2007年08月17日

人間は進化し続けているのか?

アキバで双子の兄と妹が、恐喝したという事件を知って、先に紹介した本の前の本(他人の心を踏みにじる人々)の記述を思い出した。
反社会的パーソナリティ障害が形成される家庭では、親たちは養育を放棄し、ほとんど子どもの指導を行わない。「親が目の前で自分の行動を注視している」という心理的環境になく、放りだされて、自分で何とかやっていかなくてはならない子どもは、同時に「自分は誰の制約も受けずに独立している」という感覚でいるから、気楽でもあり、やりたいようにやることができる。

親の制約を受けないということは、試行錯誤する上で、子どもが参照できるモデルも存在しないということである。

子どもは優しさを体験することができず、「拒絶されている」「放っておかれている」という感覚をますます強め、「欲しいものは自力で手に入れるしかない」という信念を形成する。結果的に「愛され、与えられる」という可能性を放棄し、ものを得るためには、「奪い取り、所有する」ことのみが唯一の手段だと学習してしまうのである。

他人に気に入ってもらっても何も手に入らないのだから、「他人の欲求や感情に感心も持つべきでない」とも考えるようになる。彼らは、クールな無関心さを示すようになり、自分勝手に邁進し、タフで、周囲に対して略奪的なアプローチを行う傾向を現わすのである。
という感じなのかもしれない。そして、昨日紹介した本でも語られていた、ネオトニーという言葉(幼形成熟とか幼態成熟と訳され、どうぶつの成長が一定の段階で止まり、そのままおとなになって生殖をいとなむ状態をいう)なのですが、それが必ずしも未来をバラ色にするワケではナク、人類の終幕を暗示するような、不気味な灰色の世界を想像させると述べている本があります。
日本人の顔―小顔・美人顔は進化なのか
そう考えると、昨日の本の中で、ネオテニー化が進んだモンゴロイドは人類で一番「進化」しているとも即断出来ないなどと思うのです。

ゆえに、人生を良くする努力は、各々が自分に対して、マタ、周囲の人々に対してするべきであり、その結果として現れるのだろうと思うので、何があろうとたゆまぬ努力が大切なんだろうという、かなり当たり前の結論に辿り着くのであります。
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この記事へのコメント
ネオトニー・・・初めて聞きました。

今起こってるさまざまな少年犯罪も幼児期の親が原因してること多いんでしょうかね。

普通の家庭の子も 複雑な家庭の子も混ざっていますが・・

ただ物質的に恵まれてるかどうかではなく・

心のふれあいがあったかどうかのでしょうかね?
Posted by 松じゅん at 2007年08月18日 13:14
松じゅんさん、おっしゃる通りで、「心のふれあいがあったかどうか」なのだと思います。

ゆえに、幼児的な親が子どもを生み育てる時に、自分が老成しないままだと、もっと幼児的な子どもが生まれる可能性もあると思います。

人種的に優れているか否かよりも、当人が優れた人間になろうとしているのか、イナイのか、という問題なんだろうと思います。そしてソコに、親の影響というものは、かなりあるというコトなんでしょう。

未来=進化=進歩ばかりではナイというコトなんでしょうしね。
Posted by koyuri at 2007年08月18日 15:55
 
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