京都の「五山送り火」の一つ「大文字」で岩手県陸前高田市の被災松を使う計画を中止後、大文字保存会が一転して受け入れを決めた問題で、京都市は、現地から届いた松から放射性セシウムが検出されたため、送り火での使用を断念すると発表したというニュースに、本当に情けない気持ちになった。
こういう二転三転される気持ちというのは、おそらく当事者以外には判り難いものだろうとは思うが、ドコまで被災者の気持ちを踏みにじれば気が済むのかと思ってしまう。
何でも、拙速に考えずに、物事はじっくり考えるべきというのが、以前からのこのブログの最大の主張の一つではあるが、浅はかな考えで、こんなに何度も人を傷付ける行為というのは、珍しいかも。
正に、人の気持ちを何度も何度も土足で踏みにじったとしか言えない。
大体、少しでも自分にリスクがあるのがイヤだと思っているのであれば、偽善的に他者に声など掛けるべきではナイ。
他人に非難されて、右往左往するというのは、人間として本当にみっともナイことだと思う。
確かに、過ちてスグ改めるというコトは良いかもしれないが、それを繰り返すというのは、自分がナイのと一緒。
何事も決断する時は、最初にあらゆる可能性を考えて、特にマイナス面を特に入念に検討してから、行動すべきであって、後から指摘されてアタフタするのは、軽蔑されるべきコトなんだけれど、日本という国は、特に行政がそういう態度をしても、誰も責任を取らないので、無責任で、無礼がまかり通っている様に思う。
せめて、当事者が現地にお詫びに行く位の常識があれば良いのだが、それもおそらく無理なのだろう。
正直、京都に四年も居ながら、五山の送り火を見るチャンスは一度も無かったので、一生に一度だけでも行きたいと思っていたが、呆れ果ててしまって、もう行きたい気持ちは完璧に無くなってしまった。