おはようございます。昨夜の本の衝撃はかなり大きなモノでした。前に読んだ本などからも、著者の考える理想の社会と、ワタシの考える理想の社会には、ズレがあると感じてはいますが、自分の意思を曲げない姿勢というものは、それはそれでスゴイことだと思います。
ともあれ、鈴木宗男さんの人となりはともかく、著者が思い描く国益のタメには、鈴木さんの傍らにいて、日本外交が崩壊しない様に、墓場まで持って行って欲しいコトに関して、黙ってもらえるタメならば、自らが拘束されるコトは必要だとまで、ストイックに思っているコトは理解出来ました。
そして、情報の世界で生きていきたければ、「存在しない」という話は当事者が合意しない限り、最後まで存在しないし、「会っていない」という約束になっている場合は、誰が何を言おうともあくまでも「会っていない」というルールが存在し、それは徹底的に遵守されるべきものであり、それを破った場合、ルールを破った者に対して属人的に責任が追求され、それには時効がないとするならば、「アリバイ」があっても、それを立証するコトは、その社会での地位を失うコトになるので、どうしても出来ないコトだとすれば、この事件を契機に多くの著作を世に問う立場になったコトは、決して著者の不利益になってナイのだろうと思った。
裁判の結果は、2030年になれば何が正しくて、何が間違っていたのかを我々は知るコトになるだろうが、それはともあれ、この事件を契機に、対米関係以外の外交チャンネルを狭めたコトは、おそらく日本の将来に禍根を残すコトになろう。
そういう意味では、この「国策捜査」は意味があったのだろうが、それが日本の国益になったかどうかは、かなり怪しい。
友人関係というモノは、友人が他の人物にも好かれる人物なればこそ、友人を独り占めしたくなるモノだが、完全に自分に隷属し、従順になってしまった様な友人は、やがて飽きられパシリにはされても、大事にはされないだろう。そして、強者である友人の関心が、別の新しいターゲットに向かう時、見捨てられるに違いない。利用価値がありそうだと思われている限りは、徐々に判りにくい感じで距離が遠ざかりつつ、奉仕させられるだろうが‥‥
無論、上記のコトは、ワタシが日米関係を比喩しただけだ。友人は、一人でも多く居た方が、リスクは分散される。八方美人は好かれナイが、忠犬は最後はうっとうしがられるダケ。そのバランスが外交だと思うのだが、人間関係を上手く構築出来ない人々が増えているだけに、日本外交も負のスパイラルに入っているコトだけは、とてもヨク理解出来た。この本を薦めてくれたくになかさんに、ココで改めて感謝の意を表したいと思う。