四歳児が、数え切れないホド殴られて殺されるという事件が起きました。その時だけは、話題になるものの必ず一定期間に一人、マタ一人と虐待で殺されていく現在、「赤ちゃんポスト」などの是非を含めて、もう一度考えるべきだと思いますけどね。
ともあれ、ワタシは虐待する様な親の元からは、一日でも早く子供を切り離して、善意の人々に育てられるコトの方が、ずっと社会にとっても、子供にとっても幸せだと思う現実主義者ですから‥‥
「赤ちゃんポスト」をあってはならないコトなどと理想論で切り捨てるよりも、実際に「こうのとりのゆりかご」を設置して子供を救う方が、確実に世の中のタメになっているだろうと思います。三歳児が入れられていたとはいえ、親子心中されるよりも、ズッとイイと思います。一時的に傷付いても、生きてさえいれば、傷は修復されますが、死んでしまえばそれまでです。
子どもたちの声がきこえますか―子どもが犠牲になる社会
この本のおわりに、〈二一世紀最初の年、日本では「子どもの受難の年」として語り伝えられることになった。〉とありますが、果たしてこの本が書かれて五年、確かに「池田小学校」みたいな学校内での大量殺人は、その後日本ではマダありませんが、いじめ自殺も増える一方だし、虐待死する子供は減らないし、その年のみを「子ども受難の年」として語り伝えられていくとは思えません。
この本の最初に、養子縁組した夫婦の基で幸せに暮らしていた子供が、裁判で「実母と暮らすように」と言われて、泣く泣く別れたコトが書かれていますが、血の繋がりだけを「第一」に考えている限り、世の中は変わらないだろうと思います。
子供が好きな人ならば、実の親よりも親身になって育ててくれるだろうし、実の親でも、子供の嫌いな人には、それなりの教育を施さない限り、子供を上手く育てるのは難しいだろうと思います。教育と言っても、それはタダ教えるだけでナク、身をもって体験しなければ無理な部分が多いので、「早寝、早起き、朝御飯」と念仏みたいに唱えていれば済む問題ではナイでしょう。
そうやっていたら、父親の起きている顔を見ない子供が増える可能性もある位、世の中は忙しく働かされている人も居る時代なのに‥‥庶民の暮らしを知らない人々の戯言を聞いても仕方ナイですね。
本当に子供の数を増やしたかったら、何歳以下の子供の両親には残業をさせないけれども、ちゃんと雇用関係は確保し、出世もそのコトでマイナスにしてはイケナイという罰則規定付きの法令を出すとかしない限り、絶対に無理な話だろうと思うのに、やっぱり理想論ばっかりで、理詰めで子供が育つなら、どの親も苦労しないと思います。