2010年01月31日

無縁死激増の衝撃

死が遠いモノだった若い時には、「孤独死」など平気だと思っていたし、「どうせ死んだら何も判らなくなるんだから、死後などどうなろうと構わない」と思っていたけれど、徐々に死がそんなに遠くナイ世代になって来ると、せめて死後の整理くらいはそれなりにして欲しいという気持ちになります。

別に、盛大な葬式をして欲しいなどとは思わないけれど、生きていた全てがゴミとして処分されるというのは、かなり辛いモノ。

本日の新聞のTV欄で「NHKスペシャル」で「三万二千人もの人が孤独に死んでいた」と書かれていたので、今、見ているのですが、「引き取り手のナイ遺骨はゴミ」という言葉に背筋が寒くなりました。

家族が居ても、遺骨を引き取らない人も多く、自治体の依頼で遺品を整理する「特殊清掃業者」という存在があるコトを知りました。

全国から身寄りがナイ遺骨を引き取ってくれるお寺があればこそ、その御寺の無縁墓地に葬られますけど、そうでなかったらと考えると、過去のブログに、刑務所で死亡した場合は、刑務官が遺骨を埋めて、死後にお墓参りをしてくれる場合もあると書いたコトを思い出して溜め息がでます。

真面目に生涯をひっそりと終えた方が、世間と隔絶して孤独に死ななくてはならないとは驚きました。

「刑務所が福祉の最後の砦」では、本当に淋し過ぎます。

犯罪者で無かったとしても、兄弟などの近い親類が居ても「無縁仏として葬って欲しい」と言われてしまうのだとは本当にビックリ。

「金の切れ目は縁の切れ目」とはよく言ったものだけれど、それは親類縁者などでも同じなのだなと‥‥

逆に大金を残して死んだ人の場合は、近所の人がそれなりに面倒を見ていたのに、死んだら大勢の自称親戚が押し掛けて来て、財産分与で大騒ぎになったという話も聞いたコトがあります。

こんな世知辛い世の中になってしまったからには、家族仲良く暮らせるコトは思ったよりも素晴らしいコトなのかもしれせんね。

人生というモノを、改めて本当に考えさせられてしまいました。
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この記事へのコメント
家族みんなが平和に暮らせるというのは本当に簡単のようで難しいのでしょうね。個人個人を大切にすることは大切ですけど、それで家族がばらばらでも困りますよね。適度な折り合いがつけられるといいのですけどね。
Posted by 鍼医K at 2010年02月01日 06:38
鍼医Kさん、色々な事情もあるとは思いましたが、金銭的なゆとりがナイと、かなり辛い状況に追い込まれてしまうのだなと思いました‥‥
Posted by koyuri at 2010年02月01日 21:22
 
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