以前、「何もかもが幻想か?」という数回連載したトコにも書きましたが、論争になっている問題とは知りませんでした。
母性崩壊
ともあれ、後半の「母性崩壊の治療と予防」には、肯定する部分もありますが、本の大半に書かれている「フェミニスト」と著者が考えている人々への反論は、実に不毛な議論。「やりたいことをやる」というのと、「子供を叩きたければ、叩いて良い」という考え方を混同している人は、「フェミニスト」ではありません。
「女性を大事にする」というのが「フェミニスト」の考え方だとしたら、その前に当然「女性を人間が包括する」のですから、「全ての人権が守られる」コトが「フェミニスト」の大前提になります。
ともあれ、何があろうとギリギリまで「暴力を振るわない」というコトが、子育ての大前提と考えているならば、こうした反論はナイのだろうけれど‥‥
ちなみに、ワタシは「母性」は「本能」ではなく、「学習」すべきモノであるのか、もしそれが「本能」だったとすれば、今日の最初に紹介した「母親幻想」の本にある様に、壊れてしまっている、つまり、ココで著者が嘆いている様に、「崩壊」している人が全てではナイが、多数だと思います。
子供を育てる時に、「睡眠不足になってツライ」とか、「子供を抱いたら重い」という当たり前のコトは、「本能」で感じるでしょう。しかし、「それでも我が子を大事に育てよう」というコトは、親から「学習」している人には簡単でも、してない人には「難しい」のだという前提で物事を考えるべきです。
昔は、そんなコトは無かったとは言うけれど、果たしてそうなのか? 無自覚に「子供を虐待している」人は多かったと思うし、単にそれが話題にならなかっただけではないでしょうか?
現在、平気で我が子を「しつけと称して暴力」を振るう親の親は、当然、同じコトをしていたハズで、世の中がそれを容認していたから「問題視」されなかったダケだと思います。それに、昔は子沢山だったので、多くの人々は下の子供の「子守」をさせられていたので、親になってからなら、それは「もっと身体が小さくて大変な時に学習済みだったコト」なので、初めて直面したタメにパニックになる様なコトでは無かっただけのコトだと思います。
だから、「母性崩壊」している人の治療としてではナク、「母性」や「父性」を理解してナイ人への「学習」として、小さい頃から、歳下の妹や弟、イトコなどと遊ばせるコトや、小中学生の保育園や幼稚園児との交流を深めたり、思春期には男女共に乳児の保育をサポートするコトを学習するコトが一番だと思います。
世の中には、「主夫」で幸せな家庭もあり、幸せの形は様々ですが、「無知ゆえの涙」を流す人を減らす努力コソが、大事だろうと思います。「愛憎」は「表裏一体」。「愛」が深いから「憎い」コトもあります。といって、「無関心」は一番困りますし。何事も「丁度イイ」加減を教えるコトが「本物の教育」だと思います。