「民間人を攻撃するのはよくない」というのは、当然だったのですが、1937年のナチス・ドイツがスペインのゲルニカを攻撃したのを始まりに、空襲というものは老人や女、子供の区別なく無差別に一般市民を殺します。この空襲でヨーロッパは大きなショックを受けたものの、数年後、イギリスとアメリカが比較にならないほどの空襲をドイツと日本に行って以来、それが戦争の「当たり前」のやり方になったと著者は述べます。
現在の大統領は「テロに対する戦争」を「無限の正義」と名づけました。無限の正義は神の領域で、人間が触れるべきものではなく、これを容認してしまうと、戦争法も国際法も条約も国連も全部無視していいことになるのでとても恐ろしい。「無限の正義」とは「無限の暴力」になりやすく、「テロに対する戦争」は「テロに対する国家テロ」になりやすいという。
一般市民を攻撃したり、空襲したりすることは犯罪、つまり殺人罪、である。今までもそうだったし、今もそうだし、これからもそうなのに、「勝てば官軍」で裁かれないだけなのだ。
米政府は国際法の根本的な原理を次から次へと犯している。
先制攻撃をしてもよいとか、アフガニスタンのような、戦争をするつもりも準備もない国を侵略してもよいとか、戦場で捕まえた人を捕虜として扱わなくてよいとか、外国に軍隊あるいはCIAを送って、米国に入ったことのない外国人を「逮捕」して牢屋に入れてもよいとか、そうやって牢屋に入れた人の基本的人権を守らなくてもよいとか‥‥
戦争では、証拠がなくても、裁判がなくても、判決がなくても、容疑者を殺せる。米国と戦争してないイエメンにCIAの飛行機を派遣して「容疑者」を殺したように。
国際刑事裁判所を創ろうとしても、米政府は批准したり、協力しないと断言している。その理由は、そのような裁判所ができたら、米軍や米政治家が戦犯として訴えられる可能性があるからだ。従来の国際法に違反している、つまり戦犯であるとの認識はあるということだ。
ひるがえって、日本国にそうした認識はあるだろうか?
ただ従順にアメリカの後ろを付いていくだけでは、「世界に尊敬される国」になどナレナイであろう。別に常任理事国になって欲しいとも思わないが、世界各国にバラまき政治をしたところで、「日本を常任理事国に」と押してくれた国は少数だったではないか。真実を見る目があるとは、とても思えないのですが‥‥