午前の更新遅れてます。昨夜、今週末に控えた支店のオープンに向けて、最終チェックをして来て疲れた上に、午前の仕事だったので‥‥
さて、前の話題に戻り、今日はタイトルの事件の話です。流石に、この事件はよく覚えてます。事件を起こした医者夫婦とは、さほど年齢も違わないし、その頃には、ワタシも成人してましたから。当時のワイドショーでも大騒ぎしてましたからね。
改めて、テレビの大騒ぎが済んで約二十五年ほどしてから、その事件を振り返ると本当に様々なコトが見えてきます。
妻の研修医を殺した、研修医の父親は住宅販売会社の社長だったが、オイルショックで営業不振におちいり、銀行管理になり社長を退陣させられた。息子を私立の医大に入れようと、寄付金三千万円を払ったのが、社業が傾く原因になったらしい。
秋田駅裏の造成地には、息子を開業させようと、既に用地を確保してあったそうだが、開業医の一人娘で、東京女子医大と独協医科大の両方に合格していたのだが、婿養子を迎えて家業を継がせたいと考え、共学の方を選んだ将来の妻と息子が出合ったコトで、その地は夏草が生えた荒地になっていたという。
結局、夫婦は銚子市の開業医だった妻の親が購入してくれた千葉大医学部の近くの高級住宅に済み、家政婦まで派遣してもらうという、至れり尽くせりの厚遇をされたにも関わらず、婿は居心地が悪かったらしく、市内のソープランドに通い、フィリピン人ダンサーに入れ揚げるなどの放蕩をしたので、大学の三年生から同棲していた二人は、正式な結婚をして三ヶ月、「これから実家へ帰る」と深夜に飛び出した妻を、電気コードを持って追いかけた夫が路上で絞殺、強盗被害を偽装したという事件を起こす。
次男の裁判が始まり、東京に出た元社長夫婦は「下積みの生活で一からやり直」そうと、軽トラックに乗って、廃品回収業をし始めたそうだが、自宅の路上で脳内出血で倒れ、ほどなく息を引き取った。
殺人を犯した研修医は、懲役十三年の刑が確定し、服役する直前、拘置所の独房で自殺して「被告人死亡につき公訴棄却」となり未決囚で、医師免許を剥奪されることなく亡くなった。
夫婦して、親が敷いたレールに乗り、悲劇的な結末を迎えた二人の結末を思うと何だかやりきれない。彼らよりも若かったワタシは、とうに彼等の生きて来た年齢を過ぎ、当時の彼等夫婦の両親の年齢に近付いている。両親の子供を思う気持ちも理解できなくもナイが、やはり親の思うままに生きろと言われても、ロボットではナイのだから、難しいのだろうと改めて思う。