センセショーナルな事件を報道するのが、マスコミの常ではあるけれど、福島の高校生殺人事件や愛知の立てこもり事件の陰に隠れているのが、多くの普通の殺人事件。
普通という言い方も変だが、福島の事件の少し前に長野県の千曲市でも老女が布団の中で、メッタ刺しにされて殺されていて、その家の三十代の息子の行方が判らなかったりしているし、英国人語学教師殺人の犯人とか、未解決の事件の報道は下火なのだが、本当はそういう犯人が世の中に潜伏している方が怖いのではナイだろうか?
立てこもりしているのをTVで、各局が延々と流し続けているのは、「劇場型犯罪」を狙っている犯人の思う壺ではナイのだろうか?
警察車両の動きナドナドも把握出来るだろうし、こういう時こそ、静かにしていた方が、犯人の精神状態を落ち着けるのではないかと思ったりもする。
とにかく、目立つコトをするよりも、地道な作業というものは有効で、ニューヨークの治安の好転に役立ったのは「駐車違反の摘発強化」だったりする様に。プライバシーの問題もあるとは思うものの、交番の「お巡りさん」と呼ばれる方々の「地域の巡回」が過去の治安の良さの原因だったと思う。
「隣組」の強化が必要だなんて、昔のコトは言わないが、ある程度犯罪などを起こしそうな人々のコトは、把握している必要もあるだろうし、そうした危険な情報は個人を特定しない範囲で注意を喚起して欲しいものだ。
十年近く前、近所で放火事件が相次ぎ、刑事さんがいらした時に、小さい子供が居ると知ると「この周囲には変質者が居るので注意してください」と言われた。深読みすると、犯人が判らないけどこの周辺にいる場合、アイツらしいと判っていても証拠がナイ場合、精神的に問題がある人の場合は捕まえられない場合に分類出来るとは思うが、とりあえずそういう情報があれば、「かなり心を配って」そういう事件に巻き込まれない様にしてきたつもりだ。
最近は、長野市から「子供に関する事案で心配なコト」はメール配信されているが、少なくとも犯罪が身近に存在するコトを知り、それなりの手立てをするコトは必要だと思う。
一人一人の防犯意識や、遵法精神こそが、全体主義を招かずに、平和に暮らすタメの手段だと思う。警察も人権尊重は当然だが、犯人と思われる人の写真はともかく特徴は早目に流す、犯人と特定されたら写真やビデオなども公開するといった早目早目の対応をしないと、事件から時間が経てば経つホド、殺人当時とは違う人相になってしまうので、発見が難しくなるのではないだろうか?
犯人も閉じ籠っている様な事件の報道時間を、逃げ回っている凶悪犯への情報提供の時間にした方が、余程、有益だと考えるワタシは、変人なのだろうか?