今朝ダメだったと書きましたが、今、書き込みしようとしてフッと思ったら、カテゴリーの順番が変更出来ました。こうやって、少しづつ出来る様になるのは、嬉しいものです。本を読むくらいで、我流なのでナカナカ上達しません。未だにトラックバック出来ませんし‥‥ともあれ、ボチボチやっていきます。
さて、本題に入って、日本が御手本としているアメリカの格差社会を見てみましょう。
1970年以降、最上位1%の家庭は、それ以外の米国人を犠牲にして、国富に占める彼らの富の割合を倍増させた。97年の最上位1%の米国民が所有する富は、全米国家庭の富の合計の40%にも相当し、それは下位95%の富の合計を上回り、最上位1%の中でも集中化傾向がみられ、金融資産(正味資産−自宅の正味持分)の42%が上位0.5%に集中するという超集中化傾向になっている。
おそらく、前に書き込んだ本には、1%が60%を所有していると書いてあったかと思うので、この統計から約十年にして、マスマス「富の寡占化」が進んでいると思われます。
これこそが、「貪欲はよいこと」の帰結なのである。郵便貯金の資金が日本のツマラナイ政策に使われているというコトで、民営化され、その資金でアメリカの債権などなどを買い出したコトは、皆さんが知っていると思いますが、ともあれそうしたアメリカに渡った資金が目減りせずに返ってくるかどうかは、誰も保証出来ないハズです。
金利差があったとしても、為替差益によってマイナスになるコトもあるのに、と冷静に思う人間ばかりだとイイのですが‥‥郵便局のチラシで、外国の投資信託を勧めているのを見ると、マスマス『こんなんでイイのか』と思います。
しかし、日本のリーダーは、米国のやり方をすべてすばらしいこととして、まねをして、米国の要求には素直に応じるばかり、協調を捨て、競争を採り入れ、地域社会の和を捨て、個人が貪欲に利益を追求できるようにした。そのうえ、社会的責任を捨て個人の自由を強調し、世の中が物づくりよりも、金儲けに夢中になっていく中で、日本の国民の幸福よりも、日本国が経済大国になることをめざし、自然に合わせて生きるのではなく、自分の都合自然を合わせるようになった。
にも関わらず、教育が悪いから「日本はオカシクなった」との戯言を述べ、政府の責任を全て「学校」に押し付ける厚顔な人々を、信じるのは絶対にゴメンだとしっかり思わせて頂きました。