2007年01月15日

力まないで楽しむ

おはようございます。休み明けで仕事が詰まっているので、本文のみ。

「努力」という言葉を好む人に、ペンを床に落とし、「努力して拾ってみてくれますか」と著者が問いかけると、だいたいキョトンとした顔になり、おもむろにそのペンを拾おうとします。

そこで、すかさず、「いえいえ、努力して拾うんですよ。努力です」と、追いうちをかけると、たいてい混乱して、身動きがとれなくなるそうです。

ペンを拾うことに、わざわざ努力やがんばらなくとも「拾う」ことはできるのに、「幸せ」になることは、努力やがんばりが必要だと思うのはなぜなのか?

やはり親からの影響
だというのです。

「やり遂げた」人に「本当に苦労しましたね」とねぎらうと、涙があふれ出す人もいます。苦労が報われたのですから、感激があって当然です。

でも、努力とがんばることと幸せはセットでしょうか?

ハイハイしていた赤ん坊が、初めて立ち上がった時に、「努力」した、「がんばった」と思うのでしょうか?

単に夢中になり、無心で取り組んでいたら出来たというのではないでしょうか。

「努力」や「がんばる」ことに意味がないということではなく、自己評価して「がんばりがまだ足りない」、「努力がまだ足りない」といって、目的が、やり遂げることよりも「がんばること」や「努力すること」に置き換えられてしまうのが、自分を好きになれない原因になると言いたいそうです。

その時、その時を楽しんで生きることが、幸せにつながるのであって、誰かが幸せを持ってきてくれるわけではないのです。
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この記事へのコメント
なろほど!と思いました。
楽しむことができれば、瞬間瞬間に幸せになれますね。
Posted by テレサ at 2007年01月15日 15:01
いつのまにかやり遂げることより努力や頑張ることが目的の比重を占めてしまう、そうなると視点がぼやけてきて疲れてしまったり自分が嫌になる元になるってことですか。。
ついつい目線が近くなりがちですね、今がそうなのかなぁ^^;
Posted by 小太郎 at 2007年01月15日 17:49
幸せの目標が高いと、努力やがんばりが必要で
挫折にもつながりますね。
日々笑いあって暮らせるなど、最高の幸せですね。
Posted by なえちゃん at 2007年01月15日 20:05
テレサさん、そうですね。

結局、瞬間瞬間の積み重ねが、人生なのですから、将来のタメに今を我慢、今を我慢しばかりしていたら、人生はそれだけで終わってしまう可能性が高くなるというコトです。

将来の不幸が判っているのに、今だけ楽しめればという破滅的な考えも困りますが、過ぎた我慢は何にもならないというコトです。今を楽しみつつ、将来への備えも怠らないというのが、ベターだと思います。
Posted by koyuri at 2007年01月15日 20:15
小太郎さん、おっしゃる通りです。

子供の目線になってみると、違う世界が見える様に、時々、目線を意識的に変えると、今まで囚われていた世界とは別の世界があると認識できます。そうすれば、悩みとかも、小さくなったり、別の切り口から眺められるコトで解決策が見つかりやすいというコトではないでしょうか?
Posted by koyuri at 2007年01月15日 20:20
なえちゃんさん、そうですね。

必要とされている努力やがんばりは、それなりにしないとダメかもしれませんが、必要以上は絶対にダメだし、出来うるコトならば、「努力しているとか、がんばっている」などと思わずに、無心に動くコトが出来たら、理想的というコトです。

心理学というのは、理想を掲げつつ、理想通りでナクてもイイのです、と皆に教える、変わった学問なので‥‥

>日々笑いあって暮らせるなど、最高の幸せ
正に、おっしゃる通りです。
Posted by koyuri at 2007年01月15日 20:26
 
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