秋葉原無差別殺傷事件の被告人質問で、「事件は母親のせいではない」としながらも、幼い頃からの厳しいしつけを挙げた加藤被告のニュースを読んでいると、結局、人間は親の影響から逃れられない可能性が高いのだなと感じる。
昼のTVなどで、「100点で当然。一問間違えて95点だと怒られた」といった証言や、イタズラでキャベツの盛り付けをいじったら、二階の窓から落とされそうになったとか供述したみたいだが、上のニュースを読む限りでは、母親は「子供の時に(加藤被告を)屋根裏に閉じこめたりしたが、あくまでしつけの一環で不満のはけ口にしたわけではない」と話し、父親は「妻は子育てで完璧を求めていた。妻から私が子育てするから黙ってくれと言われ、口を出さなくなった」と述べたそうだが、親子双方の認識の違いの大きさには驚くばかりだ。
実際、TVのコメンテーターも「他人に責任を押し付けている」と親の態度をあまり問題にしなかったが、多くの犯罪を起こした男性の姿をTVとかで見ていると、バリバリのイケメンではナクても、そこそこイケてる感じの若者が、自分に対して否定的な発言をしていて、だから様々な欲望が歪んだ形で犯罪に繋がっているケースが多いと思う。
客観的に見れば、完璧じゃなくても充分なんじゃないのと思う様な人が、完璧でナイ自分に悩んで、自分を卑下し、それゆえに実力を発揮出来ないまま、人生で落後者に望んでなっている感じがする。
要するに、どんなに歳を重ねても、当事者にとっては親からの愛情こそが求めるモノであり、それが満足出来るモノにならない限り、空虚さは埋められないのかもしれない。
小林一茶ではナイが、子供に正しく愛情を注げない親に対して、「あの月を取ってくれろと泣く子かな」的に、親の愛を求めて騒ぐ子に対して、社会は何が出来るのか。
彼等が無差別的な行動を取る前に、危険を察知して未然に防ぐ体制を整えなければ、必ずや、又、類似犯が登場するコトだろう。
昨日に引き続き、暗澹とした気分にさせられる話題でした‥‥