北山修氏の編集と書かれていたので、読んでみたのがこの一冊。
題名と曲が一致しなくても、今は「ユーチューブ」があるので、スグに検索すれば、『あぁ、アレか』と判る。
タダ、音楽と過去の経験がリンクしてこそ、心が癒される部分もあるので、他の人が癒されるからといって、必ずしも自分が癒されるかどうかは別なのだが。
それでも、「ヘイ・ジュード」が、ジョン・レノンが最初の妻と別れる時に、ポールが彼の息子のタメに書いたとは、全く知らなかったなど、曲に纏わるエピソードで知らないコトも多く、そういう意味ではとても興味深い本。
それにしても、個人の側の問題は、様々。
昨日の本の中に、「法の適用は相手によって変えてはならない」というモノがあったけれど、今日のTVでは、「週刊文春」が報じた、小室哲也の問題を見ても、如実にその思いを強くした。
正直、夫婦の問題は、第三者がとやかく言うべきではナイというのが個人的な基本スタンスだが、それにしても、TVの対応は生贄に出来そうな人は叩いて、そうでなければ同情的で、実に不快な感じがする。
特に、自分のスキャンダルを抱えていながら、問題にされずにいる司会者が平気で自分のコトを無かったかの如く対応している姿に嫌悪感を覚える。(どういう態度をするのか、少しだけ見てみたのだが)
要するに、面の皮が厚い人間が、この世を闊歩しているというコトだろう。
NHKの大河だって、男優はそのままのキャスティングで、女優は降板を余儀無くされてるし、世の中が不公平で当たり前と思っている日本の姿が、実に良く判る出来事。
こんな調子で、もっと報ずるべきコトを報道せず、視聴率稼ぎにやっきになっているのでは、新聞に引き続き、TVも今のままでは居られないだろうと思う。
今日は、最初の話と後半の話が、そんなにリンクしてナイのだが、昨日の今日で前回のブログの延長みたいな話題があったので、お許しください。