と呆れ果ててしまうのが、寝屋川市で起きた殺人未遂。
父親が、中学3年の長男の背中にオイルをかけ、点火して大やけどを負わせた疑いで逮捕したが、「オイルはかけたが火はつけていない。何で燃えたのか覚えていない」と否認しているというニュース。
子ども家庭センターが、長男を病院に入院させ、長女も保護した。長男だけでなく、長女も「普段から父親に殴られたり、けられたりした」と話しているというのだが、前から問題視されていた家庭だったとか。
今日、息子は友人とボランティアで近くの児童館へ朝から夕方まで行って、猛暑日の中、子供達と真剣に遊んで、全てを着替えナイとダメなほど、汗びっしょりになって帰って来て、くたびれたらしく、七時過ぎまで三時間も爆睡してました。
血の繋がりなど全くナクても、そうやって身を粉にして奉仕する精神があるというのに、実の子供を虐待するのが日常的な親が存在するコトが、本当に不思議。
たった四日だけのボランティアと、毎日生活する親とは違うとは思えど、どうして同じ人間なのに、こんなに違う人間が存在するのかと思ってしまう。
結局、「しつけ」という名の暴力が肯定されているのが、一番問題なのだろうと。
前にSNSで、親のしつけで暴力を可とする人と、激論になったコトがあるけれど、要するに「自分は親の御蔭で、それなりに立派になれたのだから、親が殴るのは必要」といった感じで、自分が子供時代に親からされたコトを肯定的に捉えるタメに、「しつけのタメなら、体罰は必要」という論法に終始していた。
誰しも、親が自分に愛情を持っていたと信じたいから、大抵のコトは親の行動を正しいと思いたがるのだが、結局、ソレが「虐待の連鎖」を産むのだと思う。
明らかに、虐待された子供であっても、親のコトを悪く言わない子供が多いのと一緒。
ともあれ、人間なのだから、なるべく子供にだって言葉を尽くして「何が気に入らないのか」「どうして欲しいのか」というコトをコンコンと諭すべきであって、感情に任せて実力行使とばかり、体罰に行き着くのは親として敗北だと思う。
より多くの人々の認識が、「体罰よりも、言葉で諭そう」と変わった時にこそ、年々増え続ける虐待が初めて減少するのだろう。