「準ひきこ森」という単語を見て、どんなモノと思って読んでみた一冊。
ネットで検索したら、樋口康彦の公式ブログですというモノを書かれた方の本でした。
ともあれ、自分自身が「準ひきこ森」だったと述懐している方の本なので、正しく評価出来ているのか、否かは難しい部分もありますが‥‥
所謂、近親憎悪的な部分も無きにしもあらずだとは思います。
タダ、御自分でも言ってらっしゃる様に、無理にでも社会に出て、自分を鍛えるという試練を受けなければ、確かにそのまま、社会から孤立して、本当の「ひきこもり」になりかねません。
そういう意味でも、もしかしたらと思い当たる節のある親は、この本を読んで辛い決断をしなくてはならないのかも。
著者は、そういう人々は「準ひきこ森」のままで一生を終わりかねないと言いますが、周囲が早い内に手を打てば、必ずしもそうはナラナイで済むのかも。
タダ、さもないと、著者のおっしゃる様に、ズルズルと行く可能性は大です。
少なくとも、自分で働いて稼ぐという経験こそ、社会的スキルを磨くのに必要かと。
それでも、人付き合いというのは、結構、面倒なモノ。
どちらかというと、社交的な人間ではナイので、そういう人達の気持ちは理解出来ます。
タダ、昔から親の仕事の手伝いをしてたので、人あしらいは可能だけれど、それと人との深い交流は全く違いますし。
でも、本当の友人という概念は、逆に難しくナイでしょうか。
誰だって、言いたいコトばかりいったり、している人と、楽しく付き合うのは無理でしょうし、悪い部分もひっくるめて愛せるなんていうのは、親じゃなきゃ無理だし、親だって無理かもしれません。
人には、良い面も悪い面も有るという自覚をして、そのバランスを上手に取りながら、自分と一番波長の合う友人や異性を見つけるしかナイのでは。
どんな事でも、完璧を求めると苦しくなります。
自分にも悪いトコやダメな部分がある様に、相手にもそういう部分があるという、客観的な目を持たなければ、他人にも優しくナレナイでしょうし。
相手にばかり求めるから孤立するのであって、無理に期待しないという割り切りが、人との交流には必要でしょう。
今は、仮想空間が幾らでも相手をしてくれるので、無理にリアルで誰かを求める必要が無くなっているけれど、だからこそ、リアルで自分と交流してくれる人を探さなければ、人生の最期で後悔しても遅過ぎます。
何となく、周囲でそういう人が存在したら、下手に口を出すよりも、この本を読んでマズどうするか考えてみるというのも、手ではナイでしょうか。