麻生太郎さんが、「キャラが立ち過ぎて‥‥」とアキバで叫んだので、多くの御年配の方々も「キャラ」って何だろうと思ったりしただろうけど、今の若者達の「キャラ」に関する考え方は、単なる「個性(キャラクター)」から変化して、「他人に見せる個性(ペルソナにより近付いているのか?)」になりつつあるらしい。
キャラ論
これを読んで思うのは、若者の友人関係が稀薄になっていると言われて久しいが、仲間という関係はあっても、ナカナカ親友と呼べる友達は出来にくいのも当然かもなどと思った。
仲間同士で、キャラがカブるのは避けたいとか、カブったら違うキャラを探すとか、本当に「芸能界で売れるタメにはどうしたらイイですか」的な発想でとても驚く。
「素(す)の自分」と「キャラ立てされた自分」との使い分けに、気を遣っている毎日では、本当に疲れるだろうと思う。
子供が小学生の時から、中学生は(特に女子は)友人関係がとても複雑で、大変で、目立たず、皆と歩調を合わせるのに戦々恐々としていると聞かされていたが、我が子が二人共、中学生になって久しいが、男も女も昔と比べると、とても毎日、「お疲れさん」という感じだ。
昔だって、仲間ハズレにされるとか、色々なコトは無かったワケではナイけれど、それでも、ある程度ノビノビと暮らしていて、グループ同士でそれなりに気の合う仲間とワイワイやっていた様な気がする。
別に、あの人のキャラはコレコレとか決め付けなかったし、互いに相手は「まぁ、こんな性格」程度に把握していて、無理に相手を刺激しようともせず、相手を無理やりヨイショする必要もナク、普通に気楽に話していたハズなのに、何時から、こんなに窮屈になったのだろうかと不思議になる。
「空気をしっかり読んで、しっかり行動」なんて、ちょっと変。「空気なんて、それなりに読んで、普通に行動出来た」ハズなのに、例外を許さなくなっているのか、それとも何なんだろう?
こういう時代だと、「オタクキャラ」に逃げ込みたくなったりするだろうなと思うのだが、「好きが高じてオタクになるんじゃナク」て、「オタクやろうかと思ってオタク化する」というのは、やっぱりかなり変ですよね。
昔の人間だから、そう思うのかもしれませんが、「自分のキャラを考えて、それに合わせて行動する」なんて、とっても疲れそうです‥‥