後期高齢者医療関連でも問題になってますが、人間は何時か死を迎えなければなりません。昔みたいに、家で亡くなったりするならば、ともかく脳死状態のママ、人生で使う医療費の最大の金額を使うというのは、無駄なのかもしれません。
でも、ソレは死に行く人やその家族が自発的に考えるコトであって、強制されると嫌な気分になるのは当然でしょう。
螺鈿迷宮
最近、頻繁に登場する海堂尊さんの小説ですが、訴えたいコトのタメのミステリーという感じの本になっているので、本格ミステリーを望む方にはイマイチ物足りないかもしれませんが、ミステリーを読みつつ医学的知識を吸収したい人には、オススメかもしれません。
数日前に、TVに出てらしたので、初めてお声を聞かせて頂いて、『あぁ、こういう声なんだ』と思いました。正直、作家の方々は実物と対面するのが、必ずしもイイとは限らないので、大学の頃、大好きな作家だった渡辺淳一さんには、京都府立医科大学で講演をお聞きして、何となく熱が少々冷めてしまったりしたコトもありました。
海堂尊さんの場合は、熱烈なファンというワケではナイので、作品に対する思い入れには全く影響はありませんが。
終末期医療などの問題は、突き詰めて行くと真逆の生命の選択というか、障害が出そうな胎児の生存権と対比される問題ではないかと思います。
生産性が高い人だけを欲する社会では、子供を産むという行為はマイナスにしかならないでしょう。でも、新たな子供が産まれなければ、その社会は縮小していってしまいます。
ソレと同じコトで、終末期をある程度安心して迎えられてこそ、仕事に安心して打ち込めるのであって、「働いて働いて働きぬいて、ソレが出来なくなったら、即、死ね」という社会では、生きている意味を見出しかねます。
日本の景気を良くするタメには、国民に安心感をまず与えないと、スタグフレーションが続くばかりになってしまいます。
良かれと思って打つ将棋の差し手がヘボばかりみたいな政治に付き合わされるのは、本当にゴメンですね。