2008年04月07日

人権無視は他人事ではナイ

ロンドンやパリで、五輪オリンピックの開会式への出席反対のデモ行動を見ていると、ある意味日本人は滅多なコトでは怒らない人種なのかもしれないとすら思う。

安保闘争のTVニュースは、うっすらと見た覚えがあるだけで、昔から破壊的活動は嫌いだったが、それにしても日本人はもしかしたら大人し過ぎるのかもしれないという気がチョットする。

格差問題もあまりTVで報道されなくなりつつあるが、それがこんな感じだからだとすると、かなり悲しい。

「生きる力」というパンフレットを息子が学校から貰って来たが、来年の四月からの話を中学三年生に配るだけ無駄という気も‥‥

しかも、なるべく国家や国旗に関する部分には触れられて居なかったのが、変に不気味。

前にも書いたが、生徒のコトを考えると、入学式や卒業式を無闇に混乱させるのが良いとは思わないので、ワタシは起立しなかったり、斉唱しなかったりするコトはないが‥‥

今回、娘の高校の入学式で一番に思ったと言うか、何かしらの違和感を感じてソレに気付いて納得したのが、壇上に国旗が飾られて居なかったコト。

中学の時は、とても巨大な国旗が飾られてあってそれはソレで違和感を覚えたのだが、高校の体育館のドコを捜しても国旗は無かったし、国歌斉唱は大きな音で歌声入りのテープだったので、歌わない人が多かったとしても、気付かないという意味でかなり考えて配慮していた様な気がした。

ともあれ、大騒ぎするから皆が意識してしまうのかもしれない。タダ、日の丸の国旗に統一されているならともかく、自衛隊の使用している日章旗は戦前のモノと同一だったりするので、ソコに何かしかの思惑を感じる人々も存在するのも止むを得ないのだとは思う。

ともあれ、強制して「歌え」と言ったり、「歌うな」と言ったりするのは、どちらも好きではナイが、もっと自然に「生まれた国」を大事に思う気持ちをはぐくむタメには、何度も書いているがやはり「政治的に信頼される国」にならないと無理だと思う。

生きているコトが楽しいと感じる国に住んでいたならば、誰に強制されなくても、祖国を愛するのは当然のコト。
そういう基本的なコトを忘れてしまわないで欲しいモノだ。

追記・「加藤虎ノ介」さんや「ちりとてちん」関連で、本日もマダマダ沢山の皆様の御訪問ありがとうございます!! ワタシ的に、新しいネタは御座いませんが、こちらのブログにて、「それぞれのちりとてちん」が文字に起こされておりますので、御覧になれない地域の方々はそちらにどうぞ。ワタシも、有り難く拝見させて頂きました。
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この記事へのコメント
国歌国旗のことは少し前に私もあるブログで触れましたがそうですかやっぱり違和感はあるんですね、実際のところ。
俺は歌わないとか規律しないとかそういう教師もどうかと思いますが、懲戒にするのも変な感じはしますね。
以前のサッカーの大会で日本代表がほぼ歌ってない口を動かさないで帰化した選手が一番国歌を歌ってたのが印象的で忘れられないです、自分もそんなバリバリ歌ってたわけでもないですが(笑)
ただ過去がどうであれ詩の意味がどうであれ大人が先頭に立って国を批判するような形は好きじゃないですね、個人的には。
子供が愛せないような国を築いてきたツケなんでしょうかね〜。

http://ameblo.jp/dovajap/←あるブログです(笑)
携帯からふざけて書くこと多いので真面目な記事は少ないですが更新は多いです。
息抜きにでも^^
Posted by 小太郎 at 2008年04月08日 21:42
小太郎さん、普通に存在している国旗や国歌には、あまり違和感はナイのですが、無理やり系の感じがヒシヒシと伝わってくる時には、違和感がありますね。

割合、KYじゃナイ方なので‥‥

抵抗がナイ国旗や国歌を制定するか、国旗や国歌に対して政府が思い入れを減らしさえすれば、逆に国旗や国歌は今のママ、受け入れられて行くと思います。

人間というモノは、心理学的にも「強制」を一番嫌うモノで、若者の右傾化は、日教組の方々の無理やり系の賜物だと思います。思想は、誰かに強制させられるモノではありませんから。
Posted by koyuri at 2008年04月08日 21:51
 
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