2010年07月27日

親の因果というべきか‥‥

秋葉原無差別殺傷事件の被告人質問で、「事件は母親のせいではない」としながらも、幼い頃からの厳しいしつけを挙げた加藤被告のニュースを読んでいると、結局、人間は親の影響から逃れられない可能性が高いのだなと感じる。

昼のTVなどで、「100点で当然。一問間違えて95点だと怒られた」といった証言や、イタズラでキャベツの盛り付けをいじったら、二階の窓から落とされそうになったとか供述したみたいだが、上のニュースを読む限りでは、母親は「子供の時に(加藤被告を)屋根裏に閉じこめたりしたが、あくまでしつけの一環で不満のはけ口にしたわけではない」と話し、父親は「妻は子育てで完璧を求めていた。妻から私が子育てするから黙ってくれと言われ、口を出さなくなった」と述べたそうだが、親子双方の認識の違いの大きさには驚くばかりだ。

実際、TVのコメンテーターも「他人に責任を押し付けている」と親の態度をあまり問題にしなかったが、多くの犯罪を起こした男性の姿をTVとかで見ていると、バリバリのイケメンではナクても、そこそこイケてる感じの若者が、自分に対して否定的な発言をしていて、だから様々な欲望が歪んだ形で犯罪に繋がっているケースが多いと思う。

客観的に見れば、完璧じゃなくても充分なんじゃないのと思う様な人が、完璧でナイ自分に悩んで、自分を卑下し、それゆえに実力を発揮出来ないまま、人生で落後者に望んでなっている感じがする。

要するに、どんなに歳を重ねても、当事者にとっては親からの愛情こそが求めるモノであり、それが満足出来るモノにならない限り、空虚さは埋められないのかもしれない。

小林一茶ではナイが、子供に正しく愛情を注げない親に対して、「あの月を取ってくれろと泣く子かな」的に、親の愛を求めて騒ぐ子に対して、社会は何が出来るのか。

彼等が無差別的な行動を取る前に、危険を察知して未然に防ぐ体制を整えなければ、必ずや、又、類似犯が登場するコトだろう。

昨日に引き続き、暗澹とした気分にさせられる話題でした‥‥
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この記事へのコメント
厳しい母に育てられたとしても親のせいにするのはどうでしょうか?

小学生の子どもではないのです

成人した大人なのだから それは言い訳としかおもえません
Posted by 松じゅん at 2010年07月28日 20:28
松じゅんさん、確かに虐待されても大丈夫な子は存在するのですが、凶悪犯の多くに親子関係の問題が存在する以上、やはりもう少し「親に成るタメには、どうすべきか」というコトを教育すべきではないかと思います。

子供に問題がある場合、親に問題があると多くの人が口を揃えて言ってます。

そういう子供をどう社会がフォローするかというのが、一番の問題だと思います。
Posted by koyuri at 2010年07月28日 21:08
 
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