2007年07月06日

「いのち」と向き合う

さて、仕事で更新が遅くなりましたが、心が温まる一冊です。諏訪中央病院の鎌田先生を中心にラジオで語られた話をもとに、対話集として再構成されたものだそうです。
いのちの対話
最後まで読んで、そうなのかと判りましたが、本当にスムーズに話が進んでいて、読み終わった後に、心が軽くなりました。多くの病院の先生方が、こんな感じならイイなと思いましたが‥‥

簡単に言うと「いのちというモノは、代々受け継がれていく」もので、それは「血の繋がりだけでナク、人が生きていた生きざまを、次の世代が受け継いでいく」というコトになるでしょうか。

現在の様に、即物的に物事を考えていると、身体と心が分化して考えられがちですが、そうではナクて、あくまで、「こころ」があってこその身体という視点が、抜け落ちていませんかと、問われているみたいです。

日本的な信仰の最初に存在した「八百万の神様」という考え方、全ての生きものに霊を感じた思想が、政権の変遷によって、様々に変化して来ましたが、最初の原点に戻って、自然と人間の関係を見直す必要性に、今、世界中が気付き始めているのかもしれません。

ダーウィンの「進化論」も、全て現実に適応するタメに行われた「変化」であり、必ずしも「進化」の先に、素晴らしい未来だけが待っているのではナク、もしかしたら、それは「破滅」が待っているのかもしれないという考え方を持たないと、世の中の動く方向に狂いが生じる可能性があります。

平成十年から、日本の自殺者数が三万人台になっているコトと、それは無縁ではナイと思います。時には、こうした読むコトで心が浄化されそうな本も読んで、一息つけないと、生きているのがツラクなりそうな毎日です。

「いただきます」という言葉は、「今まであったいのちを私がいただいて、私のいのちにして、そして生きていきます」ということの表明で、だから「あなたたちのいのちは無駄にはしません」という意味を込めているのだと思うといった言葉があります。

正に、その通りだと思います。生きているコトに、生かされているコトに感謝する気持ちが無くなって、傲慢に生きていると、必ずや天罰が下るといった思想を、非科学的だと排除するのではナク、自らの心の中の規範として、他人に強制されられるコトがナクても、持つコトの必要性を感じます。

人の生死を身近に感じなくなっている今だからこそ、もっと謙虚な気持ちで「いのち」と向き合わなくてはイケナイのかもしれません。
人気blogランキングへ←応援よろしくお願いいたします

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/seitaisikoyuri/50640156
この記事へのコメント
生きているコトに、生かされているコトに感謝する気持ちが無くなって、傲慢に生きていると、必ずや天罰が下るといった思想を、非科学的だと排除するのではナク、自らの心の中の規範として、他人に強制されられるコトがナクても、持つコトの必要性を感じます.
      ↑
  いただきますの意味とともにもう一度考えてみます
Posted by 松じゅん at 2007年07月06日 18:42
「いただきます」は俺も理由を聞いたときになるほどと思いました。
大切な命を絶ってまで自分達が生き延びるために食すのですから感謝の気持ちを持たないといけませんよね、そうじゃないと天然記念物とか言ってまで保護してることの意味までが揺らいでしまう。
Posted by 小太郎 at 2007年07月06日 22:06
松じゅんさん、ワタシは無宗教をあえて選択しているつもりでしたが、宗教に属さないだけで、非宗教的に生きているつもりではありません。

なので、全ての宗教家の方々や、全ての宗教の教示で受け入れられるコトは全て、飲み込んで生きて行こうと最近、宗教に対して、前向きになりつつあります。

でも、どれかに限定するコトは、もう絶対ナイと思うホド、各宗教書を読みました。

結局、日本古来の「八百万の神」が一番シックリするのかもしれません。(心の中で信じるだけですけどね)
Posted by koyuri at 2007年07月07日 12:03
小太郎さん、天然記念物に指定されたカモシカとかサルも問題化してます。

自然の淘汰を無視したり、保護し過ぎるのも問題があるかもしれません。

指定したら、ズッとというのも問題かもしれませんね。絶滅危惧種と、そうでないモノとの線引きも大事かもしれません。

生きるというコトは、ナカナカ面倒ですね。
Posted by koyuri at 2007年07月07日 12:09
 
にほんブログ村 健康ブログへ