本日読んだ本の話をしようとしていたら、こんなニュースが気になった。
「事故で飛び出した放射性物質(セシウム)は、ウチの所有物じゃない。だから除染をする義務もなければ、カネも払えない」と、福島第一原発の事故を起こした東京電力が裁判で主張しているという。
こんな屁理屈が通るのならば、騒音を出している工場などだって、騒音は我々の所有物じゃナイから的な話になってしまって、世の中は大混乱になるだろう。
裁判というのは、時々、部分を問題にし過ぎて、いわゆる「木を見て、森を見ず」的な判断になる場合がある。
無罪
この小説では、刑法第39条が話の核となるのだが、特に問題になるのは、覚醒剤やシンナーなどを使用してから、殺人などを犯しても心神耗弱で減刑されてしまう不思議さ。
普通ならば、悪いコトをして、本当に悪いコトをしたのだから、減刑ではナク、罪を合算するというのが当然では。
ちなみに、どんな事情があるにせよ、心神喪失で無罪ではナク、刑法第39条は廃止して、罪として裁き、特殊事情があるのであれば、それは情状酌量でという方が、上記の様な馬鹿げた裁判結果にならなくて済むのではと思います。
今の裁判では、負けそうになると弁護団が精神判定で逃げようとしている感じが多く、それよりも真実が知りたいと被害者側は思うハズ。
どうして、こんな罪を犯す様に追い詰められたのかといった点について、情状酌量で訴えた方が、被害者側も許せなくても、ある程度は仕方ナイと思うだろうに、今の状況では被害者の方々の悪感情に油を注ぐだけ。
本当にすべき司法改革は、そうした当たり前の国民の意識を、各種裁判に反映させるコトだと思うのですが‥‥