正直な話、昔から信じられるとすれば八百万の神か、さもなくば無宗教かという、あまり特定の宗教には無頓着な人間である。
とはいえ、若い頃は「どんな宗教でも信じられるのならば、人生はどう変わるのだろう」と思って、かなり色々な宗教の本を読んだコトがある。
そして、出した結論は「どの宗教も、最終的なものは同じで、そこにたどり着くまでの道が違うだけで、究極は同じ」というコトだったのですが、正に同じ言葉が下の本に書かれていてビックリ。
ちなみに、そう言われた方は、「信仰に二股はいけない」と他の人から言われて、カトリックへの道を邁進されたのですが‥‥
ともあれ、私はならば完全なる無宗教の道を行くべきか、それとも子供の頃から馴染んで来た「一木一草」にも神は宿るという八百万の神を信じるか、どちらかしかナイだろうと思いつつ、どちらでも構わないというアバウトな選択をして、現在に至っているワケです。
カトリックの道を歩まれてらっしゃる方が、「信仰とは、遙か遠くに輝き、闇の中で寒さに凍える私たちを、支え導く光である」と言われると、確かにそういう部分もあるのかもしれないとは思います。
ただ、だからといって、これからも余程の事が起こらない限り、何かの宗教に入信するコトはあり得ないと思います。
心の安寧を得てしまえば、生きているという実感が薄れてしまうかもしれませんし、あるがままに生きて行くしかナイと、腹をくくってますから‥‥
信教の自由は保障されていますし、周囲の人々が入信しても別に構わないのですが、昔からどんな勧誘を受けても、心が靡きません。
読んで見て下さいと頂くパンフレットは、一応全て読ませて頂きますが、若い頃と同じ感想しか待てないので、どの宗教にも一定の距離を取らざるを得ないので。
あまりに、「のれんに腕押し」なので、各種勧誘の方々も諦めたのか、そう繰り返しはお見えになりませんし。
それでも、宗教の本は何冊でも読むつもりはあるので、これからも読んで行くだろうとは思いますが。
卒業した浄土真宗系の大学も、そうとは良く知らずに入っただけで、宗教学は必須でしたが、ホトンド出席もせず、それでも留年させると面倒と思われたのか、「可」で、出させて頂きましたし‥‥