2016年08月31日

神も仏もナイのか

台風10号の暴風雨による浸水被害を受け、高齢者グループホーム内で入所者9人の遺体が見つかったというが、危険な川沿いに高齢者の施設を建てるというのは、あまりにも無謀ではナイのだろうか。

川よりは、かなり高い場所に建てられてはいるモノの、川のスグ近くで生まれた身としては、あまりに杜撰な立地選定ではなかったかと思ってしまう。

台風で、大雨が降ると川が増水して、堤防まで一杯の水が流れ、夜には大きな石がゴロゴロと音を立てて流れて行くのだろうと思いつつ、眠る時の心細さときたら、とても自分の寝室まで水が溢れるコトは、絶対にあり得ないと思ってはいても、恐ろしくてたまらなかった。

翌朝、太陽が出ると、川の中に今まで見たコトが無かった様な、大きな岩が取り残されているのを見ると、『自然の脅威』という言葉が、身に染みたものだ。

日本は山国だから、平地が少ないので、団地などが造成されるのを見ても、今まで人が暮らすに不向きだった場所を選定するので、以前から人が住んでいた場所と比べて、長野でも災害に遭う確率が高い。

地滑りとか、浸水被害とか‥‥

それでも、命が残っていれば、建物の再建も可能だが、命が奪われてはどうしようもナイ。

俊敏に逃げるコトも無理な老人を、そうしたリスクの高い場所に暮らさせるというのは、如何なものか?

そう思っていたら、ネットで老人繋がりというコトで、 作家の曽野綾子が「週刊ポスト」のインタビュー記事で語った「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」との主張がネット上で大反発を受けているという記事に、行き着いた。

半年以上も前の記事ではあるが、少し前の相模原殺傷事件と共に、社会にプラスな人間だけが、生きて行く価値があるという優生思想的な考え方をしている。

キリスト教徒であり、理想的な社会を求めていたハズの作家が、歳と共に偏狭な考え方になって行くのを見ていると、『確かに』と貴方がそんな人になってしまうのだからねと思う部分も無くはナイのだが‥‥

社会弱者の存在を否定する、今の社会というのは本当に馬鹿げている。

そもそも、そうした社会弱者が配分されてしかるべき富を、一部の人々が上手いコト搾り取って大手を振ってあるいていられるのは、社会弱者が存在しているから。

社会的に強者な人々だけが存在しているととしたら、死に物狂いの争いになるだけだろうに。

他者の懐から強奪するコトしか考えてナイ様な人達が、収奪するする人々の存在無くして、自分達の繁栄はナイのだという、あまりに当たり前過ぎる前提を否定してしまうという、呆れたパラドクスに、驚くばかり。

和歌山の拳銃死傷事件も、犯人の拳銃自殺で幕となったみたいだが、収監される直前の犯人が拳銃を使用して、死傷者が出る前に何とか出来なかったのかという気にさせられる。

熊本では、再び大きな地震が起きているし、正に日本国は『末法の世』に突入しているのではないかと、危惧してナラナイのだけれど‥‥
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この記事へのコメント
こんにちは

昨夜と今朝の地震は福岡では大したことは無かったのですが
熊本はやはり揺れが大きかったようです
建物は安全な場所に・・・・・
難しくなってきているのでしょうね

※ブログに載せた虎家のパン、早起きしても売り切れる前に買えるかどうかわからない、まさに伝説の店になっています
凄すぎます!
Posted by k-hirata at 2016年09月01日 09:55
k-hirataさん、九電は知事の停止要求を拒否したそうですし、地震大国の日本に原発をと思っている人々に、天罰が下っているのでしょうか??

※そう言われると、何としても食べたくなるのが人情ですね‥‥
Posted by koyuri at 2016年09月01日 19:48
 
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