岩盤を穿(うが)つ
去年の年越し派遣村村長だった方の本なのですが、今年の派遣村で都が就活費として現金2万円を支給したら、200人以上が所在不明となっていることでバッシングされたりもしてます。
にしても、この問題をオリンピック招致の時に限度額以上のデラックス・ホテルに泊まり、かなりある差額を自腹で払うという気も無い知事にコメントされたくはナイのですが‥‥
実際、今後、生活保護などを受給するとか、食事を出したりし続けるよりも、二万円で自力で生きていこうしてくれるのであれば、逆に安上がりと考えたりもしますし。
今回の問題を本日TVの「バンキシャ!」で問題視した上に、長年、トラック運転手で働いていた男性が「介護職」しかナイと言われて、「経験もナイし無理」と断った場面を取り上げたりして、「職が有るのに働かない」みたいに批判されてもね‥‥
介護職にだって、向き不向きもあるだろうに。ちなみに、実際に主人が求職した時の経験から類推するに、多くの介護職の会社は女性の方を求めているし、中高年の男性だと夜勤も出来るだけのスキルを持ってナイ人を簡単に雇ってくれるとは思えないけれど。
求職がある=雇ってくれるというワケでは無いというコトは、ハローワークに行ったコトがあるもう若くはナイ人ならば、痛切に感じているハズで。
著者が語る「岩盤」とは、
大企業・公共事業への補助金、ケイレツ化による「締め付け」と「おこぼれ」、正規労働者の会社に対する高いロイヤリティと非正規労働者に対するメンバーシップの剥奪という、長年かけて構築されてきた頑強な一代システムのコトなのだけれど。
子沢山で貧困という人々も、現実に知っていたりするので、簡単に自己責任と言われても、その子供達には何の罪もナイのにと普段から思ってしまう。だからといって、そうした家族を援助出来るホドの余裕も無ければ、義理も無かったりするコトもあっりして、やはり「貧困の再生産」を防ぐのは行政の仕事なのだろうと思う。
要するに、社会不安を世に生み出さないタメにも、本来の行政が放棄して来た問題が、今や山積しているだけなのではないかと。
お正月に、過労死しそうなホド働いている甥に、「身体のコトを第一に考えて仕事しなさい」と言ったら、「そんなコトをさせてくれる会社は、もう無いに等しい」という趣旨のコトを言われてしまったが、「過労死と貧困」の二者択一の様な社会の日本では、この先に幸福な未来が存在するとは思えない。