十四歳の男の子がバスジャックしたというニュースみたいなニュースがあると、「その事件をどう防ぎましょうか?」という問いかけに、「他人に迷惑を掛けてはイケナイと小さい内から教えるべき」みたいなワンパターンな答えが流れるのが常なんだけれども、犯人の中学生は学級委員をしていたらしいし、小学校の卒業文集で「乗客の安全を守れるパイロットになりたい」みたいなコトを書いていたというのだから、その少年は既に「他人に迷惑を掛けてはイケナイ」と教えられていたに決まっていると思うのは、ワタシだけなんだろうか?
正しいコトを教えられさえすれば、犯罪者が無くなるというのは、ある意味「信仰」なんじゃないかと思う。
だとしたら、警察官に犯罪者なんて皆無だと思うし‥‥警察官は犯罪者を取り締まるのだから、当然、「犯罪はしてはイケナイもの」なんて、忘れるコトが出来ないホド、繰り返し繰り返し叩き込まれているに決まっているのに。
「健全なる肉体に、健全なる精神は宿る」と思っている人が多いみたいで、肉体を鍛える=聖人君子的な発想をする人も居るみたいだけど、少なくとも、あの格言は「健全なる精神は宿る」ではなくて、「宿れかし(古語に詳しくナイ人のタメに解説すると、宿って欲しいという願望系)」なんですよね。
ソレは、当然のコトで、スポーツ系の学生が犯罪を起こしたニュース、こちらも既に何度も報道済み。
訓練をしたら、根性が正しくなるというホド簡単ならば、世の中、こんなに楽なコトはナイのだけれど‥‥
だからこそ、心理学とか教育学とか親学とか、コミュニケーション学などなどの多くの学問が存在するというのに。
どうして、そんな簡単なコトを犯罪報道の時には、皆、忘れてしまえるのだろうか?
どの様に教育されても、犯罪者はナカナカ無くならない。残念ですが、これはかなりの事実だし、犯罪者の教育に携わっている人の中には、「真性の犯罪者」というモノは、ある程度は存在するのではないかというコトすら、言われている。
少なくとも、「問題のある生徒では無かった」という、決まり文句の言葉を聞く度に思うのは、「責任逃れのタメ」にそういっているのか(何と無責任な!)、ソレとも「生徒の実情を見ない教育しかしてない」のか(生徒の苦悩を察しようとしないの?)、という疑問が湧く。
少なくとも、同じ生徒の中からは「中学に入って変わった」とか、「キレやすい」とか、「トラブっていた」とかという、証言があり、おそらく、そうした問題は学校側もある程度認識していたと思うので、そういう学校側の態度は他の生徒に悪影響があるハズです。
物事の本質に迫る報道って、ドコに行ってしまったんでしょうね。