教える」ということに尽きると思います。
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